第千七百三話
どんどん日が暮れていく中、愛生先輩に事情を話した。
いま考えていることも。あたためている案も。
短歌ねえ、と愛生先輩が腕を組む。
「恋に愛に軸足ごといっちゃってる人の歌なら、私も好きだなあ。現代だと鏡みてから言えって突っ込まれそうな類いの歌も、けっこうあるのよ」
「はあ。小野小町とか?」
「彼女は美しいと評判だね。在原業平とか、和泉式部とか? 恋多き人の歌は、重心が、まるごといっている。その素直さが面白いのは、ある」
感動するとか、価値があるとか、そういう歌じゃあない。
愛人を作ったり、愛人になったり。こんな背景がある歌も多い。
わりと俗に思えて、しかも共感できる歌があるところが、実に面白いのだと私は思ってる。
でも、そっかあ。
ごといってる感かあ! あるね! あるある!
「花の色はうつりにけりな、いたづらに。我が身世にふる、ながめせし間に――……」
愛生先輩の詠む歌は有名なものだ。
百人一首に取り上げられた、小野小町の歌だもの。
「すこし前の時期に紫陽花が色づいたでしょ? けれど時が過ぎて梅雨が終わる頃には色褪せる。世の中を眺める自分もまた、花のように褪せていくなんて、なかなか。ね?」
「たしかに」
言えない。言えるわけがない。
それは歌の意味からずれているかもしれない。
いっそ漫画で「私、かわいいじゃん?」って子がいると、一気に「おっ?」と思う。
自覚的でドヤるタイプとは違うんだよね。積極的に主張していくタイプってさ。
容姿はなにかと分かれ目を作る。自分が、ではなくだれかが。それも決まって不愉快な形で。痛みや傷の象徴となるから、なるべく触れたくないし、触れないでおきたい。面倒なネタだから。気づけば自分が分かれ目に利用するようになったり、当たり前にだめなほうへ分けるものになると? もうね。しんどい。かぁなぁり、きつい。
そんな話題を連想しちゃうくらい、しんどさのほうが身近だ。
トウヤが生まれたばかりの頃は、私もだいぶぴりぴりした。
かわいいかわいいって言ってもらえる立場から、追いやられる。大人がこどもに言う言葉。存在を肯定してくれる言葉。それが、遠ざかっていく焦燥感。
でも、そういう自意識とか、時代ごとにある容姿の美醜の価値観とかはさておいて、いい年の取り方みたいなのは絶対的にありそうに思える。
いまの自分と、そうだなあ。五十年後の自分は、どうだろう。
紫陽花の色褪せて朽ちていく無惨な色に、老いていく自分を重ねてしまうという気持ちなら、想像はできる。
老いは行く道、通る道。若さは過ぎてふり返るもの。老いを笑わず、若さをばかにせず。そう問いかけてみせたところで、気持ちが理性で切りかわるというものでもなし。
めげる人に、めげるのやめなって言ったって仕方ない。
「だいぶネガティブな感じ」
「いまだと余裕があるようにも思えるけど。当時の生活からすると、どうだったのかは考えたほうがよさそう」
うんうん、たしかに!
愛生先輩の言葉にうなずく。
もっとも一般的な人たちよりは、もうちょっと余裕のある生活をしてたのではー? なんて邪推もしちゃうけどさ。そういうこっちゃあ、ないよなあ。
生きることって、まずは主観的なものだもの。
「なかなかにうかりしままにやみもせば、忘るるほどになりもしなまし。後拾遺和歌集にのこる和泉式部の歌なんだけどさ」
「それって、あのう」
どういう意味なので?
「憂い苦しみ悲しむ終わりを迎えていたらよかったけれど、そうではないから忘れられなくて困っちゃうよね、という意味ね。恋の歌で」
「おぅ……」
やみもせば、かあ。
なまし! なまし! なましってなんだまし?
たしか、ほにゃららしてしまっただろうにーとか。こうだったらよかったのにー、とか。そういう意味じゃなかったっけ?
ってことは、忘れられることになったらよかったのにーってことかな?
「名前をつけて保存しちゃった恋愛の歌だよね」
「あああ、たしかに」
頭の中にいい思い出のまま留まっていたら?
あるいは焦がれる思いや、願いの宿る恋だったら?
