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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百六十一話

 



 タコスの生地をぷちに焼いてみてもらう。

 そこからすぐに、大騒ぎ。そばで見ていた子が自分も焼きたいと大声で訴え、他の子たちがなんだなんだとやってきて?

 じゃあもういっそ、ホットプレートを出して、みんなで焼いてみるかとなって。

 お母さんと私と、イチゴとノノカとヒヨリとで、ホットプレートを置いたテーブルを囲み、ぷちたちが万が一にも火傷をしないように防御の陣を敷く。

 ついでに手袋をつけてもらうのを作法として、そこから遊びに変えちゃう。

 二枚、三枚と焼いて、軌道に乗ってきたあたりでお母さんはキッチンへ。具材はまだ手がつけられていないからね。

 一方、コトネの声が和室から聞こえてきた。

 先生とだれかを呼んで、事情を説明し、指示を仰いでは、その都度きちんと確認を取っている。問答無用で戻ってこいとか、じゃあ休むのねはいはいはいと切ってしまうのではなく、一緒にどうするか考えてくれるあたり、ほんとにうちの学校の人たち、みんな親身。

 転んでもただじゃ済ませないくらいじゃないと、うちの学校はなにかとめちゃくちゃになりやすい要素がてんこ盛り。だから、ぷちたちを迎えてできることはないかをもう一度、いろいろ探ってくれるかもしれない。

 現状で知れば終わりになる答えはない。

 この言葉を手段にして「だから考えない!」「はい、おわりおわり!」「答えはないんだから! むだむだ!」と振りかざしはじめると? それがどれほど危険なことか。おまけにどれほどの蓄積を無駄にしてしまうのか。評価する軸がなくなり、どんどんぜい弱になってしまう。

 常に発展性はある。改善の余地もある。見直す余地があるし? 未知の領域がある。

 そういう意味での「思考を先に進めずに済むゴールとしての」答えはない。だから、わかりやすい目先の利益がなくても、数字に繋がらなくても、失敗例ばかりしか見当たらない分野においてさえも、そうなる前から引き続き、答えはない。未知の領域があり、発展する余地がある。

 なので「はい終わりぃ!」も「無駄ぁ!」も、とんちんかん。

 なにいってんの? って感じ。

 おまけに膨大な失敗例から踏み出せる、知れば呆気ないくらい簡単に思えちゃうような知識なんてのも、これがかなりあるもので。そういう視点さえ「余計なことでぇす!」と排除するのは知識の獲得に逆行する流れかな。

 だめだめ。それを捨てるだなんて、とんでもない!

 隔離世の知識が大戦の際に、そのほぼすべてを廃棄された結果、私たちにある隔離世の知識は、なんなら江戸時代よりも不足しているまである。

 隔離世の知識に限らずともね。現世の知識にしたって、知識と実践の積み重ねとか、記録、たとえば公文書の類いも含めて一律の保管とか、もろもろ必要で。それが損なわれると? なにかと悲惨な事件に繋がる。大いなる損失へと変化していく。

 私たちは七転八倒。たまにやっと、七転八起に転じてみるも、すぐに戻されてしまう。

 だいたいそんな毎日を過ごしている時点で、察して余りある。

 楽ちんになれる万能の答えはないぞ? ひとつひとつ積み重ねて「やっと整ったー!」ってなること、そう多くはないぞ? 人生でそこまでもっていけること、どれくらいあるのかわからないぞ? って。

 けど待って? そもそも答えを得て、どこまでいきたいのさ? って疑問もある。

 ユーリオンアイスだと、ユーリくんは故郷で幼なじみの女の子と、いかにもな時間を過ごす。第一話限定で! 視聴者の解釈による、のかどうかはさておき。もしもね? もし仮にだよ? 片思いをしていたのだとしたら? とか。学生生活のエピソードはどんなもんじゃ? とか。気にしたところで、彼にあるのはフィギュアスケートだけ。片思いもしてなかったら、あるいは早々に諦めていたのだとしたら? やっぱり、フィギュアスケートだけ。あと、忘れちゃいけないのが、憧れのヴィクトルのことも忘れずに。冴えないって本人が言っちゃってるけど、地元のみんなや、練習に没頭できる環境、一緒にいてくれる人たちのことも忘れずに。

 それでもやっぱり、ユーリにとっては氷上にすべてがあるように思えてならない。

 ヴィクトルや、ヴィクトルと競っているライバルたちは、むしろユーリのライバルたちと一緒で、わりかし人生をエンジョイしてる人もけっこういるよね。劇中のシーンだけを情報源にしたうえで、全員じゃあなさそうだけどさ。

 ユーリやフィギュア一筋ってタイプの人たちみたいに、なにかひとつ、特別で打ち込めるものと出会えたらいいのかな?

