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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百五話

 



 ここでちょっと、本気を出して依存について考えてみたい。

 遊動民だった頃、人は個人か、少ない集団で行動していたっぽい。

 仮に足を怪我したら? 風邪を引いたら?

 治療法はなんだったろう。

 寒さに震えているときには、だれかのひと肌か、はたまた起こした火の熱か。

 傷なら、傷口を覆える葉っぱか。香りがすうすうする葉っぱをすりつぶして、押し当てる?

 いまなら、どう?

 包帯、消毒できるもの、湿潤パッド。それを作る行為に関わるすべて。それを作るために必要な知識と技術すべて。それを流通させるために必要なすべて。

 仮に包帯ひとつとっても、依存先が一気に増える。

 それは風邪の治療でも大差ない。

 遊動民時代の知識だって依存の対象だし? 風邪薬を作るうえで必要な知識と蓄積のすべてだって、依存の対象だ。端的に言っちゃえば、後者のほうが、より依存する対象が増える。

 製造する際に利用する機材ひとつとっても、その機材の材料をとる人はこぶ人、そこで使われる機材。どんどん先へと進んで、広がっていく。増えていく。依存先が。

 そうでなくても、空気がなければ困るし、食べるものがなければ困る。

 遊動民時代に比べて、定住するようになり、社会形成が複雑化され、あらゆる知識や技術が生まれ、育まれていくにつれて? 依存の数が増える。繋がりもまた、増えていく。

 お金の話をここに導入すると?

 繋がりが増えると、そこに費用が生じるとき、馬鹿にならない費用になったらいやなので、省くための手段はないかというアプローチとして、機械化を歓迎する人たちがいる。コストを下げられることを、まるで神話のようにありがたがって語るのだ。

 仕事に関わる人を減らすとして、生まれる人が増える限り、仕事に需要はある。高まり続ける。労働の数がもたなかったらどうしよう!? 破綻しちゃうと!? 大失業時代の訪れ! なんて流れで、SFのディストピアものに失業が取り入れられるのかな。

 なぞ!

 毎月、一万円から二万円くらい、好きに洋服が買えたら? ほかに必要なものを我慢することなくさ。自由に気ままに過ごすくらいのお金の運用でいて、さらにそれくらい、お金が使えたら?

 フリマアプリを使う? オンラインで買う? お店に行って試着を楽しんじゃう?

 安ければ安いほど、いい?

 じゃあ品質と値段の関連については、どう?

 安くていいものと、高くていいものがあってさ?

 ひとまず後者の服を、気まぐれ程度で月に一着二着好きに買えるとしたら、どっちを選ぶ?

 五キロで百円の謎のお米と、五キロで二千円のよく聞く品種のお米と、五キロで四千円のうまいと評判の品種のお米だったら、どう?

 お金がないときに選ぶもの。

 お米にお金つかっても痛くも痒くもないときに選ぶもの。

 それとは別に、おいしそうなもの。

 このみっつの問いに対する答えは同じになる?

 前提として、値段はどうやって決まるのか、高いとしたらそれはどういう理由によるものなのか、知識はある? あるいは購入先と製造元の間に、どれだけの仲介先があるのか想像はできる?

 仲介先を中間業者とし、ただ次の業者に渡すだけだとして、そこには費用が生じているけど、無駄とみる? そういう人たちにも生活があるとみる?

 逆にもし「よそで買ったら五千円しますけど、うちなら四千円っすよ」というお店がいたり、ネットショップがあったりしたとき、それはなぜか、どれだけ想定を並べられる?

 それはどれだけの精度があるのかな? 実態をどれだけ知っているのかな?

 わからね~!

 実は現状を知るのも、依存を伴う。

 それは遊動民時代に「転んでぶつけた? まかせな!」っていう自称治癒師がいて、草をすりつぶしているとき、その草がなぜいいのかという説明と、実態の解明においても、ね?

