第百八十話
幸せや愛情を感じる機能がもし人にあるならば、カナタが開いた感覚はまさにそれだった。
カナタの愛情を山ほど感じたけれど、それはあまりに私を蕩けさせてしまう。
だから夜、二人だけの時に入れるスイッチになりました。
それにしてもここ最近いちゃつきすぎかな。そろそろ落ち着くべきターンの到来?
ううん、わからないよ!
端的に言うとね? カナタといちゃつくのは大好き。大好きすぎる。いつまでもしていたい。
頭ばかになる……。
語彙力が「すごーい!」「たっのしー」くらいしかなくなるの。
カナタはいろいろできちゃう男子だけど、その中には私の思考能力を落とすという不思議な力も備わっているのでは?
なんてね。
高校生活を思い返して日記を付け始める。
スマホのカレンダーにつけた、ここ最近のしちゃったマークの多さに我ながらびっくり。
夏は人を大胆にさせるのかな。
とはいえそればかりでもなんだから……そればっかりの方がいい? やっぱりわからない。
と、とにかく!
私にはやらなければならないことがあるんです。
そう……料理がね!
『日記に書いておけ。お主は侍候補生じゃと』
わ、わかってるよ! 忘れてないから!
でも大事なの!
前にドラマで三つ星シェフが給食を作るなんていうのがあったけど。
緋迎家の残食四天王の中でも頂点に君臨する人参を、私はコバトちゃんにおいしく食べてもらいたいのです!
◆
いよいよカナタのお母さんノートのあるページに立ち向かうべき時が訪れたのかもしれません。
『必殺煮物! あの子の嫌いを大好きに変えるレシピ』
ニンジン嫌いなコバトちゃんに向けて挑むべきページだ。
挑戦の階段を何段もあがってやっと辿り着いたページなんだ。
『大好きを感じてもらうための手間こそ神髄だと私は思います』
どきどきしながら注いだ霊子は金色。
どれだけ試しても黒が出ない。出るのは金。
まるでカナタが私の闇を全部輝かせちゃったみたいに……黄金だった。
煌めく文字が私に教えてくれる。
ちょっとまぶしいのが難点だけど、どきどきしながら文字を目でさらう。
そんな時だった。駆け足の音がしたのは。
「お姉ちゃん、鬼ごっこで勝ったからコバトの好物作ってね?」
「ふふー!」
キッチンに顔を出したコバトちゃんに向けるサインはV。
並べたお鍋、そして揚げ物用油、そして食材たちを前に気合いを入れる。
さあ、取りかかるぞ!
◆
夜、緋迎家の食卓を真っ暗闇に染めました。
雨戸を閉めてカーテンを引き、照明を消すの。
椅子に座ってもらった四人の元へ、大きなお鍋を手に歩いて行く。
「ぱぱぱぱぱん、ぱぱぱぱぱん、ぱぱぱぱん、ぱぱぱぱん、ぱぱぱぱん!」
結婚すんのか、と我ながら思いつつ歌を歌いながら歩いて行く。
お皿の中心に差した花火が目印。
みんなの顔が照らされて私を見ていた。
カナタとシュウさんは驚きと懐かしさに歪む顔。
ソウイチさんは微笑んでいた。
コバトちゃんだけ、何が起きているかわからずに、けれど目を輝かせて私を見ている。
「ぱーん、ぱーんぱぱーんぱーんぱーんぱーん! ぱーんぱぱぱーん、ぱーぱぱー!」
そっとテーブルに置いた。
予めテーブルに設置しておいた燭台の蝋燭にチャッカマンで火をつける。
ぼんやりと淡く光る食卓の中心に置かれたお鍋の中身はなんでしょう?
「お姉ちゃん、これなあに?」
「ふふー! 緋迎家必殺煮物です!」
もちろんね。
どや顔と共に人差し指を立てて言いました。
「煮物……人参、入ってる?」
「ふふー! 魔法をかけたお野菜さんがお揚げさんに入ってます! 食べたらご褒美があるよ?」
「ほんと?」
「ん! おいしいおいしいスイーツのご褒美だよ?」
「……それで人参は?」
う、うう。さすがにごまかされてはくれないか!
でもめげない!
「この中には魔法がかかっているので、コバトちゃんの嫌いなものはありません!」
「…………」
騙されないんだからね、という視線でじっと見つめられるけどへこたれない。
ここでへこたれたら魔法の効果が薄らいでしまうから。
まあぶっちゃけ入ってるけど。
人参めっちゃ入ってるけど。
「食べてみて?」
「……うん」
並べておいたフォークを手にしたコバトちゃんが、鍋に恐る恐る手を伸ばす。
さく、と差したフォークを口元に運ぶ。
それの正体を盛りつけた私だけは知っている。
「あまい! すっごくあまい! お砂糖菓子みたい!」
どやあ!
