第千七百六十四話
寝てなさいってさ!
キラリに押し切られて寝転がる。
寝るまで見張るっていうから、とっとと目を閉じて出ていくのを待った。
本音をいうとね?
みんなと話したいような、ぼうっとしたいような。
どっちかわかんないんだ。
なにかを思い浮かべるだけで、同時にいろんな思いもふつふつと湧き上がる。
それは私の心の中で、私の声で聞こえる。
あ。
幻聴的な意味じゃなく。
思っちゃうのだ。
でもなあ、とか。迷惑かけてるなあ、とか。
同時にね? 感情がわき上がるのだ。
ああもうやだなーってなるときの、頭がずんと重たくなるような感覚も。自分への情けなさ、みじめさ、よくわからないけどなにかにぶつけずにはいられない類いの怒りと、心をぎゅっと閉ざして視野も狭めて、必死に守りを固めようとあげちゃう腕ガードみたいな限界っぷり。
はじめの一歩だと、ガードをあげるなーってさんざん言われる人ほどガードをあげて、ボディにきつい一撃を食らってグロッキーになっている、ような。
ひとつの感情に支配されて、ひとつのことしか考えられなくなったり、ああもうやだやだなんでなん!? ってブチギレるときの、あの無意識からの支配って、えげつない。
自覚がね?
ないところが怖いのだ。
そう。自覚がないの。
無意識なの。
自己嫌悪の瞬間とか、いやな人に絡まれてるときとか、しんどすぎることがあってむかむかしてだれかに愚痴っている時間なんかが、もろにそれ!
無意識なの。
やばくない?
自分でなにやってんのか、なにいってんのか、なに考えて、なに思ってんのか、わかってないの。
きらいなことだけじゃない。好きなことと触れているときでも一緒。たとえば好きなものをアゲるために無意識になにかをサゲる発言したりするときさえ、無意識があふれてる。
ノノカがヒヨリやコトネたちを連れてきてくれる前。先生に言われて検査して、おうちに待機するようになる前。もっとずっとずっと、前から私は無意識状態のあれやこれやを抱え込んでる。
そりゃあ、まあ、でも、そうよ。
三百六十五日、一ヵ月、一週間、一日、二十四時間、六十分、六十秒。
常に意識してはいられないもの。
息をするのも寝るのも、動作ひとつとってもそうだ。
何度もそう私に説いているのに、私はついつい忘れちゃう。
好きなこと。大好きなひとたち。特別なひと。捨てようとしても気づいたらやっちゃうこと。忘れられないもの。ふと思い出しちゃうこと。
そこには意識も無意識もあってさ?
なんだっけー。なんの映画だったかなー。
バレエのね? 練習シーンでさ。言うわけ。
ポージングで、身体のすべてに意識を巡らせて、みたいなこと。
ダンスにしてもさ? 大勢で振りを合わせるとき、完全に身体の動きがシンクロしていると気持ちよく見れることがあってさ? 誤差がないほどいい場面って、無意識で達成できるのかはわからないけど、すくなくとも慣れない頃ほど意識しまくるよね。
なんだろな。
行進?
軍隊が見事な行進をお披露目するじゃない? どの国でも。
人が横一列に並んで行進するとき、真横から見てひとりに見えるくらいのシンクロ具合?
あれにしても、足の角度、腕の振り幅、それぞれの速度、もろもろ厳しく決めて、ひたすら練習するんでしょ?
体育大学だと、交差する行進をする。
そこからすこし外れて、せっかくノノカたちが吹部だから注目しておきたい。京都にある高校の吹部による行進がねー! えっらい派手でかっこいいんだ! これが!
動きひとつとっても意識と無意識の領域がある。手段として、あるいは指標としてチェックされるところかな。どうだろな?
身体に染み込ませて、無意識にやれるくらい馴染ませて、かつ誤差が生じたら意識レベルで調整できるくらいトレーニングするのかな? もっとえぐいのかな?
なぞ!
もうね。これでもかーって例にだしてるけど、ユーリオンアイスでヴィクトルの振りつけを教わっているユリオがヴィクトルに「ヴィクトルにとってのアガペーってなんだよ」と尋ねたとき、ロシアの世界一の男は言った。
『そんなのフィーリングなんだから、言語化できるわけないだろ?』
これだよ!
