第千七百四十三話
東京の侍隊はやる気に満ちあふれている、という噂を聞いたことがある。
牛丼屋のバイトで。ときに応援として呼ばれる居酒屋のバイトで。バックアップをしている企業の系列チェーン店でアルバイトをいろいろ掛け持ち、せっせとお金を稼いでいるので、よく聞く。
当座の生活費や学費の心配はいらない。父親が残してくれた財産がある。けど、湯水のように使えるでなし。父の貯金を使いまくりたいわけじゃなく。そうなると趣味だの、やりたいことだのに対して、踏み切れなくなる。
軽いお金がほしい。ここぞというときに使えるお金として遺産はあまり手をつけずにおきたい。本末転倒になるようなバイトもしたくない。学校もバイトも楽しいくらいでいい。意識を高めて、すごい企業に就職だの、将来ながく活用できる資格だのは別にいい。したいとき、お金のかかる趣味とか、ほしくなった資格とか、取るのに困らないように残しておきたいし? それもできれば、軽いお金でまかないたいだけ。
比較して軽い重いを語っただけで、働いて稼いだお金は大事。自分のために使うのが好き。自分がお金を使うことで、だれかのお金になっていくのもいい。好きなお店、好きなブランド、好きなアーティスト。推しへの活力に、お金を。それくらいの感覚。忘れちゃいけないことがある。まずは自分を推しましょう。これ、大事。
お金は栄養。栄養はたっぷり循環していくのがいい。弱っているとき、まいっているときほど? 栄養、大事。ヒヨリの満月が分厚い雲に覆われたとき? 栄養はたっぷり取るに限る。
あ、浪費をしろという意味ではなく。
お金という栄養が足りていないとき、必要な栄養は? お金。それだけの話。
お金にこまっている人に必要な栄養は? お金。それだけの話だ。
同じくらいわかりやすい話として、やる気のある侍隊は、いたずらっ子にとっては厄介。
ただし組織について知っていて、名乗りをあげると「でやがったな!」とか「今日はどんな悪さをしてるんだ!」とか「混ぜろ! じゃなくて、投降するための条件を言え!」とか、とにかくノリノリだった。
仮面をつけて、新装備を活用して、おおいに真夜中に遊びまくることができた。
よきかな!
名乗り口上は恥ずかしかったけど。
二時間ほどの活動を終えて、宝島に戻る。先生と茜原のふたりに別れを告げると、茜原がなぜか渋った。一緒に帰ろうだの、どうせならどこかでジュースでも飲まないかだの、下心が透けて見えるようだった。
前に告白されて、振った。単純に「ともだちとしてしか見れないから」だと言ったら、一ヵ月ほど疎遠になったのだが。だれがどういう言葉をかけたのか「だったら好きになってもらえるようにがんばる」などと言いだしたので「や、ならないと思う」と告げて、二週間ほど再び疎遠になった。なのに「と、ともだちとして、ひとまず」などと粘りを見せるし、面倒だから一緒にいる。
けど、ない。何度もそう伝えているのに。なぜそう諦められないのか。
飯屋先生は余計な干渉をしない。おかげで助かる。万が一にも茜原のアシストに回られたら鬱陶しい。クラスのみんなはきっと知っている。公然の秘密。暗黙の了解。いじらず、触れず。今夜のように、同じクラスの仲の良い女子だけの部屋で寝ていても、話題に出ず。おかげで助かっている。
理由は、ないでもない。
茜原はひどく惚れっぽい。
高校だから。自分は恋愛したいから。制服でデートしてみたいから。ショート動画アプリでカップル投稿してみたいから。写真アプリでも。
で、満月日和がなんかかわいいから。ほっとけないから。だから好きだという。
いやもう大半、自分の欲望きっかけじゃん。
思い悩みを相談したのも、よくなかった。深く反省してる。
聞き役になってくれるし、なんだかんだ気にかけてくれている。ともだちとして、いまの距離感がヒヨリにとってはベスト。これ以上ふみこまれるのは? なし。まったく、なし。
