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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第十四章 訪れた八月の休暇

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第百八十五話

 



 線香花火が落ちた。

 ラビと目が合う。

 波音が鳴る中で見つめ合う一瞬は――……特別なはずで。

 もし気が迷うなら、こういう瞬間に違いなくて。

 なのに私は笑ってしまった。

 ラビの瞳が見つめようとしているものは、私ではない。

 私を通して誰かを見ていた。それが誰かなんて……考えるまでもない。

 本当に……ひどい男だ。そしてそれを私は知っている。

 なら、もういいじゃない。


「ねえ、ラビ」


 私はあなたにとって仲間で。

 それはこれまでもこれからも変わらないんだろうから、教えて欲しい。


「メイ先輩になんて言ったの?」


 静かに尋ね、そして聞いた真相に笑ってしまった。

 私の名前を出した途端にメイ先輩がどんどん怒っていった、って。

 そりゃあそうだ。自分たちの話の、それも別れる間際かっていう時に他の女の子の名前なんて出すものじゃない。

 そんなこともわからないくらい追い詰められているラビが意外のようで……でも納得。

 ラビにとってはどこまでいっても……今の私は仲間だ。

 女の子じゃない。

 もしそうだとしても、手前にあるの。同志という軸が、ラビの中には確かに。

 それにそれほどメイ先輩のことが大事なんだとも思うし。

 試しに尋ねてみる。


「どうして私が会いに行く第一候補だったの?」

「それは……コナちゃんに愚痴を聞いてもらったから。頼るなら君かな、と」

「本当に、もう」


 やっぱり、ひどい男だ。

 でも……うん。やっぱり知ってた。

 憎いくらいにひどい男で、かっこよくて、自由で。

 恋に縛る縄があるのなら、ラビはそれに捕われていた。

 それでも、ああ……だからこそ。


「ねえラビ。やり直すなら今しかないんじゃない?」

「え……」


 逡巡に視線をさ迷わせて俯くラビに言ってやるの。


「初めて素直になったんなら、格好つけてないで。みじめでも情けなくてもいい。必死になってみなさいよ」


 あなたに不自由なんて似合わない。


「……けど」

「メイ先輩きっと、ラビが追い掛けてくれるの待ってたんじゃないかなあと思う」


 それは確信だった。


「――……振られたのに?」


 当然だと言わんばかりに頷く。


「もう! それでも君が好きだ、くらい言えないの?」


 苦しむくらいなら叫んだっていいはずだ。


「好きなんでしょ?」

「……ああ」

「でもうまくいかなくてつらいんでしょ?」

「……そうとも」

「なら、届かない手紙を書いてへこたれている暇なんてないんじゃない?」


 息を吸いこむ。胸一杯に新鮮な気持ちを入れて、勢いよく吐き出すために。


「このおばか!」


 そうしないと。


「バイクで訪ねる相手を間違えてます! ……会いに行ってきなさいよ、好きなら今すぐに」


 追い掛けてきた男の子の背中さえ、満足に押せない。


「――」


 ラビの顔が不安に曇る。

 いつだって私はそういう顔を目にしてきた。

 あの子や緋迎くん、出会ったばかりのシオリ……。

 でもいつだって私は笑い飛ばしてきた。そういう自分であろうと決めていた。

 なら迷わない。迷うものか。たとえちょっとぐらっときたとしても。

 ええ、迷ってやるもんですか!


「諦めたくないって顔に書いてある。ならあとはもう、行動あるのみなんじゃないの?」

「――……コナ」

「行って。私はちょっと、ほら。波音聞いて、タクシーでも拾って適当になんとかするから」


 嘘だ。終電なんてとっくに終わっている。こんなところに置いて行かれたら困る。

 タクシーで帰ろうとしても深夜料金でどれだけお金がかかるかわからない。

 それでも……家に帰るまで一緒にはいられない。

 弱い私が顔を覗かせようとしている。だから一緒にはいられない。

 私はせめてラビの自慢の仲間でありたい。だから……絶対に、今は、今だけは一緒にはいられない。


「僕は、きみの――」

「いいから」


 何かを言おうとした唇を指で押さえる。

 言わせたくない。聞きたくない。

 余裕がないからこそ見えた信頼と好意の形の真実に……今は余計な言葉なんていらない。


「ほら。走って。男の子でしょ?」

「けど、ここに置いては、」

「いいから! 行きなさい!」

「……すまない!」


 深く頭を下げて走って行くラビの背中を見送って、腰に両手を当てて息を吐く。


「ほんと……世話が焼けるんだから」


 さて。

 私はどう帰ろうかな? とりあえずは……シオリに電話してみる?


