第百四十四話
金髪の女の子と山吹さんをはじめコナちゃん先輩とノンちゃんら刀鍛冶を後方支援として、残る士道誠心の侍候補生でホテルの屋上に立っていました。
先頭は羽村くん。その肩に背負う刀の有り様は以前のままだけれど、浮かべる顔に満ちた決意は既に先ほどまでとは大きく異なる。
ホテルの部屋でコナちゃん先輩は言いました。
「一年生はいずれ授業で教わる予定だったけれど、先んじて伝えます。いいこと? 刀には段階があるの」
手の中にある鞘を見つめます。
大神狐としての真の姿を取り戻したタマちゃんの刀は黄金に満ちていて、それに対して十兵衞の刀はあくまで無骨にあり続けるの。
「偽りの名を知る侍候補生の手にする偽刀、最初に知る名の姿こと影打ち・初段……つまり、一年生のほとんどが神に捧げるべく打たれた一番上等な真打ちではないということ」
十兵衞は影打ち・初段になるんだ。あるべき姿としては、まだまだ強くなる道筋がある。
対してタマちゃんは違う。
「真打ちは己の霊子を注ぎ、一時的に姿を顕現させることのできる侍にとって最強の姿。メイ先輩の天照大神も、見た限り……ハルの刀のそれも真打ちね」
「えっ」
「見た感じ、常時その状態なのは解せないけれど、黒歴史から産まれる異常な霊子のなせるわざかしら。だとしたらあなたも大概凄い子だわ」
笑顔で突っ込まれはしたけれど、ともあれ。私のタマちゃんは既に真打ち。それはつまり、私にとって最強の代名詞だ。
「結城が偽刀から影打ち・初段へと変えたように……羽村、あなたにもまずその変化を体感してもらう。その手伝いを今からするわ」
ノンちゃんとカナタと三人で、コナちゃん先輩は羽村くんに手を貸して――
そうして、いま。私たちは身構えている。
「……だいじょうぶ?」
怪我の治療が済んで意識を取り戻した南先輩は、羽村くんに寄り添って心配そうな顔をしていた。けれど、羽村くんの意識は通りに向いたまま。
「さて……地上に動きがあるね」
ラビ先輩の声に路上を見る。
そこにはユウジンくんが鹿野さん、立浪くん二人を従えて刀を手に仁王立ちしていた。
離れているから見えないけれど、きっと笑っているんだと思った。
グループでコミュニケーションツールの通話をしているから、みんなのスマホから音声が流れている。だから聞こえる。
『おいで……おいで。この夜の王たらんとするならば、さあさ、さあさ……おいで』
ユウジンくんの声だ。楽しそうな声だ。恐れも不安もない。ただ確信だけがある。
背にいる二人だってきっと笑っている。彼らは知っているんだ。
誰が、主か。
「来やがった」
ギンの声にはっとして、ユウジンくんたちが見つめる先を見た。
百の鬼が夜を来る。
千の妖が鬼を追う。
先頭にいるのは、茨くんであり……岡島くん。
その目は赤く煌めいて、浮かべる笑顔は凄絶そのもの。
未だ理性を取り戻しておらず、暴れ回る気しかなさそうだ。
「なんで正気を失ってるんだ」
シロくんの唸る声に私は呟いた。
「刀の真の力は気持ちよすぎて……酔ってしまって、流されてしまう」
『……そういうことね』
スマホからコナちゃん先輩の同意が聞こえた。
そう、私たちは知っている。交流戦に来た星蘭の人たちを相手に暴れ回った私と、その覚醒を促したコナちゃん先輩は覚えているんだ。
全能感を。酔いしれて暴れてしまう力の強さと、なんでも掴める可能性を。
『随分とまあ、暴れてくれたね。京をまるで自分のものみたいにして』
『だって――……人にはもったいない街だろう?』
