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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百六十二話

 



 養育環境の健全な形とはなにか。

 一定の指標を示すだけで論争に発展しかねない。

 ひとまず健康な肉体を有して、社会的活動に勤しむことができることを基準としたとき、それを損ねる状態を不健全とする。

 いわば症状が見られることを示すもの。風邪かもしれない。筋肉痛かもしれなければ、捻挫や打ち身かもしれない。胃痛や胸焼けの類いかもしれない。

 それぞれの対処は一定の指標を提示できる。現代においては。

 しかし、こと精神保健に関する領域ではどうか。

 幼子に病院で症状の説明を願っても、彼らが医師の求める明瞭な報告ができるだろうか。もちろん否。かなりの困難を伴う。赤子の泣いている理由を知るようなもの。なんなら、他のいきものと意思疎通を図るようなもの。ないし、他のいきものの生態を読み解くようなもの。

 コミュニケーションは手段だ。互いの求める水準は異なり、実行可能な水準もまた異なるのだから、ギャップは存在することを前提として捉える。手段を己の求める精度に近づけるには、まず自分にできることを増やすほうが手っ取り早い。

 ところで現実に行なうのは難しく、精神保健に関する領域では困難を伴う。

 感情によるバイアスは語る内容に影響を及ぼす。だが話者のバイアスに対して、聞き手が完全にその程度を計測するなど不可能といっていい。加えてそれぞれの体験と、個人の内部に生じるバイアスのすべてを計測し、これらを体系立てた情報に仕上げて、エビデンスにするなんて個人的には不可能な領域に思える。少なくとも、現段階では。それゆえに心理系の実験は、ものによってはひどく風当たりが強くなるのも、ある意味では現代の限界を示す指標なのかもしれない。

 それでも多くの学者や現場の専門家たちが従事し、まとめ、研究し、取り組んでいる分野である。精神保健の領域においても、一定の指標は存在する。

 アタッチメントの精神医学より引用する。


『不適切養育が子どもの精神保健にもたらす否定的転帰の多くがDTDという概念で説明される』


 DTDとは、Developmental Trauma Disorder、発達性トラウマ障害の意味だ。

 転帰とは? 病状、怪我などの経過や結果を示す言葉だそうだ。種類として、治癒や軽快、寛解もあれば、不変、憎悪も。転医や転院、あるいは死亡ということも。いずれにせよ専門用語であるようだから、よく学びもしない素人が使うのは「危険! 取り扱い要注意!」といったところだろう。


『PTSD症状の治療と、情動および対人関係の制御機能の回復または獲得が臨床的介入の大きな柱となる』


 二本の柱が、不適切養育によって生じる症状に対して必要となる。

 それはなにか。


『成人の複雑性PTSDの場合には、2相の治療過程、すなわち「安定化(Stabilization)」と「トラウマ処理に焦点化した介入」の2段階に分けた治療モデルがガイドラインで示されている』


 安定化と、トラウマ処理に焦点化した介入。

 それぞれについて説明を。

 まずは安定化から。


『安定化の段階で行なわれるスキルトレーニングは、情動制御困難、自己に関連する否定的意味づけ、社会機能の障害、解離などへの対処を目標としている』

『発達途上にある子どもにおいては、これらの目標はいずれも養育者とのアタッチメント形成の過程で達成される社会・情緒発達のマイルストーンである』


 アタッチメントを今回は愛着と読む。

 ボウルビィのアタッチメント理論が下地になっている。


『養育者あるいは代理となる養育環境から高い感受性と一貫性を備えたかかわりが提供されることで、情動制御や肯定的な自己概念、対人関係、安定した自己感覚を新たに獲得する』

『これらの目標に加えヴァン・デア・コーク(van der Kolk, 2005)は、子どもは安全感や環境の予測可能性が高まることで、脅威へのとらわれによって抑制されていた探索行動が増え、身体感覚への注目、楽しみや身体的な熟達(Mastery)を体験することを強調している』


 ひとまず、安定化の説明での引用はここまで。

 養育時の環境において、高い感受性と一貫性を備えたかかわりが提供される。それによって、こどもは情動制御や肯定的な自己概念、対人関係、安定した自己感覚を新たに獲得する。

