第千八百二十九話
私の提案に、みんなは顔を見あわせてから、たっぷり長めにため息を吐いた。
「「「 釣りの次は料理ですか 」」」
なんで示し合わせたようにハモれるの?
井之頭くんや姫宮さん、岡島くんたちがささっと集まり、ひそひそ話を始める。
タメ年の調理班がやる気だ!
なんなら以心伝心、通じ合ってるまであるのでは?
「え。よくわからないけど霊子を吸う空間を胃袋として捉えて、ぷちたちがお腹すいているっていうからご飯を作ってあげようってこと?」
「考え過ぎってことはない?」
ユニスちゃんや麗ちゃんが疑問を呈する。
それもそう! もちろんそう。
わかっていない。確かめられていないからね。
それって私の妄想じゃない? 可能性はある。
でも私の妄想だと塞ぐような積み重ねはなんの意味もない。
ここで意味をもつことがあるとしたら?
「実際に他の霊子と、おいしくいただけそうな霊子を並べてみたり。ご飯を作ってみたり、食材を並べてみたりして、対象の霊子吸収に差があるか調べてみればわからないかな?」
「「 おー 」」
わからないなら調べてみればいい。
世の中のすべてなんて知らないし、わからない。自分のことも、身近なだれかのことさえもそう。常に偏見が心の中にあるし? 予測も、感想も、なんでも偏見として語れる気はする。
別にそれはそれでいいと思うんだ。
予測を立てたら? 次はどうするの? その予測と、その後の情報収集で座標のずれを確かめて、誤差を修正したり、打ち直したり、いろいろするんじゃないの?
感想で終わらせない。予測もね。
先へ。
そのために利用するだけ。
打ち合わせでも会議でもそういうことをする。でしょ?
じゃなきゃ推測を立てる意味がない。ただモチベを下げる集まりに意味はない。
悲しいかな、世の中には意味ないけどいちおうやるみたいな打ち合わせもあるそうだけど。
やめよ。
そんなの。
やるのは、集まって一緒にできることを実現させるための話。
「それになにかしらやるなら、その前に腹ごしらえしたくない? 私はお腹すいた!」
「春灯」
マドカがジト目でにらんでくる。
緩めて落としどころを作るよりも、もっと話してと目力で訴えてくる。
「安易に飛び込んじゃったけど、金色は吸いこんだ。邪も吸ってるみたい。ただ、私の御珠ばりに汚れちゃってる水はぺっと吐きだした。吸いこむ霊子の好き嫌いがあるんだ、たぶん」
「それもそれで新感覚すぎる情報だな」
キラリが瓦礫の山を見て、ぶるると震える。
もしかして、キラリは瓦礫の底にある空間を怪物認定してるのかな?
そうはならん? ならんかな? どうやろな?
「怪物なのか、黒いのが置いていった秘宝なのか、それともこれまでと変わらない邪なのか。あるいは東京湾に出たでかいのみたいな、人が化けたものか。そこはまだわからない」
ひと区切り置いて。
「いまわかっているのは、霊子を吸う空間があって、吸う霊子と吐きだす霊子があるってことだけ」
「なら空間に霊子の好き嫌いがあるのかどうかを掘り下げて調べる。取っかかりは料理。なんの情報もないし、ぷちたちのアイディアでまずはやってみようってことね?」
「そ!」
さっすがマドカ! ばっちり整理してくれるじゃん。
「水の蓋は有効に機能しているけど、同時にあれは空間のお気に召さないことの現われなのかもしれないし? そうじゃないかもしれない。確かめる方法があるとしたら」
「実際に霊子を並べて吸わせてみることだね」
つづけて話すマドカの言葉を引き継いで、レオくんが締める。
「人が吸いこまれてしまう可能性を危惧して、侍隊は身動きが取れない。警察組織がそんな危ない橋を渡れるはずもない。こんなの学生の酔狂じゃなきゃ無理か」
「彼らが私たちの酔狂を見守ってくれたらの話ですけどね」
「そこでごまかしの、食事の提供というわけだね」
「方便は大事ですからね」
あれ。
待って?
ふたりしてにやにやしてるんだけど。悪党みたいなんだけど?
