第百七十一話
スイーツプレゼントの約束を一日継続してもらった私は、カナタがくれたクレープをもそもそ食べながら商店街にやってきました。
大型スーパーに負けないようにと、あらゆる手を尽くす全国の商店街のように、この街の商店街もまたあらゆる工夫をして活気を維持していた。
それはたとえば安売りを連呼してたたき売りをするお魚屋さんとか、あまり見かけないけど食べてみるとびっくりするほどおいしい揚げ物を出す惣菜屋さんとか。
最初に来てもらった時は何気なく見ていたけど、改めて意識してみるとなかなか素敵な場所なんです。だってね?
「あ、お狐ちゃん。おいでおいで、おあげさん揚げたから持ってって! 彼氏の分も一緒につけとくからさ!」
夏休みに入って通ったせいかすっかり顔なじみになったお豆腐屋さんからお揚げさんをもらったかと思えば、
「お狐ちゃん、うちの魚も買ってってよ! いいの仕入れたからさ! 今日も来るだろうと思って、カワハギ用意しといた。肝はもう出して包んであるんだ」
お魚屋さんに手招きされてカワハギを安く買わせてもらったり。覗いてみたらなるほど確かに、別の袋に肝が入れてあります。これをお醤油で溶いて食べると絶妙においしいのね。
秋から冬の方がおいしいんだけど、夏のカワハギも食べ方があってね、と色々と教えてくれるので助かります。
他にもね。
「お狐ちゃん、こないだはうちのばあちゃんの面倒みてくれてありがと!」
「あ、どうも」
八百屋さんに挨拶されて頭を下げる。
「彼氏さんかい。いやあ、あんたいい彼女もったねえ! うちのばあちゃん、助けてもらってさあ!」
「あたしはいいっていったんだけどね」
奥の椅子に腰掛けてえびす顔で商売を見守るおばあちゃんの一言に苦笑い。
あのおばあちゃん、毎日朝と夕方前に散歩してるの。こないだは足を挫いちゃってたので、負ぶって八百屋さんに連れて行ったんだよ。
中学生時代に癖がついちゃって、困っている人がいたら声を掛けずにはいられないのです。
まあ手を貸そうとしたら最初は嫌がられたんだけどね。年寄り扱いすんな! って。でも痛そうだったから背負ったの。
「その後お加減大丈夫そうです?」
「本人は大丈夫っていうけど、あんまり心配だからあれこれ言ってたらさ。そんなに気にするなら温泉にでも連れてけ、そしたら治るわって言われちまったよ」
「楽しみにしてるよ、熱海」
「これだよ、やんなっちゃうね」
困った困った、稼がなきゃねえ! なんて笑いながら、あれこれと見繕ってまとめてくれるの。
「今日のおすすめ、持ってって」
「い、いえ、さすがにお代は払いますので」
「いいのいいの。なんかお狐ちゃん来てから、妙にお客さんが来るようになってありがたいんだから! 持ってって! そんで宣伝しといて! 近所の気合い入った農家さんのおもしろ野菜、特別な野菜やまほどあるってさ!」
「あ、あはは……じゃ、じゃあいただいていきます」
頭を下げて素直にいただく。
東京だけに田舎と比べると規模はすごく小さいけど、それでも畑はちらほらとあるの。
そういうところで気合い入れて趣味に没頭するように農業やってる人がいて、あんまり出回ってないようなおもしろ野菜とかを作ってるんだよね。
この八百屋さんはそういうのを回してくれるの。いっつも簡単レシピを印字したコピー用紙を入れてくれるので、これも地味にありがたいです。
こうして回っていると、まあ両手が重たくなるくらいのものをとびきり安くもらえちゃうので、ありがたいやら申し訳ないやらです。カナタが一緒だと荷物を持ってくれるのも助かる。いつもついてきてもらうの大変だから、一人で来ることの方が多いんだけどね。
そんな私が歩いていると、海外から来てふらふら歩いている人とかが写真撮ってもいい? それどこで買ったの? って拙い日本語とか、母国語で話しかけてくるの。
今日も、
「Hi, Fox!」
「はーい!」
眼鏡の白人のお兄さんに挨拶されて手を振り返す。
「知り合いか?」
「昨日買い出しに出た時に写真撮ってもいい? って言われた人で――」
ナマステ! ってカレー屋の前に立つ呼び込みのインド人のお兄さんに挨拶されて手を振り返す。最初は戸惑ったよ? でも今ではすっかり慣れっこだ。
最初はなにいってるのかわかりません! という顔でいたよ。そりゃあね。
だけど、商店街の人たちってすごいの。
海外から来た人に対応できるようにいろんな外国語を勉強してるんだよね。通訳してもらって、どうぞどうぞ写真なんていくらでもーとか、お店はどこそこがいいですよーって話をしていたら、なんとなく相手が何を望んでるのかわかるようになってきたの。
それに来日インド人さんがやってるカレー屋さんをはじめ、いろんなお店が商店街にはあるからさ。分け隔てなく明るく素直にお話したりしてたら、すっかり慣れたの。
それに最近、どんどん海外から来た人増えてるんだよね。なんでだろう? いろんな人種の人から声を掛けられるよ。
今日もお店の宣伝しつつ写真撮られつつ回って、商店街を出たときです。
荷物をたくさん持ってくれたカナタに「ハル」って呼ばれたの。
