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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百六十三話

 



 一階に降りると、マドカたちがコトネたちと打ち合わせていた。

 私の受け入れ体勢を整える、のみならず。

 みんなで一緒に学べることを見つけ出して、先生たちを巻き込んでしまえというのがマドカの作戦だった。

 テーブルの上はあらかた片づいていた。それでもまだ、何人か食べている人がいる。

 いったん離席した私はまずキッチンを覗いた。キラリと岡島くんがお母さんのお手伝いがてら、洗い物をしている。私に気づいたのだろう。キラリが、


「寝てなくていいのか」


 って言うの。

 もうね。言葉だけでいったら「彼氏か?」って感じだし、


「キラリはもはや私の彼氏なのでは?」

「あほか」


 実際に言ったら秒で流された。


「疲れてるんだろ。無理せず寝てろ。あとはやっとくから」


 イチゴたちがぷちたちを連れ出す前、食事中にやってきて私を休ませようとしたときにキラリはこう言った。いまも繰り返しているし、顔がこわばっている。

 心配半分、後悔半分。私のことを気にしてくれているのだろう。コトネが「近い距離の関係だからこそ言えないこともある」と言葉にしなかったら? 私は気づかないままだった。キラリも、遅れてきたみんなも、私のくたびれっぷりを見て気づいたみたいだ。

 マドカは既に切りかえている。だからコトネと今後について詰めている。だけど気にしていないわけじゃなくて、私みたいに抱え込むタイプ。

 ただ、でも、しょうがない。

 こどもがたくさんできた場合の勉強なんて、一切しない。交際、あるいは性体験を経験する、それだけでざわつくのにこどもはね。さすがに先を行きすぎてるよ。

 みんな、私には直接、面と向かっては言わないけどさ。「こどもじゃなくて、式神としてみるのは」とか「いや、結局ぷちたちがこどもであることには変わりないし」とか、歯切れの悪い会話をしていた。二階で本を読みながら頭と心の整理をつけている間、聞こえてきた話だ。

 途中、逆シャアトークあたりで荒ぶった。理不尽に感じるストレスを、直接はなすことのないだれかに理不尽にぶつける形で。

 反省……っ!

 学んで見える「どうにかなりそうなこと」とか「なんでだれもこれをしてこなかったんだとうなだれちゃうこと」とかは、そう感じる瞬間にまず傷つく。ストレスを感じる。

 アタッチメントの精神医学を読んだとき。ボウルビィの実験の話。セルフ・コンパッション。いずれにせよ、わりとしんどい。

 ボウルビィの愛着理論。すんごくざっくり言うと?

 こどもが養育者に愛情を強く示すように、人が特定の人物と愛情的な絆を結ぶ、この繋がりを愛着と呼ぶ。アタッチメントでもいい。

 愛着を抱くことのできる存在がいるからこそ、こどもは安心して世界を探索することができる。逆に愛着を抱くことができなければ、身近の環境に強い負荷が生じているから、まずこれに対処するのにエネルギーを向ける。そのための対応は? 成長して、やがて大人になったときに属するコミュニティでは、通用しない特異なものになってしまいがち。であるがゆえに、自分が属することのできる環境を求めてしまう。愛着の抱けない手段と環境は、世代を重ねて連続性を持つ。その、恐れがある。それくらい、影響は長く広く続いていってしまうもの。

 ならば愛着はどのようにすれば形成される?

 たとえば犬を飼う人がいる。

 犬は飼い主に無条件に愛情を向けるのだろうか。犬は飼い主を主として崇め、序列を守り、群れとしてただただ従ういきものなのだろうか。

 散歩に連れ出せば常に主人の顔を見るし「ここでトイレしろ」といえば、そのとおりに従うと? 犬の好む匂い、たとえば靴下や靴を噛んで暴れたりしないと? 教わったこともないのに「座れ」や「伏せ」といえば、そのとおりにすると?

