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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百六十話

 



 痛みに対する感度は言動に表われるのだと考える。

 言葉はいきもの。

 どういうご飯をあげているかで、いきものの育ち具合は変わる。

 こういうと、能動的に、主体的に、選択して、意識して育てているような表現に思えるけれど、ちがう。もっと無意識にやる。能動的でも受動的でもあって、それとは異なる部分でもあって。

 なので、生きて、居て、あるいは苦しみ、悩んだり、喜んだり、楽しんだり、怒ったり、泣いたりするすべての刺激がご飯となって、いきものたちが育っていく。

 その集合体と一緒に生きるものだとしたとき、どんな言葉、どんなテーマで話していても痛みや攻撃性がにじんでみえるとき、そこに敵意だけではなく、敵意が生まれる前提をみる。文脈がある。のみならず、痛みもあるだろうし、かさぶたもいっぱいできているかもしれない。まさにいま、流血状態の傷もあるかもしれないし? その傷の中には、なんども盛んにいじりすぎてえぐれ、腐り、むごたらしい状態になっているものさえあるかもしれない。

 いまこうして述べる言葉の温度にも宿るもの。

 私の痛み。

 呟きアプリには比較的よく溢れてるよね。

 なにかみんなの痛みを刺激するもの、みんなで楽しく遊びたい気持ちを刺激するものがあると? わーっと染まっていく。漏れなくすべてじゃない。みんな同じでもないし。

 あけおめとか、バルスとか? そんなノリでさ。

 痛みだけじゃなくて、いろんな気持ちが広がっていく。だけどやっぱり、傷も、痛みも、そこにはしっかり含まれている。

 ずーっと、愚痴ってるアカウントもある。話すと、ずーっと愚痴ってる人もいるみたいに。

 言葉もいろいろ。

 アメスナの話をしたじゃない? 戦争映画、兵士が出てくる映画はアメリカにはかなり多い。兵隊たちのだれもが規律に則っているかというと、そうでもなく。中にはトリガーハッピー野郎で、占領下で味方でなければ即射殺、女子供は容赦なくレイプみたいなヤツもいる。ターゲットでなくても攻撃を。殺した数をカウントし、それを喧伝する。

 そうした行動がどれほどの危険を招くのか作中ではしっかり言及されるし、管理監視、訓告や処分が現実にあるとして処分があるなら処分対象がいたのだし、処分されるなら備える人も中にはいるのだろうし、侵略行為は漏れなく奪い取ることだとして迷わず選択する人もいるのだろうし。そりゃあ大国の軍隊が来るとあっちゃあ、という流れもできれば「いやそれソースは」って指摘もあれば、そんなソース出してみんなで真剣に話してなにかがどうにかなるのかよって意見もあって。果てしない。たぶん、あまり、意味もない。

 心をあたたかく包む愛情も。そのすべてを破壊し尽くす痛みも。

 いきもの。

 心を通い合わせるとひとことで言うけれど、お互いのいきものを会わせて、ゆっくりと慣れていくのは骨が折れる。

 ほんのささやかなちがいが、ひどく暴力的に降りかかることもある。

 そのとき、つらいこと、いやだと思ったことを素直に言わずに「そ、そうだよね」と周囲に合わせてしまうだけで、心が深く傷つくことさえある。

 そういう環境は、でも、あり得る。

 学校で、無理して付きあっているグループに合わせるときとか。ファミリー映画で親のいない子と暮らすおじさんのコメディでの、こどもにとってのおじさんとか。

 自分が生きるため、居るために自分を殺さなきゃ悲惨が待ち構えている可能性のある環境。

 ある。

 そのたびに、いきものたちはどういうものを与えられるのだろう。

 心が叫びたがってるんだ。アニメの映画でさ? 野球部員のエースで負傷中の男の子に、後輩の男の子がひっどいことを言うシーンで、主人公の子が訴える。やめろって。言葉は傷つけるんだって。

 じゃあ、私たちが心の中で思い浮かべる言葉はどうなんだろう。

 その言葉のいきものは、私の心でどう息をしているんだろう。ほかのいきものを狙い、食らわないのだろうか。

 私は、影響を与えると思う。

 お母さんを傷つけることば。お父さんを非難することば。私を否定することば。小学校でやまほど聞いてきたことば。私を襲ういきものたち。

 お父さんもお母さんも、そんな風には絶対にしない。トウヤもそう。だから私の心に住みついた、みんなが投げつけたいきものたちは暴れ回る。住処をちょうだい。ご飯をちょうだい。殺す気?