「――……っ」


 鼻が鳴った。潮風はやっぱり、どうしたって目に染みるものだ。


「ここまでしてあげたんだから、なんとかしなさいよ……ばあか」


 遠のいていくバイクのエンジン音にそっと呟く。


「……ううん。ばかは私か」


 波音に混じってすぐに消えてしまう……私だけの言葉。


 ◆


 加速する度に僕の――……ラビ・バイルシュタインの脳裏に過ぎる。

 コナちゃん。生徒会の大事な仲間だし、高等部に入って思いを寄せたこともある。

 何せ彼女は眩しく強く気高い。その魅力にやられたことのない男子は士道誠心にはいないだろう。

 思わずにはいられない。

 どこかで頼ってしまっていた。コナちゃんなら、僕に未来を教えてくれる気がしてさえいた。

 事実、彼女は教えてくれた。本気でぶつかってみろ、と。

 翻せばそれは……僕がどこかでメイに遠慮している事実を示している。

 そう気づいてしまうと、確かに時間なんかおいてはいられない。

 砂浜で一瞬、浮かんだ。

 コナちゃんに言うべき事があるんじゃないか、と。彼女はそれを制した。きっと……彼女もまた気づいたんだろう。

 僕の言いたいことに。

 けれどそれは……メイにぶつかろうとする僕が言うべき事じゃない。

 そして……もしかしたら、彼女も求めては――……いいや、それは考えすぎか?

