第千七百一話
お風呂あがりに、ひとりひとりをタオルで拭いていく。
尻尾を乾かし、服を着せる。
刀鍛冶のみんなはあれこれと試行錯誤の真っ最中。
そんな中で浴衣姿でうちわを扇いで、出迎えてくれる人がいた。
お久しぶりのミコさんだ。
「春灯。こっちに来なさい」
椅子に腰掛けて、隣をぽんぽんと叩いてくる。
急いでバスタオルで身体の水気を拭って、尻尾をくるみながらお隣へ。
いつもおそばについているミユさんや、他の明坂のメンバーの姿は見当たらない。
「あのう?」
「これ。麗子や美希の要望を受けて、こんど宝島で保育所を始めることにしたの」
「――……ほ?」
「士道誠心でいえば、あなたとカナタの式神。星蘭でも北斗でも山都でも、似たような例が増えてきてね? 幸い、伝手はあるし。なら、私が手配しようと思って」
「……おお」
ミコえもんだ……っ!
「現世で元保育士っていう人間も覚えがあるものだから」
「元、なんですか」
「そりゃあね? 現役には職場があるのだし」
「現世で働く感じには?」
「そこに魅力がなければ、選択されない。ちがう?」
「ご、ごもっとも」
ううん。
保育士さんの話なら、わりと聞くようになった。
といってもニュースで人手が足りないって話題がほとんどだけど。
人手が足りない理由は、いろいろと。
元は全部、風聞だ。なので、どれくらい当たっているかどうかは知らない。
人手が足りない。
なにかひとつあるとき、それは氷山の一角。
先がある。三次元に。時間の概念を与えて、昔にさかのぼったら? さらに変化して、事情がますます見えてくる。
たとえば、人手の問題。
保育士さんがどうかは、いったん横に置いておくとして!
なぜ足りないのか。
毎年、あるいは逐次、人を雇い入れているにも関わらず足りないのなら? 雇う数が足りていないか、あるいは足りているけど根づかず居つかないから。
雇う数が足りていないのなら、増やせばいいように思える。けど、そもそも雇うとお金がかかるから、求めに対して予算が足りるかどうかはみなきゃならない。
仮に予算はがんばればどうにかなって、大量に求人広告も出せて、それでもどうにもならない場合がある。盛んじゃないか、認知のすくない業種だと? きつい、給料すくない、きたない! なんて三重苦が有名な職種になると、そもそも応募者が集まらない。
悲しいかな、右も左も成長著しい産業ばかりじゃない。
肉体労働だいしゅきぃ! って人ばかりでもない。
お客さんを相手にするお仕事だとして、お客さんが行儀のいい相手ばかりとも限らない。
だから、どうしたって人気は分かれる。
仕事によって、様々だ。
そもそも「お仕事したい! お仕事らいしゅきぃ!」って人ばかりじゃない。
なんとなぁく、食い扶持になればいっかなーって人もけっこういる。めんどくさいのはやだなーって人も。意識を高くもって、しっかり成し遂げて、会社に貢献して、そこから出るお賃金に胸を張りたい人もいれば? 雇用したんでしょ、だったら責任もってお金だしなさいよって人もいるし? まちまちだ。
なぜか。
どんな環境で、なにを喜び、なにに耐えて、なにを我慢し、なにを発散して生きてきたか、ほんとに全然ちがうから。生きるだけ、居るだけが、どれほど心地よいか、あるいはどれほど痛くてしんどいのかが、あまりにちがいすぎるから。
その、ちがいすぎる人たちを受け入れられる態勢が会社にあるのか。雇う側にあるのか?
どうだろうね?
環境や態勢じゃなくて、個人のせいにするのが安易で、易しくて、楽ちんなんじゃない?