忘れられない。
次の再会や、続きを願うかもしれない。
けれど、なまじ悲劇だのつらすぎることだので終わったわけじゃないぶん、会いにくい。
時間、距離。隔てるものがあると? 増えちゃうほどに、刺激的になる。
その刺激はお互いにとって、好ましいものになるとは限らない。
ますますもって、むずかしい。
あるよなー。あるある。
「だけど未練の歌として見るのも、味がある」
「――……未練です?」
「そ」
未だ先に進まぬ恋のような、未練。
ちなみに未練の意味はさ? 大辞林によれば!
あきらめきれないこと。思いきりの悪いこと。また、そのさま。
まだ熟練していないこと。未熟。
恋の未練なら、諦めきれないことだけになるのかな? どうだろー。自分が未熟ゆえに未練になることもあるんじゃない? 高嶺の花が相手でさ。
未熟ゆえに、未練。あるなあ。たしかにある。
お仕事での未練は多い。ああ、これができたのに! とか。ああ、なんでこんなにできないんだろう! とか。
あきらめきれないことも多い。
思いきり悪くて、先にも後にもいけない状況だって数多くある。
未練は抱えるのが大変だ。それ自体が重たくて、たくさんは抱えていられない。そんな気がしちゃうことがある。気の持ちようだけど、それは思いどおりにならないスイッチが入ったら、どうにもならなくなるからさ? 参っちゃう。
ああ、あれできなかったなあっていう未練もある。愛生先輩に労ってもらって、やっと解放されたばかりの私には身に染みている。
「人にしても、なにかの目的にしても、趣味にしたって、ままならないことがあるでしょう?」
「その未練を、歌に?」
「そういう見方もできるんじゃないかっていう話ね。花が褪せて朽ちることに重なることだって、加齢以外にもあるんじゃないかと考えたら、どう?」
「――……なるほど」
前提を置く。
視点を設定する。
自分の知識や認識を通して、物事を捉える。
偏見が、そこにはある。知っていることも、知らないことも、偏見の土台となる。
自分にない領域に思いを馳せるためには、前提も視点も、自覚的でいたいもの。
「なるほどなあ」
花。咲いて、褪せて、散っていくもの。
種類による。珍しい機会に咲く花もある。人の視点で、だけど。月下美人あたりが有名かな?
けど、樹木の花のように、また咲くものが多くないかな? その植物が元気な限りさ。
紫陽花は、時期を見て選定したほうが、次の花が鮮やかに咲くようになることもあるという。
生きてるなあ。
草木の繁殖のための機能だ。
咲くかどうかは植物によるものだけど、花を咲かせる植物は? 雄花と雌花でちゃんとした種を作り、強く太く繁殖できるようになっていったっていうじゃない?
小学生か中学生の頃にふわふわっと学んだ記憶があるよ?
受粉の仕組み。昆虫を媒介にしたり、種を飛ばしたりしてさ? 逆に来てほしくない昆虫の接近を妨げるべく特定の昆虫以外は受粉ができないよう、複雑な花弁になったりして。
人の視点でみると季節を知らせる綺麗なもの。朽ちゆく姿に人の衰えを重ねてみたりして。あるいは花咲く頃を、青春や恋愛の発芽に重ねてみたりして。
実際には繁殖能力のひとつだ。
人はそこに実質的なものだけじゃなく、意味を作る。
その意味は実態に即しているものばかりじゃない。
けれど、意味が育ち広がるケースも多いよね。
それが花だ。私たちにとってもまた、必要なもの。
飛躍しているし、ここで説明を挟む内容がいくつもあるけれど。
私には思い浮かぶ前提があるし、それを伝えていないから気づきようもない人にとっては、その人にとっての前提で捉える。
花を見て同じことをだれもが正確に感じるわけじゃない。
人それぞれ。
そういう前提で足を止めていて、相手が歌でも視点を変えようとしてない。
もったいないね?
「アポロ十一号は月に行ったっていうのに」
トシさんが好きな歌のフレーズだ。
あんまりトシさんの話をするとカナタが妬いたり拗ねちゃうから言わないけど、私はたくさんの曲を教えてもらっている。私にしてみれば、おおむね懐メロか、世代じゃない歌が多い。
だからなんだ。いい歌もやまほどあるよ?