 すべての大会で優勝できる、たったひとつの最高の答えがわかればいいのかな? そうなるための練習方法、食事、日々の過ごし方のマニュアルがあって、それに従うだけでなにも考えず、なにも感じずにいられる手段があればいいのかな?

 そういう答えが、いろんな分野に向けて用意されていて、自分がやってみようかなって思ったら、そのつど「はいどうぞ」と渡されて、気軽にできちゃう。そういうのが欲しいのかな?

 いやあ……。

 だれかが絡むとき、答えに従って行動するだけだと、不確定要素となるだれかに対して「こうやれよぉ!」って圧をかけるばかりになるだろうから。

 自分の感情も、言葉も、いきものたちの声も、その解消はすべてだれかがするべきになりがちだから。それはとても、息苦しくて生きづらいよなー。

 いきものたちがごはんの種に、狙いを定める。

 教授襲撃事件と拉致監禁、拷問の一件で、いきものたちは教授や、男の暴力、欲望の解消あたりの概念をエサにしていた。

 ともだちや仲間、生き方とか、私のだめさとかを、キラリや中学時代と結びつけて、それもやっぱりエサになっていた。

 エサが定まると、敏感になる。

 抽象的になっていくほど、私の中のいきものたちは活気づく。そうして私の心に刺さる刀は揺さぶられては、感情を揺さぶるのだ。私の制御を外れて、いきものたちはエサを見つけては死に物狂いで襲いかかり、必死に食らう。

 まるでゾンビ犬。食べても食べても、お腹の穴から抜け落ちて、腹が満たされることはない。飢餓感は天井知らずで増すばかり。苦しみから解放されたくて、食べずにはいられない。だというのに、お腹が満たされることは決してないのだ。

 そんないきものたちが数を増やして心の中で暴れ回るのだから、どうにかできるはずもない。

 仮に、そこから脱することができた場合のパラダイムシフトは、なにをきっかけに、どのような段階を踏んで、いきものたちに対処するのだろう。

 わからん!

 そう考えると、たとえば傷口を水道の水で洗い流すっていう、ただそれだけのことがどえらい発明に思えてくる。実際、水道水、いわば上水の水の水質が保たれていて、信頼できる状態だからいえるわけじゃない? じゃあ上水の水質を保つために必要なことって、なあに?

 水道の民営化が話題になっていたけど、待ったをかける声がとても多い。世界で失敗して公営化に戻しているから。いやいや世界と日本はちがうし、いちいち世界せかい言うなし! っていう意見もあるけど、まあ聞け、だ。企業は利益を求める。なんならそのためにリストラもする。利益のために、法でアウトにされていることも、グレーゾーンでも、やらかしてしまいかねない。

 ま、ほら。人のすることだからさ。規制すればだいじょうぶって話じゃないのよ。

 そうじゃなくて、考えるべきなのは適切に運営される方向性のみ! じゃあなくて。起こりうるトラブルや問題の洗い出しと、その対処ね。

 水道は人にとって、地域にとって、もっと大きく出るなら国にとっての大事なライフラインだ。それをビジネスと利益の世界が運用しはじめた場合のトラブルや問題を考えたとき。

 それは「そもそも起きてはならないから任せないことにする」か「起きてもあとで対応すればいいっしょー! なんとかなるなる!」なのか。どちらの性質を予想するか。

 待ったをかける人たちの意見はいろいろだけど、前者の意見が目立つ印象あるかな? 私は。

 ライフラインにまつわるトラブルはそもそも起きてはならない性質のものだから、するべきではないというもの。

 利益の出し方はいろいろある。運用コストを下げるというのも、そのひとつだ。

 ビジネスとして上等だのなんだの、理想はかくあるべしだの、性善説がうんぬんだのいっても、実際に起こりえることとして勘定に入れておかないと? 対処できない。

 なので、いっちゃう。

 コストを下げるとき、簡単に社員を辞めさせられるほうがいい。リストラだ。大量に社員を抱えて、彼らの給与を払い続けるのが、まずそもそも負担。会社の存続のために血道をあげ、忠誠心を見せる社員ばかりじゃない。とりあえず給与がもらえれば、そのためにそこそこやっとけばいい。そんな社員はいらない。努力はしないし、成長する気もなく、会社に面倒を見てもらうことが当たり前という意識で年を重ねていく。使えないのに給与があがる厄介者たち。

 彼らの首を切っちゃう。

 そういう思考の人もいる。実際に行なわれることもある。世界のどこでも。

 あるいは?

