第千七百五十二話
イチゴがミユウとふたりでお風呂だ夜遊びだとぷちの面倒をみてくれる間に、ノノカが即席ホワイトボードをこしらえて、ヒヨリが私の現状を尋ね、コトネがまとめてプランを練ってくれる。
プランといってもスケジュールや方針じゃなくて、現状のお悩みまとめがメイン。仮にお悩みを荷物として捉えるのなら、いかにして下ろすかという方向性の話をする。
ひとしきり話し終えた頃にはもう夜遅く。ミユウがアヤネとイチゴと三人がかりで人形劇をして、ぷちたちを寝かしつけてくれた。話を聞くと吹奏楽部の演奏がてら小等部や幼稚園に行っては、いろいろとお手伝いをすることも多いそう。
訪問者向けのお布団をだして、和室に敷いた。ノノカたちに泊まってもらうために。そこで一緒になってだらだらしゃべる。こういう時間も、すごく久しぶりに感じる。
むずかしい顔をしてアヤネがタブレットを膝にのせて、キーボード形式でなにかをせっせと打ち込んでいた。日記を残すのが彼女の習慣なのだという。
手慣れたタッチで忙しなく打ち込まれる内容が正直、気になる。
私の視線に気づいた彼女が「見る?」と尋ねてきた。みんなでしゃべっているのに、彼女はマイペースにやっていた。覗いてみると、アプリに文字がずらっと並んでいる。
今日のスケジュールとか基礎体温とか食べたものとか、できごととか、覚えておきたいトピックスがまとめられている。授業の進捗や課題の内容なんかもだ。几帳面。所感や思いつき、詩なんかも混じっている。他にもうちの家族とぷちたちの名前がずらりとまとめてあって、印象が括弧書きに書いてあった。
「すごっ! これ、毎日やってるの?」
「日課だから。一発書きだし。なんだろ、春灯は料理やるんだよね?」
「ま、まあまあ、それなりに?」
「マグロさばいてたよね、ネットの番組で」
「――……み、見たの?」
マグロをさばいたこと突っ込まれたの、これが人生初まである。
「まあ。あれで例えると、これはマグロ」
「日課の日記が、マグロ?」
「そう。調理してない、加工もしてない、稲鶴アヤネという血肉」
「は、はあ」
「生のマグロに噛みついてもおいしくないでしょ? 漫画でいえばネーム、小説でいえばプロット、企画でいえば素案。販売曲でいえば鼻歌? なんか、そんな感じ」
「おー」
一気にわかりやすくなった。
「垢抜ける前の子をステージに立たせないし、生魚をレストランで提供しない。おいしくいただけるよう、映えるよう、より味わえるよう化粧したり、調理、加工したりする。これは、そうする前のもの」
「はああ」
なるほどなあと呟きながら、タブレットの文字を眺めた。
アヤネの記述、どれも素直な言葉たちばかり。
ビジネスメッセージを送るとき、テンプレを探してコピペする。お仕事先の現場で話すとき、内容をまとめておく。トークするなら話を盛ることもあると橋本さんに教えてもらったことがある。ゼロを一にするのも十にするのも嘘だけど、三を五とか十にするくらいは、まあ、やることもあるっていう。そのへんのさじ加減は人によるそうで、カットされずオンエアされるべく十に盛るのだとか。
だけど、これだと天然でおかしなことに見舞われがちな人、面白さに出くわす人には叶わない。それに盛る技術がうまい人、敏感な人にはバレる。自分の盛りが下手だと辛辣な評価を受ける。なので危うい手でもあるという。
やっぱり天然物が一番、自然だから。
むしろ自然に愉快な目に遭遇できるよう、どんどん無茶をしたり、やんちゃをしたりして、面白い体験に突っ込んでいくようにする。そうすれば盛る量が減る。感度をあげる練習になる。ロケの仕事で得られる経験も増えそうだ。
仮に日記の内容を愉快にしようというのなら?
