第千七百九十三話
強烈な暴力と死の夢見は続いた。
つまるところ、私は何度か寝たのだ。あのあとも。
シャワーを浴びて、着替えをして、ぷちたちの元に戻る。
起きたときに「あれ? いない」という、あの寂しさが苦手で。
ぷちたちは全然気にしないかも。そもそも苦手さを感じているのは私なのだから。
なので、へんにねじれた考え方するくらいなら、最初から「そばにいたくて」でいいやと切りかえて、一緒に寝転がる。
あ。
念のため。
布団を汚すほどじゃないからね!? なにがとは言わないけどさ!
で、みんなのすやすや寝息と体温を感じていたら、そりゃあ眠くもなるというもの。
こんなことを言っちゃうと元も子もないのだけど。
夢に見た状況とは別にしても、いまもある。親と一緒じゃない、一緒だけどろくでもない、強盗でもなんでもしないと生きていけない、そんな状況は、いまもある。
生活や生存に必要なものを持っていて、暴力を辞さない相手と一緒に過ごさなければならない状況下もまた、ある。
細かく限定していけばいくほど、分かれていくけどね。
この状況下では、これが答えで終わり! はい終了! と言える人は、それで済ませられる。
そうじゃなければ?
そして、そうじゃないことだらけだ。
そのままならなさとどう付きあうのか。とどのつまり、そこが問題だし、未来だ。
立ち止まり終わらせる者の先にはない。
そうは言っても、ねえ?
夕方になってぷちたちに起こされる頃には、すっかり汗を掻いていた。漏れなく死で終わる悪夢は、手を変え品を変えて私をビビらせる。ちびるくらいじゃ済まないショックは、予想することで緩和を試みた。無理かな? 無理だ。
中学生くらいかなー。小学生のときにはもう、だったかな?
世の中って思ったよりもろくでもなくて、ひどいことも起きている。それはどうあるべきか。対応できる力も資源も限りがある。優先順位が必要なのか。くだらないことは捨てるべきか。
あれや、これや。
アニメでも映画でもよくみるやつだ。
なんなら安っぽく感じるくらい、ありふれている。
それと同じで、安っぽい悩みのようにさえ思えるし?
この手のたぐいの話題で茹だってみえるくらいに顔を真っ赤にして怒ったり叫んだりして、主張する人がいたら? どうかしてる! とさえ思う。
できるかなー?
それって自分の役割じゃなくない?
国境なき医師団、NGO団体、草の根活動。イデオロギーと切り離しきれないし、ライフスタイルと直結しているようにさえ感じる行動をする? 大金を稼ぐことはできないだろう。
お金を稼ぐ。お金を生む。価値を創り出す。それが素晴らしくて、優れている振る舞いだ。逆算すれば、つまるところ、現代で困窮している人を助けるヒーローってやつには価値がない。あるいは私たちが喜び勇んで価値を投げることはない。なんなら、募金や寄付は、正しく運用されるかどうかが謎。それについてあれこれ言う人がいて、彼らの言うことがあっているかどうかも本当のところ、負けじと謎。
そこまで考えて、小学生だか中学生だかの私は思うわけ。
作品の中にヒーローを留めておきたい。世の中の大勢が、大半が、あるいはお金の回る社会が、そうジャッジしてる。あーあ、世の中なんて! ってね。
ところで、当時の私に伝えることはやまほどある。
だいたいは、次の意見に集約される。
当たり前だと思っている前提を、そんなに完璧だの万能だのと捉えて切り捨てるのをやめて、ひとつひとつ学んでみたら? 腐して「QED!」と叫んで終わらせて、退屈さを増やして、苛立ちながら「だから諦めろよ!」なんて思う前にね。
そうしたくなるくらい、うんざりすることは多い。それはわかる。
私の見た悪夢が過去に実際に起きたことだとしても、だれかの創作なのだとしても、ろくでもない。いずれにせよ「だれか助けてやってくれ!」って思うし。彼らは彼らで神に祈ったか、あるいは神を怨んだかもしれない。それか、具体的なだれかか、あるいは仕組みかな。
ただ、間に合わない。だってもう、最後を迎えている。
でも、現実は?
