第千八百十三話
平成から次の元号へ。
まず平成は元年から三十一年まで。西暦でいうと、一九八九年一月八日から、二○一九年四月三十日まで。
じゃあ昭和は? 元年から六十四年まで。西暦でいうなら、一九二六年十二月二十五日から、一九八九年一月七日まで。
平成は昭和の二分の一くらいなんだね? 元年に生まれた人が三十一才ってことだから、いい大人になるくらいの年月。昭和は還暦を迎えるくらいだね。そこに平成の年月を足すから、けっこうなご年齢になりそう。
昭和の前が、大正。その前が明治。さらにさかのぼって、江戸時代。もひとつ前だと安土桃山時代。そして室町、鎌倉、平安、奈良。飛鳥、古墳、弥生で縄文だっけ? もう一歩もどると旧石器時代。縄文時代がめっちゃ長い。百年単位でくくられる元号って、どれくらいあるかな?
ぺでぃあ先生を見ればわかるし、そうでなくても歴史の授業で触れるとこ。
第一次世界大戦が大正時代、一九一四年七月二十八日から一八年十一月十一日まで。第二次大戦は昭和、一九三九年から四五年までの六年間にあった。江戸時代後期からの激動の歩みは目まぐるしく、世界にも視野を広げて含めると? のんびりゆっくり平和だわあっていう時期って、そうそうない。大正時代に世界大戦と名のつく戦争があって、昭和の第二次で一旦とまっているような印象があるとしても平成、現在進行形でどこかで紛争は続いている。アメリカの貿易センタービルに旅客機が衝突したテロ。
経済もてんやわんや。日本はバブル崩壊がおっきなトピックス。世界だとリーマンショックが印象に強い。ニュースで見ながら「なにいってんのか、ちょっとわかんないですけど」って言っちゃう。バブル期はとにかく土地! なにがなくとも土地! 土地! って印象があるし? リーマンショックは投資銀行の破綻だったっけ。
サブプライムっていう単語が行き交うニュースを何度か見た。
言い換えるとさ?
低所得者層向けの住宅ローンだ。
ローンを組むのは、信用度がなきゃ無理。
信用度っていうのは、住居や電話番号を有し、一定の安定した収入が見込めることじゃなかったっけ。そのためにはお仕事がいる。ローンの支払い期間に変動がない、継続的で長期的で、社会的信頼度の高いお仕事が。
フリーで働く人たち。美術系のクリエイターから、役者さんたち、漫画家さん、小説家さんなどなど、そういう人たちはクレカがまず作れないことが多いそう。
そういう立場だと?
ローンも組んでもらいにくい。なんならスマホのローンでの支払い契約だってむずかしい場合もある。
収入があるなら一括で払うとか、申請の仕方でなんとかなるみたいだけど。ほら。スマホショップは専用のシステムで手続き進めるじゃん? こういうなにげないところに地味にあるんだよね、バリアが。こういう話はお母さんに教えてもらったんだけども。
そういう立場だと、新居を構えるときの住宅ローンも組めないことさえあり得る。
自動車のローンもそう。
一括でどん! と買えるくらいの収入があるのなら別だけど、そうでないのなら? むずかしい。収入を資産価値のあるものに変えて、なんていう運用の話もあるそうだ。
で。
銀行や投資会社からみた信用力が、もう一声、もっともっとほしいよっていう立場の人向けのローンっていうのが、サブプライム住宅ローンになるそう。
信用力がもう一声な立場ほど、もっともっとって求める人ほど、状況は変えにくい。
それぞれの職種ごとに、収入のレベルを四段階に分けて分析してみると、どうなるのかな? ひとつ上の収入レベルに移動するには、どれほどの困難が伴うのかな? きっと職種による専門性の違いに影響を受けていそうだし、すべからく職種がちがうからで済ませるのは乱暴だとも感じるなあ。
相対的貧困の解像度もそうだけど、相対的な利便性や改善へのアプローチのしやすさなんかも違いそうだ。カナタはこのあたりを言語化しきれずに、ミコさんにもやもやをぶつけていた。私は傍目八目で、ふわふわっと思いついたから考えられているだけで、じゃあ、自分の仕事での解像度はどうかっていったら雑魚中の雑魚まである。
レベル四からだとレベル一、二、三への理解度は?
ローンについて考える私と同じくらい雑魚レベルになりやすい。忘れないように心にメモしとこう。ほんと、うっかりしやすいからね。
なんなら理解度はさらにひどくなっちゃうかもしれないね?
