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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百五十三話

 



 心は荒涼とした砂漠。

 雨だと思っていたものは風に舞う砂粒。

 身体を打つ極小の暴力はおびただしいほどの数で襲いくる。

 焦り、恐れるほど、恐慌をきたす。

 外套があれば羽織り、目元を残して覆い隠して、自分をなだめる。

 理屈として言葉にすれば行動は端的でわかりやすく、できそうな気がする。

 だけど衝動があり、その先に心があって、次にようやく頭が働くのだと私は感じていて、恐れは衝動であり、同時に心の動きでもあるから、頭を働かせるのは至難の業だと感じる。

 だから「こうしてね」と直そうとする動きに対応するのは、衝動と心が穏やかで安全で、なんにもこわくなくて、だらーっとリラックスできるくらいじゃないと? むずかしいなーって思うわけ。

 おまけに、したい方向性で、納得できていないと? だれかに「こうしてね」と言われても「は?」ってなる。しなきゃいけない、じゃあ弱い。お父さんやお母さん、しまいにはトウヤあたりに「宿題やった?」と言われるたびに昔の私は「やらなきゃいけないことくらい知ってるし! その気になるのを待ってるの! 言われると気が散るからほっといて!」くらいの態度でいた。

 そんな~。

 ことも~。

 あ~ったねと~。

 古いっ! あと、そんなことも、じゃなくて。そんな時代も、だね。訂正してお詫びします。時代という歌の歌詞だよ?

 えーっと。話が逸れた。

 まあなんていうかさ。勝手なものなんだよね。心も衝動も。頭でやっと、生理的なところから離れようとできるんだけど、それも結局は衝動や心が余裕たっぷりじゃないとむずかしい。

 衝動も心も頭も、みっつが足並みそろっているときが楽。頭で納得していて、心でなんとかしなきゃと感じていても、生理的にきつくて「無理!」って衝動的に拒絶するようなことは? やっぱりできない。

 宗矩さんの書にある内なる神の声って、衝動を指していると私は考えている。

 頭でっかちになっているときには心や衝動が置き去りになっていたり。心でっかちになっているときには頭が働かなかったり。なにかが衝動を抑えつけようとしたり? 逆に衝動が暴君のように心と頭を踏み潰したがるときもある。

 心の余裕、衝動の理解。この二点を軸足として立脚した頭の使い方とはなんだろう。

 もはやだいぶ昔のことだけど、去年のギンと過ごしたわずかな時間、私たちはお互いに衝動的だった。だけど、衝動だけでもだめなんだよね。

 頭でかみ砕けなくて納得いかないこと。心で「ううん。なにかちがう。なにかだめだ」と感じること。みっつのどれかひとつでも「待って?」と点灯すると、動けなくなる。動けなくなる。おまけに、それでも無理してやってみると、だいたい「やっぱ違ったなあ」とか「やめときゃよかったなあ」と感じる素朴な着地点にたどりつく。

 素朴な印象は心や衝動で飲みこみやすくて、だましがちだし、だまされがちになるから要注意。なんだけど、三本柱も実はけっこういい加減であやふやないきものだから、よくよく観察していきたいのだけど、間に合わない。

 砂漠の砂を掘っても水源にはたどり着けない。

 いかにももっともらしい言葉に聞こえる人もいれば「近くに山は? 周囲の気候は? 海までの距離は? 最も近い河川はどこに?」と尋ねる人もいれば「よし、ダウジングじゃい!」と……さすがにそれは極端? まあ例によって、バリエーションがいろいろ浮かぶのだけど。

 嵐舞う砂漠で砂粒に身体を打たれて衝動的にも心も体も参ったら、どうするか。

 どうしようもなくない?

