第百五十話
緋迎カナタが生徒会として活動する時間は決して退屈ではありえない。
ラビ・バイルシュタインという行動力に溢れながら、自由奔放に活動する生徒会長を軸にした士道誠心高等部の現生徒会における注意事項は、三つ。
一、ラビの動向を把握せよ。
二、並木コナの暴走を制御せよ。
三、ユリアとシオリ、この二人の機嫌を損ねるな。
二は並木コナという少女を知れば理解できると思うが、彼女は溢れんばかりの情熱とラビに勝るとも劣らない行動力の持ち主だから会計という立場でありながら生徒のもめ事に首を突っ込むし、問題があれば対処せずにはいられない。そんな彼女が暴走することなど日常茶飯事である。
しかし彼女にかまけているとラビが何を考え、どんな事件を巻き起こすのか把握できずに痛い目を見る。
そういう意味で、俺は二人の味方を大事にしなければならない。
ユリア・バイルシュタインの機嫌を取る方法は簡単だ。兄同様自由奔放ながら、基本的には興味が内向きな彼女には十分な食料を与えて、わがままを受け入れさえすればいい。
だから問題は尾張シオリだ。引きこもり、パソコンオタクを通り越して凄腕ハッカー。その興味は並木コナにかなり傾いている。もしかしたら俺の彼女である青澄春灯以上に自意識をこじらせている可能性があるシオリの扱いはとても難しい。
結論。現生徒会の中での活動が退屈なんて、あり得ない。
「ねえカナタ、星蘭って調理室にたこ焼き器とお好み焼きを焼く鉄板があるって噂なんだけど、確かめてきていいかな?」
「会議のあとにしろ」
「緋迎くん、北斗と山都の人がちょっと居心地悪そうなんだけど、間に入ってくるべきかしら」
「探り合いの状況だからそっと見守る方がいいよ、大人しくしていようか」
「……お腹すいた」
「バッグの中に菓子パンを用意した。ほら、とりあえずメロンパン十個で我慢しろ」
「あーバッテリー切れそう。死ぬ……もう死ぬしかない」
「モバイルバッテリーがあっただろ……ほら」
万事、この調子だ。
会議室に座って、星蘭の生徒会長が議事進行をし始める段階になってやっと一人、こっそりと息を吐く。
「えー。みなさんには足をお運びいただき、あり、あり、あり……」
「僕がかわろうか?」
「じゃかあしいわ!」
早速ラビが絡んでいる。
胃が痛むな……。
「えー。警察の人から挨拶があります。ほな、よろしく」
一歩下がる生徒会長さんに微笑みかけ、星蘭の会議室の壇上に立ったのは兄さんだった。
今朝あたりに帰ったと思っていたのに、いつの間に。
「昨夜はどうも。さて、それぞれに警察への討伐隊参加の案内が伝わっていると思いますが。今年の八月は特別な注意が必要です」
みんなの視線が兄さんに集まる。
「まず夏休みという大型連休による邪の増大が懸念されます」
それは例年のことだから説明されるまでもない。毎年、侍が頭を悩ませる時期でもある。
なにせゴールデンウィークと五月病からしてちょっとした騒ぎになるくらいだ。ただの一週間でさえそうなんだから、大型連休ともなればその規模が憂鬱なものになることは明白。
「特にお盆あたりは危険です。邪が過去の妖怪変化や怨念の姿を取って隔離世にはびこるため、特別な注意が必要です」
静まりかえった会議室に兄さんの声だけが響く。
「たとえば東京では年に二回の同人誌の祭典や、有名テーマパークに集まる人々から産まれる邪はかなりの脅威です。他にも毎年行われている野外フェスやライブなどもあります」
それは同じように有名なテーマパークが近くの県にある星蘭にも言えることだ。
「さらに……今年は霊子モニターを含めた隔離世技術の国際的祭典が催される。世界中から大勢の関係者が来ることは明白です」
「オリンピックが今年じゃなくてよかったですね」
「楽観視するのは早すぎる。注目が集まっているし観光資源が広まっていて、海外からの旅行客は年々増加傾向にある。そもそも夏期のスポーツ国際大会や、海外の有名チームを招いての試合も予定されている。不安要素は数え切れないが、安心できる要素は数えるほどしかない」
誰かの指摘に切り返した兄さんの話の内容にみんなの顔が曇る。
