第千八百四十七話
だれよりも早く、キラリが怒り心頭の顔が近づいてきた。
足音をめいっぱい大きく立てて、ずかずかと。
私の首にぐっと腕を回して小脇に抱きかかえ、右手で作った指拳銃をファリンちゃんのそばに向ける。迷わず星を出して、飛ばす。ひとつじゃない。連打。いや、連射だ。
歌う私の耳元に顔を寄せて、ささやく。
私だけにしか聞こえないような声量で。
「ひさびさに思い出した。中学時代、あんたに引いてた頃の気持ち」
ひえっ。
「胃袋はファリンとふたりでなんとかする。歌い出す。金色くせえし。それが血になって、あんたは刀でめった刺し。すこし気を失ってたかな」
確かめるまでもなく。
「あたしたちが、どれほど心配したか」
ぶち切れていた。
「気づいたと思ったら今度はなんだ? もうめちゃくちゃだ。ドン引きだよ! あたしたち、みんな」
わかるか、と。
キラリは怨念たっぷりにささやく。
そして時間をめいっぱいかけて、深呼吸をした。
ひっついているから、よくわかる。キラリの身体は震えていた。
怒りに、かな。
「で――……気は晴れたのか?」
歌っている最中だから返事の代わりにうなずく。
「じゃあお尻叩き百で許す」
思わずぎょっとしてキラリを見ちゃった。
嘘偽りなく、彼女は笑みを浮かべていたよ? 断言できる。
でも、こういう場で笑顔って洒落にならないじゃん?
怒られるだけのことはした。怒りではね除けなきゃ焦っちゃうくらい、怖がらせてしまった。そういう類いの無茶をした。ぜんぶ自覚してる。
もちろんキラリはお尻叩きを百回しても、許してくれない。
それどころか、みんなが許してくれない。許してくれても、忘れてくれない。
そういうもんだ。
失敗もだけどね。人に心配をかけるようなことは、もっとそう。
だれかを刺激することほど、記憶に残る。意識できるところ、しないところ。どちらであろうとも。
そういうこと、抱えてるとつらくなる。
つらいこと、だれにも言わないか、言えないままでいるのに慣れちゃうと?
どうしていいのか、わからなくなるの。
ほんとは私、知らないんだ。ろくに。
あーあ!
言っちまったぜ!
それだけで私、ここまでの大騒動をやらかした。
シュウさんのときは?
やっぱり大勢を巻き込んでの大騒ぎになったけど、私も私でひどいものだ。
彼を助けたあの日、彼の悩みが受肉した空間をみんなで突き進んだとき、ギンはなんて言った?
なんだよ、ただの五月病じゃねえか! みたいなことだったはずだ。
私のは?
なんだろ。
悩みを抱え込んだ挙げ句、途方に暮れて、だれにも相談できなかった。
そこはさ? シュウさんと同じだ。
まったく同じとはいわない。
自分から腹を割って、すべてをつまびらかにして話したわけじゃない。
だけどね?
みんな気遣ってくれたことも、いろんな人が協力してくれたことも、一緒だと思う。
結局はダダ漏れなんだよなあ。それとなく漏れることばをきっかけに、心配してくれる人がいるってすごいぞ? スルーされることもあるぞ?
気遣ってくれたのか、それとも気遣わせてしまったのか。きっとどっちもあるんじゃないかな。
一見すると、意思疎通ができている「ように見える」から、これでいいのだと思ってしまう。
だけど、そんなことない。
痛みから逃げようとするとさ。
そればっかりになっちゃうんだ。
責めるのも一緒でさ。
日常を通じて、だれかのことを知ったり、だれかに知ってもらったりしてきたかな? 知ったこと、知らないことを通じて幸せをこつこつ作ってこれたかな?
そういうことから遠ざかっちゃうんだ。
わかってる。
わかってるのに、優先しちゃう。
言えない自分でいることを。
それは私の選択だ。
そのまま挑戦して、結果はどう?
お尻叩き百回だって!
済まないよね、それじゃ。ぷちたちが泣き叫んでいた。
いまの私はほんとに、まったく。
積み重ねていくしかない。わかっているのに、全部を話せない。
いや。状況や関係性を踏まえて、相手と意思疎通を図りながら、すこしずつ話すのか。あるいは、まったくちがぁう話をするのか。
シャワーを浴びたり、トイレでふんぬと息んでたりするときに「あ!」と閃くこと、あるじゃない? 外を歩いていたり、だれかとしょうもない話をしていると「お!?」と浮かんじゃうこと、あるじゃない?