 人の行動が必要不可欠。失敗もそう。成功は失敗に依存するものだからね。

 そして、依存の繋がり、先別れする道の踏破数が少ないと?

 わからね~! けど、たぶんこれっぽい?

 みたいな又聞きの又聞き情報や、たくさんの前提から抽出したひとつぶの結論の、さらに上澄みなんかを「これ」として扱う。

 それはとてもやさしい、もとい。易しい情報だ。

 情報は、けれど、正しいかどうかの属性を持たない。なぜなら、正しさは枠組みによって評価が変わる。そして枠組みはわりと人の都合でごちゃごちゃしているし、変わりやすいもの。

 そこで欲しいのは、移り変わりやすい枠組みに揺さぶられてもどっしりと構えたまま、自分で思考し、検討し、評価できる方法。

 それって端的に言うと、情報と情報の組み合わせによって、どれほど変化するかのイメージができるかどうかとか。自分の思いもよらない変化、知らない可能性があるかもという前提をおくこと。たどれる情報が、どれだけあるのかな? とか、この分野だと最低限、これくらいは知っておきたいな? という目端が利くかどうか、とか。もうね、やまほどありそう。

 依存の筋に戻っていうのなら、依存先の見当がつくかどうかだし?

 自分が消化し解決できる依存先目的地が、どれだけあるかって話でもある。

 このへんの仕組みを、お金の話を取り入れてするにはまだ、私は経済について知らないことだらけ。

 なんだっけ。

 まんきゅー? けいざいがく? っていう本がオススメなんだって、愛生先輩に教えてもらったんだけどさ。スマホでさくっと検索したら、えげつない分厚さなんですけど。ねえ。

 も、もうちょっと易しいところから入りたいぞ?

 漫画ありの本からはいろっかな! ただでさえ育児本とか心理学の本とか、分厚いので頭がくらくらしてるんだもの。

 易しさは手段だ。活用したいタイミングはあるぞ?

 なので依存するターンがある。

 じゃあさ?

 もっと一般的に依存って単語にもつイメージって、どんなの?

 あんまりよくないイメージなんじゃないかなあ。

 おんぶにだっこ、やる気がないけどやらなきゃいけないからやれよぉって暴力的にだれかにのしかかる~とか。あるいは病的にだれかに執着して、挙げ句の果てにはストーキングしちゃうとか?

 そういうイメージを先に思い浮かべていた。

 実際に大辞林で依存を調べてみるとね?


『他のものにたよって成立・存在すること』


 こう書いてある。

 ちなみに新明解国語辞典だとね?


『力のある他の人や物によりかかることによって、生活(存在)が成り立つこと』


 とがってるねえ! だいぶ! 新明解はキレッキレな解説が多い気がする。

 たよる、よりかかる。このあたりが両者の違いかな?

 私が頻用するのは大辞林の意味。だけど一般的には新明解の意味のほうが、連想されがちな気がする。

 個人的には、ここに大きな隔たりがある。どちらがどうというわけではなくね?

 現代社会は、基本として他のものにたよって成立・存在することだらけだ。まみれてる。そうでないもののほうが珍しい。遊動民時代でさえ、世界にあふれる自然に大きく依存している。定住スタイルに切りかわった頃でも同じだ。

 植物も動物も繁殖において依存するし? 植物は雨風や土の栄養に。動物は食糧となるものに、依存している。

 ありふれた、当たり前のものとして、依存は命を繋ぐもの。

 他にもいろんなものを繋げる。

 命だけじゃないんだ。繋げるのは。

 ときにそれはひどく暴力的になる。

 たとえばね?

 おうちで力で抑圧されて傷つけられている子が、外で力でだれかを抑圧し傷つけることで、自分を保つ術にする。このとき、力で抑圧するだれかが依存先になる。

 良い悪いのジャッジをするために持ち出した例えじゃない。

 この子に抑圧し傷つけられている子の視点で言ったら、問題なのはだれ? まず相手だ。相手の家の事情なんかわからない。知らない。また察する必要性も義務もなにもない。

 いじめ、ううん。暴力を振るう子が、そのまま成長して、中学や高校生になってクラスの仲間と陰湿な暴力をはじめたら? やがて大人になって、会社で暴力を振るったら? 結婚した相手に、生まれたこどもに、と。繋がっていく。

 暴力を振るう行為によって達成されることになった、依存。

 それはどちらかというと新明解の意味に近い。

 改めて引用文をもってくるとね?