なにせ居ること、生きることが楽になるように整えていくのは、容易じゃない。易しくない。たいへんだ。
ない袖はふれない。現状を回す人材で対応しようとすると、現状に影響が出る。変えるときにはますます労力が降りかかる。居ること、生きることが大変になる。わざわざ負荷を増やしていられない。
企業なら、たとえばそのための部署や人材を用意する。改善点はきちんとマニュアルに落とし込んで、共有するための会を設定し、説明し、練習して取り組む仕組みを別に用意する。そういう部署だの人材だのを用意して、段階を経て遂行すれば問題なし! とは、なかなかいかない。
相互に対話を重ねて、協力し合えうために必要な条件って、なんだろう。対処したほうがいい前提って、どれほどあるだろう。変更点という新しい歯車を取り入れてくれる人ばかりとはいかない。そして、噛みあわないか、さびついてしまっているものへの対処は、どこまで及ぶのだろう。
氷山の一角。
それは居るために必要なものかもしれない。そもそも生きるうえで必要なことかもしれない。
そんな余裕などないし、そのための手段もだれもよくわからないし、個人差がありすぎるし? 責任だってもてないし。
そりゃあ、落としどころは「自分でなんとかするしかない」に行き当たりがち。
そして停滞する。どこまでも、どこまでも。耐えきれなくなったら、排除する。
そうして、どれだけの時間が有史以来、流れてきたのか。
それでもなお、進展は期待できず、足踏みしている場所はどれだけあるのだろう。
なんてな!
あんまりすぎる「そ」ではじまるがっかりネガティブ要素たち。
悲しいけど、ほかにもやまほどありそうだ。
高校生の私が思いつくのだから、現場はもっと大変なんだろうなあ。
日常は戦場だ。さながらね。そして、仲間として迎えいれる文化を醸成するための仕組みも制度も、十分に備わっていて、かつ、整備されているだなんて、とてもじゃないが言えそうにない。
プライベートライアンの冒頭、ノルマンディ上陸作戦で母親を呼びながら、飛び出た腸を抱えている兵士とか。あるいはヘルメットが弾丸を防いで、思わず脱いで感動している間に頭を撃ち抜かれた兵士のように、死屍累々。現場を経験した元兵士の人たちが「あんなもんじゃない」と語ったというけれど。
ひとまず作戦が一段落ついたとき、生き残った兵士の何割かが、生き残ることさえ叶わず五体満足とはいかない兵士たちの亡骸と欠片を集めては、海に並べていた。
満足な教育を受けても実戦の経験ばかりは現地で積むしかない。適応できなければ、死ぬ。物理的な戦争なら。よしんば生き残ることができても、四肢のいずれかを失うかもしれない。脊椎を損傷して、歩けなくなるかもしれない。五体満足に帰ることができても、精神的な外傷を引きずり、日常に適応できないかもしれない。
ならば精神的な日常の戦場だと、どうなるか。
摩耗して、なんら成果を出せない。周囲も、仮にもし教育係をつけられたとしても、期待できないまま推移していくのなら、腐卵臭を放つ亡骸たちを運ばされる兵士たちのように、物理的にも精神的にも距離が取られ、排除され、放置される。
衛生兵として立ち回れる人がいたら? ましだろうか。
亡骸を運べと命じる士官が上にいるだけ、ましなのだろうか。
比較して、実態をよく思えば、自分や周囲の人々が感じる負荷はなかったことにでもなると?
まさか。
前提が異なる。
あまりにも、ちがいすぎる。
条件は複雑にもほどがあり、現場で回しきれていない場合も多く、備えもなければ? 必然的に「生き残りたければ自分でどうにかしろ。それでも無理だろうがな。なぜかって? 運頼みだ。どれほど運に願っても、どうにもならないことだらけだからだ。もしお前が死体にならなかったら、神にでも祈りながら、自己責任だと言っておけ。お前が死んだら、自分もそうする」という流れに落ちつきやすいかも。
なんてね!