 それを、ぷちたちにできるはずがない。

 私で留めようとするとき、今度は私の心の中で暴れ始める。

 痛い。痛くてたまらない。

 必死に学ぶのは。本を集めるのは。救いの形をたくさん確保したくなるのは。

 ぜんぶ、ぜんぶ、私の中に息づくいきものをなだめるため。

 心に刺さる刀を鎮めるため。

 たすけて。いたいよ。そう訴えるいきものたちは、高校生には不似合いな幼くて弱いものたちばかり。そんな声には耳を傾けずに、我慢をして生きていくのが当たり前。

 それもまた、小学生のときに浴びせられた言葉。

 私の中に息づく幼い子たちをいつでも食らえるよう、目を光らせ、狙う化け物のようないきもの。それさえ、実は、痛ましい傷から産まれたかさぶた生物。その集合体。

 ああ。

 つらくて、いたくて。救われない。

 心に刺さった刀に気づいたところで、手の施しようがない。

 鏡に映る自分に見つける醜さみたい。

 言葉を浴びせられ、私の心の中にいつくいきものが叫ぶ。

 お前のそこが醜い。あれがだめ。ここはほんと最低。

 そこから逃れるためにキャラ付けを。

 勇気を抱いて決意を胸にするために、キャラ付けを。

 足掻いたところで、なんになる。

 いきものは生き続けている。私の心に居る。いまも。

 いなくなることはない。心に刺さった刀は自然に抜け落ちることはないのだ。

 雨が降るとき、雨量がそのまま土に、山に、川に影響を与える。放っておいたところで、被害がなくなることはない。

 そこで治水をする。雨風をしのげる家を作る。川が増水したときに被害を受けない場所を選ぶ。土砂崩れが起きないように山の手入れをする。

 その術を知らなかった時代、厄災に名前をつけた。人の手の及ぶものでない存在に名前をつけた。鎮めるために人の命さえ捧げた。

 怪我をしたら治療する。身体がいくらか、傷口を塞ごうとする。だけど、いまでも、そうした傷さえ含めて、祈祷で治るという地域もある。ここでの表現にも、やっぱり私のいきものの影響はモロに出てるんだけども。けど、科学的にどうか、みたいな話はさておいて。そこには人の心理に学ぶところがありそうだ。

 なによりもまず、心が恐れる。痛みに耐えられない。そこまでいきものは強くない。

 サメ映画を初めて見た夜に「さ、サメくるかも!」とびびるノリ。スプラッタな映画のキャラでも可。寝る前に、自分の苦手な虫を枕元に見つけちゃうだけで、寝るのに苦労する人がいっぱいでるのでは。

 そういういきものたちが蠢いている。ひとりの人間の中で。

 会話をするとき、やりとりをするとき、その生態を探る? それとも手を伸ばし、触れあおうとするように接する?

 ポジショントークのために、あるいはいまの私みたいに持論を展開するために、だれかにケンカをふっかけて、相手の話はまるごと流して、自分の意見だけを延々と語る? 自分のいきものが叫ぶのに任せて。

 だまれって怒鳴ったり。いきものたちが「やれ!」と叫ぶのに任せて、殴ったり蹴ったり。

 あえて、ひどい言葉をぶつけて傷つけたりする?

 そういう問いが心の中から生じてくる。

 ぷちたちの声を聞くだけで。私がうまくできないだけで。お父さんが出かけるだけで。お母さんが仕事に勤しむだけで。

 いくらでも生じてくる。

 そのいきものたちを醜いと、いやらしいと思ったところで、彼らは消えない。心に刺さる刀は自動的に抜けることもないし、傷口が治ることもない。

 どんなに前向きな気持ちを抱いても、一瞬でたたき壊される。

 そう、言いたい。ぷちたちが暴れるたびに、言わずにはいられなくなる。

 けど私の心に刺さる刀が私を苛む。刺激されて傷むのは、私の心。虫歯みたいなもの。

 ひどい虫歯があっても食べると、ひどく痛いという。パトレイバーでも虫歯のエピソード、あったっけ。あのアニメ、どこまでシチュエーションを網羅する気なの? 親知らずが虫歯になって、ほっぺたが腫れて、マシンロボを操縦するときにつけるヘッドギアを外すのがたいへん! 食事も億劫で、ため息ばかり吐いていたっけ。そのため息が妙に色っぽくて、男性隊員さんがどぎまぎしてた。なにやってんだか!

