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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百三十四話

 



 たとえば、うちなら?

 お母さんかお父さんと私がケンカしたときは?

 部屋に閉じこもったり。結局やってきた親と、話したりする。

 どんなに私がへそを曲げても、家事も生活もつつがなく。

 それをいきなり真似しても、泣いて暴れているサキをはじめ、そろそろ我慢の限界だぞって子や、どうしたらいいかわからない子たちにとって好ましいかっていうと別。

 いったんお掃除を止めて、時間をおいて、ひとしきり落ちついてからだ。すべては。

 それも自分がカチンときたり、むかっときてたりしなければの話。してるとたやすくなくなる。ただでさえ、大変。露骨に自分が悪いときでも向き合えないこともあるのが厄介。

 今回は、だいじょうぶ。

 ただ、あまりにもどうしていいのかわからないのが不安。

 しっかり付きあうって、すごいことだ。人ひとりが相手でも。そもそも自分が相手でも大変なんだからさ? はんぱない。あ、持ちあげて持ちあげて「ふわー、しゅげえ」と惚けたいわけではなく。だからどうしようもないと放り出すわけでもなくね。

 それくらいのことなのだなあということをしみじみと痛感してる。

 リビングは整えた。

 そこで集まって、伝えられる限りの提案をして、みんなの話を聞く。

 意見は分かれる。したいこと、してほしいことも。みんなちがう。

 ただ、うちの状態と、うちで私がすることに比べて、ここの惨状はひどいし、やっぱりここに来る前の私に対して、みんなはもっと現世の私の振るまいくらい、しっかりしてほしいっていう意見が多い。

 そっくりそのままは言わない子もいる。

 小さなおとなでいようという発言をする。自分たちがしっかりしなきゃ、とか。ここに私がしょっちゅうこれるわけじゃない、とか。私はそもそも忙しいし、とか。

 まるでドラマで見る、シングル家庭のこどもみたいな発言。

 ステレオタイプなのばかりじゃない。そういうこと言わないけど、わかってよ! っていう子もいるからさ。

 他にもね?

 能天気な子もいるし、荒ぶる子もいる。

 だけど、だれもストレートに核心はつかない。つけない。私が親に対してそうであったように、なんて安易に同一視するのは雑かな。さすがに。ただ、私が感じ取れるみんなの態度の先に、続きに、いったいどんな寂しさと、あらゆる感情があるのかは見えない。わからない。

 サキはそれを訴えた。爆発しちゃった。

 そういうの、ありなのかーみたいな話になりかけるたびに、それとなく話の矛先をずらして、みんなに尋ねていく。でも、そんなのもちろん、みんなお見通し。それに、たとえわかってなくても、爆発あり? って思っている子が、自分の疑問が解消されないもやもやを抱えていること自体は変わらない。これは悪い意味での問題の先送り。私がしてること。

 なので、みんなが私に対して感じてること、言いたいことを聞いたら? きちんと話す。

 私が我慢させちゃってた。伝えられる手段がないと、どうしていいのかわからなくて、もやもやして、耐えきれなくなってむかーってしちゃうこと、あるよねって。

 足りない。

 自分がもろに出る。

 なるほどなあって思う子もいれば、なんかそれおかしくない? って思う子もいるし、それってどういうこと? って質問する子もいる。

 それぞれと、きちんと対話をする。

 言葉にすれば、たったそれだけのことが、すごく大変。

 めちゃくちゃに時間がかかるし、とても繊細なことをしている気がする。

 綱渡りのようであり、私という経験を確かめるようであり。ときにそれは私の問題を露わにするようであり、無知を暴くようであり。場合によっては、自分の心に障るように触ってしまう。それで荒ぶることも、あるのかもしれない。

 なので挑みながら実感した。

 お母さんの言うとおり、見ておくだけにしておけばよかった。

 私の欲目で始めた掃除が、サキを筆頭に、みんなを振り回してしまった。

 事実、我慢させてばかりいた。

 なのに、それがどういうことか、まだまだよくわかってなかった。

 おうちみたいになればいいなあ、というお願いを聞いた。この世界に留まる私は、会話が成立しない。私が彼女に委ねた人たちも、お人形みたい。なんだかとても物足りない、という話も。

 だれに語りかけても、やりとりはキャッチボールじゃない。決まり切ったボールの投げ方をするだけ。成立しない。ここはすごくさみしいって。

 受けとってくれない会話って、ほんとにつらい。それはわかる。

 だけど、じゃあ、会話を気持ちにしたとき、私はぷちたちが伸ばした手を取ろうとできているだろうか。みんながそれぞれに望むとき以外、私はどれだけ意識してるの?