まだ、なにかできるかもしれない。じゃあ、やらなきゃ! さあ、いますぐ外へ!
なんていうんじゃ間に合わないっていうことも、やっぱり、小学校や中学校時代に気づく。
ひとりにできることなんて、たかが知れてる。
そうさ! これこそ完璧な「QED!」ってやつなのでは?
なんて具合になって、足踏みする。すると、どうなるの?
だから「QED!」なんだってば! と叫んで終わらせようとするけど、退屈さは増える一方だし、ろくでもないことだってノータッチなんだから悪化するばかりだし? ああもう煩わせないでくれとぷりぷり苛立つ。いいから! 早く! 諦めちゃえよ! じゃないと、なにもしないことが悪いことになっちゃうだろ! っていう、最後の一文は余計だとしても。
なので、ここまでは?
よくある流れ。
足踏みをするまでの道のりとして、ね。
去年の私だったら、夢に見た子たちを助けようとしたのかもしれない。
姫ちゃんと繋がる、鍵の力を使って。
そのほうがね?
ずっとわかりやすい。
ちがう?
そうじゃない?
せっきょうくさーいこと、だらだらだらだら、日記にしたら何冊分もこさえて「ああでも現実問題、どうするの?」とぐだぐだぐだぐだ考えるよりも、ずーっとすっきりしそうだ。
けど。でも。
それで?
その先は?
憧れの大活躍をして、仮初めの一時的な対処ばかり繰り返して、それで?
いくつになっても、その繰り返し?
ぷちたちがいるのに? 仕事があって、高校生活もやがては終わり、年を重ねて、大人になって、どんどん年を重ねていって。
それで? 二十歳になっても三十歳になっても四十歳になっても五十歳になっても、ずーっと続けるの?
ひとりにできることはささやかで、だけどすごい力を宿して大活躍! ひとりにしてはいいことやって、すごいことをやっているように見えて?
それで?
世界は変わらない。
わーお。これはこれで、こじらせてんねえ……っ!
でもなー。
実際問題、これじゃモチベは沸かないぞ?
いやいや、仕事や労働ってのはそういう繰り返しを延々と続けるようなもの。場合によっては、それこそずっとだ。
ボッシュにしても、NCISにしても、SUITSにしても! 結局は、ずーっと繰り返す。
クリミナル・マインドに至っては?
貧困やろくでもない体験から、最低最悪な結果に向かう。暴力が連鎖して、怪物みたいな犯人になっていたり、衝動的に犯行に及ぶくらい追いつめられていたりする。
医療ドラマもなかなかえぐい。
ずっとずっと繰り返す。ヒットしたら? それこそ何年も、十何年も続いちゃうかも?
作中ではうんざりするような事件だの、患者さんだのが運び込まれてくる。
繰り返しだ。ずっと。
どれほどスペシャルなチームでも、現実に根ざした舞台でも、あるいは専門的な技術を習得した人でも、世界まるごとは変えられない。
私の思いつくことは既にだれかが思いついていて、先に向かっている人たちの思いつかないことはだいたい私には思いつけるたぐいのことじゃない。いわば「素人はだまっとれ」状態だ。もちろんそれで終わりじゃほんとしょうもないから? 学ぶし、実験をするし、分析もする。
ろくでもないできなさ加減にうんざりして、モチベを見失うか、無理にモチベを出そうとする。空回りに陥る。学べども試せども、同じストレスの繰り返し。参ってきて、構えが崩れる。乱れていく。
空回っている。私は。
突破口はない。
ひとりめは? ふたりめは。悪夢に見た人たちが体験したことは。
能力があれば、お金があれば? 救いがあれば。いいや、もうそんなの間に合わない! 関われる相手は限られてる! なら? いっそ全宇宙の半分の命を指ぱっちんで消しちゃえ! っていうのがサノスで。地球に隕石を落とすのがシャア。
思考の偏りみたいに見える。すくなくともいまの私はかなり、おかしい。