盛るか。それとも、盛る必要がないくらい愉快な体験に首を突っ込むか、日常的に探すか。
アヤネの記述は盛りがない。エモさもない。ドラマチック加工もない。
だから気負いも欲もない。素朴に綴られている。
昨日、ヒヨリが失恋したこと。ヒヨリに思いを寄せている男の子がした告白の手段。泉くんの名前。客観的で具体的。かと思えば男子たちがヒヨリたちを誘ったときや、下準備に対する批難の文章も続く。
読み込む前に、そっと彼女に返した。
知るなら本人に教えてもらう以外にないもんね。
彼女の記述には盛りがない。エモさもない。ドラマチック加工もない。代わりに感情が、思いがよく伝わってくる。
調理、加工される前。だとしたら、良くも悪くも特質がよく現われる気がする。
畑の野菜だって育つ過程や、今日に至るまでの間に過ぎた時間があるように。アカネの記述にもまた、時間がある。過程がある。
マグロもそうだよね。競りでも高値がつくようにお化粧するのかな? 木箱に氷を敷き詰めて、そこにおいて、水をかけて艶を出しておくくらいのことしか思い浮かばないけどさ。
ただ、調理・加工するという感覚はよくわかる。
魚なら、焼き魚にするときは骨を取る。ぷちたちが相手じゃなくても、食べるときに負荷があるのがもう面倒だから、調理する時点で取り除く。
番組でもそう。ニュースでも。記事でも。
小骨のように刺して際立てたいこともあれば、どんな人でも食べられるようストレスを極限まで減らすこともある。そういう視点でコンプライアンスが厳しいことをいやがる人もいる。
動画配信サービスやネットで見かける広告も、新聞やネットの記事の見出しもそう。
食べやすいことだけが調理・加工の方向性じゃない。不快であっても無視できない、いっそ不快であればあるほど引っかけやすく数字を稼げるということもある。
意図せずそうなることもあるから、言動には要注意。そういうのが苦手だったり、きらいな人もいる。それって問題あると感じる人だっている。逆に気にするのが当たり前とか、気にしないのはおかしいと感じる人も。
あれや、これや。
考えきれるわけなくて、私は息が詰まりそうになるけれど。
でも、だからかな。よくわかるよ。調理と加工。お化粧。あるいはストレスフルメイク。
利益が出るならストレスフルなものだって売る。
数字に繋がるなら? 別にいいでしょ。やってるの、うちだけじゃないし。赤信号? みんなで渡っているんだからさあ。うちにだけ言わないでよ、みたいなの。
テレビでもネットでも書店でも、どこでも見ることができる。ラジオでも聴けるし、お店でだれかの話を聞くだけでもいい。ありふれてる。
おいしければ。売れれば。ウケがよければ。
なにをしてもいい? 結果が出れば過程も手段も問われなくなるべき?
ぷちたちが私の言うことを聞く。そのために私はぷちたちに暴力を振ってもいい?
私の口座が潤う。そのために私はぷちたちにお金を使わず、お金儲けのために私の力を用いて人をだましてもいい?
もちろんダメだ。答えはNOだ。けど、そうじゃない現実はやまほど転がっていて、たとえば利益重視だったり、みんなと同じであること重視だったり、イイね重視だったりして、そのために調理・加工されることが当たり前な現実があったりして。
これを問題だと語るとき、調理・加工に集中したり。結果の必然性について語ったり。
なんかもう。
わー。
半沢直樹みたいな、おじさんたちの権力闘争ものやさ? 大河にみるおじさんたちの半生ものやさ? あるいは大人恋愛のドロドロものみたいにさ? 日本で見るドラマや映画になる物語だと、結果ありきに思える。
まさか!