「これからオリンピックが終わる年まで、各都市の一部では隔離世はまさに戦地と化すだろう。この一年を、いいや……来る八月を乗り越えられるかどうか、我々は試されているといってもいい」
「……誰に、ですか?」
北斗の制服を着た少女の問い掛けに、兄さんは肩を竦めた。
「強いて言えば……神に」
冗談なのか、本気なのか掴めずに何人かが怪訝そうな表情を見せる中で、ラビとユリアは微笑み、コナは肩を竦め、シオリは瞼を伏せた。我らが生徒会が気に入る表現だったから、なのだが……やれやれ。
「さておいて、猫の手も借りたいのが本音です。この場にいる学生はみな討伐隊に選んだはずだが、そうでない生徒にも待機状態に移れるようになっていてもらいたい。ということは、どういうことでしょうか?」
「力に目覚めていない生徒の覚醒誘導。既に力を手にした生徒の強化。組織としての動きの強化」
ラビが楽しくて仕方ないといった顔で列挙する。
その口を制するように兄さんが手を差し伸べた。
「簡潔に言えば?」
「直ちに戦力を用意せよ、と。警察は僕らに仰せなのでは?」
「その通り」
重々しく頷いた兄さんにみんなが居住まいを正す。
「我々は大戦の結果がどうあろうと、常に隔離世へと赴き、人々を脅かす邪を退治してきた。その兵力が十分であった試しはない」
教壇を手で掴んで、深く呼吸してから告げられる。
「常に意志ある者だけが防波堤となる。昨夜は何かがあったようだが」
意図的にこちらを見られた。他の学校の生徒会の視線も集まるから、我々は全員で涼しい顔で無視を決め込む。
「ともあれ、正しき意志を持つ者が一人でも増え、我らの隣に立つことを望む。以上だ」
警察からの要請はなされたのだろう。
兄さんは立ち去り、会議室に静寂が広がる中でラビが立ち上がる。
「星蘭の視察といいながら目的は今の話にあることは明白。であれば、もういいよね」
「待てや。士道誠心は今の話を受けてどないする気なんや」
「どうもこうも」
星蘭の生徒会長に笑いかけて、ラビは両手を派手に合わせた。
「邪がいるのなら退治する。今も昔も、代わりは無い。士道誠心は、」
俺たち生徒会の視線を浴びながら、
「強くある。それは誰かを守る侍としてだ。ならば、プロの要請にだって応えるさ」
俺たち全員の総意を、確かめもせずに言えてしまう。俺たちの精神の要に他ならなかった。
「……北斗は賛成しかねます。我々は学生です。プロじゃない。選抜された生徒以外の介入はしない。それは我々が学生だから、未熟な状態だからです」
「山都もだ。使える生徒は回そう。だが……高校生なんて進路が半端な者ばかりだ。刀や鍛冶に目覚める切っ掛けは生徒に委ねるべきだ」
対して北と西に構える要の顔は浮かない。
「星蘭はどうするんだい?」
「あほか」
ラビの問いかけを受けて、星蘭の生徒会長は目立つ八重歯を見せるように笑った。
「銭かせぐチャンスがあるなら、ほっとかんのがうちら星蘭や」
「……それでよく命賭けられるわね」
「お寒いとこに住んでると肝が据わると聞いたことあるけど、まだまだやのう!」
北斗の生徒会長の指摘に、はっと鼻で笑って、ラビとよく争う彼は言ったよ。
「銭は命や。銭がなければ生きてはいけん。ならば銭かせげる言うだけで十分やる価値があるわ」
「それで死んだら本末転倒ではなくて?」
「せやな。やから、言うてんのは、息をするのと同じやっちゅーことや。呼吸に命は賭けへん。ただ吸って吐くだけや。生きられる限り稼ぐし、それで死にそうになったら逃げる。それだけのことや」
結論は出た、と瞼を伏せる星蘭の生徒会長にラビが今一度手を叩く。
「それぞれの学校の立場、信条、それなりにあると思う。みな考えているはずさ、僕らそれぞれの道の先に何があるのか、そしてどう目指すべきかがね」
「言われるまでもないわ、当たり前やろ」
「そうね……異論はない」
「ああ」
ラビの言葉にそれぞれの要が頷く。
「ぶれてはいけない。持ち帰って話す必要があると思う学校は、そうすればいい。僕らは失礼するよ」