あと、茜原の聞き役に徹したり、気にかけてくれたり、協力的なところは恋愛における打算なのだろうと見ている。人として信用していないというか、彼の下半身中心思考を信用しているというか。どちらにせよ、彼の好意を都合が良いからと利用して痛い目を見るのは自分に違いない。
あーあ。
脈はないんだぞ、無駄な時間を過ごすだけだぞ、そんなに恋愛したきゃ他の子さがしたら? と、彼の努力が無駄だと伝わるように言葉を選んで追い払う。それはそれで気を遣う。
モテた試しはない。
そういうところを侮られている節もある。なんというか「こいつならいけるんじゃないか」みたいな、あわよくばな下心が透けて見えるときが。なにせ茜原は弱い人にきつく、不愉快なことを耐え忍び、いやなことをぼそっと言って抱え込むタイプだ。バイトで怒られた帰り道に一緒に歩いていると、しみじみ思う。
こいつはないなーって。
ふたりでいて、自分と話しているときにはいくらかましなんだけど。かわいいとか、私服を褒められたりとかすると、ヒヨリも人の子なので悪い気はしないが、流されてはいけない。
バイト先の鬼女で士道誠心の大学部に通う先輩には相談している。お互い、あいつはまだ若いからなしだと結論づけている。あと、先輩には「だからって高校生に下心を出すおとなはもっとろくでもないから、やめときなよ? こどもの思春期の衝動を利用して、やらしいことしたいだけなんだから。マジでそういうの、さいってーだから」とか「容姿よりも十代ってだけで、舌なめずりする奴もいるんだから。気をつけな? しかも、その手の連中は決まってこどものせいにするから。これ、ガチな?」とか言われている。
なるほど。勉強になるなあ。
じゃあ、尋常じゃなく綺麗な九尾のお姉さんに誘われたヒヨリはどうすれば?
満月日和の危機対策マニュアルに前例が掲載されていなくてビビる。
もうひとつビビる要素がある。
宝島で真夜中に遊ぶ人たちに呼びかける店員さんたちに尋ねて、歩いていった先。玉藻の前が指定したお店に辿りついて、その外観に圧倒される。
大理石の壁。ところどころに設置された小便小僧たち。水路が巡る白眉の宮殿がそびえたつ。黄金の狐像がどんどんどん、と正面入り口に向かう階段の脇に設置されていた。青く煌めく狐火が像の周囲に浮かび、階段の明かりとして機能している。
入り口にふたりの美男美女がかちっとしたスーツスタイルで立っていた。警備か、はたまたお客さんのチェックか。ドレスコードが合わないとか、一見さんだとみるや追い返すとか、そういうことをしそうな雰囲気、ある。おまけにふたりして、獣憑き。もっといえば、おそらくきっと、狐憑き。
名刺とお店を交互に見比べた。
大理石の壁に店名が彫ってある。達筆すぎて読めない漢字だけれど、同じ文字だ。
時折、段の上の扉から人がでてくる。豪奢な木製の扉を開けて、下着なんかつけてなさそうで、うっすいうっすいドレスの狐の美女が、極楽に放心した幸せ恵比寿顔の男性客を見送る。またきてね、と頬に口づけて。
入りづらいどころの騒ぎじゃなく、立ちつくしている間にいろんな人が出てきた。お店のキャストとおぼしき狐憑きは男女さまざま。みんなしゅっとしていて、美しい。男同士のパターンも、女同士のパターンもあった。お客さんまでしゅっとしているのかと思いきや、そんなことはない。さまざまな体型の、さまざまなタイプのお客さんがいたし、美男美女の狐憑きは必ず笑顔で見送っていた。
だとしても、みんな、はちゃめちゃに薄着。それにきっと、ヒヨリの一軍の服をぜんぶ合わせたよりも高い一着に違いない。
あと、まずまちがいなく、えっちなお店だ。
お酒を呑むのかもしれない。
キャバクラかな。クラブなのかな。それとも、もっとえっちなお店なのか!?