じゃあここでいつものように、調べちゃえ。
フィーリングとは?
新明解国語辞典によると?
『論理を超えて直感的にとらえられる何ものか』
では大辞林では?
『ばくぜんと、また直感的に抱く感情。物事に対する感じ方。気分。感じ』
つまり、あれだ。
アガペー。ヴィクトルのフィーリング。
ユリオが仕上げていったプログラム。シーズンラストには、どうなってた?
ガバイ! ユーリ! 声援を受けたユリオが仕上げた境地は?
ピチットくんの滑りもよかったんだよなあ……だいすきっ!
その次、ユーリ・プリセツキー。
愛の入り口を感じた、と。
自分を支える愛はなんなのか、探しているときこそ人間は輝きます、と。
そう、ユリオのコーチに呼ばれた、もうひとりのコーチが語る。
それを全力で表現するユリオ。なんかもうねー! 見てると涙が止まらなくなるの!
あれを見て思ったんだ。
意識だけじゃない。
無意識だけでもない。
どっちもだ。全部かけて、全部だすんだ。
自分を襲う、自分の無意識はなし。自分を危うくする意識もなし。
それらが一致する境地。
十兵衞や沢庵さんあたりのいう、無念無想。剣禅一如。
ぷちたちといるときにわき出る感情も思いも、後悔も。カナタといるときについつい浮かぶ思念も。重さに喘いで行き着くひとりの時間の重たさも。
ぜぇんぶ!
力にできちゃうくらい、噛み噛み咀嚼して、栄養を見つけて、いらないものはぺっぺして、辿りつく場所。
それはけっこう、遠く感じる。
零点の私でいくぞ?
その思いは同時にさ。
零点のみんなといくぞ?
こういうところに行き着く。
カナタに願うことは多い。ぷちたちにも。世界にも。
気づけばいつしか、願うばかりになる。求めるばかりになる。
私の無意識は増えていく。
それらを意識するとき、私は自分の肩にのせる。
というわけで?
そんな私の無意識に歌っとこう。
これが私だって「This is me」を。
生きるのもやっと。居るのがつらくてたまらない。自分を許せない。だいきらい。減点げんてん!
そんな意識にも、無意識にも歌っとこ?
たくさん傷ついた。やまほど失った。それでもちゃんと、心に残ってるものがある。それを思い出したいときには「From now on」を。
姫ちゃん発案で、理華ちゃんたちが歌ってた。
意識と無意識が融合する歌。目指す場所へと。心にきちんとある力を讃えて「さあはじまんでい!」と笑っちゃうための歌。
歌っとこ。
普段いえないこと、話しにくいことも歌なら楽ちん。
歌っちゃうと気づくこと、たくさんある。
自分の心の中の話に過ぎないからね? 自分との対話にどうぞってだけなんだけどね?
私の無意識に歌っておきたいことがある。
「んー」
だって、それくらいしないと忘れちゃう。
忘れたまま思い出せなくなっちゃう。
あんがいねー。
そういうの大事だよね。
ユリオは故郷のおじいちゃん。ユーリはカツ丼から、ヴィクトルへ。
さあ、探そう。そのために、挑戦しよう。
立ち止まらずにいられない道へ。
だけど最高の挑戦をするために、毎日ちゃんと休もう。心がくたびれたときには離れていい。夢や希望が呪いになる前に。
無意識に、あるいは意識して、こうなれ、こうあるべきだ念じては、そうではない現実に対して語気を荒げるくらい自分でありながら自分であることを忘れてしまうほど強い思いに支配されちゃう、その前に。
グレイテストショーマン。その前に、ラ・ラ・ランド。
ハリウッドに集まる夢見る若者たち。頂を目指して大盛りあがり。冒頭のシーンはあまりに有名。はちゃめちゃに混む、はちゃめちゃに交通量の多い道路を二日も貸し切って、ピークタイムさえ含めて撮影したというはちゃめちゃなシーン。
あそこで語られるエモさは挑戦する人たちの勇気と興奮と、ちょいと外れたズレっぷりが見える。それは正気か、はたまた狂気か。歌詞で問われる内容は、映画の内容をどう示唆するものか。
いずれにせよ、あそこのエモさは成功を約束するものでも、挑戦を笑うものでもない。具体的な手順を示すものでなければ、秘訣もなにもない。
頂を目指して、歩みを止めなければ必ず叶う?