でさ。
アポロ計画。映画になるし、なってきたし、有名だ。
これに対して「映像はでっちあげ! ぷんすこぷん!」なんて陰謀論さえあるくらい、メジャーな話。
宇宙計画はロケットの性能を競う、世界とのレースだった! なんて話も聞く。
宇宙に人は行ける。まだ数えきれないほどの課題だらけ。でも、ロマンがある。できることが増えることによって得られる可能性は眩く輝き流れる天の川のよう。
地球の周囲に漂うスペースデブリの数が増えすぎて掃除屋さんができる、なんていうプラネテスという漫画と、そのアニメなんかもあってさ?
宇宙に人が進出したら、という花にたくさんの人がやまほどの見方をしてる。ある程度のグラデーションはあって、どこに重きを置くかの違いっていうケースもあるかも。
スペースフィクションだと、エイリアンとかプレデターとか、そうじゃなくてメッセージになったりインターステラーになったり、火星の人かオデッセイになったりするのかな。マクロスとか、ガンダムとかかも? それか、ゼロ・グラビティとか?
そうじゃなくて、あの月に自分は行くのだと夢見る人もいれば、人が行く行かないはさておき衛星を飛ばしたいぞって願う人もいるだろう。
自分とは関係ないぞ、空だって見あげない! っていう人もいればさ?
なんとなく、ふと見あげた空に泣きそうになっちゃう人もいるだろう。
人となにかの間に生じる余地みたいなもの。
ピンを留める場所のちがいで見えてくる、自分ひとりでは気づけないなにか。
素敵なものかもしれないし、足を引っ張ったり、だれかを傷つけるものになるかもしれないし? 大事な人を励ます気づきになるかもしれない。自分を深く傷つけるべく先入観を育てる栄養素になっちゃうことさえある。
ままならないなあ。
月に人が降り立ったのに。
自分の視点でみてるだけじゃ、ろくに輝かないんだ。
だけどだれかの視点が加わるっていうだけじゃあ、ますます暗くなっちゃうこともざらでさ?
参っちゃうことばかりだ。
どうせ懐メロでいくなら、back numberの青い春なんかがビビッとくるよ? 私には。
理想通りの完成って、たどり着けない。
そこにやまほど花が咲く。
ときに花が咲くには遠い種も、芽吹いたばかりの草木もあるだろう。
どれが増えればいいのかもわからなくて、困った草木が増えちゃったりして。
まるで手つかずの廃墟の草むらみたいに荒れ放題になって、途方に暮れてしまう。
田畑を耕すにしても、土を作り、育てるというけれど。
一面の花畑にするというのなら、やっぱりかなりの手間がかかりそう。
そこに気持ちの花が咲く。綺麗な花ばかりじゃない。自分にはきつすぎる匂いを放つ花も咲くだろう。頑丈で切れないツルを伸ばして、呪いをかけるようにがんじがらめにしてくることさえあるかもしれない。
未練だ。
未練の花。
「なかなかにうかりしままにやみもせば、忘るるほどになりもしなまし――……かあ」
いっそすぱっと断ち切れるのならよかったのに。
「そこから自分の求める地点に願いを置いて、埋められることなら進める。傷が痛むようなら、願いはひとまず、心が障らないで済む場所に置く。やることは一緒」
愛生先輩の返しを聞きながら、お鼻でたっぷりと息を吸った。
気持ちはサカナクションの宝島くらいありたいじゃん? 丁寧に進んでいきたんだ。
「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」
「崇徳院の一首です?」
「そ。彼の人生は台風で増水した川の流れのよう。歌を詠む人で、彼が命じて詞花集ができた。詞花和歌集、知らない?」
「あっ」
もちろん! うちにある本だ。お母さんのだけど。
「保元の乱に破れ、故郷に戻ることを願った彼は、しかし戻ること叶わず没した」
「マドカの御霊になってくださった方です、よね?」
「そ。詞花和歌集には枕草子で有名な清少納言の歌も入っている。もしも崇徳院が政治的に不安定な立場でなかったのなら、内容も、その評価も、いろいろ変化があった……かも?」
「おおお」
清少納言の歌が、枕草子だけじゃなく詞花和歌集にもたくさん入っていた可能性があったら?
それは詠んでみたかったぞ?
