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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百九十五話

 



 夢見にアマテラスさまにお迎えされて、今夜も鑑賞会。

 未来のMVはかなりハマった。個人的には「なにをやってもあかんわ」がかなりツボ。同じ歌手だと「MV」あたりも好きだけど、もっとビビッときた。

 お叱りでもお説教でもなければ、和尚さんとか、なんなら神さまとかにお使いに行かされるのかと思っていた。ただ、醜態を晒すという意味ではこのところずっとだめな私だ!

 だけどアマテラスさまの態度は変わらなかった。

 なので、のんびり眺めて実感。

 あーもー! なにをやっても! あかん!

 あかんときは? あかん!

 あかんもんは? あかん!

 それで「ふうっ!」とリラックスしちゃえればいいんだけどね。

 ついつい自分を責めちゃうんだ。

 あかんのは? 私のせい! とか、あいつのせい! とか、ああいう仕組みだの環境だののせい! とか。責める矛先は事欠かない。無限に責められる。

 そういうのはくたびれちゃう!

 だから、自動で切りかえて「責めなきゃ!」ってなる前にね?

 一時停止!

 思いっきり! 叫んじゃおう。

 あかん!

 ほんともう、そういうことだらけだ。

 あかん!

 だから吐きだしちゃおう。素直になって、思いきり言っちゃおう。

 あかん!

 あかんオンパレードだよ。

 ふたりでセンスを広げて踊り狂った。途中で、お屋敷で働くみなさんが「あ、あのう。もうすこしお静かにしていただけません?」と申し訳なさそうに言ってくるくらい、ふたりではしゃぎ倒した。

 でね? 今回も映画を観た。

 ノマドランド。

 ノマド。シンプルに訳すのなら遊牧民、流浪者。

 遊動民と定住者の間にあるような感覚が近いかも。

 旅をする。車を改造して、衣食住ができるようにする。キャンピングカーを連想する人もいるかもしれないけど、あの車は燃費が悪い。定住せず、かといって遊動民とちがって社会と接している。完全には切り離されないし、切り離さない。

 お金を稼ぎ、食糧を買い、車のメンテ費用だの突発的な医療費用だのを稼がないと、生活がままならない。自然には恵みがやまほどあって、好きに取り放題というわけではないからね。そこが遊動民とちがうところ。

 さも遊動民がいいかのように語ったけど、そんなことない。高度な医療もおいしい料理屋もないからね。遊動民時代の過去よりも退屈が増えたぶん、退屈を癒やす遊びも娯楽も増えた。それにスマホも通信機もないんじゃ、いざってときの怪我は致命的。サバンナで足を怪我した獣の末路のように。

 いっちゃえばノマドは定住者と遊動民のいいとこ取りであり、悪いとこ取りでもあるスタイル。いいとこも悪いとこもあるのは、定住も遊動も一緒かな。悪いというと心の防御が発動しちゃいそうだ。言い換えるとしたら、変えたらよくなりそうな課題かも。

 その課題とは、なんだろう。

 たとえば、国籍。

 EU圏内の出身なら、国境を越えた移動はアジア圏の国籍の人より楽なんじゃない? 国籍という点でいえば、アメリカでノマドスタイルで生きたいのなら、アメリカ国籍があるのがいい。違法滞在はアウト。長い長い滞在ビザがゲットできるのなら、まだしも。果てなきノマドスタイルを実現したいのなら? 国籍はハードルになる。

 日本で違法滞在をした場合の対応があまりに前時代的で懲罰的だって問題があるよ? アメリカの大統領が露骨にえげつない対応を煽動してるよ? そして詐欺みたいな手口で、滞在者の家に入り込み、連れ出す特別警察みたいな組織もできて、かなりの社会問題になってるよ?

 安易に比較するべき話ではない。

 ただ、ある程度の治安が保たれている場所で、ノマドスタイルで滞在できる国に国籍を持つ。それが課題になることは、あるよ?

