第千八百四十五話
金色の粒子が上から降り注いでくる。
青澄の歌がどんどん息苦しそうになってくる。
自由落下する自分を追い越して、粒子が先へと進んでいく。
聞いていた話とちがう。ファリンが青澄の霊子を転化して、この場の主を呼び出す手はずだった。
『様子がおかしい』
『カゲ。いま小楠から指示があった。下に忍びの先遣隊がいる。合流して』
『待って、なにあれ』
マモリちゃんの呟きの直後、ヘルメットの耳のあたりから雑音が最大ボリュームで聞こえた。
ほとんど雑音だ。すぐに悲鳴やどよめきに変わっていく。
「おい! どうした!」
返事がない。
いったいなんだと思って問いただそうとする。
視界に映る金色の粒子が突如として盛大に弾けた。赤黒い鮮血へと変わって、空間から光が失われていく。広大な空間を照らす光源が失われて焦る。
事前に見えていた景色を思い出す。
青澄が胃袋さんと呼んでいたとおり、たしかにふくよかでゆるやかな曲線を描く円錐型の空間だった。面積でざっと見、四十から五十平方キロメートル。高さはどれくらいだろう?
スーツについているパラシュートを展開してもいい頃合いだ。けれど、鮮血が滝のように流れてくる。のみならず、
「うお!?」
気がついたら自分の世界から引きずり出されていた。
血の影響か。あるいは金色を血に変えたなにかの影響なのか。
「やべえやべえやべえ!」
もはやパラシュートもなにもあったものじゃない。
降り注ぐ血の滝に押し流されるままだ。ヘルメットの視界が一色に塗りつぶされる。
泳いでみようと試みるが、無理だ。圧力に抵抗することもできず、もがくこともろくにできないまま、翻弄され続けた。
途中で固いものに叩きつけられたら一巻の終わりだ。
なのにろくに抵抗できない。おまけに、ああ! 恐らく叫び倒しているのに、通信の反応がない。聞こえてくることといったら、悲鳴や怒号ばかりだ。よほどのことが起きたに違いないのに、状況を一切把握できずにいる。
そもそもそれどころではない。
膨大な水量が流れ続けているが、やがて水瓶のような終点にたどりついたら? 水の貯まる場所に流されて、水底に押し込まれて浮上できなかったら?
息が持たずに窒息なんてこともあり得る。既に息を我慢しているのに!
水面を探してもがこうとするが、無理だ。泡が向かっていく場所を目指そうにも、不透明。濁ってろくに見えやしない。そもそも明かりが存在しない。
暗闇の水底で流されるって、こんな感じなのだろうか。
悠長に考えている場合じゃないが、なにもできない。
こういう極限化を想定した訓練なんてしてこなかった。サイパン滞在中に、もうちょい真面目にダイビングの講習を受けておくべきだったかもしれない。あるいはオロチバイクをスパイ映画の愉快ガジェット乗り物のように、潜水艇にしてもらうとか? ありだな。
生き残れるか。
賭けようにも無理だ。
液体の中にいるんじゃあ、ろくに動けない。
時間をカウントする。流されてからの時間を。なにかの足しになればいいと願って。
流れる速度がわかれば計測しようもあるのだけど、ヘルメットに表示されるデータが概ね安定せず、期待できそうにない。
どれほど流されただろう。不意に身体に衝撃を感じた。恐れていたほど痛くない。右肩から身体の側面にかけて、固いものにぶつかった。そのまま転がる。何度も跳ねてはぶつかる。ヘルメットの視界が塗りつぶされていてわからない。ろくに見えやしないが、とにかくなにかに掴まれないか、その前になんとか受け身が取れないかともがく。
結局ろくに受け身も取れないまま、何度も横に転がり滑って止まった。
うつ伏せになっている。身体の正面に平面の感触がある。
とにかく右手でヘルメットのバイザーを拭った。内部ディスプレイの表示がちらつく。けどカメラは無事なようだ。グローブに包まれた自分の手のひらがぼんやりと見えた。
何度か拭いながら、呼吸を整える。
正直かなり吐きそうだった。滝の流され心地は最悪だ! くそったれ!