 おばあちゃんが好きな歌にさーあ? 銭のないやつぁ俺んとこへこい! っていう詩があって。しかもそのあと、即座に「俺もないけど心配すんな」と無責任に言うの。ひゃっひゃっひゃって笑ってさー? なんかもう、ありとあらゆる開き直りがそこにあるわけ。私からみたら、おじいちゃんか、ひいおじいちゃんくらいなんだけどね。歌っているの。

 空が綺麗だし、ま! そのうちなんとかなんだろー! と。ね? いうわけ。

 今年が二○十七年? だとしたら、曲が出たのが一九八六年でしょ? わ! 三十一年前!? すご。

 曲の音色ももちろんだけど、歌詞にも時代が出ません? この歌のタイトルが「だまって俺について来い」だから、わー。しょうわー。そんな気持ちでいっぱいになるんだけどさ。

 責任せきにん! わあわあわあ! といういまに至るまでにあった無責任には、どういう類いのものがあるのかな? なぞー。

 これまでにあった無責任の中でもアウトなやつもやまほどあったろうし? それは別に時代に限定されず、いつの世もだれかのどこかに潜んでるもの。

 あと無責任状態のときに「ここ直して!」って言っても、まあ無理だよなあ。意識的なサボタージュは別にしてもね。

 三本そろって自分のすべてみたいなところあると思っていて、どれかだけが突出して語られても響かないしなあ。

 おまけにいうとさ。

 責任は頭の領域の話で、心や衝動の領域の話じゃない。

 感じろーって言うことあるし、責任感という言葉だってあるけれど、それっていきもの的には後付けだしなあ。

 ああでも念のため、調べてみとこっか。

 新明解国語辞典だと、責任は?


『自分の分担として、それだけはしなければならない』

『不結果・失敗に基づく損失や制裁(を自分で引き受けること)』


 ちなみに責任感は?


『責任を重んじる気持』


 新明解は気持ちに視点を置いている。

 じゃあ大辞林だと、どうかな?


『自分が引き受けて行なわなければならない任務。義務』

『自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い』

『《法》法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある』


 そして責任感は?


『責任を重んずる気持ち』


 こちらも気持ちに視点を置いている。

 言い換えればさ?

 頭の領域にある責任に対して、心の領域でなにを感じ、思うのかってところかもしれないね?

 でもって責任は理解するしないの話でもあるし?

 理解したうえで、それを心でどう感じるのか、どれほど大事に思うのかは別の話だということでもある。

 頭でわかっても、心に響かなきゃあ動けず。

 心に響いたら、それが頭で考えるとどれほどいけないことだとしても、しちゃう。

 衝動はもっとダイレクトに行動に出がち。

 推理小説の犯人や、映画やドラマにみる殺人鬼たちって、その三本柱のバランスや安定、不安定にちがいがある。バリエーションがある。現実的かどうかはさておき、クリミナル・マインドでは類型化して語っている。今回の犯人はどういうタイプだろうか? って。

 テーマは犯罪に限らない。もちろんそうだけど、ブレイキング・バッドで麻薬生成や密売に関わる人々の行動基準や、それが狂うとき、逆に鋭く精度をあげるとき、それぞれでも三本柱にちがいがみられる。極限状態のほうが脚色されがちで、わかりやすいっていうのはある。

 状況にもよる。

 恋愛だとどうかな。金融や政治での闘争なら? 家族、家庭の問題は? あるいは自分のコンプレックスやトラウマが相手なら?

 わからなーい。

 フロイトやユング、あるいはアドラーならわかったのかな?

 しらなーい。

 それを確かめる実験なんてあるのかな?

 心理学系の実験って、けっこうきわどかったり、アウトなものが多くない?

 逆にいうと精度の高い実験の手法や基準、越えてはならない一線や法整備は? どこかにあるのかな?

 なぞ。

 だから自分の経験をもとにして、素朴な印象のまま済ませてしまいがち。

 それは? とてもあやうーい。

 と、いうことで。

 混乱している頭と心と衝動の情報を、改めて箱を用意して分けていく。

 ぶんべつ! ぶんべつ!