レベル間の移動を助ける仕組みといったら?
それは知識と技術の伝導、人脈の接続もろもろになるんだろうけどさ。
レベル四、採用するならせめて四の見込みがある三からじゃなきゃだめ、という能力主義を採用しちゃうと? 仕組みは生まれず、既にあるものさえ失われていく。やがて、そもそもないのが当たり前という状態になってしまっていることもある。
今回の話でいくと?
低所得者層で生活せざるを得ないとき、そこからレベルをひとつ上に移動するのが非常に困難だ。なので、ローンを組めたとしても、どうしたって延滞してしまう。そういう性質のローンとして、利用されていたそうだ。
まず、延滞率が増えていったそうだ。そこで投資家たちは「延滞するのはわかっていたけど、それにしても延滞率の変動が怖いな。売っておくか」と行動し始めた。
じゃあ売る場合の値段って、どれくらいが妥当なの? プロでもよくわからん! あまりにも複雑怪奇! 投資はプロだけの世界じゃない。混迷! どんどん価格が下がっていくぅ!
なんとそこで、ある投資銀行が「あれ? 安くなってきた。これ、いま在庫を増やしたら割安ですよーっつって売れるんじゃね?」と在庫を増やし始める。
いやいや。ちゃうねん。
売れない商品やねん、それ!
だというのに在庫を投資銀行が増やしちゃう。
投資家たちは「こんなんはよ売らんと!」と売りまくるから? 在庫を抱えるほど、投資銀行の損失が増えていく。
いよいよ危なくなってきたぞ?
売りたくてももうそれ売れないぞ? だってみんなが売ってるものだぞ? 買い手がいないんだぞ? 売れないよ! やばいやばい! このままだと、壊滅!
まあ待て。
これまでも投資銀行がやばくなるとアメリカのFRB、米連邦準備制度理事会が助けてきたじゃないか。今回もいけるっしょ――……いけませんでした! 助けがありませんでした!
破綻!
銀行、破綻!
後にFRBの議長は「助けるには担保が足りない」という主旨の発言を行なったそう。投資銀行が提供できるものが、巨額の費用による救済に比べて足りないから助けられなかった、と。
それは! そう!
だけど、それじゃまずかった!
さてさて、あったまってきました!
担保の話が重要だ。それも、換金できる担保なのかどうかがね。FRBは、投資銀行に換金できる担保が救済費用に比べてあまりに足りないぞ? として助けなかった。
投資銀行が買い集めたのも?
ある意味、担保だ。だけどその担保は、どんどん意味をなくしていった。価値がどんどん下がり続けた。ダイヤモンドを買ったのに、手の中でどんどんただの石ころになってっちゃって「う、売らせてくだせえ!」って声をあげても、だれも見向きもしない状況に。
石ころだけしか持っていないんじゃあ無理だ。うちが助けるのは宝石を持ってるところだ! と言われてしまうと「い、いや、わかるけど! 助けてよ!」ってなるよね。
銀行が助けてもらえなかった! やべやべやべ! 自分たちのもってる担保は売れなくなるかも、価値が下がっているかも!? と不安になった投資家たちが、さらに売り始める。
どんどん資産が投げ売りされていく。
まるで商店街の売り尽くし大セールだ。
お店だけじゃなく倉庫にまでみっちりつまったお洋服は、だれも見向きもしない。だというのに、今日も明日も明後日も、いろんな人が「この服もういらないです」と押しつけていく。そんな状況になったら、店を閉めるよね。取引しないよ。売れないものがたまっていって、お金が出ていくだけだもの。
お父さんの愚痴を思い出す。
昔、販売したその日に序盤で進行不能のバグが必ず発生するゲームが販売されて、回収騒ぎになったそう。お父さん曰く「戦闘中に敵のボイスが再生されると必ず落ちる」そうだ。場合によっては中古ショップが「買い取りしません」と張り紙をすることさえあるという。こわっ。
メーカーが回収して、後日修正したゲームを郵送することになる場合もあるとか。いまみたいにネットで繋がって、アップデートできない時代は大変だ。かかる事務手続きや、ディスク製作、郵送にかかる費用を考えると頭がくらっとしちゃうもの。何人かの首が飛んだかもしれないまである。
ところでアメリカで一日の取引量がおっきな市場はニューヨーク株式市場ではなく、レポ市場だそうだ。
レポ市場とは? レポ取引が行なわれる市場のこと。
じゃあ、レポ取引ってなに? 債券や株式などの有価証券を買い戻し条件付きで行なう取引のこと。
まだまだ説明が足りない。
主に、私に向けて!
