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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千八百三十話

 



 平日の日中にキッチンスタジオが盛況になるのね?

 学びを得た。たまたまなのか、そうじゃないのか。いずれにせよ、霊子体がわんさかいた。

 ってことは現世に人がいるってことだ。けど霊子体を見ても、現世の人がどういう存在かまではわからない。ぼんやりと発光する人の形でしかないからね。三歳児が粘土でなんとか人っぽくしてみました! みたいなものを見ても、難解すぎてさっぱりだ。

 仕方がないので、空中移動キッチンの製作に取りかかる。岡島くんをはじめとする料理レベル高めだったり、姫宮さんをはじめとする大勢の導線を計画的に作れる人が集まって設計を立てる。

 料理班の刀鍛冶チームだけじゃできない。私や茨ちゃんのように火を出せる人とか、水を出せる人とかがいるし? 物資を運び込む井之頭くんたちのような膂力のある人がいる。包丁だのなんだの、いちいちゼロから作っていたら手がかかりすぎて大変だ。食材調達だって大事だし。

 岡島くんと姫宮さんにヒヨリから提案があったんだ。見たら他にもコトネたちが混じっていた。なんだよー! 料理班だったのぉ!? って迂闊に声をかけたいのに「青澄さんはばんばん金色雲を出して!」と刀鍛冶のみんなに言われてしまう。作業に入り、逃げられないから狐耳を澄ませた。


「炊き出しっていうのは、どう? 匂いは食欲を刺激する。それは今回の作戦に役立つんじゃない?」

「豚汁とか、カレーとかってことかな?」

「それもいいんだけど――……ほら。炭火の、ね?」

「ああ! 調理中の煙がたまらないものだね? 肉とか、ウナギとか」

「うん。それなら今回の狙いにとって好みでなくても、警察のご機嫌は取れるんじゃない? みんなも元気が出るんじゃないかな」

「待って。人数的に省略できるとうれしいんだけど。量が量なんだから」


 岡島くんが乗り気になるけど、姫宮さんが待ったを掛ける。

 料理班だけでもまとまった人数がいる。五十人じゃきかない。

 それでも提供するのは高等部のみんなに先生たちに、シュウさんたち侍隊の人たち。

 何食分になるんだろ? 途方に暮れる数になるよ?

 江戸時代にタイムスリップしたときも揉めたし賑わったし大変だった部分だ。


「炭火のアイディアいいよね、焼き肉できるし。でも姫宮さんの言うことももっともだよなあ」

「いっそ鍋にするとか?」

「いや冬じゃあるまいし。クソ暑いから。ビルの狭間で鍋って」

「焼き肉ならいいのかよー」

「そりゃ焼き肉ならいいでしょ。なんてったって焼き肉だよ!?」


 繰り返しになるけれど、ここにいるのは全員が料理班。

 なのでなんだかんだ、なにを作るかはみんなそれぞれ思い浮かべているし? 気になるところ。微妙にざわざわし始める。


「具材の準備で済ませて、各自に調理までお願いする焼き肉スタイルは負担が減らせる反面、仕込みに手間がかかる」

「キッチンの導線も変わってくるけど。タスク管理しやすそうではある」

「それなら刀鍛冶の人たちと協力して、簡単に具材をカットできる機材を作れば効率化できない?」

「「 あああ! 」」


 ヒヨリの提案はすごい踏みこみ。

 でも考えてみれば外食産業、それも大手になるほど、その手の工夫を取り入れているような。

 そしてヒヨリはバイトで働いていたんじゃなかったっけ?

 おー。

 その視点はなかった!

