第千七百九十七話
あかんもの。
治らない傷。一生抱えていかなきゃいけない事実。
過去なんかがそうかな。やらかしたこと、しくじり、恥ずかしいこともそう。
なくせない。忘れたくても忘れられないこともある。
パトレイバーのマンガでも、実写版一話目でも、彼女に振られてマシンロボで大暴れする人を隊長がなだめるシーンがあった。そのときのなだめ方がけっこうひどい。
俺にはあいつしかいないんだー! あいつだけだったー! もう終わりだー! 暴れまくるこの俺を見てくれ、そして悔やむのだー! みたいな?
だけど、そんな風にはぜんぜんならないわけ。そんなこと、ぜんぜんないわけ。おばかな人のおばかな暴れっぷりがほんのささやかな記事になって、一瞬で忘れ去られてる間に、彼女は自由に自分の人生を謳歌するし、結婚するにしても、出産するにしても、あなたのことなんかぜーんぜん、みじーんも思い出すことなく、幸せーに過ごしていくわけ。
そんな風に世の中おさまっちゃうの。
馬鹿馬鹿しいと、思うだろ?
ニュアンスをお借りしていうと、だいたいこんな感じ。
最後の結びがいい味でてる。
なのでね?
大暴れしてもね? あかんことは、あかんまま残るのよ。
かっとなってやっちゃうのも、悔しくて、これでもかとやるのもね? あかんことはあかんままなのよ。それでだれかに迷惑かけようなんていうのがお門違いだし、馬鹿馬鹿しいじゃ済まなくなるからさ。やめよ? って話なんだけど。
あかん、とね。
なにをどんな風にしたところで、たーいがいのことは、世の中おさまっちゃう。いいほうにも、わるいほうにも、よくもわるくもね。
じゃあ?
まあ?
いいほうを目指すかな。
なんだけど、それってけっこう大変だ。
失恋ひとつで一生引きずっちゃうタイプの人もいる。学校でひどい体験をしてもそう。忘れられなくて、ああいやだなあ、つらいなあって感じたり、それじゃ済まないくらい感情がわーって加熱してわけがわからなくなるようなこと、起きがちだもの。
恋愛にしても、そう。脳が破壊されちまう……っ! みたいな出来事も、まあでも、昔からあるよね。きっと。
恋を腐す人もけっこう多い。ビッグバンセオリーのシェルドンのように、ホルモンの分泌と生物学的な発情を結びつけて語ってみせたり、それを社会の慣習や因習として捉えてみせたり、男性優位社会に結びつけてみせたり、かと思えばフィクションの主人公にとっての恋愛相手のお悩みを解決して恋心をゲットする報酬として描かれていると語気を荒げてみせたり。
いろいろ、パターンはあるけれど。
人と人との関係性の話としてみるなら? まー。太古の昔から人は苛まれ続けてるんじゃないのかな。人間関係ってやつにさ。手を替え品を替え、文化の発展によって変化しながらも、土台はさほど変わらないまま。だから根深くもなるし、いい加減なんかいいケアはありませんかねってうんざりしたりもするし?
風邪を引いたら、栄養があって消化にいい食べものを適度に食べて、おとなしーく寝てるのがいいみたいな? 病院いって風邪薬もらって、食後にお薬のんで、やっぱりきっちり寝てるのがいいみたいな。
そんな感じの手段はぽこぽこ増えてる。
あ。サゲたいんじゃないの。そういう手段があって、アクセスできて、実際に治るっていう見通しが立つ。これってすごく大事なことだからさ。
けどね。手段があるものばかりとは限らない。とてもじゃないけど間に合わないことが多くある。
傷ついたら治す。心に穴が空いたように感じるときには、他のなにかで埋める。病は治療できるべきだし、自分の思うように結果が出るべき!
