第千七百十二話
髪の毛ボサボサの浴衣着崩れまくりのマドカが、目元を擦りながら、よたよた出てきた。
「……あよ」
たぶん、おはようと言いたいのだと思う。
しょぼしょぼした目で近づいてきて、差し込む日差しの眩しさに顔をしかめていた。
倒れ伏すように私の尻尾に抱きついてきて、そのまま寝息を立てる。
おい。おいおい。
「……あっつ」
自由でいいなあ! 抱き枕じゃないし、温度調節機能はついてないよ?
わりかし冷えてると思うんですけど。尻尾が。どういうこった? わからん。
私もわりと頭が働いてない。
「ひんやりさせてー」
できるかい! と思ったけど、一旦切りかえて、尻尾に金色をまとわせてみる。
穴に吸いこまれたり、出が悪かったりするかと思いきや? そんなこともなく、まばゆく光る九尾にマドカが一層しかめっ面になって「まっぶし」と苦情を訴える。
構わず、冷感シーツに化かしてみる。尻尾を一尾ずつ包む、水色の布地は触れるとひんやりしますよ? 発光が収まって、マドカが手足を使って一尾をまるごと挟み込み、寝始める。
「これだよこれえ……」
ぐう、とはいわない。ただただ、穏やかな寝息だったよ?
マドカの顔がね? 私のお尻に近いんだけどね?
お構いなしだった。構うのは私だ!
おならしたら起きるのかな。
試す気にもなれないな!
「ハルさー」
「んー?」
トモの呼びかけに答える。
見あげてみたら、トモが庭で遊ぶぷちたちを眺めていた。
「あの子たち、幼稚園とか、保育園とか行かなきゃだめで、やがては小学校とか行かなきゃだめなの?」
「――……行かなきゃだめっていうか」
質問の意味が読み取れなかった。
「え、と? エジソンみたいなこと?」
「そんな感じかなー。昨夜、ハルがミコさんから提案されたって聞いて、考えちゃってさ。あの子たちがハルに、なんで行かなきゃいけないのって尋ねたとき、あたしだったらなんて答えるんだろうって」
「――……おぅ」
こいつは思ったより深淵なテーマなのでは?
「あたしらの場合はさ。だいたいは、みんな行ってるからとか、そういうものだからとか、お父さんもお母さんも行ったからみたいなこと言われがちじゃん」
「まあ、そう……かも」
さすがに小学校に行くことになって、なんでか尋ねたときのことまでは思い出せないぞ?
覚えてないなあ!
ただ、あまりにつらくて行きたくなくなった頃にはもう「それでも行かなきゃ」って思ってたし? そんな当時の自分に、もしも「なんで?」と問いかけたとして、どれだけの答えが出てくるだろう。
枠組みの話でいえば。
義務教育、高校、できれば短大や大学に進んで、就職。そこで順当に出世して、なんてことを思い描きがち。でも、性別が男でないと合格枠が削られたり、採点で不利になったり、そもそも出世がむずかしかったり、社内の風当たりがきつかったり、問題は山積。
問題、かあ。
問題なあ。
「それしかないのかってこと?」
「わからないけどさ。義務教育を受けられないよりも、受けられるほうがいい。ベストと断言するには弱いけど、ベターではある。ただ、なんだか気持ち悪い」
そういう感覚なら、わかる。
ベター。だから、それでヨシ! それ以上の深掘りは、ナシ!
仮に学校に行けない子、通えない子がいるとき、あらゆる親御さんがエジソンのお母さんみたいに自宅で教えられるかというと、むずかしそう。
そもそも、親が教えることによって想定されるトラブルって、あるのかな? あるとしたら、どんなもの?