 逆にいえば不適切養育においては、これらの能力が満足に得られないのではないかと安易に想像してしまう。あるいは、こどもの負荷となることを想定するけれど、ここは結論を焦らずに以後の説明に内容を譲る。

 今回、注目するのは、養育環境に求める要素と、それによって獲得されるもの。

 スキルトレーニングに並んで養育環境に、獲得されるものを結びつけて論じていることから、トレーニングは環境の整備に着目されたものではないか? と疑問を抱く。

 その疑問を胸に抱いて「トラウマ処理に焦点化した介入」をするとき、その対象について考えてみたい。


『アタッチメントの領域の主な治療のターゲットは、子ども自身よりも養育システム自体である』


 ここで明言されている内容を記憶しながら、続けよう。


『養育システムの鍵となる実親や里親、入所施設のスタッフや治療者など子どもに生活環境で接する存在が、子どもの示すトラウマ反応に直面した際の自分自身の情緒的体験を認識し、制御できることが目標となる』


 トレーニングが必要な人がいたとき、その人に接する存在が自分自身の情緒的体験を認識し、制御できることを目標とする。

 アタッチメントの領域の主な治療のターゲットは、トレーニングを求める者よりも、養育システム自体である。そう言えるのではないかと、焦る気持ちを抱いて読んだものだ。


『心的外傷に関する心理教育を通じて情動調律の能力を高め、肯定的なかかわりを増やすことを目指す』


 養育をする側が学ぶもの。目指すこと。介入するとき、獲得するものだと言えるのではないか。


『自己制御の領域の治療コンポーネントには、感情体験を言葉にして、きっかけの出来事、自分の生理的状態、行動と対処法をつなぐことが含まれる』


 コンポーネントはシオリ先輩からプログラムについて話してもらったときに教わった。

 単体で使うのではなく、呼び出されて使われる部品のようなもの。プログラムを「なにかをする」のだとしたら、いちいちゼロから作るのではなく、一度つくって「これ使えばいいや」と流用できると楽だ。性能としても、運用している実績があれば、担保が取りやすい。変えた部分はしっかりテストをしなきゃいけないそうだが、逆にいえば流用して済むのなら、いちいちテストは必要ない。作った処理のひとつひとつを丁寧にテストしていくとしたら、大規模なプログラムほどテストにかかるコストがあがる。けれど、使い回せる部品があって、組み合わせにおいても、実績があるのなら? 必然的にテストのコストも下がる。

 逆に不確かな「できてるっぽいなにか」だと? テストの負荷は増す。

 コンポーネントの信頼性は、とどのつまり「明瞭で、かつテストをし尽くしている」ところにあるのではないか。七つの会議における、本来あるべきネジのように。

 治療においてのコンポーネントとして捉えるのなら、一定の手順が決まった治療をいうのではないか。その内訳に、感情体験を言葉にして、きっかけのできごと、自分の生理的状態、行動と対処法をつなぐことが含まれている、と。

 学校で体験したことを言葉にして、お母さんやお父さんに語る。できごと、自分はどう感じたか、どう思ったか。

 あるいは身体が痛いとき。怪我をしたり、病気かもと思ったとき。ご飯がおいしくないとき。お父さんやお母さんの言葉がいやだと思ったとき。自分がなにかいやで行動せずにいられないとき。

 ぷちたちが私に訴えるように。

 こどもの頃の私がお母さんたちに訴えたように。

 逆にお姉ちゃんが遠慮しすぎて、地獄のご両親に対して塞ぎ込みがちになったように。

 去年の五月で仲直りをする前、カナタに対してシュウさんは荒れ狂うばかりだった。シュウさんが肯定的なかかわりを増やせるようにするには? やはり、治療が必要だったのではないか。


『覚醒水準を調節する方法が乏しいために感情に圧倒されてしまうかシャットダウンするような身体反応に対して、子ども自身が内的状態とつながりをもちながら感情を取り扱う方法を学び、安全な関係性のなかで感情を伝えられるような情緒的絆を養育者とのあいだに築くことである』


 これを目指すとき「安全な関係性のなかで感情を伝えられるような情緒的絆を養育者とのあいだに築くこと」が目標になる。

 いつかのカナタとシュウさんなら、シュウさんが。

 いまの私なら? ぷちたちに対して、私が目標として目指すもの。

 安全な関係性のなかで、私に感情を伝えられる情緒的な絆を、私が、ぷちたちと築くことが大事。


『コンピテンシーの領域では、問題解決や実行機能など困難をもちやすい課題において、子どもが自分の行為の結果を予測し効果的な選択ができることを助け、主体性の感覚を育むことが治療のターゲットとなる』


 コンピテンシー。大辞林によれば「〔能力・資格・適性の意〕企業の人事評価で、業績優秀者の行動の様式や特性」を指す。高い成果につながる行動特性と示す記事をネットに見かけた。

 この場合は治療の効果をより高くする場合の目標設定の話かな?