 材料費をケチる。

 七つの会議はそういう話だったよね。ネジの強度を落とす。基準は設けられていて、素材はこういう配合でなくてはならず、それでようやく得られる強度を、落とす。

 代わりに材料費が浮く。

 大量に利用する素材のコストが下がれば、そのぶん利益に回せる。

 すくなくとも、数字のうえでは。

 どんなに厳しいテストも、そのときだけごまかせればよくなるのなら? いくらでも結果はでっち上げられる。

 空飛ぶタイヤだと、自動車会社のリコール隠し。銀行とのズブズブの関係。

 どちらも原作者さんは同じ。ちなみに半沢直樹シリーズも書いている。

 リコール。

 単語で検索すると、自動車会社の名前が出てくる。どれくらいの不備で、どれくらいの台数が対象になるかが、だいたいセットで提示されている。車の所有者は、近くのカーディーラー店へ持ち込んで、無償で修理されることが多いみたい?

 回収と修理や、回収と廃棄だと、テレビでたまぁに宣伝で流れるものがある暖房とかもね。あるけどさ。むしろ明らかになってくれなきゃ困るものだし、わかったら素直に「やばいっす」って言ってくれたほうがいい。

 隠蔽はまずい。七つの会議でも空飛ぶタイヤでも、どちらも隠蔽に向かっていく。七つの会議では隠蔽によって想定される事故の被害規模を想定するし、空飛ぶタイヤは既に事故が何件も起きてしまっているにもかかわらず放置されている流れ。

 でも、人のすることである以上、問題は起こりえるもの。

 半沢直樹じゃ居直る人ばっかりだったし? 漏れなく倍返しされてるよね。

 おまけにわりといるんだよね。

 問題が起きる余地は常にある。どこにでもある。放っておく限り、いつかだれかがやる。

 であるがゆえにか、ディストピアものだと、そうする余地がないほど人々から気力も体力も奪い抜き、強い監視と懲罰のもと、統制を試みる。永遠の如き停滞を是とする。

 現実にはどうか。たとえば就活。セクハラしたり、就職をネタにゆする不届き者がいる。

 人に「こうして」と任せる制度はすべからく、人によって異なるちがいに対応しない。そもそも想定しない。だから逸脱されたとき、あまりに無防備であることが多い。

 それがだめだと思ったところで、そこからましにする手が一切うかばない! みたいな一時停止状態になっていることもやまほどあってさ。

 そりゃあ「答えはない」し「だから改善のために蓄積を」となるわけで。

 答えはない。だからこの先の議論もない! じゃあ、だめだ。もちろん。あり得ない。なんだけど、そういうことがたくさんあるよね。そこが特に問題。

 なので繰り返しさっきのことばをニュアンスを変えていうけど、だれかに「こうして」と求める姿勢はすべからく、人によって異なるちがいに対応しない。できない。しきれない。想定してないことさえある。なので逸脱されると、あまりに無防備に刺激を食らってしまう。

 よしあしの話じゃなく、そうした面がある。

 できる余地がある以上、いつかだれかがやる。

 起こりえる余地が残る以上、いつかどこかで事故が起きるように。

 ゼロにはならない。

 整備をするのは? 部品が摩耗するし、一度つくってはい終了っていうようなものじゃないからだ。

 お父さんがトウヤと一時期、ちっちゃな車のおもちゃのモーターを使って自作で工作してたけど、万能で不変のものはない。手入れが大事。欠かせない。

 巨大二足歩行型ロボットものの衰退を招いた理由のひとつに、そもそも各部への負荷が強すぎるという視点もあるみたい。

 歯車同士の組み合わせは、歯車が回転し続けることで摩耗する。熱が加わる部分、圧力が加わる部分それぞれに、熱によって、圧力によって部品が変化していく。

 おおよそ、どれくらいの使用に耐えうるかを想定し、試験し、予測を立てる。

 それもやっぱり、どこまでの負担に耐えられるかを調べ、どのくらいで壊れるかを探り当てなきゃあわからないものだよね。

 なので、たとえばそこでの部品が想定よりも脆い強度で作られていたら困る。

 困るんだけど、すべての部品を使う前に壊れるくらい確かめるわけにもいかない。だいたい、今後、長期間、使用される部品を組み立てる前にボロボロにするのは理屈に合わない。