『力のある他の人や物によりかかることによって、生活(存在)が成り立つこと』


 だけど、実感からはすこしずれている。なので、私の言葉で変えてみるとさ?


『力を行使することによって、生活(存在)が成り立つこと』


 前半部分を変えた。

 あるいは、こうも書けるかもしれない。


『力のない人や物によりかかることによって、生活(存在)が成り立つこと』

『力を振るえば従う人や物によりかかることによって、生活(存在)が成り立つこと』


 ニュアンスがむずかしいけど、こういう構図になっている依存も、世の中にはある。

 もっと具体的に書くと、こういうのはどう?


『怒りや不満などのストレスを暴力で発散することによって、生活(存在)が成り立つこと』


 ここで暴力とはなにかを思い出す。

 大辞林によれば?


『乱暴な力。無法な力』

『物理的強制力を行使すること。特に、それにより身体などに苦痛を与えること』


 ううん! かゆいところに手が届かないね!

 ハラスメントは?


『いやがらせ』


 なら、いやがらせは?


『相手の嫌がることをわざとしたり言ったりして困らせること』


 そりゃあ日本はハラスメントまみれになるわけだよ!

 ここでキレッキレな新明解だと、どうなるかな。

 暴力からたどってみよう。


『たいした理由も無いのに人を殴ったり反対意見をおおぜいの力で抑圧したりするような、乱暴な行為』


 ううん! もどかしいね!

 ハラスメントは?


『(harassment=悩ませること)何らかの方法で当人に苦痛を与えるようなことをすること。また、その苦痛』


 大辞林よりも踏みこんだ表現になっているね?

 ちなみにいやがらせはどうかな?


『人がいやだと思うことを、わざとしたり言ったりすること』


 これは大辞林よりも、むしろ控えめな印象だ。

 控えめだろうと正当化はされない。

 けどね。

 そんなにひどくないのだからいいだろう、と。

 そうなっちゃう人も、いるのかもしれない。

 そのとき、いったいどれだけ、その人の暴力を事前に止める術があるだろう。

 思いつく?

 私にはひとつもない。

 暴力については世界中、あらゆる場所で取り組まれているテーマだ。

 ドメスティックバイオレンス、DVなんかは、そのうちのひとつだ。

 DVについては日本の省庁、役所のホームページでも発信がなされている。

 そこでは暴力はいろんな種類があること、いろんな暴力が重なるケースがあることを周知している。

 いわく、身体的暴力。精神的暴力。社会的暴力に、経済的暴力。性的暴力に、こどもを巻き込んだ暴力。

 ただし、DV要件を軸に発信しているページにおいてはDVのくくり、日本だと「配偶者や恋人など親密な関係にある、又はあった者から振るわれる暴力」として語られている。

 なので学校内や社会における殴る蹴る以外の暴力について、まだまだ積極的に認知されているとは言えないのかもしれない。

 組織の中枢にはいまもまだまだ、おじさん率が激しく高い。そして、おじさん率の高い場所だと「なんでもかんでもハラスメントっていわれたら、なにもいえないじゃないか」で済まされちゃったら? そもそも、被害に気づき、問題だと知ることができる、ちゃんと学んでいる人がどれだけいるのか。組織が大きくなるほど、動きは鈍くなる。大勢の力が欲しくなる。じゃあ、その大勢は確保できるのか。

 そういう側面があるから、この類いの話は悲惨で厄介だ。

 この現状だと?