 もしそう信じているのだとしたら、気まぐれでもいい。ドッグトレーニングについて調べてみてもいいかもしれない。

 まず無意識に自分が上であると思い込むのも、人の言葉を犬は理解するべきで、言えば伝わると考えるのも、問題がある。

 彼らにご飯をあげ、月に一度は散歩に連れ出せば、彼らは満足し、主人を愛すると? 愛着が形成されると?

 ちがう。

 共に笑い、共に泣く。これだと儀式的で、いかにもカルトが用いそう! そんな映画がいつかみられそう。百年単位で白夜に続けられるおぞましい儀式を執り行う、古くから存在するカルト集団。ううん! いかにも!

 もっと、俗な話でさ?

 泣いたら駆けつけてきてくれるし、笑ったら笑い返してくれる。自分が思ったことを話したら、一緒になって共感してくれる。いつだってそばにいてくれる。

 ざっくりいえば、こんな感じ。

 家族なら? こどもなら、家にいるときの過ごし方。

 ともだちや仲間、相棒、恋人やパートナーなら? 一緒にいる時間の過ごし方。

 ドラマのデクスターは愛着を形成するべく、いま挙げた反応を機械的に行なおうとするし、努力もするんだけど、相手に共感できないのだからギャップは生じる。長く一緒にいれば、どうしたって無視できないギャップも生じる。人生の節目になるおおきなできごと、あるいはケアが必要となるような事件が起きたあとだと? 致命的だ。

 まあ。ドラマだけに、脚色はもちろんあるだろうけどさ?

 ひとまず現状、アメリカの犯罪心理学でのシリアルキラーにみる心理は、ドラマで聞く限りじゃあ? みたいな「噂によると」程度の話でしかない。

 ダークナイトのジョーカーみたいな人が出てきちゃったとき、現状の心理学の学者のみなさんはどう分析するのだろう。そういう企画が動画であがっていたら、みちゃうなーっ!

 グロテスクだし、センシティブな話題なのに、なんでか惹かれてしまう。

 レクター教授しかり。

 あ、でもドラマ版のほうね? 映画版のレクターは怪物として完成されていて、こわすぎる!

 ドラマ版が怪物として未熟、という話じゃないよ? あれはまた別種の恐ろしさがある。調理シーンが美しいからこそ恐ろしい。

 いけない。また横道に逸れてきた。


「じゃあ子守歌を歌ってよ」

「はあ?」

「いってきたら」

「いや岡島、春灯のフォローをするタイミングよ」


 やらないぞ、あたしは。

 そう堅持しながらも、お母さんに借りたのだろうエプロンで手を拭いて、脱いで畳む。すかさずお母さんが「洗濯機につっこんどいて」と言う。


「部屋に送るとこまでな」


 こどもかよってふくれながらも、キラリが私の背中を押す。

 途中、脱衣所に寄ってエプロンを洗濯機へ。そしてそのまま一緒に二階の私の部屋へ。

 ベッドに腰掛けて、キラリに着席を促すべく隣を叩いた。

 私の顔を見て、いやそうに唇を結んで、鼻で深呼吸をする。それから、渋々隣にきた。

 でもって、しゃべらない。寝ろよとか、下に戻るぞとか、そういう言葉はなし。

 私も私で、ぱっと浮かぶ言葉がない。

 どちらからか。ほとんど同時に身を寄せて、ふたりしてため息をつく。


「「 はあ 」」


 共鳴するような反応も、なんなら愉快で楽しいんだけど。

 いまは笑える気分じゃない。

 お互いに目を合わせて、苦笑い。

 同じ気分でいるんだと通じ合った瞬間だった。

 ふと「これもある意味、愛着の形成になるのかな」と考える。

 それはでも、ほんとにささやかなプラスだ。膨大なプラスを集めて、私たちはやっと、形成を望む愛着の欠片を生みだし、育むことができるのだろう。傷つけ破壊するのはたやすいものだから、日常的に育て続ける。

 なんていうのはさ。

 これが必要だぞって思っただれもがたどりつくことじゃない。別のなにかに向かっていくこともあるだろう。

 ボウルビィのアタッチメント理論。まずボウルビィが一九○七年に生まれて九十年に亡くなった人だ。次に起源とされるのは、五十八年に出版された論文だという。

 そこからブラッシュアップされ続けているとして。あるいは知見の土台に利用されたり、研究されたりするとして。浸透するのに十分な年月があったのか。信頼性の担保を得られているのか。

 どうかな~!