『多くの子どもが外傷的ストレスや不適切な養育環境のために体験の断片化を生じ、また早期の探索行動の抑制によって自己感の発達が抑制され、否定的な自己概念が内在化されている』

『自分がユニークな存在であるという肯定的な自己感や体験のつながり・まとまりを獲得することで、自身の将来に方向性を見出せるようになることが目指される』


 私が小学生のときに聞いた話と概ね真逆。


『PTSD症状は連続性をもっている。外傷的ストレスへの適応過程で生じた発達の多様な表現型に応じた環境調整は重要な目標である』


 そう示される記述を見てから、すこし本の内容をさかのぼる。

 

『DTDの診断基準としての妥当性をみるために、児童思春期の臨床家を対象に、複雑な状態像の模擬ケース患者を用いたアンケート調査が実施され、DTDと診断されたケースを既存のDSM診断カテゴリーに該当したケースと比較して、DTD診断基準の各項目の判断力をみる調査が行なわれた』


 発達性トラウマ障害の診断基準は妥当かどうか。

 既存の診断カテゴリーに該当したケースと比較した。

 どれだけキャッチできるかどうか。


『その結果によれば、DTDとDSM-IVのPTSDとのあいだで有意な判断力をもった項目は、各基準の項目のなかでも抑制型あるいは脱抑制型の愛着障害行動や「安全基地の歪み」として記述される行動、すなわち養育者との別離の反復、感情表出の抑制、自分を危険に曝すこと、無差別の身体接触などであった。また不安障害や抑うつ障害、外在化障害などの一般的な精神疾患との判別では、基準Dが判断力をもっていた』


 さすが、専門書。

 専門的な用語が多い。

 私が調べた限り、DSM-IVは精神疾患の診断・統計マニュアル、その第四版のことを示すようだ。あるいは精神疾患の分類と診断の手引でもあるよう。米国精神医学会(APA)刊行の、お医者さんのマニュアルかな。

 これはさすがに持っていない。素人の私が買って読んでも、むしろきちんと学ばずに引用するのはアウトな領域。それでいえば、今回の話も一緒なんだけどさ。

 番組でやるにしても、本でやるにしても、プロの監修あってこその内容だ。

 それを踏まえていうけれど、発達性トラウマ障害と、既存の精神疾患の診断・統計マニュアルでのPTSDの間で、特に基準Dとされるものに対して判断力を発揮したみたい。

 じゃあ基準Dとはなにか。

 アタッチメントの精神医学によれば「自己感(概念)と関係性の制御不全という心理的な問題が含まれる」そうだ。

 いやいや。そもそもなんの基準の話だ。もちろん本には記述されている。


『虐待を受けた子どもや成人が示す臨床症状は、その複雑性や、自己制御機能の発達の障害が中心的問題となる点で、他の外傷性ストレスによる症状とは質的に異なる』

『このため発達性トラウマ障害(DTD)という診断概念がDSM-5に向けて提案されていた』


 発達性トラウマ障害について、精神疾患の診断・統計マニュアル第五版に入れるべきじゃないか、という議論があったようだ。

 なにせ根深い問題だ。なぜならば?