「こ、こいつはハードだ」
まあ客じゃないからいいや。
名刺を持って、お姉さんに――……行こうとして、お兄さんに近づく。や。お兄さんが先に気づいたし。近づいてみて気づいたんだけど、お姉さんは気を張っていたし、お兄さんはゆるくリラックスしていた。
宝島に来るようになって、ヒヨリも自分の御霊と会ったし、いろいろと教えてもらったことがある。そのなかのひとつに「狐の連中はぱっと見じゃ年齢がわからないから」というのがあり。もしかすると、お姉さんはお兄さんに比べて不慣れか、若いのかもしれない。
「あのう」
「おや。これは狸のお嬢さん。うちのお客じゃあなさそうだが、馴染みの香りを手に持っているね? とすると、玉藻の姫さまに会いに来たのかな?」
よかった。お兄さんは接客が長いのか、ゆるさがいい意味での慣れだからか、呼びかけただけでほぼほぼ察してくれた。
「そうです。約束をしていて。います?」
「話なら聞いているし、案内するよと言いたいのだけどね。オーナーは生憎、自由を愛する狐だからね。半時ほど前に」
「はあ」
いねえでやんの。
「念のため、オーナーが行きそうな店をメモにまとめておいたから。上から順に可能性が高いお店にしてあるから、もしも今夜もうすこし夜更かしをするなら、行ってみるといいよ」
細身の身体にぴったりとあしらえたベストの胸ポケットから、お兄さんはメモ帳を出して渡してくれる。広げてみると、とても読みやすい綺麗な字で店名がみっつ書いてある。
「今夜はもう寝るのなら、また明日おいで。行くのが面倒になるだろうけど、連絡をつけるから。面倒をかけてすまないね。どうするかな」
よどみなく、てきぱきと対応してくれる。
逆にいうとマニュアルあるんじゃね? と思わせるレベルで慣れている。
よくあることなのかもしれない。
実際、ド深夜。そろそろ寝たいのが正直なところ。
ただ、気になる。玉藻の前がなぜ自分に。
「あのう。彼女の用事がなにか、伺っていません?」
「さすがにそこまではね」
申し訳なさそうにされるの、逆に申し訳ない。
「行ってみます。会えなかったら、また明日きます。ので、あの……お兄さん、明日もここにいます?」
「クレハとお呼びを。明日も明後日もシフトが入っているので、ここにいますよ。またのお越しを」
深々とお辞儀をして見送ってくれる。
狐と狸は仲がいいとか、わるいとか。いろいろ聞く。
狸によっては、慇懃無礼に追い返されたような気がするのだろうか。
クレハというお兄さんは、店の番として立っているとして、じゅうぶん対応してくれた。
これくらいの熱度で距離感を保ってくれたら、茜原とも、もうすこし気楽に過ごせるんだろうけど。逆にクレハさんがヒヨリの立場だったら、どう振る舞うのだろう? ヒヨリが茜原の立場だったら?
彼の熱意の内訳がさっぱりわからない。
気になるかというと、これがちっとも興味が湧かない。
純粋に、自分が恋をしたら同じ感覚になるのかなー? という、自分に対する疑問だけがある。
よくわからない。人と人の心の矢印。
ともだちって、なに?
一緒に遊ぶだけじゃだめ?
一緒にいるだけじゃだめ?
距離感って、なに?
遊ぶのはいい。わからないことがあっても、夢中になれて。
「やっぱ動いてなんぼなんだよなー」
真夜中をとっとこ進む。とことこ歩く。
みんなと比べて歩幅が小さめ。なにせ学年全員で並んでも、前から数えたほうが早いくらい。
九組の暁アリスがとびきり小さい。あの子が最前列。あの子と同じクラスになったら、列に並んだときに一番前になることもなくなりそう。けどヒヨリは二組だから、同じく二組女子の最前列に立つことになる。
茜原は歩幅をあまり緩めていられない。できれば合わせてほしがるところがあって、先生が一緒だと我慢するのに、自分と一緒だとたまに早すぎる。他の女子と一緒でもそうだったみたい。なんでそんなことを知っているかといえば? 惚れっぽい彼は去年、別の相手に片思いをしていたから。
ちゃあんと知ってる。彼から聞いたこと、噂で聞いたこと、どちらもそれなりに。
好きな人は好きだ。だれかの噂話。アプリやネットを利用するか、しないのか。どちらか、じゃない。どちらもある。ヒヨリの身の回りだと、そう。
最近の士道誠心や、ノノカが話す青澄春灯なんかは? 茜原の自分じゃ解決できない熱を、だれかに冷まして落ちつかせてもらうことを求めているような気がする。
叶わないと、落ちつかないもの。
そんなものはいったん下ろして、たっぷり休んで、めいっぱい遊べばいいのに。
こうならなきゃやだ。こうしてくれなきゃやだ。
そんな困りごとにうんうんいっても始まらないのに、わかっていても下ろせない。栄養が足りてない。ジレンマがある。だから、疲れていっちゃう。
頭を空っぽにしてできることがあるのって、大事だ。
ヒヨリにとって、それは遊ぶこと。
うちの組織が推奨しているのも? 遊ぶこと。
遊べないくらい参ったら、それはもうだいぶきつい状態だから、なるべくはやく休むべし。
今夜の提案にしても、そう。
ヒヨリは自分に問いかける。
まだ遊べる?