それなら私は毎回かならず宝くじを買う。
そんなに簡単で単純なことじゃあないし、運否天賦もある。というか、運はかなり強大な要素。それだけじゃあないけど、運は絶対に必要。
だからよくいう。
そのときがきたら、逃すなって。
じゃあ逃さなければだいじょうぶかっていったら? それも別の話。
運は波。
乗れても次の波に乗れるとは限らない。
おまけに私たちには日常がある。
おかげさまで、みんな苦労する。エモさの一本刀じゃオーディションには勝てない。だけどエモさがなきゃ、無意識にやられて日常を過ごすうちに、たやすく心が参っちゃう。
それでなくてもいやなことは起きる。
備えていても、いなくても。起きるときには起きるもの。
心の底に杭を打たれる。その杭は、自分だけでは引き抜くことがむずかしい。なにげなく過ごしていると、その杭はずきずき疼く。私の考える、心に刺さる刀だ。刀は引き抜けない。
痛みは意識にも無意識にも広がる。
囚われる。執着する。
叶わなかった恋かもしれなければ、落ちたオーディションかもしれない。そこで失礼な態度をみせる人かもしれないし? 街中でぶつかってきた人かもしれない。トイレに入ったときに紙がないことかもしれないし、電車の乗り換えで急いだら足をひねって乗り過ごしたときの痛みかもしれない。
なんかもうついてない。
ついてるとしたら、貧乏神みたいなもの。
その貧乏神を、自分を煩わせるすべてに重ねる。象徴化する。
なにかともたつく人。いやだっていってるのに、同じことを繰り返す人。周囲のことなんかお構いなしの、見ず知らずの通りすがり。電車の中で圧をかけてくる人。あれや、これや。
無意識のいやさ、つらさをはね除けることば、ことばとことばの連なり、いきもの。彼らが姿を持つほど、刀はより強固に心に根を張る。
抜けなくなる。存在感を増して、無意識な領域を広げる。
だけどさ。
意識も無意識も、どっちも同じ。
自分自身。
そこを承知するぞと決めたとしても、実際に叶えるまでが、まずたいへん。
刀に気づくのだから。心の痛みを受け入れることになりそうだ。
痛いぞ~? やだやだ! 痛いのはごめんだ。
でもなー。
だからって痛くて暴れて、だれかを傷つけていいわけもなければ?
我慢して自分を傷つけて、いつか倒れろって話でもなし。
自分を大事にしたうえで、だれかを大事にする。
じゃないと大事にするバランスが崩れているから、その無理はいつかどこかでえぐい形で出てしまう。
自分を傷つけず、痛みを解決していくことを手放したら?
負荷はだれかへの暴力に転じやすくなる。ただでさえ、そうなりやすいのに。
でねー。
風邪のひきはじめって、喉がかれたり、身体がけだるかったり、寒気がしたりするじゃない?
心に刺さる刀の痛みの場合にはさ?
喜怒哀楽のパターンが、まず減るよね。
むってなったときの「なんでなの!」っていうぷんぷん具合がひどくなるしさ?
他に考えごとができない。
むしろ「こうじゃなきゃだめなの!」みたいなことを、必死になってするの。
ぷちたちが食事中にお箸やスプーンを投げたとしたら? 持ちなさいって癇癪を起こして、持たせようとする。そこで拒否されたら、引っぱたいたり怒鳴ったり。
ストレスサイン。
レッドゾーンに近づくほど、支配しようとする圧が増す。
意識の領域、どうなってるかな? そういうとき、無意識の領域はどんなことになっちゃってるのかな?
なぞ。
パンドラの箱めいている。
あれはさ? 最後に希望が残るじゃない? だけど、その前に数えきれないほどの絶望が世界中に散らばっちゃうんじゃなかったっけ。
そんなノリ。
八百万の絶望に対して、たったひとつの希望じゃあまりに分が悪い。
フィクションなら映えるけど、実際にはさ?
そんなノリでは生きていけない。むりむり。やめとけってなるよ?