蔓延する方便さえ、氷山の一角。
だれかやなにかが悪いことにしたほうが精神的な隙を作らずに済んじゃう場面さえ、ある。相手を巨大にして、ぷりぷりしていたほうが心が落ちつくように感じちゃう瞬間だって、ある。
それさえもやはり、氷山の一角。
読み取れる先が縦横無尽にあり、時間をずらしたり、人を変えたりしてみるなどして、条件が変わるだけで? 読み取れる内容ががらりと変わるもの。
中学生時代の数学で学ぶ、項。
ふたつの項を足すとき、片方の項の内容が変化するだけで計算結果は異なる。
条件や前提の変化による影響があるのか、ないのか。あるのなら、どの程度のものになるのか。ないのなら、それはどのような条件があって維持されるのか。
読み取らなきゃならないことのほうが、ずっと多い。
かといって、出会った相手の前提となるすべての情報を話してもらえば、それでまるごと理解できるかというと、そんなことはない。また、すべての情報をぶれなく話すことそれ自体が、かなりの難易度があり、さらに過大な負荷を伴うのだから、たまらない。
簡単に解決できるんなら、やる。
そうはいかない。なにから手をつけたらいいかもわからないから困っちゃう。
お給料が安すぎる問題も、そのひとつ。
だれかががっつり吸いあげていて、お客さんはぼったくられていて、下で働く人たちもふんだくられている! ゆゆしき事態! なんて、単純な話だったら、対処のしようもわかりやすい。できるかどうかは、さておいて。
そうじゃなかったら?
お客さんへの値段をあげられなかったら。必要な機材や人材に投資して、なるべく最低限に済ませてやっと、運営できているだけなのだとしたら?
技術に対価を。そう訴えたとして、お客さんに発生する費用が増大して、多くの人が利用しきれなくなったとしたら?
いや、いまの暴論が過ぎる。
みんな不景気なのは、よくない!
けど、それって戦争よくないと大差ない感想で、実際的な対処にはならない。気持ちのうえでの最初の一歩かな。実現するために調べたり考えたりしてみようねっていう先へと進むうえでの第一歩。
悩ましい問題には違いないけど、じゃあ、どうするの?
お金が足りないなら、値上げする? そこまで単純な話なのかな?
わからないぞ?
立場によっても、距離感によっても、なにをして、なにをしなかったかによっても、項が変わる。項の数も。式も。
貯金が増える、という結果を得ようとするとき、節約するとか、収入を増やすとかアプローチがあるけどさ。アプローチがちがうものを同時にうまくやろうっていうのは、かなり大変じゃない? どちらかに集中することになりがち。
すぐに効果が出るのはどちらだろう。自分たちの選択の範囲の内側にあるのは、どちらだろう。外側にあるとき、それはどのくらいたやすいのかな。どれくらい難しいのだろう。
安易な手段を選ぶのよくないという主旨のことを、私はずっと述べてきたけれど、それは分析や調査を軽視しているからよくないって意味。まずは安易な手段から選ぶっていうのも大事な局面がないだなんて、断言はしないし、できない。
無関心、放置が一番こわい。
日本とアニメのドラマにみる、プレイヤーやチームとしてのスタンスのちがいを話したじゃない? 個人的に日本のスタイルで怖いのは「俺たちはちゃんとやる。だからお前らもちゃんとやれ」方式で「だめなことしやがって、あいつら! ちゃんとやれよ! ぷんすこぷん!」で済ませたら? 延々と、変わらない。それか、どんどん溝が深まる。その性質がすごく強くある体質になりやすいところ。怖いだけじゃない。大嫌いなところでもある。
関わるのなら、それをどのように組み立てていくか。互いの権利を尊重しながら、どのように合理的に進めるか。結果的には快くできるのが、合理性に繋がりやすいので無視はできないし、すべきでもない。
そういう前提で組み立てていくのと、大きく異なる。
ちゃんとやる個人が集まって動くべき構想だと、個人と個人の溝が深まりやすい。繋げる発想が出なくなることさえある。失敗を経験値に変える過程と、その醸成が組み込まれてなかったら? 失敗はただただ価値を損ねるもので留まってしまうから、そんなの言わない・明かさない・隠し抜くほうが価値が出ていくことになる。そこに挑戦は生まれにくくなる。安定志向ではなく、現状維持志向になるよね。両者は大きく異なる性質をもつ。
そこで価値が見いだしやすいのは、なにか。それこそ気持ち副司令ポジションみたいなのじゃないかな。もしくは作戦立案をする人の秘書や補佐官役ポジみたいな? そういう状況が好まれやすくなる。責任を取らず、俯瞰できて、裁きやすく、距離を取りやすいのだもの。
そこに価値が出ちゃうあたりが、ちゃんとやる個人が集まる構図のやばいところ。しかも改善のための先へと行きにくい。なにせちゃんとやれない個人は、いらないのだもの。
環境構築が大事。
責任を端に端にと追いやって求めていっても先に繋がっていかないから、ぷりぷりするだけ時間の無駄だ。お仕事なら、お金の無駄になるし? みんなの気持ちの無駄にもなる。
できる個人の集まりって、実は相当イレギュラーなケースじゃないかな? ほんとにできる個人の集まりなら、溝なんか埋めて、放置せずにがっつり関わって、できなくなった個人ができるようになるべく対処すると思うしさ?
