第百六十六話
カナタが許してくれなかったよね。
なにをいってるんだい兄さん、ハルが入っている間は俺が火の番をするよ、なんて言ってさ。
わかってない。わかってないよ。
カナタはもしかして私といちゃつきたくないのでは? そもそも私とくっつくくせに草食過ぎるのでは? いわゆる一線を越えた行為に妙なハードルを感じているのでは?
え、それともなに? 一緒にお風呂に入りたくないくらい、私の裸って見苦しいの?
「ふうう……」
牛乳風呂に入ったら毛が吸うよね。牛乳風呂を。気持ちいいんだけどお湯が残らないのでは疑惑を感じながら木窓をみる。
その向こうでカナタが火の番をしてくれている。
「お湯加減はどうだ?」
「ちょうどいいです」
「それはよかった」
よくない。ちっともよくないよ!
あんまりがつがつしてたらお母さんに怒られそうだけど、でも……そういうことだってしたことないわけじゃないし。ならよくない? お風呂くらいよくない?
「ねえ、カナタ。なんで一緒はだめなの? ……実家で彼女と風呂とかあり得ない、みたいなことなの?」
「違う」
「じゃあ……私の裸はやっぱり見苦しいと」
「何を言ってるんだ、そうじゃない……お前は全然わかってない」
そ、それをいうならカナタの方でしょ-! と思わず立ち上がり窓を開ける私です。
じっと睨む私を見上げたカナタは顔を赤らめて、ふいっと背けるの。
「そうじゃなくて。兄さんとはいえ、他の男に裸のお前がそばにいるのは嫌だというか」
……なんか可愛いこと言ってる。
「え? え? なんて? 聞こえない」
嘘ですごめんなさい、調子に乗ってます。
獣耳が一言一句逃さずきちんと聞いてます。
でもどうしてももう一回聞きたいんです。
「だ、だから……お前の裸は、俺だけ知ってればいいというか」
ほう。ほおおう。ふぉおおおおう!
「そっか。そうですか。独占欲なんですか。なるほど、なるほど」
カナタぁあああああああ!
大好きだぁああああああ!
「……愉快な顔をして、湯冷めしたらどうする。風呂に入ってろ」
「はっ!? そ、そうだね」
いけないいけない。思わず脳内背景に日本海の荒波を背負って叫んでしまった。
「んー……」
ちゃぷちゃぷ音を立てる湯船に浸かる。
尻尾のせいでだいぶ減って見えるんですが……そうだなあ。
「もうシュウさんとコバトちゃんっておうちに戻ったの?」
「ああ」
「ふうん」
ちゃぷ、ちゃぷ。
湯船の中で尻尾を絞りながら考える。
やっぱり一人は寂しいなあ。
「ねえ、カナタ」
「なんだ?」
「ちょっとあっためて。薪ちょっと多めに入れてさ」
「ぬるくなったのか?」
「いいから!」
「……何がしたいのか」
ぶつくさ言いながらもからん、ころんと薪を入れる音が聞こえた。
「入れたぞ」
「じゃあ……こっち来ない? 一緒にお風呂入るの」
「……すまん、どういう理屈だ? だいたい冷えたらどうするんだ」
理屈求めるとか。そういうことじゃないと思うんだけど。
んー。どう言ったらカナタは素直にこっちにきてくれるかな。
真っ先に思い浮かんだのはカナタのお母さんの必殺技(って呼んでもいいよね?)の甘えるです。
よし、やってみよう。えっと。
「カナタと一緒に入りたいなあ」
「む……お前には羞恥心というものがないのか」
あ、ちょっと揺れたけど悩んでる。うーん。うーん。
「カナタなら……カナタになら、いいなあと思うのですが」
「……」
やばい。沈黙が返ってきた。
肉食過ぎたかな? カナタはそういうのあんまり好きじゃないのかな?
ツッコミ入れちゃう? 病室で見たんだし、前にもみたことあるよね? ならいいじゃんって。でもあっけらかんとしすぎて、甘えるっていうより我に返らせちゃう気がする。
ううん、難しい。さじ加減が難しいよ。
どうしよう。早くも打つ手なしだ。ううん。ううん。
『色仕掛け……が効くタイプでもなさそうじゃしのう。揺さぶってみてはどうじゃ?』
どういうこと?
『つまりは、こうするのじゃ』
ふっと身体に広がるタマちゃんの霊子。身体を自由に使う権利を手にしたタマちゃんは言うの。
「私の裸って……カナタからみてそんなに魅力ないのでしょうか……」
ずーんって落ち込んだ効果音がついていそうなしょぼくれた声!
さすがタマちゃん! この策士!