鼻の穴を広げて、何度か深呼吸を試みる。
気持ち悪さが落ちつくのを待った。通信は無事だ。けど通信先はそうでもない。
「俺を放っておいちゃうほど、えぐい事態が起きてるって?」
返事はない。聞こえるのは悲鳴ばかり。
なにかを推測できそうな単語といったら? 青澄の名前くらい。
あいつになにかがあったのか。
だとしても、ここがどこかもわからないんじゃあ、対処しようがない。
こういうときに連絡が途絶えるのは困るけど、今後の課題だな。
だれもが現場ってんじゃ、ショッキングな状況に対応しきれやしないのかもしれない。
この懸念はどういった要素とトレードオフの関係にあるのか。まだわからない。
解明すべき問いは、そこじゃない。
両手でヘルメットの汚れを落とす。脱ぐほどの勇気は持てなかった。
恐る恐る身体を起こす。
意外なことに、あまり痛みを感じない。転がったときに最初にぶつけた肩や腰あたりがじんわりと痛い。打ち身かなあ。
めまいもなし。気持ち悪さはまだ若干のこっているが、ここにじっとしているわけにもいかない。
周囲を見渡す。
通路のど真ん中に寝そべっていた。周囲が赤く汚れている。通路の端に縦の格子状の防護柵が見える。柵に寄り添うように柱があり、四メートルほどの高さに眩いライトが設置されていた。
一直線に伸びる通路の先はどうなっているのだろう。果たしてどれほど長いのか。単調な構図で長すぎるせいか、ヘルメットのディスプレイのちらつきが直らないせいか、よく見えない。
ふり返ってみる。
流されてきたのなら、赤い液体の名残があるのでは。
期待したものは見つけられなかった。
後方でもっとも間近にある柱の明かりは点滅していたし、その先の明かりに至っては消えてしまっていたから。ホラーは苦手なのに、やめてほしい。
「探検ものなら、ここが崩れるのが定番なんだよな」
フラグになってほしいからじゃなく、外れてほしくて呟く。
リアクションはない。
通信士って、なにがあっても通信するための訓練を受けているのだろう。
それって、どういう訓練なのかなあ。知らねえや。
呼吸を整えて、気合いを入れて踏み出す。
明かりの照らすほうへ。
光のあるほうへ。
床は「いいことあるさ」と俺の重さを受け止めてくれた。
なら進め。この先へ。
「うっし!」
気を取り直して歩く。
すこし走ってもみる。気合いを入れて五秒ほど、全力疾走。
ろくに先が見えない。けど床はしっかりしている。
防護柵のそばへと近づいて、柵の向こうに目を懲らす。
壁は見当たらない。地面も。真っ暗闇の中にかかる橋の道。
防護柵の下に、明かりを遮るものがない。
小石かなにかがあったとして、それを投げてみたところで、音が聞こえるまで時間がかかるかもしれない。あるいは、聞こえないかも。
情報共有グループに回っていた遊園地の通路を連想した。
この空間が例の遊園地に絡んだものなら? この先にあるのだろうか。あるいは暗闇の先に?
わからないけれど、歩きじゃどうにもならなそうだと諦めて、バイクを出す。
跨がって、エンジンを点けて緩やかに発進した。
走り心地はいいが、あまり飛ばさないように心がける。
ライトを照らして先を見るが、特にめぼしいものは見つからない。
忍びがいるって話を聞いたのに、見つかりゃしない。
噂に聞いた遊園地なら、やがて何本もの通路が合流してゲートにたどりつくという。
てっきり、すぐにつくんじゃないかと思っていたが、目論見は外れたみたいだ。
ここがどういう空間なのか。妙なことになっていて、距離なんてあってないようなものとか、遊園地の自由自在な牢獄になっているとか、そういう状況なら?
だいぶ困る。
なにかを盗もうにも、感触がつかめないんじゃあ意味がない。
そもそも見える位置になきゃ困る。視認できなきゃ力の使いようがないのだ。
埒があかないから、ライトの光量をあげる。どんどん加速してみる。
時間の感覚がマヒしてきた。距離もそうだ。
前ばかり気にしているせいかもしれない。
バックミラーを確認する。後方へと流れていく街灯がひとつ、またひとつ、消えていく。通り抜けると消える明かり。あまりに意味深すぎないか?
速度を緩めて、停車する。
バイクは失えない。スーツへと収納して、直近にある正面の街灯を見あげた。
明かりはまだ、ついている。
左右にそれぞれ、一本ずつ。まるで明かりのライン。
一歩を踏み出して超えてみると、途端に消えた。
身体の向きはそのままに、足を滑らせて、床の感触を確かめながら後退る。
ラインをたしかに戻ったはずだ。なのに、明かりは戻らない。
「呼ばれてるなあ」
ふり返ることなかれ、というお約束のある物語をいくつか思い浮かべた。
顔を見るな。姿を見るな。開けてくれるな、ふり返るな。
直視を禁止するもの。
伝承に多く、心理として理解できるもの。
えろい話なら「みないでぇ」となる。けっこう燃えるシチュエーションだ。
ただしフィクションに限る。
イザナミとイザナギ。メデューサ。鶴の恩返し。あと、古い映画だと? ネバーエンディングストーリーあたりか。一冊の古びた本の中に呼ばれた少年は、本を救う旅に出る。だが本は徐々に内容が失われていき、最後の最後で主人公の少年は託される。決してふり返るな、と。少年は歩き続け、そして。
もちろん、他にも例はある。
物語に頼るまでもない。
動物にとっては目を合わせることが危険なジェスチャーとなる。人も、場合によっては。話すときに目を合わせる、という意見もあれば? 街中で無遠慮に人の目をじろじろと見ていたら危険だという話もある。
国内なら割と多いが、海外ではやめておけ、という話も。
ケンカを売っているのかと思われても仕方のないことだから。
目は語る。視線は刺激する。
これは、そういうものか?
