第千七百話
エヴァのプラグスーツ。ロケットガールの宇宙服。FGOの師匠とか、なのはのヴィヴィオとか。それかガンツのスーツとか? オーバーウォッチのディーバとか、メトロイドのサムスとか。Gガンのファイタースーツとか? 艦これの敵の強いキャラの服装もだし。
えっちなゲームのキャラを入れると、さらにきわどくなるとか。
ヱヴァ破のアスカの二着目のスーツなんか、いろいろ透けてたし?
あれ、えちちちと着火しそうなゲームだと? 露骨になりそう。
タイトなほど、大変そうだ。
それはさておき?
お父さんに勧められて読んだ、日焼けしたガンダムやロケットガールの小説に、ロボットやロケットのパイロットの排泄事情が書いてあった。
戦争にしても、宇宙飛行任務にしても、おうちでだらだらしてるときのおトイレタイムほど気楽にはいかない。当たり前の話だけど。なので、おむつを履いたり、吸水シートを使ったりする。ロケットガールは宇宙飛行任務だから、綿密なタイムスケジュールが組まれている。なので固形物は食べず、出発前に出すもの出しておく。
手術と似てる。胃の中に食べものを入れない、残さない。うんちもおしっこも済ませて、前日の夜はありなしで分かれて、当日の朝は絶飲食。だけど、たとえば地球上で戦争やってるガンダムだと? 基地から出発して、予定通りに帰れるとは限らない。レーションや飲料水を持参して、長期戦やゲリラ戦をしている最中に「あ、ちょっと待って? うんち!」とロボットを下りるわけにもいかないから、オムツの中に垂れ流しなのだとか。
硫黄島からの手紙で、主人公は上官の命令で、渋々おしっことうんちを溜めるバケツを捨てに行く。そりゃあ、戦地にご立派な水洗トイレが常備されているわけもなく。処理をしなきゃあならない。
野火でもそうだけど、熱帯雨林地方で衛生面に問題がある状態でいたら、どうなるの? あっという間に伝染病が蔓延する。そうでなくても衣服が不衛生だったら? ノミやシラミが大発生。これも問題大ありだ。
水泳の授業を思い返す。水着のときのトイレって、なんかもうひたすら面倒。プールや海水浴で遊ぶときもそう。
服は戦闘用のものさえ、衛生面や機能性は無視できない。まずそっち。次にデザイン。
そこまでの話を突っ込んでいくべきかいなか議論みたいなの、あるよね。
スーパーマンやスーパーガール。ワンダーウーマンにバットマン。他にも数ある、全身タイツなヒーローたち。会社を変えてアイアンマンまでいったら、いろんな機能がついていて、快適に過ごせそう。
スーツに特化しない人たちは概ね、元々の肉体がべらぼうに強い。ハルクなんか、もうすごそう。じゃあ、ハルクにシラミがついたら、それってどうなるんだろう? みたいな話は、ビッグバンセオリーのオタクたちがすでに通った道っぽいけど。
そういうとこまで、カバーされているでしょうか?
いまの私のスーツには。
ないよなー。絶対、そこまでいってない。
たぶんだけど、とことん装着者の霊力と接続して霊子を転化して、タイトな衣装を形成することを今回の目的としているんじゃないかな。
なので防御力も、機能も、足すのも、すべてがこれから。
昔、トリビアの泉という番組があったそう。
大辞林いわくトリビアとは、くだらないこと、瑣末なこと、雑学的な事柄や知識。ちなみに雑学っていうのは、これまた大辞林によれば、種々雑多な方面にわたる、系統立っていない知識や学問のこと。ついでに種々雑多とはなにかというと、いろいろのものが入り交じっていること。種々が馴染みないんだ。しゅじゅって読むのね? いろいろのものがあること。また、種類・方法などの多いさま。いろいろ。さまざま。そういう意味なんだってさ!
