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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百七十話

 



 目覚めると、例によって例のごとく、みんなして私にぎゅっとしがみついている状態。

 朝から身体がバッキバキ。

 深呼吸をしながら、ひとり、またひとり、ベッドに戻す。

 起きた時間が早い。六時過ぎだ。

 ぷちたちを起こすにはまだ早い。

 ストレッチに勤しむ。ボキボキボキボキ! と、めっちゃ音が出る。

 こわばってるわあ。身体が。

 筋を伸ばす。

 日本のテレビ番組で中国やインドの朝を撮影すると、ヨガだの太極拳だのやってるシーンが映りがちじゃない? 気分はあれかも。

 きっと、うまくいく。あの映画で、主要人物の三人組のうち、ひとりのお姉さんがヨガをやってた。ポーズのなかには、めっちゃ気持ちよいものもある。

 タマちゃんに教わった流れを私は守っている。

 インドといえば? ビッグバンセオリーに出ていたラージの推し。カーマ・スートラ。性愛も含めた、愛の経典。夫婦生活について、性行為も含めて記述されているものなのだとか。

 そこから飛躍するけど、気の話題もあるじゃない?

 インド、中国あたりを基軸にして。

 日本のフィクションで、たまーに聞く。

 ビッグバンセオリーのエロネタ大好きハワードとラージあたりなら知ってそうだけど、ヨガを極めると自由自在にオーガズムを感じられるようになるのだそう。たんなる風評被害か、やらしい話が好きな人たちのフィクションか。それとも?

 実際にどうかは知らない。

 ただ、もし本当だったら?

 すご。相手いらないじゃん。どゆこと?

 日本の文化のひとつに、ストリップ劇場があるけれど。お姉さんによっては、あそこの筋肉を使って吹き矢を飛ばしたり、火をつけたりできるんだったっかな? バナナの輪切りとかできるっていうよね。

 骨盤トレーニング。

 内転筋を鍛えて、夜を楽しく! 膣トレだ! みたいな記事も、ちらほら見かける。

 朝の番組が特集して、けっこう話題になっていた気もする。

 極めたら感じられるっていうさっきの話も、そのあたりに行き着くのかな?

 もちろんソースもエビデンスも知らないよ?

 ほんまかいな話だよ。

 鍛えたら、それでどうしてひとりでいけるようになるの? って、疑問だ。

 カーマ・スートラは本当にあるけどね。

 日本が四十八手なら、カーマ・スートラは六十四手あるっていうよね。すご。

 そんな風になるとはとても思えないものの、うつ伏せになると腰回りがすごく楽になって、ついでにすっごく眠たくなる。

 身体を動かす習慣って、私には貴重だ。

 なぜかって、こうやって「はああ」と息を吐いて気持ちよくうとうとできる時間もふくめて、一日のサイクルに入れられれば、続けられそうだから。

 それがなかったら?

 まあ、やらないよなー。死ぬまでやらないまで、あるかも?

 やらない一日が一年つもり、それが何年、何十年と続いたら?

 走れなくなるっていうよね。すぐ息が切れるし、身体が硬くなるし、散歩するのも億劫になる。ロケ番組で田舎にみるおじいちゃんおばあちゃんはしゃんとしてるけど、都内や都市部のおじいちゃんおばあちゃんは、けっこうしんどそうにしてる。運動習慣の差があるのではーなんて、ついつい考えちゃう。

 雑な話だねえ!

 しゃんとしてる人も多いし、テレビで放送できるように取捨選択したらどうなるよって話でもあるし。ざつざつ。私ってば、ちょーざつ。


「んあああ」


 背中がぼきぼきっと鳴る。

 休みを取るようになったわりに、変な姿勢になったり、妙な負荷がかかったりして、身体がこわばりがち。精神的にんーって参っているときって、無意識に力んじゃったり、妙な姿勢になったりすることもあって、影響がある。

 ほぐしたいねえ。ほぐしたい。

 トレーニングになるのなら、それもまたよし。小数点第一位くらいの加点でいい。一年つづければ、けっこういい値になるし。第二位でも第三位でもいい。そこはほら。感覚的な例えでしかなくて、これもやっぱり雑な話なので。

 雑と言えばさ?

 すっごい雑に話を変えるんだけどさ。

 男の人も、お尻のトレーニングをしたら、ストリップ劇場のお姉さんみたく、すごい芸ができるようになるのかな? えっちな本でよくみる男の人が女の子になっちゃうところを、筋肉を鍛えたら刺激できるようになって、えらいことになっちゃったりしないのかな? 俺はだれにも触れられずに、イケる! きりっ! みたいな。

 待って!? 乳首に似てない?

