第千七百二話
ぷちたちを連れて、お宿の二階の一室へ。
すやすやタイムだ。お話をして、子守歌を口ずさんで、全員の寝落ちを待つ。
すると、どうなる?
私も寝る!
睡魔には抗えないね!
寝起きに案の定、みんなが私に群がっていた。ミコさんの提案にある、みんながひっつかないで安心して眠れる状態をゴールにするなら? スタート地点は、押しくらまんじゅう状態。
やんわりと離して、寝かせる。タオルケットをかぶせて、ひとりひとり撫でていく。いつかおもらしされる日がくるんだろうなあと、いまから覚悟を決めつつ。
寝ているときは天使。起きているときは、ちいさな怪獣たち。
この子たちの見えるところにいなきゃあだめ。かといって、横になる気分でもなく。
なんとはなしに窓際を見たら「起きた?」と、ささやいてくる人がいた。
愛生先輩だ。
すごくすごく久しぶりだった。こうして会える日が来るなんて。
興奮気味に歩みよる。ふすまを隔てて細長い板の間になっていて、窓の向こうに宝島の山と川がよく見えた。海側じゃないんかいと内心突っ込みつつ、でも川の音が涼しげで気持ちがいい。時折ちら、ちらと発光する虫が飛んでいる。蛍がいるんだ。ここには。
「愉快なことしてるね? 疲れちゃうわけだ」
白地に青い糸で渦巻き模様の浴衣姿で、愛生先輩はすっかりくつろいでいた。
先輩の座る浅い編み込み椅子、小さな机を挟んで反対側が空いているので座る。
ルルコ先輩たちも一緒かと思ったけど、ここには愛生先輩だけ。
「見に来てくれたんです?」
「まあね。吸血鬼にくっついてきたんだ。物事の進め方、仕事を通じて、いろいろ叩き込まれているから、ノウハウを伝えに来た。ここに来たのは」
「来たのは?」
「ハルちゃんの顔をみとこうと思って。いま、おうちに帰っているっていうから」
しみじみしみてる顔してんね、と。
薄暗くなっていく島で、明かりもないのに言われて、ますますしみる。
蛍が見える川を窓越しに眺めると、無駄にエモさが増してつらい。
飛びついてひたすら甘やかしてほしい欲がぶわっと沸いてきた。
ちがうちがう。いつまでいてくれるかもわからないのに、そんなのしてる場合じゃない。
騒いだら、ぷちたちが起きちゃうし。
「目的。ゴール。わからないままダメ出ししては、凹みまくっているかと思ってた。刀鍛冶の子たちが、ちょうどそんな感じだったから」
「うっ」
寝る前だったら? わかりますぅ!? と圧を強めに迫っちゃうところだ。
寝起きでぽやぽやしながら、心が脆いままだから、目がじわっと潤んだ。
「高等部在学中になにかが起きるのは、わりとありがちみたい。大学部で会う先輩たちと話しても感じる。それでも、ハルちゃんの世代はえぐい」
穏やかに、優しくしみる声だった。
「よくやってるよ。すごい」
たったそれだけの言葉をずっと欲していたのだと、ようやく気づかされる。
鼻の奥がつーんとするわ、心がきゅーんとするわ、目元がじゅわっとするわで大変だった。
すぐに連想しちゃうんだ。
ぷちたちも、いままでしてきた緊張がほぐれる、たまらんツボを刺激するなにかが欲しいだろうって。というか、いつだって、だれだって、凝っているときには欲している可能性があるかも? なんて。
それは風呂敷ひろげすぎ?
私は欲しがっていた。内訳のひとつに区切りを求めてた。
次のフェーズだと思えるかどうかって、実は大事な手段なのかも。
ぷちにとって、私の振るまいなんかがそうじゃない?
延々と「ママはちゃんとぷちたちのこと、大事に想ってくれてるの?」って不安でいなきゃいけないなんて、たまらないくらいしんどいよね。心に障りまくる。
私にとっては、これから先も厄介なだれかや集団が「あおすみはるひぃ!」と攻めてくるんじゃないかっていう懸念が、それだ。
区切りがない。
たとえば対象を「適応できない人を排除する社会」なんて、どでかいにも程があるし、ふんわりしてるにも程がある問題にしたら、どう? そんなの区切りがなさすぎて、つらい時間ばかりが増えていく。
切りかえられないのがつらい。
歌のお仕事で経験したことなんだけどさ?