そういう機構が環境に入ってないとき、そこは安全基地としても機能してないから、居ることがつらくなるし? そんな状態で満足に動けるかっていったら、そりゃあ無理に決まっているんだけど。
それを変える見込みが立たず、魅力が見いだせないのなら?
選択されない。
結局のところ、選ばれなければ、先はない。
先がないのに選ばれるとき、そこには負荷や我慢、鬱屈したなにかが醸成される。
条件が、生まれる。
醸成されるものに対処できるかどうか。
その条件は、選ばれる価値などない。だとしても、選ばれる。なぜか。
そりゃあ、だって。
働かないと、暮らせないもの。
――……本当に?
氷山の一角の先に、別の視点と気づきは本当にないのかな?
ベーシックインカムとか、社会保障とか、いろんな手立てと動きはあるけれど。
それだけなのかな?
「もういい?」
「あうち!」
おでこにうちわでチョップを食らった。
「長い。あの子たち、退屈してる」
ミコさんがうちわで示す先で、見かけなかった明坂の人たちがぷちたちをあやしてくれている場面が見えた。小楠ちゃん先輩たちも加わっている。
それでも、あの子たちにとって、まず私みたいだ。
正直、自覚なんてろくにないんだ。きっと。いまの私には、まだ。
「ネガティブを増やせという話でもない」
「おぅっ!」
再びのチョップ!
いつだってミコさんは容赦がない!
「この場は南たちに仕切りを委ねる。あなたは保育園の説明を受けること。支払いや契約まわりの話もあるし、園に滞在中はどんな感じか話をしなきゃならないし。連絡が取れるようにしなきゃだし? 安全かどうか。そもそも、あの子たちが希望したくなるかどうかも大事」
「お、多いですよ、そんないきなりっ」
「あなたの考えごとのほうが長い」
「おぅ……」
そ、それな……。
「とはいえ、いきなり今日つれていっても、見せる施設が建造中だから間に合わない。お金もけっこう、まとまった金額がいるし?」
「デスヨネ」
お、お友だち価格とか、だめですよね。
だめだよなあ! わかってるんだけど、ついついケチりたくなるね!?
「それに、あなたに対しては露骨に美希が教えていないことが多すぎる。あの子たちはまだまだ生まれたてのこどもだし、あなたも備えが足りないでしょう?」
「ごもっともぉ……」
「精密検査の結果が出て、夏休みに入るまで休みなさいな。あの子たちと過ごしながら、実感を育てるの。本当なら、そばで手取り足取りといきたいのだけど、私は忙しいから無理なのよ」
「そ、そのわりにてきぱきと話を進めていきますけども?」
「忙しいから準備してきたの」
「な、なるほど」
言葉に詰まる。
「私の都合だから気にしないでね? あんまり進展していないようなら、あちこち回るから連れていこうかとも思ったんだけど。もうしばらく、家であの子たちと過ごすのも悪くないんじゃないかと思って」
どう? と尋ねるミコさんは、微かにだけど笑っていた。
なんでだろ。ハリウッド映画でベテランつよつよな女性が若手を導き誘うシーンを連想した。きっと、そういう姿にだってなれるだろうミコさんは、いまは私のよく知る高校生のままだ。表情だって、私には推し量れないほどすごい経験値が滲み出ている、みたいなこともなく。
「しつれい。ずっと」
「おぅっ。あうち!」
二連続うちわチョップの威力はすごい……っ!