いやいや、最後のは言い過ぎだって。そうそううまくはいかないよ? でも待って!? お金や権力があれば、なんとかなるんじゃね!? よぉし、いろいろあって、とうとうゲットしたぜ! さあお前ら、言うことを聞け! みたいな悪役が、そりゃあもう、やまほどいる。
そういう悪役を見るたびに思う。痛みから意識が逸れてるだけで、無意識での痛みは実際のところはそのまま放置されているだけだって。
傷も、穴も残るよ。穴は比喩だけど。
病にしたって、手を出せない状態っていうのが存在する。ドクターストレンジは現代医療でやれることすべてをやってもだめな指を治したくて、とうとうチベットにまで出かけてたっけ。私財のほとんどをなげうって、破産寸前でオカルト頼って山へ。
それくらいにね?
執着する。
固執する。
するというと意識の話のようだけど、実際には無意識ががっちり囚われてしまうもの。
自分の過去はいい例かもしれない。
消したくなるほど意識してしまう記憶。
いかにも囚われてしまいそう。
たとえば。
軽い気持ちの恋じゃなくて、とびきり愛着のある恋を失ったときとか。半身を失うと表現するけれど、恋でも愛でも失えば痛みを伴う。強く結びつくほど。あるいは、相手との関係性の一本槍での依存で、なんとかやってるときなんかも。後者はけっこう危うい。お悩み電話相談みたいなの、自治体でやってるケースがあるし、相談するといいまであるくらい。
関係性が続いていても、起きうる。お母さんにとってのお姉ちゃんの死産とか。事故に遭うとか。ふたりの気持ちが離れて、浮気や不倫になっていたら? それもやっぱり、ね。もっと新鮮な状態だとしても、相手の人生をもっと深く知る機会が一気に増えるケースもあるかもしれない。備えていても回避できないケースもあるかも。そういうときのトラブルもあり得るもの。
家族とのトラブルもそうだし? 円満でも大病を患うとね。たいへん。
それでもだれかと生きて、居るっていうのは、いいものだよ。
逆に言えばトラブルこわい、むりむりむり、石油王が相手じゃなきゃやだってときは、自分に余裕がなさそうだから、焦る必要もないのかもしれない。無理してやれって話でもないし、だれかに強制されるようなことでもない。その圧がいや、しんどいむり! ってなってるケースもありそう。
執着、固執。囚われるもの。だれかと一緒。じゃなきゃ、という言葉がつくとき、危うい。
さっき挙げた例だと? お前じゃなきゃ、とつく。言い換えれば「俺じゃなきゃだめ」という叫びにも見える。そう見るタイプの人の中には、容赦なく言うよね。「や。別れた時点で察しろ? そういうとこも無理なんだぞ?」って。
振られて自暴自棄になって暴れるところも「うわ無理」ってなるところ。実際には言われないまま、全力で距離を取られるのがオチだろうけど。
どっちが唯一無二! でも、二項対立にもっていくぞ! でもなくて、言葉や感情が暴れ出すときほど、私たちは自分の無意識に囚われてしまう。
そうして過去にうんうんうなされたり、親とかともだちとか好きになった人とか、それよりもうちょい遠くて先生とかバイト先の人とか会社の人とかとの関係性で「あああああ!」ってなったりする。わりと、たやすく。
貧すれば鈍するというけど、貧困は特に悪化させるための可燃物になる。なので囚われて行き場がなくなった感情のまま、生きるために、居るためにハードルがあがるまま、言動が過剰になりやすくなる。貧富の格差は、だから世界的に問題視されているとみている。
貧困層を中間層へ。
どんな人でも、どんな囚われに苦しんでいる人さえも中間層へ。
よくわかるし、賛成なんだけど、同時に途方もなく大変な課題だなあとも感じる。
あかんことだらけなわりに、弱ってしまったときのトラブルを連想すると? さらに弱い人たちを食い物にして、必死に縋って頭が回らない人をだます人たちまで浮かんじゃうんだから。まさに世も末。
そういうしんどささえ含めて、だけど一気呵成に変わることも変えることもできずに、世の中なんとなくおさまっちゃう。そんな気がしてくると、ますます世の中にうんざりしちゃう。
そんな深刻ささえ含めて、思っているよりもずっとよくある身近な話。
こりゃあもう!
歌いたくもなるよ?
なにをやってもあかんわ!
