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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百五十四話

 



 あまりに長風呂しているみたいで気になって顔を出す。

 青澄春灯は考えだすと長引くというし? ノノカだけの印象ではないみたいだから。

 シャワーの湯水が流れ続けていて、一瞬で総毛だつ。

 あわてて扉を開けると、彼女は金色に輝く粒子を集めた雲に乗って、全裸で考え込んでいたみたいだ。こちらに気づいてびっくりして、九尾がぴんと伸びていた。毛が濡れていなかったら、膨らんで見えたかもしれない。


「わ、え、なに?」

「――……や、その」


 精神的にひどく落ち込んでいたように見えて。

 それでもしも、よからぬことをしていたら? シェーバーがあれば事足りる。

 そんなの、杞憂に過ぎないことは一目でわかるのに。


「シャワー浴びたかった? 交代する?」

「ううん、そういうんじゃなくて。あの」


 だめだ。気まずい。


「だいじょうぶかなって」

「――……私より顔色わるいよ?」


 そっちはだいじょうぶ? と逆に心配されてしまった。

 取り繕うべく笑ってみせたけれど、ぎこちなくなってしまう。ごまかせない。


「いや、あの。ごめん。あーの」


 ふわふわ浮かんでシャワーを浴びている彼女を見て、なんとか絞り出した。


「いい眺め」

「ど、どうも?」


 彼女を見ろ。ドン引きだ。


「じゃなくて。ちがう。いまのは忘れて」


 アヤネが「顔ちっさ、まっる! なにあのスタイル!」と力説してたのが、つい出た。

 コトネもイチゴもミユウも、ノノカだって聞き流していたのに。なぜこんなことを。


「耳が、あの。ほら。一緒だから。聞こえて。けっこう長風呂だから、気になって」

「心配させちゃった? ごめん。考えごとしてて――……そうだ! 一緒に入らない?」

「私も?」

「聞きたいことあるし。なんで私のことを気にしたのか~とかさ」

「ああ、の。夜も遅いし、シャワー浴びたし」

「それもそっか」


 金色のふわふわから下りて、彼女はシャワーの栓を閉じた。

 思いきり伸びをして「ん~っ」と唸る。

 それから私を見た。なにも隠さずに。羞恥心なんてないのかな。

 着替えたり、身体を見せる仕事もあるかもしれない。そういえば一時期、男子がグラビアがどうのと言っていた気がする。

 つい見てしまう。見たら思う。コトネじゃないけど、確かにすごい。


「話しにくいこと?」

「あ、や」


 なにをまじまじと眺めているのか。


「ノノカから聞いていて。あなたの話」

「御霊別授業でも一緒なんだよね?」


 話そうと思えば、これまでもきっかけがあったよねと突っ込まれた気がした。

 簡単な説明や押しの一手じゃごまかしきれないみたいだ。

 抜けているところもあるし、ふわふわしているところもあるし? 押しに流されやすいときもあるけれど、どうもそれだけじゃないみたいだ。


「タオル取ってくれない?」

「あ、うん」


 あと私、なぜか気圧されている。

 それとも動揺している? ごまかせそうになくて焦っている?

 なにを危惧して駆けつけてきたのか。

 言えないし言いたくない。急いでタオルを取って渡す。

 咳払いをしたり、退席を促したりすることなく、彼女は身体を拭い始めた。


「考えてたの」


 私への追求をやめて、彼女は語り始めた。


「なにかを解決して、安定して、落ちつける状況に戻したくなる。たとえば、あの子たちがいまみたいに元気になる前みたいに」


 ひどいよね、と。彼女は疲れを隠さずに本音を語った。


「私の時間を基準にして、元通りにしようとしたがった。それをきっと、どこかで受け入れられなかった。理解はしていたつもりだったの。それは無理な要求だって」

「まあ……」


 彼女はぷちと呼ぶ式神たちをこどもとし、式神たちは彼女を親としている。

 仮に彼女たちの感覚を基準にするのなら?

 こどもが生まれたあとで、親が生活を変えず、親になることもなく過ごしたら?