「そ、そうはいってない。むしろ、魅力的すぎるから……その」
「風呂場で裸同士だと燃えちゃいますか?」
タマちゃん! タマちゃん、この! タマちゃん!
「う――……ハルより上手の揺さぶり、となれば玉藻の前だな? まったく……」
あ、見抜かれた。すぐにばれたよ、なんでかな!
「否定しきれんうめき声じゃったのう。で、どうするんじゃ? 本人が両手を伸ばしておるのに、逃げるのか?」
「べ、別に逃げたりは――」
「しておる。何を躊躇っておるのや――……」
ら、っていう最後の一声を言う前にタマちゃんが私の中に引っ張り込まれた。
それをしたのは十兵衞だ。でも急に、なんで?
『な、なにをするか!』
『男の気持ちを踏みにじるのは、いい女のすることじゃない。ハルにもお前にも似合わんよ』
『む、むう!』
タマちゃん、十兵衞に揺さぶられてる……。
『直接聞いてみろ。ハル、これはお前が確かめるべき事だ』
そ、そうなの? じゃあ……えっと。
もう一度湯船から出て、窓越しにカナタを見る。
目と目が合う状態で見つめた私の大好きな人は悩みに顔を曇らせています。
気になる。そんな顔をする理由がわからなすぎて。
「どうして……カナタは距離を取るの?」
「それは……」
カナタの視線がさ迷い、俯く。顔は赤い。間違いなく赤い。
照れてるのかな。なんで? 私が裸だから? それはどういうこと?
「……近づけば近づくほど、不安になる。お前に溺れて、どんどんワガママになっていく」
ど、どうしよう! 凄いこと言い始めたよ!
「今日、お前と外を歩いていて思った。他の男達がお前を見る度に、狂おしいくらい嫉妬した。見せたくないと思ったし……お前を外に出したくないとさえ、思った。それについては前科があるし、我ながらどうかしてるけど」
……こ、これは、じゃあ。
「明日になるたびにハルは綺麗になる。誰かを幸せにする力をどんどん手に入れて……そんなのまるで、俺の手から離れてどこかへ飛んでいってしまいそうで」
つまり。
「……怖いんだ。ハルに近づくほどに、重なり繋がるたびに……どんどん、俺の中で醜い独占欲が湧いてくる。いつか、お前を傷つけてしまいそうで……怖い」
カナタって、
「今日も失敗したばかりだしな……ご褒美過ぎて、どう受け止めればいいかわからないんだ」
私のこと、好きすぎるのでは?
そういうことだろ! じゃん!
いや。いやいや。いやいやいや。
「~~っ!」
カナタぁあああああああ!
愛おしすぎるんですけどおおおお!
「今日の俺には火の番がお似合いだ」
「そんなことない」
窓じゃなくて扉だったなら、開けて飛びついていたくらい……好きな気持ちが溢れて止まらないの。
「一緒に入ろう? カナタと二人でいたいの。それに……こっちきて」
窓枠に置いた手でたしたし壁を叩いてアピールしていたら、カナタが渋々立ち上がってこっちへきてくれた。
一歩横にずれて浴槽を見せるの。私の尻尾が牛乳風呂を吸ってかさが減った浴槽を。
「一緒に入ってくれたらきっと、湯船もちょうどいい高さになると思うの。一緒に入りたいなあ」
だめ? と尋ねる様にじっと見つめたら、カナタは困った様に笑って言いました。
「父さんが帰ってくる前には出ないと」
「それは、じゃあ……いつまで?」
「たぶん、日付が変わるまで」
「ということは……」
視線を天井に向けて、それからカナタに戻す。
「……まだたっぷり時間が残ってる」
私の期待にカナタは俯いて子供みたいに笑って、それから私を見たの。
手が伸びてきた。私の頬に当たるそれが何を求めているかは明白だ。
近づけるの。顔を――……唇を。
重ね合わせて、少し離れる。
「薪を入れてくる……たっぷりと」
「うん、たっぷりとお願いします」
笑い合えるこの瞬間を素敵にするのは私たち自身だ。
牛乳風呂の甘い香りを長い時間二人で堪能するの。日付が変わるまで……ずっと、ずっと二人で。
日常が戻ってきた。私の幸せで特別な日常が……ちゃんと、戻ってきたの。
それはきっと、たっぷりと続く。時に悪意に晒され曇ることがあっても、私たちが諦めない限り。それはいつまでも戻ってきて、明日へと続けることができるものだ。
そのための方法ならもう、一つ手に入れた。
大好きな人といる。
私はカナタと二人でいる。
それはきっと、素敵な明日に繋がっているのだ。
つづく。