そうなのよ。
いまのところ、もうなにをやってもあかんことって、まだまだたくさんあるのよ。
傷は浅いうちに。対応箇所が広がらないうちに。
だから治すと意気込むほどに食らう「あかん」と知ったときのダメージが世の中にはやまほどあって、それで億劫になって遠ざかることもたくさんあるのよ。
それで「あかん!」のままでいることもある。
過去にうんうんうなって身動きが取れない人もそうだ。どんなに悩みを打ち明けたり愚痴ったりしても、逆に抱え込んで、ずーっと痛みにうなされていても、行くも帰るもままならない状況はある。人によっては、周囲の人たちじゃとてもじゃないけど対応しきれない過去であることもあるのだし。窓口が普及してるかっていうと、正直疑問。探せばすぐに見つかるものかな。公認心理士さんか、臨床心理士さんあたりを頼ればいいのかな?
あるいはね? 大病を抱えて、残りの時間を病院か、家か、どちらで過ごすのかを選んでいる人もいるみたい。病院でプロの仕事として行なわれて、しかも負担があることを、患者さんの家族がどこまでできるのか。亡くなっていく人本意となって、家族の人が参ってしまってなにもできなくなったり、関係性が破綻しちゃうんじゃ本末転倒で、チームを組んで、計画的にやっても間に合わないことがやまほどありそうで。でも、患者さんは救いも完治もない病院で過ごしたくなくて、早くうちに帰りたい気持ちがあふれて仕方ないケースもありそうだ。
正しさは枠組みによって規定される。なら、枠組みが噛みあわないとき、正しさは共存できない、しがたいケースだって往々にして存在する。
あかん! な状況だ。
なにがどうあかんのかな。
そこも読み間違えると、危ない。
自分を振った人に振り向いてもらうために、行動や決意を示しきれていないのがあかん! なので、俺は暴れるね! と振り切っちゃう人がいたら? ロボットに乗って大暴れなんてされた日には大変だ。
暴力は殴る蹴るだけじゃなくて、暴言なども含める。あかんけど、これしかないねん! と暴力を選択する状況を、どれだけなくせるか。そういう戦いに身を投じている人は、けっこう多いんじゃないかな。身近にむかっとくる人がいるけど、ぐっと堪えてる人とかね。
でもね。やってもあかんことはあかんままなのよね。
あかん状態がいやであかんことをしたら、別々のあかんことが増えてしまう。
理屈をこねるときなんかは、やってしまいがちだ。
あかんの上塗り。
なので、焦ったり、暴れたりしたくなるからこそ?
治らない傷、しんどい体験、悲しくて苦しい思い出には「あかんやつやん」とひとつ区切りをつけて「おう。つらかったなー! つらいことにあかんと気づけてえらい! ようやった!」と自分を褒めて、しんどい感情の源泉に挨拶をして、そっとハグしてなだめておく。
刑事ドラマのボッシュなら? 自分のあかんに気づいたらあいさつをして、なるべく早くに箱におさめて、現実のあかん事件なり、暴力に対処する。迅速に。たまに感情が暴れて強く出ることもある。心が荒れるような現場は多い。心が暴れる人と話すことも多い。だって、彼は殺人課の刑事だから。
あかん、だけじゃなく。ならん、もある。
永遠に生き続けることはできない。ならん。年を重ねれば皺が増える。ないことにはならん。表情筋を鍛えて、整形をする? だけど、生まれた以上は死ぬ。死して朽ちる。それを止める手? 冷凍保存的な? でも、それがずっと続けられる保証は? ないよ。
ロボットに乗って大暴れすれば、きっと彼女は気づいて後悔し、もしかすると戻ってきてくれたり?
そんなことには、ならん!