なんなら、そういう時間に救われることって、多いじゃない?
ひとりでできること、大事。
そして、だれかとできることも、大事。
どっちもできるといい。
けど痛みから逃げようとするときって、どんどん遠ざけちゃうし、遠ざかってしまう。
おまけにさ?
だれにも伝えられないことに慣れちゃうと、それでいいようにさえ思えてくる。
厄介だ。とても。
キラリから見たら? ううん、大事に思ってくれている人たちから見たら、私の振るまいって、どうなんだろうね。溝があるよ。どうしても。
みんなひとりひとり、それぞれの熱量がちがうとしても。儚いものだとしても。繋がれない距離感が、お互いの中にどれほどあるのか考えるとき、私の中にはあるんだ。溝が。
ここまでは言えない、とか。どうしていいのかわからないから距離を置く、とか。
巡り巡って、だれにも伝えられない深みにますますはまっていく。
それでいいようにさえ、思えちゃう。くどいくらい繰り返すけど。他にやり方なんて、思いつかなくなる。思考停止した先の世界を認識できないんだ。自分の地続きに、先があるなんて想像さえできないの。
そう思えるくらいには意識してるのに。
ぜんぜん、できてないの。
「教えてよ。あんたのこと。なんの価値もないこと全部」
歌う私を絶対に離すまいと抱き締めたままで、キラリが星を飛ばす。
「やらかしも、情けないことも、みじめなことも、恥ずかしいことも。笑い話になるのは、だれかと馬鹿話にできたときだろ」
必要なはずだろって。
それくらい知ってたはずだろって。
これまで何度も話してきてたはずだろって。
なのに、どうして知らないんだよって、キラリはあらゆる感情を持てあましている。
負けじと彼女はありったけの量の星を飛ばした。それはファリンちゃんの舞いに合わせて彼女の周囲に漂い、跳ねて、躍っているみたいだった。
「見ろよ。こんな夢みたいなことができるのにさ? あたしたち、もっとすごいところに飛べるはずなのにさ?」
鼻を啜る音が、すぐそばで聞こえた。
「自分を殺すような使い方、すんなよ」
首筋が痛むくらい、キラリが強く抱き締めてくる。
頬に濡れた感触。それでもふたりで右手を差し伸べて、互いの願いを放ち続ける。
ごめん。ほんとに。いつも。ずっと。
それでなかったことにはならない。できやしない。
こういうとき、慣れたままでよしとすると?
時計がどんどん解体されていくんだ。時を刻むどころじゃない。
「あんたが自分のこと、どんなにきらいでも、あたしはもう好きなんだ。置いてくな。味方なのに、置き去りにすんな。ドン引きだよ」
嗚咽交じりの声に変わっていく。
彼女の人差し指から飛び出る星がどんどん小さく、多くなっていく。
私の金色と混ざり合って、まるで天の川のようだった。
舞いに集中する踊り子へと伸びる。
しみじみ思うことがあるぞ?
もはやキラリが私の彦星まであるのでは?
カナタさん! ふつうだれより先に駆けつける場面では!
なんて冗談が浮かぶくらい、気持ちが晴れた。
「あとな? いまさらだけど、大事なことを言い忘れてた」
なにかと尋ねるようにキラリを見たら、目元が腫れていた。
目線をファリンちゃんに向けたまま、泣き顔なんか気にせず笑うんだ。
「服、斬られたとこ。穴だらけになってる」
は!? え!?
思わず見おろしたら、衣装がズタボロやんけ!
貫かれていない場所を探したほうが早いくらい、滅多刺しにされた。
わーお!
きわどいところが漏れなくちゃんと隠れているのが奇跡まであるな!?
それとも単に骨が多い場所だから? わからないけど下半身は無事!
下半身って。
胸回りはほんとにきわどい。
どのあたりを集中的に攻撃されたのかは、なにかの情報になりそうな気がするけれど。
無理!