 いまも、いままでも、ふり返って採点しはじめるとマジでつらい。だから振りきってこれからと打ち出しても、そんなの私の中での話に過ぎない。ぷちたちにとってのこれまでは、それぞれにあるわけでさ? みんなのそれぞれに対する、なんのケアにもならない。

 果てしねえ。

 果てしねえのに、迂闊にも私は掃除を始めてしまった。

 中断してよかった、で終わらない。

 だけど、この手の「あああああ」って気持ちは行動に繋がらない。

 ないないない! なんもない! なんにもならない! あああああああああ! って、果てしなさとやばさにめげそうになるけど、その暇がないので、めげるのは先送り? それでいいのかもわから~? ない!

 これからどうするかの話をする。具体的にしていく。

 だけど、それだけじゃないんだ。みんなそれぞれに、これまでがある。これからは、これまでをケアするとは限らない。むしろ、ぜんぜん足りないことさえある。

 つくづく、果てしねえ。

 できないことを数えるから、なのかな。

 みんなの傷を想像しては、怯むから?

 わかんないよ。

 数えきれないもの。数えられないもの。数えたところでって感じだもの。

 なので、利用できるかどうかわからない問いは置いておいて、まず必要なことを数える。

 大事なこと、ひとつめ。

 みんなここにいるなら、私がいなきゃだめって思ってる。

 ふたつめ。

 おうちくらい楽しく綺麗で落ち着けるところにいたいし、遊びたいし、一緒にいたい。

 みっつめ。

 だけどやっぱり足りない。私と、自分との時間が、ぜんぜん足りない。

 絞ると、このみっつになる。

 他にもいろいろあるけれど、このみっつは、みんなに共通して抱えてること。

 私がこどもだったら絶対かなえてほしいこと。

 なのにまだ、叶えられていないこと。

 仮に、この場所を改善していくにしても、みんなそれぞれとしっかり接することができていないし? 人数が人数だから、いきなり超絶大家族って感じだし。しっかり考えてやらなきゃ、経験値になる失敗さえできない。

 そもそも経験値ーとか、失敗ーとか、そういうの、お互いの了承がなきゃだめだ。おまけに了承段階がかなりむずかしい。こども相手になに言ってんのぉ!? って話も、ある。そもそもこれまでに問題を抱えているのは確かだし。わからないことばかり。

 なので?

 果てしねえ。

 けど、絞ると? このみっつの問い。

 そして、この問いの解決法は数多あり、その中には当然、私のみんなへの接し方の改善も含まれる。これがむずかしい。わからないんだもの。

 すごくふわっと付きあってたなあと実感。

 そもそもふたりで話す時間がない。ふたりで話すだけじゃなくて、私が名前を呼んで、しっかり自分について知ってるって思えないこともあるって言われた。痛烈……っ! でも、それはそう!

 こんなにたくさんいたら大変だよ、という子もいた。けど、それに甘えていいのぉ? と言い返すんだから、しっかりしてるし? それは! そう!

 知ろうとする、ちゃんと大事にしようとする。その気持ちが欲しいよ? というのだ。もうね。ぐうの音も出ない。同意することしかなくて。

 私が黙ってちゃあね?

 なので、それぞれと接するための機会とか、話すタイミングとか、やっぱり欲しいよねと切り出す。

 みんなして、いろんなところに遊びに行ったり、なにか一緒にするのっていいよねーとなる。それでまとまるかと思えば? いっつも一緒じゃなきゃだめなのも、それはそれで大変じゃない? という話が出たりする。別にきらいとかじゃないけど、ひとりになりたいときもあるもんなあ。

 そのための部屋がないよなーっていう指摘も出るし、さすがに現世でそれはお仕事してるママでも無理じゃね? という悲しくも現実的なことを言われもする。

 切ない。ごめん……。

 もちろんね? 現世ではなく、ここならさ? 部屋の拡張とか、施設の増設とか、いろいろできるよ。お金をかけずに。かからずに。けど、それでアプローチできることといったら、あくまで場所ね。自分のスペースが持てることの意味も、あるけどさ。大事なことだけど。私の接し方がどうにかなるわけじゃない。

 おっと?