それを伝えるんだって。
意味ないこと、くだらないことも、がっつりロケして確かめる。スフィンクスの目線の先にフライドチキンのファストフード店がある、とか。海底に郵便ポストがある、とかね。
必要なことって、焦点を絞りたくなるものじゃない?
だけどトリビアって、必要なことに焦点を絞るほど視界から遠ざかるものじゃない?
私がいま考えたことは、必要なこと。
足りないことだし、実際に運用して困ることはないか予想したものだ。
ノノカとノンちゃんがそれぞれに「ひとまずいまは最低限のスーツを」というように、欲しいものさえ含めて引いて、作成するうえで満たす要件を、ごくごく限ったもの。
このスーツに神水だのなんだのとを付けたす。ニチアサにみるたくさんの変身で描かれるテーマやコンセプトをね?
いまはまず、枠組みを作る。英単語でいうと、フレームワークだ。
番組でも、ハネて、数字が明らかになる枠組みが見つかると? たいへん助かる。
めっちゃ個性的な芸人さんのドキュメンタリーを撮るのさえ、ある意味じゃ枠組みだし? 同じ番組でも、受ける枠組みが見つかったら、テーマの組み合わせを変えてみたりする。
たとえば、ほにゃららだったら怖い説! なんかがそう。後部座席に人がいたら、とか。起きたら人がいる、とかね?
単純に、先生役の人の後ろでいかに早弁できるか~なんていうのもあるじゃない? 枠組みは同じでも、参加する人を変えるだけで変わってくる。
匂いのつまった空気泡を撃たれたら? 獣憑きになる前の私の、風邪をこじらせて匂いがわからないときとさ? 獣憑きになって敏感な私とじゃあ、絶対にリアクションが変わってくるわけで。
枠組みが同じでも、前提や条件が変われば結果も変化していく。
グルメとなると、どうだろう。毎回おなじ人が、毎回ちがう場所へ行って、毎回かならずなにかを食べて「うまい!」とリアクションを取る。代わり映えする要素としたら、ちがう場所、ちがう食べもの。リアクションの幅は、どうだろう。グルメレポーターさんそれぞれに、いろんな名物要素があるけれど、私がそれを真似しても、ね? さむい感じになっちゃうよね。結局、おいしそうに食べることができるのが一番つよい気がするんだけど。それって、食いしん坊であれば、ばっちりってこと? どうだろ~! わからないぞ? 続いていて、見たくなるグルメ番組って、どういうことになってるのかな?
安易に済ませていることにも、枠組みを読み取ることもできるんじゃないかな?
それがいいことだけとも限らない。
なぜか。
「ママ、なんで来てくれないの!」
「ぷちたちのこと、みてなきゃだめでしょ!」
「事故が起きたらどうするの!」
一向に私が来ないことに怒ったぷちたちが、私が様子を見にいくより先に会いに来た。
泡まみれでモヒカンみたいに髪の毛を立てている子がいれば、むしろ全身泡まみれで前が見えないので手を引っ張ってもらっている子もいる。
あれかな?
流せと。私待ちなのだと。
そういうことなのかな!?
ただ、みんなの言うとおりだった。
優先した。私のことを。それで問題が起きたら? わかる。めちゃめちゃ大変なことになるって、わかるけど。さすがに何日か見てきたから、だいじょうぶだと――……済ませてました!
「そ、そうだね! ごめんごめん」
「「「 ごめんは一回でしょお! 」」」
「「「 ちゃんと見てなきゃだめでしょお! 」」」
「「「 謝って済まないこともあるんですよお! 」」」
「どうおもってるんですか!」
「「「 そのへん、どうなんですか!? 」」」
めっちゃくるやん……っ!
なにより、そのとおりすぎるじゃん……っ!
