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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百四十一話

 



 青澄春灯の担当刀鍛冶。

 士道誠心学院高等部で目立つ金毛九尾の狐憑き。歌手。新譜のヒットチャートアクセスは、そこそこ。今後に期待の新人。ドラマはだだすべり。ライブとゲリラライブは好評。ネットに拡散された黒歴史の恥ずかしさをネタにして、彼女のアカウントの呟きに「ちゃんと歌っとけ、青澄」というツッコミがファンの間でやや滑り気味の悲しき定番になってきている。

 そんな彼女も、学院にとってはアイドル。

 いろんなことが起きた。それってだいたい、彼女のせい。おまけにいうと、だいたい彼女が中心になって解決している。なので、良くも悪くも彼女が士道誠心学院高等部の学生にとっての最前線。

 彼女の刀はふた振り。

 加えて彼女は御珠を宿す者。

 神さま、妖怪たち、そしてあの世で来世に向かわず留まる幽霊のみなさまのだれかと縁を結び、加護を得る。御霊として宿った彼らは、人によって刀として顕現する。

 彼女の刀もそう。

 ひとつは柳生十兵衞。もうひとつは玉藻の前。

 刀鍛冶として、これほどそそられる相手はいない。すくなくとも自分、片瀬希音奏にとっては外せない。ノノカ、やるべし。

 他にも意欲的に根回しをしている子は多かった。

 日下部マモリはその筆頭格。いわばノノカのライバルなのである。

 ライバル視すべき相手は他にもけっこう多い。

 佳村ノンは技術的な意味でも知識的な意味でも、強烈な存在だ。江戸に名を馳せた刀工の御霊を宿し、よく斬れる刀と自身の身体能力だけで学年で実力を発揮する沢城ギンの担当者。二年生の刀鍛冶なのに、三年生や卒業して警察で学ぶような刀鍛冶の技術を学び、実践している。

 とにかく目立つ。

 対してノノカはそうでもない。

 なので、念願叶って青澄春灯の刀鍛冶としてのポジションにつけそうないまは好機。

 だが、しかし、舐めていた。

 正直、侮っていた。

 あの子、ふわっふわしていて、そのくせすっごい面倒な考えごとをして、ちっとも協力的じゃない!

 のほほーんとした顔をしていて、打てば響きそうな子に見えて、実のところ「……え? あ、え!? なにかいった?」とか「ご、ごめん! 話きいてなかった!」とか、そういうのが多い! たまたまそういうタイミングなのかと思いきや、彼女のともだちに尋ねると、みんな口を揃えて「そういうとこあるよ」と返してくる。

 やっかい!

 楽器いじりが好きで吹奏楽部のノノカは、ギターもベースも、ヴァイオリンだっていける。ドラムだって叩ける。そういう音楽絡みでいけないかと思い立ち、熱烈なアピールをしてきた。狙い所を絞って。おかげで佳村さん伝いに繋がりができた。

 これは奇跡だ!

 そう思っていたというのに、なぜノノカは彼女に百人一首の札を作り、渡して、いまは宙ぶらりんなのか。

 侮っていた。

 隔離世の侍と刀鍛冶は二人三脚。お笑い芸人でいうコンビ。プレイヤーと楽器。それくらい濃密な関係性を築かなければならない。

 決して人当たりが悪いわけではない。ただ、思ったよりものほほん成分が足りないというか、なんというか。「いまより縁を深めたい? どうぞー」っていう彼女が日本海溝ばりの溝の先にそびえる、とんでもなく高い山の上にいるようで。

 近づきたいのに近づけない。

 恋人がいるから? いやあ。それはまた話が別ではないか。最近の彼女が霊子体に穴があいたため、一時的に家に帰っていて物理的に距離が開いてしまったことと同じくらい、別ではないか。

 そばにいても近づけない、その距離感が問題だ。

 侮っていた。

 まず、悩みを相談するタイプじゃない。

 だれにも話さないで抱え込む。そういうところがある。

 次に、彼女が考えごとをしていると「ぽけー」っとする。どんなに呼びかけても響かない。

 とんでもなくマイペース。

 他にも考えが変にネガティブに陥りやすかったり、なんでそんな本よんでんのと不安になったり、あなたほんとにノノカと同い年? って思うようなネタ知ってたりするし、気になることはやまほどある。