とっとと金色を転化して補修しちゃう。
早く言おう!? って浮かんだことばは私に刺さる、猛烈なブーメラン。
そんなのお構いなしにファリンちゃんは転化を続けている。
無傷でほかほかのピザと神水の置かれたテーブルの向こう、瓦礫の山に作られていく金色の箱にたくさんの人の霊子が集っていくんだ。
大勢の霊子が集うファリンちゃんは玉のような汗を浮かべて、見事にさばいている。
おかげで最初はただの四角い形だったのに、どんどん複雑化していく。
柱ができて、燭台が垂れ下がり、炎を浮かべて照らす。台座ができて、小さな部屋が作られる。その周囲を私たちを象る木造の人形が「おいでませ」とお迎えしていた。ぷちたちがピザを運ぶ像までできていく。
本職の人が見たら「ううん!」としかめ面になりそうな、仏壇みたいだった。
それにしちゃごちゃごちゃと賑やかで、俗。
アニメやキャラコンテンツのファンの方が作る、いわゆる神棚みたいだった。
そっちのほうがイメージに近いまである。
いいのかなあ。これ。
仏壇なら戒名と写真がある場所で、神輿なら神さまが入っているお部屋が見える。
だけどそれは、どうにも小さい。
胃袋さんを呼び出せたとき、あの小さな部屋から出てくることになるのかな。
実は胃袋さんはごつマッチョで、出てこようとしたら「せ、せまい!」ともがくようなことにならない?
だいじょうぶ?
◆
トンネルを無事に抜けると、そこは開けた空間だった。
天蓋のある広々とした通路。左右に華やかな装飾と電飾が煌めく店舗が軒を連ねる。どこもかしこも飲食店のようで、肉や魚の焼ける油の香り、香辛料の刺激的な匂いが漂っている。甘いのも混じって、たまらない。
どの店もみな扉が開いており、中から談笑する人の声が漏れ聞こえてくる。
そして天蓋にはラスベガスにあるというスクリーンが設置されていて、美男美女が泳ぎ、竜が飛ぶ水中を映していた。水から出たカメラは浜辺に寝そべる人々のくつろぎを捉える。最初の美男美女とちがい、今度は街中で見かける体型がメイン。そこからカメラは空へと上昇していく。
ドローンで撮影しているのだろうか。
視点があがると、ジェットコースターが見える。そして巨大なタワーに、ゴンドラ型のコースターなど。遊園地の全景といったところだろうか。
呆気にとられていたが、気になる表示を見つけた。LIVEと、小さく赤い箱の白抜きで定期的に表示されている。確かめると三店舗ごとの距離だった。
どこもかしこも満員御礼。
気鬱な顔などひとつも見つからない。
ここには飯があり、娯楽がある。
ただそれだけ。
紛うことなき遊園地だった。
「いや。待て。おい」
黒い御珠が数えきれないほど並ぶトンネルの先に、だれもが楽しみ笑う遊園地って。
いろいろと冗談きついぞ、これは。
ふたりに続いて歩きながら、店の中を覗く。
酒盛りをしているいい大人たちはみな出来上がっている。こどもの姿は見当たらない。
見あげれば天井のスクリーンに映るアトラクションに、こどもや学生の姿が目立つ。
奇妙な場所だ。どこまでも。
いや。場所は普通なのか? 奇妙なのは、ここにいる連中か?
いずれにせよ。
「めちゃめちゃ楽しんでんじゃねえか! 連れ出せるのかよ!」
「一時避難を求める形であれば」
「アナウンスすればいけるんじゃない?」
そんな適当な!
「正直、ここにいる限り、なにかを失うということはない。現実での時間を除けば」
「そしてその時間で行なうことが、ここではできない。仕事、通学、お金を稼ぐことなどなど」
俺ならここに居たいんだけど?
「現世で抑圧されて生じる欲望を通路で吸われて、遊園地で遊び、おいしいものを食べる。出会いもあるかもしれない」
ディストピアものの上位階層にいる者が暮らす楽園かなにかかな?
「現実で必要なものは、ここでは必要ない。だから、彼らはここで遊び、邪を出すことのない状態で現世に戻る」
「いや戻るんかい!」
「閉園時間があるもの」
「そういうとこ現実的なのかよ!」
二十四時間営業かと思った! それだけ居心地がいいのなら!