『発達早期には成人期とは異なるストレス対処のメカニズムがあり、発達途上にある個体の生理的・認知的制御機能よりも、アタッチメント対象との二者関係における相互作用によるストレス緩衝機能に多くを依存している』


 カナタなら? シュウさんとの関係における相互作用によるストレス緩衝機能に、ストレス対処のメカニズムが多くを依存している。


『発達早期から病理的なケアに曝露される生活環境では、関係性によるストレス緩衝機能にも機能不全や破綻があるため、子どもは特異な適応戦略を用い、それを自己制御機能にも取り入れていく』

『病理的な養育環境で獲得された適応戦略と自己制御機能は、差し迫った脅威や機能不全のない社会環境では非適応的なものとなる』

『結果として、その後のライフコースで新たなリスクの高い環境を選択することにつながり、外傷的ストレスへの再曝露のリスクを高める』

『このような環境との否定的な相互交渉過程は、虐待を受けた子どもおよび成人のサバイバーの多くに共通してみられる。ここでは、不適切養育によるPTSDの病態について、アタッチメントの側面から検討する』


 デクスターというアメリカドラマがある。

 幼い頃にコンテナに囚われ、目の前で母親がチェーンソーで解体され、殺される場面を目撃した。犯人は立ち去り、デクスターはコンテナに囚われたまま、数日を過ごした後に警察によって救助された。

 母の肉塊、血だまりの中で。

 それは彼のトラウマとなり、駆けつけた警察官に引き取られながらも、警察官による指導のもと「捕まらず、悪党だけを狙って殺すシリアルキラー」へと成長していく。あるいは、そう仕向けられる。彼の殺人と血への衝動を、義父となった警察官はなくすのではなく、制御する術を模索した。そしてとうとうデクスターの殺人初体験を間近に見て、強いショックを受けて苛まれることになる。

 デクスターは止まらない。やめられない。殺した人間の罪の告白を求め、殺す前に血をとり、保管する。収拾物だ。

 おまけに彼は警察で鑑識になった。悪党の情報を収集し、警察が捕まえられない犯人について独自に調べ、クロだと判定したら殺す。けれど、殺人のサイクルは早い。それに衝動的な場面も多々ある。

 義父の教えた術に従って犯行に及ぶ彼は、義父が元警察の一員であったこと、自身も警察組織の人間になることで、捕まらない術を心得ている。死体遺棄も。解体も。

 とてもじゃないけれど、リスクしかない。それに言うまでもないけれど殺人は犯罪だし私刑も犯罪だ。そうする意味があるものだ。しかし彼はやめられない。衝動の奴隷といってもいい。彼のアディクションは、最悪の症状といえる。

 彼の特異な生存戦略は、もちろん社会には馴染まない。むしろ逮捕し、刑務所暮らしを一生する羽目になるくらいのギャップがあるもの。おまけに彼が殺さず安全でいられるような手法を、答えを、だれも知らない。出せるものじゃない。だから彼は止まらない。捕まったら、あるいは。かな。

 もちろん、ドラマの話だ。

 それほどのトラウマについて、なにもできることが浮かばない。

 海外では紛争が終わって、一見すると平和に思える地域があるけれど、でもそこに大勢いるこどもの元兵士たちは? シャアも負けない背景の持ち主だ。

 というか、デクスターほどじゃなくても、親を失ったり、放任も含めたネグレクトを受けたり、暴力を振るわれたりする環境下で育ったら? 通った幼稚園や学校があまりに劣悪な場所だったら?

 そこに安全がなく、安心がなかったら?

 私たちは幼心に、なんとかそれに対応するべく挑む。

 けれどそこでの対応が十分ばっちりとはいかず、小学校から中学校、中学から高校、そしてその先で、環境が変わるごとに「あ、あれ!?」と戸惑う。通用するとはいえない。むしろうまくいかないことのほうが多い。

 そうなると?

 うまくいく場所、環境へと戻ろうとする。

 あるいは、それは手段かもしれない。

 デクスターにおいては、主人公のシリアルキラーとしての殺人衝動として表現されている。

 さて、そろそろ話を戻すとして。

 基準。それはつまり、発達性トラウマ障害の診断項目の基準を示す。


『基準Aには、反復性の対人暴力や、不適切養育への曝露などの外傷的ストレスの存在が含まれる』

『暴力や性暴力の被害、養育者との反復する別離、信頼できる養育者がいないこと、養育者による心理的虐待や心理的身体的ネグレクトなどが具体的な項目である』

『基準Bは、情動と生理学的制御の障害に関連する症状項目である』

『情動制御の問題として怒りの爆発や易刺激性、不快気分から回復しにくく肯定的な感情をもちにくいこと、感情表出の困難と回避があり、生理的調整の障害として摂食や排泄の問題、身体表現性の痛み、接触忌避がある』