 とにかく、ずっと逃げていた。たった一度の拒絶で折れてしまっていた。

 それはあまりにもみっともない醜態だ。情けないにも程がある。

 僕が選んだ後輩を思い返してみよう。トーナメントで彼女は叫んでいた。

 決して折れない、曲がらないと。

 選んだ子に教えられているようじゃ、なるほど……僕は彼女の言うとおり、ばかだ。

 それも大馬鹿者だ。なら……せめて大馬鹿者らしく、暴れてみなければ。

 メイの家の前についた。

 出てきたのは寝巻き姿の南先輩だった。

 しかし彼女が出てくるのは想定の範囲内だった。

 メイが遠慮なく付き合うことができる友人は少ない。僕よりも多いけれど。


「振られた男がその日に家を訪ねてくるなんて、神経疑っちゃうな」


 南先輩は笑顔だ。

 物腰が柔らかく人当たりがいいのは表の顔。

 本来の彼女はその刀の本質が訴えるように、とても冷たく厳しくできている。

 メイに対してそうであるように……辛辣で、痛烈。

 同じ氷系の刀を持つシオリにもたまにその片鱗が伺えるけれど、南先輩はとびきり冷たい。


「帰って」

「……メイに会わせてください」

「聞こえなかった? 帰って。ラビくんのことは嫌いじゃない。応援だってしてきたけど……メイが結論を出した以上、私はメイの味方だから」

「メイに会わせてください」

「……もう」


 露骨に顔が顰められた。


「悪役を買って出ているのに、ラビくんったらちっともへこたれてくれないの? ルルコ頑張ってると思うんだけど」

「すみません。でも……どうしても、今日会わなきゃいけないんです」

「なにしにきたの?」

「……ケンカをしにきました」


 僕の言葉に吹き出して、それから家へとふり返る。


「本気のメイはおっかないよ? それでもケンカするの?」

「思えば付き合うだなんだと関わってきましたが、本音をぶつけ合ったことはなかったので」

「どうなっても知らないよ?」

「構いません。ただ、このまま終わりにはできないんです」

「そっか……コナちゃんの名前だしたら本気で命狙われると思うから。それだけ注意しとくね?」


 そう言って道を譲ってくれた南先輩を見つめる。


「いいんですか?」

「ルルコ、メイの戦う姿が一番好きなの。それにこれは道を譲っただけ。カップルの問題はカップルが解決するべきだもん」


 やはり、厳しい。優しく、厳しいのだ。


「ただ……まあ、これ以上泣かせたら承知しないけど」


 腰に刀はないのに、彼女の静かな怒りに全身に冷や汗が滲む。

 けど構わない。行かなければならない。

 決意を胸に抱いた時、扉が開いた。

 メイがいる。寝巻き姿の無防備さよりも、その手に握られている刀よりも、僕のように腫れた目元が心に刺さった。


「話きいてた……けど私に話はない。帰って」


 平板のトーンに心が挫けそうになる。

 と同時にコナちゃんの怒声が頭に響く。ハルちゃんのいつだって立ち向かう姿が浮かぶ。

 だから逃げてはいけない。


「デリカシーない。帰って」

「メイ。話が――」

「今来るならあの時追い掛けてきてよ!」


 怒声に身が竦みそうだった。

 歪んだ顔と浮かぶ涙に折れそうだった。


「嫌い! 大嫌い! あなたの顔なんて見たくない!」


 はっきりと口に出された拒絶に逃げ出したくて仕方ない。

 それでも。ああ。それでも。


「メイ! 僕の話を聞いてくれ!」


 呼びかけ、手を伸ばす。


「さわるな!」


 瞬間、顔を怒りに歪めた彼女が御珠を用いた。隔離世へと飛ばされたのだ。

 どうして、と思いはした。隣にいた南先輩の笑顔に多くを聞く必要はないとも思った。

 刀が懐めがけて振り抜かれる。遅れて放たれる炎の軌跡に飛び退り、単車にくくりつけた刀を抜いた。

 重なる。

 あまりにもこめられたおもいが違う。


「コナちゃんのそばにいればいいじゃない……っ!」

「なぜ、彼女の名前が出てくるんです!」

「好きなんでしょ! 私よりも気を許して……ッ!」

「彼女は大事な仲間で――くっ!」


 激した彼女の連撃をかわす。

 受け止めたいけれど無理だ。彼女の熱が増していく。刀が炎をまとい、それは彼女へと広がっていく。

 南先輩の言う通りだ。コナちゃんの名前を出そうものなら何が起きるかわからない。


「私はラビのなんなの!」

「彼女です!」

「振ったもん!」

「それでも好きだ!」

「――ッ!」


 怯むどころか苛烈さが増していく。

 メイのテンションが増すたびに彼女の刀が光り、輝き、眩い煌めきに満ちていく。

 まずい。メイの必殺パターンに入ってきている。

 防戦一方になる相手に隙を作らせず、その熱で一気に破壊する。


「知らない! 知らない、知らない!」


 避ける空間すら奪うように炎の軌跡が広がって龍の顎のように僕を喰らおうと狙ってくる。

 これほどの激情と怒りを誘っていたのか、と我ながら悲嘆に暮れた。

 逃げられるものなら逃げ出したい。彼女の怒りは僕を容易く殺すだろうから。

 けれど、好きだ。好きなんだ。

 これで終わりなんて、やっぱり認められない。

 なら、逃げられない。

 仲間の声援に背中を向けることなんてできるわけがない。

 我ながら言い得て妙だけど。

 これはケンカだ。

 仲違いをこじらせてぶつかれなかった僕とメイの、人生で初めての大げんかだ。

 なら、逃げるわけにはいかなかった。

 振られたその時に追い掛けるべきだったし、繋ぎ止めようとみっともなくもがくべきだった。


「うああああああ!」


 叫ぶメイの身体が真っ赤に輝いた。

 熱が増しすぎて、それは間近に輝く太陽のようで。

 怒りとともに荒ぶる彼女の力を受け止める術なんて、僕にあるのか。

 不安だった。ずっと。

 目的のためになんでもするのは、そうしないと不安だからで。