「ぷちたちのこと、ちゃんと育てる気あるの!?」
「なんでいつも名前で呼んでくれないの!?」
「だいじにしてくれないじゃん!」
「どうしてなの!」
ほんとはすぐにでも、なにか言わなきゃと思ったけど。
切実な訴えに抉られて、無理だった。
「「「 だめだって思うなら、だめなところは泡に流して、反省しつついますぐ洗ってよ! 」」」
「は、はいぃっ!」
急いで首元のバンドの留め具を外す。
ノンちゃんもノノカも、小楠ちゃん先輩やほかの刀鍛冶の女子たちも呆気にとられる中、私はバンドを外して、ぷちたちみんなとお風呂へ向かう。ちょっとごめんとお詫びしつつね。
いや、あの。
具体的でさ。
怒ったときの文句が!
みんなしてぷりぷりしながら、怒りや不満をぶつけてくる。直球だ。
たまりにたまったこと全部、隠さずに投げてくる。
なので洗い方の注文までされた。こういうのが好きなんだよ? 知っててよ!? って。
私は自分が思うよりもずっと、できてない。
自分で思うよりずっと、お父さんやお母さんがしてくれてきたこと、わかってない。
当時、どれほど切実に欲しているものだったかさえ、ぴんときてない。
いま聞くと「ああ、大事だよなあ」だし「私も覚えあるなあ」なんだよね。
いまの私に、そういうのってどれだけあるんだろ。
みんなが怒りながら、これでもかって伝えてくるようなこと。譲れないもの。大事にしたいこと。わかってくれる人がいたら、安全基地が穏やかになるブースター。
「ママ聞いてる!?」
「聞いてるよ、ちゃんと聞いてる」
「ほんと!? じゃあいま言ったこと、言ってみて!」
ひとりひとりに答え、覚え、それよりもっと触れてみたり尋ねてみたりしながら痛感する。
私が思っているよりもずっと、ぷちたちがそれぞれに私に求めていることがある。
それはいまだけのことかもしれない。
明日には変わることなのかもね?
でも、まさにいま、みんなそれぞれに私に求めているんだ。
大事なんだよね。
明日がどうとか、昨日がどうだったとか、そういう話の前にさ?
いまちゃんとキラキラしててほしいことがあるんだよね。
私が疎かにしたら、それだけで危うくなっちゃうくらい繊細な願いがあるんだ。
キラリのよく使うフレーズを借りるのなら、願い星。
それを見あげたり、話したり、遊んだりするとき、私がいなきゃだめなことがあるんだ。
あるいは、積極的にどうにかしてほしいというほどじゃないけど、ふと気づいたときに私がいなきゃだめなことがさ?
まだまだ、ぜんぜん! わかっちゃいないんだなあ! 私ってやつは!
ノンちゃんやノノカ、刀鍛冶のみんなが作ると決めて、必要最低限かつ最小限から、どんどん足していく方針を選んだ。引いて引いて、スーツを作ることにした。霊力と接続して、自然とあふれる霊子を転化して、スーツになる。そのための装備を作りだした。足し算は? 土台を作ってから。整えてからだ。
お姉ちゃんが現世でゲームにドハマリしているけど「過程を楽しむのって、いいな」とのこと。アイディアを捻るうえで「逆に過程をすっ飛ばしたところから始まる」なんていう作品もあるみたいだけど、結局のところは開始地点をずらしているだけで、結局はエンディングまでの過程を楽しむ構図自体は同じだという。
魔王を倒す旅なら、何事にもはじまりがあるように、よわよわな状態から強くなっていく過程を楽しむ。
はちゃめちゃにむずかしい戦闘アクションやシューティングのゲームなら、ゲームに不慣れな状態から、スタイリッシュかつ短く倒せるように上達への過程を楽しむ。
できることが増えていくゲームは多い。システムが充実していくゲームも。
忘れてしまう。便利になっていくほど、不慣れなときを忘れがち。
家康公が現代のゲームを遊んだら、どういう感想を持つのかな? 謎。
土台は一体なんだろう。
それはなんのために整えるのかな?