『基準Cは、注意と行動の制御障害に関する項目からなる。脅威へのとらわれ、反応性の攻撃行動、脅威の認知と回避、危険で向こう見ずな行動、自傷や不適切な自己慰撫行動なごが含まれる』


 そして、


『基準Dには自己感(概念)と関係性の制御不全という心理的な問題が含まれる』

『自分がダメージを受け、回復できないという信念や、裏切りやいじめを受けるだろうという予測、無差別な身体接触、他者の苦痛への過剰な同一化、取り返しのつかない喪失体験を予測するなどの項目がある』


 のだ。


『これらDTDの診断基準に含まれる項目の多くが、RADや「安全基地の歪み」、無秩序型のアタッチメントパターンでみられる行動、RADの診断を受けた子どもの発達過程でしばしばみられる痛みや生理的調節障害などの心身の問題と共通している』


 これらの診断基準が妥当かどうかのアンケートをした、その結果は?

 不安障害や抑うつ障害、外在化障害などの一般的な精神疾患との判別では、基準Dが判断力をもっていた、ということだ。

 でね?


『DTDという診断概念の導入は、診断学的見地だけでなく治療実践においても意義がある』

『1つには、多くの診断を重ねて受けることで生じるスティグマを、統一された診断によって避けることができる』

『また、臨床症状が発達早期のアタッチメント対象との関係性において生じる心的外傷によるものであることが明確にされることで、二者関係のアタッチメントに焦点づけた治療のフォーミュレーションが可能になる』


 これ、かなり重要なところ。

 というのも、私たちはいくらでも非難する語彙を持っている。

 否定するための語彙は、診断を重ねる過程で患者さんを襲うかもしれない。

 風邪をひいただけで軟弱だの自己管理なってないだのいろいろ言われる世の中で、メンタル面で治療をしようとしたら? 心ない人たちがどれほど語彙を駆使するか。あるいは、自分自身がどれほど自分を傷つけてしまうか。

 スティグマ。自分を否定する象徴的なもの。あるいは、その概念。

 身体のどこかが悪い。調子がどうにも悪い。

 みんなのようにできない。どうも失敗する。

 専門家を頼るものの「これだ!」と思えない。思えても思えなくても関係なく、継続してみて、ちっとも成果が出ない。

 自己肯定ではなく自己否定に走ると自分を傷つけるし、自己肯定ではなく自己否定も回避しようとして他者否定に走ると、それはそれで悲惨なことになる。いずれにせよ治療には向かわない。

 そのときアディクションとして、なにかに依存するかもしれない。

 依存は幅広く、数多くあるほどいいというのがいまの私の考えだ。生きるうえでのすべてのストレスをお酒や賭け事、浪費、身体的接触など、どれかひとつに委ねたら? あるいは暴力だけに委ねたら? 悲惨なことになるのは、目に見えるようだ。

 なのに自分ではどんなにやめたくてもやめられない。そういう性質のものだというのなら、やっぱり依存はきちんと広げる。増やしていく。

 世界にたったひとりのヒーローに頼るしかないんじゃなくて、みんなとできることを増やしていく。前者は特に独裁者や、そうした体勢を好む集団が振りかざすもの。まやかしだ。

 実際には、後者。問題がないとはいわない。けど、それでも後者。


『先のアンケート調査では、既存のPTSDや他の精神疾患に対するエビデンスに基づく治療法への反応性は十分ではないと多くの臨床家たちが回答している』

『治療への反応性の低い項目は、先に指摘したアタッチメントに関連する項目と重なっている』

『すなわちDTDの治療においては、アタッチメントの破綻からの回復を促し、感情や対人関係の自己制御能力を高めることができる肯定的な生活環境の提供が不可欠であることが共通認識となっていた』


 ここで参考にされている内容によれば、アンケートに答えた多くの臨床家たちは発達性トラウマ障害の治療は愛着の破綻からの回復を促し、感情や対人関係の自己制御能力を高めることができる、肯定的な、生活環境の、提供が不可欠であることが共通認識となっていた。

 あくまでも、肯定的な生活環境の提供が不可欠となっていた、だ。

 先に述べたとおり、発達性トラウマ障害の患者に対して、患者になにかを求め、やれと糾弾するのでも、責任を問うのでも、能力について否定するのでもない。

 安全基地の提供を。養育環境で関わる人が自己の情緒を制御する術を。学びを。そして、患者さんが安心して過ごせる環境を。

 このとき、患者さんが自身を攻撃しかねない要素はやまほどある。診察を何度も受けては適切な診断がくだされず、適切な治療に繋がらないので一向に快方に向かわないから精神的に深く傷ついている場合があるだろう。のみならず、診察に訪れる前に、既に著しく傷ついているケースもありそうだ。養育環境に問題を見るのなら、その可能性は推して知るべし。

 おまけにさ?