なんかちがう、だからやり直してっていうやり直しがきつい。
目安や正解のない修正は、延々と繰り返される。そこで行なわれるのは、変更と反復。だけど終わりがないとき、自己否定が生じる。繰り返す回数のぶんだけ、自分を責める材料になる。その負荷はモチベーションを壊滅的に破壊する。
半沢直樹で、半沢の同期が出向先の事業計画書を銀行に提出しようとするのに、毎回ざつぅに却下される。具体的な修正指示がない。そういう場面があった。
負荷は改善や経験値獲得の知らせ。けれど改善の見込みがない状況を、人はだれかにたやすく設定できる。だから優越的地位の濫用を禁じて、信頼は相互に築きあげていきましょうねって話に意味が生まれていくんだけどさ。
あり得るんだよね。
なんかちがうからやり直して。
正解がわからないけど、これは違うから、だめぇえええ!
おまけに、それを旗に掲げて「お前だめー!」って言ってくることもある。
身を守るためにも、そういうときに打つ手を増やすためにも、対処の仕方は心得ておきたい。
お仕事に限らないじゃない?
いついつまでに、これをしときたいっていうことって。
そういうとき、ついつい忘れがちになる。
いつかはすべてが十割で達成できるようになるし、すべてのことはそうあるべきだ! という欲をそのまま出しちゃうなんて、それは暴力に過ぎないってことを。
自分にできることを増やして、達成できる割合をあげていくので精いっぱい。
人と一緒にやるときには、達成する目標を自分の思う十割そのまま相手が叶えてくれるなんていうのは幻想だ。他人が自分の思うようにしてくれるなんて。ないんだよ。協力しあっている仲間同士でさえ、ね。
意外に思う人もいるかもしれない。一緒に長く活動しているグループなら、あうんの呼吸でうまく回るんじゃない? って疑問に思う人さえ、いるかもしれない。
長いこと一緒に行動しているグループをふたつ用意したとして、ふたつともまったく同じように、うまく回るかっていうと? ちがう。
強権発動しているひとりと周囲のみんな、というグループがあり得るし、だれかひとりを攻撃することでまとまっているグループだってあり得る。仲はいいものの、どれもこれもそこそこしかできないグループもあれば、みんなできるけど共同作業が死ぬほど苦手で揉めまくるグループだってあり得る。
日常でも仕事でも、ざらにある話だ。そんなのはさ。
なのでパートナー同士でもあり得るし? 親子間だって、もちろんそう。
親子において、育児の視点で見たとき、親の過剰な期待がこどもにどういう影響を与えるかという議論はあるじゃない?
言葉にしなきゃ伝わらないことがある。形にしなきゃ見えないこともある。そこまでしても、ギャップは生じる。潰しきれない。
だから環境を整える。
人のせいに留めてしまうと、回避できない可能性が残されるまま。幅を狭めることさえできないし? 手段に落とし込まれず経験値にならないのなら、起こりえる問題の最大値って上限なしのままじゃないかな?
百メートルで世界一になるのと、マラソンで世界一になるのと、目指すときの過程も手段もまったく同じものになるかな? ならないよね。トレーニングも食事や身体作りも、もろもろ意味合いが変わってくるんじゃない?
根性が足りないからだめ、よりも。体格の情報を見て、フォームの改善案や、意識するポイントが明確になっているほうが、まだモチベーションを維持して取り組めるんじゃないかな。
とすると、実はいかに解像度をあげるかっていう視点は大事になりません?
なんにも学んだことのない人の「なんかちがう」と、技術を学び知識を得て経験値を積んでいる人の「なんかちがう」って、言葉は同じでも、内容はどうかな?
後者が自分で照準を補正して合わせて、それでも違和感を抱くときとさ?
そもそも照準ってなに? 当たればよくね? って、適当にざつぅにしてる人の違和感とじゃあ、情報量がちがう。
精度をあげるなら?
工程も、目標も、そのときの前提や条件も、鮮明に、強度をあげて捉えられると?