「なあに?」
「商店街のお前は……言うなればちょっとしたアイドルだと思うんだ」
「んん……そうかな? 尻尾が生えてるから珍しいだけじゃない?」
実際、大勢に聞かれるよね。
なんで尻尾生えてるの? それってコスプレかなにか? って。
違うんです、侍なんです。特別な力で生えてる本物なんですよって説明するのも慣れたよ。
そしたらついたあだ名がお狐ちゃん。
まるで神社にいる神さまみたいに扱われ始めてるよね。さっきの八百屋さんなんかもろに言ってたし。
「私がお店のもの食べてると宣伝になるからって、色々もらうことも増えたけど」
私にはその効果の程はまったくわかりません。
「商魂たくましいから利用されてるだけじゃないかな」
「いや……だとしたら八百屋さんのおばあさんは?」
「困ってたから助けただけだよ。最初はいい! 自分で歩ける! って怒られたんだよね」
お店にいる時はえびす顔だけど、結構気が強い人なんですよ。八百屋さんが言ってたけど、温泉連れてけって怒り返すくらい元気に溢れた人でもあります。
「でも、案内したんだろ?」
「まーねー」
細かいエピソードは特に語らない。だってなにげない日常は一分一秒ごとに積み重なっていく。私にとっては当たり前のできごとたちだ。
「歩きがてらでいい、少し話が聞きたいんだ」
「なんの?」
「……お前のなにげない時間の一つ一つを教えて欲しい」
「カナタにはいつも話してるような気がするけど……そ、そんなに真剣な顔して言われたら、断れないかも」
じっと見つめるカナタの熱に私はすぐに白旗を振って、家を目指しながら口を開いたのでした。
「何から話そうかな……何が聞きたい?」
「最初から、あんなにフレンドリーだったのか? 活気のある商店街だとは昔から思っていたが……お前のモテっぷりは、客だから、というだけじゃない気がする」
「んー、そうだなあ」
思い出すのは、商店街に通い始めて一週間が過ぎた頃だろうか。
「ちっちゃい男の子……幼稚園児くらい? と一緒にいたお母さんと、肉屋さんで鉢合わせたの。私の尻尾を見てそっと距離を取ろうとしたお母さんと違って、男の子が言ったの」
なんでこのお姉ちゃん尻尾があるの? って。
これまでも子供に会うとたびたび言われた言葉です。
「しぃって。失礼でしょって怒ろうとしたんだと思うの。でもお母さんがなにかを言う前に、お肉屋さんの若いお兄さんが私に聞いてきたんだよ。それ本物なんすか? って」
「それは……凄い空気になってそうだな」
「あそこのお兄さん、大学中退してお父さんに無理矢理手伝わされてるんだけど、気さくないい人で。本物ですよーって言ったら、まじっすか! って目をまん丸くしてさ。お母さんも思わず私の尻尾をまじまじ見るわけ」
カナタの言うとおり、すごい空気だったことは間違いないね。
「どうしようかなーと思った時、男の子がいつのまにか私の後ろに回っててさ。尻尾をぎゅって掴んだの。すっごい力でびっくりして飛び上がったし、尻尾もぶわって膨らんだの」
「……悲鳴をあげられなかったか?」
「お母さんはそんな雰囲気だしてたけど、お兄さんがそれよりおっきな声で叫ぶわけ。すげええええ! って。そしたらどんどん人が集まって来ちゃってさ」
今思い返しても恥ずかしいのですが。
「近くのお店の人とかも来て、ずっと気になってたんだよね、触ってみてもいい? とか言い始めて。みんな見てて、しかも期待と不安の目で見てるの。どうせなら期待に応えて不安を消したいじゃない?」
「まあ、そうだな」
頷くカナタに言うの。
「だからどうぞどうぞって言ったの。色んな人が尻尾に触って、おお、とか、すごい、とか言って。すごい騒ぎになっちゃって。そしたら見かねたお肉屋さんのご主人が、息子が迷惑をかけたお詫びにって唐揚げをくれたの。そしたらうちもうちも、っていろんなお店の人がいろいろくれたの」
抱えきれないくらいのもらいものをもらったんですよ。
「持ち帰れそうにないからその場でもしゃもしゃ食べてたら……あ、そんな目で見ないでよ。私だって立ち食い恥ずかしいなあ、くらい思うんだから」
「何も言ってないから。それで?」
「そしたら海外から来た観光客の人が写真撮ってもいい? って。さっきの眼鏡の白人さん。なんか日本の文化が好きなんだって。狐の生えた女子高生に神秘性を感じるあたり、私はあの人すっごいオタクなんじゃないかなって思うんだけど」
「……それで、他の外人からも写真を撮ってもいいか聞かれるようになったのか?」
「んー。ついでに、今食べてるのなにかって聞かれたから答えてたら、それが宣伝になっちゃったみたい? アップしてもいい? って聞かれて、その時訳してくれたお肉屋のおにーさんが、ぜひぜひ宣伝になるからお願い! っていうので、いいよいいよって言ったの」
「道理で……待て、赤信号だ。ちょうどいい」
なにがちょうどいいんだろう、と思いつつ立ち止まる。
すると荷物を置いたカナタがスマホを出して画面を見せてくれたの。
そこには私もよく使うSNSアプリの呟きが表示されていました。添付された写真には……あれ?
