第千八百五十話
閉園時間を告げる放送が流れる。
きっと園内の至るところでブーイングが起きている頃だろう。
城の見学ツアーは遊園地に来たばかりの客ばかりだから、それほど染まっていない。
謝肉祭遊園地。
酒池肉林、田舎のおばあちゃんち風味、リゾート仕立て。
仲間と話しあって決めた俗称は概ね、こんなところだ。
だれもがおばあちゃんを相手に甘えるようになるのと同じで、園内のキャストに甘えるようになる。依存度合いがますほど、度を超していく。
ストレス解消の手段が他にない人ほど、この遊園地のみに強く依存するようになる。
邪を吸うトンネルが原因か。チケットに表示されるLVの数字が問題なのか。
一因であって、すべてではない。
ひとつ言えることがあるとすれば、LVがたったの一だとしても、かなり危うい状態だという事実だろう。
思いわずらうことがあるとしても、そこに留まらなければならぬとする抑圧をトンネル通過によって取り除かれただけで、社会的な営みを辞めてしまうのだ。
学校。会社。家族。そうした繋がりに問題を抱えているとしても、すぱっと辞める者がいる。
判断と選択が早くて極端だ。あまりにも。
問題があるとしても、遊園地に行って決断し、その次の策がないまま遊園地に通うためだけに生きるようだと? それぞれお金がなくなり、住処を失って困るだろうに。
だれも気にしない。
そうした休憩時間が必要なのではないかと、弟分の瑠衣は言った。
なるほど。反論はしない。
どこにいようと、だれといようと、大なり小なり問題は生じるものだ。
そのダメージの度合いを判断するのは本人。周囲ではない。まず、本人。
生きていけない、ここには居られないという場所に無理に留まって貴重な時間を失い、挙げ句、病にかかるなんて。たしかに安全に避難し、心が自発的に行動を選択できるようになるまで安らげる場所は必要だろう。
そうした環境や制度の差し伸べる手を見つけられなかったり、見つけた手の先に心ない振る舞いをする者がいたりするのが世の中だ。
反論はしない。
ただ、この遊園地のキャストはゲストの対応で精いっぱい。
その先がない。医療と福祉への道も繋がっていない。
すると、どうなる?
あまり好ましい想像ができない。
「時雨は彼、どう思う?」
「あなたのほうが気に入っているみたいだけど」
「べつに」
鼻息を強くだして流そうとする。
同郷の幼なじみ。瑠衣は士道誠心に入学したが、自分はちがう。
同年代の中で、珍しくけっこうな人数が星蘭に入学した。彼女もそのひとり。
どちらも羨ましく思う反面、忍びとちがう世界を生きる同年代の子たちと過ごす東京の生活を気に入ってもいる。
彼女とは生活のちがいを含めてよく連絡を取り合っているし、頭領の覚えもいい。
時折すれ違う男たちは漏れなく彼女を見る。
そういう力の持ち主だし、そういう御霊を宿している。
だからか、男に対する感覚がどうも自分とはちがうようで、気になっていた。
「いろいろ尋ねていたじゃない」
「これまでの標的と比べて、ガキだなって。そこは新鮮だった」
「ガキ?」
「問題と感じることと、問題に絡んだ物事や人々に対して敵意を向けることはね? 別なの」
「そうだね」
「対処するとき、感じ取れなきゃ意味がないけど、敵意を向けていたら話は進まないし、敵も増える。意味がない」
「合理的じゃないところがガキだってこと?」
「そ」
「そういうの、きらい?」
「どうかな。合理的に振る舞っているように見せて、自分にとって都合がいい連中を自分の身体の延長線上に勝手に接続しては、弱さを押しつけている。そういう奴らばかりだったから」
閉園を告げる歌が流れ始める。
さあ、そろそろ帰る時間だよ。あなたたちのおうちへ。
穏やかな歌声とピアノの音色がスピーカーから響き渡る。
目が見えない人の手を取り、車椅子の人を案内するキャストも目立つようになる。
「押しつけられた重さは低くて大変なところへと流れていく。水のように。その流れに逆らい、抗って、どうにかしようとできるものじゃないほど、権力勾配の地盤は頑丈」
「彼は鮭?」
「あるいは、アリ。泳いで遡上しようとしたら、途中で力尽きるか、クマや鳥に食べられる。かといって地面を掘ろうにも、あまりにもささやかなことしかできない。なのに敵を増やすような振る舞いをする」
「愚かだと?」
「どうだろ。ただ、人はね? どんな立場であろうと、水を差されたくないものでしょ?」
「それより自分の感情を優先する彼は、ばかだって言いたいの?」
「かもね。ばかは好き。でも、ばかを利用する人間は多い。なのに彼が非難する人々さえ、生きている」
敵対していてはなにも進めようがない。
かといって、いまのままでできることなどたかがしれている。
その地味さを受け入れて、こつこつ過ごせる人ばかりじゃない。
地味でも地道に育てて咲く花もあるけれど、土の世話などせずに肥沃の大地を求めて旅に出てしまう。彼らはどこかへ歩いているような、駆け出しているような気持ちでいるだろう。けど、傍から見ると同じ足場でもも上げをしているようにしか見えないのだ。
環境が、大勢と成した結果が、土壌をごまかすなにかを飾る。
けれど世話の行き届かない土壌の問題は結局、残る。
彼女が任務で出会う男たちはみな、その世話も、問題のすべても、他者に押しつけていると考えているのだろう。もしかすると、彼もそうなのかもしれない。
私は正直どうでもいい。
ただ彼女は怒りを抱えている。
彼も、恐らくは。
それが意欲になるのなら、構わない。
ただし敵意になるようなら?