青澄春灯、渾身のガッツポーズ!
「なにこれ?」
「魔法のお野菜です!」
「……んん?」
小首を傾げて、もう一度フォークを伸ばす。
次に口に運んだものをこりこり噛んで飲み込んだコバトちゃんは逆方向に首を傾げた。
「今度のはほくほくして甘い! なにこれ? なにこれ?」
「どう? どうかな?」
「おいしい!」
フォークを動かす手が止まらないコバトちゃんを見ていて心がほっこりします。
カナタとシュウさんがお互いにうなずき合って、お箸を伸ばしてもしゃもしゃ食べる。
最初に二人が言ったこと、それはね。
「懐かしい」「これをもう一度食べられると思わなかった」
だった。
二人の点数は聞くまでもなさそうです。
ソウイチさんなんかはもくもくと食べているし、フォークを持つ手は止まる気配なし。
よしよし。
「特別な料理には特別なジュースを注ぐね?」
冷蔵庫から持ってきた子供用のシャンパンジュースをワイングラスに注いでいく。
暗がり・ロウソク演出もジュースも何もかもレシピノートにあるもの。
そしてその調理法もまた、レシピノートにあるもの。
いわば集大成ともいうべき内容なのです。
その成果は大成功だ。
みんなが食べ終える直前だった。
コバトちゃんが手を止めて、じーっとお鍋を見るの。
「ほくほくあまいのは……お魚のすりみ?」
す、するどい!
「おいしかった?」
「うん! ……じゃがいももはいってる?」
「大正解!」
「あと……あまいのはいってるけど、なにかわからない」
一つだけ取っておいたのか、お揚げをフォークに刺したまま見つめるコバトちゃん。
「これの中身、なあに?」
シュウさんとカナタが微笑ましそうに見守っている。
「コバトちゃんの苦手なもの、なんだ?」
「……人参さんなの?」
途端にうええ、と顔を顰めるコバトちゃん。
「おいしいのに、なんで人参さんなの?」
よかった。煮物はきちんと必殺だった。
おいしいの言質、とったど!
「コバトちゃんに嫌われたら人参さんも悲しくなっちゃうよ。コバトちゃんと仲良くしたいなあって思ってるよ?」
「野菜なのに?」
「野菜だって生きてるもの! というわけで、魔法をかけたわけです! おいしかったんだよね?」
「……うん」
たいへん不本意です、と顔に書いてあるのが目に見えるようでおかしい。
「最後のそれ、食べたらコバトちゃんにご褒美あげます」
「……たべる」
もそ、と食べて。ちゃんと噛んで飲み込む。
悔しそうに、でもちょっと嬉しそうな顔で俯く。
「おいしい」
「ふふー!」
胸を張る私ですよ。
基本的に功績はレシピにあって、作った私はお手伝い程度の存在ですけどね。
いそいそと台所へ戻って持ってきたのはケーキだ。
ただのケーキじゃないの。スポンジの具材にすり下ろした人参を少しだけ使っています。
盛りつけたり中に入れたドライフルーツと、外側をコーティングしたチョコに隠れてるけどね。
花火なども盛りつけて演出の力ももちろん借りています。
「わああ!」
なので持ち運ぶ私を見てコバトちゃんが歓声をあげてくれた。
私も覚えがあるの。
おうちのご飯でちょっとした演出されるだけですっごく嬉しかったっけ。
誕生日とか、クリスマスとか。
ああいうのもっとやっていいよね、というのがカナタのお母さんの意見だった。私も大賛成ですよ。
人参が入っているなんて気づかず、おいしいおいしいと食べるコバトちゃんを見つめてにんまりです。
やった。やりましたよ!
食べてもらいましたよ!
ガッツポーズを取っている私にカナタがそっと尋ねてきた。
「見ているばかりだが、お前は食べなくていいのか?」
「ぅ……」
じ、実はね。
「何度も試食してたらお腹いっぱいになっちゃいまして」
恥ずかしながら、山ほど用意した野菜の何割かを食べちゃったよね!
