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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第十三章 表出する弾丸、切り裂く心 

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第百六十話

 



 最初に足に限界が来ました。

 胡座とはいえ長時間は無理。無理ですよ。痛くなっちゃいますよ。

 そして次にお尻。道場は畳ではなく板の間なので冷えるし固いし、とてもじゃないけど無理。

 さらにおまけに私には尻尾がある。それも今は常時九本の九尾モードです。

 揺らさないように意識すると不思議と尻尾全体が痛みを訴えてくるの。じっとしているなんて性に合わないと訴える九尾をなだめて動かさないようにすればするほど、普段使っていない筋肉がもうやだむり、と嘆くので……あ、これ終わったって思いましたよね。

 三十分くらいした時にはもう私は汗だくになったので、救いを求めて恐る恐る薄目を開けてカナタを見たの。涼しい顔で座禅を組んだまま、ぴくりとも動かない。完璧って感じです。

 カナタで完璧なら、ソウイチさんなんかもう微塵の隙もないよね。泰然自若、巌のように構えている。

 やばい。

 助けて。誰か助けて。切った張ったの方がまだ楽だ。だからこその修行なのかな。深い。深すぎるし痛みも尋常じゃない。


『心がうるさすぎるな、お前は』


 呆れた声を出す十兵衞に泣いて縋りたい所存。


『やれ……代わってやりたいのはやまやまだが、恐らくすぐに気づかれるぞ? しごきが待っていると知っても代わるか?』


 う……。

 や、やっぱりあれかな。ソウイチさんって達人なのかな。


『難しいだろうよ。今のハルと俺ではな』


 十兵衞がそこまで言うなんて珍しい。


『それはあれかのう。妾ばかり優遇されすぎだ、という遠回しな不満と催促かのう?』

『ふ……』

『む! その余裕、なんか腹立つ!』

『さて。己の腕は己で磨くしかないゆえ、神性にとらわれた畜生の言葉など気にならんな』

『くぬぬぬぬ!』


 あ、ちょっと! タマちゃん落ち着いてよ! タマちゃんがあらぶると尻尾がざわつくんだから!


『ふん……どうせ狐ですよーだ。もういい、妾は寝てる! 起こすなよ!』


 へそ曲げちゃった。やれやれ。


『なあ、ハル』


 なあに?


『深呼吸をしてみろ』


 ええ? 今するの? 息を潜めてないと静かすぎて、なんか怖いんだけど。


『いいから、してみろ』


 そんなに言うなら、じゃあ。


「すう――……ふう」


 七月の終わりが近づいてきた時期特有のまとわりつくような空気をはね除けるような、涼しい風が胸一杯に入り込んでくる。

 いい風だ。

 汗も冷えたし、涼しいといえば涼しいかもしれない。


『他に何を感じる』


 んー?

 そうだなあ……。

 獣耳からたくさんの音が入ってくる。

 蝉の鳴く声、小鳥のさえずり、木々のざわめきなんていうのは序の口で。

 庭を挟んだ先にある家でコバトちゃんが見ているテレビのワイドショーの音声や、通りを走る車のエンジン音。たまに混じる通行人の歩く音。どこかで布団を叩く音が聞こえるし、おばさんが子供を叱る声も聞こえてくる。

 この耳、すっごくよく聞こえるんだね。


『他には?』


 お尻が痛い。尻尾も痛い。腰にも地味に痛みが来てる気がします。


『ふ、未熟者め……まだまだだな、ハル』


 そう言う十兵衞は、なんか楽しそうだね。


『禅はバカにはできんよ。お前ができる見方といったら……そうさな。考えを整理し、自分を見つめ直す時間に使える』


 自分を……見つめ直すの?

 すっごく身体痛いのに?


『呼吸を意識しろ。まずは呼吸からだ。姿勢を正し、世界を吸いこむのだ』


 ……世界を、吸いこむ。

 ちょっといいかも。うん。なんかいいかも。


『試してみろ』


 うん!