 石橋を叩いて渡るというけれど、用心を重ねて慎重に事を運ぶとしても、どう慎重にするかを見誤ると厄介なことになる。

 だからこそ強度を偽ったねじ作りと、多岐に渡る流通は致命的。

 なんだけど、やらかしやがった奴らがいるよ! どうすんの!? というのが、七つの会議。

 いなくならない。

 ゼロにはならない。

 やらかすやつらがぷんすこぷん! となっても、制度上、できる余地が残る以上は、いつか起こりえるもの。悪い、むかつく、許せない。そういう感情とは別の問題として、起こりえる。

 故に再発の防止を願う声がある。

 ただし、それも極めてきわどり状況を浮き彫りにして、そこで足踏みをするようなことにもなる。アメリカで乱射事件はなくならず、だから簡単に買えないようにするとして、横流しするヤツをゼロにすることはむずかしそうだ。自動車があって運転する人がいるから事故が起きるのなら、自動車をなくすか、やばい運転手とみるや資格を剥奪するかすればいいって求めたところで、もちろん実現性には乏しい。

 そこで膨らむ感情さえも題材にしてか、パージという映画がある。一晩、すべての人に殺人の許可証を。略奪もどうぞ。そんなどうかしてる世界での話。舞台はアメリカ。狙われるのは、さまざま。富裕層は戦々恐々。パージの日に備えてシェルターを自宅に設置する。どんな悪党も入ってこられない部屋で立てこもり。いかにも「映画的に狙ってくださいと言わんばかり」だ。

 自転車が車道を走る。本来は車道を。けど日本の道路は車が走ることを前提に作っていて、そこに自動二輪車が走る余地はあっても、自転車が走る余地はない。馬も公道を走れる。けれど、東京で交通量が多い道に、馬が入ったら? 相当な騒ぎになる。おまけにやっぱり、端っこを自転車が走るだけでも車にとっては鬱陶しく映りそう。

 たとえば日本がこれなら、海外は?

 自転車専用の車線がある場合も。たとえばそもそも駐車用の車線も。

 日本にはどちらもない。なので駐車している車がいると、一車線ふさがれる。そこに自転車が入るんだからさ。もちろん自転車は駐車車両をよけようとする。それは隣の車線に影響を与えるもの。

 自動車を運転している人たちの中には「歩道でいいでしょ」と思う場合があるかも。だけど歩道で自転車が走るとき、なかには「歩行者みんな邪魔だぁ!」って人が出てくる。それにあぶなっかしい運転をする人もいる。

 それは車道を走る自転車の運転手の中にもいる。

 どちらもゼロにはならない。できない。そっちのほうが不自然だ。

 安易に「駐車は駐車場で」「自転車専用レーンはつくるか」なんて言えない。まず、場所がない。一車線しかない場合もある。建物は動かせない。土地の問題は大きい。なので言えないというより、選べないというほうが正しい。

 前提が異なるから、安易に海外のようにと言えない。単純に対処する箇所が増えるし、それによって与える影響も大きくなる。法律だって異なるし、ただちにできるかどうかも分かれる。

 タスクが増える。

 なので現場で「わー」ってなってたり、心に刀が刺さっていたり、いきものが騒いでしんどい状態になってたりする人からしたら「やめてー!」ってなるよね。

 大きく変えるための答えを出そうとすると?

 どうにもならない。浮かばない。

 社会は巨人。巨人の一部は急激には変えられない。強い作用を与えるものは、全体に影響を及ぼす。反応もさまざま。

 細かすぎるくらい綿密に検査をしたり、事前に「なにが起こりえるか」を確かめるために徹底的に「なにができるか」を確かめたりするのは? 急には動けず、急には変えられないからだ。大きくは動けないし、大きくは変えられない。

 それは過剰な手段となって、手段に伴う数えきれない問題をやまほど生み出す。副次的にね。

 逆襲のシャアで隕石を落とすようなことを、フィクションの革命家たちはしがち。現実がどうかは、正直わたしの勉強の進捗がね……悪くてねっ! ごめん! わからない! フランス革命しか知らないや。カゲくんやミナトくんによれば、アサクリでカバーしてるって?