 加えて移動先で職に困らないほどいい。日雇いでも、一定の期間の契約でも、どちらでも。現金を稼ぐ手段が確保できるといいね。車に医療、どちらも保険に入っていれば負担が軽減できるとして、保険の費用があまりに高額だったり、あるいは住所を必要とするのなら?

 住まいもなにもかもを手放して車で旅をするとき、働けなくなる。保険に入れない。あるいは入っても、入り続けてはいられない。

 だからかもしれない。

 映画でノマドスタイルで生活をし始める主人公が出会う人たちも、また劇中で彼らがどんな人々かを語る人も、みな「多くは高齢者だ」という。死した人を弔うべく、火を囲んで死者への言葉を贈る場面も流れるし? 大病を患いながらもカリフォルニアを目指す人が、終末期に自分で死ぬための手段を調べ、いざとなったら実行する予定だと主人公に語る。

 病の治療には高いお金がかかる。

 その高額費用はすべて、安静に、健やかに逝けるための費用になり、願いが叶うように思える。または、そうあるべきなのだと。

 けれど病の痛みを和らげ、落ちつくべく高額の治療費を捻出しなければならず、病を押して稼がなきゃいけないという無茶な状況に陥る人も決して少なくない。

 日本の医療保険制度がすごいのであって、それがない場合の民間保険会社と契約できない分厚い層で暮らす世界の大勢の人たちは、大いに悩まされている。

 ブレイキングバッドの主人公、ホワイト先生がまさにそれ。

 求めるのは、なんだろうね? 国民皆保険制度かな。これを採用しているのは日本だけじゃないよ? もちろんね! 日本よりやっすい国もあるし、いろいろだ。財源のために税金が利用されている国もある。スウェーデンあたりが、たしかそれ。なにかと税金がかかって高いけど、医療負担はほとんどなし、老後の生活はぜったい安心、生活に困ることもなければ勉強もいくつになってもしやすいし、学校もだれでも通えて、勉強をちゃんと習得して進級していく、みたいなの。礼賛しすぎ? 情報源はどこか? 悪いとこはないのか? それは各自で調べてもらうとして。

 ただね。アメリカではまだまだ高額な医療費が目立つし、民間保険会社の料金がえらく高い話題は、いろんな作品で話題に出てくる。

 ノマドランドはアメリカの話。だから医療とか、終末期とかに向けた感覚っていうのがあるんだろうね。

 けど、なにもノマドは高齢者だけじゃない。

 若い子もいるよ。けっこういるよ? 年齢層は幅広いよ。

 ピアノおじちゃんとか、ギターお兄ちゃんとかの歌がすごくいい。場末で人生をしみじみと歌う凄腕たちの魂のジョークって感じでさ。味わいがある。

 だからかな。

 ついつい引き込まれて見ちゃった。

 だれもがなにかしら、傷を抱えて生きている。

 それをなかったことにしたり、問題なくするために自分より弱いだれかを食い物にしたり。そういうライフスタイルを定住している人たちに重ねてみる。けれど、それって自分の心の中に湧き上がる感覚だ。そこにいると、自分はなにか大事なものを、だめにしちゃうんじゃないかっていう、本能的な危機感みたいなものがある。焦燥感かもしれないし、うんざり感かもしれない。

 抜け出したい。どうにかして。

 そういう思いで飛び出して、出会い、別れていく。

 ポリバケツを使ってトイレをするし、自然の川へと全裸でダイブ! 泳いでリラックスしたり。日雇いで工事現場や採掘場の仕事をする日もあれば、どえらい規模の国立公園で清掃員として働く日もある。配送で世界を席巻する世界的大企業の配送センターでせっせとバイトをすることもあるし? やがて車が壊れて、型遅れのポンコツ車扱いされて、数千ドルの領収書を渡されて、提案される。こんなの使い続けるより、新車のほうが安いよ? って。、