 私の想定したやべえ依存は止まらない。

 列挙するね? あ、後半はぜんぶ一緒だから、そこは省略しよう。


『力のない人や物によりかかり、力を振るえば従う人や物を利用し、力を行使して、怒りや不満などのストレスを暴力で発散することによって、生活(存在)が成り立つこと』


 ここでの暴力の要件とは、いったいなに?

 大辞林や新明解における暴力の内容?

 ううん、ちがう。


『身体的暴力。精神的暴力。社会的暴力に、経済的暴力。性的暴力や、家族を巻き込んだ暴力』


 もちろん、こちらだ。

 マフィアが得意そうだね?

 やべえ国のやべえ警察や自警団なんかも得意だろうなあ。

 ブラック企業も、あるいはクラスで徒党を組んでだれかに暴力を振るう人も得意だろう。

 家庭内でも起こりえるだろうし?

 企業間でも起こりえるよね。

 これを仮に暴力依存と呼ぶとしてさ?

 ありふれているようであり、蔓延しているようであり。

 現実的に解消する術がないようであり?

 案外、砂漠で水を求めるような生活をしている人、数少なく干上がりそうな水を取り囲む集団や組織って、ざらにあるような気がする。

 それか逆に「お前、水が当たり前にあると思うなよ? おぉん!?」とか?

 こっちのほうが、呟きアプリをぼけーっと見ているときに見つけやすいテンション感。

 それは、けど「みんなで水を」を遠ざける。

 好ましくない方向性だ。なにより、暴力依存を許容したら過剰になっていくだけ。

 それは? 止めるべきだし、正すべきだ。

 事務所に行くと、みんなきついテンション感?

 そうでもないよ。

 ただ、テレビのお仕事だと、目をギラッギラにして「あの水を、すべて取る」と身体を膨らませている人を見かけることもある。

 社会に浸透していたり、当たり前のように蔓延していたら、是非はさておき、いまはやむなしとなりやすい気がするし? 明らかになった暴力依存には、みんなして「それは許さず!」と声があがりやすい気がする。

 日本だと、どうだろ。

 昔にさかのぼって、無茶な税を求める無茶な幕府に一揆を起こす感じかな。

 産業を行なう者が飢餓する状況になることを考慮せず、労働従事者とその家族の生活を圧迫し、果てに飢餓が起こりえるほど取り立てるもの。

 飢餓輸出という形で、他の国で悲惨な飢饉を起こしたこともあるみたい。

 より大きな優越的立場にある組織のお金のため、そこで生きる人たちの食糧よりも多くを取り上げる。

 その場その場における暴力の度合いが刺激的でないほど、連鎖しやすく。ゆるやかに広めていくほど、強化しやすい。

 反抗する力がなくなるように仕向けていく。

 あるいは、その必要さえ感じさせないようにする。

 暴君たちによる、暴君たちのための、暴力依存の成立を目指す文脈は、明らかに存在する。

 伊藤計劃さんの虐殺器官って、着想はそのあたりなのかなーなんて邪推しちゃうくらいだ。

 それはひどく問題で、痛みを増やし、傷を与え、悲劇を量産するだけだから?

 取り組みに時間を注ぐ人が増えていく気がするんだ。

 恋人だから、パートナーだからと同意も得ずにセックスするのもアウト。こどもがむかついたから、押し入れに閉じ込めたり、ベランダに出して閉じ込めたりするのもアウト。相手がちょうど下請けだから、相手の依頼書もはねつけて罵倒したり、人格否定するのもアウトだし? 容姿や特徴をなじり、相手を貶めるのもまたアウト。

 そうはいっても、止まるわけじゃない。

 なくなるわけでもない。

 平和を! なんて世界一のポップスターが歌っても変わらない。

 だって、そりゃあ、さ。

 私の造語か、妄想している暴力依存みたいな構図になっていたとして、だよ?