わからない。
わからないまま、当たり前ってことにして、突き進んでいる。
時間は待ってくれない。現状の仕組みも、枠組みも、早く早くと急かしてくる。
選ぶのなら? そりゃあ、ベターだ。
だいたい、ベストは延々と求め続けられるもの。ベターをこつこつ積み重ねていくような気さえする。
実際にどうかは気分で決めずに、ちゃあんと検証していかないとだめ。
現状でベストは、未来永劫ベストってことにはならないし?
現状のベターに満足できなくて、やらなくても、時間は過ぎていく。
なので、わからないまま当たり前ってことにして、突き進んでいくし、いまもそうしている。
その流れに辟易してくると?
積み重ねているのがもう面倒で、厄介で、しんどいから「ベストちょうだいよ」となる。
お仕事で、企業と企業が接する際、持ち込んだ側や、優越的立場に立つ側は求めるよね。ベストを。その結論に至るまでのあらゆる経費も、知識と技術の集積も、なにもかもの負担を、相手側に求める。
通販じゃなくて家電量販店に足を運び、店員さんに「どれが一番いいの?」と尋ねて「調べてこいや、ばぁーか!」なんて言われようものなら! 炎上しそうだなあ!
だけど店員さんの立場にとってみると、いかにも難問だ。
どれが一番いいか。
それ、どういう基準で考えていらっしゃいます? ってなる。
予算はいくら? 使用用途はどれくらい? 想定される使用頻度は? どれくらい長く使いたい? あなたのこだわり、なにかあります? たとえばメーカーとか、デザインとか、カラーとか! インテリアとの調和とか? どうぞご指定ください!
ぜぇんぶ、わからないまま答えを出すのなんてさ。無理だ!
頼む側が、圧をかけられるほど? 無理難題が飛び出てくる。
それこそ、いくらでもね。
そこに配慮はないよねー。ないない。
コンビニでバイトを始めた子が愚痴ってた。お金ぽいって卓上に放られて、煙草の銘柄を小声でぼそっと言われて、聞き返すとキレてくる理不尽な人がいるそうだ。競馬新聞をかっぱらって、お金を投げてくるおじさんなんかもいるという。
えげつな。
競馬新聞のおじさんに至っては、お金ごまかして盗んでません? ねえ。だいじょうぶ?
人は仕組みじゃない。
枠組みでもない。
けど、そういう振る舞いを求めることが無意識下に行なわれるケースがある。
仕組みや枠組みに対してもねー。
一緒だ。
ベターだから、これでヨシ! いや、よくはないんだけど、代替案がないし、作っている暇もなければ予算もない! なので、これで我慢する。ストレスを感じながら我慢すると心が参ってきて、身体にも影響が出るよね。眠れなくなったりけだるくなったり、頭が働かなくなったりするんだよー? というわけで、そこで我慢するべく理屈をこね始めたりして!
悲惨になっていく。
止まるんじゃあねえぞ?
ベターな仕組み、ベターな枠組みだからって、止まっちゃだめ。
そうはいっても?
ハァ! 予算がねえ! 人たりねえ! 知識も技術もそれほどねえ!
やる気もねえ! 元気もねえ! 締め切りだらけでぐ~るぐるっ!
なんて状態じゃあ、蓄積どころじゃないね。
ベターを増やしていくぜ? なんてどころじゃないよね?
わかる!
私もどうしたらいいか、わからないんだ。
なのに、こういうものだと自分に言い聞かせて小中高と通っている。
大学も卒業するのとしないのとじゃ、やっぱり差が出ちゃうからさ。だったらいっとこうかなーくらいの気持ちでいる。
けど、しょっちゅう考える。
これでいいの? って。
仕事もプライベートも。私の時間も。一緒に過ごすだれかも。
みんな、これでいいの? って。
厭世的に、斜に構えて、そうするのが当たり前ーとか、できないのはだめーとか、そういうこと言う人もいるし? そういう人をわっしょいわっしょいと持ちあげる人たちもいる。
けど、そんなのは正直どうでもいい。
これでいいの? の内訳は、現状の仕組みや枠組みの過不足。
繋がって感じる私の負荷の解決策。
ぷちたちは素直に訴えてくれる。ねえ、なんで? ねえ、どうして? だってこうすればいいのに。そういう声に触れて気づかされることは多い。多すぎて、めまいがしてしまって、だんだん自分の人生に当てはめて気が滅入っちゃうくらいだ。
そういう声は、私自身の中にもちゃんとある。
ただ、ずいぶん長いこと大事にしてこなかったから、ぷちたちの声ほど大きくはない。
それらの声は、点を示す。
線を繋げてみればいい。いまある点から繋げてみればいい。
それがベストになるかって?