 女子のトレーニングは鍛えれば鍛えるほど強くなるけど、男子のトレーニングは鍛えれば鍛えるほど弱くなるのでは? 触れば触るほど弱くなるの。

 おー。

 閃いちゃったのでは?


「はああ」


 朝からなんて思考してるんだか!

 ゆるめた途端に朝一でこれだよ。

 頭身たかめのイケメンスタイリッシュアクション漫画でそれ言われたら、しばらく身動きできないレベルで笑っちゃう。それくらいのくだらなさだよ!

 なんなら、ぜったいに手が届かない的をどうにかして動かさないと、なんだろな。ミサイルが発射されるとか、だれかがひどい目にあっちゃうような危険に遭遇している場面でやられたら、やばい。ひどすぎて。

 下ネタギャグね。エロじゃなくて。

 どうでもいいんだよ!


「いててて」


 腕がつって、筋を伸ばそうとしたら、今度は首筋がつって、なんとかごまかそうとしたら? とどめに足がつった。最悪だよ! もう!

 床の上で寝転がってびくびく身悶えて、痛みが落ちつくのを待つ。

 欲張って、無理に力いれちゃったのがいけない。


「おおぅ」


 痛くないポーズで止まって、深呼吸しようとすると、今度は背中がつった。続けて腰も!

 なんとかしてください! なんて私の身体に言っても、どうにかなるわけもなく。

 待つしかないのであった。

 チッキショーって言いたい気分だけど、ぷちたちを起こすだけなので我慢。言ったところで、なのである。

 フィクションの度合いを示す指標のひとつに、痛みがあると思ってる。

 プロレスラーさんたちの試合、やっぱり一撃いちげき全部痛いっていうよね。そりゃあ、パイプ椅子で殴ったりするんだもん。どんなに練習していても、一発で意識が飛ぶこともあるというけど、そりゃあそう。

 普通なら飛ぶんじゃないかなあ。

 銃で何発も、どらららららぁ! と打ち込む作品はあるけれど、アメリカの兵隊さんが出てくる映画だと「頭! ヘッドショット!」とか「爆弾のスイッチもってる手!」とかじゃなくて「身体の中心、でかいところを的にする」となる。身体のどこかに当たると、だいたい痛みで人は動きを止める。致命傷にだってなる。

 打撃はすごい速度で何発もたたき込めるシーン。派手でいい。けど、実際には衝撃で動くし、それに追従してっていうのは現実的じゃない。

 だから、フィクションの度合いを計るのにちょうどいい気がする。

 度合いがどうだから、作品の出来がどうだ、なんていうのは、雑にも程がある。そういうこといってるんじゃあない。好みのラインをどうぞ。気分によっても求めるラインが変わるなんて、ざらにある。

 映画を浴びるほど観たいときもあれば、漫画やアニメを浴びるほど見たいときもある。というか、媒体で分かれるものじゃない。そこまで雑な話もない。

 で、さ。

 痛みは決して物理に留まらない。精神的なものも、関係性によるものも、いろいろ。

 前にも挙げたかもしれない映画、スリーパーズ。

 幼少期に逮捕され、少年刑務所で刑務官に強姦されたり暴力の限りを尽くされ、刑期を終えて出所。少年たちは青年になり、大人になって、刑務官たちへの復讐を誓う。それも非合理なものではなく、刑務官たちの犯罪を裁判にて立証し、社会的な制裁を与えようというもの。

 原作の小説はアメリカでノンフィクションとして売り出されて、ベストセラーになったそうだけれど、話はここで終わらない。著者はノンフィクションだとするも、著者の経歴を調べたところ、逮捕された記録がなく、育った場所での体験が記録や証言と一致せず虚偽だという可能性が指摘されたのだ。

 まあ。売れたけど。

 私がこれまで並べてきた文献および、その引用は、いろんな人に話してきた。

 けど調べた人はいないんじゃないかな?

