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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百三十九話

 



 ずっと静かだったカナタのそばで、扉の開閉音がした。

 いまはシオリ先輩、小楠ちゃん先輩、ラビ先輩と四人で出かけているんだって。

 深夜のツーリング。

 現世で二台のバイクを出して。発案は小楠ちゃん先輩。ラビ先輩がツーリングっていう形にしたそう。ふたりがこのところ、ずっとぎくしゃくしてるのは周知の事実。つれえ。

 気分転換とか、遊びとか必要だっていう話は小楠ちゃん先輩が痛感しているところ。

 そこで出かけたのだそう。

 緩衝材の話、シオリ先輩たちにしてもいいかって言われたらからもちろんって答えた。

 出先の静かな室内で話しているんだろうけど、どこだろ。首都高経由でレインボーブリッジとか? それともそのまま横浜に向かってベイブリッジとか? どうだろうなー。

 ふたりのぎくしゃく。

 私とカナタもひとごとじゃない。

 すべて自分ごとにして考える、みたいな話じゃなくてね?

 ただ、ひとごとじゃない。

 済ませられない。ただ、それだけで、重たい。

 通話を切る。

 一度背伸びをしてから、和室に設置されたままの鳥居へ。

 くぐり抜けて宝島。向かうは烏天狗の館。

 設定は変えず。尻尾フィールドの展開。蓮沼はそのままに眺める。

 水面を見おろす。もうひとりの私が私を見ている。屈んで、出てきた。私が出した多くの仲間たちも。

 仏教だっけ。宗派に寄るんだったかな。

 亡くなった人の元に「お迎えきたよー」と如来さまがぞろぞろと登場。しゅばっとご案内。蓮の中からご登場! みたいな流れになってなかった?

 ユウジンくんは呼び出せる。私と比べるなんておこがましいほど、彼の術は凄まじい。あんまりすごくて、どうやっているのかさっぱりわからない。

 私がやるなら、蓮かなあ。呼びかけ、運び、私が現場で咲かせた蓮の中からこんにちは! ってノリ。これだな。挑むなら。それを叶える術があるのかどうかは、タマちゃんとご相談。

 それはそれとして、ここにいるみんなを見る。

 日に日に抽象的に蕩けていくみんなの実像。もうひとりの私は? 身ぎれいではあるけれど、ここにあるもののやまとか、汚れとか、足りない仕組みとか、もろもろどうにかする発想も、習慣もなにもない。

 言ってしまえば、いまの私だ。

 抱き締めると、当たり前のように消えていく。光に溶けて、私の中へと戻ってくる。

 他のみんなもさらさらと砂に変わっていくように散っていく。

 思いきり息を吸いこむ。

 泥の匂い。花の匂い。草に茎の緑の香り。わずかに流れる風に運ばれてくる、ぷんとしたいきものの排泄物の匂い。埃やカビ臭さも混じるかな。宙に浮かぶまんまるいぬいぐるみ。

 蛍と比べると申し訳なくなるような、金色の光の飛行。浮遊。

 空へとのぼっていく。見あげて目にする絵に描いたような天の川。それしか知らない。ろくに星空を知らない。大三角形。北極星。北斗七星。複雑な星の配置を覚えていない。有名な星の名前を知らない。

 複雑で美しい星座の絵に対して、星の配置はとても質素。それに対して「そんなの作った人のさじ加減次第じゃん」という声もある。授業で聞いた覚えがある。

 いまと昔じゃ集合知の内容がちがう。厚みもそりゃあちがうように思える。それでも大昔にすでに夜空に輝く光は星だとしてる地域もある。

 船乗りの星。北極星。

 大航海時代に海をいく人たちはみな、どこか遊動民みたいだ。

 定住ではなく、海をいく。遭難することも、難破することもある。途方に暮れるときも、順調なときも、星を見る。自分の位置を確かめるために。

 星より身近な目印が増えた。

 そう思っているだけで、星よりも人の作ったものは移り変わりやすい。また、だれにでも用いることのできる目印でもない。見えていても、それは月の光を頼りに飛ぶつもりが人工灯に向かってしまう虫たちのように、私たちは見失ってしまう。

 目印にしたいものを、勘違いしてしまうこともある。

 複雑なのはいやで、簡単なのがよくて、だから愛だけが目印だったらいいような気がしてた。

 昔はね。

 結果がよければ過程の問題はすべて帳消しにされる、なんて考えと組み合わせて、いまはまだ結果の段階ではないから問題は起こすし、結果が出るときにはなかったことにするし、なるからよし! みたいなバグを起こしやすい。それはもちろん、よろしくない。