 簡単に使えて、一定の結果が出る機材があれば、人の負担は減る。

 覚えるのが大変じゃだめ。人によって違いが出ることによる不備があるのもだめ。難易度は機材が吸収する。

 空きのでるパフォーマンスでなにかをしてもいい。しなくてもいい。

 するのなら? それに見合った報酬が必要不可欠だ。モチベがはなまもの。取り扱いは繊細に、お気をつけて。どうぞよろしく。

 いましている話し合いと挑戦は、なんならもしも今後、またしても学校のみんなでどこかに移動せざるを得なくなったときの予行演習でもある。

 夕方のニュース番組では飲食のコーナーが放送されがち。そこで長年続く食堂の仕込みが取り扱われることがあるけど、気が遠くなりそうな作業だ。

 毎日、毎日、キャベツを数十玉も千切りにしたり。お肉は切りわけて、寸胴で沸かしたタレに漬け込むとしても量が尋常じゃなかったり。煮込むスープ系は作業量がえぐい。時間にかかる労力も尋常じゃない。

 映画やドラマに使われる華やかなフランスのレストランは、大勢の人たちが働いて、仕込みをしている。これが一見さんは入りにくい街中の家族経営のレストランだと、仕込みの大変さは人数の少なさにもろにかかっていそうだ。

 ほんとにさまざま。

 お寿司を例にしてみるとさ。

 お魚を冷蔵庫にしまい、寿司飯や汁物、ガリの仕込みをしておく。お客さんの注文が入ったら、ネタをさっとさばいて握って提供する。他にもお掃除からお醤油だのなんだのの準備から、もろもろあるけど。そういうのはさておくとして。

 でもこれをもし、チェーンでやるのなら? 会社の倉庫から配送された寿司飯、ガリのパック、汁物の粉末などなどを用いてさ? 寿司飯を握るマシーンに切った具材をのせるだけなら、どうかな?

 一席に一時間、期待する収入と値段設計は前者と後者でちがってきそうだ。

 お客さんの立場だと、おいしければいいし? そのうえで安ければ安いほうがうれしい人が多い。

 単純にお寿司だけでみると、前者と後者のちがいをお客さんが実感できる指標はなんだろう。人それぞれの味覚に頼る? それとも、お値段? あるいはそれ以外のサービス?

 そうやって考えてみると、なかなかにむずかしい問題だ。

 回らず職人さんが握るお寿司屋さんなら、細かな注文も店舗と職人さんによっては融通が利くかもしれないだろうし、その日によって仕入れの違いも大いにありそうだ。遊び心の余地もめいっぱいある。そのサービスには価値があるから、お金が乗るのも納得。

 反面、画一的な規格が大前提のチェーンには遊びがない。だから本社で企画を練ったり、新しい試みを常に準備したりして、分業しているとしてもね。いきなり店舗で応じるのはむずかしい。それに店舗ごとにサービスに悪い意味での違いが出るかもしれないから、監査のコストもかかる。そこはどうしても低価格と紐づきやすくて、店舗経営のコスト管理が大変そう。

 そういう実験でもあるのかも。

 正直、江戸時代に飛んだときに不満の声があった。

 なにせとにかく大変なんだ。仕込みも調理も、手が掛かるから。どうしたって、不足があるし、失敗も増える。なのに経験値にするには余裕がなさすぎた。口に合わない人がイライラするなんてことも防げないからさ? それって揉めるってことだし。

 気がつくとざわつきが収まっていく。

 みんな、耳を傾けていた。

 効率化はあまりにも魅力的だった。

 え。なに? 楽できんの? って、顔に書いてある。

 料理班に集まる人たちの動機って、なにも目をきらきら輝かせながら「お料理、大好きなんです!」とか「料理得意なんだ!」とかっていうんじゃない。クラスの中でまだマシだから、とか。身近に「こいつに任せるくらいなら!」って思える人がいるから、とか。そういう、やむなしきっかけな人も結構いる。

 それくらい、強烈な魅力を放つからさ?

 ついついうっかり忘れてしまう。

 安さや無料は多くの価値を下げていく。そして一度下がった価値をあげることは厳しい。すくなくとも個人には無理。大勢の人たちの作り出す、うねりのようなものだから。変えようとするのなら、そのうねりをもって臨まなければ不可能だ。

 企業ががっつり投資することで、個人店舗が達成しようのない安価で高品質を実現すると、けっこうな人たちの仕事に影響が出る。

 勉強をする前の私なら「まあでもしょうがないのでは?」で済ませていたけどね。

 それほど単純な話じゃない。

 企業がシェアを席巻して、消費者が企業の商品にわーって流れていく。それでも安価競争が止まらなかったら、その余波を受ける業界って、どこになるのかな? だれの労働や、なんの商品が安価で買いたたかれることになるのかな。

 じゃあ企業が悪いの?

