第千七百四十話
深夜に軽井沢の宿の部屋で、ノートパソコンの画面を睨む。
警視庁に戻りたいような。目にしたものを追いかけたいような。
複雑な心境で画面を眺めては、眉間を指先でほぐす。
立沢から佐藤、つまり自分宛に何度か催促があった。あいつはなんでも聞きつけては首を突っ込みたがる。だから最近の異常事態にアンテナを立てていて、自分に情報提供を求めてくる。
いま答えられることはない。
協力を頼んでいたとしても言えない。
「――……」
まぶたを伏せた。
彼女は寝ている。聞き込み、情報収集、土産、ついでにちょっと観光して、二日目の宿を満喫。温泉と酒を堪能して、爆睡中。いびきが本気ですぎているので、そっとしておく。
それよりも画面に意識を向けたい。ただし、あまり見たくない。
渋谷から警視庁に移って、隔離世という場所での立ち振る舞いを習い、過去にあった事例について資料を探り、いろんなことを学んできたつもりだ。
学生時代で終わると思っていた勉強は、きっと死ぬまで続くのだ。
だからそれはいい。構わない。勤勉さは美徳だという風潮それ自体に対しては、好ましくない点もあるのだが、備えておいて損のない資質だと思う。
だが、精神面の負荷や問題が可視化される隔離世で、異常事態が発生していることに気づき、現世で幸いにも捜査に活かせたとき、そこで起きていた事件はときにひどく血なまぐさいものになる。
自分と彼女を抜擢した上司が協力関係を築いた海外の組織の情報にもアクセスできるようにしてもらっている。いま閲覧しているのは、そのデータの一部。
利益。
それを求めるとき、人は同族の命も利用する。
人身売買。仲間の命に繋がる情報。旅行者の拉致監禁。そのまま娼婦に。あるいは臓器を取り出すか。都市伝説めいた情報も、戦災孤児や元少年兵だらけで戸籍の管理もなく、人がいなくなっても法治国家における捜査機関が保護に動くことのない国ならどうなるのか。
利益のためなら友を売る。国を売る。見下している人々の日常や、それを支えるために必要なものを崩してしまう。協力者の取り分を可能なかぎり減らして、自分の取り分にしたりもする。
映画の悪党ほど露骨ならいい。
普通は言わない。当たり前のことだとして、黙る。あるいは契約しようとする。
不当な契約、あるいは履行、強要。
なぜ立場の違いによる不当な振る舞いが禁じられるか。
起きてきたからだ。いまもなお起き続けているからだ。
そして、そういう扱いに苦しみ苛まれた人の変化も、隔離世では観測できる。
侍隊は警備部の所属だ。刑事部など、捜査を行なう部署ではない。隔離世においては積極的な警備活動を行えるが、それもよほどの怪異が出没するほど精神的な負荷が伴わない限り、現世に活動が影響しないからであるし、おまけに警察内部での立場は悪い。
だから捜査権限をもって活動することを希望する侍隊の人員は一定数、存在すると彼女に教えてもらった。あるいは刑事部との連携を求める声も。しかし、それらがまともに叶うことはない。少なくとも建前上は。四十七の都道府県における所轄や、町の交番での対応がどこまでそろっているかまでは詳しく調べちゃあいない。仮に動くとして、どこまで警察として行動する法的な根拠を獲得するかは別の課題。
法は檻。そして権力を執行する機関は猛獣。警察なら、狼か。
群れとなり、縄張りを巡回し、権力の行使、つまりは力を振るう先を見つけたら容赦しない。食らう。
檻がなく、首輪もなく、縄もない猛獣は餌とみるや襲いかかる。そのための振る舞いはエスカレートしていく。特別高等警察、あるいは秘密警察として、かつての組織がいかなる性質をもって、どのような振る舞いをしていたかは忘れてはいけない。
もちろん法も盤石たり得ない。これは守り、育てていかなければならないものだ。
でなければ力はエサを求め、見つければ喰らうために振るわれる。
エサの内訳が上等だから、下等だからという話では、もちろんない。
すべからく問題だ。
対応も、生じる流れも、そこで溜まる淀みも、それによって生じる影響も異なるとして。