 愛をおいて、すべての行為を許容するなんて。ただの無法だ。

 愛しているから殴る。愛しているから罵倒する。愛しているから相手の了承も得ずにえっちもする。夫婦なのだから当然だ、なんていって。こどもを作るのが役目だといって。他にも枚挙に暇がないけれど、それくらい無茶な状態を目印に過ごしている人さえいるのだから、恐ろしい。

 愛だけじゃない。

 お前のことを思って、とか。親だから、とか。上司だから、とか。損害を出したから、とか。下請けだから、とか。アルバイトだから、とか。外人だから、とか。男だから、女だから、とか。

 いろいろある。

 それはもちろん、よろしくない。

 それでも考えることもある。

 ぷちたちのママだから、とか。歌のお仕事してるから、とか。高校生だから、とか。お金は貯めておきたいから、とか。ライブをしたいから、とか。

 みんなのこととか。これまで対峙した人たちとか。その中にある孤独とか。

 恥ずかしい話、わからない。

 目印と、近づき方。向かい方。

 光がのぼっていく空よりも、足元を見おろす。

 ふかふかの泥。歩けば歩くほど、土が水の中で煙をあげる。

 それなのに、蓮以外に命の息吹を感じない。

 私は知らない。だから、いないのかもしれない。

 ひとりぼっちの世界。

 ひとりぼっちの中にある、広がりのない場所。

 トイレから流れて、あのまんまるハウスから流された排泄物も水中で菌たちに分解されていく。虫たちが集まってくる。その虫を狙って魚たちが集まる。かもしれない。

 けど、ここに生きものらしい生きものはいない。

 ハウスの中には沸いていた。

 だから、もしかすると、これから先は変化するかもしれない。

 池となれば他にもね? 爬虫類がきそうじゃない? カエルの合唱だって鉄板だ。彼らが集まるということは、彼らの食べものとなるいきものもまた存在するわけで。中には昼に夜に鳴く虫もいるはずで。

 静かな世界というのは、言い換えると無知で孤独な世界だ。

 そう感じると、寂しさに胸がかき乱されそうになる。

 ああ。なんてさみしい場所なんだろう。

 生きるということがない。

 営みというものがない。

 世界に触れる生き方をしたら、それを知ることができるというのなら?

 私はそういう生き方をしたい。そんな居るを叶えたい。

 意欲を折るには十分な現状を知る。

 学ぼう、やろうとするほど、広がる世界が輝いているとは限らない。

 傷に気づけるようになろうと決めて学ぶと、今度はこれまで見ようとしてこなかった世界にある傷にやまほど気づくようになる。

 けど、それって言い換えるとさ?

 世界を知ろう、あの人を知ろうとするとき、緩衝材の自分側の面のあり方を変えようともがく。このときにさ? 傷があるのかもしれないと探る、ごまかさないようにする。それだけで気づくほど、見つける傷が増えるのなら?

 いきものの脆さも、儚さも。人の感情の力っていうのも、あるのだと認めていくことになる。

 そのすべてをどうにかしようなんていうのは、傲慢だという。

 昔はちっともぴんときてなかった。

 風立ちぬでも、他の映画でも、あるいはアメリカのドラマでもけっこう見かける。

 その傲慢さの意味っていうのを、想像することしかできなかった。

 精度が僅かだろうとあがるだけ。なのに心に痛く刺さることが増える。

 それでもやっぱり、知らないだけ。気づかないだけ。それが致命的なこともある。そういうことの溢れる世界を生きている。

 泥はどうしてできるのだろう。なぜ蓮は咲くのだろう。朽ちたらどうなるのだろう。

 知らない。

 もやしもんは漫画を読みふけった。菌類がかわいくてさー。だけど、あの漫画を描くときに必要だったこと、その前提と、描く際の文脈、そのどれも知らない。さっぱりだ。頭に残っているのはホンオフェみたいな発酵食品たち。見た目おじさん自作の口噛み酒。メキシカンスタイルでのアメリカ旅行。他にもあるけど、ざっというとそんなとこ?