債券とは?
国や地方公共団体、独立行政法人、事業会社、国際機関、他国の政府などが資金調達のために発行する有価証券のこと。
あらかじめ利率や償還日などの条件が決められて発行されるそうだ。
利率っていうのは?
額面金額に対して、毎年受けとることのできる利子の割合。
利子が高いほど、持っている年数のぶんだけお金がもらえる。
発行時の金利水準や発行体の信用度などで決まるそうだ。年利が三パーセントの債券を百万円分もっていたら、一年で三万円もらえる計算になる。
三年後に債券を百三万で売ると? 百三万の売却金額から、購入した百万を引いて三万円。三年の経過で利率三かけ三年の九万円。足して十二万円の収益が出る。
三年かけて十二万円の収益は、一年でいえば四万円になるじゃない? これを指して利回り四万円っていうそうな。税金などの諸経費も含めるから、もうちょい計算はややこしいそうだけど!
じゃじゃじゃじゃじゃあ! 償還日っていうのは?
債券を運用する際、保有している人に額面金額を払い戻す満期日のこと。債券は運用の期限が設定されているものがある。されていないものもある。お金がほしくて有価証券を発行した対象が、永遠かつ不変! なんてことはないからかな?
そう考えると、レポ取引って不思議じゃない?
なんで買い戻し条件付きなの?
もう一度、繰り返してみよう。
レポ取引ってなに? 債券や株式などの有価証券を買い戻し条件付きで行なう取引のこと。
私とカナタでやるとしたら、どうなる?
私がカナタに債券や株式などの有価証券を渡す。するとカナタは私に担保となる現金を渡す。有価証券と現金が交換される。このとき、私はカナタに渡した有価証券を買い戻すよう、条件をつける。
一定の期間が過ぎた。交換期間が終了だ!
すると私はカナタに貸したときと同種同様の有価証券を返還してもらって、担保金を返す。
時間が経ったから、担保金利率と賃借料率が生じる。差し引いた料率で表わされるそうだ。担保金の利率のほうが賃借料率よりも高くなりやすいけど、市場によるのだそう。
債券そのものや、担保そのもので稼ぐんじゃない。
移動で叶う成長と信用の価値から生まれる利率で稼ぐっぽい。
それってさ?
言っちゃうと、担保って働く人とか、成果物とかじゃないね? 取引できること。売り買いできることともいえる。宝石は宝石のままでいること。洋服そのものよりも、洋服を作り出して取引できる実績かな。その実績には、多くの人と生活と営みが土台として存在してる。
レポ取引はアメリカだと兆もの単位のドルが存在していて、その半分よりすこし多い割合の莫大なドルが取引されていたそう。
それには、宝石は宝石のままであること、取引できることが守られていないと無理だ。売り手と買い手がちゃんといて成立する前提がなきゃ、それだけの膨大なお金になるほどの取引はできない。
間違っていたら助けてくれーって白旗を振りながら、それでも次いくよ?
なのに投資銀行は破綻した!
預金を持っていない銀行は、レポ取引で大量の資金を調達していた。やりとりしないと儲けが出ないからね? 大手になるほど、レポ取引での資金調達の総額は高いんじゃないかな? 取引件数だってそう。
ずっと前にさ?
国を人体、人を細胞としたとき、お金は血と栄養って考えた。酸素などを運ぶ大事な大事なものだ。新陳代謝そのものといってもいいかもしれない。
投資銀行にとってもそう。レポ取引でたくさんのお金を動かすことは、まさに生きるために必要な生命活動って感じだ。
けど破綻しちゃった。すると、なにがどうなるの?
投資って、なにもプロだけの世界じゃない。
プロでも判断がむずかしいのに、プロだけじゃない。
価値や価格の見えないものがどんどん売られ初めていく。それをつけるのは、とてもとてもむずかしいから。
宝石が石ころになっていくほど、大勢の首が飛びかねない状況になってしまう。
急いで売らなきゃやばい。
がんがん価格が下がっていくのに、投資銀行はそもそも息も絶え絶え。買えなくなっていく。暴落する価格。なのにもう買えない。
商品があふれても、買い手がいなければ? 売ることはできない。
取引が成立しなくなっていく。
流れる血が減っていく。栄養が回らなくなってしまう。
経済の営みが死んでしまう。
そうとわかっていても、ダイヤが石になるのだ。輝きを持っているうちに売らなきゃやばい。
価値がどこまでも下がっていくときに「将来のために買う!」なんて発想はしない。抱えれば抱えるほど、損!