 ただ、でも、そんなノリだ。

 壮大な話、深刻で重たいようでありふれた話。

 深刻な虫歯レベル。

 ずきずきする。いきものたちが騒ぎ出す。

 いっちゃえば、ここまでの言葉はどれも私の心の叫びでさ。

 要約しちゃえば「痛い」に尽きる。

 その痛みをどうにか飲みこむべく、説明をつけようとする。大浴場のだれかの話でも、ともだちの愚痴でも、呟きアプリでもよく見かける。ラジオのお便りでもそうだし、仕事でお話を聞くときもそう。

 自分がわかる形にしようとする。

 でも、そういうときってさ? 決まって「わかる」ことって「それでおしまい」ってことにしがちだから、悩ましい。もやもやする。

 さっさと刺激されないように済ませたい。

 そういう側面は、でも、もしかすると自然なものなのかもしれない。

 でも、それだと刺激され続けたら? 途端に打つ手がなくなる。ちょうどいまの私みたいに。

 そして行動がバグる。思考も。

 解決できずに、しょっちゅうぷりぷりする。あ、なにか出るって話じゃなく。

 怒っちゃうって意味ね?

 怒るとさ。暴力的になっちゃう。だれでもそう。

 だからよしとはいかない。もちろんそう。

 けどだれもが止まれるわけじゃなくて、今日もどこかで爆発してる。

 私は焦ってる。

 朝ご飯の騒動。午前中の退屈。お昼前のおかし催促。みんなでするケンカの仲裁。甘えてくる子のお世話をしていると、他の子にずるいずるいと泣かれてしまったり。無限に続くような時間。果てしなく長く感じるのに、すごい勢いであらゆるものが溶け落ちていく。

 そのたびに私の心に突き刺さる刀が、心に潜むいきものたちを刺激する。そして彼らは雄叫びをあげる。私を責めて苛む言葉を。

 なんてことはない。

 ただの自己嫌悪だ。

 虫歯が痛むような、ずきずきとした刺激だ。

 そう思って澄ませようとする。

 けれど同時に疑問を抱く。

 いいのかな。済ませて。

 ほんとになにげない瞬間に求めた喜びの否定。なんてことなく居ることができたはずなのに、それを傷つける否定。そういういきものたちの声を「そんなものだよ」「どうせ処理しきれないんだから、そこに割く労力は無駄」だと切り捨てたら?

 私の中に息づく痛みも。私の中で叫ぶいきものたちも。

 だれもがみな、無駄だと。意味はないと叫ぶ。

 なのに私はこんなにやまほど言葉を並べてる。いきものを増やしている。必死なまでに。見苦しいまでに。

 よくないのだ。

 切り捨てたくないのだ。

 立ち直れなくなることを知っているから。

 それは新たな刀を心に刺して、傷を増やすことになると気づいているから。

 よくないのだ。

 みんなの訴えは、だから、ほんとに大事なものなんだ。

 私の中で叫ぶいきものたちさえ。私にだめだだめだと吠える子たちさえ、みな痛みや傷から膿まれた声だ。求めることは?

 たすけて。

 つらいのは、いや。

 おねがい。

 たすけて。

 大昔、具体的な手段が見つからない時代に人は祈り願った。それじゃ足りないと、あれこれ試すうちにひとつ、またひとつ、具体的な手段を確立していった。それとは別に、祈り願うときの安心感もまた、いろいろな手段で得ようと試みた。

 途方もない時間の積み重ね。

 特別すっごい贅沢じゃない。たったひとつの冴えたアイディアなんてほどでもない。

 ただ、ほんのわずかな喜び。かすかな兆し。それらを拾い集めて、これまで「それは無駄」とされてきたか、そもそも考慮されてこなかったことを試したり、挑んだり、蓄積させたりしながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、助けに応える術に変えていった。

 刀の刺さった心は言うだろう。いきものたちは訴えるだろう。

 それは無駄だと。余計なことだと。どうせ一緒だと。たいしたことはないと。意味などたいしてないから、考えるなと。うっとうしいとさえ、言うだろう。

 でも、そんなことない。

 確かに心はたすけてと願っている。

 それを癒やす術も、楽しむ術も、無駄なんかじゃない。

 心に刺さる刀が揺れて刺激され、傷む。痛くてたまらない気持ちで、それでもぷちたちのたすけを求める声に、心に、私はなにを贈れるのだろう。贈りたいのだろう。

 いつか傷つき願いが届かなかった時間を、痛みを、この子たちへの暴力で帳消しにしようとでも? まさか!