問題であることに変わりなく、いまの仕事はそのすべてを目撃する可能性があるもの。渋谷時代と比べて、どうか。呻きながら、座椅子の背もたれに身体を押しつける。
割りを食らう立場。利益を得る立場から遠ざかるほど、露骨に影響の度合いが現われていくもの。こどもはその一例。こどもに限らないけれど、こどもは逃れがたい立場という点できびしい。家庭における女性もきついものがある。若い少女たちを取り巻く環境にどれほどの問題が、淀み、溜まっているのか考えると、たまらなくつらくなる。
離れた現場を思い出す。
逃避だ。これは。
自覚しながら目を開けて画面を再び見る。
カルト教団のメンバーだけが暮らす土地。治外法権じみた場所で埋葬がどうなっているか。人が消え、その死がどれほど重要に扱われるか。その重要さは、どこに向いて、どういう目的のために築かれているか。
その、一例。
といっても現世向きの組織ではない。
あくまでも隔離世を中心に活動する。そういう組織のひとつに、和名で通称だるま屋が存在する。これまで確保することのできていない組織は課長によれば拠点を海外にもち、日本でも細々と犯罪行為に及んでいるのではないかと見られているそうだが、逆にいえば精力的に活動している地域が存在するわけで。
彼らは生体のインプラントを提供する。
なぜ、そうした組織の和名による呼称がだるま屋なのか。
だるまといえば、なにか。
真っ先に浮かぶのは、黒目を描く、あの赤くて丸い、土産物屋で見かけるだるまだ。
専門外だが、かつて日本のある時代、ある環境下において身体的な違いを信仰の対象として捉える向きがあったそうだ。高名な仏教僧にかつて達摩と呼ばれる人がいた。九年もの長い間、坐禅を続けたという。そこで俗説として、過酷な坐禅により手足が朽ちて落ちた、などというものが存在する。
壁観。壁を観ると書き、坐禅をする。そのような解釈が存在する。
仮に壁を観ての坐禅としても、そうでない坐禅であるとしても、彼は九年もの間、それを行なった。
艱難辛苦の連続であったという説も。
その過酷さゆえに生じた俗説。彼の恐ろしい顔は、痛みに耐えている顔だ、という説も。
石の上にも三年というが、彼は九年。坐禅で九年。
いずれにせよ百五十年という生半可には信じがたい年を重ねて没した彼は、およそ千五百年近く前の人でありながら名が語り継がれている。
その名を、菩提達磨。元は南インドの国の王子。
彼にあやかり、起上り小法師のようにしてある坐禅姿を模した張り子のオモチャが、俺の連想した赤いだるまだ。選挙においても、他に願い事のときにも用いることのある縁起物でもある。
それらとは、まるで語源が異なる。
だるまの意味の中には「[すぐに転ぶことから]娼婦のこと」とされたものがあり、だるま屋といえば「売春婦を置いている宿」をいう。
肌を重ね、情を通じ、相手に特段の力を持つ肉を与える。逃げること叶わぬよう、他に生きる術のないよう、その力を守り縋らねばならぬほど執着させるよう、人を“加工”する組織。不要となれば現世で解体し、血液や臓器を流通させる。必要に応じて実験の素材に利用したり、一般にはおよそ流通し得ない陰惨な映像の出演者として利用したりする。
最初に聞いたときよりも調べるほど気鬱に苛まされる、惨たらしさにふたをして利益を求めるものたち。もしも彼らに接触し「なぜこんなことを」と問いかけたら「求める者がいるから」と答えるのだろうか。あり得る。
良くも悪くも無頼として幅を利かせ、睨みも利かせていた巨大な組織がまるごと消え失せて、安定していた均衡に変化が生じた。引継ぎなど一切ない。
そこで活動を盛んにした組織もあれば、より手広く商売をしようと画策する組織もある。
だるま屋は巨大な組織の一部として、他の組織が盛んになっている反面で不穏な動きを見せているとも。軽井沢で顔を合わせたのは被害者。
立沢には絶対に言えない。
言えるはずがない。
身体を傷つけられた人間が並ぶベッド。教団が確保した現場で撮影したもの。少年も少女も、どちらもいる。こどもたちの血や垢、あるいは他のなにかとおぼしき体液に汚れた状態が、ずらりと並ぶ。五体満足な状態の子はとても少ない。