そんな状態に陥っているときほど「自分の身の回りのことをなさい」という言葉が響く。
それじゃだめだと世界に飛び出して、できるかぎりのことをしている人たちがいる。応援こそすれ、邪魔なんて。で、その先は? ない。なんにもない。考えが及ばない。
ぷちたちに引っ張られて、一階へ。
お母さんと晩ご飯の準備をと思ったら、調子が悪いみたいで私ひとりでやることに。
食材はあるから、あとは手を動かす。献立を考えるのが無理っていう日があって、そういうときはキッチンに立つことさえ無理。幸いにして、今日は料理ができる日だ。
あんな夢を見ておいて。
「――……」
唇を結んで、鼻で息をする。
出汁パックを多めに入れたお汁に赤味噌を溶く。すでに木綿豆腐と乾燥ワカメを入れてある。面倒なときはそのまま入れちゃう。戻してから入れる人もいるだろうけど、正直あまり変わらないから。
野菜を入れておけば、甘い香りが漂ったはずだ。
ジャガイモが好き。ホクホクで。けど、ぷちたちの中には、噛むと余計に熱がぶわっと口の中に広がって熱いのが無理な子がいる。小さくしたんじゃね。物足りないから、やめておく。元気があるときは、ジャガイモは切ったうえで電子レンジでほくほくにしてから、冷ましておく。潰して団子にして、冷ましてから入れるのもいい。
手間はそれだけ愛情だ、という人がいる。けど、だから手間が必要だと無邪気に言えるのは、毎日の食卓を作ったことがない人か、作れて余裕のある人くらいじゃないかな。食べるものを用意するべくキッチンに立つすべての人が、料理を好きとは限らない。仕方なく、やっている。ほかに用意する人がいないから。いてもろくなことにならないか、余計に気持ちが疲れちゃうからやる。そういうケースもやまほどあるんじゃないかな。
お。
なんだぁ?
またお説教か?
そんなのやめて、お味噌の香りを嗅ごうよ。
お出汁とお味噌、ほんとにいいものだよ?
お玉ですこしすくって、鼻のそばへ。やっぱり好きな匂い。
赤味噌はけっこう好き。しょっぱいのがいい。白味噌は甘いのがいい。
あわせて作るお味噌もいい。最初からあわせたお味噌を買うよりも調整できて楽しめる。
けど、そういう遊びもしょっちゅうできる元気があるわけじゃない。
「――……」
目の前のことをする。
やっと、なんとか、やっている。ただ、それだけ。
そうして毎日を過ごす。それさえ難しくさせる刺激に怒鳴り散らす。これで終わり! 煩わせないで!
救いや助けを求めてくる登場人物を追い返す人がいてさ? 映画で見るたび、いやだった。昔は。でももう、わかっちゃった。手を差し伸べ、迎えいれる勇気にかける元気なんか、余裕なんか、欠片もない状況って、実はけっこうありふれてるんだって。
これはこれで。でも、こじらせてるだけだ。
そういう場合もあるだろうけど。
私はどうなのさ、とか。言えるし。
自分の尻尾を必死に追いかけて、ぐるぐる回っている。
それがいやでさ? いい人やめますなんてヒーローもいるよね。最初のスパイダーマンって、それをすると決まってだれかがひどく傷ついてなかった? 育ての親のベンおじさんは代表例。
親とケンカして、ささやかな復讐をするみたいに、イライラをぶつけてみたりして。
どんどん、なんとかやっている居場所が窮屈になっていく。
「数が多いなあ」
ぶつぶつ愚痴りながらも、包丁で鶏の手羽肉に切り込みを入れて開く。骨との接地面が減るほど、お肉に火が入りやすくなる。あと、食べやすくもなる。
大量だ。包丁の手入れを欠かすと刃が通りにくくなって困る。キッチンばさみを使うのもいいみたいだけど、私はまだ鶏肉で試したことがない。
切っていない胸肉やもも肉を買うくらいなら、最初からカット済みのものを買っちゃう。
これらは黒酢と蜂蜜を主軸に煮詰める。甘酸っぱい鶏肉煮込み。摘まんでばくっと食べられるのがいい。ぷちたちはしょっぱい唐揚げのほうが好み。