 どんな媒体にせよ「おー」って思ったものにしたところで、さかのぼって調べることは稀。

 なんなら「それだけのことをこの私にさせるだなんて、すごい作品!」みたいな、謎のマウントを取っちゃうことさえあるかも? たんに、そこまで自分で興味をもって動かなかっただけの話なんだけどね。

 たとえばアオイホノオに見る、有名な漫画家さんと監督さんの美大時代の話もさ。彼らの発言が掲載された雑誌を探してみたり、彼らの通っていた美大に聖地巡礼をしてみたりはしてない。大好きなんだけども。

 君の名は。あの映画で聖地巡礼の土地はいくつかあるけれど、ぜんぶ回って、たとえば自分でスマホの撮影でアングルを探してみたり、電車のすれ違いをカナタと再現してみたりとかもしてない。

 趣味の範囲だ。

 だからこそ、する人の好奇心と行動力に基づく。

 なのになぜだか作品に、好奇心と行動力をなんとかせいとマウントを取る。謎じゃない?

 やってる人はやってる。聖地巡礼なんか最たるもの。戦車道のアニメなんか、もろにそれ。だけど、他にもいろいろある。夜に放映してる、知らない世界に出てくる、なにかにハマった人たちくらい、やっちゃっていいのだ。

 ルーツを探っている人がいる。推しが見る景色を知りたくて足を運ぶ人もいる。もちろん、迷惑をかけないようにね。それはべつに、だれかと競って勝ちたいとかじゃなく、純粋に知識欲や好奇心からだ。

 趣味はだれかに振りかざすための刀じゃない。

 そして、なにかに叩きつけたい棍棒にもならない。

 もし仮に叩いたり、心が張り裂けそうなことばを選ぶとき、その選択をした人の暴力が、ただそこにあるだけだ。

 対象に理由があるのだから、というのはDVとさして変わらない屁理屈。

 アディクションになっているのなら、赤信号ふたつめが点灯。既にひとつ点灯してるから、止まって休んだほうがいい。


「――……ふう」


 痛み。

 あるいは問題。

 なにかができる余地。あるいはすること。タスク。

 それは解決されるべきものであり、解決できない者は減点を抱えているか、そもそもその者自身が減点なのである。みたいなのは、もちろん過剰な妄想だ。

 なんだけどね。

 タスクが発生したら、それは解決されるべきだという固定観念は、かなり強固なものだ。

 おまけに解決されない間、タスクの存在は私たちを強迫する。

 新明解国語辞典によれば?


『他人をおどして恐れさせ、その自由な意志の決定を妨げること』


 強迫観念は?


『打ち消しても打ち消しても浮かんで来る、不快・不安な考え』


 では大辞林ではどうか。


『相手を自分の意に従わせるため無理強いすること。無理に意思決定させること』

『民法上、相手に害悪が生じる旨を知らせて畏怖心を起こさせ、自由な意志決定を妨げること。強迫による意思表示は取り消すことができ、強迫によって受けた損害は賠償を求めることができる』

『不合理だと自覚しながらある観念や行為にとらわれ、抑制できないこと』


 そして強迫観念は。


『馬鹿げているとわかっており、考えまいと思っても頭から払いのけることができない考え』


 ちなみに強迫行為は?


『自分でも無意味・不合理だと思いながら実行せずにはいられない行為。何度も手を洗う、戸締まりを確認する、などはその例』


 では強迫神経症はどうか。


『神経症の一。自分で不合理だと思う考えや行為につきまとわれ、それを抑制することが困難な症状。OCD。〔神経症という用語を避けて強迫性障害ともよばれる〕』


 引用すると、こんな感じだ。

 私たちの理性や思考においてはいやいやと思っていても、タスクが存在するだけで頭から払いのけることができなくなるもの。だから、それを取り去りたい。

 タスクがある。それがそのまま、自分を煩わせ、苛む性質のものに違いないとし、早く解決しなければならず、また、それを当たり前だと無意識の段階で捉えてしまう。

 問いはある。

 ほんとにそうなのぉ?

 そんなことない。

 注文が殺到する繁盛店で、店員さんはてんてこ舞い。厨房も調理で大忙し。ひとつひとつこなしていくどころじゃ間に合わないくらいの大盛況っぷり。こういう状況下で自分が店員さんだったら、新しいお客さん、新たな注文、ちょっとした要求や問い合わせ、自分を引き留める会話なんかはすべてがストレスで「早く解決しなきゃ!」と自分を攻撃するもの?

 この問いの回答は、ひとつだけだろうか。

 イエスしかないのかな?

 もしそうだとしたら、そういうお店の店員さんは常にぴりついていて、いつしかお客さんに対して暴力的になりそうだ。それは問題だから我慢してもらう? それが当たり前? じゃあムカムカはため込んで、仕事外で解決しなさいよって?

