第千七百九十八話
死人たちの幽霊が漂う部屋で、真夜中に足を組む。
左手の薬指に嵌めた指輪の輝きを天井へとかざす。赤子たちが這い上がってくる。輝きを目指して。
小さなこどもたちと一緒に朝を迎えるのなら、せめてこどもたちは生者であってほしい。
けれど、ここには亡者だけ。
『理華。現場に潜入して、死人の霊を確かめて、その先は?』
指輪の問いかけには答えない。
今は亡き友人の部屋。仲睦まじい新婚さんの家。幸せでしかないはずの部屋に飾りつけられたのは? 幼い子たちの幽霊、数多。
肝心要の友人夫妻の幽霊は見当たらない。いるのは幼子ばかり。
彼らの泣き声が反響してうるさい。悪魔の尻尾を生やしてみせたところで、彼らは怯まない。指輪の輝きに夢中だ。
『吹き飛ばすか? これで何度目になるかはわからないが』
必要ないですよ。
警察が現場を一通り確かめて、亡骸も全部持ち出されている。司法解剖も済んでいる頃ではないか。高校生に情報が提供されることなどないのだから、具体的に現状がどうなっているかはわからない。
友人とどう知りあったのか。なぜ当日、現場にいたのか。ひととおりの事情は話した。それで終わり。警察にしてみれば学生だけに授業に出ていることが確認できるのだし? 実際、無関係だ。この事件とは。
そう思いながらも、再びここに来た。
指輪の魔法を用いて、当日の骸の配置を再現してみせた。けど、私にわかることといったら、大勢の骸が並べられていたことくらい。
春灯ちゃんが攫われた。他にも甘原先輩たちも。瑠衣の話を聞くと、二年生の泉先輩の友人もまた、妙な場所と関わりがあるらしい。
謝肉祭遊園地。
今回の事件との関わりは?
情報共有で回ってきた遊園地の情報と、この部屋で起きた殺人事件。どちらも異常に感じる。
私の身体を這い上がる赤子の幽霊たち。感触はない。おぞましさはあるが、それよりも空しい。どうして、百に届きそうな赤ん坊の亡骸がいるのか。幽霊になってまで、どうして置き去りにされなければならないのか。
『送ってやらねばな。任せてくれるか?』
もちろん。
指輪の輝きが増して、光がとろりと垂れ落ちていく。はじけ飛ぶ光の球が指輪を中心にミルククラウンのように散っては、幼子の幽霊をひとりずつ包み込んで、窓へと運んでいく。送り先のガラスの手前に火元もないのに火の玉が浮かぶ。光は迷わず火の玉を目指し、その中へと消えていく。
赤子たち全員を見送るのに何分かかったろう。短くはない。
ただ、眺めるだけしかできない。
『手を下ろしても構わない』
窓に近いソファに移動して、座る。
法事には呼ばれない。それほど近い仲じゃない。けど、顔は広い私は既にお葬式が済んでいることを知っている。ひそやかに。そこに足を運べるはずもない私は、それでも知っている。ここが程なく引き払われることも。ここにある家具たちが処分されることも。
注目を集めてしまった。最悪の形で。この部屋に次の入居者が入り、定着するまでにどれほどかかるだろう。不動産を所有している人は、既にそのことで頭がいっぱいかもしれない。
耐えがたいほどの事件も、日常の一部。これを深い傷として抱える人にとって、そうでない人にとっても。
無性に泣けてくる。
下着の色まで指定してくる時代錯誤でどうかしてる校則のように、もうすでに完成していて、完璧で、完全なんてものは、そうそうない。
上へ。先へ。参っているからこそなのか、春灯ちゃんは願っている。
ああ。でもそれでは間に合わないことがやまほどある。
膝を抱えて額を当てる。私だけの闇で泣く。
赤子の泣く声が減っていくから、静寂が私の嗚咽をあぶり出す。
隠れさせてほしいのに。静寂のまま吠えられたら、どれほどいいだろう。
いや。そんなのどうかしてる。
泣く。その訴えが大きく、強くなきゃ、なんの意味がある。
さんざん泣いて、疲れて胡座を掻く頃にはもう、指輪の輝きは失せていた。
全員、無事に逝けたのだろうか。
『あとは理華の弔いの言葉があれば』
気の利いた言葉なんてない。
ごめんね、としか。
あなたたちが生きて、幸せに育ち、だれかと笑い、愛し愛される人生を送れない世の中に、私はいる。
なのに、どうしていいのかわからないの。
ごめんねとしか、言いようがないの。
たっぷりの時間をかけて消化しながら、実感として抱いた。救いを求めて、世界中のありとあらゆる人々がいろいろな物語を生み出した。来世で。その概念さえも、きっと。
それこそがナラティヴ。言い換えに過ぎないが。事実の列挙ではなく、だれかと愚痴るときでさえ発動する人のささやかな創作。
それは生きている人に向けたもの。
なにもできず、見送ることしかできない魂そのものへの癒やしになるとは思えないもの。
それさえ抱き締めるように、リメンバーミーという映画では生者が死者を悼み、物語を共有する習慣を土台に描かれていなかったか。メキシコ文化から着想を得ての、死者の日。
死。あるいはそれに関わる事象と、生とを繋げる習慣。
死。終わり。なくなってしまえば? もうそれで、区切り。さよなら、バイバイ。次はない?