 ◆


 考えてみたんだけどさ。

 三十分くらいで限界がくるんだから、三時間過ごしたらまともに立てるわけないよね。


「午前中はここまで」


 そう言ってすっと立ち上がって家に戻るソウイチさんは凄いし。


「ハル、大丈夫か?」


 心配そうな顔で私に手を差し出すカナタも凄い。

 対する私は板の間に突っ伏して、痺れた足と痛む腰に悲鳴さえあげられませんでした。


「そうなると思っていた。少し休んでいろ」

「で、でも、おひるごはんが……女子なのに、こんな」

「二つ、言っておくよ」


 私の頭に手を置いて、カナタは優しい笑顔で言うの。


「父さんはきっと女子だから頼んだわけじゃなくて、ハルの料理がおいしかったから頼んだんだ」


 撫でてくれる手が心地いい。

 伝わってくる冷たい霊子が私の背中とか腰とか足に広がって、不思議と痛みや痺れが消えていくの。


「それから家事はできる人がすればいい。俺にも手料理を作らせてくれ、お前に食べてもらいたいんだ」

「ふぁ……」


 素の声で「はい」って頷いてしまいました。

 外から差し込む日差しを背にしたカナタはとびきり眩しくて、直視できそうもありません。


 ◆


 Q.緋迎カナタ選手のアプローチ、いかがでしたか?

 A.正直、これまでも惚れる瞬間は山ほどありましたが、今回のアプローチはその中でも指折りの台詞でした。やはり彼はやる、その確信が事実に変わった瞬間でしたね。

 Q.なるほど。期待通り、といったところでしょうか?

 A.期待通りかって? 答えはこう。期待を越えてきた。胸を張って断言できます。

 Q.これはかなりの好評価ですね? しかし、作られる料理や家事の出来次第では評価が一転してしまう難しいアプローチですが、その点ではいかがでしょうか?

 A.思い返してみて欲しいんです。緋迎カナタが完璧でない時はだいたいにして、彼の余裕がなくなる時です。なるほど確かに、彼は目的を達成せんとするがあまりに視野狭窄に陥ることがあるかもしれません。ですが、逆に考えてみて欲しいんです。

 Q.逆、といいますと?

 A.ここはいわば彼のホーム。なら、彼に余裕があるのかどうか……答えは簡単でしょう?

 Q.おおっと、これは意味深な振りですね。では食卓にシーンをうつしてみましょう。


 ◆


 キッチンに立ってエプロン姿のカナタがお鍋を沸かしている。

 そして冷蔵庫から壺を出したの。

 ……待って。


「その壺、なあに?」


 はらはらとする私に微笑みかけるだけ。

 な、なんだろう。不安なのですが――……


「蓋を開いて……匂いを嗅いでみろ」

「え? ……うん」


 手招きされてキッチンに入り、ツボの中身を見る。

 真っ黒な液体が溜まっているの。匂いはとびきり濃厚な……


「おつゆ?」

「コバトに頼んでおいたんだ。今日は元からそばを作るつもりだった」

「えええ」


 やだ、ちょっと。聞いてない。


「待ってろ」


 微笑むカナタは生き生きしている。


「父さんは知り合いが多いんだが、中には漁師や趣味の釣り人が多くてな。みんな舌が肥えているからいい食材をくれるんだ。これも、」


 冷蔵庫から出された塊は見たことのない物体だった。


「その一つだ。昨日、俺たちが帰る前に届いたものなんだが」


 茶色いの。薄らと黒も見えるかな。

 よっぽど不審な顔をしていたらしくて、カナタは私を見て吹き出すの。


「なんて顔をしてる」

「いや、だって……それ、なに?」

「わからないのか。鰹節だよ」


 そっと差し出されたので匂いを嗅いでみると、言われてみればなるほど確かにそんな匂いがするような。


「ちょっと待ってろ」


 キッチンから何かを取り出すの。

 木の箱の上面に刃がついている。

 それに鰹節の塊を滑らせる。耳に心地いい音と一緒に塊がそぎ落とされていく。

 ぷんと香るそれは、私の五感が普通の人よりもいいから感じるもの?


「時間がかかる、待っていてくれ」


 手つきはとても手慣れたものだったから、キッチンからそっと離れます。

 リビングに行くとソファに寝そべっているコバトちゃんがぽそっと呟きました。


「お兄ちゃん、今日はそば打たないだけマシ」


 え。


「……昔だけど。打ってた」

「そばを?」

「……うん」


 ……なぜに? なぜにそばを打つの? 哲学なの?