 農大の存在も。その仕組みも。どんなことを学ぶのかも。さっぱり知らない。

 銀の匙で農業高校がでてくる。北海道のでっかいどうな敷地の高校での生活は、へんてこ高校に通う私から見ても「すっげ」と感動する場面が多い。ただ、実際に大変さが見ているだけで伝わってくる場面も多い。ごく一部は体験できる。なにせ、うちの学校には馬術部があるからさ。

 けど、さすがに畜産とか、食肉加工まではわからない。経験する機会がない。求めれば、あるいは。私たちが学べるかどうかは私たち次第というだけじゃなく、現場のみなさんの許諾とか受け入れていただけるかどうかとか、そのために私たちになにが必要かとか、やまほどあるだろうけど。

 気づけば。探せば。そのために必要なすべてを惜しまなければ。あるいは、やがて。


「――……」


 鼻を啜る。すん、すん、と慣らしながら浅いぬかるみを進む。

 ときに強く引き留められる。待って、と。そんなに急がないで、と。足を取られる。

 それでも柔らかいばかりで、気持ちいいくらい。

 昔、田植えの実習かなにかで経験した。こういうところにはけっこうヒルがいる。ホースの水を強くだして、吹き飛ばす。触るのこわくて。だけど血を吸われるのがいやで。

 じゃあどうするの?

 さっき述べたとおりで、簡単だ。

 ホースの水で吹き飛ばす。ただそれだけでいい。

 ふと思い出したから、それをきっかけに足を出して見るけれど、ついていない。

 なかには複数も噛まれてる子がいて、びびってた。それを見て私は震え上がったよ? ついてなくてほっとした。

 今日もついてない。

 階段に変えて、空へ。まんまる私のぬいぐるみへ。

 中に入って見渡す。

 散らかり放題の部屋を見て、発想を切りかえる。


「塊魂スタイルの掃除術を試すべきでは?」


 ぷちたちを誘って、一緒に遊ぶ。

 なんでもかんでも、まずはまとめてお外へ出す。

 ぷちたちが夢見て、私も夢見ていくほど、ここが充実していくのかもしれない。

 真っ当にしないと変わらないことのほうが多いとしても、術を使っちゃいけないわけでなし。

 けど隔離世に生きるわけじゃなし。

 現世に生きるのだから、現世に学ぶ。世界に学ぶ。

 ぷちたちと過ごすのなら? やっぱり現世が軸のほうがいい。私に対しては、そう。ぷちたちにとってはそれぞれどうかは、そのつど、それぞれに尋ねていくとして。

 これでもまだ執着が私の中にはっきりとあるから、そこはもうちょっと付きあい方を学びたいけどさ。

 そのひとつが、遊びなんじゃないかと思うんだ。

 生きるものにとっての、花。

 ホモサピだけじゃないよね。求め遊ぶのは。

 必要なことだけじゃない。必要じゃないことさえ、大事。大事じゃないことさえ、そう。

 執着も、だから付きあい方を学ぶもの。


「さよならローリングスター」


 曲がいいんだ。塊魂のシリーズは。

 私が好きなのは、いまいったタイトルの曲。たしか、ぜんぶアルファベットだった。

 なんか寂しげで。叙情的で。夕暮れどきに、窓際に寝転がってぼけーっと空を眺めながら聴いていたい曲でさ? お父さんやトウヤにしょっちゅうお願いしてた。やってーって。

 ゲームが下手っぴな私にはむずかしい。

 どんなゲームかっていうと、ボールを転がして、ものをボールにくっつけていくんだ。ただ、それだけ。なんだけどさ? ボールのサイズよりちょいと小さなものしかくっつけられなかった気がする。

 ころころ転がしていくと、だんだんものがくっついて、ボールが大きくなっていく。塊になっていくんだ。やがて塊は、壮大な規模のものをくっつけていくほど成長していくの。

 このぶっ飛び感がいいんだ。だいすき!

 しかもね? プレイ中は、いろんな人が歌うご機嫌な曲が流れていてさ?

 楽しいんだー。愉快な曲もたくさんあるよ?

 おすすめ! お父さんがCD持ってるんだけど、けっこう聴いたよー。


「遊び方、いろいろあるよなあ」


 ほんとはこわいシューティングゲームの話じゃないけど、ここに集まる虫たちの対処にだって遊びを導入できる。どちらかというと人の遊びというより、肉食獣のこどもが狩りの練習をする類いの遊びになりそうな気がしつつ。

 それに対する倫理の立ち位置って、私にはさっぱりわからない。


「んー」


 守る。

 これまでの価値観を。

 いままでの自分を。

 それって、でも同時に執着することでもある。

 ふくざつ。

 執着しつつも、守ることで得られる安寧はある。

 かさぶたも。自らするふたも、そのために使いやすい手段だ。

 ユーリオンアイスだと? 死にました! 生まれ変わるのです! どーん! なんだけど。

 守り、執着することで「生まれ変わりたくない!」っていう選択もね?