知らないよ~!
やる前に求めすぎだ。
なにも投資せずに、多くを求めすぎだ。
それじゃあ、だめ。
だめなんだよ? 悲しいかもしれないけど。
どちらも、互いに、投資をしていく。
関わる人みな、投資していく。
対話なんか、まさにそれだ。
だけどなー。
安全基地、安心の大事さを訴えながら、私は同時にそれを危うくも思う。
安心ってことにしたらさ? それがベストじゃなくても、ベターなら、それで思考停止したり、いいってことにして、なかったことにしちゃうこと、あるもの。
最悪な状況と比べたり。ベターな状況に対して、じゃないほうを意識して安心しようとしたり。これはやばい、これはどうにかしなきゃっていう不安や怒りよりも、もうこれでいいってことにしとこっていう安心を選んでさ? 立ち止まること、ある。しょっちゅうだ。
だってさ?
慣れてないもの。
練習もしてないでしょー?
こつこつよくしていく。歩みが鈍くても、易しく済ませるより大変でも、こつこつやってく。
そういう練習、してないじゃん?
気の長い話だし。
人によって、ぜんぜんちがうのに、無理なことも、しんどすぎることもあるのにさ?
たとえばさ?
学校に行く。行かないよりはベターだから、行く。そこで終了。
中にはいるよ? 自習したり、塾いったり。運動したり、教室かよったり。お仕事したり、バイトしたり。趣味に費やしたり、将来のためにトレーニングしたり。
その中でもそれぞれに先に進めていく人もいて、立ち止まる人もいて、足踏みする人もいて、いろいろじゃんね?
なかなかきついよなあ。
いまがまずくても、やばいトラブルを抱えていても、変えずにいたら悲惨な花が畑のように広がっていて今後はさらに拡大しそうでも、下手にいじって取り返しがつかなくなるよりは放置するほうがベター。
なので、現状維持、ヨシ! みたいな。
もちろん、よくない。
だめだ。
だめなんだけど、ベターだヨシ! だと?
安心できた気がして、止まっちゃう。
気持ち的にさ? 距離感、大事かも。
安心したことにしちゃったほうが楽なことが身近だと? こつこつやるのも、なんとかしたほうがいいことも、その危機感やしんどさより、選ばれやすいのかも。
じゃない?
そうしてさーあ?
選ばれたのは、現状維持、ヨシ! なのかも。
よくないんだけど。
よくないっていうんじゃあ、続かない。先にも進まないんだよね。
結局のところ、心地よさで繋げていかないとなかなか先に続かないのも。
心を気持ちよく咲かせてくれる花や、心から思いっきりなんの憂いもなく笑えるのが気持ちいいのも。
憂いを解決して最高の気分で笑うのがもっともーっと気持ちいいのも!
続けるための栄養剤なのかなーって思うわけ。
私が、勝手にね? そう思ってるだけなんだけどさーあ?
そういうの、わりと全員に対して「任せた。なんとかしろ」とぶん投げるのが、現状のベターな選択肢の限界だよなーとも思うわけ。
そりゃあ、いろんな歪みが出てくるよ。
歪みはさ? 仕組みや枠組みがぐるぐる回るとき、たくさんの人をあちこちへと飛ばす。しがみつくので精いっぱいな大勢がいる、という状況もある。
それを当たり前ってことにして思考停止はしたくないし?
