第百六十三話
第一回、緋迎家家族会議――……開始。
「発端から整理しよう。まずは、退院した青澄くんが料理を作ろうとしたが、買い出しを担当していたカナタがうっかり忘れていたため作れなかった」
「そーです」
シュウさんの切り出した言葉に私はジト目をカナタに送る。
カナタはカナタで腕を組んで俯くだけ。
「もちろんすぐに買い出しに走るべく、カナタは家の財布を確認したが金はなかった」
「ああ……そうだ」
涼しい顔で言って……!
「なぜ金がなかったか。コバトが今夜は牛乳風呂に挑戦したいと、やり方も調べずに一人で大量に購入してきた牛乳を投入。コバト、お金を使ったのはわかるんだが……念のために確認させて欲しい。どうやって牛乳を運んだ?」
「ネット通販、代引き」
どや顔のコバトちゃんに対して、カナタは猛烈に渋い顔をしている。
それもそうだ。お風呂場が牛乳くさくて大変なの。
「おかげで我が家の食卓は空。父さんは会合で外出しているから、お金を出すなら私なんだが……さて」
シュウさんが私を見て困った顔で微笑むの。
「青澄くんの怒りはおさまらないようだね」
「……カナタが買い出し忘れてたっていうけど、あれでしょ。今日、士道誠心の霊子刀剣部の活動で都内の美術館に刀を見に行ってうきうきしすぎて帰るの遅くなったから忘れたことにしたでしょ」
「う、ごほっ! ごほっ!」
私の恨み節にカナタは咳き込んだ。図星だな。図星だ。図星に違いないよ。
「別にごまかすならそれでもいいけど」
うそ、本当は全然よくない。
「一言メールしてくれたら、代わりに行ったのに」
カナタが何かを言い返そうと私を見たけど、頭を振った。
「……なに」
「別に」
折れないカナタと譲らない私の間で走る火花にシュウさんが手を叩いた。
「そこまで。恋人とはいえもはや夫婦ゲンカに近いね。二人も人だとわかってほっとしたところで、私が沙汰を出そう」
ふいっと同時に顔を背ける私たちにシュウさんは困ったように笑いながら言う。
「コバト、勝手にたくさんのお金を使ってはいけないよ」
「……牛乳風呂、おはだつるつるだよ? お姉ちゃん元気になるかなあって思って。驚かせたかったの」
コバトちゃん……! 愛しさのあまりに抱き締めたい所存。
「サプライズだからこっそりやればいいってものではないんだ。今度からお姉ちゃんを驚かせたかったら、まず私に相談して欲しい。力になるからね」
「……はあい」
しょんぼり落ち込むコバトちゃんから外した視線を今度はカナタに向けるの。
「カナタ。青澄くんの言葉がわからぬお前でもあるまい。あやまちを認められるから人は強いのだ。わかるね?」
「……わかっているさ」
「コバトの面倒を見ていてくれたらこうはならなかったのだ、と先ほどは言いたかったのだろう?」
兄さん、と慌てるカナタにシュウさんは厳しい視線を送るの。
「言わない選択ができるなら、次は態度にも出さないことだ。青澄くんの神経を逆撫でするのは明白だ……それはまずいだろう?」
「――……わかっているよ。わかっているとも」
一度だけ深呼吸をしてから、カナタの顔からこわばりが消える。
「すまない。美術館が楽しすぎて忘れていたのは本当なんだが……ちょっと、気が利かなかった」
「遺恨を残すべきではない。よく話し合って、ここで決着をつけてほしい。青澄くん、何か言いたいことがあるなら言った方がいい」
なら言わせてもらいますけど、と暴れたがる怒りを深呼吸で追い払ってから、私はカナタを見た。
「楽しかったところに水差して、私もごめん」
最初にすべきことは殴りかかることじゃなくて、歩み寄ることだ。どんなに怒っても。どうせ怒るなら、ちゃんと怒るべきだし、その目的はただ怒ることにあるんじゃなくて……問題を解決するためにあるべきだ。