「今日は久しぶり……」


 コバトちゃんの顔が浮かないあたり、あれかな。よっぽどたくさん食べさせられたのかな。

 はらはらしていたらソウイチさんがリビングに戻ってきたの。

 その手にザルを持っていました。見ればキュウリとナスが乗っかってるの。


「冷やしてきました。昼に食べましょう」


 微笑むナイスミドルの渋い声……いい……。

 じゃなくて。

 ソウイチさんはカナタに対して何も指摘しないから、じゃあ大丈夫なのかな。

 どきどきしながら待っていたら、キッチンからなんとも素敵なおつゆの香りが!

 それだけじゃありません。なにやら揚げる音が聞こえてくるじゃあありませんか!

 これは期待できるんじゃないでしょうか!


 ◆


 湯気をたてるおつゆ、それに浸っているナス、お肉、お餅の揚げ物!

 そしてザルに盛られたおそばの山。

 不思議な組み合わせだ。私は見たことないよ。あっついおつゆと冷たいおそばの組み合わせなんて。それにおつゆも具材が浮いていて不思議。


「食べよう」

「「 いただきます 」」

「い、いただきます」


 ザルからおそばを取って、つゆに浸して啜る。

 口の中いっぱいに広がるおつゆの甘くて濃厚な味わい。

 ちょっと体験したことない味だった。後から香る鰹の香りもすごくいい。


「おいしい……」


 私が呟くとカナタが何か言いたそうな顔でおつゆを見てきた。

 具材も食べてってことなのかな。

 何にしよう。どれにするか悩ましい。お肉一択なコバトちゃんが羨ましいくらいだ。

 でもまずは揚げ茄子かな。切り目が綺麗に入れられているお茄子をかじる。じゅわっと広がるおしる。おしる! 破壊的なおしる! じゅうしいなおしる!


「――ッ!」


 ここがカナタのおうちじゃなかったら、迷わずテーブルを叩いていたよね。

 今は横向きに座っているおかげで暴れ回る尻尾の膨らみが、私の気持ちを代弁してくれていたけれど。


「一度、そばの居酒屋に連れて行って以来か。妙にはまったな」

「……おいしかったから、作れるようになりたかった。本当なら父さんの知り合いのそば職人に教えてもらった腕を披露したいんだけど」


 コバトちゃんが半目で呟く。


「お昼ご飯じゃなくなっちゃう」

「わかってる。今日のは乾麺だけど、大目に見てもらえると助かる」

「これで十分おいしいよ?」


 ね、とコバトちゃんに視線で同意を求められることが嬉しくて、あと何よりおそばが美味しくて私はもちろん頷きましたよ!


「揚げ物できるの尊敬」

「まだまだだけど」

「そんなことないよ! お茄子おいしい……」

「なら、ザルの野菜も食べてみて」


 カナタに促されるままに、ソウイチさんが持ってきてくれた茄子に箸を伸ばす。

 綺麗に一口サイズに斜めに切ったそれは漬け物か。

 油っぽくなっちゃった口にひんやり冷たい皮の滑らかな舌触り。

 噛むと広がる冷たいおつゆがおいしい……私の語彙力……ああでも美味しいからキュウリも食べちゃおう。

 噛めば噛むほど、だよね。音も小気味よくて、ついつい箸が進んじゃう。


「うちの味はどうだ?」

「おいしいです……おいしすぎて今晩のハードルを意識せざるを得ない、ああでもそんなことどうでもいい美味しい……」

「よかった」


 カナタがソウイチさんと目配せして、微笑みあうの。


「まだまだ、家にいる間は食べてもらうぞ?」

「私の出番……」

「それももちろん、楽しみにしているとも」


 はあ……。

 微笑むカナタは満点彼氏なの……?


「お兄ちゃんは二人そろって凝った料理ばかり作るし、お父さんは苦手な料理ばっかり作るから、お姉ちゃんの料理の方が好き」


 あれあれ? 求められてる?


「お姉ちゃん、今晩はなににするの?」

「えっと、えっと」


 どうしよう。コバトちゃんの顔に「どんな料理たべられるんだろう、楽しみ」って書いてあるよ?

 こ、これはあのレシピノートを使って立ち向かうしか!


「が、がんばるから、お楽しみに! ……なんちゃって」

「自らハードルをあげてるぞ」

「はっ!?」


 くうう。カナタが満点彼氏ならだらけたくなるところだけど、コバトちゃんが期待するなら私も頑張らざるを得ない……! なにより私にお願いしたソウイチさんのことや、私の今後を考えると、立ち向かわざるを得ないよ……!