頂を目指す挑戦波乗りをする日常でもそう。
便利であればあるほどいいし、頼りが多ければ多いほどいい。
現実は縛りプレイなんかしている暇がない。その縛りは解いていくものだ。
そして縛りは多い。やまほどある。おとなたちが「ないですよー」ってことにしていても、ある。なんならおとなたちも参ってる縛りがやまほどある。本音はすれ違う通りすがりにみる疲労によくでてる。
おまけに歴史に習うと、とてもじゃないけど、解決できていないことなんか星の数ほどある。
なにがつらいって、それを八百万の絶望に重ねて、意識と無意識にある刀に化けて、いくらでも心に根を張る。
一本抜くのに精いっぱいなのに!
八百万て!
みたいなノリ。
そんなわけで、気を抜くとすぐに忘れて荒ぶる私に戻っちゃう。
心に刺さる刀の数に気づきはじめるときには、余計だ。
だれかのせいにしたり、逃げ道を作りたくもなる。まあ、それをしても根本的な解決にはもちろんならないけど。そうしないと、いま呼吸をできないくらいしんどいことさえあり得るんだから、さ?
ままならねーっ!
たとえば教授が私にした暴力の数々。それを私のせいだなんて考えない。もちろん、当然だ。
彼の行為と責任は引き受けない。その必要は絶対にない。
大事な大事な線を引く。
私の無意識に生じる痛みも荒ぶる声は? 私のもの。
とても繊細な話題だ。
だからきちんと線を引く。
暴力のひとつひとつが私の心をひどく深く、とても長く傷つける。それはその瞬間に終わるものじゃない。続くものだ。
けど、その責任は私にはないのだと断言する。
ここを明確にしたうえでも、これは私自身に言うまでに時間がかかりすぎるものだし? こなかったとしても不思議じゃないものだ。そもそも、どれほど意味をもつのかも別。
まちがっても、ほかのだれかには言わない。言えるはずがない。暴力になる。
正しさとして語るのではなく、私の心に刺さる刀を探る意味で置いたことばだ。
でね?
つづく。
この痛みは。現実に受けた傷は。
なくならない。終わらない。
だから止める。できることを増やす。
一進一退。それもまた、歴史に学ぶこと。
頂を目指す。それは正気か、はたまた狂気か。
波がくる。運よく大きな波とタイミングに恵まれることもあれば、二度目の大波でひどい怪我を負うことさえあり得る。日常は続く。繰り返し、繰り返し。
エモさはチケットにならない。
だけどエモさがなきゃ追いつかないし、間に合わない。
休憩所のスープになることもあれば、給水所のスポーツドリンクになることもある。
スープもドリンクも、補給に向けたもの。
ボッシュっていう刑事物のドラマがあってね? それまでバイプレーヤーとして見かけることのあった、いぶし銀な役者さんが、ベテラン刑事で主演をやるんだ。ハリウッドの警察署に勤めていてさ? あれ、これ前に話したっけ。
でね?
主人公、デクスターと似て非なる経歴があってさ?
ボッシュは幼い頃、娼婦のお母さんを殺されるも警察はまともに捜査しなかった。そして彼は孤児になった。
そして彼は黒い噂がつきまとう孤児院に入る。「負荷がある人々がいる」、「こうあるべきだで回らない状況」と「荒ぶる人々の声」。それを黙らせようとしたら?
職員たちは指示に従わないか、意にそぐわないこどもを閉じ込める。暴力も。
そこから紆余曲折を経て彼は警察に。お母さんの事件を調べるために。軍の経験も。グリーンベレーだったかな。アメリカ陸軍の精鋭の。
いろんな悲惨な現場を目撃するし、自分自身も、ともだちも、仲間も、ひどく傷つく経験を何度もする。だからか、彼の語る、つらさへの対処の仕方がけっこう含みがあってさ。
つらいものは、そっと箱にしまっておく。
たまに顔を覗かせたら、あいさつをして、そっと戻す。
すぐに済ませてしまいたくなる。だけど、それは刀を引き抜くことにならない。なので傷が癒えることもない。
ボッシュは、ずっと付きあう性質のものだと考えているみたい。
無意識に根を張るものにさえ、あいさつをして、そっと戻してきたのかな。
シーズン1の事件じゃ、こどもの遺体がでてきた。やりきれない事件だ。
一度も波がくることなく、打ち上げられて溺れる幼いクジラみたいな人生だって、ある。
その痛みに耐えきれなくて、痛みをなくすために無意識に答えを求める。
だけど、そこで無意識はときにひどく傲慢になり、暴力さえ許容してしまう。焦るからねー。痛いほどさ。視野も狭いし? ひどいことばも平気で出る。だから、無意識に支配される前に休むし、支配されていたらもっと休むし、支配されてないのに「むうう!」ってなるなら、気づいてないから、やっぱり休む。
そのままにするなんてだめ。よしとしないよ?