「ううん」


 シャワーを浴びながら、金色雲を浮かべて胡座を掻く。

 当たり前のことさえ並べて分けてみよう。

 ぷちたちのことが好き。私のことも好き。みんなのことも。大事にしたい。そう思う。これは心の領域。

 カナタとふたりで過ごして実感した。みんなと話して、愚痴りあってわかった。好きな人と一緒にいたって衝動的に「ああもう!」ってなること、ざらにある。これは衝動の領域。

 衝動は言うなれば痛みに似ている、強い刺激だ。料理でいうなら、辛味かな。超激辛なトウガラシのときもあれば、山椒みたいなシビレの場合もあるし、ワサビみたいに爆発するようなツンとしたときもある。仮にどれほど味のついた思いを抱えていても、それを上回ってくる刺激物が衝動。

 なので頭や心の味がわからなくなるくらい、強い。

 心も頭もなかなかのもの。侮れなくて、そのせいで判断を誤ることもある。

 こうして並べる言葉も、分けるぞって仕分けをするのも頭の領域。心や衝動が訴えるメッセージがどういうものかを考えるのも? やっぱり頭の領域だ。

 三本柱の三すくみ? ううん。そういう単純な話でもないと思うの。

 ただ、シオリ先輩が教えてくれたプログラミングをするときの考え方は参考になりそうだ。改めて思い出してみるけど、思いつく限りの問題を洗い出して、その対処をするというものだった。

 対処は具体的に並べると?

 いちばん強い対処に「ちょっと待ったァ!」と、停止させるもの。

 そこから一歩引いた対処に「これってやばいかも?」と、確認を促すもの。

 あるいは「これだけの時間がかかりました」みたいなものもありそうだ。

 シビルウォーでアイアンマンはキャプテンアメリカとウィンターソルジャーを相手に戦う場面があった。大戦時に活動していた凄腕の兵士で、しかもどちらもめちゃめちゃ強化されている。対するトニーは訓練に勤しんでいるものの、彼らのような戦闘技術はない。

 じゃあどうする?

 ふたりと格闘しながら、ふたりの行動を観察、分析し、どう動いたらふたりを圧倒できるかAIに調べさせていた。解析が完了してから反撃を開始したアイアンマンの動きは見違えるようだった。

 極限の状況下で、コンビネーション抜群のふたりを相手にできる限界はあったけどね。

 そもそも常時「こんな具合ですよ」と調べて、情報を収集しておくことは大事だね?

 記録を残す。プログラムだとログって呼ぶんだったかな?

 うまくいったか、だめだったか? じゃなくて、どれくらいできるのか、改善の余地はあるのか? という視点だ。お仕事だと、次の受注が決まっているかどうかーとか、そこまできめ細やかにやるのかーとか、いろいろありそうだけど! それはひとまず、おいとくとして。

 いまできない、という事実で自分を殴らない。そんな調味料はいらない。

 必要なのは、いまどれだけできるのかだし、どれだけ改善できる余地が見つかっているかだよね?

 前にネットで、子だくさん、育児で検索したらさ。

 まあああ!

 子だくさんな人たちへの差別がずらーっと並んでいた。

 正直ちっとも役に立たなかった。

 なんなら、攻撃されてる気分だった。落ち込みながらブラウザのタブを閉じたよね……。

 それでも探った限りじゃ「決まりごとを作る」とか「タスクのマネージメントが大事」とか「そもそも、こどもたちのことをよく知り、こどもたちのできることの先を考える」とか? これらの情報に行き当たった。

 あとはねー。

 短所を直す、じゃなくて。長所を伸ばす、が大事だーみたいな話も見た。

 私という主観を通じて「これが長所」だの「それは短所」だの決めつけるのも「どうなん?」となって、悩む。

 食べるのが上手な子もいれば、お箸やスプーンがうまく使えない子もいる。

 後者を食べるのが苦手という短所として捉え、なんとかして短所を直そうとするべき? いや、長所を伸ばすべきだろーって?

 いやでもさ。お外で食べるとき、えっらい苦労するって! みんなで食べるときもそう! 学校でお食事するときでも一緒!

 だから矯正しようときつくいう? お箸の持ち方はこう! とか。トレーニングするから、ちゃんとやりなさい! って圧をかける勢いでテーブルマナー教室みたいなのやる! とか?

 そのとき私は言うのだろう。

 これはあなたのためなの! って。

 ううん。

 どうなんだ?