 いいことばかりじゃないし、悪いことばかりでもない。

 ケンカする日もあれば、物がなくなったり、壊れたりすることもある。

 だれかと再会して、だれかが死んだことを聞いて、別れ続けていく。渡り鳥よりはもっとラフな感覚で次の土地へと移り? その繰り返し。

 仲良くなって、不意に心を開いて聞くことになる、癒やす手段の浮かばない傷。引きずり続ける過去。

 なんてことない。社会は「そんなのいいからやれ」と求めるし、社会に生きようとするほど自分に言い聞かせるけれど、だれもかれもがそのまま生きるわけじゃない。

 だから、旅は、ノマドは、場合によってはアディクションめいている。仕事や定住と同じ意味合いで「やめたい。けれど、やめられない」なにかになってしまう気がする。

 訂正をしよう。

 アディクションというよりも、なんていうか。医学の世界ではなく、そこで活用される用語としてではなく、もっと私の思いつきに過ぎないくらいの種として。

 意味を訂正しよう。

 自分が自分でいるための術だ。

 まずね? アディクションに対して「付きあう」というアプローチがある。和らげていくアプローチとも言える。たとえば、やめるやめると圧をかけるのではなく、徐々に徐々に、やめられないなにかへの依存を他のものへと分散させていく。

 自分が自分でいるための術。それが攻撃されたり、損なわれたり、連続性を欠いて乱れたりすると? とてもじゃないけれど、自分を保てなくなる。

 唯一の依存先として、暴力を振るうだれかに依存し、やめたくてもやめられない状態に陥ると? 周囲からみたら「暴力を振るう人に依存するなんて!」と信じられないくらい、やばい状況に見えても、当事者にとって必要不可欠だと感じたとき、これに介入するのは容易なことじゃない。また、ふたりが離れた後、依存していた人の精神的な安定を、他の多くに分散させながら糸を伸ばしていけるか、依存先を増やしていけるかっていうと? 素人の私からみたら、ハードルが高い。だれかに暴力を振るうことに依存している人が相手でも、そう。

 一見して「やめればええやん」ということも、ね? そういかないだけのなにかがある。

 ケアの書籍を読んでいるとさ? さらにその先まで見通しつつ、手前でできることを増やしつつ、湧き上がる自分の感情と付きあいつつ、仕事をするのかなーと妄想しちゃう。

 ケアってなんだろうという書籍の帯から引用したよね。前に。


『ケア現場では「やさしくあれ」という規範あるいは倫理が幅を利かせている』

『スタッフがケアに困り果てて中枢のスタッフに相談にいき、「受容しなさい」と言われ、なにか釈然としない表情で現場に戻ってくる』

『たしかに「受容」という言葉は、ケアのすべてを言い表している』

『しかし、すべてを言い表す言葉は、何も言っていないのと同じである』


 さっきカナタが繋げてくれて出くわした、私の元に殺到していた幽霊さんたち。

 彼らへの私の対応がまずかったとして。仮にアマテラスさまに相談するとして。

 こう言われたら?


『受容しなさい』

『いいですか? あなたが私の元で修行するのなら、やさしくありなさい』


 ――……で!? 具体的にはどうすれば!?

 ってなるし。ざわつく私の心はだれが受容してくれて、いったいだれが私に優しくあってくれるの!? ってなりそう。めげればめげるほどね。

 たとえば理想的な答えとして「やさしくあれ」と「受容しなさい」という言葉があるのなら? それを受け入れるのなら、うまくできない私に問題があることに。どうやってケアをすればいいのか途方に暮れるような状況を何度体験しようとも「受容しなさい」とか「やさしくね」とか言われても、困る。

 現場じゃ具体的なシチュエーションに応じて、具体的なアクションがいくつも提示されていそうだけど、私はどちらも知らず、ふわふわっとした話しかできない。

 具体的に話せるとしたら?

 さっきの状況くらい。

 けど、でも、わからない。

 彼らの悲しみも、喪失感も。受けた暴力も、それによって心身に残る傷も。

 私には、どうしたらいいのか、わからない。

 アダムに対しても、教授に対しても。

 ちっとも。さっぱり。

 遺影を前に喪失感に途方に暮れてるお母さんにも。

 痛みや喪失感。悲しみ。

 それを癒やす術は絶対にあるから、見つけられていない私がだめ。頼ってくる幽霊さんたちの要求に応えられるべきだから、それができない私はだめ!