もちろん! なら、先へいく。
遊ぶのやだなーって気持ちになったら?
おうちへ帰ってのんびり休む。今日のおうちは、仲の良いともだちたちが寝ている宿のお部屋。
茜原に対しては? やだなーって気持ちが増えてきている。だって彼が自分に多くを求めているから。露骨に、いろんなことを。ともだちでいるから、とか。好きになってもらえるようにするから、とか。ぜんぶ、ヒヨリの感情次第。つまり彼が縛られる理由と結論、選択の自由さえ、ヒヨリに押しつけ、求めている。つらくなったら? もう、一緒にはいられない。
それはちゃんと伝えているのだけど。
ままならないまま。
ジレンマ。
だから遊ぶ。
ヒヨリは茜原の暖簾でいる。いくら押しても引いても、動くのは茜原の心だけ。
恋も、ともだちも、一緒にいるのも、実はけっこうむずかしいみたいだ。
遊んでいるときは楽しそうなのに、恋にまつわる欲が叶わないことに気づくたびに茜原は疲れた顔をする。
こちらからできる提案はぜんぶしてきた。距離をきちんと取ること。離れること。バイトを変えることだってそうだし、組織のグループを分けることだって。
彼が選び、彼が苦しむ。
こちらが離れたり距離を取ったりすると、より強く近づいてくる。
それはそれでめんどくさかった。
遊んでるときくらいだ。楽しいのは。だから彼も今夜は乗り気だった。それを知っていたから切りかえたっていう部分もある。
そろそろ夏休み。茜原は焦りを見せている。やっぱり諦められないのだ。どうして振り向きもせず、つれなく振る相手に熱を上げられるのか。モテた試しもない自分なんかに。
謎。
自分の生い立ちなんかを迂闊にも相談したせいで、自分が助けるぞーなんてスイッチを入れてしまったのだろうか。ヒーロー願望スイッチ。でも、彼に助けてもらおうなんて最初から望んでいないし、むしろ迷惑だ。ちゃんと伝えてあるのだけど。
諦めていないところを見ると、どうなることか。
見た目は悪くない。まあまあいいほう。センスもそれなり。がんばってる。ともだちも多い方。それでもどうにも女子受けが悪いのは、重いし引きずるし、そのわりに惚れっぽいし、年相応に傲慢で身勝手だから。ちゃんとみんな、見てるとこ見てる。
後輩の一年生も、上級生の三年生にも、似たような人は男女どちらにもそこそこいて、やっぱり話題になりやすい。うちの学年だと、刀鍛冶で実力派の泉アムとか、彼女がいるのに露骨にえっちな鷲頭ミナトとか、彼らのラインが話題にのぼりがち。ともだちだけに気まずさがあるけど、去年までは同じクラスの甘原麗もかなり話題になっていた。
ただ、たまに思う。
ブラックリストみたいなのが出回ったり、あるいはとびきり熱の交換が上手な子たちの話が話題になったりするところをみると?