「どうやって作ったんだ?」
「んー……言えないです」
なんで? という顔をするカナタに私は笑顔で言うの。
「魔法をお姫さまの前で解くのはちょっと野暮かも」
コバトちゃんがおいしいと言って食べてくれた事実だけで十分だ。
種明かしは必要な時に必要な分だけ。
少なくともいま、コバトちゃんには必要ないと思うのです。
◆
コバトちゃんが眠り、お風呂上がりにのんびり過ごしていた時でした。
視線を感じたの。
「やっぱり、レシピ気になります……?」
私の問い掛けにカナタとシュウさんが揃って頷くから苦笑い。
でもね。
「ごめんなさい、秘密なんです」
そう言ってごまかした。
「いや、母と同じ味を再現しておいてそれはあまりにも」
「教えてはもらないのかな?」
カナタとシュウさんが食い下がる。
それくらい二人にとっては特別なレシピなのかもしれない。
けどね。
「また食べたければ彼女に作ってもらうといい。秘密にしておくべき事もある。お前たちにとって、あの煮物が必殺であってほしいならそっとしておきなさい」
「父さん……」「ううん……」
ソウイチさんは味方になってくれた。
それに戸惑う二人にそそくさとおやすみなさいの挨拶をしてお部屋に戻る。
ページを開いて霊子を注いで、金色の文字を読んだ。
『内訳は秘密ね? 超重要! 魔法はね? なにでできているか誰も知らないから魔法なの』
その一文は妙に説得力があるのです。
だから言えないし、言わないのが吉だなあと思うわけで。
読んでいないのに気持ちをわかっているソウイチさんはさすがだなあと思うのです。
『それではレシピです』
そう言って書き記されたレシピ。
単純に言えば、さしずめ料理名は「すり身と野菜の油揚げおろし煮、南瓜と茄子の揚げ煮を添えて」です。
厚揚げの中にお魚のすり身、じゃがいも。そしてニンジンを細かく切って入れるの。
しっかり煮込むよ。甘く甘く、ね。
目的は単純。
緋迎家の男子二人が苦手だった、そしてコバトちゃんが苦手な人参をおいしく食べてもらうことだ。
人参はすり下ろす。そして指定のお魚のすり身とジャガイモのつぶしたのと混ぜる。
油揚げの中にいれて、爪楊枝で蓋をして甘辛く煮込むの。
しょうゆとみりん、お酒。だいたい3:3:3です。
お酒はソウイチさんの日本酒をちょびっといただいちゃいました。えへ!
も、もちろん許可は取ったからね? 念のため。
それで煮込むの。煮込む時には素揚げした南瓜と茄子も一緒です。
煮立ってきたら大根下ろしを大量投入!
そして再び煮立ったら完成です! 演出のためにフォークを出したし、実はセットでお皿にライスを盛りつけて出したんだけど。
次からは普通に出して楽しんでもらいます。
あくまで今日は「人参さんに気づくかテスト」です。
二回目は葛藤してもらうの。「人参さんが入っているけどおいしい。食べたいけど嫌い。どうしよう!」って。
ノートにはこう書いてある。
『おいしいものの魅力には勝てません!』
断言だった。
カナタもシュウさんも負けたんだろうなあ。かわいい。おいしくてつい食べちゃう子供時代の二人かわいい。
ちなみにケーキもレシピノートにあったよ。
果物の力を借りて作ったのは野菜ジュース作戦と同じアプローチ。
あまいおいしい味で流されてしまえ! という狙いがあるのです。
大好きなチョコに包まれたケーキ、甘々の黄金の油揚げと真っ白いお魚さんにくるまった煮物。
そしてなにより暗闇の演出。みんな大事。
大人でもおろし煮で出てきた南瓜や茄子のうまさについつい箸が伸びちゃういけてる晩ご飯。
子供にも嬉しいお祭りみたいなご飯時間。
甘い甘い必殺煮物とシフォンケーキの威力は……コバトちゃんが喜び、カナタとシュウさんが克服したことからお察しです。
『コンセプトは明快じゃな』
そうなんだよー、タマちゃん!
食べれる事実を作っちゃおう! です。
それは案外悪くない手だよ。
一段上れば案外、人参の階段の二段目は気軽にのぼれるでしょ? というアプローチだ。
私も覚えがあるもん。
ピーマン苦手で食べられなくてさ。パプリカを入れたグラタンで好きになって。色が違うだけだからいけるでしょって言われてピーマンの肉詰め食べて。我慢して食べるようになって、気がついたら何気なく食べられるようになってた。
トウヤは克服できなかったけど。給食で食べれないのバカにされたのが悔しくて特訓して食べれるようになってた。お母さん、いろんなピーマンレシピを繰りだしてたっけ。
どこのご家庭も子供の好き嫌い対策に苦労しているんだなあと思う。
今日の勝利も野菜ジュースを毎日飲んでもらうように仕向けていたからかもしれない。
伏線は張られていたのだね! なんてどやる気持ちにもならない。嫌いなものを好きになってもらうのは、本当に大変っていう話でしかないもの。
カナタのお母さんの研鑽を見た気持ちでいっぱいです。
積み重ねた結果は今日の勝利に繋がっている。
いや、まだ勝利じゃないね。
ナチュラルに人参を食べられてはじめて栄光に届くもの。
食卓の戦いは続く! 私はまだまだがんばるよ!
『……妾たちの出番はまだか?』
『腕が鈍る』
わ、わかってるってば、二人とも!
もちろん鬼ごっこも勝たないとね!
修行の第二段階に進みたいですし!
張り切っていきますよー!
つづく。