海外の物語にもよくある。
ほんとにもう。
よくあるよ。ありすぎるくらい。
それにうんざりしてると? 現実逃避できる物語に、小骨ぜんぶを綺麗に取り除かれて、噛む力なんかいらないくらいやわらかくておいしい味つけの施された調理を求める。
日記にだって、出るよ。中学時代をふり返ると、もう自分が痛くて仕方ないけど。
私はつらくて加工した。調理した。日記に残す自分を。
なかなかねー。そのまま書けないし、残せない。
見えないだれかに配慮して。自分に棘があると、それだけでいけない気がして。とことん強迫的にいまを過ごす。うんざりなのに、やめられない。クセになっちゃって。
ヒヨリになんてことない話題を振られる。私も昔、日記をつけていた。それはいまどこに? っていう、そういう話から、どんなことを書いていたのか、いまは書いているのかみたいな話題に流れていく。
アヤネにお礼を言ってタブレットを返して、みんなとしゃべる。
無意識に自分にいいね悪いねって考える。感じる。ある程度の勘所がないと、みんなと過ごすのがたいへんだしさ? 大事じゃん。
強く押しても引いても、それって噛みあわなきゃ相手にはしんどいじゃん。
付きあいたての頃、私はカナタに脈絡もとりとめもなく話したし? そういうの慣れてないカナタは疲れていると、たまに「あああ」って、しんどそうな顔をした。
そういうことさえ、よくあるじゃん。
気をつけないとさ。
相手の求めるように調理して、加工して。
それって当たり前なのかな。
じゃあ、私の求める調理と加工は?
そもそも調理と加工って必須?
化粧は?
締めつけてきて痛いブラは?
おいしく召し上がれと、どうか快適に食べられますようにと、調理する。私も食べるし。どうせ食べるのなら、おいしく快適に食べたいし? 言うまでもないかもしれないけど、お腹を壊したくないし、当たりたくもない。なにかと気をつける。
じゃあ私の気持ちは?
居るためにすることは? 楽しさのためにすることは? 幸せのためにすることは。
その基準はどこにあるのかな。
自分の中にあるものは、だめなのかな。
みんなと話して、返事をしたり、合わせたりしながら、自問する。
雨に打たれるその感触から、自分を探す。
夜も更けて、そろそろ眠るからと離れた。いちど、気分を変えたくてシャワーを浴びる。
知りたかった。
探りたかった。
同じ感覚を味わえたら、心と体のギャップが埋まる気がして冷たい水を浴びた。
下ろせないかどうかさえわからない荷物。大事かどうかわかることもあれば、そうじゃないこともある。
ぷちたちを抱っこしているときに手が滑ったら? 怖くて背筋が泡立つ。ひやりとする。大事なものは、しっかり抱き締めなきゃ落としてしまう。傷つけてしまう。よく見ていないと、なにかが起きたときになにもできない。
シンプルに荷物でいっても、喫茶店でのんびり過ごすときや飲食店でのトイレ離席で座席に起きっぱなしにはしない。持ち運ぶ。盗まれてしまうかもしれない。覗かれてしまうかも。手放せない。
そうして怖がること、抱え込むことが一体どれほどあるんだろう。
数えたことがない。
並べてみたこともない。
夏が近くてシャワーの水がぬるい。そうはいっても水は水。ひやりとする。もっとぬるくてもいいくらいだ。足りないから、お湯を足す。ぬるくして、うなだれながら壁に頭を当てた。
「ふうう――……」
湯水が伝う。素肌を流れ落ちていく。
いつぶりだろう。
ただひとりで、シャワーを浴びるなんて。
ちょっと前のことのような、とんでもなく久しぶりのような。
息が詰まりそうだ。えづきそうだった。
深呼吸をしながら胸元を撫でる。鼻から息を吸って、ゆっくりと吐きだす。
ブレイキング・バッドで主人公がパートナーシップを組む、麻薬を作ってチリペッパーの混ぜ物をしていた人がしょっちゅう薬をやっていた。スピンアウト作品のベターコールソウルで、ソウルグッドマンと名乗る主人公の兄は華々しい弁護士人生もいまは昔、強迫神経症になって電磁波を防御するものを身につけていないと外出できなくなっていた。
他にもたとえば飲酒にまつわる作品や、登場人物のエピソード採用は多い。
ビッグバンセオリーだと喫煙者は乳首依存症だ、みたいなネタがあった。
逃げ方がわからずに頼る。
自分の重さから解放されるためのなにかを。
偏執的な場面は映画のほうが現実よりもよっぽど身近。そうでなきゃ困るけど。ハンニバル・レクターみたいな人しかいない病院しか、行ける範囲になかったら? それもうフラグどころの騒ぎじゃないもの。
残虐性が誇張されすぎた織田信長みたいな人しか教師にいない学校とか。やだよなー。
バンドの追っかけで、十代なのにお酒のんで煙草吸って、きっとバンドのボーカルとヤってる。だけど主人公からみたら素敵に思えた。少女と少年の物語、なんて。なんか、あった気がするなあ。
十代で遊びと逃避の合わせ技として、喫煙か飲酒か、その両方を。映画だとあるあるだ。あるいは、だった、かな。
もちろん実際にはなしだよ?