「ラン、できそうか?」
「徒歩で五分ほどの場所にキッチンスタジオがありました。食材も調達できるかと」
「人手もある。仮に空間が長期間、飢餓状態にあるのなら? 流動食か、あるいは神水を捧げるのも手だ。神水なら、刀鍛冶のみんなに協力してもらえれば、多種多様な霊子の配合で数をそろえられる」
「いけます」
姫宮さんの話を補足する岡島くん。スタジオを検索するだけじゃなく、食材を売っているコンビニサイズのちっちゃなスーパーの目星もつけてあるっぽい。なんなら、付近のおいしい料理屋さんまで探りをつけてるかも? 隔離世のものはいくら持ってきても、現世には影響ないのだし。おまけに神水だの、空間が飢餓状態かもだの、短い間に詰めてきてる!
「なら僕らは全員で、このあたりを食事できるように準備していこうか!」
「組別に別れてーっ! 委員長は集まって! 具体的に人を分けるよー!」
「すこし頼む。先生方や一年、三年と打ち合わせてくる」
マドカが声をあげて、レオくんが集団から離れ、残った二年生のみんなが「うーっし」と動き始める。当たり前のように動いてくれちゃうの、頼もしいし? ここまでくると痛感する。
なんでこんなに頼もしいみんなのこと、私はついつい忘れて遠ざかっちゃうんだろ。
つながりを増やして、太くするの、そんなに怖いのかな。
怖いよな。
心を開いてさ。繋がるほどにね?
剥がれたときの痛みが増すんだ。
それはきっと避けられないことだ。
愛生先輩との距離が開く。ルルコ先輩やユウヤ先輩たちと。離れていく。いやでたまらなくて生徒会長選挙に出るまで大騒ぎしちゃったくせに。日常の距離感は、日常を過ごす物理的な距離のぶんだけ開いてしまうから。
避けられないんだ。
ルルコ先輩は思い切った。起業しちゃうんだから。
見通しは不明。考えると怖くなることばかり。それでも踏み出した。
私はまだそこまで覚悟できてない。
ビビってる。
やだもんね。せっかく好きになって、もっと一緒にいたいと思うほど高校の三年なんてあっという間に思えてさ。別れが怖くてビビるんだ。既にもう。
ほんとはずっと。
あーあ。ことばにしちゃった。
予防線を張って、しかもそれに無自覚でいようとするの。
よくない。意識しないようにしたら、なんてことない振りができるみたいなの、ぜんぶよくない。
そういう予防線かさぶたが、私の御珠に汗を掻かせてる。我慢させてさ。負荷をかけて、歯を食いしばらせて、脂汗を掻かせている。なのに私は素知らぬふりで、自分の心から目を背けている。
そりゃあ、よくないよ。
去年はもっと素直だったね。うれしくて夢中だったからさ。
いろんなことが起きて、ひどく傷ついたり失ったり汚れたり穢れたりして、だんだん夢中でいられなくなった。お城のフロアで夢中になって躍っていたら、魔法が解けてみんなにぎょっとされたり罵倒されてる灰かぶりな気分。
おいおい。シンデレラ気分なの? それはちょっと欲張りすぎてない? なんて突っ込んじゃうけどさ。
まあいいじゃん。実際、それくらい舞い上がっていたんだ。入学したばかりの頃は。
いろんな感情が編み込まれて、ふり返るたびにどの糸を見つけられるかちがう。いろとりどりの感情は、そのすべてをぜんぶ、同じように感じ取れない。複雑な糸は短く見ても不思議な抽象画のように解釈がいくらでもできてしまえて困っちゃう。
私の一部だから、私はわかっていて当然! なんてことはないんだよなー。
そうだったらどれほどいいだろう。
わからなすぎて、考えても仕方ないから考えない! って振り切っちゃう人もいるよね。
私は抱えがちだ。
抗ってるのかなー。自分をどうにか好きになりたくてさ。
そうしないと死んじゃいそうでさ?
ついついそう身構えてしまうくらいには、世の中きっついわあって思っていてさ。
大事な軸足にまず、自分が好きって気持ちがいるのかなって考えちゃうんだ。
だってのに、どれだけ呪ってるんだろ。どれだけ塞いでんだろ。
そんな暇ねえなあ!
「みんなはなにか食べたいものある?」
ふり返ってぷちたちに尋ねると、みんなはそれぞれに顔を見あわせた。
ぽん。ぽん。ぽん。ぽーん! と、間を置いてから口々に好きな食べものを叫び出す。
しかもひとりひとつとは限らない。
食べたことがないもの、アニメや映画でみたものまで、もうなんでもかんでも言うの。
これが日常の、なにげない晩ご飯なら?