 いやいや。そう結論を急がないで。

 企業でさえ市場や消費者を制御しきるなんて、できるのかな?

 正直かなり懐疑的。

 そのツケは、だれが支払うことになるのかな。

 働く人たちじゃないかな?

 すると、彼らが苦しんだツケはだれに回ってくるのかな?

 消費者じゃない? お客さんたちにならない?

 じゃあ、最終的にだれが損をするの?

 企業なんじゃない?

 え。企業がやったことのツケが企業に回るの遅くない?

 そこまで単純じゃないかもしれないし、遅効性の毒のようなものかもしれないし?

 わからない! さすがに企業を経営したことはないから知らない!

 ただ、問いはけっこう浮かぶね? 偏見もいっぱい浮かぶ。

 その先が気になるのになー。

 わからん。

 でも、やっぱりそれって、だれかがなにかを訴えたりやめたら変わるというほど単純じゃない。それが如何に問題であるとしても。

 七つの会議が面白くも怖いのって、そこなのかなって考えている。

 人の集合は、その規模に応じて巨大化する。巨人としてのサイズが大きくなるほど、過ちを修正することはできない。存在の慣性が働いて、変化しがたい印象がある。

 たぶん、そういう型なんじゃないかな。

 利益があると、仮に得るために問題が生じるとしても、変更する利益のほうが上回らない限り、巨人たちは習慣を変えられないんじゃないかな?

 タイムスリップしていたときのキッチン仕事さえ、そうだったもの。

 問題がある。変えられることはなるべく適用したい。けど日々の料理で手いっぱいで、できることは限定的だったり、やってみても定着しなかったり。失敗を経験値に変えられないんだ。余裕がないから。

 シオリ先輩の教えてくれたプログラムの考え方を適用して、やってみるとしても、なにが問題なのかを限定しがたい。したらしたで、料理班のだれかを攻撃するような文脈になると? さらにこじれる。

 できるできないを人に結びつけて、人を評価しようとし始めると、どんどんこじれていくし、こじらせてしまう。

 作業を遊びや趣味のように楽しめる範囲に留めて、この距離感を維持できるといいんだけどさ。出来不出来を人から切り離して、どんな出来であろうと集中して、楽しみながらできればね? 効率化しようとしていったり、逆にこだわりポイントが見えてきたりしていいんだけど。

 それでもむずかしい。

 切り離せない。それくらい評価は巨人の身体に深く根を張る。

 来る途中に考えた感情作物みたいなところ、ある。心に頑固にくっつく、潰せない風船玉のようなもの。

 実のところ、うまくいかなくて失敗続きであろうと責める責めないはどうでもいい。

 精度をあげたいのなら、あげる努力に注力すればいい。それだけのことだ。

 楽しみたいだけなら精度をあげる必要性もない。

 あげる必要性がある現場なら、まずはそこでの意思疎通を図ればいいし?

 それさえやっぱり、責める責めないはどうでもいい。

 関係ない。

 集中して行なえばいい。

 問題があるのなら? 失敗をして、それを経験値にするのなら。

 それをどんどん細分化して、できるところまで掘り下げていく。やりたいことまで掘り下げていくのも大事だし、個人個人の尊厳めっちゃ大事。大前提を崩しちゃいけない。なので責める責めないの話が出ちゃうこと自体「ん?」ってなる。

 注力するのは?

 ミスをめいっぱい見つけて整理して、設計して、うまくいくか試して、だいじょうぶなら変えていく。それをテストして、想定していないミスがないか、うまくいっているのかどうかを試す。ちっちゃなレベルで組み立てて、またテストして。その繰り返し。

 人のやることには?

 ミスがある! ぜったいに!

 だからミスは露わでなきゃいけないし、明らかでなければいけないし、だれもがわかるように記録はしっかり残すべきだし、それらが人を責めるような性質でないように努めなければ?