どこを目指して足したり引いたりしていくのかな?
よくわかろうともせずにいたら、なにをするかさえわからずに、見落としてしまう。
その先に、どういうやばさが眠っているかさえ気づかずに、見逃してしまう。
ぷちたちのことをどこかで後回しにしていた。
私は鈍感にも程があって、ぷちたちは逆に敏感だ。
当たり前っちゃあ、当たり前。
その当たり前が痛みとして、刺激になる。なり得る。心のエグい深さにたどりつくほど、悲惨な傷になっている人もいる。
そうならずにきた、と思ってみても? 自分の中にすっぽ抜けているものだから、自分を育てるうえで気づかず、足せないか、引けなくて、傷が増え続けたり、だれかの傷を増やし続けてしまうこともある。
ノンちゃんやノノカたちにとっても、キラリにとっても、変身やスーツが土台だ。
けど私は手前に必要な土台がある。
ぷちたちのことだし、自分自身のことだ。
家康公の遺訓だと、人生は重荷を背負って遠き道のりを行くようなものなんだよね?
だとしたら、荷物をのせられる乗り物や、乗り物を動かす燃料を求めることもあればさ? 運転するための知識と技術を学ぶことかもしれないし、乗り物を作ることかもしれなければ、整備することかもしれないし。そもそも、乗り物がだめな場合に備えた筋トレとか、荷物の運搬方法とか、保管方法とか、荷物を運びながら過ごせる自分のあり方を探ることかもしれず。
限りないなあ。限りないぞ? あまりにも。
ノンちゃんの言うとおりだ。
いろいろと考えられることがあって、その都度やっていかなきゃあいけないとき、まず土台作りを見直すのも手。
安全基地については、もう気づいた。
けど、それが具体的にどのようなものか、私はあまりに無知だ。
ぷちたちにとって、どういうものかもそう。
あんまり私が至らないし、気持ちを注ぐ気構えが足りてないものだから、ぷちたちが伝えていくっきゃないと開き直った。それは今日の幸いで、長くずっと続く状態ではなくて、一瞬の閃きの類いだ。当てにするということは、ぷちたちに小さな大人になるよう求めることになる。
そりゃあ、あるだろう。世界には。日本にだって、家庭によって。そうせざるを得ない瞬間は、いくらでも。あり得ることだけど、それはやっぱり、痛いことだと私は思うのだ。
みんなを洗い終わってやっと、湯船に浸かる。
お歌を歌ってと求められる。まだ、みんなの怒りは収まらない。
ただただ、求めている。自分を、みんなをちゃんと守り育て、愛でくるんでくれる存在を。
残酷な想像かもしれない。ただ、それでも思い描く。カナタのおうちに溜まっていた、寂しい埃の山を。
花。
あたたかく、当たり前に綺麗に整えられた、私のおうちと。
手入れが届かず、間に合わず、名前を知らない草花たちが生い茂りたまる、カナタのおうちと。
この比較は惨くて、陰湿で。
自覚があるけど、どうしても連想する。
私は自分を、ぷちたちを育てることができず、放置気味でいた。
うちに花が当たり前に咲いていたように思えたのは、お父さんとお母さんが、毎日きちんと面倒を見ていたからだ。私はなにもしていない。トウヤでさえ、そう。ふたりして、お母さんにあれこれ言われなきゃあ動かなかった。
だから私には、お父さんとお母さんがしているほどに整えることができない。
やり方もよくわからない。
きっと、関係性においては、草花が生い茂り、歩きにくい山の中にいる。
うちも、カナタんちも、親をはじめ、できる人が道をならしてきた。得手不得手はあるだろうけれど。
歩荷として、青澄家と緋迎家をずらーっと並べたとき、私はどれだけのことができるだろう。
ぷちたちに叱られて、はっとしたばかりの私は正直、ぜんぜんだ。
土台がなってない。