 実をいえば、安心や安全だと思える道だったりするよね。

 だから、それを脅かされそうになると? 取り除きたくなる。

 ふくざつー。

 それに、ままならないし、果てしない。

 なので?

 守破離。

 守り執着する。守り執着している殻を破る。執着も、殻を破ることからも、離れる。

 それこそが、生まれ変わること。

 そういう生き方、居る方法としての輪廻転生を繰り返す。そういう心のありようを許容するのが、悟りっぽいなーって感じることもある。

 輪廻転生なんていうと、宗教っぽいかな?

 もうちょっと平易に言い換えると、なんだろなー。

 たとえば、なにかしらの技術を習得するとき「これをなさい」という決まりを学ぶ。場合によっては、その決まりが生まれた流れも。淘汰されてきたものごとも。そこでの理も学び「これを守りなさい」という、心のさい帯を繋ぐの。生まれる前のヒナとして、卵の中で学ぶの。

 だけど、ずっと卵の中にいると、成長する身体が内部で圧迫されていく。息苦しいだけじゃなく、やがて死んでしまう。だから殻を破るときがくる。それはたとえば学んできた内容や技術に対して、自分が実際に手に馴染んで当たり前にできるようになってきたころの「これを、自分がするとき、もっとこうできないか」とか「これをやってみたいぞ」という衝動。

 それに卵の殻として、あるいは学び生きる場所として、親鳥ならぬだれか師匠と繋ぐさい帯から得られるものが、あまりに当たり前に馴染みすぎてきて、違和感を抱くことがある。もっと欲しいものと現実とのギャップなんかも、衝動になり得る。

 そうして殻を破り始める。それは自然なことかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 いずれにせよ、殻を破ろうとする。栄養を摂取し、安全を得ながら、同時に負荷も感じていて、反発し始める。ずっと繋がってはいられないから、さい帯を切ろうとするかもしれない。繋がったまま、支配しようとして自分の反発の何倍もの反発が返ってくるかもしれない。

 そうして揉める。

 互いに結論ばかりを衝動的にぶつけ合うかもしれない。

 とうとうさい帯が切れるときがくる。離れるときがくる。これを望ましい状態でできればいいけれど、そうとは限らない。

 殻を破って無事に生まれるヒナばかりか。いいや、ちがう。卵を狙うもの、ヒナを狙うものがいる。狙われずとも、卵から孵って無事に成長できるヒナは、そう多くない。

 なので離れたヒナは、次になにか別の安心できるものを必死で探し、さい帯を繋ごうとするかもしれない。新たに宿れる卵を探すのかもしれない。

 見つかったら、強固に依存するだろう。

 そうしてヒナはヒナのまま、いまを生きるのに必死になる。

 ユーリにとってヴィクトルはさい帯を繋ぐ先だった。少なくとも、ヴィクトルがコーチに来る前は。

 だけど、ヴィクトルが来てからはどう?

 ヴィクトル自身はどうだったかな?

 そういうスタンスでユーリと付きあってないと、私は思うんだ。

 コーチとしてユーリが求めるスタンスはなにか尋ねたときに、ユーリが求めたなら或いは振る舞おうとしたかもしれないけどさ。

 だってユーリはあたたかく関係を築けている家族や先生がいてさ? 自分を育てるぞっていう意欲が猛烈にある人だから。没頭して練習するのは、意欲があればこそじゃないかと私は思うから。

 だから追いかけずにはいられず、ユーリとヴィクトルの関係性って尊いのかなーって考えてる。あくまでも私の意見に過ぎないけども!

 ユーリは自分を探している。見つけるぞっていう意欲に満ちあふれていく。どんどん、どんどん。カツ丼から、どんどん愛を育てていく。そこがもうひたすらに尊いんだと思うんですよね! 私は!

 けど、ヒナの話はもうちょい足りなくて、もうちょい残酷。

 卵が勝手に割られてしまったり、勝手にさい帯を切られてしまうこともあるし? 起こりえる事故の可能性は、並べていくときりがない。

 ここまでの話に圧倒的に足りてないのは、接続される、あるいは接続を受け入れる側の話。

 この視点が欠けたまま話すのはコインの表の話しかしないようなもの。種についてどれだけ濃密に語っても、芽が出てからの話をしなきゃ片手落ちじゃ済まない。

 守る。あるいは、執着する。

 これまでの価値観を。あるいは、これまでの自分を。安全を。

 そのとき起こりえる可能性を視野に入れて検討しない限り、具体的な内容になっていかない。

 たとえば繋がるのを受け入れる側が恐ろしくなって、さい帯を切って卵ごと、あるいはかえったばかりのヒナを追い出したらどうなるか。卵の中で悲惨な状態のまま、無理矢理に卵から出されたヒナを追い出したらどうなるか。