 お風呂もそう。ハミガキもそう。お着替えだってそうだし? トイレだってそう。

 みんなとの過ごし方、言葉の使い方、発音や抑揚を含めた話し方。

 日頃の姿勢だの、目上の人への態度だの、お外での振るまい方だの。

 さらにそこに英語とか勉強とか、習い事も足す?

 もうね。

 わー! ってなるよ。私もぷちたちも。

 ちなみにここでほったらかしという接し方を提唱しているページもけっこうあった。いやいや。それはどうなんだ!? まずいだろ! ってツッコミつつ、じゃあなにがいいんだろって答えを探すと見つからず。

 実際いつでも「わー」ってなるから、ほったらかしと大差なく。このまま年月が過ぎ去って「なんかうまいこといったんじゃね?」とか「この子がわるい!」とか言いだすの?

 うわあ……。

 それはどうなの?

 頭で考える領域でもあれば、心で感じたり悩んだりする領域でもある。

 トニーにせよ、アントマンのスコットにせよ、こどもと過ごすシーンを見ているとさ? 愛情ダダ漏れあまあまで、しかもホストに徹してる。それは性別に結びつけることなくいえる場面があるし? まだまだな場面もあるのだけど。特に思春期ね! 自分の世界を獲得して、それがどんどん広がっていくとき、私のみる作品はどれも、その世界に危険がないよう、あれば注意喚起したり干渉したりしつつも、基本的には見守ったり、話の聞き役に徹していることが多い。

 作中で過干渉だと指摘されるケースだと、こどものステージにあがって演技指導をしたり、相手役をステージから追い出したりする。こういう作品だと概ね親に解決できない、できなかったトラブルがあって、それをこどもに干渉することで間接的に解決しようとしてしまう描かれ方をされている。そんなイメージがある。

 いずれにせよどちらも悩み、葛藤し、人によっては内省し、しすぎて苦しみ、それでもぼちぼちやっていたり? うまくできないときには大げんかしたりしてる。

 息子ならカウボーイかプリンス。娘ならプリンセス。そういう態度を思い出すことのほうが多いけど、もちろんそれがすべてじゃないし、安易にこれが答えだ! なんて言う気もない。そんな簡単に済むなら、私いましんどくなってないし。

 おまけにシンデレラに出てくるこびとたちなみに人数がいるからさ? もうね。えらいことだよ? これは!

 ひとりひとりの短所を直そうとしてる?

 ひとりひとりの長所に気づけなくて焦ってない?

 きりがない!

 そして、これらの悩みや負荷に晒されたとき、衝動が湧き上がる。心が揺れる。頭であれこれまっずい調味料を振りかけはじめる。ぜんぶが悪循環を続けていく。

 そこでは必ずしも、情報を正しく拾えていない。

 むしろ自分がいやだと思うことを脚色して見がち。

 それをなんとかしようとせずにはいられない。

 ままならないなー。

 悪循環の中、内側でなにかをどうにかしようとするのは、けっこうむずかしい。

 トニー・スタークならアイアンマン3でスーツ依存症になって、やまほどスーツを作るわ、めっちゃお金が飛んでいくわとなるし? スーツを増やしたところで不安はどうにもならずだ。


「あー」


 なんでかいま、必死になって金色の使い方を増やさなきゃって焦っている自分にめっちゃ重なった。しんど! うわあ。めっちゃしんどいわあ。

 しんどいけどもぉお!

 スーツを増やしても安心できないようにさ?

 金色の使い方を増やしても安心できないよ。

 いまの私にできることってなんだろね?

 おいしくできることって、なんだろね?

 トニーはこどもの発明と、原点回帰のエンジニアの技術と知識を生かしたし、なにげに準備をして挑むと決めたらとことん勇気を出せるタイプの人だから、オモチャみたいな発明品を装備してテロリストのアジトに乗り込んだ。スーツの充電だってちゃんとしてたし!

 できることからやっていく。

 よくできることから改善していく。

 それには限界もある。

 パトレイバーのテレビアニメ版で、出前にきてくれる上海亭という中華料理屋とケンカして来てくれない日、東京湾のハゼは釣れず、トマト畑は収穫ゼロ。にわとり小屋では卵ひとつなく!