 そういうものだと納得させて、済ませて、わかったことにして。それを繰り返すと? まさか!

 そう思っていても、心の痛みはすこしもマシにはならない。

 それでも。だからこそ、願いに素直でいたい。

 何度だって決意を抱くし、何度だってへし折られていく。

 ノノカたちがいてくれてよかった。

 あの手この手でコトネが司令塔となり、安心感のあるエースのイチゴがたくさんの子を遊びに引っ張ってくれる。関心を引くのが上手。

 ゆっくり、ひとりずつでいいからとヒヨリやミユウにフォローされながら、私はぷちたちの声を、心を聞く。

 零点の私でいく。加点を大事にする。減点さえも。その付きあい方を学ぶために。

 それじゃ間に合わなくて、泣いちゃう子に心ない言葉を浴びせられて叩き折られることもある。怒鳴られることもある。距離感が狭まるほど、みんなそれぞれに我慢してきたものが溢れ出すから、ずっと前に聞くはずだった思いを浴びせられる。

 午前中は怒濤だった。

 お母さんが来て、お昼の準備をするからとイチゴたちに預けてキッチンへ。

 目の届かないところで休憩する意味もある。


「がんばってんじゃーん」


 お母さんの隣に並んだら、お尻アタックをお見舞いされた。とんと押されるくらいなんだけど。わりとうっとうしい。今日はもろもろ麻痺してて、心も頭も追いつかないから余計だ。


「どうなのかなあ」


 絞り出す声の疲労感たるや!


「いっしょうけんめい、抱き締めようとしてるけど。それだけでもう、限界だよ」

「運動に例えるなら、不慣れで転んでばかりいるターンかな。いまは」

「運動ねえ――……私は虫歯をぐいぐい押されてる気分なんだけど」

「虫歯か。自分は、という意識があるのね」


 う。

 お母さんの指摘が鋭すぎてえぐい。


「それも大事だ。虫歯なおさなきゃ、痛いもんね?」

「……だけど、あの子たちにはわからないし、関係ないし」

「関係ないってことはないでしょ。ただ、それでいくと、みんな虫歯があることになるんじゃない?」


 ううっ!

 ほんとに鋭すぎてえぐいっ!


「みんなで歯医者さんだ。心の虫歯はどう治すのかな」


 聞かれても困るのですが!


「実際に虫歯ってわけじゃないから」


 私が自分で例えて、なんなら固執しかける考えから、自分でハシゴを外す。

 それはそれでおっかないんだけど。わかったことにできなくなるから、怖くなるんだけど。


「すこしずつ、安心できるんだって、お互いになんとかしていくだけなんだと思う」

「じゃあ、やっぱり、がんばってんじゃーん?」


 なにそのゆるく伸ばす感じ!


「お母さんの例えでいくと、私は転んでばかりだけどね」

「雪合戦なら、あの子たちの投げる雪玉をぜんぶ食らってるって感じね」

「……まあ」


 どうなの!? その例え!

 いろいろ問題があると思うんですけど!

 具体的には私の心がずきずき疼いてしんどいんですけど!


「これまでの世界に縮こまっても、世界は広がらないからな? 娘よ、タコスを作るぞ!」

「はあ」


 なにそのテンション。


「お父さんにね? 買ってきてもらっちゃった~! タコス用のトウモロコシ粉! 生地からいくぞ?」

「まじぃ?」

「まじまじ。巻き巻きするの楽しいし。あの子たちが楽しめるトッピングを探せるでしょ?」


 お母さんの遊び心のある案に、いつも助けられてる。

 いきものたちの声が静まる。なんてことはない。食欲と、さあやるぞという意欲と行動で、わりと暗い悩みごとは一時停止にできる。

 できなくなったら? 延々と脳内再生が止まらなかったら?