 気になる~!

 それはさておき。

 ちっちゃくちっちゃく、積み上げていく。

 たとえば日常へのケアさえ含まれるほど、ちっちゃく、だけど大事なものさえ含めてね?

 果てしないし、終わりがないし、こつこつやっていくもの。

 日常をみんながのんびりゆるぅく過ごせれば、自転車で急ぐこともなければ――……なんて。そっちのほうが、よっぽど夢物語に聞こえるね?

 かなしいなあ。

 間に合わないぞ、急げ、早くなんとかしなきゃ。

 そういう声だけを心のいきものたちがあげだしたとき、フィクションの革命家たちは過剰なことをしでかしはじめる。なので逆襲のシャアでアムロは訴える。「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない」って。

 シャアは言うんだ。いますぐ愚民どもすべてに英知をさずけてみせろって。でもアムロもアムロでちゃんと言ってるんだよね。「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激なことしかやらない」と。シャアが愚民だと切って捨てた人たちさえ含めて、みんなに英知を、なんて。それこそ夢みたいな目標だ。

 もーっともーっと、長くて広くて底が知れないのが、人の集まりだ。

 ぷちたちと接して痛感した。

 親と子の関係性。そして、連続性も。環境の与える力も。

 安易に例えられるものじゃあない。もちろんないけれど。そもそも私の表現力が追いつかないけれど。

 車の部品ひとつとっても、おおごと。同じ生産工場で、同じ部品を使っていて、仮にネジが強度をだまして作られたぜい弱なものだったら?

 退勤前に「おい」って呼ばれて別室で「これを調べて」って言われたら、目の前が真っ暗になるんじゃないかなあ。担当者だったら、血の気が引きそう。ひとりじゃないよね。ぜったい。チームを編成して、早急にデータを集めてって言われたとしても、気絶しかけるかも。

 空飛ぶタイヤでも、七つの会議でも、大ごとになっていた。原作や映画でそれなら、現実だともっとわかりにくくて厄介な形になりそう。

 ネジひとつで、これだよ?

 それが人の環境とか、関係性とか、連続性とかになる。

 ネジは数値をはかれる。指標を出せる。それに耐久性のテストをするにしても、試せる。

 いきものはそうはいかないし、また試すべきでもない。お試し行動はほんと、しんどいしきついしたまったものじゃあないからさ。なし。

 シャアは「あーむりだー」って絶望した側なんだろね? ビンタすれば目覚めるみたいな発想を、地球に隕石落としにエスカレートさせるんだ。宇宙世紀の人類史上、最悪レベルのDV。

 こつこつやるの。

 具材もみんなで作りたいと言いだして、お母さんが「待ってました」と顔を出す。

 生地はできたてもいいけれど、具材が正直、間に合わない。

 なのでいいや。やっちゃえやっちゃえ。

 お母さんが調理器具を出してきて、ヒヨリたちが手伝いに入る。イチゴがホットプレートの電源を落として、ぷちたちが近づかない場所へと離して、さっさとふたをしちゃう。

 そこへコトネが「春灯! ちょっといい?」と和室から呼んでくるから「はあい!」と話しに行く。さっさと向かうと、スマホを渡された。


『もしもし、春灯? なんかお互い水くさいことになってるね』


 マドカだ。メッセージのやりとりはしてるけど、私が追いついてない。

 コトネがフォローしてくれている。気づいてはいたけど、マドカに繋いでくれたんだ。


「あー、の。話すと長いの。と。あの……ごめん」

『こちらこそ』


 そばでコトネが「ふふん」と自慢げだ。

 話しにくいことほど、話してしまえば気が楽になるもの。

 話せることなら話しちゃったほうがいい。ただ、参っていると話せるかどうかさえ判断しにくい。これがけっこう、むずかしい。


『軽く聞いたよ。それで? 楽になる手段、なにか見えた?』

「ご飯かな! おいしく食べると元気が出る!」

『歌じゃないんかい!』

「あっ」


 たしかにぃ!?