 依存する状況が変わらなきゃあ、止まらない。

 欲求や願望が悪いのか。でもそれは豊富な水源からわき出る温泉のように、あふれてくる。止めようとしたって、雑に土かなにかを盛ったって、内部の圧力が増して、やがて外れてあふれてくる。元通りになる。

 人は容易に変わらない。

 欲求や願望の源泉を辿る。繋がりを辿る。手段から辿る。

 大樹を見あげて、見えない幹の中にある年輪を調べるようなもの。

 問いが続きまくる。欲求の点の先を、縦横無尽に反応するものを調べていく。

 神経回路の繋がりを辿るように。

 ひとつずつ旅をするように追いかけていく。道をさかのぼっていく。それは過去への旅だ。自分で自分を育て、救えるように、学んでいく。気づいていく。知っていく。

 丁寧にね? 新宝島への道を辿る。自分というお宝を求めて旅をするの。

 それは忙しい生活をしながら、同時にできることじゃない。

 また、必要不可欠とも思わない。

 どちらかといえば、自分に飾る花を探しに行くようなものだ。

 私は花が必要だと思うけれど、今日飲む水を求めているときの必要さに比べたら、水の優先順位を無視できない。判断基準が増えるほど、人によって差が広がっていく。

 余裕がなくなると本性が出る、みたいに言うけれど。分かれ目は結局、余裕がないときにそばにある花と、いかに自分の渇望を自分で潤してきたかに掛かっているような気がする。水だけじゃ足りない。人生は、水だけじゃ足りない。

 愛情を求めて、体温に依存する。

 相手の意志など関係なく、性的行為に及び、自らを癒やす。

 それは性的な暴力依存なのだと思う。

 たまに見るタマちゃんの夢の悲哀に思いを馳せる。

 自分の安心を得るために、暴力依存を行なうこともある。

 それこそ遊動民時代に恐ろしい獣がそばにいたら? 狩るか狩られるか、あるいは逃げるのか。選ばなければならない。けれど、サバンナで生活してますってわけじゃあないので、いまのところ安心が脅かされるとしたら、うちにでる虫くらいのもの。

 安心を得るために、殺虫剤を使う。

 追い出してもいい。あるいは気にしないという選択肢もある。

 けれど、ぎょっとする虫だと、そうもいかない。

 なるべく退治したい。じゃないと、安心して眠れない。

 クラスでいやな人がいて、どうしても関わらなきゃいけないとしたら? そういう時間が過ぎてやっと安心できる。つかの間のことかもしれないけれど。

 でもそれが親だったら? 新しく生まれた弟や妹だったら、どう? それか、親の新しい恋人でもいいし、きらいで仕方ない家庭教師でもいい。

 私たちは安心を、どう得るだろう。

 基地の安全を保障するために、なにを求めるのかな?

 どこまでするのだろう。

 虐殺器官だと、痛みや恐怖、怒りや悲しみを感じないようにするために処理された兵士たちが活動していた。主人公の同僚は下半身を失って、大量に出血し、内臓が飛び出た状態で、ライフルを連射して笑っていた。笑顔のままで死んでいった。

 私たちは安心のために、なにを、どこまで犠牲にしていくのかな?

 そのとき私たちに対して、いったいだれが、どんな暴力依存をしているのかな?

 ありとあらゆる場面、ありとあらゆる関係性において、それは起こりえるもの。

 やめろ、自分を変えろ、自己責任では止まらない。直らないし、治らない。

 暴力依存を行ないたい人にとって、自己責任と唱えるのは非常に都合が良い。勝手のいい言葉だ。使いやすい。易しいもの。

 じゃあ、それを回避するために、いったいなにができるだろう。

 花だ。旅だ。

 けれど、それだけじゃ足りない。

 繋がりを辿る。ああ花だ、で済ませてはいけない。その花が、だれかに根をつけた暴力依存で咲いていたら? だめだ。それじゃあ。

 育自放棄も、育ぷち放棄も、ネグレクト。それは暴力依存の類い。

 依存は必然。でも暴力依存はまずい。

 じゃあ、後者ではなく前者にするには、どうするの?

 どうやればいいのかな。

 わっかんねー!