そもそも母数として、そんなになかったのかな? そこはわからないや。
枕草子は随筆であって、短歌じゃないもんなあ。
それにしても、政治的情勢の影響を受けた、かあ。そんな視点、なかったや。
「をしむとて、こよひかきおく言の葉や、あやなく春のかたみなるべき。過ぎ去る春に、歌だけ残したとて過ぎ去ることは止められないぜ、残念! なんて歌が春の中に残されている」
「惜しむとて、言葉を書き置いても春の形見にならねえや……なんか、粋ですね」
自分の言葉に置き換えながら反芻する。
なんだかお酒を呑んでご機嫌な夜に、ふと訪れた寂しさに詠まれた気持ちみたい。
それなら、トシさんに連れてかれたお店でよくみる哀切だった。
過ぎゆく季節に儚さを重ねている人の言葉だ。
取り返せない輝きに思いを馳せる人の叶わぬ願い。未練の歌のようにも思える。
「自分のこども、重仁親王に春が暮れゆくことを歌わせて、歌ってみせた……だったかなあ? このあたりはうろ覚えだけど」
「ふ、風流で雅な親子ですね」
すげえなあ。
時代が変われば、歌をたしなむ親子がいるのか。
あ、もちろん愛生先輩の記憶が確かなら、だけどもさ。
ただ、もしこどもに歌ったものだとしたら?
未練がもつ意味が変わる。あるいは増えるし、減る。
儚さだけじゃないかもしれない。それに儚さの意味合いだって変わってくる。
味わい。花にも、未練にも、儚さにさえもあるもの。
悟りはそれらを心の圧で濁らせないようにね? という思想のような気がする。
そこで参考として、感じたことをそのまま書き記し、残るものとして読むのなら、枕草子もすごく面白いものなのかも?
たとえばさ?
こころときめきするもの、なんかどう?
引用するね?
雀の子飼。ちごあそばする所のまへわたる。よきたき物たきてひとりふしたる。唐鏡のすこしくらき見たる。よき男の車とどめて案内し問はせたる。
かしらあらひ化粧じて、かうばしうしみたるきぬなどきたる。ことに見る人なき所にても、心のうちはなほいとをかし。待つ人などのある夜、雨のおと、風の吹きゆるがすも、ふとおどろかる。
読み間違えていたらごめんなさいだけど、私なりに言い換えると、こう。
スズメがこどものお世話をしているところ。こどもが遊んでいる前を通るとき。とてもよいお香をたいているとき。鏡の暗さを見て、これが物語に聞く特別な宝鏡ではないかと思い至ったとき。好みの人の車を停めて案内して、あれこれと尋ねられているとき。
着飾って、服の香りや好みの化粧をして、自分を幸せにしている時間。待ち人の訪問を待っているときのささやかな音や不安をくすぐる音も、出会いと期待を高めてときめかせてくれるもの。
唐鏡については、解釈に違いや悩ましい問題があるみたいだから、あくまで例ね? というのも、鏡を見て暗いことに心ときめくって、よくわからないじゃない? 唐鏡は中国、唐の鏡。あるいは中国の漢詩かなにかで、清少納言はとても知識のある人で漢詩にも造詣があったそうだから、そこから「漢詩を通じて、なにかときめく気づきがあったのでは?」と推測している人がいたのだ。
でもって、言い換えた内容はどれも共感できる要素があるよ?
もちろん人によるだろうけど。
枕草子には、ほにゃららするものとした話がけっこう入っていてさ?
清少納言が感じた味わいがしたためられている。そう読み取ることもできる。さすがに原著をおいて、写真でおさめた画像の横にプリントした印字と、解説した文章がついているなんて本を読んだわけじゃないから、確かなことは言えないし? そんな豪華な本があるかどうかも知らない。
原本は残っているのかな? と思って軽く調べてみたら、写本でさえ満足に残っていないそう。もし見つけて、手に入れることができたら? 徳川埋蔵金レベルの大発見なんだってさ。お母さん曰く。とはいえ徳川埋蔵金って……っ!
そもそも値段がつくの? お宝レベルが高すぎそうで、だいぶ怪しいよ!
なので、ほんとのところは、どこまで彼女の文章で、どこまでそうじゃないかも謎なのかも?
参ったね! どうも!
なので、そのへん気をつけつつ読んだほうがいいものでもあるんだろうなあ。
それでも、面白い。
あとは、いろいろと思いを馳せる。
味わいの多さ。幅広さ。視点や前提を変えると、万華鏡のように見えるものが変わること。
崇徳院さま、こどもと一緒に歌を詠んだのが保元の乱のあとだったら? あまりに切ない。そのあたりの知識が、まるでない! 乱の前でもきつい。前と後だと、意味合いが変わるけれど、どちらもなかなかクライマックスレベルでしんどい。
瀬をはやみ、は保元の乱の前だったっけ。詞花和歌集の恋に入っている歌。彼の没後に故郷を思う歌としてもみられる傾向があるそう。
恋の歌も乱というフィルターを通じてみると?