たぶん、文句を言う。
食べだしたら、けっこう食べちゃうことも知っている。
「――……」
やっぱり食べやすいほうがいい。
ぱくぱく食が進んで、なんか心が嬉しくなるようなのがいい。
原題「Burnt」の映画が好きだ。トラブルまみれのシェフが復帰、三ツ星獲得に固執する。執着しまくる。おかげで復帰してからもトラブル続き。揉めごとまみれ。常にだれかに怒鳴ってる。
やなヤツだ。
いいとこもある。
けど、怒鳴りまくる情緒不安定なダース・ベイダーやサノスのそばで仕事はしたくない。料理がきらいになるのが目に見えているようだもの。
いいとこに触れられれば? そりゃあ、いいとこもあるからさ。魅力的だ。
彼は料理をセックスに例えてた。官能を語る。やめて、そういうのは。彼が語ったとき、思わず「うえ」って顔をする相手と同じ顔になる。
ただコミュニケーションとして、その手段として捉えるように変わっていく。
穏やかに。和やかに。だけど、心を込めて。
気を配り、できる限りのことをする。
食べる側は敏感に察する。
怒鳴り散らす美食家やあら探しをしてPVを稼ぐ評論家が相手じゃないし、評価をつけにくるだれかが相手でもない。
料理を食べにきた人に振る舞う。
だから料理に、食べにきた人は感じとる。
私にとってはプレッシャーだ。ぷちたちは本音でぶん殴ってくるから。
実際、食べるだけだと、容赦なくあれこれ言う。作る苦労も知らないで、とぷんぷん怒る人もいる。
フードトラックで親子の絆を深める、あたたかくて笑えてほっこりする原題「Chef」でも、監督・脚本・製作・主演をする人が劇中で評論家にキレ散らかす。アイアンマンを手がけて、後のMCUにも出演する彼が、めちゃくちゃキレる。清々しいくらいだ。
コミュニケーションというのなら、食べるときも、食べないにせよなにかを言うときも「こんなのだしやがって!」と荒ぶっていいわけじゃない。けど、ちっちゃいブチギレ厄介客が何人も爆誕すると、さすがに私もしんどい。
身近に、毎日に、当たり前じゃないことがやまほどあって、その多くが支えになる。
そんな風に言ったって、ねえ?
どうすんの! って話でさ。
映画、原題「Burnt」だと、星の数がそっくりそのまま存在理由になる。そういうモチベで過ごしている人は多い。とても、とても、多い。懸念を示す人も、だから、もちろん、多い。なまじ可視化されてしまうと、人は途端に苛まれる。
実のところ、ふたつの作品とも他者の評価、店ないし自分に求められるもの、自分が出したいものとのギャップに苛まれる人たちの話として見るとね? あるいは自分、だれか、みんなそれぞれの強迫との付きあい方として見ると、味わい深さが増す。
でもって。
食べやすくしよう。自分さえよければ、じゃなく。みんなにとって。
おいしくしよう。自分さえよければ、じゃなくね。みんなにとって、だ。
けど、ハードルをあげればあげるほど、気持ちが参っちゃうから、できれば下げて。できるだけ、協力して。
それがなかなか、むずかしい。
日頃の過ごし方さえ「最近だいぶ変よ?」な私じゃ、きつい。
最悪な環境を想定してみる。
原題「The Martian」。火星の人! 邦題だとオデッセイという映画だと?
火星に取り残された宇宙飛行士で植物学者のお兄さんが、絶望的な環境でジャガイモ栽培をして、NASAとの通信手段を確保して、なんとか生存した。火星探査ミッションについたクルーたちはもちろん、地球のいろんな人たちの協力を得て。
私なら?
たぶん、気がついて、身体に刺さったアンテナで「わああああ!?」ってなって、うっかり死んじゃうか、残された食べものを食べ尽くす前に水不足で死んじゃう気がする。
まあ。ほら。小説原作での映画で、どちらも現在の科学でどれほど実現可能なんですかーってツッコミもあるみたいだけどもぉ!
それはさておき!