考えごとさえ筒抜けになるのだから、サトラレまくっているのに考えちゃう私も大概か!
それよりも。
「ミコさんなら、私の尻尾の穴とか、ホノカさんのこととか、ご存じないです?」
「言わない。教えない。応援はする。危険な失敗をしそうなら、それも止める。けど、学んでいる子たちの邪魔はしない」
「おぅ……」
「がんばれ。いまのあなたたち、私が止めるほどじゃない」
口を出すほどでもない?
「強いて言えば、あの子たちと過ごして学ぶことのほうが、大事そう。気づきも多いんじゃない?」
「それは――……まあ」
「お金つかってあちこち行って済ませるよりも、一緒に遊んだほうがいいんじゃない? とは思うけどね?」
「うっ」
ぐさぐさ刺さるぅ!
「ま、そこも経験でしょ。怒られてた場面も、こっそり見てたよ?」
「声かけてくださいよ……っ!」
「また面白そうな種を見つけたなと思ってね。士道誠心は他校よりも、そのへんの装備が甘いから。逆に言えば、いまからなにが発芽するのかと思うと楽しみで。無地のスーツをどうしていくのかね」
「はあ」
「それに対話と安全基地、どちらも、あの子たちの声と気持ちを浴びて気づき、学ぶことが多いでしょう? それを止めるなんて野暮はしません」
「……めんどくさいから見てたってことじゃあ? あうち!」
問答無用のうちわチョップ!
このままいくと、眉間が抉れるかもしれない。
綺麗に同じ場所に同じ力でお見舞いされるの、地味に痛いのですが。
どんな技? ねえ。
「ホノカのことなら承知している。ひどい話ではあるけれど、彼女くらいの状態になっても、彼女は過ごしている。加えて私に個人の霊子体の穴やヒビを治す術はない。黒いあなたも知らないでしょうね」
「えええええ」
そんなあっさりと、無体な情報を明かさないでもらいたい。
「それがあなたのいう氷山の一角だとして、その先にどのような可能性が眠っているかもわからない。ポジティブ変換も、ちょこちょこしてるじゃない? ネガティブに参ることも多いようだけど。元気にやってるんでしょ?」
「そんな、映画のキキの手紙みたいにまとめられても」
「じゃあ、なにかお願いごとがあったり、相談したくなったり、話したくなったら、もっと頻繁に連絡するのね?」
待ってたんだからという本音を開陳しながら、いま再びのうちわチョップ!
拗ねているのだとしたら、えぐいぞ? このうちわチョップ、あまりにも正確無比な狙いで痛いもの! しわができちゃいそう! 刻まれちゃうよ、ミコさんの拗ねた気持ちを眉間に一本線で! しかもうちわによってね!
なにいってんの? ねえ。私。自分で考えていて、さっぱり意味がわからないよ?
「南たちに一任できるように態勢を整えているところだけど、まだまだ足りない。彼女たちも勉学に励み、仕事に精を出す身だし、無理を押しつけたいわけじゃない。あなたのいう環境を作るのなら、時間をかけていかないと」
「……はい」
「あなたとあの子たちもね? いずれ迎える園についても。刺激を穏やかにおさえながら構築するとなると、大胆さよりもまず、丁寧で繊細な動きが求められるわけ」
丁寧で繊細。
うっ、苦手!
「ノリと勢いにはないわね? 丁寧さも繊細さも」
くううっ。言い返せないぜ!