望郷の歌に早変わり?
ううん。
歌という輝きに、私たちがいろんな意味を見ているだけじゃないかな?
だけ、と言いつつも。そのだけのちがいがたくさんあるから人って面白くて、揉めて、仲違いして、意気投合して、いろいろなのだろうし。
さて、どう詠む?
いまアマテラスさまに呼ばれて天国でお使いをさせられるのなら、目にする光景のひとつひとつに私はなにを詠むのだろう。
別に宝島でも、いまでも、いくらでも詠めるのだ。
特別なものをと願う必要も実はない。
仮に捉える精度をあげようと、偏見を掴み、その内と外とを理解しようとするのなら?
そのときやっと、悟りの境地があるとよく、そう考えている内はまだまだなのだろうし?
自分の執着や、願いや、恐怖の輪郭を知ることから学びが始まる気もしてさ?
頭の中が、堂々巡りを始めちゃう。
いまの気持ちを歌に残してみせたとて、いまという時間が過ぎ去って、いまという感覚を残すことまではできない。
あーあ。
そういう読み方もできるんだ。春の歌も。
たくさんだなんて欲はいったんおいて、一首を選んでノノカに伝えればよかった。
なんなら百人一首の一枚を渡して、それをなにかに変えてと言うくらいでもよかった。
カードを入れる玉みたいなのでもいいんだ。
あとは歌を楽しめばいい。遊べばいい。
だけど野放図に、あれもこれもとみんなで絞らず、数えきれない希望の星の川を泳いだら? 好き勝手に泳いじゃうし、目的ってもう、そこで泳ぐことになっちゃうし?
区切りがないよね。それだと。せいぜい、いつまで泳ごうか、くらいのもの。
そこまで思いを馳せてみたらさ?
ルルコ先輩たちがノノカたちといて、愛生先輩だけが私の部屋に来てくれた理由も察しがついた。
けど、いまそれをどこまで捉え切れているかっていったら、自信がないし?
愛生先輩も語らないし。
野暮な気がして仕方ないし!
ついでにいうとさ?
「蛍の光で、先輩なら意味をどれだけ思い浮かべます?」
「どれだけ物語を思い浮かべられるか次第かな。すぐに答えを出しちゃうのがもったいない問いかけだね?」
ハルちゃんもそうじゃない? と囁きで問われて、息を吐く。
椅子の背もたれに身体を預けた。
急いでた。ずっと。
易しく済ませたいのは、そうしなきゃ間に合わないって怖くて仕方ないからだ。
けれど、私の焦りなんて知らず構わず無関係に宝島の川の上を蛍が飛ぶ。
やがて「そろそろやめとくか」とばかりに蛍が見えなくなるかもしれない。もちろん、私のあずかり知らない領域での話。蛍たちの選択。
バラで飾るように、アポロ十一号が月にいったように、私たちはそこに多くの物語を思い浮かべる。遊び。飾り。彩り。煌めき。輝き。
食べて寝て、こどもを作って、やがて死ぬ。それだけじゃ留まらない、私たちの欲も願いも。これでもかと花を咲かせる。
自分が変化するだけで、花も変わっていく。
もし仮に私が心ときめくものを書き記すのなら、忘れずに足しておきたい。
物を語る。歌わずにはいられない。人には花が必要だ。
咲いてときめく花を求めて生きるよ。そこにときめきがあるから。
尻尾の穴に雑に詰め込むんじゃない。
願おう。花を咲かせたいと、そう願って形にしていこう。限定する必要もない。それは手段だ。活用すればいいけれど、目的にしちゃあもったいない。
万華鏡のように、変わるものだから。
恐れずひとつずつやっていこう。
最初の歌はなににしよう。いっぱい候補をだしたくせに、改めて問いを作ってる。
私は勝手だ。花に多くの物語を連想するくらい、勝手だ。
だったらいっそ、恋にまつわる歌がいい。
もっというと万華鏡のように、変えると変わるものがいい。
慣れ親しんだものに、新たに心惹かれる一面を見つけるとね?
私、めちゃくちゃときめくんです。
つづく!