ベストだと勘違いすることなんか、できやしない。
小さな安心、小さな蓄積、小さな喜びで、こつこつ進めばオッケー?
まさかー!
ベターな手段かもしれないけど、そこで思考停止したら、結局あぶないことになり得る。
思考を止めるな! なんていうのも、ぶっちゃけしんどいじゃない?
しんどさがあると、続かないよねー。
それにね?
やだって言った先を考える。暴力で従わせることになるか、暴力で排除することになるか、みたいな対応が待っていたら? 無理だ。それは確実にアウト。
もちろん無視もそう。
でも、実は回らないし動かないし、それだと困るから、どうにかして強制力を働かせられないか、矯正させられないかの選択が優先的に選ばれるような状況は多い。
がちで。
真面目に。
ベストは無理だ。
そこまで世の中、進んでないのよ。たぶん。
大航海時代ならぬ、環境の大開発時代なのでは? なんて。
さすがに風呂敷ひろげすぎだなー。これは! やばい人感が出るレベル!
実際、そんなに華々しい意味じゃない。
もっと地味で泥臭いし、やること多すぎだし、そのわりにやろうとするとしんどいことばかりだし、だから現状維持ヨシなベターな選択しがちだし、それじゃうんざりするからわがままいえるときほど「ベストをよこせよ、おう」となりがち。
問題ある。山積みすぎるくらい。
なのに華々しい旗を掲げるのはどうなのって話だ。
ぷちたちのことを考える。
あの子たちが求めることを、あの子たちと一緒に考えていけるかな。私に。
私がいまより幼い頃、そういうことができる人ってどれほどいたのかな?
思いつかないわー。
自分はできた、じゃだめなの。
一緒にできる、じゃなきゃね?
そういう人、浮かぶ?
というかそもそも、一緒にできるかどうかわかる手段って、ある?
それもまた、わからない。
見知らぬ人が相手だと「やあやあ我こそは、すごいひと!」と、なんか称号みたいなのとか、経歴みたいなのとか言われても、ぴんとこない。
それならいっそ、トモやマドカたちと一緒に挑戦するほうがいい。
実績よりもまず、対話が可能かどうかかな。信頼する材料は経歴よりもまず、人となりを知っていること。百パーはもちろん無理。どれをとるにせよ、ベストはない。
権威主義的な場所だと? 経歴や実績ってごまかせちゃう。悲しいけど。
もちろん人となりだって、そのすべてを把握してますなんてことはない。
前者は客観性があるようで実態把握の証明にはなりきらず、一緒に過ごす経験がそもそも積めていないし、人となりもまるでわからないまま想像から入るから、担保が取れない。
後者は主観的で経験値を積んでいるうえで、それが偏見を強化している可能性があって、やっぱり担保が取れない。
会話が成立して、対話が行えて、一緒にやっていけるのなら? すくなくとも、いろんなことに挑める。経歴や実績があっても、チームとしてやっていけないなら? 意味がない。
みんなに挑戦する分野の知識や技術がなにもないとき、経験者の知識と技術は参考になる。そういうスタンスでいてくれる振る舞いを見せてくれるのなら、助かる。
どっちにも、他にも良かれ悪しかれな点がある。
まだまだあるよ?
いまのところ思いつく限りの懸念点は、こんな感じだ。
仮に、ぷちたちがいやだっていったり、なんでなの? 教えて? って聞いてきたら、私はどうだろう。
小学校中学校と卒業してきて、通ってきたし? 高校にいる。ある意味それって、ぷちたちからみたら、経歴や実績。
じゃあ私は、それを叩き棒やムチにして「いいからいくんだよぉ!」と、意地悪野郎みたいに圧をかける?