 泥沼に気づいちゃったぞ?

 お母さんの言うとおりにしておけば……っ!

 後の祭りだけどね!

 ないもの考えても、あることにはならないので、基本に戻ろう。

 あと、今後の方針を固めよう。

 なにをどう語ろうと、私が学生であることも、お仕事してる現状も変わらない。わりとしょっちゅう、なにかに巻き込まれたり、狙われたりすることもね。

 日常の作り方。整え方。改善の仕方に、修正の仕方。止め方。もろもろ決めていこう。

 その前に必要なことがいっぱいあるから、それもひとつひとつ対処していくし? 気持ちの面で切りかえて、どこまで手を伸ばせるかも意識する。

 気持ちの問題って、実はすごく厄介だ。価値観、偏見もね。すぐには変わらないし、変えようとしても根づかない。

 そこを直接ぐいっと刺激するような、怒りの罵倒を食らう瞬間もある。手ひどい言葉を口にされる瞬間も。

 こどもの立場だと、それくらい言わなきゃやってられなかったり、そもそもその感覚もなかったりする。けど、いざ言われる立場になると、これが地味にきつい。

 そんな点でも、どうしていいのかわからない。

 フラストレーションを、ぷちたちにぶつけるのはダメ。それはなし。じゃあ自分の感情にふたをすればいい? それとこれとは別問題。ついでにいえば、ぷちたちはぶつけてくる。わお!

 しみじみ思う。

 これを体系立てて教えるって、どうやんのぉ?

 さっぱりわからんぞ!?

 教えてほしいよ!? もうね。いろんな豆知識がほしいし、それがあうのか知りたいし、手札はやまほどほしい。どれがあうかなんて、わからないのだし?

 だけど、それってどこにあんのぉ!? わからん! そりゃ本だろうと経験談だろうと、知りたくなるし? そこでマウント合戦になったり、信じていいのか悩んだりするのつらそう。

 そこで思い出す。買って読んだ本のこと。

 言いなりにしたり、従わせようとしたりせず、支配しようとせず、過ごす。そういう心構えもありじゃない? みたいな。おおらかに受ける、みたいな話。

 余裕がなきゃ無理じゃね!? とか。

 傷つけちゃった前提があると、まずそっちはどうすんのぉ!? とか。

 思わずにはいられないし、早く解決したくなるし、そのための手段を選びがち。

 これまでかかった時間よりも、たっぷりと長く、時間をかけて、癒やしに向かう。

 傷つけるのは一瞬。治すのは一生。

 そういう感じになるぞ?

 長期戦が大前提だから、急がないし焦らない。

 そう自分をなだめる。

 だけど思わずにはいられない。

 果てしねえ!

 おまけに長期戦だから、なんにもしないとか、手を抜くとかっていう話じゃないよ?

 長期戦でこつこつせっせとやってくって話だもの。

 日々の過ごし方にでるし、そこが強迫的だともう続かないよなあ……。

 ますます思うね。

 居るのはつらいよ、って。本のタイトルそのまま言いたくなっちゃう。

 そうして結局、発明なんだと気づかされる。

 みんないるだけで当たり前に大事で、尊重する。地道だけど、それが堅実な日常の守り方なんだって。

 肝心なのは、そのための手段だ。

 心構えを伝えても、ぷちたちは安心できないよなあ。

 たとえば「たいへん、問題がある事態だと認識しております。誠心誠意、今後の対応に取り組んで参りたいと思います」なんて言われても「で?」としか思わないもの。

 ぷちたちのメッセージを受けて答えてないでしょ? それじゃ対話にならない。なんにも答えてない。それって、ぷちたちからしてみたら、なにも言ってないのと変わらない。しかも私がそれで「はあ、済んだわー」なんて振る舞おうものなら? 何重もの意味で、むしろ悪い。だって自分のことしか見ていないもの。

 いま自分が維持できればいいって状況は、だけど、それを肯定できちゃいそうだと錯覚しがちだ。悪い意味での先送り、解決しないまま放置を連発しちゃえると? そのまま維持しちゃう。

 私は実際、気にしつつ、いけないなーって思いつつ、対処できずにいた。

 言い訳の理由は並べることができる。意味はないけど。

 愚痴も吐ける。やっぱり、意味はないけど。

 放っておかれたほうは? 問題に苦しんでいるほうは? たまったものじゃない。

 今回、サキが私に怒った。

 当然だ。

 そういうことになるんだ。

 自分も対象だよ? 果てしないよ。半端ねえよ!