「開園時間もある」
「でしょうね!」
「ここに招かれる人たちの多くが、現世の学校や仕事で心が参っている人たち」
「時雨と私で調べたけど、仕事を辞めたり不登校になったり。家事をしなくなったり、離婚したり。けっこうな影響が出てる。ただし、邪は出ないし? 再びここに戻ってくる」
なにその現代社会の闇の煮こごりみたいな話。
大昔の短編小説にありそうな場所じゃん。
や、話にするにしちゃ地味か。
別に抑圧されずに過ごしてるんなら、続けられる――……のか?
無理をやめるってことなのか?
いやいや。
極端だって。いくらなんでも。
そんな極端さを選んでしまうくらい、地味に参っている人が集まっているとか?
「とっとといこうよ、怪盗くん。警察と消防の人たちを見つけ、閉園のアナウンスをする。案内をして、現世に戻る! 簡単でしょ?」
「放送できる場所は調べてある。急ごう」
「いや、でもよ」
ふたりは迷わず進んでいく。
誘惑があちこちにある、というにはあまりに自然すぎる。
無茶な勧誘はない。客引きもいない。
ここに来る人たちが、自然と足を運び、それぞれのペースで楽しんでいくだけ。
だからこそ、異様に見えて仕方ない。
「化け物が出てきたりしねえか?」
「ないよ」
「ここにいる連中が変わらないか、霊子はどんな状態かも事前に調べた。異常はない。言うなれば彼らは、クリーンなの」
「いやその発言が既にこええよ!」
それこそディストピア遊園地の管理人みたいな物言いじゃんか!
「現実逃避の一例に過ぎないだけ」
「そう? 私はここ、けっこう好きだけど。単純に楽しい場所があるだけ。ストレスさえあれば入園し放題の極上遊園地なんて、毎日とはいわないけど、週一か月一で行きたいよ?」
「やめて。現世の状況と噛みあわない。ここはバランスを壊してしまう」
「元々現実のバランスが壊れているのに?」
「尚更、だめ。トンネルの黒い御珠の数が多すぎる。いつか壊れてしまうかもしれない。それはずっと先かもしれないし、いますぐかもしれない。なら、ここを修繕するのが先。彼らもそう」
「はいはいそーですね」
星蘭の子はストレス解消したそうだ。
対して時雨は任務を優先している。
のみならず、見通しさえ立てている。
彼女の意見に俺も賛成だ。
「まあまあ。とっととやっちまおう。上で、この空間を呼び出す作戦の真っ最中だ――……」
そういえば。
「あれ? 呼び出されたら俺ら大丈夫なのか?」
「「 いまさら? 」」
ふたりが立ち止まって、心底呆れた顔で睨んできた。
いまの俺にはわかる。いま、たしかに、好感度が下がった!
「いっ、いやいや、念のためだって!」
「知らない」
「おい!」
「ただ、そもそも現世の理を超越したものがあるのが隔離世。ここもそう。だから、きっとだいじょうぶ」
ゆるぅいお答えでいらっしゃる!
「この手の秘宝は内部構造と外から見た大きさが一致しないものが多い。じゃなきゃ、ビルの瓦礫の山の下に、これほど巨大な遊園地がなきゃいけないし? そんな余白が東京の地下にあるとは思えないって!」
だいじょぶだいじょぶと軽く流す星蘭の子も、時雨と同じ。
軽い調子だ。謎は多いが、彼女たちのありようもよくわからない。
いまさらだけど、忍びってなに。
普段、なにやってんの?
女性で忍びって、いろいろ考えちゃうんだけど。
スパイは古今東西、男女ともにその手のことをしそうなイメージがあるけど。
どうなの?
言えるはずもないし、聞けるはずもない。
勇気を振り絞って尋ねたらどうなるかって?
ふたりとも、任務のためならえっちも辞さない構えなんですかって?
間違いなくふたりに軽蔑されて終わりだ。
ほっとけ、この手の好奇心。そんなのは、ほら。その手のお話みとけってことで。
「それはそれとして急いだほうがいい」
「この空間が刺激されてどうなるか、まではわからないからね?」
「たしかにな」
ふたりにうなずいて、先を急ぐ。
青澄たちは無事に作戦を進めているだろうか。
ヘルメットから聞こえる音声に変化なし。
マジでぶっ壊れてんじゃないか? あの血が原因としか思えないんだが。
大量の血を飲みこんだこの空間は、果たして無事なのだろうか。
つづく!