勘弁して、全部はむりだよ! ってなるけどさ。
瓦礫の底で私の霊子を吸ったり吐いたりする空間が仮に謝肉祭遊園地と通じるものなら? まあそうじゃないとしても、いいんだ。前に私を連れ去り攻撃してきた空間と関係があろうとなかろうと構わない。
幽霊さんたちの死に際に見た悲惨な祭りの光景さえ、連想はするけど!
知ったことか。
私にとっちゃお祭りっていうのは、楽しくて、だれひとり欠けることなくみんながわいわい盛り上がれることならなんでもありで、幸せいっぱいの瞬間なんだ。
ここのところイマジナリーシェルドンがめいっぱい理屈や知識を並べたけど、イマジナリーペニーで対抗しなきゃ。
うっさい!
いまはお祭りを楽しむの! みんなでわいわいしたいの! いい!? イマジナリーシェルドン!?
ってことで!
「よぉし! わかった! 今日はめいっぱいやってみるか!」
みんなにそう伝えて、岡島くんたちがいる九組の輪に入る。
エプロンは脱がない。絶対に料理班になる!
マドカたち作戦班はどういう霊子を用意するか、神水を使うのなら刀鍛冶はどれだけ人員を割くかを相談することになるだろうし。実際、料理がどこまで、あの空間に通用するのかなんてわからない。
むしろだれにもわかってなくて当然まである。
吸いこまれた人たちはどこにいて、彼らを助けるにはどうすればいいのかも謎。
遊園地と同じ仕組みなら、吸いこまれて戻ってきた麗ちゃんたちのように、どこかに監禁されているかもしれない。
空間が怪物か邪の一部なら、倒したら監禁場所ごと消滅して、吸いこまれた人たちに問題が起きるかもしれない。既に問題の渦中にあるのに、さらに足すのはどうだろう。
けど、ダメージコントロールをするにはどうすればいいのか、なにが有効なのかがそもそも謎なので、差し迫った状況であるともいえる。だから迂闊に侍隊は動けない。
ビルの発破場所は他にもあって、そこにも侍隊や警察、消防は出動しているそうだけど、状況はどこも同じ。進展がない。人命優先とあらば、迂闊なことはできないし、すべきでもないのだから仕方ない。
ただ、私はもうぷちたちの訴えを信じている。
同時に私の考えに懐疑的な人たちがいてくれて助かる。
私の推測は同時に偏見でもある。なのに私が盲目的になったら、座標のずれの観測なんてあったものじゃないからさ。
意見は人から切り離して、精度を高めていけばいい。
人を弄っちゃうと、途端にそれがむずかしくなっちゃうんだ。
そこは忘れずにいないと危ない。
打ち合わせや話をする機会が、だれにとっても無駄なものになっちゃう。
なので、そういうのは、なし!
いろんな人が、いろんなところに座標を打ってくれたら? ひとつのアクションから得た情報からの誤差を拾える精度をあげやすくなる。それが利点のひとつ。人が集まって話をするね。
仕組みが人数に追いついていないと大変になっちゃうかもしれないけどさ。パワーゲームや政治闘争、付きあいでいやいや、マウント合戦などなど、人付き合いの問題にスライドしてしまうと、途端に破綻してしまう繊細なものでもある。
シンゴジラの巨災対は、そのあたりすごくつよつよだったよね。
現実だとどうかな。巨災対のノリ? それとも逆をいって、人付き合い問題にスライド? 半沢直樹にせよ七つの会議にせよ、スライドして問題が悪化してた気がしますね!
そのあたりも見越して対策しないといけないんだろうね。巨災対ははみ出し者の集まり、結果は査定に影響しないみたいなお触れが最初になかったっけ?
利益や娯楽性、楽しみがないと、がんばれないしなー。
モチベーションは大事だよなー。
下がるとやらなくなるし、やれなくなるし、元気もなくなるし。
それじゃご飯がおいしく食べられないって、お父さんが持ってる漫画のロボットが言ってたよ? 七三分けの。炊飯器をしょっちゅう持ってる。
ご飯がおいしくないのはやだなあ。
振る舞いとご飯のおいしさは必ずしも関係あるわけじゃないけど!
モチベは大事。
強引か!