 もうね。

 そこまでいくと休んだほうがいい。

 もちろん、そこまでいくまえに休んだほうがいい。

 ちょっとの喜び、ふとした遊び心を大事にできなくなったときも。

 だれかのそれを非難したり否定したりするときも。

 いったん離れて、休んだほうがいい。

 ひとまず、いまの私は動ける。

 それいいねえ! ってなれる。

 なら?

 いまは料理を作るのみよ!

 がらりと転調する。午前の間に。

 この切り替わりにみる学びを生かしたい。

 けど、そこを考え始めると?

 さっきまでの「わーっ!」と続くぐだぐだ思考に陥って、沼にはまるのが目に見えている。

 みんながいてくれて助かった。

 零点でもいいんだよなー。

 零点で、もうどうにもならなくなってる状態異常が加わるとさ? もう後がないじゃない?

 どんな減点が襲いかかってきても、心の内側から減点が自分を傷つけようとしてきても、ちっともへこたれないくらい、零点の私が元気であればよし!

 そうするための手段がいくらでもほしいっていうところで、昨夜は一時停止したけどさ。

 ひとつ増えた。

 食だ。

 料理だ!

 おいしいご飯だ!

 わくわくする調理だ!

 それぞれが私の元気の源だ!

 まだまだいくぞー?

 いくらでも心は折れるだろうけど。いいのいいの! 休んで早めに立ち直るから!

 車はマニュアルだとエンストするっていうじゃない? けど、エンストだって車に問題がないのなら、ドライバーの自分が慣れれば早めに復帰できそうじゃん!

 WRCの動画を見てても思ったの。

 きわどい場面もめちゃくちゃあるんだけど、すぐさま復帰しちゃうんだわ。リカバリーがうまいんだわ!

 そういうやり方もあるよね。

 なので、わかると済ませず、終わらせずにいこうよ。

 ぜんぜん足りないんだもの! いまわかる、ってことじゃあさ!

 ながぁく旅するようなものだ。

 こわがりないきものたちが心の中で、いつでも騒ぐ機会を待っている。

 刺激を他の同族の遠吠えだと認識しては、すぐに吠えだすのだ。

 そんなものたちと一緒に生きるのだ。

 これから先もずっと、一緒に居るのだ。

 だったらさ?

 いっそわからないけど、わかろうとし続けることで、思いを寄せあって付きあっていくよ。


「ママ! ごはんなに!?」

「ねえ、はやくー!」


 台所に駆け寄ってきて、ジャンプしたり大きな声をだしたりしてアピってくる。

 なので不敵に笑って言ってみようよ。


「みんながまだ食べたことがない、千変万化のタコスだよ……ふっふっふ。おいしくするために魔法をかけるから、リビングで待っていてね?」

「「 ええええ! 」」


 なにそれなにそれと余計にはしゃがれてしまった。

 失敗!


「お料理、興味ある? 私の肩に乗って、みてる?」

「いいの!?」

「……まあ、じゃあ」


 ひとりがその気。もうひとりが、つられてそこそこに。

 尻尾からわっせ、わっせとよじ登ってくる。

 金色を浮かべて簡易版の座椅子を肩にこしらえる。イメージは貴族の肩のビラビラだ。

 ふたりがきちんと座るのを確認してから、生地作りに勤しむことにする。

 具材が肝心。

 巻き寿司、おにぎり、ハンバーガー。あの手この手で、ぷちたちが試せる料理をやってきている。あと、手でつかんで食べられるお料理がわりと多めかな。

 実際に手で触れて学べることってたくさんあるよね。あと、楽しいことも多い。

 目くじらを立てようとしたら、いくらでも立てられる。食べもので遊ばない、お米をつぶさない、そんな組み合わせまずいに決まってるんだからやめて、などなど。

 今後、外で食べるときのことや、家族じゃない人と一緒に食べるときのことを考えると?

 不安の種はあちこちに眠っている。

 いまの私とぷちたちとだと、それはたやすく大げんかへと芽吹いてしまう。

 ほんっとにさー!

 たいへん!

 求めれば求めるほど、折れる心は増えていく。刺激されるいきものたちが声をあげる。

 なので?

 まずはおいしく、おなかいっぱいになることからね。

 いくらでも忘れてしまえるほど、当たり前すぎるくらい大事なことだから。

 何度だって思い出しては、一緒においしくご飯を食べるんだ。お腹いっぱいになって。めいっぱい笑ってさ。




 つづく!

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