 お店側も、お客さん側も、そういう圧ばっかりかけてきたら、そりゃあ飲食地獄説は真実みを帯びてきそうだ。

 でもさあ。

 ほんとにそうなのぉ?

 世界中のありとあらゆる飲食のみなさん、全員が「接客は強迫」なの? ほんとにぃ?

 そんなこたぁないでしょ。

 そういう圧をかけてくるお店やお客さんが相手だったら「勘弁してくれよ」の比率が一気に跳ね上がりそうだし、そりゃそうだろって思うけどね。

 気の良い常連さんだらけだったら? お客さんが待ったり、うまく対応してくれないとしても、のんびりしてくれてたら? どうかなー。

 待て待て、ぷんぷんぷん! そんなの理想論だもんね! へいへいへい! って、言ってくる人もいるかもしれないけど。でも実際、お客さんの対応次第で店員さんの負担が変わるのは事実じゃん?

 だれもが「早くしろよぉ!」って怒鳴りちらかしてる繁盛店なんか、行きたくないし、居たくないし、そんなところで働きたくないし? お客さんがみんなお店の求める手順を守り、のーんびり待ってくれてたときとは明らかに状況が異なる。お店側も「ちゃんとやれよぉ!」って怒鳴りつけてばかりいたら? そこには抑圧しかない。

 けどね? お客さんのだれも急かしてなくて気楽に構えているし、お店側の他の店員さんもフォローして「マイペースにやって。必要ならすぐに頼るんだよ? それも仕事のうち。気楽にね!」なんてノリなのに、それでも店員さんが「ああもう! やめてぇ!?」とひとりでぷんぷんしてたら、そりゃあ、店員さんの中に強迫が潜んでいやしないかい? っていう話だ。

 タスクがあるとき、抑圧が絡んでいたら?

 そりゃあ焦る。参る。うんざりしたり、怒りっぽくなる。思考力が低下したりしてね。

 職場がどうあればいいか。

 環境作りについてのレクチャーでも、この手の話は常連だっていうよねー。

 すると、今度は純粋に疑問を抱くわけ。

 タスクと抑圧や強迫性は、むしろ絡んじゃいけない。

 だとしたら、タスクがあるとき、解決しなきゃ、解決できて当たり前、はやく解決するのがいいっていう価値観は、だれのために、どういう理屈で生じているのかが気になる。

 そこで「これは正しさだ」と強硬に信じる人たちは、こどもたちに対して支配的で、暴力さえ正当化する可能性が高いんじゃないかなー。あるいは自分が支配できる立場になったとき、支配対象に対して極めて高い暴力性を発揮するんじゃないかな? その恐れがある。

 いうまでもないけれど暴力性は生じるとき、これは他者に振るわれる前に留まるべきものだ。その理由はこれまでやまほど並べてきた。その実現のために、怒りや衝動という着火剤で爆発して、長期間にわたって燃え続ける感情は、ガス抜きしたり、たっぷり休んだり、個人に完結する枠組みの中で娯楽に浸って楽しんだほうがいいし、ここでいう娯楽は暴力性を一切伴わないものがいい。

 なんだけど。

 でもね?

 タスク発生。そしたら解決。

 すごく安易に、無意識に、そうあるべきだと捉えすぎているきらいがある。

 あるいはそれって、ひどく強迫的なものだ。

 ぷちたちと過ごしているとね?

 自分の強迫性があぶり出される。いくらでも。


「んんん」


 つった痛みが和らいだので、無理をせずにストレッチを再開。

 手指や足指を揉むのも気持ちよくて好きだ。首や肩を回すのもいいよね。

 一九八四年。ディストピア小説の有名な一冊。アニメだとPSYCHO-PASSなんかもディストピア。

 こういった作品だと?

 居るために必要な強迫性が設定され、提示され、世間に広く流布されており、強迫性はしばしば必然なものだとして広く強く信仰されている。主人公は信仰に疑問を抱く、ないし、抱く契機によって変化し、社会と主人公の関わりによって変化していく。