 メイに対してそれをできなかったのは、嫌われるかもしれないと思って怖かったからだ。

 実際、何度も嫌な顔をされてきたから。

 わからなかった。僕に彼女を好きでいる資格があるのか、どうか。

 彼女が僕を思ってくれる可能性があるのかどうかさえ。

 わからなかったんだ。

 だから、見つめろ。睨め。そして受け止めろ。


「嫌い! 嫌い! 嫌い嫌い! 大っ嫌い!」


 彼女のそれは裏返しだ。赤く腫れた目元を思い出せ。何のために彼女は泣いたのか考えてみろ。

 終わって悲しみ苦しんだのは彼女も一緒だと思ったっていいはずだ。

 なら逃げるな。立ち向かえ。終わったのなら、もう一度はじめよう。

 彼女が先輩を失って折れた膝を支え、立ち上がれるよう支えてついに新たな一歩へとこぎつけたように。

 僕らの関係もまた、同じようにやり直したっていいはずだ。


「好きだ!」


 振るわれた刀を避けて、


「それでも好きだ!」


 前へ。ただ愚直に、進め。近づいて、


「メイ、君が好きなんだ!」


 抱き締めろ。どんなに熱くても。彼女の激情に溶かされそうだとしても。

 髪や身体が焦げる嫌な匂いがする。現世に戻った時の影響を考えると気が重い。それでも。


「……だから別れるなんて、悲しいこと言わないで」

「――……っ、」


 泣きじゃくるメイの手から刀が落ちた。

 途端に煌めく太陽は一人の少女へと戻っていく。


「隠し事すんな、ばか」

「……ええ」

「会いに来るならもっと早く来てよ……っ」

「本当にね」

「……ばか。ばか! おおばかもの!」

「すみません」


 謝る。痛みよりも苦しみよりも、ただ。


「でも……嫌いなんて言わないで。僕はあなたが大好きです」


 真実、伝えたいことをやっと伝えることができた安堵の方が大きくて。


「……嫌いになんて、なれない。なれるわけ、ないじゃない」

「メイ」

「信じてくれないの……寂しい。つらいの。ラビが信じてくれなきゃ、私はどうすればいいの?」


 彼女の不安を聞いてやっと理解した。

 メイが僕を振ろうとしたあの瞬間にこそ、今のような話し合いをするべきだったんだと。


「次はないんだからね」

「肝に銘じます」

「……ばか」


 背中に回された腕を、しがみついてくる身体を受け止めて思う。

 好きだ。大好きだ。離したくない。離れたくない。今回の一件で身に染みた。

 今回の一件でコナちゃんと南先輩には迷惑を掛けた。

 なんとかしないと――……あっ。


「まずい」

「なに? 隠し事?」

「そうじゃなくて、」


 コナちゃんを砂浜に置き去りにしたことを話すべきか悩んだ。

 言おうものならまた怒りを買いそうだ。しかし黙っていたらまた怒られそうだ。

 これは困ったぞ。


「……ラビ、スマホ震えてる」

「おっと」


 取り出してみたら、ユリアからだった。

 写真が添付されている。単車にまたがるユリアがコナちゃんと写っている自撮りだった。

 ユリアもまた僕のように単車に乗れるんだ。


『回収しといた。フォローもできないなんてらしくない。ださっ』


 我が妹は辛辣だね。しかし今回ばかりは言い返せない。


「仲間にお世話になりまして。その連絡でした」

「……そ」


 僕から離れると、メイはすまなそうに顔を顰めた。


「ごめん……手加減、できなくて」


 自分の身体を見下ろす。服の一部が燃えて酷い有様だった。

 けれど負傷の手当てなら心得はある。手早く済ませながら肩を竦めた。


「僕らのケンカはどうやら洒落にならないみたいだ」

「ラビは防戦一方だったじゃない」

「メイの破壊力がすごいっていう意味です」

「う……」

「戻りましょう」


 うん、と小さく頷くメイの手を引いて彼女の家へと向かう。

 すっきりした顔のメイを見れば、南先輩も怒りはしないだろう。

 それにしても。


「ガス抜きは定期的にしないと、爆発した時が怖いですね」

「なにかいいました?」

「いえ」


 メイの荒ぶりようを思うとね。ついつい考えてしまう。

 彼女も……もしかしたら僕も。もっと剥き出しになるべき時があるんじゃないかって。

 とはいえ、こういうケンカはそうそうあってくれちゃ困るけど。

 そう独りごちていたときだった。


「今日は帰りなさいよ?」


 メイが僕を睨んでいたんだ。


「泊めてくれないんですか?」

「一度破局した後で、そうそう敷居をまたがせますかっての」

「これは手厳しい」

「これに懲りたらたんと反省して。こっちは別れを切り出す時にものすごく頑張ったんだから」


 それを言われてしまうと言い返せない。


「じゃ、そういうことで」


 またね? 彼氏さん、と言うと、メイは待っていた南先輩と一緒に家に入ってしまった。

 本当に敷居をまたがせてもらえなかった。

 それはいいか。今は。

 コナちゃんにはお詫びをしないといけないし、フォローしてくれたユリアにもお礼しないと。


「……ふう。ふふ」


 安堵から笑っていた。心の底からほっとした。

 そんな時になってスマホが震えた。見ればカナタからだ。


「もしもし?」

『すまん、やっとハルに許してもらったところなんだ。それで? 何があったんだ?』

「遅いよ。カナタは間が悪いにも程がある」

『……え?』

「なんでもない。話せば長くなるんだけど――」


 語りながら夜空を見上げる。

 金の太陽がメイなら、煌めく丸い銀の月はコナちゃんだ。

 おかげで僕は救われている。

 僕はカナタにさんざん愚痴り、窓を開けたメイに近所迷惑! と叱られてしまったのだった。

 やれやれだ。




 つづく。

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