それはないなー。
ないわー。
ただ、悩ましさは拭いきれない。
成長していく過程でどうなるかを想像する。
大人になっていったときに困らないか。先を思い描いては、勝手に結論を押しつけたくなる。
すくなくとも、ぷちたちが通うことで「私が」安心できる。
あらゆる場面で問われてる。
ぷちたちと過ごすたびに「私が」安心したいから、ぷちたちにあれやって、これやってと押しつけたくなる。けれど、それってどうなの? と、問われてる。
しかもね?
それって、これまで自分がしてきたこと、押しつけられて我慢してきたことがいったい「だれの」安心のためだったかを、問われてる。
うちの家族には感謝してる。なにもかもがベストなわけでもないし、ケンカもしてきたけど。
むしろ小学校時代の大勢に対して、怨みがふつふつと沸いてくる。
中学校時代だと、出会ったばかりの頃のキラリに対してゼロになりきらないし、三年間を通じて私自身に「ああもう、ほんと最低」って思うし、キラリはもちろん、結ちゃんと、結ちゃんを通じて気にしてくれてたみんなに対しても「ほんとごめん」となる。
得られない安心に、ぷりぷり怒る。
カナタとシュウさんの間にも起きてたし? 入学当初のギンは、安心を求めてあらゆる距離感がバグってたし。そのへんはマドカも一時期そうとうぶっ飛んでたし?
枚挙に暇がない。マジで。
わからないこと、やったことがないこと、いまあるベターな選択肢を選ばずにやるにはあまりに困難が予想されそうな挑戦ばかりだ。
この違和感を放置して、ベターな選択肢を選んで「ヨシ!」で済ませていいものか。
気持ち悪い。
すこぶる気持ち悪い。
いまある問題はそのままずぅっと続いていく。
だれかがなんとかしてくれるでしょー、歴史的偉人めいただれかがあらわれてさーあ?
なんてことにはならない。
なってもぶっちゃけ、関係ない。
ただ、人任せにしてなにもしなかった時間が増えていくだけだ。
ぷちたちにとって、私。
私にとっての私自身であり、キラリであり、結ちゃんであり、うちの家族であり、大勢。
そういう風に考えるのも極端な気がするけれど。
そのときできることをせず、自分の安心のために放置したり、押しつけたりしたことってさ?
祟るじゃん。
ぶっちゃけ。
相当えぐい形で、祟るじゃん。
怨みにさえなるじゃん。
遺恨になって、それは後々引きずるじゃん。
長いこと長いことさ?
それはまずいよなあ。
まずいよお。それはさあ。
気持ち悪いなあ。たしかに、気持ち悪い。トモの言うとおりだ。
「ぷちたちとよく話しあって、作りあげていくほうがいいのかな、ってこと?」
「そ。無茶いってる自覚はあるんだけどさ。現世でなにかやらなきゃだめってわけじゃあ、ないんでしょ?」
「……そうだね」
私たちがやっていることだから、あなたたちもやらなきゃだめ!
なんていうこたぁ、ないよなあ。
ただ、かなり手探りになる。私たちにそこまでの余裕があるわけでもなし。
それに手探りの内訳がまず、わからない!
選択肢を提示すればいいのかな?
一緒に相談してみるとか?
ここでもっかい、さっき考えたことを引っ張り出してくるけれど。
ハァ! 予算がねえ! 人たりねえ! 知識も技術もそれほどねえ!
やる気もねえ! 元気もねえ! 締め切りだらけでぐ~るぐるっ!
あ、念のためいうけどさ。
やる気はあるし、元気もいずれ出るよ?
締め切り意識すると、あちこちにめいっぱいあるけどさ?
予算。ない袖はふれない。このあたりが課題になる。
かかる人も、知識も技術もそう。
やってみないと、なにがどう足りないかも見えてこない。一度で足りないものがはっきりわかるなんてこともない。
あらゆる分野で、仕組みや枠組みがあらゆる人に利益を提供しているのなら? 楽ちん。
義務教育だって、元来はそういう仕組みのひとつだし?