なにもかもが石になっていくように見える。だから売る。
この対策にアメリカはお注射タイムとばかりに、お金を注いだそうだ。金融機関を国有化した国もあるそう。どえらいお金が動いたみたいだよ?
資金調達ができなくなるという恐れ。それによる資産の投げ売り。恐怖が伝播するのに十分な動向は、一気に拡散していく。結果として? ショック、発生!
意外と?
人って動揺に弱い。
小中と学校で感じたほどの価値なんて、ほんとまだまだなんだなあ。
おー。
むかぁしむかしの日本の白黒映画にさ? 日本のいちばん長い日ってのがあってさ。なんと一九六七年、昭和四十二年に公開された映画なんだけど。黒澤映画の三船敏郎が出てるの! やばい。七人の侍もいいけど、用心棒が好き。やっぱラストが最高!
昔の雰囲気が知りたくて見て、わりとビビる。二時間半とちょいもの大作なんだもの。
内容はポツダム宣言受諾にかけての流れ。そして陸軍の人物が起こしたこと。
顔と目力が全員すごい。発声の圧もやばい。七人の侍よりよっぽど聞き取りやすいけどね。それでも途中で「ん?」ってなる場面もある。
劇中でさ? 原爆がふたつ投下され、沖縄は陥落し、東京は大空襲を受けたあとでいよいよ玉音放送を収録だっていう段階になっても、陸軍は揉めていた。玉音放送が収録されてなお、揉め続けていた。敗北主義なんていう単語が出てきちゃうくらいにだ。
しかも彼らにとっての敗北主義者たる主要人物たちを処断して、玉砕してでも抗い死ぬべきだ、みたいなノリだ。天皇がやめるといったからやめる、それをよしとするのでは責任逃れだ。そう訴える人が言うの。
『本土決戦も行なわず、こんな中途半端な形でもし戦争をやめるなら、我々はこれまで前線で散った三百万以上の英霊を、ことごとく欺いてきたことにはならないでしょうか』
『現にいまでも飛行基地から、敵の機動部隊を目指し、特攻機は帰らぬ出撃を続けております』
『最後の一兵まで戦うのならともかく、天皇がやめるというからその命令を守ってやめる』
『聞こえはいいが、それは一種の責任逃れです』
『国民はこの軍の態度を、打算的でご都合主義のこの軍の態度を一体――……』
と。
特攻機。ゼロ戦やなんかに爆弾を積んで、行くだけの燃料だけを入れてなんとか飛ばし、実戦経験のない学生たちや、激戦を生き抜いたベテラン兵たちを乗せて、艦隊に突っ込ませたり。
でっかい潜水ヘルメットをかぶって、浜辺で上陸艇を攻撃しようしたり。操縦できる小さな筒を作って魚雷として撃って、船にぶつからせようとしたり。
伸びきった戦線と補給の噛みあわない状況で「いいや」「まだだ」と繰り返して大勢の死者を出したり。
当事者の証言は少ないとしても、足りないかもしれないけど、報道はされている。夏休みには必ず。終戦記念日まわりを狙って。聞こえてくるのは惨憺たる有様ばかり。敗戦っていうのはそういうものだ、じゃあない。攻めているときでさえ、ろくなもんじゃあない。
国内の警察の悪辣な振る舞いだーとか。ね? さんざんだったし。食糧事情も悪化の一途をたどるなかでだよ?
大勢に無茶を強いた。強要した。それでもせめて本土で戦えるのなら。勝てないとしても、命を散らすことができれば、せめて、それは帳消しになるのでは。
そんな支柱が当時の陸軍の人たちにあったように思えてならない。
お父さんも一緒にあの映画を観てくれた。ちっちゃい頃にVガンダムっていうのを見てたそうだ。戦争だけあって大勢が死んでいくの。毎週うつうつとしてたそう。だから次に始まったGガンダムっていうので、気持ちがだいぶ助かったそう。ただ、でも、一度はじめちゃうと、それがどれほど悲惨なことでもやめるにやめられなくなるという。
主人公たちが戦う軍のえらいえらいおじいさんが、みんなを赤ちゃんの「すやあ」状態にして、寝たまま殺して「みんないなくなっちゃえー」って作戦を実行しようとするんだって。で、主人公が言うの。ひとりの頭でっかちの老人のおかげで、人類が全滅するなんて! って。
おじいさんがそういう役割を引き受けたのであってさ?