あかん! の中に、行動によって変化に関われるものもあれば、なんともならんまま変化していくものもある。ならんから、関わると悪化するだけのことだってある。
あかんとならんのさじ加減はけっこう微妙で、しかも基準があいまいだから、揉める。だれかの不幸は、別のだれかの利益になるかもしれない。現状、それを防げない。
防がなきゃだめ、という正義の味方が出てきたとして、それでしか生活できない人たちにとってはただただ厄介。迷惑まである。
清濁併せ呑むの濁として受け入れるべきじゃないものさえ含めて、世の中なんとなく続いてく。
ちょっとずつでもよくなるように、笑顔でいようとか、つらいときにはともだちに愚痴ろうとか、そういうスタンスもあればさ? SDGsみたいに「貧困をなくそう」からはじまる二○三○年までに達成を目指す十七の項目を掲げてみたり、日々の仕事で医療に携わっている人がいたりする。
それどころじゃなくて囚われた感情にうんうん立ち止まっている人も大勢いるし、タイムスリップできるのなら変えたいか、せめてやり直したい過去に囚われている人も大勢いるし。あまりにも具体的すぎる囚われあかんにやられていたけど、旅に出るノマドランドのノマドたちのような人もいる。
完璧じゃない。万全でもない。
あかんことがある。
なかには、なんともならん! ことがある。
なのに世界はなんとなくおさまっちゃって、続いていくの。
馬鹿馬鹿しいと思うだろ、だからもうやめようよ。それで止まれるかっていったらさ? 止まらないし止められないから、やるせないよね。
囚われてることが、別のだれかからみたらどうでもいいことだとしてもね。囚われちゃってるんだから、抜け出したくても無理なんだよね。無意識はがっつり、囚われの中にある。自分次第だとしても、意識するのが怖い間は難しい。
あかん。ならん。どちらもわかっていてなお囚われているときって、もうたまらん。
たまらん!
いままさに、そんな感じ。
だというのに、バラエティを見るばかりで女神さまはこれといった助言をくれない。
「なんで教えてくれないんです?」
「すごいすごい神さまが自分を育ててくれるはず。だから早く教えて。指示をだしてって?」
うんうんとうなずいてみせる。
ヘドバンするくらいの勢いだ。不満を訴えるためにも、力一杯。
おかげで軽くめまいがしました。
「あなたはちいさなちいさなこども。だから、んー」
頬に人差し指を当てて小首を傾げる。
か、かわいこぶっている……だと!?
「んー?」
「ふおっ」
もう片手で即座にアイアンクローをお見舞いしてくる。
そしてほっぺたに当たる指で圧をかけてくるのだ。もちもちを楽しもうとしやがって!
「幸せであれと願う。だから教えるよりも、あなたの成長を見ていたいかな」
頬に当てた指を下ろして、今度は両手でほっぺを挟んで、もちもちしてくるのだ。
エモくてよさげな言葉を言っておきながら! これが女神のやり方かぁ!
「まあね」
くうっ。アマテラスさまには思考が読まれてしまう!
それでも思わずにはいられない! ほっぺを揉まれたら、さらに育っちまう!
「好きにやっておいで。そして、帰っておいで」
もちもちが止まって、脇に手を当てられた。
すこし息んで私を持ちあげる。重たくなった? 私。
「あかん。ならん。たまらん。そういうこと、たくさんあるじゃない?」
「……うん」
「それでも、好きにやっておいで。そして、なにがあっても帰っておいで」
目線を合わせて、じっと見つめてくる。
「それから、さっきのみたまはくちゃいから、しまっておこうね?」
「台無し!」
「どうにかできないか、考えてみよう」
教えてくれない。一瞬、そう思ったけど、でも突き放すっていうんじゃない。
なんだろう。私がなにを感じ、どうしたいか考え、実際に行動して、どんな結果が出ようと、帰る場所でいつづけるから、好きにやってごらんと言われたみたいだった。
なんだか、あったかいお母さんがもうひとりできたような気分。
だけどね?
これだけは言わせて?
「具体的な手段を知らないだけなんじゃあ」
「おたまのもちもちーっ!」
突っ込んだ瞬間、両手の親指でほっぺをむにむにしてきやがった!
図星じゃないかあ! もう!
結局それからも、見るのはお笑いばかりなり。
お祭り男が探検隊を組織して、隊員に「おい、あれぇ!」とものを要求し、毎回ちがうものを渡されて即興でノリボケツッコミ? を連発するシーンがアマテラスさまのお気に入り。きゃっきゃとはしゃぐ。深くツボると畳をどんどんたたき出すけど、軽めのツボだとこどもみたいに笑うんだ。
イカゲームとかノマドランドとか、こう、すかっと笑える場面なかったもんなー。そういう作品じゃないし。
お祭り男の企画だと、わりとしょっちゅう見たよね。あかーん! って叫ぶ場面。
あれは好き。
歌のさ。何をやってもあかんわだと? もうね。なにやってもだめなのよ。あかんのよ?