 やまほどあるけど、それはいい。べつに。いろんな子がいる。それは妖怪の御霊を宿した資質を急速に開花させていく麗とか、生物部に入ってる知り合いとか。そこはもう、だって、個人差があって、愉快に話すか、そっと笑顔で相づちを返していれば済むのだから。それはいい。

 問題は悩みを抱えるし、考えごとをしはじめると黙り込んじゃうし、おまけにマイペースなところだ。これで突発的に発作的に「わかった!」なんて、衝動のまま行動を起こすようになったら? いよいよやばい。

 彼女が海外ドラマや映画が好きなのは事前に調べて知っていたから、ノノカなりに見たけれど。イギリスドラマのシャーロックのよう。もっとも彼女はシャーロックに比べたら全世界のみなさまに申し訳ないくらい、ぽんのこつだけど。わかったといってやること、だいたい外すんだけど!

 周囲の仲間のひとりとして、身勝手にも言わせてもらえば、彼女に求めているのはそういうことじゃあなく。もっと、のほほんと、あかるく、やさしく、おばかに解決してくれる安心感みたいなところなんだけど。一年生の彼女がそうだったように。

 弩級がつくシリアスの溝の中を、彼女はせっせと潜っている。中学時代を共にした天使さんに尋ねたら、中学時代もいまと同じだったという。奇行がなくなったぶん、おとなしくていいって彼女は言っていたけど。

 いやいや。

 奇行があるほうが、弄れて引き留められるし、引っ張れるでしょ。

 いまの彼女は手を繋いで、そばにいないと。

 気がつかない間に溺れてしまって、しかも沈んでいってしまいそう。

 なんとか引き上げられるネタはないか。

 彼女の担当になる。その意欲だけでなく、僅かながらコミュニケーションをとれるようになってきて、放っておけなくなってきている。

 不幸にもなにかと新知識、新技術の到来にゆるやかな窮地という状況では、彼女自身さえ含めて、そこまで親身になれるほどの余裕がない。だれにもない。

 ならノノカがやるしかないでしょー、と思うのだけど、ネタがない。

 こういうときは楽器に相手をしてもらう。

 電子で音を立てず、ヘッドフォンで聴けるのがあって助かる。サックスだって、そういうのがあるんだから。百年単位で昔の人には想像できたろうか。

 宝島の宿の広間でひとしきり吹いていた。ソプラノ、アルト、テナー、バリトン。ひとつで全種の音を。それって半端ねえ。電子すげえぜよ。悲しいかな、本体の重さは再現できず。長時間の演奏、不慣れな頃はガチで身体に負担がでる。そういうのもなし。

 不思議だ。

 不思議はさておき憑依を願う。ジャズの巨匠たちの魂に。そんなことは隔離世だの宝島だのがあっても叶うことはなく、ノノカの技術はノノカによってのみ向上を委ねる。だれかと演奏して、音を聴き、よく学び。その繰り返し。

 やりたいことが見つからなくなると飽きる。

 逆にいえば反復だけでもやれちゃう時点で、どこかになにかがある。

 そのなにかを求めて、青澄春灯はいまも悩み考え、過ごしているのだろうか。

 歌えばいいのに。

 じゃあノノカはなんだ。どうなる。

 迷走する思索を息に込めて出してしまえ。

 立って、音に没頭する。

 浸ればいい。思いきり吹くと、ひとしきり疲れて、夜はよく眠れるから。

 彼女はちがうのか。歌えば、よく眠れやしないのか。いや、人によるって。さすがに。

 雑念が浮かぶはしから吹いてしまう。

 そんなノノカの前に座っている子がいた。十分ほど前から、ずっとノノカを見あげている。

 クラスメイトだ。

 侍候補生で獣憑き。なんなら同じ吹奏楽部の女の子。

 あの子にとてもよく似た、満月みたいに丸い顔をしたちびっ子だ。

 丸顔に負けじとまん丸い獣耳が頭頂部からひょこっとでている。

 地べたに座って、ほけーっとノノカを見あげる彼女のお尻から、ふっくらと長くて太い尻尾が生えている。

 タヌキだ。そこそこ名の知れたタヌキを御霊に宿した彼女は、タヌキが憑いている。

 人なつこくて、だいたいIQ3みたいな顔して、なんでもかんでも楽しそうに過ごしている。授業でも、邪討伐でも、過去にうちの高等部が巻き込まれた戦闘でも、うちのクラスは最前線からはほど遠く。なのに彼女が見える範囲にいたことはない。気になって配置がずらっと表で張り出されたときに調べてみたら、最前線の舞台にしれっと名前が書いてある。なのに、派手な噂どころか、ダメ出しめいた噂さえ、ひとつも聞いたことがない。