 むずかしすぎません?

 歩みを止めないことしか思いつかないの。

 疲れたら休むことしか思いつかないしさ?

 自分で咲かせられる花を増やすことや、暴力など伴わず、あるいはそうならないよう気をつけて、好きな人とダンスをするように、歌うように過ごすことしか浮かばない。

 それじゃ足りないよなー。

 いますぐ水が必要なときにはさ。

 なにが必要なんだろう。それはどうやって満たせばいいのかな?

 あるいはどう満たしたらまずくて、どれくらい別のことで代替できるのかな?

 どれほど気づけるかな。

 どれほど学んでいけるだろう。

 どれほど思いつくのかな?

 どれほどやってみれるだろう。

 ひとりでは足りない。できないことだらけ。

 だから出会えた人と手を繋げたり、一緒に笑えたらいい。もちろん、暴力の入り込む余地なくね?

 みんなで。暴力依存をしないで済むように。

 そのためにルールを作って遊ぶのかもね? そしてときにはルールに囚われず、柔軟に知恵を出しあうのかも知れないね?

 私にクリアできる条件は、どれほどあるだろう。

 ぷちたちの今日のお叱りの置くにある、これまで感じてきたであろうさみしさを癒やす術は?

 これひとつで解決、わお便利! なんてのは、見つからないなあ。

 時間がかかったことほど、もっとたくさんの時間がかかりません?

 いまこれがやばい、となると、急いで解決したくなる。そういうときほど隙だらけになる。

 だから学んでいる。けど、でも、時間がかかって私は気づかなかったから、こつこつ学んで、やってと繰り返している状態で、自然と気づけるようになるまで時間がかかりそうだ。

 豊かな水源を得る、という、いますぐお水を得るのとはちがうアプローチを目指すなら? 基本的には時間がかかるし、時間をかける。

 このとき、水は愛情と言い換えてもいい。愛し方でもいいしさ? いっしょに遊ぶ時間でもいい。

 依存について、考える。

 私は大辞林の引用がいい。


『他のものにたよって成立・存在すること』


 ぷちたちと過ごすにはね?

 ぷちたちにたよらなきゃ、成立しない。

 一緒じゃなきゃ、そこに私たちの心は生まれないし、育まれない。

 たよってる。

 そのわりに、たよりかたを私は知らない。

 ぷちたちも、たぶん知らない。

 でも、一緒じゃなきゃ、存在しようがない。ぷちたちとの時間。私の世界のぷち、ぷちたちにとっての私。どちらもね?

 それがお互いにとって、心地よいものになるようにする。

 そう考えるのなら?

 いまはまだ、クリアできないこともある。

 けれど、すこしずつ条件が見えてくる気がするんだ。

 立ち去る愛生先輩を見送る。祭りに誘われたけど、私はぷちたちが自然に起きるのを待つことにしたから、部屋の入り口で踵を返す。

 寝ている子たちの顔を見る。時間が過ぎて、寝顔はさまざま。

 ついつい、いろいろあったけど、この子たちに会えて、いま報われてる気がしてきちゃう。

 ちがう。そうじゃない。

 私のあれこれを、この子たちに押しつけちゃいけない。

 自分を育てることにめいっぱい、夢中になってもらえたらいい。自分で挑戦して、自分で失敗して、自分でたくさんのことを学んでいってくれたら。これも私の欲目。私の気持ち。私の中にあるもの。

 ちがう存在。私とはちがう、たくさんの命。

 そばにいるのはすべて私のため? ちがう。

 私に見えるのは、私の中にある依存の条件だけ。

 この子たちの中にある依存の条件は、この子たちの中にしかない。

 易しさは手段。

 けれど、それを目的にして、すべてを安易に塗りつぶすのは暴力依存のはじまり。

 そこに対話がないのは、ひとつの指標になる気がする。

 ただ、判断するにはまだ早い。なにせ学びが足りないにも程がありすぎて危ういので! そこは自覚的に学んでいこう。

 依存はするし、してしまうものだし、必要不可欠なものでもあるけれど、同時に危うい依存もまた多く存在しているから要注意。

 いのちあらばあふ世もあらむ世の中になど死ぬばかり思ふこころぞ。

 会いたくて死にそうな気分になっちゃう人がいたとして、そういう人が心の中にいる状態で、相手に障らず、暴力依存をせず、留まって、自分を癒やす水や花を補給してさ?