ここを変えればいいとか、こういうところを改善すればいいとか。
逆に、いまの私には無理! とか、こういう協力が得られたら改善できそう! とか、わかる。
人にお願いするにしても「朝つらいの。なんとかして」よりも「モーニングコールして!」って言うほうが伝わるよね。まあ、このお願いが叶うかどうかは別として! 私なら「スマホの目覚まし機能つかったら?」って言っちゃうし。相手がどのくらい起きれないのか、朝がつらいのか前提がわからないから、それがわかる情報が欲しいところ。
そういう勘所みたいなの、わからないままだと?
どうしたらいいのか、わからないことが残り続ける。どれだけわからないのかさえ気づかない。
仕事のことで思い出した。
ナチュさんに叱られたことがあるんだ。
人に依頼するとき、相手に伝わり、得られる精度には、いつだって限りがあるって。
それはたとえば人と人との相性でも変わるし? 人の調子によっても上下する。
労力を割いて、がっつり取り組んでもらえたとして、必ず十割で返ってくるなんてことも滅多にない。それが得られたら、相当ラッキーだけど、予算と納期があって、他にも仕事を抱えている人が多いときほど、下がりやすい。
仮に発注の内容が十で、プラスしてなにか嬉しい価値が返ってくることを前提にすると? 途端に回らなくなる。そこでのリテイクは、基本的に納期と予算次第だし、信頼とモチベをかなり頼りにする。よほどいい関係性の相手でも、ゴールの見えないリテイクほど無駄なものはないから、すべきじゃないっていうの。
それするくらいなら、しっかり打ち合わせをする。
提案の責任というのを、もっとちゃんと認識すること。
だれかの持ち味を、だれかに自由にやってと投げて返ってきたものに文句をつけるくらいなら、あなたのこういうところが好きなので、それをどのように表現してほしいんですと具体的に伝わるまで、時間を割くこと。
そして、それを話し合える関係性を築き、大事に育て続けること。
忙しい人が多い場所ほど大事だよって、こんこんと叱られた。歌詞や曲で雑に話しちゃったときに。当時はたいそう反省したものだけどさ?
ぷちたちに対して、雑にしてない?
私に対しても。ノンちゃんやノノカに対しても。
積み重ねていきたいとき、限定しすぎるほど、私たちは窮屈になっていく。
その限定は、なにを指し示すのか。
なんだろ。
意味のある限定と、ない限定っていうのかな。
ナチュさんが教えてくれたほど、私はまだ理解していないけどさ?
たとえばお仕事なら、握手に似てる。一方が求め、一方が渡す。
思いきり力をこめて握手してくる相手が「ほら! あなたも常にこれくらい力を出して!」っていうように握りしめ続けてきたら? 痛いっていってるのに。
そんな相手とは続けられない。そこでの握手がどういう類いのお仕事だとしても、永遠とは無理。不可能。手が痺れちゃうか、筋肉痛になるか、傷ついちゃうもの。根性が足りないみたいな、昭和の体育会系部活のノリで怒鳴られても、ねえ? 無理だよ。やだもん。
握手道なんてものがあるかどうかはしらないけどさ?
今回、富士山の頂上で、夜明けにしみる握手を探りたいんですが、これくらいの報酬でいかがでしょうか? あ、いいですよ、それは何日くらいの期間で挑戦できますか? 富士山に登ったご経験は? なんて具合に、条件を突きつめて対話できるならいいけれど。もちろん、夜明けにしみる握手がなにかは、綿密な打ち合わせが必要だろうね? どういう人たちが、どういうシチュエーションで握手するのか探ったりしてさ。友情の握手なのか、恋愛の握手なのか、みたいなね?
だけど「握手するんだよお! 望みどおりにやれよお!」って、ぷんぷんするばかりの一方的な相手と付きあうのは、お互いにとって無駄になるだけかなーって思うわけ。
そういう相手の求める全力って、言い換えると「オレの希望どおりにやれぇ~!」だよね。言葉にされなきゃしんどいし、されてもきっとしんどい。
人はだれかの思いどおりにはならない。
家族でも、恋愛中のパートナーでもそう。親子でも、上司と部下でも、先輩と後輩でも、師匠と弟子でもそう。すべからく、そう。
思いどおりにならない。また、なるべきでもない。
必要なら無限にやり直せっていうのも、だからやっぱり無理だ。無理なんだ。それは。
時間が有り余っていて、締め切りもなくて、延々とそれをのんびりマイペースにやっていられる状況なら? まあ、そこまでいったら、やってもいいよ? くらいのものじゃない? それにしたって、モチベを損ねるようなことや、尊厳を傷つけるようなことがあったら? もたないし、もたせる必要もないかな。つらいもの。
だるいからやめとこ、っていう話じゃないよ?