汚れの目立たない子の腹部が切り裂かれていた。変色する前に凍らされている。そばにある壁が白く濁った氷で覆われていた。冷蔵庫と呼ばれる場所に、似たような状態の胴体がいくつか並ぶ。
みな、息絶えていたという。
教団が乗り込む前に殺害したとみられ、頭部と指先は漏れなくなくなっていた。英語でそう記述されている。
課長は魔術師が連れてきた男が取引した相手がだるま屋か、だるま屋に連なる組織の末端の人間によるものかと見込んでいるのではないか。
だとして、日本で可能か。これが。いや、世界のどこであっても断固として防ぐべき事態だ。
冷蔵庫の遺体は妊娠の形跡がみられる少女のものばかりだったという。
その記述に、晩ご飯が喉元までせり上がってきた。
鼻の穴を広げて、深く呼吸して吐き気をなだめる。
プログラムを閉じて、腕を組んだ。
無性に煙草が吸いたくなってきた。
教団が確保した場所は、宿と呼ばれていた。宿で見つけることができた遺体はすべて、こどもたち。けれど、だるま屋が確保しているのは、こどもだけではないと教団のレポートに記述されている。では、大人はどこに? そもそも連中は、なにを、どうして。
知りたくない。
手のひらで顔を撫でる。額を左右に。目元に下ろしてまぶたを。そこから頬へ。顎を掴んで、深呼吸。
どれほどの規模で、どれほどの活動を行なっているのか。
セックスを目的とするだけの下部組織もあるという。隔離世の力を喧伝し、違法で危険な薬物との併用で強烈なセックスを。
太平洋を渡りかけた女性たち。士道誠心学院の高校生が某国大使館で見たという、少女たち。
そのあたりが妙に臭い。
が、いままではまだ、女性ばかり。
けれど宿には少年たちがいた。男もいるのだろう。
目的も、全容も、見えてこない。
加えていえばセックス云々も、あるいはオカルト的なインプラント云々も、どちらもさっぱりわからない。雲を掴むような話だ。どちらも。
教団のレポートを探ってみなければならないが、気鬱な情報が英語でみっちりと書いてあるし、おまけにご丁寧にも画像も記載されている。課長経由で配布されたアカウントの権限は、すべての情報をつまびらかにするほど強力なものではないにしても、だいぶ詳細なレベルで読める。
反面、英語はそこまで達者でないので、非常に手間取る。
日本にも活動している構成員がいるというのに、言語は基本、英語。日本語適応は一番多い、ほぼゲストと同じアカウントで閲覧できるページしていないというのだから、参ってしまう。
「勉強、しないとなあ」
彼女は達者なので、翻訳してくれた部分もあるのだが。
いかんせん内容が悲惨なので、進みは鈍い。
売れれば人さえ売る奴がいる。
売れれば、利益が必要なら、なんでもする奴がいる。
その一例を見るのは、つらい。
身元を特定できたのだろうか。気にしたところで、海外で起きたことに現状の自分が首を突っ込める余地はない。権限もない。檻の中で猟犬として振る舞う。せいぜい、賢く。
仮に日本で末端の人間を見つけたとして、どこまで追い切れるか。
隔離世で連中と対峙したとして、彼女や課長に比べてろくに戦えない自分が扱うのは、銃。
これで仕留めきれるのか。どこまでやれるのか。わからない。
わからないが、そういう場面がきたらやるしかない。
それも猟犬のお勤めなのである。
「――……」
深呼吸をしてから、デスクトップ上に置いてあるファイルを開いた。
バイルシュタイン。課長の家が身元を引き受けた、ロシアから来た双子。士道誠心学院にいる高校生ふたり。三年生になるという。妹はメディアで大食い、早食いで活躍し、兄はおとなしく過ごしていると聞く。
彼ら双子が収容されていた施設で彼らにスキルを伝えた男が、士道誠心学院の怪盗を自称する高校生と大使館で遭遇。彼のそばには、魔術師の号令に従い、士道誠心を襲った狼少女たちとまるで同じ少女たちがいたという。彼女たちはいなくなったはずなのに、まったく同じ容姿の子たちが存在した。
であるならば、男はだるま屋に関係している?