あれこそまさに最悪な環境って感じだ。
命を繋ぐ。依存の糸を増やす。こつこつと。
取り残された宇宙飛行士が実は生きていたことに、NASAは気づく。カメラ画像で。火星でこつこつと太陽電池パネルを設置したり、ローバーで移動したりしてるから。計算によれば食物が尽きることをもちろん知っているけど、まさか宇宙飛行士がジャガイモを栽培しているとは思わない。
依存の糸はとても繊細で、たやすく切れてしまう。
ちょっとした非難、ちょっとした復讐で、むごい結果をいくらでも生む。
だから、正直なところ、取り残された宇宙飛行士ワトニーが無事に生き延びたのは、みんなが諦めなかったからだ、なんてエモさでまとめることもできる。実際、その通りだし。
ワトニーが孤独な火星生活を、なんとか過ごし抜いたところもね。肝心なポイント。
恐らくいまの私に最も足りないもの。
船長が残した古いディスコミュージック?
かもね。
タイムラグは大きい。絶望に陥るたぐいの情報には事欠かない。どれほど急いでも、地球と火星はあまりにも遠い。どれほど急いだって、地球から火星までの距離を埋めると? べらぼうな時間がかかる。たとえば物資を入れたポッドを送るとして、作中でそれが語られるときの地球と火星の位置関係だと最短で九ヶ月。おまけにポッドの製造に六ヶ月だったかな?
むちゃくちゃだ。
ワトニーのポジションだと、NASAでなにをしていてもわからないから、次の火星探査ミッションを見据えて行動するしかない。
ほんと、どれほど考えてもすごい。そりゃあ、小説だ、映画だ! いいじゃん、そこは! っていう人もいるだろうけどさ。わりとそこはどうでもいいかなー。そういうことじゃあ、ないんだよね。
「――……よし、と」
圧力鍋に入れて、セット。あとはぐつぐつ煮込むべし。
包丁とまな板を洗剤を使って、ざっと洗う。それからサラダに取りかかる。
お昼にお母さんがゆで卵を作っていた。あれを使って、タルタルソースを作る。
甘くておいしいから、大人気。トマトとの相性もいいし?
レタスとトマト、あとは味噌汁で考えたジャガイモを使う。レンチン必須。
油をあたためて、軽く揚げちゃうのもいい。けど、それだとホクホク苦手問題が勃発する。
うっすいコロッケには意味がある。コロッケは分厚くなきゃあ派閥さんには、しばらくおとなしくしていてもらって。ぷちたちはそれじゃ食べられないのだ、いまはまだ。
となると?
至極あたりまえな話だけど、一緒にいるとき、食べものって、かぁなぁり! 気を遣う。
わかってしまえば、なんてことはない。けど、じゃあ、みんながそれを快くおいしく食べられるか、あるいはそもそもそんな料理を毎日しっかり作れるかっていったら?
むり!
ワトニーは来る日も来る日もジャガイモ、ケチャップ、マヨネーズ、塩。以上!
みんながそれで生き延びられるかっていったら、きつそうだ。
揉めそう。大げんかになるかも。それしかないとわかっていても。感情って、理屈で割りきるしかないときでさえ、押さえ込もうとするほど割り切れなくなるものだもの。
「んー。ひじき、豆腐、あとはぁ」
作り置きおかずが常備されているし、多めに作って日持ちのサイクルを利用して回している。
ハードルの下げ方のひとつ。多めに作って、メニューに使う。
常備菜。ご飯ほどじゃなくていい。ただ、食べやすくて、みんながそれなりに好きなものか、苦手じゃないものだといい。ぬか漬けなんかも、そのひとつかな。
塩漬けや塩こんぶ漬けなんかは、さくっと作れて楽ちん。急場凌ぎにいい。
レシピは私を救う依存の糸。多いほどいいし、編み込めれば丈夫になりそう。
できること、やることに集中して、あとはどれだけリラックスするかーみたいな見方はありかもしれない。深刻になっても救われるわけでもなければ、名案が浮かぶわけでもないのだから。
そんな理屈で割りきれないほど暴れる感情もあるけどもぉ!
もしも私に知らせを運ぶ、成仏できない魂が今後も訪れてくるとして。
注文が入るたびに怒鳴り散らすシェフになる? できない、無理だ、絶対にだめだと圧をかけられて「傷つくだろ!」ってキレ散らかすシェフになる?