わからないが、直接なにかをしてくるわけじゃないのなら?
「進むか」
再びバイクを出して、迷わず先へ行く。
景気よく飛ばしていこう。
この場所も奇妙なら、通信もずっと奇妙だった。
まるで同じ音がループしているようだ。そして実際、そうだった。
それが青澄を呼ぶ声や悲鳴なのだから、選曲センスは最悪だ。
ディスプレイに表示される時計の表示もバグってる。
時間の流れが妙なのか。ゲームじゃあるまいし、と思うが。
ゲームみたいなことやってんだよなあとすぐに思い直す。
現世じゃ人は月に行った。
観測するための探査船を宇宙に送り込み、研究を続けている。
映画でしか実現していない火星探査も、やがて人は実現させるかもしれない。
その頃には地球の深海にもたどり着けるようになっているのだろうか。
地球のコアへと向かう旅を実現する映画があった。それされ可能な日がくるのだろうか。
人の心は。いまある問題は。
隔離世なら、どうか。
さっぱりわからない。
それでも注文をつけるのなら?
「単調なんだよなあ。どうせ不思議が入り込むのなら、もっとどかんと豪勢にやってくれりゃあいいのに」
東京の吸血鬼は隔離世の空に城を浮かべている。
ファンタスティックビーストじゃ最後に魔法族たちが街を直していった。
ドクターストレンジなら複雑な世界を描いていたし? インセプションはとびきり創造的だった。なのに、俺たちの出くわす隔離世の異変ときたら!
神さまの手抜きか?
それとも単純な話か?
つまり、プロのクリエイターたちが大勢で集まって練りあげるような時間も、技術も、予算も、素晴らしい人たちとの縁さえも、なーんにも俺たちは自分の心に向けて注いでいないから、なにげなく生じた隔離世の変化は案外、たいしたことがないのか。
後者なんだろうなー。
悔しいが。
ヘルメットのスピーカー音量を下げる。
スタンドアローンで行動することになるのなら、アイアンマンみたいにスーツにゃAIが欲しい。スーツにあらゆるセンサー類を搭載して、高度な演算能力を持たせて、アシストしてくれるようなのがいい。
頼れる三人の仲間たちとも通信が繋がらない現状じゃ、無い物ねだりをしたくなる。
スピードメーターは恐らく無事だとみる。防護柵の間隔と幅、それぞれの長さ。柱と柱の間隔にある距離。速度がわかって、時間は自分で計ればいい。想定したスピードで走れている。
そのわりに、ずーっと走り続けている。
いまや時速百キロ越え。おそらく十分以上は走っている。
それでも変化はない。
あえて減速してみる。そしてとうとう停車した。
バックミラーに見た明かりも、道の先に見える明かりもこれまでどおり。
「チケットがないせいか?」
遊園地に連なる場所なら、辿りつくにはチケットがなきゃいけない。
盗めないか?
「――……どうだ?」
感触はない。
「ここまできたんだ! 手ぶらで帰れない!」
反応もない。
「だめか」
口説き方がなってないのかな。
赤い滝に流されたことを使ってみるか。
「俺をここに呼び寄せて救ってくれたんじゃないのか!? だったらせめて、礼を言わせてくれ! そんでもって、外に戻してくれると助かるんだが!」
静かなものだ。
改めて盗めないか試す。感触はない。
諦めるか? それとも、口説き方を変えるか。
いや、待て。
もしやと思って、スーツのポケットのすべてを探すと尻ポケットに入っていた。
真っ白な紙のチケットに「しぶしぶ優待券」とあった。紙面にはLV表記があるという。実際に記述されていたのは「LV計測する気なし」だ。
冗談のつもりか?
思ったよりもふざけたヤツなのかもしれない。
が、こういう状況でユーモアは助かる。
「これを持って走れば、なんとかなると信じるぞ?」
聞いてくれていることを期待して、我ながら説明くさいことを言う。
これが何度目か。何度だっていいさ。
走りだしてすぐに変化に気づいた。
柱の明かりに色がついた。赤だったり、オレンジだったり、青かったり、ピンク色だったり。街灯や防護柵の装飾もデザインが加わり、華やかになっていく。床もだ。
徐々に見えてきた。
左右に他の通路が。
進めば進むほど、数が増えていく。
そしてとうとう、ゲートに辿りついた。
嬉しい誤算がある。ふたりの同い年くらいの女の子が、ゲートのそばで待っていた。
制服姿のふたり組。ひとりは星蘭の制服と来たもんだ。ふたりが忍びに違いない。
減速し、停車する。
「よっ」
「「 ずいぶん待った 」」
異口同音に不機嫌さを隠そうともせず、ぴしゃりと言われる。
やばっ、怖い!