◆
料理班になれても、料理班全員が自由に動けるほどキッチンがでかくなければ意味がない。
道路に調理場をこしらえるにしても、現世とまったく同じように車が走っているから危なくて無理。現世の人が歩けば隔離世の同じ座標で霊子体が歩く。
ってことはスタジオが空いてなければ? 霊子体がわらわらとスタジオで料理中になるので、まず無理。空いているかどうかまでは姫宮さんたちも確認できてない。
白状するけど、感覚的には空き巣に近いんだ。
本音をいえば?
霊子体がいないほうがいい。
私みたいに危惧して早くもビビりだす勢もいれば?
「いたらいたで、サイパンのナイトプールみたいに空中にキッチンでも作ろうか。移動式の」
「いーねー!」
こんな風に能天気勢もいる。
どういう移動式キッチンがいいかを話しあうみんなの背中を見ながら思うわけ。
なんかこう、貯めこまないし、できることを軸に簡単に次のプランを出しちゃえるのすげえなあって。
私は苦手だなあ。
お気持ち作物を育ててしまう。感情が刺激されたり、ああ無理だって体感したり、むかっとすると? 気持ちを栄養源に、根を張った作物がますます育つ。なんとこの作物、腐らない。延々と大きくなるし、根はどんどん広く深く伸びて頑丈になる。
例えを変えるのなら、私の余白にふわふわ浮かぶ、中身がぎちぎちに詰まった風船みたいでさ? 私の心にびしっと切れない紐で繋がっていて、どんなに投げても戻ってきてしまう。針で刺しても潰れないし、なくならない。
ついつい同じことで悩み続ける。考え続けちゃう。
なので負けじと思い出す。
シオリ先輩が教えてくれたプログラムの話。
どんなにおおきなことも、結局はちっちゃなちっちゃなことの積み重ね、合わせ技なんだって。利用する回数が多い、ちっちゃなちっちゃなことがひとつでもうまく動かなくなると? 途端に全体がジェンガでしくじったときのように崩れてしまう。
だから疎かにはしない。
でも人間のやることは? ぜったいに! ミスがある!
なのでミスを洗い出せるように整理して、設計して、うまくいくか試して、だいじょうぶなら作って、テストして、ちっちゃなちっちゃなレベルでひとつ組み立てて、テストして。またひとつ組み立てては試して、とうとうがちゃって組み上がったら? やっぱりもちろんテストする。
でもでもでもでもぉ?
人間のやることには? ぜったいに! ミスがある!
ので、作ったら終わりじゃない。動かしても思いもよらない故障が見つかるかもしれない。
なのでミスを見つけたら、それがなんで起きているのか検証するし、それが起きないように改修するにはどうすればいいのかを整理して、設計して、現状の仕組みになるべく影響を与えない範囲でうまくいくかを前提に構想を練って、試して、だいじょうぶなら作って、テストして。改修した部分が影響を与えると予想される範囲でテストして。とうとうオッケーが出たら? やっぱりもっかいテストして。ようやく、ごー!
作る人、テストする人を分けてテストするのも大事なんだってさ。
それくらい?
人間のやることには、ぜったいに、ミスがある前提でいく。
ミスを責めると隠す。モチベが下がる。すると、どうなる? クオリティが落ちて売り上げが悲しいことになるし、職場の雰囲気も最悪になる。シオリ先輩いわくね!
なので「ミスはあるもの」だから「どうするかを人任せにせず、プロジェクト側で負担を背負い、プロジェクト遂行時にメンバーのモチベと集中力を維持できるよう努める」そう。
実際にはそうもいかない現場もやまほどあるそうだけどね。
なんて言ってたかなあ。
ちょろい仕事で納期と費用を稼げるなら、がんばって早く終わらせるよりだらだら続けちゃえば儲かるとか。大規模かつ終わりのない現場はむしろ明瞭かつ簡潔にがっつりくみ上げちゃうと、終わりが見えちゃう。せっかく大規模あんど終わりのない改修現場なんだから、設計書は難解かつ複雑な記述とボリュームにして、製造は一日で動作が二転三転するほど混迷を極めつつも最低限の機能は動き続け、試験と製造と実装の環境はぐちゃぐちゃにしとけば? 人をいくらでも引っ張ってきて、お金を動かせるじゃろがい! とか?