揉めごとに繋がりかねない可能性となる。
気づけているだけましかと思い直して、先を急ぐ。
彼はうまくやった。
あとは全員で立ち去るのみだ。
トンネルはそれぞれを呼び出す経路。抜ければ自然と、彼らは元の場所に戻るだろう。
自分たちもそう。
「彼女がいなかったら、一回寝てみるのもありかなとは思うんだけどな」
「残念だったね」
「ほんとに」
嘘ばかり言って。
その気になったら、相手がいようと構わないタイプだろうに。
言うのはやめておいた。刺激して、その気になられても困る。
人の恋は?
聞くだけに留める。
どれほど魅力的に思えても、一目惚れしても、何度も思い出そうとも。
深掘りしないし、欲しがりません。絶対に。
もし自分が接触してどうにかなるようなら、相手の信頼度がぐっと下がる。
その程度の相手なら、付きあわないほうがいい。
絶対に繰り返す。浮気の可能性が格段にあがる相手と付きあう気はない。
揉めない秘訣は大事にしたい。
そんな自分だから彼女に共感できない部分もある。
刺激的で楽しそうだが、同時にひどく大変そうだ。
心を掴んで振り回す感情からは、逃げるに限る。
どんなに激しかろうと一緒に踊れる感情とでない限り、私は踊るつもりはない。
それを超えた熱い激情を恋というのなら、私は知らない。
彼女が恋に落ちている場面を見たこともない。
彼が彼女を惹きつけたのなら?
それはそれで、気にはなるが別の話。
いまは先を急ごう。
◆
神棚の扉が開く。
金色の粒がふわふわと飛んでいき、中から伸びてきた手が掴んだ。
明らかに小さな手だった。
演奏終わりにちょうどいい。固唾を呑んで見守る。
苦労しながらやっとの思いで出てきたのは、幼いこどもだった。
くしゃくしゃの栗毛の髪。愛きょうたっぷりのぱっちりした青い瞳。丸くて小さなお顔。小学生、それも低学年くらいの年頃かな。身長も低いし、体つきは華奢だと見て取れた。その子が着ているのは、垢で真っ黒に汚れたぼろ布。破けてひざの見えるズボンと、壊れてつま先が露出している革靴。歩くとべこんべこんと鳴りそうだ。羽根飾りのついた帽子を浅くかぶっていて、それだけが汚れていなかった。
おそらく、たぶん、男の子。
その子の後ろから、次々といろんな犬が飛び出てくる。犬種も年齢も様々。ただ、どの子も毛玉まみれの垢まみれに見えた。たぶん、ノミもいっぱいついていそうだ。目やにが目立つし、お尻まわりの毛に巻き込まれて、うんちがいっぱいついている。
犬たちはみな、怯えていた。
男の子もだ。
ファリンちゃんは舞いをやめて、ふり返る。
どうする? って尋ねるように。
私たちは私たちで、面食らっていた。
もっと、ずっと、ちがうベクトルの危ういなにかを予想していた。
敵意の塊とか、暴力性の集合体みたいなものを。
けど、ぜんぜんちがう。
そう。ぜんぜんちがう。
男の子は「みんな、待って。だいじょうぶ」と。たぶん、そういう意味のことばをかけた。英語とはちがう言葉で、理解が追いつかない。
そんな中、姫宮さんが恐る恐る歩みより、語りかける。
聞いたことのない響き。でも、たぶん、語感からヨーロッパのどこかの言語。
彼女が近づくだけで、犬たちが吠える。尻尾を内股にしまって、かわいそうなほど身体を震わせて。おしっこの香りもした。怖くてたまらないのだ。あの子たち、みんな。
男の子が必死になだめるけれど、むずかしい。
姫宮さんはもちろん、すぐに立ち止まった。
ニナ先生たちが、そうっと近づいていく。姫宮さんの後ろで止まるけど、ニナ先生は自分の影から子犬を数匹だした。呼びかけさせる。きゃんきゃんと。