 こどもは放置される。

 シングル家庭で育った私には明白だが、端的にいって不可能だ。こどもに必要とされる密な時間を、たったひとりでケアしきるなんて。親がふたりでも足りない。安定していて、落ちついていたとしても、トラウマやコンプレックスの解決を同時にしなければならなくなるだけで、どこかに歪さは出てしまう。

 世間でこどもがこどもを生むな、などというひどい差別を吹聴している人もいるけれど、そうじゃない。こどもが生まれて、育てるときに生じる負担は、どのようなものでも軽減し、育てられるようにするのが王道だ。

 なにせ公的補助や制度が整備されるほど、その恩恵による影響は幅広く浸透していく。

 逆にいえば、それがないままだれに対しても完璧にやるべきだと訴えること自体に無理がある。環境と教育が整備されて、不足を記録し、改善に努める姿勢が示されなければ。

 それは果てしない道のりだ。

 気づかなければ、でも、当事者になったとき自分の責任にするか、こどもの負荷のせいにするか、はたまた補助のなさを責めるのことになるかもしれない。

 そういう人たちばかりではないとしても、足りないし、間に合わない場面は多い。

 うちは、そうだった。


「どこにもマニュアルはなく、方法論は提示されず、相談に乗ってくれる人はいるみたいだけど、対処療法的。現状が変わったとき、それを戻すアプローチではなく、変化と付きあうアプローチを求められる」


 意外だった。

 彼女は整理している。


「病気でいえば根治ではなく寛解を目指すように。自分の短所についても似てる。自分の手に負えないこととか、周囲に感じる問題との付きあい方とかでもね」


 ゾンビが徘徊する世界なら、ゾンビたちのいる世界を元通りにするのではなく、その世界で生きる術を模索するみたいな感じだと彼女は補足して説明した。

 まるでドラマみたいな話だ。


「好意も愛情も、それとは別にして、手に負えないことに途方に暮れてしまう。そのたびに、ふと考えるの。元に戻ったら、どんなにいいだろうって」


 屈んで、足元を拭く。

 お尻が上がって、濡れた尻尾から飛沫が舞う。

 いつか尻尾を盛大に振るんじゃないかと身構える。ちょうど宝島でやられたし?

 それでも扉のそばから離れなかった。

 濡れても尚、彼女の尻尾の毛がきらきらと煌めいて見えて、とても美しかったから。

 金色の川のようで、つい見つめてしまった。

 狸にはないものだ。

 狐になれたら、どんなにいいだろう。そう疑問を投げかけてみる。

 自分の心が答える。回答は明白だ。

 そうはならなかったし、私は狸で満足している。もしなにかを求め、行動に移すとしたら、私の狸としての遊びを充実させること以外にない。

 なら、彼女はどう考えるのだろう。

 心なしか、ぐっと胸が苦しくなった。なぜだ。戸惑う私に気づかず、彼女は足回りを丁寧に拭いながら続ける。


「こういう流れで言うとあまりに嘘くさいけど、でも確実にぷちたちへの好意や愛情が私の中には根づいていて、呼吸している。育てたいのは、そっちの気持ちだから、なかったことになったのならなんていうのは、ね?」


 ずれてるとしながらも彼女は語る。


「だから考えたいのは、以前の安定と同じ水準への回帰。果たして、これを目的にしていいかどうかかなって。状況がぜんぜんちがうのにね?」

「不可能って思っているの?」

「ううん、どうだろ。なんていうかさ? 思いつかないんだよ。たくさんいるぷちたちが元気で、素直にいられたほうがいいの。私にとっては。それと、前ほど安定した私の状態は、正直噛みあうとは思えなくて」


 完全に、しっかりした状態にしようと願うほど、達成できる状況が思い描けない。

 彼女の言葉を聞けば聞くほど心がざわつく。

 なぜだ。


「だって私、安定してない。前も、いまも。ただね? いまのつらさには、きっと、これまで痛かったなにかが眠っていて、そこから逃げたいんだ。過剰な痛みはきっと、わりと根深いものなんだ」

「――……」

「これは私の状態。傷と呼ぶなら治したくなるものだけど、それもずれてる。どちらかといえば、なんだろな。寛解を目指すもの。あ、寛解っていうのはね?」

「知ってる。親戚に、がんになった人がいるから」


 あいまいに使うと危うい言葉でもある。


「大辞林だと、なんだったかな。病気の症状が軽減またはほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態。治癒とは異なる。白血病、バセドー病、統合失調症などの病気のときに用いる、だったかな」

「がんでも、使われることがある。再発する危険性のある難治の病気治療で。寛解には部分的なものと、完全に症状がなくなったものと分けているケースも」


 公的医療機関で、保険適用の診療にて、医師によって診断がなされるものというイメージがある。


「そだね。精神疾患でも使われることがある。一般的な単語として使われると危険な状態になりかねない専門的な言葉だとも思うんだけどさ」


 たしかに。親戚のもとには、かなりの「ぜんいのあどばいす」や「ひょうじゅんちりょうはあく」や「いしゃはわるもの。くにはだめなもの。たすけてくれるけど、おおやけにみとめられないもの。なぜならたくらみがあるから」みたいな話が集まったという。