自分を使い潰すような時間の過ごし方をすると、ぜったい潰れちゃうよっていうだけの話ね。
そういう意味でもさ?
花がいるんだ。
ついでにいえば、常に十割で生きるなんて無理なんだからさ? 無理が祟って倒れちゃうか、立ち上がれなくなっちゃうんだからさ。せいぜいがんばって、たまに七割八割やるくらいがいいんじゃないかなー。それも遊びによっているくらいがちょうどいい。
すると、それくらいの労力で働く人たちで、お仕事の質を求めるなら?
必然的に環境への投資や、お仕事の進め方の整備なんかが必要不可欠になりません?
項が変われば結果が変わるようにさ。
人が変わると、もちろん結果も変動するし。そうでなくても元気か、へこんでるか、最近あそべてなくて鬱屈してるか、推しが結婚して落ちてるか、逆に推しのライブに行って最高にテンションあがっているかで、変動の幅がある。それも生きものの宿命だ。現実でもある。おまけにモチベやテンションがあがっていても、そのまま日常や勉強、お仕事に直結する人ばかりじゃない。
それを前提にしたら?
環境や工程に対して、ますます求められる要素や水準は高まる。
だけど、いざそれをやろうとすると、いったいなにからどう手をつけていいのかわからなかったりして!
さあ、大変!
なにせ慣れてない。
知らないことだらけだ。
どうやったらいいんだろ。
そこで再び、なんでできないのか、社会がわるい! なんて言いだしたら?
ぷりぷり指数が急上昇! 常にいらいら、どんどんへこたれてしまう毎日が訪れる。
気を散らさずに、身の回りのことから取り組む。
どういう環境がいいのかな? どういう工程を踏めばいいだろう。
ぷちたちがいろいろとわがままを言ってくれるようになってきた。じゃあ、私はそれを叶えていればいい? ずうっとずうっと受け身でいれば、問題解決?
そういうことじゃない。
私がこどもの頃だったら、すぐにキレ散らかしていただろう。
実際、覚えがあるもの。
ミコさんはなにごとも経験、いろいろやってみ? と、ゆるぅく応援してくれた。
お母さんも、お父さんも、あれこれ四苦八苦してきたんだろうなあ。
それを聞けるチャンスだ。
アイディアがほしい。
なんだろなー。
発明がほしいし、利点を得られる過程に必要な、たくさんの工程や条件を突き止めて、活動したいわけ。
重たい歯車を、大勢を集めて「うんせ、うんせ」と回さないとお米が精米できないよりもさ? ボタンをぽちっと押したらできるマシンがあるほうがいい。
川まで片道三時間ほど歩かないとお水が汲めないよりも、蛇口をひねればお水が出るほうがずっといい。
だけど一足飛びに、求める結果は得られない。
水車式にしたって、それを作りあげなきゃ使えない。そうなる前は、石でせっせとやっていたんじゃないかな? 精米機も、いきなりぽっと出てきたわけじゃないよね。
水道にしてもそう。上下水道と浄水施設。おまけに配線と、それぞれのメンテナンスが必要不可欠。お水に対する知識も欲しいし? 施設にまつわる知識も技術もやまほどほしい。水源があればいいし、汚染されていなければいいけれど、そうもいかないかもしれないし? 排水もきちんと気をつけないと、しっぺ返しが洒落にならないものになる。
具体的に、いろいろ欲しいよね。
そこんところを考えるとさ?
なんかちがう、という違和感自体は大事だ。
だけど一足飛びに、求める結果は得られない。
なので、参っちゃう「やらなきゃパート」が長引くこともたくさんある。そういうとき、切り替えが上手ならいいけど、私は苦手。
そういうとき、区切りを利用できるといい。
わかっちゃいるけど、なかなかね!
区切りにも、いろいろある。
気持ちのうえでの区切り。学校なら、学年が変わるような区切り。競技で走るのなら、ゴールテープも区切りだ。ハードル走にしても、ハードルが設置されている区間があるよね。あれもある意味、区切り。
学校なら一日の時間の進み方だって区切りだし? 先生たちが教える内容にしても、区切りをつけていそう。自分が教える側だったら? 際限なく話しちゃいそうなことって、ある。ちょうどいまみたいに!