予想とは別種の緊張感でたっぷりの中、犬たちが徐々に吠えるのをやめていく。鼻を鳴らす子が増えていく。とうとうみんなが吠えなくなって、男の子が帽子を脱いだ。胸に当てて、姫宮さんに呼びかける。
すぐに姫宮さんはニナ先生に呼びかけて、たったふたりで近づいていった。
「これで、ライブは終わりか?」
トシさんの問いかけに首を捻る。
「あの子たちが元気になったら、夜の部をもう一度ってとこですかね」
「ありゃあ、時間がかかるぞ?」
「だったらなおさら! 私たちが思いきり、素敵なもうだいじょうぶを届けなきゃ!」
へっと笑って、トシさんは離れていった。
鼻を啜る。いろいろ香る。悲しい放置の香り。だれもどうにもしてこなかった、そういう匂い。奇しくもそれは、私の御珠から香る匂いとまったく同じものだった。
ああ。ほんと。なにやってんだろ。
見えないなにかを恐れて、風の音に敵を見る。
私の心の中には敵がいっぱいで。
実際のあの子たちと、なんの関係もない。
切りかえよう。
ナチュさんを筆頭に、集まってくれたスタッフさんたちに「舞台袖で休んでいてください」とお願いする。
踵を返して、さっき私を支えてくれていたトモのそばへ。
「あの子たちを綺麗にしたいんだけど」
「もしも触らせてくれることを許してくれたら、もちろん。すぐにでも」
ぜったいに、と彼女は請け負ってくれた。
その足で岡島くんたちを探す。
犬が出てくるなんて想像してなかった。
ピザの具材はどう考えても、犬には毒になるものが多いから、別でご飯を用意しなきゃ。
痩せ細っている子たちばかりだった。男の子もそうだ。
彼らが遊園地そのものなのか。
秘宝は、生きた存在なのか。
それとも私たちの力を触媒に、一時的に秘宝を生みだした命が隔離世に見えているだけなのか。
さっぱりわからないし、いま気にするのはこどもと犬たち。
そして、私はまずぷちたちを。
間違いなく忙しくなる。けど、実感があった。
ひとまずなにかの区切りがつきそうだ。その目処も立ったぞ、とね。
岡島くんたちと合流してご飯の手配をしてもらい、ピザはピザで切りわけてみんなで楽しむこととした。男の子のぶんを、ちゃんと残して。ぷちたちが望むような形で渡せるようにして。
そのためには絶対にぷちたちの気持ちがいる。
みんなは近づいてきた私を見て怯んだ。泣きながらユメが飛びついてきて、それからはもうひっつき虫状態でめいっぱい泣かせてしまった。ママ死なない? だいじょうぶ? とか。なんであんなのになるの、とか。ことばにならない気持ちを、全力でぶつけてくる。叩いてくる子もいる。
予想していたけど。
でも、たぶん、今日はもうこれでいっぱいだ。
私の余白はもう、みんなでいっぱいだ。
泣きながら、怒っている。
こんなことしないで。あんな痛そうなの、やめて。
つらいつらいと、訴えられては、ひとりひとりを撫でながら、抱き締めながら泣けてきた。
ほんとにそうだね。みんなの言うとおりだねって気持ちで溺れてしまいそうだった。
キラリがくる。
そばで座って、見守っている。
特に言葉はない。いらなかった。
マドカはトモたちと、呼びかけはじめるニナ先生の元へと向かっていく。
カナタは生徒会のみんなと、この場の調整で手いっぱい。
岡島くんたち料理班は次の行動で大変。ピザを冷やさないよう、痛まないよう気をつけてもくれるはず。だけど、集まっている人数がかなり多いし、わんちゃんたちもたくさんいたからね。
栄養たっぷりのご飯となれば?