 親戚のもとに集まった人々が利用しはじめたら、問題はさらに大きくなってしまいそうだ。


「でも、他に浮かばないの。一時的に、私の痛みがなくなったとしても、同じような事態に陥って再発しやすい、再現性のある状態? それを示す言葉が」

「しかも自分には、なおさなくてはならず、なくすべき問題があると思えるもの。自分の心身の健康を損ねるもの、ね」

「そ。科学や西洋医学がない頃に、これを示す適当な言葉がなくて便宜上つかわれていた言葉もいっぱいあるんだろうけど、いまはちがうから。そこはより精度の高い言葉を選びたい」


 気とか、オーラとか、前世とか? なんか、そういうやつか。

 私も親戚の家族から愚痴を聞かせてもらった。

 やれ日頃の行いが、だの。やれこういう悪行をしたのではないか、だの。

 風水だの。霊験あらたかな水だの。果ては先祖への冷遇だの。

 手を変え品を変え、標準治療を否定したり、陰謀論を展開したりして、高額な詐欺商売に誘導しようとする。それが詐欺だと知っていて露悪的な人だけならまだしも、心の底から信じちゃっている人もいるからたちが悪い。頭が働かないよう麻痺させるべく、ショックの強い言葉を浴びせるパターンもある。

 患者が望むからと、自費で高額になり、しかも効果がないとわかっている治療さえ受けさせる医師もいるというのだから、世の中ってなかなかに度しがたい。

 おまけに、信じる者も、逆にそれを非難したり、留めようとする者も、どちらも自分の枠組みにおける正しさを軸に展開するから、ただただ溝が深まっていく。そういう側面もあって、厄介。正しさは磁石でいえば同じ極だから、反発しあう。内容がまるで同じ正しさだけを吸い寄せる性質の極。


「あのさ。足りないなとか、これがなきゃつらいこととかって、それによって生じた痛みのぶんだけ、同じものを求めるところがあると思うの」


 足元から、太股へ。そのまま、豊かな九尾へと。


「そのとき、なくした縁とか、人とか。あるいは、愛情とか」


 彼女の言葉に、


「そういうのって、どうしたって得られないケースも多い」


 何度も何度もえぐられる。


「けど痛みはなくならないし、求めずにいられない気持ちも強まることはあってもなくなることはないからさ? マイナスのぶんだけ、プラスとなる同じものを得ようとするのは、わりと悲劇」


 つらつらと語る。

 尻尾を拭うのに、彼女はいつも手間取っている。

 そんな話をノノカに聞いて、そりゃあなとうなずいた。

 一尾でたいへん。それを彼女は九本も。

 思考を逸らして痛みに耐える。言い返せないし止められないし怒れもしない。

 ただ自覚している私の心の痛い部分が、たまたま照らされた。

 その痛みに耐えるのに、私はいま必死だった。


「マイナスを自分にあいた穴の面積にしたとき、そのマイナスになにかを放り込んで埋めるか、ふたをしてなかったことにしたくなる」


 それは、でも、意味がないと。

 私はそう切りかえようと試みている。

 だからか、彼女の顔に鏡に映る自分の痛みや疲労を見つけてしまって、荒れる心が沼の底へと沈み始める。


「けど、穴の環境は変わらない。毒性の高い液体があるかもしれないし、傷口として膿んで腐ってしまっているかもしれない」

「――……なおさら焦って、穴をどうにかしなきゃとおもうって、こと?」


 疑問形に尻上がりに尋ねることができて、心底ほっとした。

 精いっぱいの抵抗さえできなかったら、私はただただ底なしの沼に落ちるだけだった。

 語ることはない。彼女に、ではなく。いまの自分に、その力がない。見通しも一切がない。

 だから、ないのだ。語ることなど。いまの自分には。

 沼の底へと泡も出さずに沈むか、それとも脱力するかの二択しかない。


「そうだね。それかね? 途方に暮れちゃうの。あまりに惨い悲劇を目の当たりにして、身動きが取れなくなってしまうように」


 どうにもできない天災や暴力の結末を眺める人のように。

 そう夢想すると、彼女の言いたいことがわかってしまう。

 どちらがいいとも思えない。どちらともに痛みや苦しみが見えてしまう。

 ふと、彼女は「げんしつうに苛まれるの」と呟いた。

 頭の中で、どんな漢字なのかを探そうとするけれど、彼女は語り続ける。


「放っておくと、さらになにかに影響を与えてしまうものは、だから対処する」


 二次的な被害を起こすような状態にあったら、まずはそれを止め、制御下に置く。

 擦り傷や切り傷は消毒して、感染症を防ぐ。


「けど、その穴があるまま、居ること、いきることができるようにして、はじめてだれかと一緒に居ることができるのかなと思うの。なのに、私はまだ、穴の痛みに気が狂いそうなんだ」