 もういちど引用するけれど、


『虐待を受けた子どもや成人が示す臨床症状は、その複雑性や、自己制御機能の発達の障害が中心的問題となる点で、他の外傷性ストレスによる症状とは質的に異なる』


 なので、発達性トラウマ障害を診断・統計マニュアルの第五版に入れようというわけでしょ?

 まさにいま。なう! な動き。ってことは、専門家のみなさんの領域での話なのでは?

 私たちに、専門家じゃないし、学んでいない人まで下りてきていない話では?

 あ。

 念のためいうと、それはつまり繊細で、むずかしい、極めて専門的な領域なのでは? っていう疑念であって「やつらのいんぼうがある!」みたいな話じゃないのよ?

 たとえば私がぷちたちに向きあわず、特に構わないだけで、あの子たちはみんなでそれぞれに「なんとか! なんとかしなきゃ!」と対応する。それは夜中に出てきて、私にしがみついて寝たり、朝に出てきてお風呂をねだったり、食事をねだったりするような行動だ。実際にこれまで、何度もあったことだ。

 式神だから。尻尾の中で完結していると思っていたから。それで、済ませていたから。

 ほんとはちがった。

 もちろんちがった。

 それじゃあ、とうぜん、だめだった。

 おおいにあわてる私にとって。

 あるいはかつて、学校でなにかとトラブルまみれだった心の中にいるかつての私にとって。

 ここでまとめた内容は、道標となる。

 体力おばけのイチゴが、ノノカたちと連れだって、ぷちたちをプールに連れだしてくれた。

 私はめずらしく、おうちでお留守番。

 だから本を読み、思考を整理できている。

 疑問はある。

 たとえばかつての荒ぶるシュウさんに、自分の情緒を制御できる術を教えられる人はいただろうか。ソウイチさんは? 無理だ。自分のことで精いっぱいだった。

 だれもが自分で限界。安全基地の歪みが生じたときの、ケアも、手段も、だれも知らない。どこに助けを求め、どうやって依存を増やして、繋げていけば、みんなが目標を見つけられるだけの余裕を作れるのか、だれも知らない。

 私だって、いまの本を頼りにしているだけで、この本のみならず、本に書かれた人々がどういう研究を頼りに、どういう論文を読み、どれほどの症例と接してきたかなんて、欠片も知らない。さっぱりわからない。

 専門家に頼る。もっとも基本的な手段は、大事な依存の手段。

 だからこそ明確に打ち出されていない方針で、診療が適切でなかったとしたら? スティグマは強化されてしまう。ダブルバインド。

 セカンドオピニオン、ほんとに大事。よくわからんって言えることも、すごく大事。失敗も、恥も、ほんとはそれを経験値にするのがとびきり大事。隠しちゃだめだ。なかったことにしちゃ、だめだ。

 だめなんだけど、安全基地がないと、依存先がいっぱいないと、守るために隠蔽されてしまう。隠さなきゃ死んじゃうなら、そりゃだれでも隠す。なので? 構造的に生じる可能性のある失敗は漏れなくってな勢いで洗い出して、対処を決めておく。対応できるのだという安全線を敷いておく。

 ぷちたちに対しては、どうだろう。

 私の目的は、ぷちたちに私の思うとおりの振る舞いをさせることではない。


『心的外傷に関する心理教育を通じて情動調律の能力を高め、肯定的なかかわりを増やすことを目指す』

『問題解決や実行機能など困難をもちやすい課題において、子どもが自分の行為の結果を予測し効果的な選択ができることを助け、主体性の感覚を育むことが治療のターゲットとなる』


 たとえば、このあたり。

 ぷちたちがいろいろ挑戦して、安心していられるよう、私は肯定的なかかわりを増やす。

 主体性の感覚を育むぷちたちの、心身の安全基地でいる。

 気持ちを掴んでくれる人がいると、すごく安心できる。お父さんもお母さんも、トウヤでさえも、私にとってはそういう人だ。だから、私もぷちたちにとって、そういう人でありたい。