『忠実かい。衣食住に。大事だよね。ちゃんと食べてる? ぷちも、春灯も』

「ばっちり! いまもねー。タコス準備してるよ?」

『くっ、食べに行きたくなるものを!』

「きてよー! みんなはしゃいで、生地やきすぎちゃったの。あ! どうせ来るなら、具材いろいろ持ってきてくれるとうれしいなあ?」

『はいはい。じゃあ、コトネに変わって?』

「りょうかーい」


 スマホをコトネに渡す。

 ビデオ通話とかしないのね。ありがと、と小声で言うと彼女は「まだまだ」とクールに流した。そしてマドカと話し込むように、窓際へと歩いていく。

 アムロは仲間を見て、目標を見て、できることを見た。シャアは敵を見て、変えないとしんどいものを見て、できないことを見た。

 のかなあ!?

 どうなんだろ! わかんないぞ?

 わかんないけどさー。

 お父さんいわく、いろいろ乗り越えて「まだ僕には帰れるところがあるんだ」に行き着いたアムロと、大きくひどく失ったところから走り続けたシャアとじゃあ、見ている方向性がちがうのかも。

 シャアはずっと求め続けてた。

 すごくたいへんなことなのかもしれないね?

 家族を失い、奪われ、そこで抗うってことはさ。

 落ちついて育つ時間を置き去りにしてるってことでさ。

 一般的にはそれを年齢、未成年に結びつけるけど、実際にはそんなことなくて。

 警察のお仕事して、刑務所にも面会に行って。そういうことをして、知ったことがある。

 置き去りになった、落ちついて安心して、安全な場所で育つことのできる時間がないままの人は意外にけっこういて。刑務所以外に居場所がないというくらい、むごい状況さえあり得て。

 シャアはそういうタイプでさ。

 アメリカの実在するシリアルキラーの中にも、類型を見て取れて。

 だから私には、落ちついて育つ時間、モラトリアムと仮にいうなら、それはだれにでも等しく必要なものなのだと思うのだ。

 アムロにあったとも思わないけど。

 シャアはよりえげつない状況でいて。

 アムロは戦争に巻き込まれて、見知らぬ人たちと過ごす過程で家族になっていく。お互いに帰れる場所になっていく。居ることのできる場所に。

 だけどシャアにはそれがないみたい。お父さんによれば、ずっとぼっちのままだった。

 だから、人と居ることのハードルも、ひとりの人としての成長も、アムロとシャアとでだいぶちがっていた。その差がたぶん、アムロの「貴様ほどの男が、なんて器量の小さい」に対して、シャアの「彼女は私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」ってところにいきつくのかなー。

 親とか、兄貴とか。だれかを庇護する余裕がない。迷惑で、拒絶する。小さな大人としての振る舞いを求める。あるいは積極的に繋がろうとしなくなる。彼の情けなさ、弱さは、でも普遍のものだと感じる。

 彼をマザコンだーとはしゃいで言う人たちにこそ、同じような弱さを見て取るまである。

 だって、わかれば痛くてしんどい弱さだもの。

 彼の弱さの起源は一見、母親としながらもさ。結局のところ、みんなにある生活が自分になかったことへの猛烈な訴えなわけでしょ?

 アムロは機械いじり。だけどシャアは復讐。ここにも、心の中のいきものの執着にちがいを見て取る。自分との対話もできそうなアムロとちがって、シャアは怒りや憎しみで「わー」ってなってる時間がずーっとあったわけでしょ?

 それは悲劇だよ。

 まあ、隕石落とすのは完全にアウトだけど。

 現状で知れば終わりになる答えはない。

 わかるんだよぉ! と、乱暴になっても、なんにもならない。

 それと合わせて、乱暴になっちゃうくらいなら、さっさと話してよってことね。

 こういうものだと済ませて「わー」と思考停止状態から「わーっ!」と拳を掲げる状態に移行するの、どうかしてません? こどもじゃん。すんってなってるところと、わーってなってるところの二コマの画像があったけど、あんなノリじゃん。

 それですることが暴力だの、癇癪を起こしたように連呼する「これはこうなの!」だのじゃあさ。こどもじゃん。


「「「 ママーっ! 」」」


 ぷちたちに呼ばれて「はいはいっ」とリビングに急いで戻る。

 ここはもうちょっと複雑なんだよね? マダムジーナの言葉を思い出して、尻尾を膨らませる。

 私の愛しいぼくちゃんたちが、タコスパーティーを楽しみにしてるのだ。

 作って楽しく食べねば!




 つづく!

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