 だから、と続けて、彼女は改めて私を見た。尻尾を拭う手を止めて。


「だから、ヒヨリたちが来てくれて助かった。すこし、痛みがまぎれた。気持ちも。そのぶん、改めて気づく穴や、その惨状なんかもあって、なかなか追いつかないけど。それでも、助かったの。ありがとね?」

「お礼を言われるようなことなんて、なにも」


 してない。その予定もない。

 強引に押しかけただけだ。まだ、なにもしてない。

 それに心の穴に入ってもらうなんて、危うい。茜原に話して訴え続けてきたことだ。教わり学ぶのでなければ、基本的にはそうすべきじゃないことだというのが、私の信条だ。

 あくまでも、基本的には、である。

 補助の必要性は日常の性質によるというのが私の考えだ。

 怪我をしたばかりの人と、応急処置を済ませてあとは経過を観察する段階の人とだと、求めることはちがってくる。

 ひどく主観的な判断になってしまうけれど「あーなんか身体がだるいなあ」っていう場合と、明らかになにも喉を通らず無理して食べると必ず吐くし頭痛がひどくて検温したら四十度ちかく熱があるとわかった場合だと、やっぱりなにをどれだけ求めるかはちがう。

 身体がだるい段階で風邪を疑って、自分で対処できる人もいるけれど、できない人も世の中にはいる。風邪が致命的になる疾患にかかっている人だっているし? 素人が判断したら即座に命に関わるケースがある。

 だからここでのひどく主観的な判断って実はとても危ういんだけど、そうと気づかないか、気づいてしまうと恐ろしすぎて無視したり流したりしたい場合だってある。

 病気じゃないけど、茜原への対応も「ストーカーになられたらどうしよう」とか「キレてなにしてくるかわからないからどうしよう」とかってなる人もいるだろうし、そうなる経験だってざらにある。

 私の立場にしても、茜原の立場にしても、そんなつもりじゃなかったのに、と感じるほどひどい状況に発展することもある。

 だからこそ言えないこと、言えたこと、言っちゃったこと、言わずにはいられないくらい感情が揺れているのに怖くて言えないことなどなど、やまほどある。

 彼女が穴と表現した痛みは、穴だけとは限らない。

 取り除きたくても取り除けないものかも。

 声や身体の一部のように、変えたくても変えられないし、変えるべきではないものかも。

 変えられないなら、それが痛みを与える部分だと気づくと? 変えたいのにどうしようもないものだと気づかされると?

 コンプレックスになる。

 彼女の言葉を借りるのなら「足りないなとか、これがなきゃつらいこととかって、それによって生じた痛みのぶんだけ、同じものを求めるところがある」し、そのぶんだけ人はいくらでも固執したり、執着するのだろう。

 彼女は足りないかつらいことがあったら、求めるときは同じものだという主旨で言っていたけど、変質したり、表層だけをなぞってずれが生じていたりすることがある。ざらにある。

 なんなら答えがなにかわからなかったり、わからないことにしたり、振りをしたりすることだってある。

 たとえば私の場合、どうしたらいい。

 最低でも三人。親がふたり、こどもは私で、円満で、ときにケンカもするけど、きちんと仲直りできて、安心してなんでも相談できる家庭で暮らしたかった、なんて思いは。

 彼女が言ったとおり「そういうのって、どうしたって得られないケースも多い」から。

 取り戻せないし、取り返せない。

 たとえば。

 親密かどうかとか、どれくらいの濃度でやるかとか、そういうの一切関係なしに、茜原みたいに好意を寄せてくれる人がいたら求められるところを利用して、わがままを通す? たちどころに悪評が広まりそうだけど。

 好意を寄せてくれる人がいないときには、年齢というだけで色眼鏡で見るおじさんたちもいるから、そういう人を相手にする? 要するに、下心狙いだ。なんなら、お金も稼げるかもしれない。ただし危険と、精神的な傷のほうが大きいだろうし。私とはちがう部分でひどく歪んだ相手に遭遇した日には、悲惨な事件に発展しかねないけど。

 どっちも「ないわ」と思う私は遊びを選び続けている。

 けど、それはノノカたち仲間がいて楽しくやれていることや、吹部で活動するのが楽しかったり、バイトで充実していたり、組織でいたずらできて満喫しているから言えるだけだ。

 それでまかなえないくらいに「欲しい!」と感じるなにかがあったら?