「士道誠心にもかつてはあったのだけどね」
「え」
「話題がずれるから戻す。気になるなら教師か麗子か美希に尋ねなさい。卒業生なんだから」
「あっ」
言われてみればミコさんの言うとおりだ。
「私のことを生き字引だあって顔して見ないでもらえる? きらいなの」
「そ、それはもう!」
以後、気をつけます!
「あと。朝起きて、あの子たちに押しつぶされずに起きれるまで、尻尾の穴の転化は我慢なさいな」
「はえ!?」
「あなたたちみんな、浮き足だって、急ぎすぎている。自覚はあるんじゃない?」
ミコさんがちらりと、ノンちゃんとノノカたちのほうを見た。
明らかに今日、突貫で仕上げてくれたバンドと、霊子を転化しながら作りだされるスーツ。
いまは機能がひとつもない。防具としても、役立つわけじゃない。
いままでのノンちゃんたちなら、もうちょっと形にしてくれそうな気がするけれど。
今回は間に合わなかった。
というか、いままでが無茶を通してきただけで。通ってきただけであって。
安全基地として、しっかりがっつり環境を構築するぞ、と備えてきたわけじゃない。
だから照準はぶれぶれ。ぐらぐらしたまま進んでいる。
ノンちゃんたちがっていうより、私がっていう認識で留めようと思っていたけど、ミコさんには見透かされてしまった。
ただ、私たちが置かれる状況が、いつだって私たちを著しく追い抜いたところにあるからさ?
刺激的な一手でくぐり抜けてきたのだし。それとはちがうアプローチが、いよいよ必要になったということなのかもしれない。
今年はずっとイレギュラー続きだった。
「日常が、ちゃんと過ごせてない……感じは、してます」
「じゃ、そこからなんとかしないと。おまけに、あの子たちの日常にはまず、あなたがいないとね?」
ぷちたちのことだ。
痛いくらい、よくわかっている。
「あなた自身のことも。自分を育て、ぷちを育てるんでしょ? 放棄するのをやめて」
「――……ほんと、いつものことながら、がっつりお見通しで」
「それはもう。だからもうひとつ伝えておく。育自の先に、穴の転化の可能性もあるんじゃない?」
提示した。
ありとあらゆる私の考えを見通したうえで、ミコさんはあっさりと、しかもはっきりと言うのだ。自分を育てることの大事さと、可能性を示唆した。
「連絡はいつでもどうぞ」
じゃあね、とミコさんが立ち上がる。
明坂のみなさんを連れて、出ていっちゃう。
入れ替わりになるように、ルルコ先輩たちが入ってきた。
先輩はミコさんとふたことみこと話していた。軽くなにかを確認した、くらいの印象だ。
にぎやかすぎて、なにを話していたのかまではわからなかったけれど、ルルコ先輩は光葉先輩を呼んで、先輩は先輩で卒業した刀鍛冶女子のみなさんに号令を発して、いよいよ本格的にスーツの開発に勤しむ流れになりそうだった。
私の話も済んだとわかって、ぷちたちがタックルをかまして飛びついてくる。お腹すいた、喉かわいたって訴えが止まらない。
眠そうにしてる子もいた。
すこし休んで夜に備えてもいいかも。
今夜もきっと、花火が打ち上げられる。
この島は、そういう場所だから。
せっかくだし、もっと楽しもう。
ぷちたちにも、そしてもちろん私にも、いまは特に遊びが必要だ。
心がすり切れて、大きな流れに飲みこまれそうになっては抜け出すのに必死になって。忙しくて、必死で、刺激に参らないようにかさぶたをつけては、どんどん不感症になっていく。
いまは芽を出すときではないと、種の殻が厚くなるみたい。
皮は一枚だけじゃなく、一言だけでなく、いろんな成分で幾重にも重なってできているもの。
火がつけば夜空に打ち上げて、爆発して華々しく開く大輪の花となる。しかし、地上で破裂したら大惨事が起きるものにだってなる。花火は花とちがって、火薬がやまほど詰まってるもの。
種の中身が火薬まみれになってしまうような、鬱屈した状態で過ごしたら?
参っちゃうよ。
安全な状態にするまで、ひどく複雑でたいへんな手順を求められるんじゃない?