理由もちゃんとある。健康被害の話として。
喫煙者の肩身が狭くなることはあっても、寛容さをもって受け入れられることはなくなっていくばかりの世の中だ。煙草を吸うっていうのはちっともぴんとこないけど。それはいまの話でさ。昔はひとつの手段だったんだろうなー。
ごまかしても現実は変わらない。厄介事もなくならない。
ただし痛みをごまかしたり、現実逃避ができる。陶酔できる。ほんのちょっと、気が楽になる。そういう手段なのかな。
重たくて、下ろせなくて、やめられなくて、つらさが増すばかり。
だから、なにかに頼り、選ぶのかな。
解決ではなく。痛みを和らげるために。
無視をしたり、ふたをしたりするように。
暴力もまた、そのひとつでさ。あるいは知らなかったことにするのも、放置するのも一緒でさ。
そこから抜け出すにはどうしたらいいの。どうしたら。
そんな問いにも私は気づけずにいた。
「ああああ――……」
身体の疲れがぜんぶ、声になっていくようだ。
けれど声は煙に過ぎない。燃えたぎる疲れから噴き出る煙だ。
ノノカたちが来てくれてよかった。
お父さんやお母さんに丸投げできることじゃない。いまの過ごし方でわりと限界だ。ぷちたちも、私も、お父さんとお母さんも。みんな、いまが精いっぱい。
次がない。みんな、だれしも、次がない。
ないから、来てくれてよかった。本当に。
「――……」
声にならない。煙を吐きながら、崩れ落ちる。
泣くのではなく、なにかを思うのでもなく、ただ、座りたくて。
きっとあるのだ。
あるいは、あったのだ。
こういう瞬間が。
場合によっては何度も、繰り返し。
さらさらさらさらと崩れ落ちていくようで、その実、特に変わらない毎日が続いていくだけ。
昨日の苦しみは今日に足され、今日の苦しみも足して明日へ続いていくのだ。
気分を変えたくて。いまという安定から逃れたくて、刺激を求めたりするのかな。
「――……」
はあ、と。
息をつく。立ち上がる元気はある。気力はわからないけど、たぶん立てる。
ただ、しばらく座っていたかった。
言葉がない。なにもない。空っぽに思えた。いまの私には、炎と煙しかない。
嘘だ。ごまかすな。調理も加工もなしだ。
疲れてる。ただただ、とにかく、疲れてる。それだけだ。
それだけのことに、私はいま、途方に暮れている。
別に初めてのことじゃない。
今夜が初めてじゃない。
両手で顔を拭って、髪の毛を絞る。
膝を抱えて、そこに額を預ける。
二度とこんな夜を過ごしたくないと願うのは、これが何度目だろう。
きつかった。戦ってきた。勝ったし、負けたし、どちらであろうと傷ついた。
目立つ戦いだけがすべてじゃない。
疲れることは、世の中にやまほどある。多すぎるくらいだ。
深呼吸をした。ゆっくりとまばたきをする。繰り返す。
両手で顔を拭う。何度か拭って、ふう、と息を吐く。
ドミノのように日々は続いていく。倒れる昨日からの流れを食い止めるには、いろいろと準備がいる。今日だけを留めれば済むような気がするけど、なかなかそんなに簡単じゃない。
そうして続けようと固執して、別の列を作ることも思いつかなくなる。
わりと、別に新たに作っちゃうほうが楽だったりしません?