痛みや悲しみはなかったことにして終わり。じゃあなくて? 忘れずに。
それは日常の感覚にさえ大きな影響を与えそうだ。
良きにつけ悪しきにつけ、ね。
そんな繰り言を並べても、この痛みは処理しきれない。
だから弔う。祈る。ときにはあの世、来世や転生という概念を生み出して、そこで報われることを願ったり? あるいは死を迎えたことによって救いが必ず与えられるのだと願い、ことばを送る。
そうして、自分の感情の輪郭をなぞり、自分の中にいる別れた人の感触を確かめて、区切りをつけていく。その先があるかどうか、そもそもそこから動けるかどうか、もれなく人による。
やはり繰り言に意味はない。
怒りは拭えない。
こんなことをしたヤツを、八つ裂きにしてやらなきゃ気が済まない。
赤ん坊たちの末路に関わるすべての連中の事情を確かめて、然るべき罰を。
沸騰する感情が訴える。これが人のやることかと。
だけど知っている。これもまた人のやることだと。
ビジネスは数字を。利益を。そのために野放図になっている業種はどれほどある? どれだけの人が今日も明日も明後日も、昨日や一昨日、一昨昨日のようにひどい目に?
これが正しい、この仕組みでうまくやれないなら。二言目には続く言い訳によって、どこまでも不感症ぶれる。そんなのいい加減ごめんだ。くそったれ! そう吠えたくても、代替案なんて。途方もない人数、数多の集団が絡み合う複雑かつ多重な多層構造にどうアプローチを?
勝者ほど、このままを望み、より利益を求めやすくするゲームに巻き込まれたいと? その盤面、とうの昔に破綻しているのに参加すると?
そういう枠組みの歪さが生み出す影響の具体例は?
思考が暴走して繰り返す繰り言は、意味が、ない。
復讐も。逮捕も。
サーモグラフィーでみる真っ赤な熱に、ささやかな水の一滴を垂らしたところで与えられる変化は微々たるもの。すぐに元通り。広範囲に渡る赤色が、すぐさま色を変えた熱を戻す。
それほどささやかで一瞬の、儚い影響しか与えられない。実利と気持ちの問題だ。であるなら、育てたいほうへ水を。復讐ではなく、法の下で。ひとりで無理なら、大勢で。一滴でだめなら、大量に。
それだけの話だ。
何度となく自分を諫めてきた。今夜もその繰り返しに過ぎない。
膝を抱き締めて、呼吸を繰り返す。
警察に捕まえられるたぐいの犯人じゃない。予感がある。犯行が異様だし、手口も異様。達成方法がなんてことないものだとして、その発想がどうかしてる。
『手がかりはないが』
ない。たしかに、なにもない。
だから慰めに現場を再現するための手段を考える。
たとえば家具か家電かなにか、搬入する配達員になる。大がかりなものを運び込むのだ。室内での作業を伴うのなら、それでも可。とにかく自然に中に入れる立場を利用する。
旦那さんのいない時間帯なら男性ひとり。旦那さんとふたりでいる時間帯を狙うのなら、ふたりは欲しい。制圧に手間取ると厄介だ。場合によっては三人ほしい。けど、三人の人間が訪れるっていうのは、かなり奇妙だ。三人以上は必然性がいる。昔なじみの友人とか?
『答えはまだわからないのだ。人数について、これ以上なにか掘り下げられる余地はあるか?』
ないので次。
中に入り、ふたりを殺害。状況をセッティングする。
亡骸を損壊し、加工する。悪魔崇拝かなにかかな。ふとマオが小学生時代に私の目の前で再現したことを思い出すが、頭を振る。今回の一件に関わっているとは思わない。やりかねないヤツだけど、それにしても凄惨な現場を再現するほどの熱が、エネルギーが、いまのマオには存在しない。
そう。かなり苦労したはずだ。犯人は。どうやって実現した?
流れた血の処理は。凶器は。所在は?