ベターはあってもベストなし。ゆえにベターを積み重ねていくし、よりよくしていくし、行動も思考も止めないのだけど。安心ほしさに止まっちゃうことがあるのも事実。
で。
どうする?
まず私よ。どうしたいの?
もちろんぷちたちとも要相談。
まだ早いって言われるかも。
そうしたペースと、現実で生きていくうえで必要なペース配分とが、いつだって楽にぴたっとハマることばかりでなし。
それにしたって仕組みも枠組みも、あまりに足りないまま停止していることもある。
企業の育児休暇と、復帰と、その後の出世と。なにかと問題があるっていうのは、中絶手術のえぐさを調べてから思わず調べて知った現実のひとつ。
マジで、ほんとに、未成熟で未発達な世界に私たちは生きている。
だれかの安心を刺激する形で変えようとしても、うまくいかない。
なんなら歴史に残る独裁者たちさえ、安心を暴力とうまく結びつける形で人心を掌握しているような気さえする。
暴力にいくのも、掌握するのもされるのもごめんだとして。あり得ないとして!
さて、どうするよ。
焦らずいける?
どうかな。
有名なプロレスラーさんの、ある言葉を引用する。
本人曰く禅僧の一休宗純さんの言葉だという、みたいな記述が多いそうだけれど、福井県立図書館さんのレファレンス事例詳細によると、清沢哲夫さんという人の詩である「道」が起源になっているっぽい。アントニオ猪木さん曰く。
この道を行けばどうなるものか。
危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ。行けばわかるさ。
以上!
有名だよね。飛び込んでみるか! っていう瞬間があるよなあ。
いまなんかがそうだ。
私を育てるにしても活用できる考えだと思う。
なにがいい? どうする? ベストをちょうだい! というのも、結局のところ怖いからなあ。欲しがっちゃうし、テンパっちゃうし、身構えちゃう。
どうどう。落ちつこうよ。
考えなしに歩きだせとは言わない。考えすぎて立ち止まるくらいがちょうどいいとも。
仕組みが必要かも。
一歩を踏み出す仕組みの開発が待たれているのかも?
それはひとつじゃない。ふたつでもない。もうね、やまほどだ。星の数ほどあっていい。
しっかり観測しよう。めいっぱい分析しよう。そのためにも実例を積み重ねたい。
先人たちの知識の集積である学問は、実例の集積でもある。よく学ぶのは、あり。そうして気がついたら、既知の知識の先に進み、それはどういうことなのか発見できるかもしれない。
変わることもあるじゃない? 現在、こうみられているとされている考えも。研究によって、変化することがあるじゃんね?
それはよく学ぶ先にある。実感として得られるものだって、そう。
一見、うまくいっているようで、なんてこともざらにあるからなー。
そんなことを考えていたらさ?
お尻が一本、ぐっと引っ張られた。
ふり返ると、マドカがしょぼしょぼした目をこすっていた。
「偏見は、気づくことがはじまり」
「「 急に起きるやん 」」
「――……」
「「 寝んのかい 」」
言うだけ言って、さらに寝た。
何度寝なんだ。どんだけくたびれてるんだ。
ゆっくり休んで……!
それにしてもさ?
気づくことがはじまりかあ。
こういうものだって思い込んでることもそうだ。
問いを持てるところで、自動的に答えに直結しちゃうこともそう。
わかってないなあ、こいつ! って思うときほど、偏見を持っているもの。
いいからやれよお! ってときもそう。
ごりごり削られるなあ、これ考えるだけで……。
でも、そんなものだよなあ。
さってと。
そんじゃま、お昼までもうちょっと時間があるし?
「じゃあ私ももうちょっと」
トモのお膝に頬ずりしようとしたのですが。
「耳かき速度の限界、試していい?」
「……起きます」
なんで? なんでそんなことを言うの!?
トモの膝枕に甘えようと思っただけなのに!
「ハルさあ。顔に考えてること書いてあるんだよなあ」
やっべ。
つづく!