徹夜をしたら頭が働かなくなる、よりもずっとひどい性質のもの。たとえば、お酒を呑んだら車の運転はしない理由くらい、よしとするべきではない性質のものだ。
で?
私はいま、どっち?
休む。そういうタイミングだ。
いろんな感情が浮かぶ。
それは私の心の中で、私の声で聞こえる。
あ。
幻聴的な意味じゃなく。
自分で制御できないの。あれこれ悩むのも、あれこれ考えるのも。沸いてきた感情の処理も。
勝手だから、止められない。
なんならその声は、達成するべきだと語気を荒げる。
でもなー。
その無意識さえ、私なんだよなー。
達成を目指すほど、無意識の私は手段を求めるなと訴え始める。
いらついたり、ぶちぎれたり? あるいは、自分を納得させるための理屈をこねたり、知識や技術を自分のために手段に貶めたりする。
話はいくらでも複雑になるよ?
だれかに愚痴る。そこで物語にする。相手を徹底的に悪役にできる。いくらでもね。
噂も伝聞も信用しない。そう思っている人さえ負荷を感じる。
なので、人の悪口は言わない。
とくに、その場にいないだれかの悪口は。
その場にいない人の話題を持ち出すのなら、いい内容を。
そう語ってみせたところで、既にそれに依存している状態に陥っていたら戻れない。なかなかね。やめられない。お酒やたばこと一緒で常習性がある。
無意識の処理もそう。なんなら無意識の処理こそ、そうなのかも。
いや。安易に飛びつかない。
私はろくに学んでいないのだから。
済ませないで、学びながら付きあっていこう。それくらいのことだ。
むしろね?
それくらいのことばっかりだ。
答えに飛びつかない。わからないことと付きあっていく。
そのうえで、無意識が「わあわあ!」と騒いでいる状態は好ましくない。
どうどう。
落ち着け。
剣禅一如。無念無想。
無意識にある「わあわあ」な私をなだめて、心に刺さる刀を落ちつかせよう。
愛着の獲得と育成を目指して向かうのなら?
無意識の私も気持ちよく頂を目指せるくらい、明るく元気がいいな。ね?
眠れる気がしないから、ベッドのうえで坐禅を組む。
ソウイチさんが見たら怒るかなー。ま、いまはひとりだし!
「――……」
キラリもマドカも、コトネたちもいる。
みんな耳がいいので、穏やかに呼吸して、おとなしくする。
目を閉じる。
いやだね。うんざりするね?
そう感情的にならずにはいられない私の姿が、いくらでも思い浮かぶ。
ああいやだ。なんで私がこんなことを。
そんな言葉がいくらでも。感情だって。きりがないくらい。
だれかへの罵倒も。
その数だけ、私の心に刺さっている。刀が。
教授のようで、そうでもない。強いて言うなら教授の形をもった暴力が、私の心に刀を突き立てる。
下ろして、と願う。
いま、ひとつひとつの痛みを刺激しているのは、私だからだ。
だけど届かない。むずかしい。
だってあいつらが、とか。だってやり返さなきゃ、とか。
浮かぶ感情だって、怒りだって、私のものだ。
いい悪いでは語れない。むしろ答えなんかない。
ボッシュの言葉を借りるのなら?
この痛みはあいさつをして、箱にしまっておく類いのものだ。
痛みがつらいときほど、終わらせてしまいたくなる。済ませてしまいたくなる。
その安易さはせっかくの知識も技術も歪めてしまう。しかもだれかを傷つけるかもしれない。歪さは影響を与え続ける。別の刀になる可能性のほうが高い。
だから、ゆっくりと。
箱にしまって、解決できるときを待つ。
波を待つのだ。
いつか乗っかることができる波を。
乗れる日は、とうとうこないかもしれない。
だから、海に出る。
それでも海に出る。
挑戦を続けるために。
零点の私たちで、頂を目指していくために。
つづく!