行こう、と席を離れるラビに続く。いつも、こういう時に驚かされる。
こいつには一体なにが見えていて、どこまでの未来を見据えているのか。
俺にはわからない。掴んでいなければならないから言葉から類推するけれど、たまに見えた背中がいつだってすぐ遠くに離れてしまう。
隔絶を感じているのは俺だけだろうか。みな、誇らしげに先頭を歩くラビの背中を見ているが……このままでいいのだろうか。
星蘭の敷地を出てから、ラビは立ち止まり、困った顔でふり返った。
「しまった。格好つけて出てきたから、星蘭のたこ焼き器と鉄板を調べ忘れた」
「こうなると思って検索しといた」
本気で悔しそうに言うラビに、シオリがモバイルバッテリーをつけたタブレットで星蘭の調理部の写真を見せる。そこには確かに学校の調理室に設置された鉄板やたこ焼き器が映し出されていた。
「それにしても北斗と山都は及び腰だったわね。なぜかしら」
「コナ、明白だよ。北も西も、大阪京都や東京に比べると邪の発生件数が少ないせい……カナタ、パンもうない?」
「これが残り全部だ」
パンやポテトチップの詰まったリュックごとユリアに渡す。
「白ウサギ、どうするの?」
「おさまるところにおさまる。僕らは関東近辺のことを考えるべきだ。カナタ、君のお兄さんの狙いは何かわかるかい?」
急に質問されて、深呼吸した。
「ラビの言う以上の狙いはわからないが……ハルの反応を見るに、兄さんは八月に相当な脅威を感じている。何かが起きると予想していて、だから俺たち学生にまで催促してきたんだと思う」
「つまりは、身近な仲間に対してはもっと備えを要求しているかもしれない、か……シオリ」
「んー。こないだの五月の一件でマークされてるから、あまり派手には動けないけど探ってはみる」
「よし」
指を鳴らして会心の笑みを浮かべるラビを見て、つくづく思う。
「俺たちまるで悪役だな。警察の裏を探るなんて、学生のやることじゃない」
「何を言っているんだ、カナタ。大人の思惑を探りつつ備えるなんて、いかにも僕らにしかできない悪だくみでぞくぞくするだろ?」
「表だって動いてみんなの不安を煽る段階でもなし、仕方ないわね」
「ほら、コナちゃんもこう言っている」
「コナちゃん言うな」
「ところでユリア、あんまり食べ過ぎるとお昼ご飯がはいらないぞ」
「もぐもぐ……楽勝。店丸ごともってこい」
これでまとまりがあるんだから嫌になる。やれやれだ。
「ところでカナタ。今朝みたらハルちゃん元気になってたけど、何か目的でもあるのかい?」
「いや、そこはどうして元気になったかを聞くべきだろう」
「みなまでいうな。彼氏のフォローとハルちゃん自身が良い子だからに決まっている」
「あの子の場合は素直だし、ちょっと抜けてるからね。引きずるタイプにも見えないし」
「コナちゃんもハルちゃんのこと大好きだよねえ」
「コナちゃん言うな」
しっかりツッコミは入れるんだよな。お約束のやりとりすぎて俺やシオリ、ユリアはスルーだが。
「それで、どうなんだい?」
「……花魁体験がしたいらしい」
「ぶはっ」
ラビが吹き出した。お腹を手で叩いて全力で笑っている姿は正直珍しい。
「あー、そういうところが好きだなあ。ハルちゃんはいいねえ、大好きだ! そうかそうか、そりゃあさぞカナタも反応に困っただろうね!」
「まったく……本気で言っているならお尻叩かなきゃだし、何か……どうせ舞妓でしょうけど。とにかく勘違いしているんなら帰ったら勉強会ね」
二人ともそれぞれにハルのことを大事にしているよな。
「花魁いいな、ちょっと前にロリな女優さんがR指定入った映画で演じてなかったっけ」
「身分が強いる叶わぬ恋感、それゆえに待ち受ける運命……」
シオリの言葉にユリアが頷く。
「積ん読リストに入れてある」
「おいおい、悲恋なんかに恋い焦がれないでくれよ? ハッピーエンド至上主義者なんだ」
「さすが、先輩への報われない恋を叶えた兄は言うことが違う」
「はっはっは」
仲が良いのか悪いのかわからない兄妹だな。
「それでカナタはどうするんだい? ハルちゃんが花魁になったらさ」