そんなん言われるとさ? 歌にあるけど「いっそ一生ねたろかな」ってなるじゃん。
私の見た夢は、何重にもあかんが重なっていて困る。
それを回避するためにこれをなさいと教えて、強迫性を増すんじゃなくて。
いってらっしゃいと見送る親スタイルで、アマテラスさまは私を現世に戻した。
ぶっちゃけ、神さまっぽい場所も、神さまっぽい教え方も、なんにもない。むしろとことん、そういうのを控えているまである。お使いに出されてあいさつに伺った神さまたちみんな、のほほんと、現世ののんびり屋さんのように過ごしていた。
帰ることのできる、だいじょうぶだって抱き締めてくれる居場所としていてくれる。私が私で居ることができる場所として。
お母さんだってお父さんだって、そうしてくれてた。トウヤさえもだ。
もっと、自分と、自分の見る世界が味わい深くなるようになればいい。
それにはまだまだ、私の中にはあかんこと、ならんこと、たまらんことが多すぎる。
寝起きに身体を起こした。
ぷちたちがそばに集まって、まだ寝ていた。おへそを出してる子もいて、ひとりひとり衣服を整えて、最後にちゃんとタオルケットをかける。
それからやっと、伸びをした。
今日も大変そうだという、ファーストあかんに遭遇する。
その気持ちにあいさつを。だいじょうぶ。今日もやがて過ぎるよ。
あかん箱、ならん箱、たまらん箱を用意して、ひとまずそこに入ってもらおう。
それは解決しなくてもいいと、そう思えると意外と楽になれることもあるよ? ファーストあかんはそう。現段階では、そう。参ると無理みたい。赤ちゃんのお乳欲求って、三時間ごとみたいな記述をなにかで見た。それってとてつもない。そんなときの「今日も大変そう」って、えげつなさそう。母乳派だと特にやばい。眠れない。
離婚事由に「え、風邪ひいたの? じゃあ俺のご飯、簡単なものでいいよ」と旦那に言われた、みたいなのがあるそうだ。
いや。
そりゃそうだろ!
ってなるけども。
チームを結成して、赤ちゃんのすくすくミッションに挑むとして、ミッション期間は長い! うかつに見逃すと危険! しかも泣くときの声が、また!
こりゃ大変だよ。チーム人員を多くしても、それでもきついの目に見えてるよ?
なので、備えるあかんもあるとは思う。泣かなくなる、とはならん! のだし。なったらやばいし? 赤ちゃんに暴力を振るってませんかってなるか、はたまた赤ちゃん病気じゃありませんか? ってなるし。病院で相談を、なのだけども。
それは病院に行ける前提だしなあ。くどいけど、SDGsの十七項目で「貧困をなくそう」が最初にくるよなあ。質の高い教育も、ジェンダー平等も、福祉なども、みんながってところ、すごく大事だし、そう書くよなあ。
ままならない、あかんもたくさん。
未来を思うと? いまのあかんの先を思うと、多くのあかんに突き当たる。
両手で顔を拭う。思いきり伸びをして、大あくび!