 ミスは隠されてしまう。そもそも行動を起こさなくなる。コストがかかるようになる。感情的になりやすくなる。その他諸々、負のリスクが跳ね上がる。

 おまけに評価が問題解決や分析におけるひとつの手段としてではなく、人を攻撃するための武器に貶められてしまい、機能しなくなってしまう。

 でもねー。

 理屈で生きてるわけじゃないからね。

 効率で生きてるわけでもない。

 それらは手段だからさ。

 感情を制御し、手綱を引けると錯覚する人もいるけれど、私は無理じゃねーかなーって思っちゃう。お腹に激痛が走るときは、もうね。ただただ「いてえ!」で頭がいっぱいになるもの。理屈だの効率だの知ったことか、腹がいてえんだよ! ってなるもの。

 制御できないよ?

 ムリムリ。

 だから気持ちよくやれるようにするしさ?

 ミスでいちいち感情を刺激してたら、どんどんつらくなっちゃう。

 気持ちは知らせ。訴え。そう読み解くとしても、そもそも掘り下げたくないほど痛い気持ちなんてざらにあるんだしさ?

 そんな繊細で多様な領域に無遠慮に型を押し込めようとしちゃあ、そりゃ揉めるよ。刺激するよ? その刺激は怨みになるよ。祟るぞー?

 そういう柔な部分は自分がその気になったときに、そっと触れるとか。特別な人とのなにげない時間で、気づけば勝手に癒やされてるとか? そういうんでいいんじゃないかなー。

 私の一般論は私の型に向けての記録にすぎない。

 しんどくなったら? 病院だったり、臨床心理士さんだったりの専門家を頼り、合わなければセカンドオピニオンを取るように! という、だいじなだいじな注意書きを忘れずにね?

 これが私なりの、評価の再定義なんだけど。

 なかなかねー!

 うまく伝えられないんだ。

 巨人の歩みをひとりじゃ止められない。

 民意となって、当たり前となって膨らむほど、止めようがなくなる。

 みんなが我に返るのは、大勢を傷つけて取り返しがつかないことをさんざんしでかした、そのあとだ。

 評価を人間の価値として捉えるような向きは、たしかにあってさ。

 その潮流は多くの人を苛んでいるのに、止められない。

 失敗を経験値に。

 そして達成を簡単に。

 そこでの利益を共有財産として、できることを増やす。

 それは断じてだれかを奴隷にするのでも、労働の価値を貶めるものでもなければ、人の尊厳を毀損するものでもあってはならないはず。

 なのに、評価と人の価値を紐づける潮流は、ある。

 うちの学校にも、ある。

 根っこのように、ある。

 人が人を決めるとき、それが暴力でないとどうして言えるの?

 理由は? どれほど並べられるの?

 私にはわからない。

 執着を断ち切ることができるのなら、そう願う。

 それがとても、むずかしい。

 ことば遊びに過ぎないとしても、ミスや失敗ということばがまずいのかな? 変えたら見え方が変わるのかな?

 いや。小手先だ。しかも、卑劣な小手先だ。

 そういうことじゃない。

 上っ面を変えて済ませたいわけでもない。

 ただし、ことばを決めると、そこで思考停止しがちだ。

 その定義を咀嚼せず、ただ痛みのない単語に変えて、ごまかすところが卑劣だ。

 いやな単語だから変えるっていうのは、なし。

 なにせ、ことばはむずかしい。

 自分の内側で試すのなら、いい。自覚的に、実験として試すのなら。

 でもね。私の型にのみ言えるのであって、だれかの型について言及するなんて!

 ないない。

 できることといったら、一緒に居て、対話をするまで。お互いの理解のもとで、お互いの了承があるときに、触れあうのだし? それは対話でも一緒だし。

 一方的になんて!

 ないない。

 そのむずかしさと、のんびり、ゆるぅく、小さなことからコツコツやるには、いまのライフスタイルは忙しすぎる。そう思いこんで、変えられないものとして、また変えることを恥ずかしくていけないことだと執着し、自ら進んで囚われてしまう。

 そうしてついに生じた摩擦の解消に、あるいは解決に、一方的な手段を選んでしまうのなら?

 やっぱ、問題あるよね。

 あー。

 効率化だけでここまであれこれ考えごとしちゃうんだからなあ。

 そりゃあ、止まらないぞ? この癖は時間を取るぞ?