 ヒナは求める。

 安心できること。さい帯の接続先。卵の中。

 あるいは子宮の中とさえ言えるかもしれない。こんなこと言ったら怒られるかもしれないのだけど。ね。言えるかもしれない。

 大人になる。

 成熟する。

 そう語るとき、私たちは無自覚に、一羽でしっかり生きられる鶏を連想し、狼に食われても、食べものを見つけられず飢えても仕方ないみたいに語る場合がある。自己責任論の本質はこれだと考えてる。

 けど現実問題として、あらゆる前提があって、あらゆる負荷があり、私たちは相互に、かつ多岐に渡ってゆるく、浅く依存しあいながら生きている。いきものは、そういう生き方をしている。

 だから大人だろうと、しっかりしてるっぽいぞーって思おうと、みんなヒナの部分がある。死ぬまで残りつづける。

 生まれ変わりつづけている人ばかりじゃないしさ。

 多くの依存と繋がりながらじゃないと、できない。

 たいへん。

 果てしない。

 その前提に立ったとき、どうするか。


「守らなきゃって思わずに済むか、思っても解決して離れられる生き方をする?」


 まず私から。

 短歌だけじゃ足りない。

 ユーリオンアイスだと、カツ丼や人生。フィギュアの実力と、大会の制度。コーチング。他の選手たちとの気持ちのいい交流、などなど。もちろん、スケートリンクも、フィギュアスケートそのものだって欠かせない。でしょ? そこで生きる人たちが、ユーリが出会うまでに至る過程のすべてもそう。

 ぜんぜん足りないなー。

 いろいろめいっぱいやってっても、足りないなあ?

 だから隔離世だけじゃ足りない。現世じゃなきゃ。

 私の世界は、私の知ること、夢見ることが土台になってる。ぷちたちの知ること、夢見ることを足してもね? ちっとも足りないや。

 それを塊にしたら、どうなんの?

 散らかって、匂っちゃう。

 そんな塊の御珠になっちゃうわ。

 んー。

 もっといきものに触れる機会が欲しいなあ。

 お掃除は私がこつこつ進めていけばいいけれど。

 執着し、守る構えを解くの。

 どうやるのか、さっぱりわからないぞ?

 ぬくぬくして、おいしいものを食べて、めいっぱい遊んで、思い悩んでる暇なんかないくらいめいっぱい動く以外に思いつかないぞ?

 なら、そこからかな。

 さい帯。ぷちたちが落ちついていられる卵。ヒナたちが過ごせる巣。

 他の動物に比べて圧倒的に長いと噂の、人のモラトリアム。そこで叶えられること、その可能性ってなんだろね?

 表と裏、どちらにも学び、守破離の過程を経て得られる知識と技術って、なんだろね?

 さっぱりわからん! なぞだわー!


「撤退」


 踵を返して宝島からうちへと戻る。

 シャワーで軽くこざっぱりしてから、部屋へ。

 ほどよき温度設定の冷房、タオルケット、パジャマ。

 冷房はそのままでも、タオルケットも、みんなの寝相によって乱れるパジャマも漏れなく変化がやんちゃなので整えていく。

 いつかこの子たちも自分の部屋で寝たいって言うようになる。なんならすでに言ってる子もいるレベル。寝て起きてみたら、私に群がってるのが目に見えるよう。

 それでもベッドに横一列に寝かせていく。

 寝顔に癒やされるときは、まだ心が元気。うんざりするときもある。そういうとき、私の緩衝材がだいぶ参ってる。そんな緩衝材を挟んでしまう私がそもそも参ってる。意識的に選べるものじゃない。むしろ運動したあとの筋肉痛みたいに、心がいまの調子をお知らせするみたいなものなのかな。どうだろ。そもそも筋肉痛とは?

 調べる元気はさすがにない。

 それぞれに撫でて、おやすみとささやいて、床に敷いた布団に寝転がる。

 じんわり安心。

 いいわるいで計るのはなしにして、真夜中の寝転がりでの心地よさは?

 守りたい! これは私の卵の殻。

 気持ちよく眠れるのは、大事なこと。


「んんん」


 あ、やべ。

 気持ちよすぎて思わずうなっちゃった。

 足の指をうねうね動かして、思いきり伸びをする。

 それでは今夜も終わりということで、よい夢を。

 おやすみなさい! また明日!




 つづく!

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