だれかになにかをお願いするときにしたって、区切りがあるとないとじゃちがう。
役割分担をして、個々に役割をまっとうする形式のチームだと? 緩衝材となって、区切りを見分けたり、調整したりする立場の人がいるといい。そういう役職、立ち回りを用いた分担も大事だよね。
ある意味、交渉人だ。
小さな集団になるほど、そこまで明確な区切りはなくなる。
加えて、小さくなるほど集団にいる人に求められる要素は増える。そのわりに、なあなあだよね。はっきり求められても困るしさ。
だって、私がぷちたちに小さな大人として役割を求めるようなものだから。
こどもを相手には、ね。
そう言えるのは、私にまだ余裕があるからだ。
そうもいっていられない場合だって、ざらにある。当たり前なんかじゃない。
じゃあ、その余裕はいったいなんでできているんだろう。
私が知らないなにかだ。
お母さんやお父さんがしてくれていることだろう。
それがわかればさ?
ぷちたちとの時間に、私も活かせるんじゃないかな?
なんて。横着しすぎ?
でも、わりと急ぎで求めてる。
ずっと不安だったし、ぷちたちに怒られたばかりだし?
愛生先輩に優しい言葉をかけられた途端に、ぶわっと涙が浮かんじゃうくらいだし。
同じようにしてみようかな、なんて安易に考えちゃうわけで?
切羽つまってる。いまの私って、かなり。ずっと前からぎりぎりだったことには気づいていたけど、そこで止まってた。
ゆるめなきゃあなあ。
そんな風に考えて、ゆるむわけもなく!
ミコさんの言うように夏休みまで、のんびりしたほうがいいかも。
あ、でも宿題とか、いろいろあるなあ。そっちは先生たちに相談するとして。
いろいろとぽんぽん浮かぶ私の百面相を、愛生先輩はにこにこしながら見守っていた。ずっと。
だいぶ長いこと黙っちゃってた。小楠ちゃん先輩やキラリたちなら、突っ込まれるところだ。
さっきもミコさんに叱られたし。こういうの、私のよくないクセだ。
「す、すみません」
「んーん。考えたいなら、考えればいい。相変わらず、顔がころころ変わるね?」
「うっ」
これはこれで恥ずかしいんですけど!?
「涙が引っ込んできた。なにか思いついた?」
「どうでしょう……あの」
自信のないこと、思いついたこと。
それをそのままぶつけるよりも、興味のわくことがあった。
私の中には絶対にないことを尋ねる。
「なんで、顔を見に来てくれたんです?」
「私が高等部を卒業してからだいぶ時間が空いちゃったでしょ? その間にいろいろあって、心配してたから。でも、こういうんじゃないか。ハルちゃんが聞きたいのは」
背もたれから背中を離して、先輩は前のめりになって私を見つめる。
「初心忘るべからず。心沸き立つ瞬間も、愛しさ炸裂した瞬間も、忘れがち。そういうのを思い出したくなってさ。そしたら、ハルちゃんと会わなきゃって気づいた」
「――……え、と」
「会いたくなったから来たの」
ドストレートな言葉だ。
ほっといたくせに、とか。私も会いに行けてなかった、とか。
いろんな感情がわっと噴き出てくる。
刺激されて、強く感じる。
再会という心の玉が、きらきらと輝く。
愛生先輩と私の間に、ふたりの気持ちが刺激しあって、心の輪郭が煌めく。
それは川で飛び交う蛍のように淡い信号だ。
強く儚い知らせは、記憶に刻むので精いっぱいかもしれない。
だから、会いたくなったら人は会うのだと、私をなだめる。
けれど、止められなかった。
「私もずっと、会いたかったです」
「だよね」
おいでって、悪戯っぽく笑って手を広げてくれたから、素直に飛び込んだ。
一年生は出会いが多くてさ? いまさら思い出した。
さみしさと出会う。それはひとりのときだけとは限らない。
大好きな人との再会で気づく場合もある。
ずっとずっと、私はさみしかったのだ。
ぷちたちもそうだといまならわかるのに、気づきがないと忘れてしまう。
蛍の光が飛び交う川辺の宿で、信号をきちんと感じとる。
抗えないね。さみしさにさえ、人恋しくてさ。
つづく!