「……どうもこうも。即座に身請けするしかないだろう」
「しかし相手は玉藻の前を引き当てるほどのタマだよ? 相当な金額になりそうだけど」
「関係ない。彼女のためなら、なんとでもする」
愛だねえ、と嬉しそうに言うが、ラビはなにがそんなに楽しいのか。
「あっはっは! ハルちゃんは一途だけど、花魁ともなったら……そうもいかないよね」
「白ウサギ、さすがに意地が悪いし、それ以上はあなたらしくもないくらいに下品よ」
「おっと、コナちゃんの言うとおりだね。すまない」
帽子を取って宙に放って受け止めると、ラビは帽子を胸に当ててふり返った。
「しかしカナタ、どうするんだい? もしハルちゃんに言いよる男の子が出たら。京都旅行なんて絶好の機会じゃないか」
「現場を見れば不安になる可能性はゼロではないが……実は余り心配はしていない」
思い描く顔も、その心もすべて。
「俺もあいつも、互いの笑顔が大事で。それが第一にあるし、それは互いにそばにいることで成立しているとわかっていると思う」
積み重ねてきたことをまとめてみたら、すっきりした。
「だから大丈夫だ」
「そう言ってくれると思った」
悪戯っぽく笑うと、ラビは帽子をかぶってしれっと言った。
「コナちゃんも未練なんて持ってられないね」
「ほんっっっっっっっとに、あなたは私に対して容赦がないわよね」
「コナちゃんの将来がどうなるのか楽しみなだけさ」
並木さんが半目でラビを睨む。
「あなたに心配される意味がわからないんだけど」
「仲間だし、大好きだからさ。とびきり幸せになってもらいたいなあ」
「ああむかつく。本気でそう思っているところがむかつくわ。その口を縫ってあげましょうか」
「あはは。こわいこわい」
そそくさと退散するラビについて歩く。
隣を歩く並木さんは、いつものやりとりを経て気高くつんと澄ました顔でいた。
「あなたは気を遣わないで。さっきみたいに自然にしてくれていればいい。話題も選ぶ必要はない」
「あ、ああ」
「ただ……幸せになってくれなきゃ祟るんだから」
その笑顔がこわい。
「ちょっと! ラビ、あんまり一人で先へ行かないで!」
「あははは」
先行しようとするラビのそばに駆け寄って首根っこを捕まえる彼女は強い。
その有り様は同い年でありながらラビ同様遠くに感じるくらいに美しいと思う。
ただそばにあったから、自分しか見ることができなかったから気づかなかっただけで。
「……今更、変な目でコナを見たらカナタでも凍らせるよ」
「わ、わかっている」
「後悔するのは勝手だけど、手を伸ばすなら話は別だからね」
「わかっているとも」
そそくさと後を追うシオリはきっと、その美しさに惹かれているんだと思う。
「……はあ」
「よく空中分解しなかったよね」
「うお!?」
耳元で囁かれて思わず飛び退いた。
ポテトチップの欠片がついた指を舐め取るユリアが俺に耳打ちをしたのだ。
「コナの気持ちも知ってたし、カナタが気づくこともないんだろうなあって思ってた。でも……その時が来て、今もこうしてみんなでいられる。私は結構、今に満足してる」
「ユリア……」
「あなたの隣にいるのがハルちゃんでよかったとも思う。他の女の子だったら、こうはなってない。コナは……今もああしていられたとは思わないから。ハルちゃんでよかった」
ね、と微笑む彼女もまた、容姿とは別で美しい見方のできる人だ。
「あとはカナタがしゃんとするだけ。行こ?」
背中を押されて歩き出す。
日差しを浴びて眩い道を歩くラビに続く並木さんがいて、シオリがいて。
俺たちはそれを追い掛ける。
京の都。いつもと違う場所だろうと、いつものように、五人で。
それはとても誇らしくてかけがえのない絆によって作られている。
まあラビは並木さんをちょっとどうかと思うくらい弄るし、それに反応する並木さんをきらきらした目でシオリは見つめているし、ユリアはどこかに食べもの売ってないかきょろきょろ見渡しているし……平穏無事とはいかないが。
こうして四人といると、寂しくなんてないが……それでも気になる。
ハル、お前はいまどうしている?
つづく。