人と居ること、触れあうことへの渇望みたいなものって、ヒヨリが思うよりもずっと強く激しいものなのかもしれない。
遊べるくらいがいいよ? 休めるくらいがいいよ? と、組織は教えてくれるけど。実際には教えも柔軟に活用しなきゃ、滞る。ジレンマに陥ることも多い。
ほしいもの、たりないものほど、ほしいとき、たりないときほど手に入れられない。
そんな、当たり前でありきたりなジレンマに、きええーっとなる。
求めるにせよ、手に入れようとするにせよ、遊べるくらい、休めるくらいのペースじゃないと続かない。それができないなら、別のことをはじめてみればいい。
茜原にも伝えてる。ヒヨリにその気がないのだから、慰めるのではなく、茜原の恋の話を聞く。欲しいもの、足りないものの話をする。それはヒヨリじゃなくても、ううん。むしろペースを合わせないヒヨリとじゃあ、できないことだと茜原が気づくことを願いながら、聞く。話さないで、聞く。
あげるものはない。与えることも、求めることもない。
だってヒヨリが求めるのは、遊ぶことだけ。ともだちとしての距離感だけ。だめならべつに、それはそれで。そのくらいの熱量だから、ともだちとして、ただ聞く。
戦略を変えてから、まだ日が浅い。
夏休みに入るまでにヒヨリがなびかなかったら? ようやく茜原は諦めるかもしれない。
そうしてやっと、楽になるのかもしれない。
ひとり真夜中を歩くとき、考えるくらいにはともだちとして大事。
でも、すれ違う恋人たちのようにべたべたしたり、キスをしたりする顔に見る幸せと、蕩けてダダ漏れの好意のようなものを抱くには、ちがう人。
それをしたい気持ちって、どうやって芽生えるのだろう。
なんなら、それを目当てにお店に通ったり、それだけのために人と関わったりすることさえある。
じゃあ、恋愛ってそういうもの?
どうだろう。
それはちがう気がする。
ずっと一緒にいたい、みたいなの。叶えようとするのは、かなりハードルが高い。
だから、やっぱり、遊んだり休んだりを楽しめる人とじゃないとむずかしい気がする。
父はそれができなくて、母と別れたみたいなことをずいぶん前に教えてくれた。
こうじゃなきゃーって熱をあげた父に、母は付き合えなくなった。父が悪かった、みたいな話。当時はちっちゃすぎて、こわすぎて、深く尋ねなかった。そういうことなんだ、で留めた。
なので、いまさら榛名ホノカが父の元奥さんとか、自分の母親だったとして、自分がなにをどうしたいのかなんてさっぱりわからない。
抱き締めてほしいのか。
葬式に来てくれなかったことを咎めたいのか。
いや、そもそも顔も名前も知らない現状について、八つ当たりをしたいのか。
ヒヨリとしては正当な気がした。けど、でも、一歩ひいて考えてみると、それもどうなんだという気もする。
遊べるくらいがいい。
それくらいがいい。
そういう時間を守れるかどうかが、基準。
守れないやり方は、ままならない。それを実感しているから、やらない。こわいから、やらない。傷ついてしんどくなったときが、どれほどつらいか知っているから、やりたくない。
ひとりになった。
嘆いてもはじまらない。幼い頃から家族みたいに大事にしてくれた親戚もいるし、父のともだちもいるし、バイト先の店長も元々は父のともだちだったりするしで、縁には幸い、恵まれている。
いろいろと早まっちゃった。お父さんが死ぬの、早すぎた。
ただ、つらさはやがて過ぎるものだ。
ヒヨリはちゃんと、知っている。
遊ぶと楽しいことも、ちゃんと知っている。
遊びがあるほうが柔軟に対応できることも知っている。
だけど、知らないこともたくさんある。
自分の身長はほんとうにもう伸びないのか。どうして伸びてほしいのか。それほど望んでない理由があるなら、それはなんなのか。ひとまず、そんな話はさておいて、不便なことはどうにかならないのか。
自分を追い越していく人が多い。
みんなよりたくさん歩かなきゃ、同じ距離だけ進めない。
不公平! なんて怒り始めると? 遊びがどんどんなくなってしまう。
それはだいぶきつい。
最近はずっと、ヒヨリの中にあるさみしさと手を繋いで、だれかと遊んでいる。
合う合わないは人の間にたしかにあって、今日おなじ部屋で寝る仲間は合う人たちだ。みんなと比べると、よくわかる。茜原は無理してる。茜原の中の恋したい気持ちをだれかに持ってもらいたがっている。
通りすがる恋人たちは、どうなんだろう。
わからない。
ただ、幸せがダダ漏れなふたりからは、離れずに遊んでいたいという気持ちもダダ漏れになっているように思える。
それくらいがいい。
そんな付きあいができるだれかと、茜原はいつか出会うのだろうか。
自分はいつか、出会えるのだろうか。
どんな人だろう?