 と、とりあえず。


「おそばおいしいです!」


 午後に向けて、まずはたくさん食べておこう。

 本当に美味しいので!


 ◆


 おもちの揚げたのって絶対おいしいよね……。

 あれやまほど出されたら一週間後には体重計と付き合えない身体になっているに違いないよ。

 洗い物まで率先してするカナタに休んでいろと言われて甘える私はだめな子です。

 その頃にはもちろん、頭の中からすっきり消え去っていたよね。

 午後なにするんだろうって。

 だからね? みんなでお茶を飲んで一休みした頃になって、


「さて、腹ごなしをしますか」


 ソウイチさんが言ったその言葉にどきっとしたし。

 コバトちゃんまでついてきて四人で道場へ行くことになったのも、道場につくなりソウイチさんが肩を回してから、


「鬼ごっこをしましょう。カナタがいるなら、ぜひ……隔離世でね」


 と言ったのもいかにも不穏。

 カナタが眼鏡を御珠に変えて、私たちの魂をあちらへと運ぶ。

 しれっとした顔で立っている三人を見て、恐る恐る尋ねます。


「あのう、鬼は?」

「私がやります」


 ソウイチさんなの……?


「こ、コバトちゃんもやるんですか?」

「病み上がりですが少し鍛えないとね」


 ええええ。


「午前の座禅、途中までは雑念ばかりでしたな」


 腕を組むソウイチさんから何かがほとばしって私の身体を襲った。

 気づいた時にはもう、尻尾が内股にみんなそろって避難していました。


「さて、どれほどのものか……見せてもらいましょう。刀を持って、どうぞお逃げください」

「あ、あ、あああ、あの」

「ハル。鬼ごっこの範囲は四方、大通りに突き当たるまでだ。本気で逃げろ。逃げる時は刀も使っていい……まあ」


 鞘を掴んで動き回るカナタが呟く。


「父さんには当たらないが」

「ええええええ」


 コバトちゃんはてててて、と駆け去って行った。

 カナタも走りだす。


「それでは数えますぞ。十、きゅう――」


 ひえええ!

 慌てて逃げ出す私です。

 外に出てみればなんてことはない、邪はいなかった。事前にカナタかソウイチさんが駆除したのか。隔離世だから人が歩いたりしていることもない。車は走っているけれど、中に人はいない。

 家の中に逃げ込めばかくれんぼの要領でいけるかな、と思ったの。

 だって隔離世なら、これない人はいないわけで。家宅侵入とかそういう問題にはならないと思ったので……とはいえ良心が咎めるので、二ブロック先の犬小屋に隠れようとした時でした。


「そこではお尻が出てしまいますな」

「えっ」


 ふり返るといたよね。ソウイチさんが、笑顔で私を見ていたよね。

 あわてて飛んだよ? もちろん全力で。なのに同じ速度、同じ高さで追従してくるの。

 総毛だったし、こんなの無理じゃん! って思ったんです。


「身体能力はいい。が、逃げ方が素直すぎる。他に芸当がなければ、」


 手が。


「あなたが鬼だ。誰も捕まえられなかったら……そうですね、今日の座禅を見るに、トイレとお風呂掃除がいいかな」

「そんなあ!」

「残念ですが、鬼交代です」


 悲鳴をあげる私の肩に置かれる手。

 落下を始める私はソウイチさんにあわてて手を伸ばした。

 けれど、どういう理屈なのか。空中で落下する軌道をくん、と変えて逃れてしまう。そして空を蹴った。地面なんてないのに、蹴った。そのまま遠くへ飛んで行ってしまった。

 着地した私は呟くよ。


「……嘘でしょ? 嘘だといってよ」


 しかし私の中にある二つの魂が呆れた声で伝えてくる。


『事実じゃな。あまりにもあっけなさすぎて、先が思いやられるのう』

『捕まえなければ、今日やらねばならぬ家事が増えるぞ』


 く、くぬぬぬ!


「二人とも、いくよ!」


 冷静に考えろ。相手は三人。そりゃあシュウさんを鍛えたかつての最強の侍と、その子供二人が相手だけれど。

 私にはタマちゃんと十兵衞がいる。

 最初から全力でいくよ! 大神狐モードだよ!


『して、その心は?』


 今日のトイレとお風呂掃除は免除でお願いします!


『やれやれじゃの』


 さあ、がんばるぞ! たとえ後ろ向きでも、前のめりにいくの!




 つづく。

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