 その繰り返しじゃ、痛みも喪失感も増え続ける。悲しくてたまらなくなる。

 そこから抜け出す術を。答えを。だれでも使える冴えた手段を! さあ。さあ! さああ! と、強く私に圧をかける?

 それで迷走して、だいぶ混乱しまくって、それでも本を読んだりあれこれして、すっかりパンクしているのは――……どこのどいつだい?

 私だよ!

 あかん。

 お母さんが録画してためてるお笑い番組に出てるSMの女王様コスの芸人さんのものまねしてる場合じゃないんだよ。

 あかんけど、でも、そんなことを繰り返している。

 すっかり削れて、自分さえ見失って、ノマドランドの主人公は旅に出た。

 結婚指輪ってさ。

 ずーっと、外さずにいるとね? 外れなくなる。

 指が太くなったり。リングが歪んだり。いろいろ理由があるけどね。

 呪われた装備みたいになる。おまけにリングは手入れをしないと、劣化していく。

 結婚したときは輝いていたリングも、年を重ねてくすんでいく。

 主人公は旦那さんに先立たれている。そして、外れなくなった指輪を嵌めている。

 たぶん終末期に向かうとき、不自由が増えて、痛みも増すとき、それに伴走するのは並大抵のことじゃない。アメリカで、自費治療だったら? 想像を絶することになりそうだ。そこまでの事情がどんなかはわからないけどさ。

 あらゆる感情が沸き立つ中で、苦しんでいる旦那さんがいて、自分に操作できる鎮痛剤の点滴が目の前にあったら、どうするのだろう。

 生きていれば、いろんなできごとが起きる。

 意識高い言葉だの、弱かったり、だめだったり、利益に繋がらなきゃ捨ててしまうような環境だのから押し出されるのみならず、もう二度と戻れない、戻りたくなくなるようなできごとだって。もちろん、含まれる。

 そういう人たちが集まり、またねと別れて、やがてまた出会う。その繰り返し。

 ライフスタイルとしての、ノマド。彼らが集まる場所。

 次に向かうため、これからも生き続けるための、ささやかな元気と幸せを作り、ゆっくりと分散させていく。自分が自分でいるための思い出を増やして、自分が自分でいられなくなるようなつらくて拭い去りようのない思い出よりも、多くしていく。繋げていく。

 いつか定住する日に戻るだろうか。

 わからない。

 ただね?

 あかん!

 そのひとことが、異様にしんどかったり、異様にむずかしいとき、ある。

 言ってもしかたない。砂漠で迷子になって、手段もなにも知らなくて、取り残されたような気分になったときには? 絶望ばかり、し続ける。

 だから火星の人のワトニーに憧れる。火星にぼっちだもの。絶望的にもほどがある。あかんことだらけ。外に出たら? 死ぬ。ハブに穴が空いたら? やっぱり死ぬ。食糧が尽きても水が尽きても死ぬし、通信ができなくて孤独に参って死ぬかもしれないし? 絶望まみれだ。

 あかんことまみれ。

 その先に向かうために、なんていうのは理想論だーとか、いやいや行かなきゃはじまらないでしょーとか、そういう言葉を歯車にして、自分に噛みあうとは限らない。だれかに噛みあうかどうかも、もちろんそう。

 なので。

 先はいったんさておいて。

 あかーん!

 っていう段階を、もうね。思いっきりやっちゃうのだ。

 それが、まず、すごく大変。

 悲しくてもつらくても、悔しくても起こっていても、それらの感情が湧き続けるくらいの喪失感に苛まれているときでもね?

 それ自体をいますぐどうにかして、っていうんじゃないの。

 あかん、でいいよ。

 まず、あかんでいいんだよ。

 だれかに責められるのでも、だれかを責めるのでもなくね?