アマテラスさまは一緒になにかをやったり、遊ぶ。けど、教師にはならない。追いつめられた私に教えたら、私はさらに自分を追いつめる指標を手に入れることになる。できればいい。けどできなかったとき、私が自分をどう思うのか。そして、アマテラスさまに、無意識にどう感じるのか。
むずかしいところだけどね。
一緒にやってみようかとか、お、いいね! やってみせて? というスタンスで付きあうという手もあるのだし。けど、アマテラスさまの対応を思い返すと、まだまだそれをするには私はこどもなのかもしれない。
実際、アマテラスさまのおそばにいくとき、ぷちサイズになっちゃうもの。あれじゃ、いかにもお子様だ。けど、それでいいのかも。
なにかできるから価値がある、じゃないもんね。
まず価値がある、からだもんね。そこを間違えないように再確認だ。
「――……」
深呼吸をして、それから改めてぷちたちに触れる。
お手々がちっちゃいんだ、みんな。私の霊力から生まれたとは思えないくらい、ぽかぽかとあたたかい。たくさんの鼓動を確かめたくなる。すげえなあと感じずにはいられない。
もしも私が赤ちゃんから連想していたら、この子たちは大きな声で泣いて私を何度も起こしたのかも。
まず価値がある。当たり前に。永遠不変のものとして。
けど、それを守るためには必要なことがやまほどあって、足りないこともあるし、足されることもあれば、減らされたり攻撃されたりすることもある。
あかん。
そのままは、あかん。けど、ままならなくて大暴れしても特になにかが大きく変わるわけでもなく、そういうことがあったという記事が出て、なぁんとなく日常は続いていっちゃう。
だからやめるっていうのは、極端。大暴れするのと同じくらいね。
そういうとき、解決を目指さず、いったんおいて、どういうことか知るべく寄り添うネガティヴ・ケイパビリティっていう手がある。
答えのでない事態に耐えるもの。
アマテラスさまがもしなにかを教えてくれていたとしたら、私は解決を目指してばく進し始める。再び。それじゃあこれまでの繰り返しになるだけだ。
あまりにむごくて悲惨な最期を遂げた幽霊のみなさんが、集まってきている。彼らはなにを求めている? 私に悪夢を見せること? ちがうよね。隔離世からの移動を。あの世へと送ってくれることを求めている。
アマテラスさまはなにも仰らなかったけど、お姉ちゃんに相談すれば、これは解決できそうな気がするよ? ただ、そうなると今度は悪夢の意味がわからなくなる。
答えなんて、ないのかもしれない。いまの私が求めたところで、なんにもでないかも。
そういうものを抱えて生きていく。
できるかなあ。
あかん! な、気がするなあ。
刑事ドラマのボッシュで、彼に惹かれるいくつかの理由のひとつにさ。彼は自分の未解決事件のファイルを保管し、自分のデスクに被害者の写真を置いている。名前を思い出しては、意識して思い出している。仕事で必要な情報ではなく、被害者たちは人間なのだと。決してそれを忘れないように、置いている。
仕事熱心とか、そういうんじゃなくてさ。
抱えて生きているんだなって。
シーズンが進んで、ボッシュに負けじとベテランの刑事がでてくる。彼はボッシュのデスクを見て「よくわかるよ」と言っていた。彼にもあるみたいだ。抱えているものが。
けれど、抱えて生きていく。
あかんもの。
治らない傷。一生抱えていかなきゃいけない事実。
過去なんかがそうかな。やらかしたこと、しくじり、恥ずかしいこともそう。
なくせない。忘れたくても忘れられないこともある。
だからせめて、自分にできることをやる。
ボッシュなら、そうする。
大勢の報われない非業の死が列を成しているように見るなら、気が狂いそうになる。
彼らにせめてできることがあるとしたら、お姉ちゃんに相談して、あの世に送るくらい。それも、ひょっとするとむずかしいかもしれない。あっさりいいよって言われるかもしれない。
いずれにせよ、できるかぎりのことをする。
ボッシュは刑事。彼は捜査する。そういう仕事をよりどころとし、プライドとするし、揺らがされたり、上級職の政治によってめちゃくちゃにされそうになったら全力で抵抗する。ままならず、不甲斐なさに、せめてハリウッドの夜景を慰めにすることも多い。
私は?
ボッシュは刑事として、そのあり方によってなんとか、ネガティヴ・ケイパビリティを維持していた。それが間に合わないとき、彼は多くの人たちと同様に長く苦しみ、嘆き、悲しんでいた。
お母さんも、ソウイチさんたちも、思い浮かぶ顔は概ね、みんななんとか、今日を過ごしていたよ?
じゃあ、私は?
もう何をやってもあかんわ、なのかな。
それとも、そんなに焦ってあかんという形に完成させないで、もっとよくしていく?
好きなのは、どっち?
つづく!