私には、日本のいちばん長い日の、さっき引用した言葉を口にした人をはじめとする徹底抗戦を願う人たちだって、同じように頭でっかちというか、戦って死ぬという結論のみに強固に依存してるように見えてならない。
そういう結論に共依存というか、近視眼に陥っていて、そうでないものすべてを強烈なストレスに感じている状態に見える。そんな人たちが「みんな死ぬんだ!」なんて言いだしたら? たまったもんじゃない。どうぞご自分たちだけでってなるよ。そりゃあそうなるよ。
けど当時は当時の環境も、経験も、いまとちがう文脈があるのも確かでさ。
達成できないと。だって。それでは自分たちはまるで道化か、卑劣な悪漢かのようで。そう感じた人さえ、中にはいたかもしれない。私には劇中の、この発言をした人さえそう見えた。けれど受け入れがたいから、頼むから決起をと、偉い人に呼びかけて回っているように見えた。縋る先を求めて。共依存に加わる仲間を求めて。
ド素人で勉強がちっともできてない私の考えに過ぎない。もちろんそう。
こうだと決めつけやすいときほど、これでいいのだ、十分だと思うときほど気づけず取りこぼしている情報が多い指標に利用できる。わかんないことのほうが、いつだってずっと多いからね。
ただなあ。
だれでも心はもろいよなあ。
ひどく動揺しやすいよ?
極限の状況になっていくほど、どんどん頭が「わー」ってなる。
極限ってだいたい、対処するタスクが多いか、負荷が尋常じゃないか、その両方だ。
相対的にみて、だれかにとっては楽なことだとしてもね? 本人にとって極限なら、そちらがもちろん大事だ。
レベルを四つに分けて上のレベルから見た景色はひどく曖昧で、解像度が低すぎる状態くらい、わかってないことだらけだとして見る。映画「パラサイト 半地下の家族」の雇い主たちからでは、半地下のことは理解できない。想像さえできない。
そういうわからなさ、知らない領域さえ含めて自分を、だれかを、世界を見る。
とても断定できやしない。
他者性を理解し、尊重し合う。
それって途方もないことのようにさえ感じる。
「そういうことなんですよ、カナタさん」
「――……ふが」
「カナタさん?」
「え……あ。お、終わった?」
半開きのうつろな目で、畳に強いた布団に寝そべり私を見あげる。
ぜったい聞いてない。期待もしてない。今日もぷちたちは元気いっぱいで、カナタはさんざん振り回されてきたんだから。そう。一緒に遊ぶまでにはまだまだハードルいっぱい。
カナタにそんなことを思う私はもっといっぱい。
ふたり足して、いっぱいいっぱい。なんちゃって。ははっ。面白くなさがやばい。
私が呆れて見ていると、あわてて起きようとする。
けど眠気が先に立ったのか、息を吸いこんだ。ふごご、と鼻の奥が鳴る。
もー。さー。
「寝てていいよ」
「え……今夜はせめて」
お乳に手を伸ばそうとしてくるので、ぺしっとはたき落とした。
「そういう気分じゃないんですー」
「そっかあ」
露骨にがっかりしながらも、堪えきれずに欠伸をする。
さすがに疲れ果てていると見える。
「しても途中で寝るでしょ、その様子じゃ」
「……ねみゅい」
「でしょうね」
もうちょっとしゃべりたかったんだけどなー。
とにかく言いたいことがたまってた。なによりも、カナタはどう思うのか聞きたかった。
どっちも消化不良だけど、仕方ない。
こういうもやもやのたまり方もあるから、ひとりを超えるのって大変だ。
基本的にいまの私はまだ、自分が興味のあることに夢中なんだなあ。
それじゃどうにもならない。
人と居るのって、自分だけで完結しない。してたらやばいまである。
むずがるように「ふぉいふぉいふぉい」と欠伸を繰り返すカナタさんの頭に手を当てる。相変わらず髪の毛さらっさらで柔らかい。撫でると気持ちがいい。
「ちょっとだけ、添い寝したらどうする?」
だめだめと頑なだった自分を緩めてみたけどね?
「――……さすがに言うの遅すぎたか」
もう寝てたよ。
ひとなでで安眠ですか。ガチ寝ですか?
あーあ!
つづく!