 それでも、挑む。

 ぷちたちより大人なんだから、なんとかしてよっていう心の矢印が見えるよう。

 私もお母さんに、お父さんに、しょっちゅう向けてる。

 他にもいろんな場面で、いろんな対象に向けてる。

 でも、それじゃ進まない。おまけに、そう言えば進むわけでもない。なにかが変わることもない。

 当たり前なんだけど、な。

 忘れがちなんだよなあ。


「「「 ママ? 」」」

「今日は、いったんおうち帰ろっか」


 お掃除いいの? ここどうするの? ちゃんとなんとかしてくれるの?

 次々と質問が飛ぶ。気分は記者会見で謝罪をする人。

 ひとつひとつに丁寧に答える。

 このときの丁寧のレシピは? ちゃんと、相手に届くよう、対話に臨む。内容はできる限り具体的にする。人に帰結する話にしない。

 言うは易く行うは難し。

 信頼がマイナスからスタートしている。それでも、そういうときほど真摯に臨むのが王道。

 繰り返す。

 言うは易く行うは難し。

 イメージどおりにできてるかどうか、判断するのは私じゃない。

 だから対話をする。

 会話でも、言いっぱなしにするのでもなく、対話をする。

 ほんと、果てしねえ。

 ねえ、お母さん。

 いま、私は猛烈に後悔してるよ。

 お掃除しはじめちゃったことよりも、みんなの気持ちを蔑ろにしちゃってたこと。

 気づけなかったこと。

 ここまで見越して言ってくれたのなら?

 私ってば、まことに浅はかなり……っ!


 ◆


 ひとまず撤退。

 穴がなにかとか、私がどこまで干渉できるかとか、そういう問いより喫緊だ。

 ぷちたちのさみしさと、その処方箋は。

 くっせえくっせえ御珠の理由も、その内訳も気になるけれど。ゴミまみれのあの惨状を思うとね? はじめてぷちを頼ったときから、私は放置してた。サキに怒られるまで、足りずにいた。

 あの日のわくわく、私はちゃんとお世話してこなかった。

 放置の匂いだ。無関心の匂い。

 その認識は変わらない。むしろ強化されたまである。

 それでもやっぱり、まずはぷちたちのさみしさだ。御珠を綺麗にすることも大事だけど、ぷちたちのほうがもっと大事。

 うちに帰って、夕ご飯を食べて、みんなとお風呂に入る。


「ぷちたちがおっきくなったら、どうするのー?」

「一緒にはいれないよー? おっきなお風呂にしなきゃ」


 言いよるわ、みたいなことを訴えてきた。

 なにアピールやねん、とか。どういう甘え方やねん、とか。

 思わないでもないけどね。

 ユーモア、大事。ジョーク、とても大事。遊び心がないと息が詰まっちゃうからさ?

 そういうアピールほど逃せないし。答えているときの求める感情に敏感でいたい。

 それっていままでしたことないから、苦手。できてもどの程度? おまけに不慣れで疲れちゃう。これを毎日。生きるのも居るのも、たいへん。

 居るのはつらいよ、だと?

 張り切っちゃうと、長く続かない。

 がんばるほどに、あまりもたない。

 精いっぱいなほど、すぐに息切れしちゃう。

 そんな話、されてた気がするんだ。

 なんにもしないことをするのって、実はとてもたくさんの土台を必要とする。

 それがないとき、なんとかして埋めようとする。

 足りないもの。欠けてるもの。

 それは補わないと、なくせない。

 自分の内にはない。自分の外にもない。

 なので、張り切っちゃうし、がんばっちゃうし、精いっぱいになっちゃうし? 自分でなんとかしようとしすぎちゃうか、周囲になんとかしようとしてもらいたがりすぎちゃう。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いっていうじゃない?