 逆にいえば、効率から転じて評価に届くと、私はこれだけ考えずにはいられないことがあるんだ。いまは止めたけど、まだ途中だ。いくらでも考えられる。

 なぜかってさ?

 効率から伸びるものの先に、根っことしてあるからだ。

 だからこそ、忘れずにいよう。

 私の中にだって、ある。敵意も。支配したくなる感情も。暴力性だって。めいっぱい、ある。

 私に完結しようと、私に向けてなにかを変えようとすると?

 それは痛みを与える。

 どんなに脚色してみせても、痛みを与える行いは暴力にすぎない。

 なのに都合のいい方便を用いて「みんなでひとりのせいにする」気持ちよさに酔いしれることさえ、してしまいかねない。

 だからこそ、忘れずにいよう。


「ちょっとごめん」


 そばにいる刀鍛冶のみんなにひとこと言ってから、岡島くんたちの元へと駆ける。

 もしもご飯を振る舞える展開になったとき、喜んでもらえるような選択肢がいい。

 胃に受けつけないような、刺激のある食べものになっちゃうと困る。

 なので、そうならないように話に加わりたい。

 マジョリティの暴力性は巨人のように見える大勢の人々が結託して行なわれる。仮に独裁者がそこにいたとしても「知らなかった」と距離を置いて、沈黙することで、結託は成される。

 提供する手段は強固でなくていい。柔軟性のある対応ができるほうがいい。

 今回は特にそう。

 私たちは大勢。向こうはたぶん、ひとり。あるいは、ひとつ。

 相手のことばを聞けるような、そんなきっかけがいい。

 ここで決めすぎず、現場であらゆる対応ができるような余地をしっかり持てるようにしておきたい。

 このあたりの話を大事に聞いてくれる仲間たちだから、私は迷わず伝えられる。

 そんな私たちでさえ、無縁ではいられない。

 人が人であるかぎり。

 刀があれば抜き、なければ拳を作り、それも危うければことばで攻撃しかねない。

 そんな状況を収める私の鞘は、どんな形をしているのだろう。

 わかる?

 正直、さっぱり!

 うめえ飯を。胃が弱っている相手にも食べれるように。

 それだけなのよ。マジで。

 今回の作戦で私がやりたいんだとわかっていることは、それだけ。

 ここにもミスはある。

 学ぶとしたら、なんだろうね?

 巨人を相手にひとりで挑むのも、巨人となって巨人に挑むのも、悲惨な結果になるよ。過剰な手段になる。暴力性は、巨大な絵画に一滴でも落ちると全体が染まって侵食され、見るも無惨な状態にしてしまうようななにかだ。

 解決しようとするほど、躍起になるほど? タバスコを振るように、ぴっぴと汁が垂れ落ちていく。振れば振るほど絵画は醜くなってしまう。

 落ち着け、私。

 繰り返して?

 うめえ飯を。

 胃が弱っている相手にも、食べられるように。

 そこじゃん。いま大事なのは。

 大事なことほど忘れがちだから、ようく思い出していこう。


「あの。おかゆの具材かお出汁に使えると、ありがたいんだけど。また吐いちゃったら困るし」

「「「 あああ 」」」


 三人して唸った後に、すぐに続く。


「精がつくものがいいってこと?」

「あまり香りで刺激すると、逆効果ってこともありそうね?」

「病人として捉え、お見舞いの食べものと考えるといいかもしれない」


 とすると、なにがいいんだろうかと話がさらに進んでいく。

 ほっとしていたら、イチゴに首根っこを掴まれて引きずられた。


「刀鍛冶のみんなが待ってるから、早く来て」

「ああん!」


 問答無用と連れ去られてしまう。

 岡島くんが「だいじょうぶ、任せて」と笑顔で見送ってくるんだけど。

 いやあの。そうじゃなくてですね?

 白状すると、あの。


「お見舞いのご飯は私が作りたくてですね――……」

「それはあと。いまは金色雲を作ってね」


 くう!

 肝心な本音ほど、自覚なく、手遅れになってから、ぽんと出てきませんかね!?

 最初に言っておけばよかった!

 同じようなことがあったら、今度は言うぞ! 気をつけておこう!

 じゃあ、次いってみよっか!




 つづく!

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