なにもわからない。
わからないが、大量の赤ん坊たちの亡骸を集めていたのなら、それを搬送するだけの荷台のある車両が必要だ。冷蔵可能な設備がなければ、匂いがして大変だったろう。
どちらかといえば、遺体の搬送が手がかりになりそうだ。
だというのに、それらしき情報が降りてこない。報道されちゃったのだから、隠し通せることでもない気がする。なので知人一同に頼んで情報を探してもらっているが、いまのところ手がかりなし。
けれど、もしもこれが隔離世絡みの犯行なら?
『いまの捜査態勢で洗い出せるとは限らないな?』
佐藤さんには共有済みだ。
あっちで佐藤さんなりに探ってもらってもいるけれど、新しい情報はない。
それにいまや謝肉祭遊園地の一件で、大騒ぎだ。
警察ならきっと、周囲の監視カメラだなんだと調べてくれているだろう。そのはず。
続報がなかったらどうしようか。
シオリ先輩を頼るのはありだ。調査能力がずば抜けているから。
カメラの映像は知りたい。探るなら早いほうがいい。近辺にドラレコついてる営業車がいるのなら、こっそり見たくもある。
明日のタスクにしよう。
「――……ああああ」
うなり声がでた。
足りない。ああ、足りない。それにちがう。いま考えたいのは、そんなことじゃないはずだ。
『そ、そうなのか!? 捕まえたいっていう話じゃなかったのか?』
ここは!
幸せで満ちてる場所じゃなきゃだめなんですよ!
これから先、いろんな幸せがあふれるはずの場所だったんです!
そりゃあ、理想通り幸せ一色とはいかないでしょうし? ケンカもするでしょうし、もうこれ以上は無理だと別れることもあるでしょうけどね?
それだけじゃないはずだったんです。
こどもたちも! みんなそう!
それがだれかによって蹂躙されたり、どうにもならない最期を迎えたりして。露悪的に飾り立てられて? クソまみれにされて! そのまま、どんどん、痕跡が片付けられてしまうんです。
それなのに、なにもできることがない!
ソファだって、カーテンだって、ひとつひとつの家具や日用品だって、そのすべてに思い出とか、意味があったんですよ?
なのにだれかのクソで上塗りされたかのように、散り散りになっていくなんて。
『――……悲しいが、そうして残された者たちはやりくりしていく』
他に術がないから。
『理華』
ええ、ええ。繰り言ですよ?
感情の矛先が見つからなくて、闇雲に振り回しています。
だって。
やるせないでしょ? 八つ当たりですよ。自覚してますとも。
「くそ」
どうやったら捕まえられる。
この手の事件を洗うか? あまりにメッセージ性のある犯行だ。次があるか、前があるかもしれない。次は起きる前に防ぎたいし、前はできるだけ次に活かせるように調べておきたい。
ただし、こんなのとっくに佐藤さんと連携済みだ。いまのところ、なにもない。
気晴らしに話題の遊園地について思索に耽るには、今回の事件は衝撃が強すぎる。
無理だ。
メッセージ性うんぬんというのなら、それについて調べて探るのも手。だけど、露悪的なだけだ。犯人の攻撃性を見て取るのが関の山。
たぶん、あんまり意味がない気がする。記号的なものにすぎないとするのなら? 大量の赤ん坊の亡骸を集める意味はなんだ。
『神話に聞く話だな』
赤子殺しが?
『日本にもあるだろう。有名な元夫婦のこじれた問答で』
イザナギとイザナミかな。
死した妻を迎えに根の国へ。決して見るなと言われたら、絶対に見るのが世の常。愛した妻は悲惨な姿になり果てていた。怯え、驚き、ダッシュで逃げる。奥さん追いかける。なにその追いかけっこ。
逃げおおせた旦那に妻が怨嗟の声を吐く。おおぜい殺してやる!
そんな妻に旦那は言い返す。じゃあいっぱい産むもんね!
雑語りだけど、ざっくりいうと、こんな感じだ。
動物たちにもある。子を殺すことが。人でも、口減らしに子を売ることはある。貧困が加速するほど、情勢が危うくなるほど起こりえることだ。
食うに困るから、だけじゃない。
思いどおりにならなくて、というケースがある。
血縁があるから円満な親子、とはならない。血縁になくても円満な親子、はあり得る。日常のコミュニケーションの取り方によって成長する関係性はどんなものか。どれだけお互いに寄り添おうとするか、あるいはそんなものは不要だと切り捨てるのか。日常の醸成によって、変化する。日常の過ごし方、接し方がものをいうし? 環境的要因も大きい。
けど、そういう話はさておき。泣き声がうるさくて、だれも助けてくれないだけで起こりえるし、それくらい過酷だ。育つのも、ともに育つのも。
自分の理想ないし価値観を土台として、現実との溝を埋めようとせず、ギャップに耐えかねてとうとう暴力にでる場合がある。思いどおりじゃない要因を飲み込める人ばかりじゃない。事実として。
そうして弱い者が被害を被る。この場合はこども。負荷が生じている人たちが苦しむほど、危うくなってしまう。良心や倫理が及ばぬほど追いつめられる状況は、大いにあり得るから。事実、問題は今日もどこかで起きている。
そういう状態へのケアが十分か。事前に予防するための手段と、そこへのアクセスは十分か?