 失敗してもいいの。やらかしてもいいの。どうにかしたいなって思えたとき、きっと自発的に挑んでいく。それがどうにもしくじりまくるとき、私はきっと自分の不安に負けそうになる。

 そんな自分の情緒をなだめる術を身につけて、ぷちたちが落ち着ける存在になるの。一貫性を持つ、というのも記述にあった。それも場当たり的じゃむずかしそうだから、ちゃんと考えよう。

 こうして学ぶのは、私のためにもなる。明日、だれかに接する私に活きるかもしれない。

 ま、そこはゆるく。ね。

 今回の話はさ。悲しいけど、しんどいけど、連続性のあるもの。

 環境に。世代に。連続して、続いていってしまう。

 特異な対応、それが活きる環境、集まることもあれば、だれにもいわずに続くことさえある。

 だれもが自分の受けた痛みをだれかに与える、なんていうのは暴論だ。

 そもそも今回の本と、引用した一部の内容は漏れなく専門的で、私には十分の一も理解できていないに違いない。愛生先輩に聞いた話じゃ、こういうのってやっぱり元になっていたり、引用されていたりする論文とか、研究者さんとか、その人の研究内容とか、把握してなんぼのものなんでしょ?

 私はなにひとつできてない。

 おまけに免許制があるのなら? 国家試験レベルのものなら?

 前提となる知識がやまほど必要になる。

 私はどれももってない。

 だから学んでいこうと思うのだ。

 結論を出さず、けれど考え続けようとする。

 わかったとして答えで済ませずに、知り続けようとする。

 ぷちたちと、それをする。

 私自身と、それをする。

 カナタとも。歌とも。料理とだって。

 キラリやマドカ、ノノカやヒヨリたち。トシさんや高城さんたち。

 語り出したらきりがない。

 今日ならべた言葉たちさえ、いきものだ。彼らに「はいそこで成長すとーっぷ! 答えだしたことにするから、止まれ!」なんて言ったってさ。いやいや。無理だから。そういうものじゃあないから。

 長期戦でいこうよ。ずっとさ。織り上げていくの。

 栄養はどうしたってあげることになる。自分にとって恐ろしいいきものさえ、そうだ。

 怖いとなかったことにしたくなるし、そもそもなにかの問いに出会うと答えを出そうとする。そういういきものだ。

 ま、でもさ?

 そう焦らずにいこうよ。

 早く答えを出して済ませることよりも、抱き締めても抱き締めてもきちゃうたくさんの一日のほうが大事かな。味わい深いかな。

 どんなに噛んでも味がなくならないガムを夢見たことがある。

 ひとつの味じゃ飽きちゃうことがあるのもたしか。

 だったらなんでもいくらでも。

 氷上で愛を探り、表現する人たちのように。果てしない、遊びをするの。

 ぷちたちが大変、だからどうにかしなきゃ。どうにかなった!

 そんなんじゃあ、なくってさ?

 あの子たちがなにを思い、どんなことばを育てて、どういう風に変わっていくのか、そばで見守っていくように。

 付きあっていくの。

 愛着。

 大辞林にあるアタッチメント、心の用例には、こうある。


『特定の人物に対する心理的な結びつき。多く、乳児が母親との接近を求める行動に現われるような、母子間の結びつきをいう。愛着』


 母子間というのはボウルビィのアタッチメント理論に基づくのかな?

 だけどボウルビィの理論に関しては、構築前に母子の結びつきに着目しがちだったのが、変遷をたどって養育者や、養育環境に変化しているそうだ。世界に見て、養育環境は実親に限らないし、実態にそぐわないからかな。

 とすると、特定の人物に対する心理的な結びつきでいいのでは? と思うけれど。

 もぉっと!

 ふかぁく!

 このいきものを大事に大事に育てたいぞ?

 私の中にある愛着だって、ちっとも探せてないぞ?

 今後、じんわり感じる瞬間があるだろう。

 そのたびに大事に大事にご飯をあげたいぞ?

 終わらないの。済ませないよ。

 ずっと一緒に居るよ。そのためにも、安全基地を大事にするよ?

 準備はいいんかね?




 つづく!

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