「私がうつってる……っ!」
「Amazing Foxだそうだ。検索してみたら海外の日本文化コミュニティで話題になってる」
「ええええ!」
そんなんまるで知りませんでしたけど!
「活気が出るわけだ。気づかなかったか?」
「まったく気づく余地もなかったよ……!」
最近増えてんなあ、くらいにしか思ってませんでしたけど!
「青信号だ、行こう」
歩き出すカナタの手からスマホをもぎ取り、今どういう状況になってるのか知りたい!
けどカナタはしれっとポケットにスマホを入れて歩き出しちゃうの。
「あ、あのあの」
「商店街の活気に役立ってる。それだけじゃない。お前が中学時代に抱いた決意は確かに、誰かの役に立っている」
「そ、それはどうも。黒歴史の真実って、じゃあそれを言いたかったの? 黒歴史なんかじゃない、私の行いと考えは誰かのためになるんだよって言いたくて?」
「現にそうだろう。それにみんな、お前が好きそうだ。モテまくりじゃないか。俺も、自慢の彼女だと誇らしいぞ」
「う、嬉しいんだけどさ。それは嬉しいんだけど。待って。お願い、待って」
い、いい話風に持って行っているところわるいんだけど……!
「ど、どういう話題なの? 待って、整理させて。え、ちょっとアップされて、彼のフォロワーがちょろっと見て、うわ獣耳に尻尾かよぷすーって笑って終わりじゃなくて?」
「日本すげえ、やべえ、俺も私も行かないと、というノリだな。あと、ファンタジーが向こうからやってきやがった、というのもあった」
「い、いやいや! そこまで大層なものじゃないですよ! それにタマちゃんに比べたら神秘性もなにもかも、私なんて比べるまでもないし!」
そう思った時、叱るような気持ちが私の頭の中でがつんと響いた。
『たわけ! 自分に自信がないのもいい加減にせんか! そこまでいくともう嫌味じゃぞ! 今後厳禁じゃ!』
う……。
『お主の心のありようが外面に現われたのじゃ。日々お主が寝ている間に妾がこっそりとレーニングして、身体も磨いておる』
いつの間に……!
『認めろ、とはいわん。じゃがな。カナタが恋し愛するに足る魅力を持つ意思を抱け。そなたが自分を卑下することは、そなたを愛する者の評価もまた貶めるのじゃ!』
……それは、そうかも。
『それでも困るなら、照れるというのなら、はにかみ笑っておけ。その方がまだかわいげがあるわ』
な、なんかすみません……! いつも残念で申し訳ないです……!
「ハル」
「は、はい!」
カナタの呼びかけに思わずびくんとする私です。
「……明日から俺も一緒に行く。毎日、一緒に商店街へ行くから」
あれ。
……あれ?
「早く帰るぞ」
「待って」
あわてて隣に並んでカナタの顔を見る。
赤い。ほっぺたが赤いよ! これはもしかして……もしかして?
「妬いてるの?」
「……それは」
言うべきか言わざるべきか悩む瞳が私を捉えて、俯いた。
「思っていた以上に好かれていたから、不安になった。妬いてもいる。なぜ男から写真を撮ろうと誘われて応えているんだ、とも思った」
「……なのに、私が思うほど黒歴史は悪くないって伝えるために、商店街に連れてきてくれたの?」
「きっと……ハルの力になると思ったから」
カナタ……!
「それに」
な、なんだろう。どきどきしながら続きを待つ私に、カナタは微笑むの。
「ハルが多くの人に好かれるのは、やっぱり嬉しいよ」
「――っ」
耐えきれなくて、でもどうにかしたくて抱きついた。
ずるい。この人はずるすぎる。私の心をくすぐって、揺さぶって、どんどん好きに近づけていく。
私に向かってはにかむと、カナタは呟くの。
「でもやっぱり心配だから、明日からは絶対に一緒に行くからな」
「大歓迎ですよ!」
こんなに嬉しい帰り道が増えるなら、それは楽しみでしかないもの!
「よし、じゃあ……朗読会の準備を考えないとな」
「あっ」
しまった……朗読会がありましたね!
なんてこった! どうしよう! と、とりあえず……晩ご飯を食べてからでもいいですか?
つづく。