 おかげで、オヤジが隊員と売り言葉に買い言葉で焦って、汚れた食器をそのまま使用して料理をこさえ、そこに隊員たちや整備班が駆けつけて、腹ぺこたちが見逃せるはずもなく。みんなして食べてみごと! 食中毒騒ぎに。新聞の一面記事に載っちゃうの!

 なにその話!

 それはさておき、東京湾の埋め立て地に大勢の自給自足の食生活環境を整備するなんて無茶な話。巨大二足歩行型ロボットを収容するのみならず、第二小隊は出動のたびに被害を出しては保険のお世話になるという金食い虫っぷり! なので食堂を整備してもらえることもなく。テレビシリーズから時が流れた設定なのかな? そんな実写映画版でも、近所のコンビニや出前に頼っていた。

 この話するの、何度目かなあ。

 それはさておき。

 実現性に乏しい改善方法しか残されていなかったら? やむを得ない。

 というか、なんだろ。

 バグを抱えたまま走るプログラムみたいな感じ?

 銀行や鉄道会社、航空会社なんかの社会的なインフラのプログラムがそんなだとさ。

 万が一にも止まったら、大騒ぎ。銀行はたまに話題になるし、鉄道会社でも大騒動に。飛行機と管制局のプログラムが停止しようものなら、空で衝突事故が起きて大惨事になりかねない。それは鉄道でも一緒。将来的に自動運転のみになった道路で、車のプログラムが一斉に暴走するか停止したら? 大事故が多発する。

 人的被害が出なくても、金銭的な被害が出て、莫大な被害金額になろうものなら? それを理由にして、だれかが首をくくる羽目にさえ、なりかねない。

 戦争映画だと? 野火の状況なんか、もはやバグしか見当たらないよね……。

 主観によるところもある。

 硫黄島からの手紙だと、栗林さんと陸軍のおじさんたちはそれぞれに目的も手段もずれにずれていて、それはあらゆる場面で致命的な状況へと育っていってしまった。

 でもって同じような構造は、自分たちの日常にいくらでも見いだすことができるもの。

 人命に関わることだけじゃない。人生に関わることでも「いやそれはどうにかしようよ」って思わずにはいられないこと、多すぎるくらいだ。

 でもって、それはひとまず置いとくとして。

 果てしないわあ。

 果てしないからこそ、的を絞っていかなきゃ追いつかないぞ?

 特車二課はハゼを釣り、干物工場を作って、せっせと食糧をこさえていた。まあ、それでも間に合わなかったから悲劇は起きたんだろうけど! お金だしたくない人たちが上にいて、解決方法がお金だす以外にないのも問題あるよね。ない袖はふれないし? 騒ぎを起こしている第二小隊もいるのに新たに予算を割く、なんていう環境じゃあないよなあ。それも問題あるっちゃあ、あるんだけどさ。

 果てしない。問題は神経網のように、連鎖的にいろんな問題を露わにしていく。

 なにかひとつを解決しようとしたとき、影響範囲が見えたらいいし? 狭ければいい。けど、実はこれってよくわからない。執着したり固執したりしているときほど、視野が狭くなってしまってチェックが雑になったり分析が恣意的になって見落とし箇所を増やしてしまうのも悩ましい問題。

 まじでがちでひとりじゃ無理。

 おまけに大勢が関わって、なんとか動かすようなこと。

 集団、社会。属する人が増えるほど、影響範囲も、神経網も複雑かつ多岐に渡って広がっていくし? 果てしないよねえ。見えていく問題なんていうのはさ。

 そりゃあ「あれが問題っすわ」と言ってくれる人がいたら、信じたくもなるなあ。

 簡単なほうがいいもの。

 だけどそれって、ただ視野が狭くなるだけでしかないんだよね。

 ゴールも終わりも果てもないならさ?