「……私、この前の一件で思い知ったの。誰にも助けを求めないで、配慮を忘れたら取り返しのつかないことになるって」
カナタの瞳が揺らいだ。効いてるんだと思った。
「身の回りのこと、大事だと思うから。疎かにしないで欲しいし、疎かになりそうなら一声かけてほしいです。私も周り見えなくなって一人でてんぱる方だけど、カナタだってそういうところあるもん」
そんなことは、と言おうとしたカナタの視線がシュウさんに向いた。そしてカナタが俯いたの。気づいてくれたんだと思った。シュウさんを中心に起きた一件でカナタが最初にした暴走の原因を思い出してくれたんだ。
「それだけ言いたかったの。シュウさんだって帰り遅くなるときは絶対連絡してくれるし。カナタだって私よりよっぽど気遣いできる人なんだから……忘れられるとさみしいよ」
しゅんとした私にカナタがはっきりと痛みを堪える顔をしたの。
「……すまん」
「……私も事前に冷蔵庫確認したりメールすればよかったし。おあいこだから……私がほんとに怒ってたのは、頼って欲しいし忘れないで欲しいってことなの。さみしいし、いつも感じる愛情がいきなり消えたみたいでつらいです」
「わかった……ごめん」
答えてくれたカナタと見つめ合って……お互いに力を抜いて笑い合う。
「趣味に興じて実家で料理をしてくれる彼女を疎かにするとは……我が弟ながら贅沢な奴だ」
「に、兄さん!」
「まあいい。コバトのした風呂のケアは後ほど考えるとして、今日の晩ご飯をなんとかしよう。コバト、ピザとお外の特別なお魚さん、どっちがいい?」
カナタを慌てさせてしれっと流すシュウさんの余裕! さすが大人……!
「んー。んー。ピザは気分じゃないです。特別なお魚さん、どんなの?」
「仲直りした若い二人に仲良くしてもらいたいから、ウナギにでもするか」
「しゅ、シュウさん!」「兄さん、なんの冗談を!」
「ははは」
私たちを慌てさせてから笑顔で冗談だと告げて、シュウさんが立ち上がる。
「決着はついた。ついておいで、車を出すからおいしい魚を食べに行こうじゃないか」
◆
いつも乗ってるリムジンじゃなくて、おうちに泊まっているワンボックスで海沿いへ向かう。
ソウイチさんとシュウさんなら料亭に通い詰めてたりグルメ漫画の高級食材としかお付き合いなくても不思議はないけどね。実際に緋迎家の食卓を支えるようになって実感するの。
いつもすごいもの食べてるわけないんだなって。むしろ庶民の味もちゃんとわかる人たちだ。そんなシュウさんが連れて行ってくれる場所はどこだろう? って思うじゃない?
車は高速道路に入って、レインボーブリッジを過ぎて湾岸を走る。
そのまま南へ向かっていくの。空港やベイブリッジを過ぎて、横浜を片手に通り過ぎていく。道は曲がりながら横須賀へと近づいて、逸れて、山から海へ。
湘南が迫ってきた。時刻は既に夜八時近い。窓を全開にしてはしゃぐ助手席のコバトちゃんを後ろから眺めていた時だった。潮風を浴びていたら、指先に熱を感じたの。
そっと横を見たら、カナタが私を見ていた。
唇が動く。ごめん、って告げる彼に唇を重ねられたらどれだけいいだろうって思った。届いているならいい、ぜんぜんいい。理不尽に怒ってしまう私はまだまだ子供で、一年早く産まれたカナタもまた……まだまだ子供なのかもしれない。
完璧に見えるシュウさんですらあやまちを犯した。私たちは間違えながら生きていく。それをなじるのは……とても簡単だ。
大事なのは、そこからどう舵を切れるのか。晩ご飯に何も並ばない食卓で、シュウさんにお金を出してもらって食材を買ってきて用意しても私たちの中にしこりは残ってしまうだろう。今晩の食卓がぎこちないものになるのは明白だった。
シュウさんは私たちをもてなしてくれているんだ。引きずらずに済むように。シュウさんが言ったように、遺恨を残さないようにするために。