 体育の授業は並み。勉強は赤点ギリギリ。だれかしらが放っておかず、気がつくとだれかのそばにいつもいる。そういう不思議なクラスメイト。

 彼女の興味津々な瞳に見つめられると、だれもが根を上げる。


「なんですか」

「アンブシュアざつだなーって」

「うっ。でっ、電子のこいつはわりと雑でも音が出るので」

「そういうのだめーってノノカは前に部活で言ってたじゃない? ということは、今日は荒れていて、八つ当たり中なの?」

「う……」


 心の脆いところを的確に突かれてしまうから、ますます弱い。

 彼女は不思議な声をしてる。歌ってみせたら楽しそうなのに、極度の音痴。だけど、見ている人が思わず笑っちゃうくらい、全力で楽しげに歌う。

 いろんな学生が集まる高等部。一学年、九組。一組あたり、ざっと二十人から三十人までという編成。なので、本当にいろんな子がいる。目立つ目立たないを別にしたら、愉快な子も多い。荒れる子もいる。そして、中には不思議な子も混じる。


「ま、まあ?」

「じゃあコルトレーンをスローに吹いているのは、演歌の気分なの?」

「……あの。もしかして情念、こもってました?」

「だいぶね。一緒にやる? セット、出せるよ?」


 青澄春灯がそうするように、彼女もまた、大きな葉っぱを地べたに並べていく。

 狐憑きの春灯もだけど、狸憑きの彼女もまた、化け術を好む。


「いや、夜だし。外だし。もう日付が変わるし」

「ずるくない? 気づいて誘ってくれるの、ずーっとずーっと待ってたのに」

「声かければいいでしょ」

「演奏中にそんなのしないし。夜だし? 外だし」

「ああ。そういう返し方をしてきますか」


 ノノカの拒否を引用してくるのがずるい。


「明日一緒にやってくれる約束してくれたら我慢する」


 こういうあざとさ、きらいじゃないから「また明日ね」と約束を。

 ヘッドフォンを首にさげて、楽器を足元のケースにしまう。

 それを見守りながら、彼女は無垢に笑った。


「やった。部屋のみんなにノノカを呼んでこいって言われてきたけど、約束げっとした」


 地べたに並べた葉っぱを回収しながら、そんなに喜ばれることかと申し訳なくなるくらい、ご機嫌に言うのだ。

 こういうストレートなところに正直弱い。

 かわいいよなーって思ってしまう。

 率直にいえば、春灯は彼女のようなタイプだとさえ思っていたくらいだ。

 どういうタイプかって?

 彼女のフルネームが答えになるかもしれない。

 満月日和。読みはシンプルに、まんげつ、ひより。


「宝島は今夜も満月日和だ」


 ほらいこうと、私の身体に抱きついて、そのまま押してくる。

 同じ二年二組。同じ吹奏楽部。そのメンバーで部屋を確保した。

 耳がいい子がそろっていて、おまけに音に敏感な子がいる。

 ヒヨリは名前のとおり、のどかで穏やかだから人なつこく絡んでくるけど、残りのメンバーは癖が強い。

 たとえば、ひとり。寝てからだれかが起き出すと、それだけで目覚める。なので、せめて自分が寝る前にみんなに部屋に集まってほしがる子がいる。神経質な彼女は荒ぶりやすい。人生アドリブ自由型という子が他にいて、その子としょっちゅうケンカしてる。ケンカするほどなんとやら、なのだが。自由型の子と違って、ノノカは荒ぶる彼女が正直にがて。おとなしく従っておくにこしたことはない。


「ヒヨリさ。自分でフルネームをネタにするの、ちょっと滑ってない?」

「ダサさが癖になるかもしれないよ?」


 夏なのに暑苦しく離れずに、部屋へと私を導いていく。

 その合間に、部屋で私を連れてくるよう指令を授かったときの話を饒舌に語る。

 思ったことも、悩んだことも、なんでも話す。

 きっと春灯はヒヨリみたいな子だと、思い込んでいた。

 思い込んで、楽をしたかったのかな? それもあるだろう。

 けど、噂で聞いたり、遠目に見た春灯はもっと柔軟な子だと思っていた。固くなるほど、溝を作るほど、傷ついてきた。そう見ると?