 私たちにとっては当たり前のスマホもおばあちゃんにしてみれば馴染みの薄いハイテクみたい。おばあちゃんはそれでも利用してるほうだけど、はなからやらない、学ばないっていう人もいる。スマホでさえ、これだ。

 アタッチメント理論、愛着形成。それは自身の幼い頃や、あるいは成熟して産み育てたこどもと自分に対する評価や物差しに捉えられてしまうと? 自分を強く攻撃する、窮屈で侵略的な枠組みみたいに思えてくる場合もあるだろう。

 すごく繊細なテーマだから、私にとっては「これぞ!」と思えるものであっても、別のだれかにとっては「うさんくさいの! そうじゃないと、困るの!」とバッシングする対象になり得てしまう。

 なので? まだまだこれから、なのかもしれない。

 ちなみに五十八年に発表されたハーロウの「愛の性質」という論文で、幼いこどものサルへの実験が行なわれた。手触りのいいふかふかの代理母と、ミルクを出す哺乳瓶つきのハリガネ製の代理母のどちらに、幼いサルは愛着を形成するのか、という主旨だった。結果はふかふかの代理母に日頃はひっつき、お腹がすいたときのみ渋々、ハリガネ代理母のミルクを飲みにいったんだったかな? なので肌触りのいいふかふか代理母に愛着を抱くところから、愛着は食事を与えてくれるからではなく、スキンシップによって形成されるのではないかという結論になったのだとか。

 読んでないから。

 知らないけど。

 いずれ読もうと思うのだけど。

 じゃないとさ?

 ついつい単純に「肌触りがいいほうにひっつきたくない?」って思っちゃうもの。加えていえば、それじゃあスキンシップがゴールみたいになりません? と疑問に抱くよ?

 それよりもボウルビィの形成にまつわる意見のほうが、まだ現実的に思える。スキンシップは最低限というか。なんだろ。アタッチメントの精神医学における、発達性トラウマ障害に読む症状のひとつ、スキンシップへの依存なんかが思い浮かぶよ?

 そこからいくとさ?


『ご飯たべさせてやってるだろ』


 だの。


『養ってやってんだろ』


 だの。

 どれも的外れだ。


『親に向かってなんて口の利き方だ!』


 なんていうのも。


『俺は父親だぞ!』

『私は母親よ!?』


 なんていうのも?

 やっぱりどっちも的外れ。

 なんだよね。

 そういう言葉が当たり前に飛び交う時代にさえ、ちゃんとあった「情に厚い」っていうのは結局のところ、愛着の形成について言語化はしていないまでも認識はしていて、気をつけている人たちの所作に向けての印象だったんじゃないかな?

 ね。

 同じような言葉は、呟きアプリにさえ見かける。あるいは大手ネットニュースのコメント欄にもあるみたい?

 転じてそれは、愛着が形成されていないことを示す声なのかもしれない。

 ボウルビィにせよハーロウにせよ、一九五八年の論文の時点で「生活に必要な食事、環境に繋がる要因では愛着は形成されない」という方向性を見いだしているのでは?

 なのに現代において、そこから六十年ものときが経過してなお、むしろ愛着が形成されないことによる影響の問題点が、より深刻化しているのでは?

 なんて思っちゃうと?