「待ち合わせ時間が決まってたなんて、知らなくて」
「当たりはつけてある」
「その前に! 最低限、仲良くするなら愛想のいい言葉が聞きたくない? ねえ、そこのキミ」
「ごもっとも」
ふたりともハキハキと、明るくしゃべる。
悲壮感はない。
「急ごう。新たにやってきた人たちがいる場所もわかってる。私は、すぐに、連れて戻りたい」
「同感。役立つと期待していいんだよね?」
「力について説明するよ」
ふたりの話は早い。
どうやら既に手配が済んでいるようだ。
あとは行動するだけ。なら、ふたりのテンポに合わせよう。
いまもまだヘルメットのスピーカーから流れる音は変わらない。
「その前に聞かせてくれないか? 最初にふたつ。ここは遊園地なのか、そして自己紹介の機会はなしか」
「それじゃ足りないでしょうし、作戦を達成してからでも遅くない」
「皮をかぶっている男相手に腹を割るのは無理」
星蘭の制服姿の子の返しがえぐい。
それ、多くの人を傷つけるから、やめてくれないかなあ。
ただしヘルメットで顔を隠しておいて、信用してくれっていうのな。
「スーツを脱いでくれたら話す気にもなるけどさ。そんなの後回しでよくない?」
「そうだね。人がやまほど入ってくるすこし前は荒れていた。けど、どこからかいい匂いがし始めてから、徐々にここが穏やかになってきているの」
もうひとりの子がうなずいて、俺を見た。
「キミのこと、瑠衣から聞いてるよ。話したい気持ちはあるの。でもね? この状態がいつまで続くかわからないから、急ぎたい。いいかな?」
もうひとりの子は真面目なのか、なんなのか。
瑠衣と聞いて、ぴんときた。あいつが一緒に暮らしていた姉がいるという。
名前はたしか、時雨だったか。
ご配慮痛み入るね。
たしかに和んでいる場合じゃない。
「もちろんだ」
さっさとすべきことをしよう。
◆
普通に出してと言われて、金色を放つ。
指示してくれたファリンちゃんがようやく、両手を伸ばして舞い始める。
足さばきと腕の振りを見ていると、一定のリズムを保っていることに気づく。
あえて拍を確かめると、私の歌と同じだった。
トシさんたちの楽器の交換が済んだ。
目配せしてもらう。
「お願い、金色」
マイクだって交換が済んでいる。
だからマイクスタンドを手にして歌い続ける。
直後、右手の平から放つ金色の中から、なにかが振り下ろされた。
刀だ。
スタンドを持つ私の腕を切り裂こうとする。その軌跡は、腕に当たって割れた。
恐怖はいまもある。
鞘にしまうと決めた、気持ちをなだめようと試みる。
けれど、納刀に成功したとは言いがたい。
物理的に鞘が出てきて、しまってくれるわけでもない。
ただ、見た目に反して脆く、崩れて割れるだけ。
飴細工となる刀はなくならない。
私の恐怖は、なくならない。
トラウマも。コンプレックスも。
私の身体や心を苛み、苦しめる。
「光って届いて」
ふんばれ。
だいじょうぶ。
金色は出た。
いまや恐怖は明らかだ。
私を止めたい私自身の気持ちが見えるんだ。
これを納めてからじゃなきゃ、だれかの心に集中できないよ。
ゆっくりでいい。
完璧でなくてもいい。
だいじょうぶ、できてる。
痛みはある。すぐになくなることはない。
もしかしたら、一生かけて付きあうことになるかも。
でも、いい。
だいじょうぶ。
ふんばれる。
私の中の私をうたがう気持ちも、恐怖も、怒りも不安も、ぜんぶ、私に向かえばいい。
私を狙う気持ちはぜんぶ、私が処理する。
そういうの全部引っこ抜いて、どこかで聞いているあなたに届けたい気持ちだけ届けられたらいい。
いてえぞ?
かぁなぁり! きついぞ?
知ったことか!
「ここから変わるんだ」
いくつもの刀が飛び出してきて、私の胸を、頭を貫こうとする。
大勢の侍が斬りかかってくるかのようだ。
でもそれ全部、私の気持ちだ。
隔離世じゃ実際に痛いのだから困るけど。
心身一体。
いいさ。いまはこれがベターな選択肢だというのなら?
歌うまでさ。
「お願い金色」
あなたに届いて。
この歌と金色が届くのなら、すべてを賭けるよ。
つづく!