「ヒヨリはそのままでいてね」

「なあに、それ」


 それよりさ、と彼女が部屋で起きた話を再開する。

 傷ついて、それを治そうというのなら? 片瀬希音奏、もっと本気になっていいのでは?

 それとも春灯が口にするような本格的っぽい本でも読んでみる?

 いっそ大学部の講義のデータ、見せてもらえないか尋ねてみる?

 それをするのはいまは無理って思っちゃう程度には、高校生って忙しいのだ。

 あ~あ。


 ◆


 二組の吹奏楽部メンバーが消灯された部屋で本格的に寝息を立て始めた頃、満月日和は目を開いた。掛け布団の下で自分の胸元に手を当てて、身体をそっくりそのまま小さなネズミに化かす。そうしてなるべく音を立てぬように気をつけながら、布団から抜けだした。

 ノノカをはじめとするメンバーの変顔選手権めいた寝顔を確認してから、扉へと向かう。続けてアリへと化けて扉と床の隙間を通り抜けると、今度は狸へと姿を変えて、とことこと忙しなく先を進む。

 宿の外へと抜け出すと、なにかが腹を掴んだ。

 そのまま目線がぐっとあがる。ヒヨリの視界に、ねむたそうな顔をした青年の顔がアップで映る。彼がヒヨリを抱き上げたのだ。


「おっせえよ、ヒヨリ。だいぶ待ったぞ」


 きゅう、と鳴くと彼は心得たとばかりにうなずいた。


「着替えは持ってきた。データは手元に。行くか」


 再びきゅうと鳴くと、彼は「同級生の家に忍び込むのは気が引けるな」ととんちんかんなことを言うから、ヒヨリはじたばたともがく。彼の手から逃れるように。あるいは、無遠慮に持たれるこの扱いに抗議するように。


「いや、乙女の身体に気やすく触れるなって言われても。いまのヒヨリは狸だろ?」


 そういうことじゃないのに、この男は機微というものをまるで理解していない。

 喉元でうなると、彼がしぶしぶヒヨリを地面にそっと下ろした。そこで気づく。彼の足元に大きなバッグが置いてある。

 ファスナーを通り抜けて中から自分の嗅ぎ慣れた柔軟剤の匂いがした。


「どこで着替える? トイレ?」


 きゅ、と鳴いて、バッグの上に。はっしと抱きつくと、彼が「楽しやがって」とぼやきながら、持ち手を掴み、持ちあげた。


「散歩するにはいい夜だ。満月日和ってやつだな」


 返事を期待していないのか、彼はひとりでしゃべり続ける。

 傍から見たら、相当シュールだ。狸が抱きつくバッグを片手に持って、歩いているなんて。


「魔女の弟子に知らせて、今夜は普通に悪戯しにいかないか?」


 ヒヨリが彼へと振り返り、見あげる。

 愛くるしい狸の視線に彼は些か怯んだようだ。


「青澄春灯の家を訪ねる片瀬希音奏に、化かした発信器をつける。青澄の居場所を特定。発信器を今夜、ハグする過程で無事に回収。みごと、成功。だから、今夜やる。それがヒヨリのプラン」


 ゆっくりとまばたきをしながら、歩く彼を見つめた。


「榛名ホノカさんだっけ? こないだ烏天狗の館で催しをやってくれた」


 名前を口にした彼に抗議するようにヒヨリはうなり声をあげる。

 逆立つ毛並みを見て、今度の彼は怯まなかった。


「ヒヨリの本当の母親かもしれない、だろ? 彼女、気づきもしなかったけど。似てると言われれば似てる。ふっくらしたらヒヨリの顔になりそうだ」


 馬鹿にされているだけじゃない、繊細な話題を遠慮せずにしゃべる彼にうなり続ける。

 それでも彼は止まらなかった。


「亡くなったオヤジさんの手帖に残る、唯一の女性の名前だった、と。顔立ちも似てる、と。オヤジさんの葬式に来なかった、と。だれも連絡してなきゃ、来るはずもねえ、と。だれに聞いても教えてくれねえ、と。探偵やとって調べるには、高校生には金がねえ、と。役所に行くには勇気が出ねえ、と」