 しんどい。

 そういう遠くて広すぎる世の中から、ぐっとずっと身近に焦点を戻してみてさ。

 キラリと重ねる腕の感触と、ふたりで語ることもできないでいるこの疲労感に思いを馳せるとね?

 しんどい。

 私発信でお互いに意識していてなお、ずっとあさってのことばかりしてた。

 永遠にこないあさっての方向に近づくことはなく。キラリのことなんて見てない私は、私の理想でキラリを攻撃してきた。

 いまの距離感は奇跡。


「――……結ちゃんがさ」

「ん?」


 つい、喉から出たことばを止められず、キラリが不思議そうに私を見た。

 でもね。困る。私だって、ビビってる。なんで言っちゃったんだ。

 わからないのに、言っちゃったらもう、ごまかせない。

 ごまかせた試しがない。また、そうしたいわけでもない。


「結ちゃんが、みんなと連絡とって、キラリと連絡とりあって。そうしてこなかったら、私はきっと、なにもしなかった。傷つけた自覚、あるし」


 だって。


「私は、ずっと、キラリを責めてた。私とか、思いどおりにいかない世の中とか、そういうのぜんぶどうにもできなくて、キラリを責めてた」


 最低だ。


「もういいって言葉じゃ足りないんだな。何度目だ? それ」

「わかんない」

「あたしも数えてない」


 しんどい沈黙。気まずさはない。


「――……あたしも同じ形で春灯を責めたり、逃げたりしてたから。お互いさまでしょ」

「んんん」

「なに」


 肘でつつかれて、こぼす。


「そこから、すこしも変わってない。私」

「あほか。あたしだってそうだわ」

「それだと、ぷちたち相手にもやらかすの」

「それでなにか? 焦って、前みたいなことしないようにって我慢して、限界か」

「……そんなとこ」

「そりゃあ」


 責められてもなじられてもおかしくない。

 それだけのことしたと自白したあとだから。


「しんどいな」


 でも、キラリはしない。

 私が求める逃避を、私が自分を傷つけるだけだとわかっているから、選ばない。


「あたしも、なんにもできなくて、しんどい」

「……ごめん」

「限界なのに言えなんて無茶だろ。言えるようにする方法かんがえたほうがマシだ」


 あるのかどうかも知らないけどさ、とキラリが呟く。

 扉は閉めてある。なのに、お互い獣耳が生えていて、階下のみんなのああでもない、こうでもないっていう話がとてもよく聞こえる。

 マドカが舵を切っている。どうも理華ちゃんたちに、一時的にぷちが出てきたことがあったようだ。そのときの一件を持ち出して、自分にぷちがいたらどうするかを学ぶ予行演習みたいな方向性を打ち出している。

 超元気。明るい声で、活発な議論を。

 でもマドカの声だけ、どこか空元気。

 空元気なのにすごい、とも。なんとか動けちゃうのやばい、とも。無理させちゃってごめん、とも。思うし、ずれてて間違ってるよなあとうなだれる。

 ぷちたちが眠るときのタオルケットがまだ残っていて、畳むのを忘れた布地をキラリが手で撫でていた。


「よくわかんないことまみれだな。人生」

「えええ。なに? 急に」

「中学に変な格好して毎日、登校してたヤツがさ? いまじゃこどものやさしい香りのするベッドで寝てる。たくさんのこどもたちと過ごしてる。で、途方に暮れてる」

「……まあ」


 そう言われてみたら、よくわかんないことまみれだ。人生。


「あたしは猫、あんたは狐。尻尾を生やして、刀を持って、大立ち回りをすることもある。えげつない事件に巻き込まれることも」

「ねえ」

「しかも仕事もしてる」

「すごいことになっちゃってんねえ。想像もしてなかったよ」

「おかげで予習もしてないからさ。よくわかんないことまみれだ」


 ふたりして顔を見あわせてから、ほぼ同時にため息が出た。


「予習しようがないよ。こんなのさ」

「だよな。おかげで、ぼちぼちやってくしかないわけだ」

「ねー」


 笑うしかない。

 原始に生きた人々も。定住に切りかえて農耕をはじめた人々も。ときが流れて、表向き天下泰平の世が来た頃の人々も。

 いまだってそう。

 ぼちぼちやってくしかない。

 当たり前のことなのになー。なんでかなー。もうちょっと、うまくやれた気がしちゃうのは。

 それは高望みでさえない、ただの妄想だとしてさ?