わからない。謎だ。だれも知らない。
そちらの進展はない。教団には伝達し、双子と縁があり教団にくだった者が協力して捜査に当たっているというが、進展はないのだ。なにも。
映画ならしれっと一年近くのときが流れる場面なのだろうが、現実では気鬱な一年という三百六十五回の一日の積み重ねが存在する。
課長はここまでを意識して、自分たちをここにこさせたのだろうか。
だとしたら尚更、高校生には伝えられない。
おとなだから、と済ませてしまわなければ。巻き込むには惨すぎる。
まばたきしても、浮かんでくる。専用のプログラムで眺める内容のひとつひとつ。画像に見る暴力と、読み取れない一日の積み重ねの数の名残。
どうしても思い出す。
『怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む』
フリードリヒ・ニーチェ。善悪の彼岸、一四六。これは岩波文庫版のものだ。
原文は、たしかこう。
『Beware that, when fighting monsters, you yourself do not become a monster... for when you gaze long into the abyss. The abyss gazes also into you.』
逆にこれ以外はろくに知らない。
彼女に言われて本は買ったが、いまも本棚の肥やしになっている。
道徳の系譜、悲劇の誕生。俺が買えたのは、これだけ。
岩波文庫の道徳の系譜の表紙には「ニーチェ自身、自分の思想の世界に分け入ろうとする人びとに本書と「善悪の彼岸」の2つの著書から始めるようにと勧めている」とある。
長い段落と、そうでない段落の差が激しいという印象はある。
善悪の彼岸、一四六が掲載されているページを見ると? 一四三にこうある。
『われわれの虚栄は、われわれの最も良くやった行為が、われわれにとってそれこそ最も困難なものである、と見なされることを好む。――道徳の起源についての話だ』
と。
個人的にはこちらのほうが一四六よりも示唆に富んでいて好みだ。
俺たちは虚栄の中で、虚栄を吸って、吐いて、代謝しながら生きている。
これに反撃するように、また、最も良くやった行為が、それこそ最も困難なものであると、バッシングする相手や集団に対して見なされるか、あるいは受け入れられ、評価されることを好むかもしれない。
厄介だ。とても。
ありふれたことだ。とても。
それ故に、起こりえる悲劇のひとつとして数えられるだろうか。
受け入れられるだろうか。
断じて、否。
それでも、もし多くの亡骸を平然と残して去るような組織の一部でさえ、日本にいるのだと感じると? そもそも世界にそんな奴がいるのだと感じると?
いてもたってもいられなくなる。
なのに手がかりがない。
まるでない。
収拾している情報も、触れて崩したあとで、砂で描いた絵だと築く。もう戻せない。ただ、砂の手触りだけが空しく残るだけ。わかるのは関与まで。なのに、それがどの程度の濃度なのかさえろくにわからない。
いる。
そう感じるのに、そこまでしか感じ取れない。
渋谷警察署にいた頃に売春だのパパ活だの、そういう話題に触れる機会はあった。
けれど、だるま屋ほどの宿に繋がる情報は一切ない。
たまに聞く。違法薬物。パーティー。けど、宿ほどオカルトじみたネタは別だ。
聞けばわかる。覚える。だから言える。聞いたことがないと、はっきり。
引っかかる情報があるとすれば、黒い薬物。液体。魔術師の関与を疑うもの。広まっていると噂で、実際に何度か派手な騒動になった。士道誠心学院高等部の生徒が派手に立ち回って、怪異を鎮めたくらいだ。
しかし、だるま屋といったいどれほど関連があると?
魔術師の提供する情報がろくに役立たないことがわかった。
衝動に支配されて、ろくに記憶が残らず、なのにある程度の思考能力と知識は活用される。そんな状態だという予測を課長は立てていたが、なんだそりゃ。わかるように話してほしい。蜂がどうのと言われても、さっぱりわからない。
こういうところが、むしろ向いていると言われて課長に頼りにされているのだが。わけのわからないことを疑問に抱きながら働く人間にとっては厳しい。
魔術師は露悪的で厄介者だ。会って痛感した。奴はこどもだ。どれほど稼いでいようがなにしていようが、そんじょそこらに溢れてる年を重ねたこどもたちと、そう大差ない。嘘は吐いていないが、すべてを話したわけじゃない。仮に課長が認めるように、奴が記憶を失っているとしてもだ。叩くと埃がぶわっと広がるタイプの人間だもの。そう思えばこそ、ついつい叩きたくなる。彼女に「ほこりっぽくなるだけだからよしなさい」と叱られてしまった。