妙に恨み節だったけど、なにかあったのかな。
いずれにせよ、仕事環境は職種にもよるそうだけど、私が思うほど成果第一でも、効率維持でもなければ? 働く人たちの権利を大事にっていうんでも、快適に働けるようにしていこうっていうんでもないみたい。
労働環境を整備なんていいつつ、そんなの行き届かないところもやまほどありそうだ。まあ、そりゃあ、旅先の夜に先生が見回りをするようなノリじゃないもんね。
カナタと話して初めて知ったことだけどさ。サクラさんがいなくなって、ソウイチさんがひとりでこども三人をってなったとき、公的な支援にせよ、あるいはケアにせよ、だれもなにも教えてくれない。提案も、お知らせもなにもない。かといってソウイチさんが出会う人がいちいち「こういうの知ってる?」なんて言ってきたら、そっちのほうがきつい。よっぽど心が傷つくかもしれない。だから余計に当たり前に「ここにご相談を」と提案してほしいまであるけど、ないんだ。
未来ちゃんと話して知ったことにも、同じようにさ。前提として「自分でアクセスするのが当たり前」という冷たさを感じた。言い換えると「そこまで手を回せない」だし? その背景には「そこまで予算がない」とか「現状のタスクでさえパンクしているから現場に余力がない」とか闇深い理由があるかもしれない。
そういう中で自己責任ってことばで利益を得られる人って、どういう人なのかな。
私はやだな。
生半可な知識で生兵法は大怪我のもとを地でいくようなことをするのはいや。安心して頼れる窓口にアクセスしたい。それは役所や病院であって、自称専門家でもなければ、自称専門家になることでもない。勉強するんなら、ちゃんとした教育を受けながらでしょ。じゃない?
って、ちがう。
待って? ねえ。
一瞬でこれまでに逆戻りしたんだけど?
ねえ!
いまのは?
ミス? かも。
私の畑は心に根を張った怒りとか不満とかでできた作物でいっぱいだ。
あくまでも比喩表現でしかないよ? いますぐにでも耕運機で耕し尽くしてやりたいけどね。
それは明らかにやりすぎだし、繰り返すけど! 比喩表現!
冷静に考えれば、小さなできることを組み立てて、実現可能な手段があるかも。
見つけられないときは? 小さく小さく切りわけてから。
あの空間の謎を突き止める手段と一緒。
これはこれで、いまの私という型なんだろうね?
たとえば自分を脅かさないようにするためにも、自分という型を学んでみるのもありかもね?
ぷちたちが遊んでいる大乱闘なゲームだと、自分にどんな癖があって、どんなやり方が好きかがそれぞれにちがう。そのわりに、自分がどういう癖でなにが好きでなにがきらいかは、あまり意識しない。わかってないことのほうが多いかもしれない。
お姉ちゃんたちがやってるサンドボックスゲームにせよ、私以外のうちの家族が好きなゲームにせよ、効率的に解決できるよう実感するスタイルが多いように思える。
人って、好きなのかも。
効率的にできたときの実感が。
遊びなら実感が報酬。
お仕事なら? 金銭や立場と実感が連動することが報酬かな?
損なわれたら、せっかく好きな遊びが無駄な徒労に感じられてしまうかもしれない。
繊細なもの。
好きってときに繊細だ。
だけど求める気持ちは情熱的。
情熱が行きすぎて効率性の最適解を絶対にして、かくあるべし! に向かっていくこともあるみたいだし? 効率に猛烈な執着を抱くことさえある。
そこまではいかなくていい。
自分という型を理解して、自分なりの効率を学ぶっていうやり方もありじゃない? 効率一本槍にならなくていい。利用できるものは利用してもいいんじゃない? っていうくらいのノリでいいんだ。
私の肩を理解して落ち着けるほど、余白を埋める作物でも、ふわふわボールでも、片付けられるようになっていく。なくせはしないかもしれない。けど、囚われたとき、対応できるようになるかもしれない。それって、魅力的でしょ?
当たり前だと怒らず、なじらず、落ちついて自問してみよう。
攻撃するために刀を掲げて、挑んでいきたい?
それは最後の最後まで取っておきたい。
ずっと願っているんだ。
憧れにむかむかしながら「こうしてよ」と圧をかけた自分のミスに学ぶことがあるとしたら?
その刀は下ろして。
手札は多く。アプローチできる状況は増やして。
すこしずつでいい。
楽しい瞬間を増やせる未来に向かっていきたいぞ?
この気持ちが教訓だ。
けど、こういうのってさ?
お腹がいっぱいで、ある程度は快適に過ごせなきゃあね! きついじゃない?
ご飯を作ろう。
みんなでお腹いっぱいになってからだ。
話はまず、そこから。
そのためなら、空飛ぶキッチンだって作ってみればいいのさ。
そうでしょ?
つづく!




