第百七十話
燃え尽きたよ……真っ白な灰にな。
「ハル。しっかりしろ、ツバキが帰るぞ」
「……はっ」
我に返った私は緋迎家の玄関にいました。
気がついたら一日が過ぎていたよね。脳が現実を理解することを拒んだのかな。まるでテレビの宣伝明けとか漫画の場面転換レベルで一瞬で過ぎた気がします。
嘘。ごめん。ほんとは覚えてる。
あのスカイウォークの後に現世に戻って、みんなでソウイチさんの喫茶店に行ったの。
黒の聖書の話題になってカナタが私の特訓のために、コナちゃん先輩がみんなの前で朗読会をさせたといったらソウイチさんが乗り気になりまして。
優しく紳士で大人のシュウさんがそれはもう、とびきり素敵な笑顔で言うの。それは楽しみだねって。
決まったよね、朗読会。一瞬で。
「ああああああああああ!」
叫びました。いやだといっても取り消せないレベルでみんな乗り気です。逃げられません。
となると私は黒の聖書を――ずっと大事にしてきて、朗読をこなしはしたけれど未だに直視できずにいる黒歴史と向き合って理解しなければいけません。
なので喫茶店から帰って翌日の終わりまで、ずっとツバキちゃんにつきっきりになってもらって読んでたの。昔の黒歴史だらけの日記を。ずっと。
それはたとえばね。
『世界を仮に神秘が満ちてる場所とします』
という序文から始まる「世界がこんなならいいな」という妄想垂れ流しの文章を眺める作業です。具体例はね。
『電車に乗ったら素敵な異世界に迷い込んだ気持ちにさせてくれるお店に連れて行ってくれる猫さんがいます。出会いましょう。ついていくのです』
永遠に耳をすましていろ……! とか。
『虹が見えたら、付け根を目指して歩き続けてみましょう。虹の付け根には世界の音を聞く虫がいます』
銀髪片目になって出直してこい……! みたいな、漫画やアニメ、ラノベ好きのお父さんの蔵書からまんまモチーフ持ってきた話が私なりの言語で書いてあるんです。
他にもね。
『高校生の私へ
元気ですか? 恋愛脳を獲得して世界は幸せに変わりましたか? 中学の私は正直恋愛どころではなく、それを理解するきっかけにも恵まれませんでした。恋愛脳、いいな。うらやましいです。人並みに恋もできないんだもん。
こないだクラスのイケてる子に、あいつならいけるかもって言われました。その子に試しに、私があげたらどう思う? って聞いたよ。
そしたら割と真顔で「チョコは食うけど絶対振る。嫌な噂になるし」と言われました。
その話をしたら、普段は照れて私のことをブスとか言うトウヤが割と泣きそうな顔で、ねえちゃんはかわいいって言ってくれました。
つらいけど、いい思い出です。
どうですか』
どうですかもこうですかもないよ……! 強いて言えば昔の私は無自覚に今の私を殺す気満々だよ……!
『後日、卒業式になってその子から頭を下げられました。
彼は言いましたね。
見た目はいいけど、お前って行動があれだからさ。高校行ったらそのへん気をつけたら、絶対モテると思う。ほんと、あの時はマジでごめん。
それを聞いて思ったものです。
心の底から、ああ……評判って大事なのかもしれない、と。
でもトウヤに話したら、こう言われました。
ねえちゃんを振る時点でろくでもねえ奴か、それかすげえ好きな奴がいるかの二択だ。そいつはろくでもない奴だね。チョコの時点で察したなら、もっと言い方あるだろ。俺は嫌いだ……って。
トウヤにネガティブなことを言わせてしまって反省したものです。
高校デビュー、頑張ろうと決意した瞬間でした。
未来のあなた、どうですか? 成功しましたか?』
くっ……中途半端にいい話にまとめようとしている自分が、かつての自分が憎い……!
これでもまだ素直な文章に訳した方だ。これが本当は、
『愛すべきクレイジーエンジェぅへ』
というノリで書いてあるからつらい。ちなみにトウヤの呼び名はファイナルエンジェぅ。
何がどう最後なのか、かつての自分を問い詰めたい。
一ページ読んでは魂が抜け出る私を懸命に励まし、応援し、ポジティブに解釈して褒めてくれるツバキちゃんこそマイエンジェぅ。
俺も手伝うと言いだす彼氏さまには辞退していただきました。
優しい目で見られてもあたたかい目で見られても蔑まれてもつらい。冷たい目で見られるとちょっとどきどきしそう。
落ち着け。我に返れ、青澄春灯。燃やさない限り、黒の聖書たちはなくならないぞ★
ううっ……いっそ殺せええええ!