 相手が望まないとして、受け入れて先に進める自分に育てていく。

 そうしてやっと、相手の存在を感じる喜びにこそ、夢中になれる気がするの。

 ぷちたちに対しては、どうだろう。

 カナタに対しては?

 私に対してなら、どうかな。

 好きと思うだけなら、ひとりでいられる。

 触れるのも、熱を感じるのも、触れてもらうのも、抱き締めてもらうのも、声を聞くのも、話すのも。ぜんぶ、あなたがそばにいるとできること。

 あなたがそばにいることをたよりに、できること。

 あなたがそうしたいと願う気持ちを、心をたよりに、初めてできること。

 危うくて繊細な恋慕は、波打ち際に記す恋文のように消えてしまいそう。

 たまに、波にさらわれたほうがいいような気さえする。

 あなたの、あなたたちの気持ちに足りる私でいますか?

 クリスマスを心から楽しめるのは、クリスマスなんかいらないくらい、とにかく笑えちゃう毎日に育ててからじゃないかと不安になるよ。

 気持ちが急くほど、愛のかたまりが欲しくなる。

 それを自分で作るとしたら、私はどれほどのことができるかな?

 計画を立てよう。

 やってみるんだ。

 ひとつずつ、花を咲かせるよ。

 枯れた花の世話をして、咲いて嬉しい花は種が増えるように努めて。

 かたまりになるには時間がかかるかもしれないけど、増やしていくよ。


「いっぱい待たせてごめんね」


 みんなの寝顔を見守りながら、息を吐く。

 いますぐ会いにきて思いきり抱き締めてくれたらなあとカナタに勝手に期待するのに、もうすこし待ったをかける。

 たまに廊下を通り過ぎる足音が聞こえては、そのたびに期待しては、外して。

 暮れていくのに、祭りの提灯の明かりが華やかに窓の外を飾るので寂しくない。

 会いたくてたまらない気持ちを楽しむ術がなにかはまだしらないけれど、いないから期待する自分の心の幼さに気づいて、それが楽しかったりしてさ。

 あとは、これで来てくれたら言うことないんだけどな?

 そんなことを思って笑っていたら、恐る恐る扉が開いた。

 見ると、期待していた人の顔が申し訳なさそうに私を見ていた。

 なにを言うんだろう。

 めいっぱい想像した。どれか当たるかと。


「あ、あのさ。春灯、その……俺のパンツ、知らない?」


 知るわけないじゃん! そんなのさあ!


「どしたの」

「スーツ作るときに、破けちゃって」


 あ。そうなんだ?

 予想どおりやらかしちゃったんだね!


「島の宿に泊まるときにつくった荷物に替えが見つからなくて。どこしまったっけ。ほ、ほら、前に洗濯したの春灯だったろ? 寮の箪笥にまだあると思うんだけど、知らない?」


 これだよ!


「いつもの場所だってば」

「ええっ!? ないよ?」

「洗い物ためちゃったせいなんじゃない?」

「う、やっぱりそうなるかあ。いまノーパンなんですけど」


 あまりにも心許なさげに言うので「しらねえよ!」って言葉はぐっと飲みこみましたとも!

 代わりに「買ってきたら?」って言っといたよ?

 予想外だね!

 まさか、こうくるとはね!

 私の中にない裏切りをされるのも、刺激的で好きだ。

 ただ、こういうんじゃあないんだけどね?

 抜けてる残念さがしょうもなくて笑っちゃった。

 それくらいがいい。あとノーパンは問題。




 つづく!

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