 大辞林いわく「その人を憎むあまりに、その人に関係のある事物すべてを憎むことのたとえ」。

 恋愛とか、失敗の予兆とか、不得手な状況とか、あるいは性癖とか? そういう対象ないし、特定の感情を軸足に、関係する事物をすごく抽象化して捉えて、同じように扱っちゃうことってない? 省略化、あるいは効率化としても起こりえるし、無意識に、反射的に、そう捉えちゃうこともあり得る気がしてるのね?

 自分をひどく責めていたり、自己肯定感がなくなっていたり。あるいは環境の特定のなにかを強く意識してたり、負荷を感じていたり。

 そういうときに、刺激にひどく敏感になって、なんでもかんでも関係があるような気がしてきちゃうことって、ありません?

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いからずれてきてるけど。でも、そういうことってない?

 その刺激から、反射的にマウントとって威嚇したり、いろんな人に攻撃的になったり、ひどく自分を責めたり感情的になったりするの。けっこうありふれてることだと思ってるの。

 袈裟みて坊主を見た気になる。なんなら枯れ尾花がすべて幽霊なの。確定事項くらいの勢いで強く認識しちゃう。

 そこまで参ること、そうそうないならラッキーだ。

 けど、私はそのラッキー、掴めなかった。

 小学校時代はクラスで孤立してるとき、世界がみんな私のこときらいなんじゃね? くらいの感覚に陥った。何度も。わりと。がちめに。

 ひとりを感じる機会、ひとりでいると大変だと気づかされる機会。どっちもえぐくてきつかった。

 私の思い込みすぎと決めないし。ただ「居る」だけでいいっていう環境は、しっかり作って、大事に守らなきゃ簡単になくなるし、壊れてしまうものだとも思うし? 小学校はとてもそんな場所じゃなかったと、いまでも思う。

 そうなると枯れ尾花の例えは適切じゃない。

 ぷちたちにとって、私のあらゆる仕草、言動に、袈裟を見る。自分たちを袖にする親を見る。

 不安がなくなれば、そう見えなくなるよ。たとえもしもそう思ったとしても、ぷちたちに言うべきことじゃない。不安にさせちゃったの、私だし。私の先送りと放置がぷちたちをさみしがらせて不安を育てちゃったのだし。お前が言うな! ってなる。まず、私が私にそう思う。だから、言うべきじゃない。意識するなら、不安がなくなるようにするには、どうすんの? だ。

 だけど、ますますわからなくなる。

 ぷちたちががんばらずに、居ることができるようになるためには、どうすんの?

 ねえ。

 私はがんばらなきゃいけない気がする。張り切らなきゃいけない気がする。精いっぱいにならなきゃいけない気がする。

 それって、続くの?

 うまくいかない時期が一年つづいたら、どうすんの?

 ぷちたちがつらくて、私に怒り続ける一年が続いたら、どうすんの?

 私はぷちたちに穏やかに接し続けられるの?

 とてもじゃないけど、自信がもてない。

 やれる気がしない。

 キラリ相手に私は三年しくじり続けた。しくじりにしくじりを重ねて、とうとうしくじったまま中学生活を終えた。

 同じことになる気がしてならない。

 カナタとシュウさんも、それでしくじってる。

 足りないのだから、足さなきゃいけない。そんな気がする。

 でも、それじゃあ居るのはつらいままだ。居るためにがんばらなきゃいけないなんて、あまりにつらい。休めない。休めなきゃあ、続けられるわけがない。

 すさまじいジレンマ。

 矛盾のただ中に放り込まれた気分。

 一緒にいる。

 まず、そこから始める?

 もうやってるよ。それならもう、いまやってる。

 じゃあ、このまま? 一緒にいることを続けるの?

 さっぱりわからないよ。

 結ちゃんがキラリを連れてきてくれて、キラリが士道誠心に入って、いろんなことを経験して、もうだいじょうぶだと思ってた。答えだって見えた。そのはずだった。

 なのに、また振り出しに戻った。

 正確にはちがう。

 ぷちたちと一緒にいることを始めてる。ただ、それだけ。

 キラリが相手じゃない。ただ、それだけだ。

 なのに、私はちっとも変わってないし成長もしてないし、それにうんざりして無限にへこみそうになる。

 なんで生きるのって、こんなに果てしないの?




 つづく!

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