 そこまでじゃないにせよ、私たちはディストピアを心に有している。

 居るために必要な基準。

 生きるうえで、成功するために必要な線を引く。

 社会か、あるいは先駆者や成功者、あるいはそう喧伝されている者たちが照らす線路に執着する。

 手段はいくらでも目的を駆逐し、屈服させ、私たちの心に強迫として根を生やす。

 タスクを提示し、負荷に対していかに心地よく、刺激的に、洗練されたパワーワードやキャッチコピーというスポットライトを当てられるか。

 心地よさは、同時に満たされない不快さを生む。

 求める刺激の強さは、同時に与えられない刺激の不足と背中合わせ。

 私の心に刺さる刀は、大概がこうして生み出されていく。

 それは宗矩さんや十兵衞が強く批判する想念で、無念無想から遠ざかるものだ。

 執着という。

 こうでなければならない。こうあるべきなのだ。

 その過剰さが、人を歪め、陥れる。

 なのに、同時に人はいきものとして答えを求める性質をもつものだから、タスクが生じたとき、その答えを探し求め、解決しようとしてしまう。

 強迫は、執着は、けれど囚われ当然の正義だと強く信じるほどには、実態と噛みあっていない。むしろ、まったくの妄想であることのほうが多いかもしれない。


「いち、にい、さん、しい」


 ゆっくりとカウントしながら、身体を伸ばす。

 足を伸ばした。膝に頭をつける。いちど足を左右に開いて、上半身を床にべたっとつける。


「――……ふう」


 呼吸は大事。

 つい力んだり、止めようとしたりする。慣れない頃がそうだった。

 なんてことなく息をする。まずはそれが理想だった。

 目標は、けれど設定をミスったり、手段で上書きしちゃうと、おかしなことになる。

 ほんとのところは、ストレッチにおける目標なんて、やがて達成できたらいいし、それまでストレッチを続けられるモチベにできればよかった。

 ぷちたちのことは、もうちょい複雑だ。

 社会はこうだから、ぷちたちをこう変えなければならない!

 なんていう強迫が生まれやすい。そして私がぷちたちに暴力的になる最たる衝動だ。

 遊動民の発想なら? 合うところを目指して旅をする。定住民の発想なら? ここを住処とするぅ! と決めたら、あとはどんどん住みやすくしていけばいい。ゆっくり、こつこつと。やまほどのタスクがあるだろうけど、のぉんびりやっていくんだよ?

 最近、ネガティヴ・ケイパビリティという概念が話題だ。

 答えの出ない事態に耐える力。共感すること。ぺでぃあ先生の記事を引用すると「短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるもの」だという。あらゆるサイト、あらゆる記事で、いろんな説明が試みられているよ?

 解決してしまうのでも、解決したと思うことでもなく、そこに向かうのを「待った!」と、留保する。

 お店で注文がきたときに「待った!」じゃ困っちゃうから、それはぜひ対応していただくとして。

 そうじゃなくてさ?

 自分の中に結論があるとね?

 あるいは「これはこうあるべき」とか「これはこういうものだから!」とか、そんな指標があることほどさ?

 解決してしまうじゃん。

 解決したと思っちゃうじゃん?

 それを求め、それを行なうじゃん。

 他を考えないじゃん?

 じゃあさ。

 自分の選択が外れてたら? あるいは、自分の手持ちの選択じゃどうにもならなかったら、どうするの?

 だれかのパワーワードや流行りとか、自分の属する集団の言説で「これでいいや」と思ったものを当てはめて、解決してしまう? 解決したと思っちゃう?

 じゃあ、それさえ外れてたらどうするの?

 旗色が悪くなって自分がやばいっていうときに、だれかを悪いことにする人もけっこういるよね。属性をだめな象徴としておいて、それは確かなはず、そういうもののはずだから、攻撃するっていう人もいる。優生学は、それをグロテスクかつ差別的に行なった失敗の代表例では。

 あるいは信じてきたからこそ、裏切られた怒りを燃えたぎらせて攻撃したりして! これもまあ、よくある話。歴史に学ぶところも多いネタじゃない? フィクションにも多いよね。

 でね?

 それってけっきょく、タスクに対しても、自分に対しても、なんにもなってないじゃない?

 なんならストレスがただただ増しているだけじゃんね。

 強迫だって、むしろ増大してるよね。増大する一方だよ?

 それって、いいのかな?

 望むところなの? それがいちばんいいの? それが唯一無二の答えで、それを抱き締めていきていくの?

 どうかなー。

 それだと私はぷちたち相手にも、心に刀が刺さりまくっている自分自身にも、なにもできず、なんならだれかに差別的か暴力的に接するようになるよ? だって、じり貧で、なんにもできないままなんだもの。ストレスまみれになったら、お腹がすいてるときのイライラなんて比べものにならないくらい、際限なしに激しくむかむかしてしまうもの。

 さすがにそりゃあ、まずいよねえ。

 いいことひとつもないことがわかっている選択に縋るのは、さすがにまずい。


「んん……」


 まだちょっとこわばる。

 けれど身体があたたまってきた。

 評価、判定、選択。タスクは解決するものでなければならないほど、これらは早ければ早いほどよく、心地よければよいほどいい。なんなら価値があるとさえ思える。

 でも、その前提はずれてるなあ。

 タスクは解決するものでなければならないって、なんで?