岡島くんの声なのに、違う。これは酒呑童子の意志なのか。
『実際、きみたちの目の前にいる僕らが答えさ。ここは僕らの街だ』
鬼たちが一斉に笑い声をあげる。
『ほうら……火が灯るよ』
ばっと両手を広げた岡島くんに呼応するように、街のいたるところに青い光が灯る。
街灯に、玄関先に、ゆらりゆらりと鬼火が舞う。
まるで怪談めいた状況に私のクラスの何人かが呻いた。シロくんは露骨に喉を鳴らしたし、トモがその背を叩く。
けれど、ああ。
『ユウジン、言うたれや』
『……そうとも。我らが王よ』
『しゃあないね。せんせの手のひらで踊らされてるみたいで気にくわんけど』
京の主は誰なのか。
『――……我が軍門よ、きたれやきたれ』
ユウジンくんが掲げた刀に鬼火が集っていく。
姿を現す真打ち。
『安倍ユウジンの元へきたれ、急急如律令!』
叫ぶ声と共に振るわれた刀が空間を切り裂く。
上下に裂けて、大勢の生徒がなだれこんできた。
『士道誠心にできて星蘭にできぬわけもなし』
その先頭に立つ、真中メイと肩を並べる三年生の牡丹谷タカオさん。
ラビ先輩と戦ったあの大阪弁の生徒会長さんもいる。
みんなが道を空け、そこを優雅に歩くユウジンくんこそ。
『安倍ユウジン。真打ち・管狐……退治されたくないなら、今すぐ降伏せんと』
あんた、死ぬよ。
その声が開戦の合図になった。
ユウジンくんに迫る童子二人のこぶしを鹿野さんが、立浪くんが刀で防ぐ。
「さあ、作戦開始だ」
ラビ先輩が告げる言葉に、士道誠心のみんなの顔に緊張が走る。
「ホテルの部屋でした説明を、簡潔におさらいする」
カナタが口を開く中、みんなが柄を握る。
「星蘭が全員で混戦に持ち込む。北斗三名が混乱に乗じて茨木童子、酒呑童子を化かして分断。我々士道誠心が全員で囲み陣を作り、邪魔が入らぬようにする。あとは二人から刀を抜いて、正気に戻す」
深呼吸をして、街を見渡した。
星蘭の人たちの刀が鬼や妖怪を倒し、邪を祓う。なかには特別な力を放つ侍候補生もいて、あっというまに土埃に包まれて目視できなくなった。
炎がかっと燃え上がる。
「前衛は羽村と俺だ。魔を払う俺の刀と、鬼に特別効果のある羽村で当たる。何か質問は?」
「補佐に回っている私たちが抜いても構わないんだよね?」
私の問い掛けにカナタは頷いた。
「倒すことが目当てではないから、難度は高い。だからこその三校同時作戦だ。無論、二人に隙があれば抜いてくれて構わない」
「じゃあそろそろ行こうか。見てごらん」
ラビ先輩が腕を振るう先、地面のあちこちにいつの間にか木が生えていた。
それらは枝を伸ばして、数え切れないほどの桜の花を咲かせる。
火花があがる方向へと追い掛けるように木々が生えては桜が舞い散る。
「京の都に桜が咲いた。狸による化かし合いの始まりさ」
『綺麗だけれど……同時にぞっとするわね』
「俺たちに似合いの演出だ。ユリア、みなの移動の補佐を」
「いくよ、オロチ」
生徒会面々の言葉の結びにユリア先輩が刀を振るう。瞬間、床から何かがせりあがってきた。あわててしがみつくと、それは冷たい皮につつまれたヘビの肉。
黒く巨大な八岐大蛇が京の都を走る。木々の向かう先を目指して、前へ、前へ。眼下に見える星蘭と妖怪変化の戦いと、舞い散る桜の花びらと鬼火に彩られた千年京。
ただただ、息を呑むほどに美しい。この世ならざる饗宴に心が震えずにはいられない。
『狸の演出というのが気に入らんが。妾も何かしてやろうかの』
『よせ……これで十分だ』
『雅だとか思うておるんじゃろ、どうせ』