 そのとき、なにかするのかも。あるいは、してしまうのかも。

 このあたりのことを彼女が知らないとは思えない。

 なにせ、してしまったり、する形で彼女を巻き込んできたのが、士道誠心学院高等部の関わる事件で暴れた人たちの動機のようだから。

 無自覚でも無計画でもいられない。

 求められてばかりの彼女だから。

 けれど、どうなのだろう。

 彼女にだって求めるなにかがあるはずだ。

 なのに整理がつかない。


「私って、なんなんだろ」


 ふと零れ出た本音のようだった。

 彼女は尻尾を拭うのに専念する。手伝おうかと提案したけれど、だいじょうぶだと断られてしまった。もう遅いし早く休んでとさえ言われた。それがいまの彼女のクセなら、構わずタオルをもう一枚とって、タイルの上へ。

 なら勝手に拭いちゃうと、厚かましく歩みよる。

 私はそれをずっと求めているから。

 彼女は抗わなかった。ごめんねと詫びて、受け入れた。

 背中に回って尻尾の水気を拭い取る。

 不思議だ。

 コトネが絶賛するくらい、たしかに彼女は美しいけれど、でも身長は私とさほど変わらず小さい。肩周りや腹部に筋肉がついているように見えるけれど、腕の太さは私とあまり違わない。

 神聖なもののように見えて、尻尾だって結局は私と同じ。濡れれば乾かすのに手間取る。

 なのに彼女は複雑だ。

 私たちはさほど多くの役割を担えない。

 一度に担えるものは、せいぜいひとつかふたつまで。

 たとえば?

 私なら、学生。店員。組織の一員。いたずらっ子。

 精いっぱいだ。この中のどれかひとつだけで精いっぱい。

 茜原に求められる私像なんていうものを追加するだけで、たやすく私は限界を迎える。

 ならば彼女はどうだろう。

 足され続けて、増え続けて、数えるのも困難になっているんじゃないか。

 常に求められることが増えると?

 もう無理だ。

 他のことができなくなってしまう。

 父がそうで、母も恐らくそうで、彼女も一緒なようで。ノノカたちさえ、そうで。

 それは式神たちにとっても一緒だ。

 いまの私にとっては、これが限界。

 気軽にやれてしまえば、それが一番いい。

 重たいことは気が乗らず、痛いことはやりたくない。面倒なこと、望ましくないこと、どうでもいいことなんかもそう。

 ノノカたちと話すことは軽い。春灯や彼女のともだちに話しかけるのは重い。前者は気心が知れていて、なにか起きても元に戻れる目算が立つ。後者は相手がどんな人柄で、なにか起きたときにどこまでカバーできて、なにが越えてはいけない一線かわからない。

 重いことは気が乗らない。

 けど、それも言葉遊びで抽象的に過ぎない。

 コトネは予習復習を欠かさない。一見して、それはとても軽そうに見える。私よりも軽い行為で、だからコトネは欠かさずやっているのではないかと。

 本当にそうなのだろうか。

 まだ数値化できない行為の、感覚的に過ぎない重さ。

 その正体がなにかはわからないけれど、春灯は重たい役割を同時にいくつも抱え込んでいるように見える。

 尻尾の水気がいくら拭っても果てしなくて困る。タオルは重たくなっていくのに、尻尾はまだ濡れていた。

 どんなに求めても、得られないものさえ重たくて仕方ないのかもしれない。

 それをなにかで釣り合いを取って、安定を求めようとしたところで、どうだ。

 これを文章にして読んだところで「なにいってんの?」と首を捻る内容にしかなっていない。

 そんなの解決できるはずもない。

 だから私は遊ぶ。

 遊んでいるときの役割は明快にしやすい。他のことを忘れられるほど没頭できれば尚いい。遊びはそれを達成しやすいところが、実にいい。実際、楽しいことばかりだし?

 うちの組織で行なう、いたずらなんかもそうだ。

 彼女にはあるのだろうか。息抜きの手段が。

 あったら、こうはなっていないよなあ。

 そうしみじみ考えながら、九尾を拭う。どれほど美しい金毛九尾であろうとも、お風呂上がりの濡れた尻尾はとても寒くて心細そうに見えた。




 つづく!

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