だけど流れは続く。続けちゃう。
だから下ろそうと言う。
離れようといっても、いったん休もうとか、頼ろうとか、止まろうとかいっても、続いちゃうからさ。
いいとこも悪いとこもぜんぶそのままでいいから、ぜんぶ伝えて、ひとつひとつ下ろしていこうと言う。
コトネの提案。ヒヨリの信条。ノノカたちの意欲に着火したのはヒヨリだ。これはヒヨリのアプローチ方法といっても差し支えない。
ユーリはすごいなあ。練習に逃げて、練習に没頭して、それができるってすごいなあ。
ヴィクトルは「さあ、どうやって驚かせてみせようか」と考えた。それって、はんぱないなー。
「んんんん」
どこまでも息が出る。
煙を吐くの? ちがうちがう。ただ、息を吐いているだけ。
勝手に自分を終わらせないでよ。
勝手に過剰に調理しないで? 加工するのはやめて。
無意識に完成させて、台無しにしないでよ。
いやな気持ちや、下を向いちゃうしんどさで味つけしたら、どんなものを料理してもまずくなっちゃうよ?
そういうやり方、いったんやめよ。下ろしちゃえ。
まっずい調味料いっぱいの小瓶は下ろしてさ?
おいしくしよう。
やまほど浮かぶね。いまある過ごし方と、どうしたいかを考えるほどに、まっずい気持ちがさ。
だいじょうぶ。
下ろしていいよ。
ユーリはカツ丼から。愛のようなものに気づいて、いろいろあるけど、作り続けた。
ひとりじゃなかったぞ?
思い出せ。
たくさんの顔が浮かばない? おいしく過ごしたい人の顔。
昔はろくに浮かばなかったっけ。
それでもね?
だいじょうぶだったよ。
つらくてしんどくできる調味料、めいっぱいあった。それでも、下ろせた。
だから、だいじょぶだ。
「ん!」
立ち上がる。
思いきり伸びをする。ストレッチもしちゃえ。
足? 開いとけ! 大開脚して、のばしとけ! ほぐしちゃえ!
「ん~っ!」
樹がさ?
日光を求めて枝葉を伸ばすんだ。
元気になるために。生きるために。居るために。
陽の光を目指す。伸びるなら、そっちだ。
いま言葉に加工したほど、わかりやすくはないよ? やまほどわかりにくいことのなかで、枝葉を伸ばすんだ。
陽の光へと。
「ふんっ!」
タマちゃんに教わったストレッチをひととおりやりながら、鼻息も荒く気持ちを改める。
金色めいっぱい出して、まばゆく煌めくお風呂場で意欲を燃やす。
疲れを火種に燃やしてるなんて! もったいない!
消しとけ? けむたいだけだから!
目指すはおいしい時間! なので? 素材から見直すのだ。
疲れよりも達成感のほうがおいしいよね。
達成感って目的のために動いたときのぶん、湧き上がるものじゃない?
いまは疲れて、疲れるために、疲れるとき、疲れながらやってる。ぜんっぜん! 達成感に向かってない。
そもそも達成感って、目的があって、それを達成したときに得られるものじゃんね?
おまけにそれは、胸はってできることしてこそでしょ? 手段はねー。選ぶの! おてんとさまに胸はれるようにすんの! なぜって? そのほうが、おいしくなるから!
さあさあ!
転調といこうよ。まだまだ足りないよ?
そのためにも、下ろしていこう。大事に抱き締められるようにさ。
準備はいい?
まだ、だめ!
足りないよ!
なら、どうするの?
めいっぱい下ろしていくぞー!? これならどうだ!
準備はどうだい?
「ぜんぜんだめーっ!」
笑えるくらい、がったがた!
足りないわー! おいしいご飯も、おいしい時間もぜんっぜん足りない!
おひさま足りてないよ!? ねえ!
なら、どうするの?
そりゃあもう! おいしくやってくだけでしょー!
ね?
つづく!