それがわかっているからカナタは私に歩み寄ってきてくれた。幼い怒りではね除けるんじゃない。繋いで、繋ぎ止めて、もっと引き寄せて。
カナタがどれだけ趣味に没頭して、のめりこんでしまっても……私のところにきちんと帰ってきてもらえるように頑張らなきゃいけない。
それこそ私が意識するべきことだった。怒るんじゃなくて。わかっていても怒っちゃうから、やっぱり私はまだまだだ。
「二人がタバコを吸うのなら、火でもつけ合えば絵になるだろうが……あまり熱く見つめ合わないでくれ。後ろが見えない」
シュウさんの声に私たちは揃って俯く。暗いけどきっと、私たちの顔は真っ赤になってる。
笑うシュウさんが緩やかにハンドルを切る。
江ノ島が近づく手前で曲がり、鎌倉へ。駐車場に停めてシュウさんが案内してくれたのは大衆食堂だ。わいわいと盛り上がる中、シュウさんのオススメで食べたしらす丼はとびきり美味しかったです。しらすふわふわなのね。固いイメージあった。思ったよりも小さい魚の苦みみたいなのを感じて不思議な気持ち。
お会計を済ませてくれたシュウさんの運転で今度は江ノ島に向かうの。
砂浜を歩くんだって。小走りで元気にはしゃぐコバトちゃんを幸せそうに見守るシュウさんの後ろを、私とカナタは手を繋いで歩く。
波音が心地いいとよく聞くけれど、実感するタイミングって実はそうそうない。海沿いに住んでいるわけじゃないもの。でも、けっこういいかもしれない。
踏み込めば柔らかく沈む感触を想像したら、思いのほか波打ち際は固い感じでしたけど。
「ハル」
「……なあに?」
カナタの呼びかけに浮かぶのは不安。それと、
「週に一度は外食しよう。気分転換になる」
期待。だって、カナタは何をしても……やっぱり私の王子さまだからだ。
「気を遣ってくれてるの?」
「……お前の好きなドラマになぞって、ハグの日みたいな習慣を作ろうと思って。些細な口げんかはしてきたが。今日のは結構、怖かった」
うん、と頷いてシュウさんとコバトちゃんに視線を向ける。
「シュウさんがいてくれてよかったなあ……コバトちゃんも心配して気を遣ってくれたから」
問題があるとすれば……それは。
「カナタときちんとケンカしたことなかったね」
「……まだまだ、課題は多いな」
苦笑いで見つめ合う私たち自身だ。
「完璧な人なんていない。いるのは、完璧に見せようとしている人だけ」
「……それは、どういう意味だ?」
「メイ先輩が言ってたの。ちょっと思ったんだ、完璧な二人になれたらいいなって。でも……そんな状態あり得るのかなって」
波が近づいてくる。二人で急いで逃げて。
「今日みたいなこと、きっとまた起きる。それはたぶん、どうしようもないことなのかなあって」
「……そうだな」
「だからそういうものだと思って、どう乗り越えるかでしかないのかなって……積み重ねで、完璧に見える二人に近づくだけなのかなって」
空を見上げる。星たちが凄く綺麗だけれど、一つだってまともに掴めない。でもいい。掴めなくていい。
「ハグの日いいね。キスの日も欲しいし……ウナギも、食べたかったかも」
「……ああ」
私の緊張に震える手をカナタは優しく包んでくれている。
「ぷんぷんして、ごめんなさい」
「……俺も、忘れてごめん」
やっと溶け合い重なる気持ちの分だけくっついて、ありのままある二人を追い掛ける。
はじまりを告げた八月、私は今日もカナタのおうちに帰るのだ。
愛しているから、離れない。
繋がりたいから、重ね合う。
なにがおきても、たまにケンカをしても、折れず曲がらずに寄り添える。
みんなが求める完璧には程遠いかもしれない。
それでもカナタと私は積み重ねていく。
寄り添う昨日を、ぶつかる今日を、繋がる明日を。
夏休み。
退院した私はもう、とっても元気です。
つづく。