クレハさんが教えてくれたメモを頼りにお店を三軒まわるも、玉藻の前はさらにどこかへ行ってしまっていった。捕まえることができない代わりに、人と人が出会い語るお店をハシゴした。
ヒヨリはこどもだと一目でわかる見た目だ。だからか、お酒の代わりにジュースだの、おいしいつまみだのを勧められる。夜食にちょうどよくて、ついつい楽しんでしまった。
狐が接待する飲食店は、どこも繁盛していたし、笑い声に満ちていた。
御霊の狸は、有名な狐と狸が商売で競っているという話をしてくれたけど、先生と待ち合わせた狸の店も含めて、楽しげだ。観光地の真夜中の飲み屋街となれば、必然かもしれない。
酔っ払っちゃうお客さんが多い。
そして、そういうお客さんの中にはしばらく憤怒せずにいられない類いの厄介な人もいる。
それは宝島のお店でも変わらないみたいだ。
狐も狸も如才なく。許せない一線もきちんと引いて、対応している。
お客さんはほんとにいろいろだ。幽霊も妖怪も、ひょっとしたら神さまも混じっていたかも?
こどもが深夜にいけないよ、とか。犬のおまわりさんでも呼ぶか、とか。お前いつの生まれだよ、とか。いやいや新しいだろう、昭和って! とか。あほうが昭和から平成になって、そろそろ元号かわるんだよ、とか。
もしかしたら時代さえ、めちゃくちゃかも。
だけどのんべえも、食いっぷりも、下世話な話もふくめて、そこは現世の居酒屋の風景と大差ない。
腹八分目くらいまで付きあって、退散することにした。
店員さんが見回り番の犬神さんたちに見送りを願って引き留めてくれていたのだ。二足歩行の犬が服を着ている。提灯と警棒も持参して。送り狼にはならないよ、犬だからなんて冗談を言われてもヒヨリは困るし、ふたりの犬神さんたちも困っていた。
実際ふたりは紳士で真摯に送り届けてくれた。
夜中も入れる浴場で汗を流してから部屋へと戻る。扉を開けると「んん?」と、耳ざといともだちが怪訝そうに起きるから「トイレいってた」と小声で告げる。すぐに寝息が聞こえてくるから、そそくさと着替えを済ませて横になる。
三軒のことを思い浮かべる。
最初のお店のインパクトが強め。あれはいかにも、やらしいお店。
だけど三軒はもっと俗で馴染み深いお店たちだった。
これはなぞなぞじゃないだろうか。
玉藻の前からの、なぞなぞ。
なぜ彼女が、わざわざ自分相手になぞなぞを?
なぞがなぞをよぶ、なぞ展開。
まあ、おそらく青澄さんに対して、なんらかの働きかけを求める類いのなぞかけなのだろう。
彼女との面識なんて欠片もないヒヨリに、なにゆえ?
なにかと煌びやかで眩しくて、すごそうな仲間たちがクラスにいるのに。
わざわざ狸の自分を見つけて、呼びかけてくるなんて。
彼女を捕まえられなかった理由は、おそらく「待つのやだなー」くらいのものだろう。
三軒まわったけれど、クレハさんの言うように自由なお姫さまとか、奔放気ままな狐姫とか、いろいろ言われていたから。仕事で系列店を回るついでに、自分を待っていた。けど、用事が済んだから、待つのもそこそこにして、ちゃっちゃと帰った。
気ままな狐なのかもしれない。
もしそうなら、個人的には好ましい。呼びつけといてなんだよ、というのは短気で損気。もったいない。
こんな事件がヒヨリに起きるなんて。
わくわく止まらない夜だ。すごい!
明日は彼女を捕まえられるだろうか。いや、いっそ先手を打って見つけてしまおうか。
遊び心は大事だ。
名乗り口上を考えるときのように、とてもドキドキしてきた。
めいっぱい遊んでためこんだ疲れと眠気、おまけに腹八分目の満足感が、健やかな睡眠へと誘ってくれる。
満月日和は、決してすべてが満たされる満点だらけで叶えられるんじゃない。
それが、奥深いところ。
たぶん。
知らんけど。
また明日。
つづく!