「ひとりじゃないんだぞ? 忘れんなよ? あたしも。春灯も」

「最初にあたしなの?」

「じゃなきゃ、たまに忘れちゃうだろ? なんとかできそうな気がして、ほっといちゃうだろ」


 自分に対して。だれかに対して。

 対象が自分なら? 悩みを抱え込んで、対処できないまま、いつか爆発する。

 対象がだれかなら? 爆発まで放っておくことになる。そこに愛着が形成されるはずもなく。それによって生まれるやばさは、あらゆる問題へと連続性を持って影響を与えていく。

 影響に関していえば、自分もだれかも一緒。

 やばいよね。やばいよ? やばいんだよ。

 けど危機感や、限界だって悲鳴に寄り添うのは大変だ。

 こういうときに素直に言えちゃうのはすごいね。

 ひとまず、まだできないや。

 ますます難しさを感じちゃうぞ? ぷちたちは、それをできちゃうから。

 私にどれだけ受けとめられるだろう。愛着を育んでいけるだろう。

 さっぱりわからない。

 キラリ相手にも。カナタ相手にも。ほかのだれを相手にしても、自分で意識して、どれほど育んでこれたろう。

 まるで思い当たらない。

 自信のなさ。その根拠。あるいは私に自信がないと叫ぶいきものたち。

 それらが私のモチベを挫く。

 そりゃあ養育者のトレーニングをっていうよなあ。

 お仕事で会うおとなたちも、だれもができてるとも思えないしなー。

 ふとした場面で出るよね。立場が下だと見なした相手への態度として。答え合わせの機会はそこら中にある、ようであり。答え合わせじゃあない。現状のチェックに過ぎない。それだけ。

 相手が教授やアダムクラスだと?

 自分相手に既にテンパっちゃうから、ますますどうしていいのかわからなくなる。

 ノンちゃんの言うとおり、愛について学ぶんなら、そればっかり見ていたら気づかないことがやまほどあるなあ。できないことに気づいてなんぼだ。

 愛着。それはきっと、愛さずにいられない瞬間が増えていくもの。

 このくらいでいいやっていう話じゃあ、ないなあ。

 和歌集の歌の中に、愛着から生まれた歌はどれほどあるのだろう。和歌集に入らなかった歌にさえ、愛着から生まれたものがあったろう。

 てんで的外れな言葉が行き交う時代にさえ。そういう言葉を口にする人の中にさえ、あったろう。

 欠けた愛着を、こつこつと日常で育んでいく性質のものを、いきなり何年、十何年、はたまた何十年分もいきなり穴埋めすることはできない。悲しいけど、つらいけど、できやしない。

 それゆえに恐ろしくて、こわくて、さみしくて、つらくて、ついつい荒れ狂うのかもしれない。

 だからこそ、安全基地に導く。

 そして、こつこつと、いまから育んでいく。

 見誤るな。

 いきなりすべての穴を埋めるんじゃない。

 いまから育み、増やしていくんだ。こつこつと。ゆっくりと。のびのびと。


「――……ありがと、来てくれて」

「水くさいんだよ」


 ばか、と肘でつつかれた。

 そういうツンツンぶりも含めて、大好きなともだちだ。

 そんな特別な人とさえ、日常をこつこつと。

 激しく強く求めるのではなく、ゆっくりと。

 巨大な穴を見つけたり、作りだしては、それを産める答えを探すのではなく、作るのでもなく。

 あなたと、これから生きる。一緒に居る。それくらい、のびのびと。




 つづく!

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