 すべてのタスクがそうなの?

 タスクと対応のかみ合わせが悪いだけで、解決は絶対に必要! みたいに言う人さえいるかもしれないけど。

 そうかなあ。

 そうなるとさ? 解決のために選ばれる手段が過剰さを増すだけじゃない?

 こどもがいて、離婚して。自分は絶対に悪くなくて、別れた相手と弁護士が自分を非難してくる。こどもはぜったいに! 親と! いるべき! 自分が関わるべき! 親権を奪った奴ら全員どうかしてる!

 なんて人がいたら、さ。

 事件が起きちゃうよ?

 その人の解決って「元通りになること」だろうし、どう考えても「待った」をかけるものだもの。

 例がだめなんだーって?

 そうじゃないの。

 その程度の話じゃないの。求めているのは。

 あらゆる前提、あらゆる状況が存在する中で、まず文脈を理解しないとできないこと、取りこぼしてしまうことがやまほどあってさ?

 共感する力としてのネガティヴ・ケイパビリティは、いまある問題の解決よりも、まず、どうしてそれを問題だとしているのか、その文脈をたどることを提案してない?

 解決するべきもの、だとしたら? たぶん、タスクへの理解度は、それほど高くなくていい。それよりも解決が優先される。なんなら解決したら、あとはもう理解など必要されないことさえあるだろう。失敗はなくせる。なかったことにできる。隠せてしまえるし、隠蔽だってできる。解決さえ、すればいいのだから。そういう余地を残してしまう。その矢印に、待ったを。

 そうではなくて、寄り添い、理解することに重きを置く。

 あ。さっきの例で、荒ぶる人と別れた元家族に「そばに残って理解しろやぁ!」って求めることじゃあないよ?

 もちろんそう。

 あくまでも荒ぶる人本人と、その人が通うお医者さんとか、カウンセラーさんとか、そういう立場でできるといいよねっていう話で私は捉えている。

 被害者が寄り添え、という性質じゃない。加害者に寄り添え、という話でもない。被害者に見えないところ、認識の余地さえない場所で、もう二度と干渉せず、脅かさない環境下で、それはそれとして加害を繰り返さないで済むように、ゆっくり治したほうが、加害した人にとっても、その人が今後であうであろう人たちにとってもいいんじゃないの? って話だしさ。そのとき問題をどうにか解決しよう、じゃなくて、解決できないもうだめーって話でもなくて、そこにつらさがあるのなら、ちゃんと痛みやつらさに寄り添い理解したほうが楽になれるんじゃない? って話ね。

 それくらい高い強度を求めてる話だ。

 タスクが生じたとき消極的に「あーもうだめ」とか「解決したいけどできないっすわー」とか? こういうのは、なしね。

 解決を主眼にすると、いろんな不備が生じる。

 ごまかされてしまうこともやまほどあるし? 問題の本質が放置されることもざらにある。

 それじゃあ困っちゃうんだ。

 おまけに強迫が増えていく。強迫を材料にだれかを攻撃することさえざらにある。

 うんざりなんだ。そういうのは。

 いい加減もうごめんだ。

 縁に負荷が生じて、そこにタスクを見つけだし、しかし解決できず、たまる負荷で自分を苛み、とうとうだれかに暴力的になるんだよ?

 だめでしょ。それは。


「よっし」


 身体を起こす。目指せ開脚。

 トレーニングをすこしでもさぼると、なにかが足りないように感じる。

 深呼吸に努めて、のんびりと。

 自分に共感できなくなるのは末期的。

 ゆうべ素直になって、実感した。

 素直さを邪魔するものがきらい。なのに私は心にやまほど強迫を抱えてる。

 私を刺す刀たちが、私をいくらでも傷つけつづける。

 解決したことにして完成させないでいいんだよ? だいじょうぶ。

 いままでみたいに無理していたら、傷がたくさん増えちゃうよ。

 だからもう、無理しなくていいよ。

 あまりにひどくてさんざんに思えるときでもね?

 共に感じようとする心のままに過ごしていこうよ。

 きっと、見つかるよ?

 やがて、過ぎるもの。

 だから、だいじょうぶ。

 きっと、うまくいくよ。




 つづく!

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