爆発しないように、自分の心をなだめるのだって大変だ。
ぷちたちも、私に気を遣っている部分がかなりある。なだめながら、落ちつかせながら、みんなそれぞれに、言わないよう我慢していることも。
そこがさ? そここそが、私が早くなんとかできたらいいなと願う部分だ。
なのに、それさえいきなり刺激的な一手でどうにかしようっていうほうが無理で。
花が欲しいね?
たくさんの花で飾っていくんだ。
いまを。この子たちと。
時間がかかる。
熱量もいる。
決してノノカたちとやることが下がるわけじゃない。いろんな意味で、下になるんじゃない。
ただ、土台あってこそのもので。まずその前に、私を育てるうえで必要なことがある。
どちらかというと、順番の問題かな。
私がやるのなら、いっそ、ぷちたちも一緒にやれるほうがいいかもしれないくらい。
まず、花がいるの。私とぷちたちが過ごす場所に。時間に。あらゆる環境に。
悲しいかな、いきなり花は咲かないのだ。
悲観することはない。ちゃんとお世話をして、咲かせてみせよう。
信長、秀吉、家康。三者の違いをホトトギスで感じとる。
なら、もしもホトトギスではなく、花だったとしたらどうだろう。
花は植物が育つうえで開くもの。
理解なくば、咲けと迫れば咲くものではない。断じてね。
花には花の理があるものだ。
ノノカは作ってくれてるかなー。短歌の玉。この様子じゃ、正直あやうい。
なにせ、みんなハイだもん。なかには徹夜した子もいるんじゃないかな?
徹夜はよくないぞー? ほんとに。夜更かしすると、いろいろなゲージがぐぐっと下がる。おまけに上限値も下がる気がする。なんのかはよくわからないけどさ。健康度? みたいなの。損ねるよね。
いっそ百人一首をネタに、なにか形にできないか考えてみるかな?
玉のままでもいい。飾りになるものを。穴に嵌めるものを。
ミコさんの待ったがかかったばかりだ。
それに、私もミコさんと同じ意見だ。
自分を育て、ぷちを育てる先に、なんらかの可能性がある気がしている。
正直、焦らなくてもいい。
むしろ、花さえしっかり育てたい気分なんだ。
人はいさ心も知らず、ふるさとは花ぞ昔の香ににほひける。
花だにも、おなじ心に咲くものを植えたる人の心知らなむ。
紀貫之と宿の女主人の歌。応酬がすごいね?
人の心は変わるとあなたは責めますが、いやはや心とはよくわからないものですね。故郷にはいまもむかしも、同じ白梅の香りがするというのに。
いえいえ、その白梅を植えて育てる人の心も、あなたはろくに知らないというのでしょう? 心とはよくわからないものなんですもの。
あはははは、と。ここでふたりの笑いがハモる。しかし紀貫之はたじたじ、みたいな?
わからないや。
好きな人たちは、どうみるのだろう?
逆に私みたいに、いま知ったばかりの人はなにを思い描くのかな?
それさえやっぱり、わからない。
ノノカたちには咲かせたくなって夢中になっている花がある。
カナタたちも、それに夢中。
私はむしろ、ぷちたちが私を叱るくらい、ぷちたちと私のいまに欲しい花を咲かせたい。
そこで問いかける。
私の人生に、いったいどれだけの花が咲いていたのか。
いつ、いかなる状況で、どのような花を求めていたのか。
人生に花が必要だというのなら。
私はどれほどの花を見つけてこられたのだろうか。
その香りを、どれほど思い浮かべられるのかな。
私は私の心というものを、どれほど知っているのだろう。
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に、雲隠れにし夜半の月影。
紫式部の歌だ。
たまに触れて気づく水面の下の現実のような私の心、ぷちたちの心に、思いを馳せるうちに見えなくなってしまう。花はたやすく散って、しばらく見れなくなるのだ。次の季節が巡るまで。
まこと、心はいけずなものですね?
つづく!