やっぱり、わんちゃんが食べられる野菜とお肉を煮込んで作るご飯になるんじゃないかな。
男の子にも必要だ。
捧げ物としながら、神水もピザも減っていない。
食べられるようなら、ぜひ。だけど身体が受けつけないくらいきついのなら、おかゆや雑炊っていうのも手。
それがどういう性質のものか、ちゃんとわかっている手段を選ぶ。
じゃないと、きつい状況を和らげるための手段が新たな問題を生むことさえある。
つらさの低減は、計画的に。
そんなのつらさのまっただ中にできるはずがないからさ?
みんなでやるぞ。
崩壊した多頭飼いみたいな集団に対する感情はひとまず置いて、あのわんちゃんたちに過ごしやすくて気持ちのいい環境を。あの男の子に、これまでのことを話せる安心できる場所を。
だけどその前に私は、大好きなぷちたちを怖がらせてしまったから、しっかり安心してもらえるように。
今回の一件は特にきつい状況だった。
傍から見ても、かなりえぐい絵面だったはずだ。
一日二日でどうにかなるものじゃない。
じっくり時間をかけて接していくし、私の振る舞いにもかかってる。
もしもこどもの私が、お母さんが同じ危険に見舞われた場面を目撃していたら?
一週間、いや一ヵ月? ううん、一年はそばを離れないんじゃないかな。
危ないことをしそうになったら、絶対やだって訴えるはず。怒鳴るかもしれない。
そういう気持ちに立ち返ってみると、この子たちの前でなにやってんだって気にもなる。
私には必要だった、けど。
ああくそ。
これって、映画やドラマでこどもに無理解に見える親の言う台詞みたいだ!
いまの私が見たら、そういう人たちなりにこどもを思っていると感じるのかな。
わからないけどさ。
私には必要でも、この子たちにとってはとても怖くて恐ろしいことだったんだ。
世界が広がる。私が見えてくる。
私ひとりじゃ無理だ。
きっと私より素直に、そのあたりの大事さを理解してるんだろうなあ。
ちびの頃の私だって、知ってたはずなんだ。
どうして忘れちゃうんだろうな。
すごく大事なことのはずなのに。
いずれ、この子たちの涙が落ちつくかもしれない。
だからといって、この子たちの心が落ちついたことにはならない。
あのわんちゃんたちのように、痛みや恐れは長く残る。
心に残っている限り、威嚇せずにはいられなくなる。
怖くて、恐ろしいから、倒さずにはいられなくなる。
そうしてとうとう、予兆に向けて吠え始める。
しかし尻尾はお腹にくっつきそうなほどしまいこんで、身体は震えて、怯えきっている。
そういう動物に手を伸ばすことはしない。
噛まれることがわかるからだ。
なにについても噛みつくように、吠えるように浮かぶ感情があったなら?
怯えた犬を思い浮かべる。私の場合は。
かといって吠えて唸って噛んでちゃ、問題はどうにもならないどころの次元じゃなくなる。怯えた感情のケアができなくて、とても苦しいんじゃないかな?
どうしてそうなるまで、だれもが放っておいてしまうのかな。
どうしてそうなったとき、それでもまだ問題ばかり見つめてしまうのかな。
そのときだれもが義務を旗に掲げて攻撃しあっちゃうんだろうか。
泣いているぷちたちを前にして、私さえ「話しあうには静かにして」と義務を掲げたら大変だけど、でも、理屈じゃどうにもならないほど気持ちがいっぱいになることさえざらにあるのが、人と付きあうってことだから。
もー。
ほんと。
なにやってんだ!
何万回だって自分に向けてクソッタレって怒鳴りたい。
何の意味もないのに。気持ちがささくれだつだけなのに。
自分を責める燃料にしかならない。責めたところで、なんの力にもならない。
私を苛むだけ。
それだけ、ぷちたちに向けられる気持ちも、ぷちたちが私の中に見出せる居場所も減る。
ろくなことがない。
わかっているのに、感情は理屈じゃない。後から生まれた理屈は感情を理解するにはまだ、あまりに幼い。ちびの頃にわかっていたことのほうが、よほど力強く頼もしい。
そういうこともあるんだよね。
一志不退。
小さな志から、こつこつとやり抜く。
大志は小志を積み重ねて。
ぷちたちひとりひとりを大事に。いまの私にとってはまだ、大志。
だから、みんなの話を聞く。みんなが思いきり泣けるようにする。みんなの話をさえぎらないし、私の都合で流さない、ふたをしない。そういう小志を、まずはやり抜く。
たぶん、もう、今日の私がみんなとできることはろくにないだろう。
構わない。
それでいいんだ。
私にそう教えてくれるように、キラリはずっとそばにいてくれた。
つづく!