課長は東京じゃバイルシュタインの双子に、京都じゃ星蘭の学生に、あれこれと指示を出している。これも個人的には気にくわない。
俺たちがやらなきゃあ、だめだろう。
たとえ課長が腹の内を見せる相手を極めて厳しく選んでいるとしても、それでも意地でも言いたい。
こどもにこどもらしく過ごせるようにするのが、大人の役目ってもんだろう。
年齢の話じゃあない。概念的にだ。
しっかりしていった奴から先陣を切っていくべきだろって話だ。
魔術師さえ、がきんちょだ。
いくつになってもガキな部分ってものはある。
それを、前の警察署で痛感した。
だからこそ、だ。
困難だと思うのなら、それを容易に変えていき、自分以外のみんなにとっても容易にしてこそ知恵ってもんだろう。虚栄で済ませず、挑み、変えていくのが筋ってもんだろう。
テーブルの上、端末のそばでスマホの画面がぱっと明るくなる。立沢から催促だ。あいつはしつこくて、粘り強い。だから諦めない。
俺の応対に気になる予感を抱いて、求めてくる。
あいつの予知も、勘も、とどのつまりは「そうしなければ恐ろしい」という前提があるからではないか。よほど恐ろしい経験をして、それを繰り返さぬよう必死だからではないか。
ようく考え、悩み、学び、気づき、溢れんばかりの行動力でことにあたる。それをできる立沢をすごいと思うよりもっと感じることがある。
それが必要になるような目にばかり遭わせていいはずがないだろうと。
なのにとても危険な組織の末端の人間さえ、把握できていない。
この現状のままならなさよ。
宿を探すか。黒い薬物を追うか。
現状で浮かぶのは、この程度。
ジレンマだ。
奴らが動き、情報を露わにするほど、こちらは捜査を進めやすくなる。
だというのに奴らが動くほど被害は広く、深くなっていく。
おとなしくしている連中の僅かな名残でもいい。見つけて、繋げていければ、それがいい。
だけどなにより、そんな振る舞いをする奴が、そんなことをせずにいられるほうがいい。
もっとマシな例だって当然やまほどあるけれど、きりがないし、一足飛びにそこにはいけない。
明日は東京に帰る。
課長から「野沢菜かってきて?」と催促された。うっせえと言い返したい気持ちをこらえて、おとなしく土産をいくつか買った。
これも処世術。
すれば一日という歯車に油を差せる――……なんて、まったく。
社会人ってやつは、これだから。
よくわからない職場に移って、オカルトに片足を突っ込んでいるのに、やっていることは渋谷警察署時代よりもよっぽどサラリーマンじみているんだから、悪い冗談だ。
いっそ自分にも、角だの尻尾だのが生えたら箔もつくのだろうか。
御霊。それは神であり、妖怪であり、故人であるという。
守護霊? それこそなにかの悪い冗談じゃないか。
もっとも部署が移って、彼女や、彼女が前に終始つめていた侍隊の人々の話を聞く限りだと、もっとドライだ。
よほど隔離世業界でいう能力を鍛えない限り、基本的には話せないし、会えないし、声が聞こえるわけでもない。ただ、刀を手に入れるだけ。勝手に身を守ってくれるわけでもない。ごくごく稀にそういう人がいるそうだが、眉唾レベル。本人の能力が高いだけだという見方が強いそうだ。課長は話せて、特殊な力も使えるというけれど、ホラー映画に出てくる霊能力者じみていて正直まゆつば。
そもそも、これではいるもいないも変わらないではないか。
相互どころか、一方的な干渉さえない。
じゃあ、なんのために御霊はつくのか。
彼女に尋ねたことがある。
『んー。気分的に、自分を見てくれてる人がいるんだなーって思うと安心しません? まあ、気の持ちようでしかないですけども』
などと、よくわからないことを言われた。
つい「悪い奴にだまされないようにね」と思ったものだけど。
現世の人間を選び、見守ろうだなんて御霊も、そうとう酔狂じゃないか?
あるいは、そうとう暇なのか。
いっそ、道楽なのかもしれない。
それくらいでいい。
ゆるい動機で、ゆるい距離感のまま、ゆるく繋がる。
それくらいなら、いい。とてもよくわかる。
相互に語れるのなら、それは要するに、ともだちみたいなものだろ?
そういうふんわりゆるくてだらけたなにかなら、オカルトも歓迎するのだが。
いかんせん、人は様々。
利益のために、人はときになんでもする。
場合によっては虚栄で己の振る舞いを肯定しようとするかもしれない。
虚栄は己の内にも存在する。
逃れることはできない。
己の無知、未知、それによって生じる虚栄から逃れることはできやしない――……。
「寝るか」
明日、東京に帰ろう。
そのためにも夜は眠る彼女の隣に帰ろう。
つづく!