 それって、まずかったら食べれないじゃん。ずっと食べたら、いつか吐きだすくらい拒絶反応でちゃうかも。

 おいしかったり、作らずにいられなかったりするものを目的にして、みんなで巨人になっていく。巨人の細胞ひとつひとつの繋がりをゆるいまま、負荷をかけないまま、ゆるぅくゆるぅく依存しあっていく。

 これってなんだか、悪党の発想な気がするなあ。

 停滞、変化しないという永遠。

 ヘビは唆した。知恵の果実を食べさせて。

 ただふたりがいればいいのなら、それは約束された安定だ。脅かされることはない。

 波風を立てることなく。

 いまあることを変えずにいる。

 動かず、労せず、関わらず。

 ただ、あるままに任せる。それがあるべき姿であり、それを変える言動はすべからく罪である――……。

 いかにもディストピア。

 悪の象徴みたいに名前を呼んだところで、それがいかなる影響を持ち、どのような枷を嵌め、どれだけの苦しみを与えるのかを語れはしない。

 三本柱のどれかが過剰になっていたら、求めることもあるのかも。激動の変化の最中にいたら、安定を望むし? 安定しきっていたら変化を望むように。

 でもなー。

 良くも悪くも社会と接する以上は、自分が納得いかない、承諾してなければサインもしてない決まりごとだけじゃなくて、退屈やうんざりとさえ関わることがある。逃げ切れるものじゃない。不利益にばかり目を向けて利益を見逃してしまうことだってあるのだし?

 たいへん。

 短所として探ると、問題が次々と見えてくる。

 自分の主観の内側で、こうあれと願う方向性で改善点を探せばさ。そりゃあ、いくらでも見つかりそうだもの。実際、問題ってひとつ見つかると、そこから電気が流れるように連鎖的にいろんなことが見えてきてさ?

 その果てしなさに衝動も心もNOを突きつけたら、頭はすぐに参っちゃいそうだ。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。そんなノリで、いやだと思い始めたら、次々と見つかる「こうだったらいいのに!」ポイントを憎んで、その憎しみがどんどん増えていきそうで。

 うつうつしちゃうね?

 興味を増やして、それをおいしくみんなで食べるにはどうしたらいいのかなーと考えるし、試食のためにまず自分でおいしくたべるし、どうせ試食するならおいしく食べたいし?

 そういう方向性でアプローチしたいなあ。

 ますくする調味料を下ろして、おいしく料理するっていうのは、衝動と心と頭のそれぞれの領域で「はふう」とうまさに至福に浸れる方向性を模索することのような気がするね?

 ある歌を詠むとさ?


「人もをし、人もうらめし、あぢきなく。世を思ふゆえに物思ふ身は」


 をし。愛おしい。

 うらめし。恨めしい。

 矛盾した思いを抱えて世を思えど、物を思えど、その身にできることってなんだろ。

 立てる波風はだれかの衝動、心、頭もれなく心地よく誘えるものか。

 それとも危機感を抱かせ、怖がらせるためのものか。

 それらはなんのために行なわれるものか。

 大軍を相手に、全員を説得するより戦うほうが手段としては考えやすい? 大軍を討つより将を狙う? 将を射んと欲すればまず馬を射よ? いやいや、戦う方向性しかないの? それってバグがうんざりするから、プログラムまるごと消しちゃえーってノリなの?

 わからないなー。

 わからないけど、その方向性を選ぶってことは「私はあなたたちを思ってやっているの」と押し通す怪物になる道じゃない?

 立てた波風は、巨大な波で地面をなぎ払うときの知らせになる。

 そういうんじゃあ、ないんだわ。

 愛について考えてみたいの。

 カツ丼みたいに、好きな食べものからでもいいからさ。

 ノノカやヒヨリたちに伝えるのなら? 頼ろうというのなら。キラリやマドカたちにしっかり依存しようというのなら! ぷちたちと一緒に生きていくというのなら?

 ヴィクトルとユーリのようにいきたいね?

 ふたりには共通言語があった。

 氷の上という世界で、ふたりが語れる愛があった。

 私たちにとって、それはどこにあるのかな?

 そこから探してみるのも、ありじゃない?




 つづく!

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