 お空に向かって、思いきり「こりゃだめだわー!」って、がははと笑い飛ばしちゃう方向性に向かっての、あかんだよ?

 それができないときは休んじゃえ、と前なら言ってた。けど休んでも「んんん! あかん!」って落ちつかないこともあるかもしれないね?

 むしろ、あかんことに出くわすばかりかも?

 あり得る……っ!

 一見するとノマドランドの主人公は、それとなく、なんとかやってるように見える。けど、節々に見える。はしゃいでいるからこそ、その先に。久しぶりに家族の元に戻ったときこそ、これまでに。あたたかい家族の元で、住みやすい家を用意して待ってくれていた、自分に片思いしてくれている人と過ごす、その時間に。

 あかん、なにかが見える。

 あかんは根深いよ? けど、案外シンプルかも。わかんないよ?

 ただ、自分が自分の思うように過ごすための時間が主人公にはめちゃめちゃに必要で、それがノマドなスタイルとがっつり噛みあっているように見えた。

 彼女はいろんな引き留めにあう。それは別の映画なら、盛大な音楽やロマンチックな歌、ハッピー脚色バリバリの展開で誘導され、描かれがちな誘いの手。ひとつじゃない。いくつもね。

 けど、彼女は旅を続ける。

 これまでの時間、何十年分か。旦那さんと過ごした間、旦那さんの最期に彼女が抱えたもの。現実的な物質は捨てたり売ったりできるけど、心はなかなかそうもいかないから。

 ゆーっくりと。自分が自分でいるための手段として、彼女は旅を続ける。

 私はそう見た。

 そして、そんな許しや救いがあるのかーとも思えた。

 無自覚に。たぶん、かなり無慈悲に、お母さんに願っちゃう。お姉ちゃんを失ったとして、私と過ごすその時間に、許しや救いがあったならと。

 あかん!

 それはお母さんの心の話。私が勝手に決めることじゃない話。

 じゃあ、この不安はなんだろう。お母さんの痛みや悲しみを思うと、その喪失感を思うと、途方に暮れてしまう、この感覚は。

 中学時代。あの三年間に対する喪失感は? 私にあって、キラリにも結ちゃんにもあったであろう喪失感は。

 早くなんとかしなきゃ。そうやって追い込むことばかりしてきた。

 そうじゃないぞと言い聞かせる機会が、ぷちたちと過ごすほど増えてきた。如実に。

 もうそろそろ、言っちゃってもいいんじゃない?

 オチてないもの。なにかがうまくやってくれないかと、まだまだどこかでねだってるよ?

 そういうの、一旦やめて、みんなと糸を増やして、繋げていくっていうならさ?

 大事だ。

 じっくり見入っちゃった映画の感想をアマテラスさまと言いあう。

 基本的には聞き役になってくれるばかり。ひ孫を見るかのような目つき? するよ。けっこう。なので、ほんとはこっそり「あれしてくれないかな、これ教えてくれないかな」とねだる気まんまんで、下心満載だったけど、そういうのもぜぇんぶ捨てて、白状することにした。


「アマテラスさまに聞いてほしいことがあるんです」

「なあに?」


 ぷちさいずの私をお膝にのせて、スタッフロールを見守る女神さま。

 彼女にも見えるように、私は胸から御珠を取りだした。密封できるシートを何枚か使って、匂いがぜったい漏れないようにして。


「あのう。おたまのみたまがだめになっちゃいまして」

「たまたまっ! おたまのみたま!」


 ぶふぉ、と。

 盛大に吹きだされました。

 ばしばしと畳を叩かれました。

 待って。えっらいゲラじゃない!? ねえ。笑いのツボが浅すぎない!?


「はあっ! はあっ! 鼻水でた、やば、エモい映画のあとに、まさかのたまたまっ!」


 あかん! 女神がたまたまネタで爆笑してる!

 ああでも、やっとわかった。

 私ときたら、修行の面倒を見てくれる女神さまからして、こんなんだもの!

 なにをやってもあかんわ! こりゃあだめだ!




 つづく!

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