お母さんくらいの経験値のある生き方歩荷レベルだったら、去年の夏休みにできたこと、もっとたくさんあったんじゃないかな? それに立場からして、私とカナタとじゃちがっていて、ますます私がどうこういえた話じゃなく。
痛感したから、必死にできることをした。
そうしなきゃあ、なにかがひどく痛む気がして。
去年の滞在でがんばった理由はきっと、他にもいろいろあるんだ。
私の土台のしょうもなささえ、映し出された気がして、本当は心がかなり揺れていたのかもしれない。
むずかしいね。
むずかしすぎるよね。
翻弄される。しんちゃんにあの手この手でやりこめられるみさえさんみたいに。
みさえさんほど素直に言えない。
どこかに遠慮がある。引け目がある。それは、ぷちたちを突き放す拒絶になっている気がする。
考えると、ろくな意味に繋がらない否定ばかりが増えていく。
余白がどんどん埋まってしまう。
だから、そういうのはやめちゃう。土台がしんどさでいっぱいになっちゃうから。
先にいけるなら? 経験値に変えて、変換して、転化して、一緒に穏やかに、より先にいけそうなら楽しめるようにできるんなら? そのときには、進めちゃえばいい。
ただ、いまはむずかしいよ。
わからないことばかりだ。
土台がすかすかなんだもの。
穴だらけのふわふわのパン生地だ。ぎゅって握ったら、十分の一よりもちっちゃなサイズになるくらい、中身がないの。どうせふわふわにしたって、せめて蒸しパンレベルにはしたいところ。それはふかふかかな? ま、とにかく食べて満足感の得られる形にしたいわけ。
私の味を、確かなものにしていく。
味の土台は、なんだろね?
仮に例えを花でいくとしても、花が咲くことにだって意味がある。でしょ?
設計図を描くのなら、さあ。なにをどうする?
「昨日のアニメのお歌、ぜんぶ歌ってー!」
「「「 サビだけメドレーにしてー! 」」」
どういう類いの要求だ!
お宿の大浴槽、湯船の温度は三十九度ぐらいかなあ。ちょいぬるめ。
それでも足りないと、ぷちたちにせがまれて浮き輪を出してみせた。みんなして、ぷかぷか浮かび、漂いながら、私を見つめてくるのだ。
抗えない。
あんまりかわいい顔して見つめられるから、なんて話じゃない。いや、かわいいけど。そういうことじゃあなくて、ノノカたちの相談する声が聞こえてくるのが気になるし、尻尾の転化がこのままいくと今日やるのが無理になりそうだし。
さすがに申し訳ない。
今日一日で解決するつもりじゃあなかった。
それは確かだ。
あくまで今日は、試せることを形にして、挑戦してみようという段階を目指していた。
それにしたって、これはちょっとばかり、不足が過ぎやしませんか?
足りないことが過ぎていたら、その場合はどうなんですかね? 家康公!
わからないぞー?
わからないけど、育自放棄も、育ぷち放棄もだめだし、なしにしようって決めた。
自分を育て、ぷちたちを育てて、健やか元気に楽しく生きるのだ。
わからなすぎて、足りなすぎて、ぷちたちに叱られてしまうこともある私だけど。
経験値が必要すぎる私だけど?
「のぼせそうになる前に言うんだよ?」
「やだなあ、そんなのお水浴びにいったりするよ。ねー?」
「「「 そうそう! 」」」
「さ、さようで」
ちゃっかりしているぷちたちと過ごしていこう。
てごわい子たちだけどね! おかげで学びが多すぎるからさ。
しっかりこつこつ歩いていこう。
長い道のりを。重たすぎる荷物を抱えていくように。
せかせかしながら囚われていたら、とてもじゃないけど続かない。
大事なのは、のびのびと。大事な人たちのことを、よく見ながらね?
道を作ろう。休める場所を作ろう。
荒れ放題の自分という山を、まずは歩けるようになってみようじゃないか。
つづく!