 並べていく理由すべて、事実。

 ヒヨリが真実をすべてもれなく打ち明けている人は、彼だけ。

 それでも触ってほしくない、語ってほしくないタイミングというものがある。

 今夜がそうだ。せっかくの満月日和だというのに。


「普通に片瀬伝いに紹介してもらって話せばよくないか? 噂が真実なら、青澄はかなりのお人好しだぞ? 力になってくれる。なんなら榛名さんってのに紹介してもらえるかもしれない」


 わかってない。彼はまったく、わかってない。

 吠えてはじめて、彼はびくっと身じろぎした。


「わ、わかった。悪かったって。たださ。無理を通して無法な振る舞いをするなら、組織の定めに従い、今夜もいたずらしたほうが気が紛れるって思っただけさ。だって、ほら」


 あわてた彼が空に輝く月を指差す。


「せっかくの満月日和だろ?」


 口を開けて、歯を見せた。

 うなり声もつけてやろうか。


「――……攻めるには厄介な相手だぞ? だれがこっそり守りに来ているかもわからない。鳥居をくぐった途端に捕まる可能性だってある。下調べさえしていないんだ。おまけに俺はまだ、ヒヨリほど化け術がうまくない」


 弱腰だ。男はいざとなると、いつもこうだ。

 見込みがない。だとしても、やると言い切り、頼りになるところを見せられないものか。

 まったく。

 ふん、と鼻息を出すと彼はほっとしたように相好を崩す。


「そうこなきゃ。できれば優先したい依頼が組織から来ててさ。探し物をしにいこう。ついでにアートの時間といこうぜ? スプレーいっぱい持ってきたからさ」


 ほんと、最低。

 バッグにしがみつく力を弱めて、上下する視界で前を見る。


「それより、さっさとトイレかなにか行かないと。狸のままじゃ、しゃべれなくて不便だろ?」


 機嫌を損ねないように、とか。なるべく危険な選択から遠ざからなきゃ、とか。

 ぜんぶ、自分のために選択しているようにしか思えない。

 そういうところが、彼のきらいなところ。

 痛感する。なのに彼と行動を共にして、飛び出さず、逃げ出さない自分のきらいなところ。

 せっかくの満月日和も、これじゃ月が見えないのと同じ。

 九尾の狐がうらやましい。

 あの子がうらやましい。

 狐に比べると、狸は尻尾が一尾だけ。

 フィクションで見かけても、狐はしゅっとしていて、狸はいっつもまんまるくて、ふくふく。あほうか、おばかだ。スタート地点がちがう。


「それともいっそ、京都の本部の連中みたいに、俺らも現世で暴れるか? 見得を切る練習なら済んでるぞ? 悪の組織らしくさ! 実をいうと出戻ってきた一年の錬金術師たちから装備は調達済みなんだ」


 高校二年生にもなって、こいつなにいってんだ? と彼を見あげて、ヒヨリは鼻から長く息を吐いた。狸だって、ため息くらいつく。


「ほら。アニメにもなってた作品で言ってたろ? いわゆる、あほうの血ってやつさ」


 自分が抗議をやめた途端、彼はすっかり調子に乗っている。

 どうなるにせよ、もはや気分は二日月よりも儚く薄くて満月にはほど遠い。

 いっそ大暴れという提案が悪くないように思えてきてしまった。

 ノノカたちに能天気でほけーっとしていて、のんびり朗らか天真爛漫みたいに思われているのが、いや。だいきらいだ。かっこよく、しゅっとしているほうがずっといい。

 似合わないのがわかっているから、わきまえているだけ。

 そうだとも。

 だから、これは、しかたなく、ほんとにしぶしぶと、乗っかってやるだけ。

 あほうに大暴れをしてやろうという彼の選択に乗っかってやるだけなのだ。




 つづく!

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