もっと。もっとだ。心ない人が責めるよりも大きな声で「相談できる窓口がある」と伝えられたら、どれほどいいか。暴力を振るう旦那から逃げるためのシェルターだってある。
けれど、根深い問題だ。
イザナミとイザナギの話よりも、よっぽど身近かな。
大戦期を生きた人たち。中にはこどもを躾けるために暴力は必然と考えていた人もいたろう。当時の陸軍だの特別警察だのが映画に出ると、もろにそんなノリだ。そういう人たちがこどもにどう接していたか。そのこどもたちが成長して、大人になって、昭和でどんな親になったのか。
もちろんグラデーションがあるだろう。一緒くたにまとめて、雑に「彼らはみな、こうだった」と言うべきではない。なんの調査もせず、なんの情報も提示しないまま語るだなんて!
ただ、ふり返ってみる。
大戦を含めて六十ちょいも続いた昭和から、平成の三十一年間。
私が生きたのは平成のすこしの間。
けれど、この国の価値観はどうなっていった?
すべてのこどもに。
すべてのひとに。
優しくあったろうか。
歪さは、今日もどこかでだれかをひどく傷つけている。
そうした傷を負った人の中に、よりひどい傷をだれかにつけようとする人がいるかもしれない。傷に弱っている人を食い物にしようとする人もいるかもしれない。
その余波を受けて、幸せで満ちるはずの場所が、とことん汚され、傷つけられて、もう二度と取り返せない状態まで破壊されてしまうかもしれない。
そうした凶行の類いとしてみて、赤ん坊を犯人の傷ないし、暴力性の象徴と読み取るのか。
『生半可な傷ではないとみるが』
どうなんでしょうね?
不足なんて探せばだれの中にでも、いくらでも見つけられるもの。
だからてきることを増やす。いくらでも。足りないときには声をあげ、協力しあえる者たちで集まって、ことを成す。その繰り返し。
けれどそれは達観しているというか、距離をおいて余裕を持てるときの考え方に過ぎない。
探れば探るだけ、だれの中にも傷がある。悲しいことに。
だから我慢しろ、というのは暴力。だから話して、できる奴らを集めてなんとかしてみよう、という方向性でいきたい。
そうするには間に合わないか、知らないまま育つこともある。
不完全な世の中だ。いつまでたっても。
人に頼ること、声をあげること、窓口に足を運ぶことが、その人にとって意味をなくすほど? 信じられないという体験ばかりをしていくほど、しなくなる。
つらい悩みを抱えて、だれにも言えないときって、だれかに言ってもどうにもならなかったか傷ついたからっていうケースもあるから。
そういうところまで掘り下げていくと? たいがいは、共感できる部分が見つかる。生理的に嫌いな人を相手にする義理もないけどね。知識としては、知っておいて損がないと信じている。
だから相当な傷かもしれないと予測もするし、偏見も持つ。意識的にね。
許す許さないは別。おまけに犯人が既に罪を犯したこともまた、別。
粛々と警察に捕まってもらい、法の裁きを受けてもらうとして。円滑に、適切に手順が踏めるように情報を集めたり、佐藤さんの指示を守るとして。
「この部屋、どうしますかね」
スマホを取り出す。
『画像に残しても、つらい記憶が残るだけだ』
じゃあ、まずは綺麗に掃除しないと。
せめて。私を呼んでくれた人の思い描いた幸せの形を残しておかないと。
生者であってほしい。
死してなおさまようなんて、さみしすぎる。
物語を知れないなんて、聞けないだなんて、つらすぎる。
彼女の物語を残しておきたくて。私だけでも、せめて。ファイルにきちんと、残しておきたくて。
立沢理華は深夜に粛々と掃除を始めた。指輪の力も借りて、なるべく綺麗にしてから、明るくなるのを待って、撮影した。
犯人を捕まえる私のためではなく。
ともだちにできる精いっぱいの弔いをしたくて。
既に仲間に頼んで写真を手配してもらっている。
最後の彼女の姿が、犯人に穢され破壊された状態だなんてあんまりだ。
つづく!