映画に見たふたりは、どちらも変わった。
ちがうほうへと進んでいったし、進まざるを得なかったし、多くの伝手を頼ったし? 中には人生の黒歴史クラスのやらかしをした場面もあった。
どれほどのことができるか。
考えてみよっか。
イマジナリーワトニーなら、次のプランに移ってる。
功を奏すかどうかはわからない。ふたりめと、少年のお兄さんのように、悲劇に捕まることもある。
完璧とも万全ともほど遠いこの世界で、だから私たちは多く広く浅く、依存の糸を繋いでいく。狭く深く少ない糸は、切れたら終わってしまうから。
「あったかいものが欲しいなあ」
茄子を揚げるか。ウインナーを使うか。
挽肉でつくねを作る? それともマカロニサラダとか? いやいや。サラダはあるし。
タルタルを別にして、いっそ鶏肉で竜田揚げでも作る? ソースをかけるんだ。おいしいけど、でも既に鶏肉は使ってるしなー。
豆腐と挽肉を混ぜてのつくねっていう手もある。卵の黄身を残して、それをソースにするのもいい。
それか、ちっちゃいオムレツを量産する? いっそ厚焼き卵とか?
いやでも卵は使ってるしなあ。
あったかいものに縛らなければ、マグロと納豆を混ぜての副菜っていうのもありだ。
いまのところ、甘いもの、しょっぱいもの、甘酸っぱいものときてる。
ここに苦味が加わって、一緒に食べておいしくなるのがあれば? かなりよし!
けど苦いのは、ぷちたちみーんな苦手!
苦味はね。なんか生理的に「うわ! やば!」ってなるよね。
たとえば、ピーマンあたりはぜったい食べない。
シシトウを炒めて塩でも振る? いやあ。無理そう。
もうちょっと入門になるように調理できないと、ハードルが高い。
おいしいから入っていかなきゃ、先へは進まないし、進めない。進みたくもない。
苦さはやめる? 大人向けに用意して、ぷちたちが興味をもったらあげる? んー。苦手意識が増えるだけだ。
酸っぱいものにする?
ちょうど夏場だし。
いやでも、酸っぱいのも酸っぱいのでハードルが高い。
いま煮込んでる手羽にしたって、味つけのバランスで悩んだし。
あったかいお茶を出して、苦味のカバー。酸っぱいのは手羽でカバーしてることにして、つくねを作るかなー。よし、決定!
毎日が続いていく。
同じことの繰り返しになる。
ろくでもない、手の施しようのない状況を反復する、その繰り返しだと気が滅入る瞬間がある。
まさにいま、その道の途中にいる。
手立ては決して多くない。
だけど、ないわけでもない。
私にできることの延長線から。まずは、そこから。
これからもきっと、悪い夢を見る。
あいさつをすることになる。
何度だって祈ることになるだろう。
けれど、このわからなさ、ままならなさと付きあっていく。
夜にはだれか来るみたい。
先遣隊はカナタになりそうだ。お姉ちゃんも帰ってくるかも?
そっちは未定。まだわからない。
本当なら先日きてくれたヒヨリたちが本命筋だったんだけど、ヒヨリが遊園地に引きずり込まれた以上は無理。
新情報はなし。だれかがさらに捕まった、みたいな話もなし。
昨夜は深夜に引きずり込まれたから、今夜は厳戒態勢。
どうなるかを考えるより、いまはご飯の準備!
お米はそのままにするか、それとも混ぜご飯にするか。ゴマを振って、しらすを散らしてもいい。あるいはカリカリ梅を刻んで入れるのもあり!
「みんな、お米リクエストで、なにかアイディアあるー?」
キッチンから呼びかけると、ぷちたちのぎゃあぎゃあと騒ぐ注文が入る。
ふりかけの名前を言う子、納豆がいい子、炒飯がご希望の子もいれば、麺のほうがいいっていう子まで出てくる。
これだよ!
卵とお肉のそぼろでも作って出すかなー。
いや、お肉も卵も出してるし。それならやっぱり梅干し?
あーでも食べられない子もいるんだよなあ。
試すんなら、おにぎり作ったときがいいな。そこから入るほうがいい。お椀ででてくると逃げ場がないし。
逃げ場がない食卓って、しんどいもんね。
つづく!