◆
我に返ってツバキちゃんをお見送りして、リビングに戻る。
ソファに寝そべるコバトちゃんの手の中には当然のように私の過ぎ去りし日々を読んでいます。
どうせ朗読するんだし、とか考える余裕すらないね。
もうなんていうか……あきらめの境地というか。うそ、ごめん。
「こ、こんどみんなが集まったら読むから、読むのは後回しにしません?」
「……おもしろいよ?」
褒められても突き刺さるんですけど!
「そ、そう……そっか。面白いか、そっか」
強ばる顔をごまかしようがない。つらいよ……。
「ハル」
二階からカナタに呼ばれて、スリッパを履いた足でぱたぱた足音を立てて向かう。
私の寝泊まりする寝室にカナタがいた。
その手の中にも、当たり前のように黒の聖書があるんです。
それもよりにもよって、さっき思い出したチョコのくだりのあれ。
彼氏に見せるものなんだろうか。いや、寮で相部屋になってから何度も読まれているからきっと知っているだろうけれども。
「え、ええと……な、なんでしょうか」
私の中での最大の恥部を晒している状態で、もはや私に逃げ場なし。
裸を見られるよりもよっぽど恥ずかしいよね……!
できれば取り返したい、いやいや今更だって諦めろよ★ という脳内会議をしながら私は恐る恐る尋ねましたよ。カナタが何を言いたいのかわからないことが不安すぎて。
「思うんだが……お前は本当にモテなかったのか?」
頭の中でカナタの首根っこを掴んで何度も床にたたきつけて「あああああああ!」って叫ぶ。それから深呼吸をして、妄想をどこかへ追い払ってから笑顔になります。
「見ての通りだよ!」
だめだ。きれてるやん。
「トウヤくんの姉を思う優しい気持ちが伝わってきて俺は好きだ。それから、この次のページに書いてある内容が気に入っている」
「えっ」
なんだっけ。おさらいしたけど四十冊を越えてるんだよ? すぐに思い出せはしないよ。
慌ててカナタの隣に行ってページを見る。なになに?
『クレイジーエンジェぅの足跡 第四百十七回』
どんだけ書いてるねん。四百十七って。その数字にどれだけの意味があるねん。
『死には記憶が宿る。その記憶は誰かが読み解かなければならない。刻みつけなければならない。そうしなければ忘れ去られ、葬り去られてしまう。悼むべし。
けれど避けられるならば、運命に抗えるならば、なんとしてでも手を貸すべし。
以前、我は確かにそう書いた。
それゆえに見過ごせなかった。車道を前に立ち尽くす愛する使い魔の姿を』
……うう。瞬時に蘇る映像に顔を顰める。
たんに街中によく見る猫がいて、車道をじっと見つめてただけなんです。
「野良猫を追い掛けて、抱き上げて、向こう側に運んだら手を噛まれたんだよな」
「いっそ笑って! 結構いたかったよ!」
「笑うところか? ほほえましいとは思うが。続きにこうある――……小さな子が信号の前にいたら、老いた人がいたなら手を貸そう。ガイドブックを手にきょろきょろする海外からの観光客を見つけたら、英語がわからなくても話しかけよう」
「小さな親切おおきなお世話パターンですよ……!」
ええ? いいのに……って顔されたこと何度もあるもん……! 私、あの顔は忘れないんだからね……!
「そうかな……」
「だってそうだよ?」
「……思ったんだが」
黒の聖書を閉じたカナタがベッドにそれを置いて、私を顔をじっと見つめて言うの。
「買い物いかないか?」
「……へ? なぜに買い物?」
「今晩の晩ご飯の買いだしだ。何日も通っているから、もう慣れたものだろう?」
「……まあ」
もし仮に私が日常を新たな日記に書き記すなら書かずに飛ばすくらい、なにげない日常になったことだ。
カナタのおうちに来て料理番を任されてから頑張るモードに入ってからは、毎日商店街に行ってるよ。カナタのお母さんの料理ノートを手に献立とか、今日の課題はなにかとか。いろいろ考えるの楽しいもん。
「行こう」
「で、でも」
なんでこう、不意に思いついたら即行動みたいな勢いがカナタにはあるんだろう。
「きっとお前が黒に塗りつぶした真実が、行けば明らかになる。だから……行こう?」
そして、どうして……カナタは私の心を擽るのが、こんなにも上手なんだろう。
ずるい。差し伸べられた手を拒む理由なんて、私にはないのでした。
でも……商店街に何が待っているのかな?
私にはさっぱりわからないよ? カナタには……何が見えているんだろう。ちょっと、ううん……かなりどきどきしますよ!
つづく。