『ふ……』
二人は二人なりに楽しそう。
ホテルの屋上に移動する間に聞こえた愚痴の中には「大人は無茶するよな、安全管理はどうなってんの」みたいな意見もあったけれど。
私がシュウさんなら大丈夫だと信じられてしまう。士道誠心は強い。星蘭も強い。北斗も、作戦には加わらなかったけれどきっと山都も強いから。
だから……あとは二人を助けるだけ。
『頼むわ』
『おいしいところは譲るけど、貸しだからね』
ユウジンくんと狸の女の子の声に私は頷いた。
北へ真っ直ぐ向かって辿り着いたのは、ゴルフ場。
目を白黒させて周囲に咲き乱れる桜を見ている童子二人が八岐大蛇にのった私たちを見て、構える。
「展開!」
メイ先輩の号令にみんな飛び降りて、二人を囲うように円陣を組んだ。
顔色を失う茨木童子と違って、酒呑童子は笑みを崩さない。
けれど彼への恐怖よりも、茨木童子の姿に私は目を奪われていた。
士道誠心の男子の制服、ワイシャツの布地を押し上げている膨らみはいったい? っていうか茨くんの顔が妙に可愛くなっちゃっているのは、なぜ?
「戦は数か。分断していい気になっているようだけど……こういうのはどうかな」
普段の彼ではあり得ない雄弁さで語ってすぐ、構えた彼の隣に彼が増えた。
……え?
「だいたい……百は増やそうか」「それがいい」「大勢でくるからには」「大勢で相手しなければ」
分身とでもいうの?
まったく同じ姿をした酒呑童子たち、その数は彼の言葉が真実なら百。
「ど、どうするの!?」
「あ、慌てるな、本体は一つだ!」
動揺する私になんとか返すカナタ。それ以上に声を張り上げて、
「みんな生き延びて! 一年生は隣の人とツーマンセル! 二年生は一人でいけるよね? 三年生はフォロー!」
「さあいくよ、戦いの時間だ!」
ラビ先輩が飛んだ。メイ先輩が熱線を振るう。
酒呑童子の群れが一斉に私たちへと襲いかかる。
眼前に迫ってきた青い拳を見切り、脅威を感じないその腹を切り裂いた。
ふ、と手応えもなく消える。
『分け身と本体の力に差がある』
『無茶をしているだけじゃ! 本命はなんだという――あ!』
タマちゃんの声にはっとして、視線を後ろへと向けた。
あちこちで乱戦になって悲鳴や怒号があがる中を、茨木童子を抱えて走って逃げる酒呑童子がいたの。向かう先はユウジンくんたちのいる場所。
咄嗟に回す機転はむしろ岡島くんらしくてどきっとする。
「逃げる!」
咄嗟に叫ぶ私に「追え!」とカナタが叫んだ。
食い止めることを狙う影たちが影たちを産んでみんなに襲いかかっているから、走り出せたのは数人しかいなかった。
「ハル! 先に行くよ!」
「僕たちが食い止める!」
トモとシロくんだ。
その身を雷の刃へと変えて迫るけれど、瞬速の二人をそのこぶしだけではじき飛ばしてしまう酒呑童子――……岡島くんの隠れた実力の凄さに震える。
ど、どうしよう。私たちの中でもかなり強い二人がこれじゃあ――
「――いくぜ神居ッ」
「あああああ!」
恐れず疾走して迫るのはギンであり、神居くんだった。
茨木童子を離して酒呑童子が背に庇い、その拳で二人の刀を受ける。
乱撃。一撃たりとも油断してはならぬ、必殺の軌跡さえ……届かない。二人のボルテージがあがっていくのに、当たらない。冷たくて余裕、故に強い。そこは岡島くんらしい。
なるほど、真実、彼に似合いの刀なのかもしれない。
「人の刀では届かないよ、この鬼にはね」
二人の刀を人差し指と中指で挟み、遠くへとぶん投げる。
ど、どうしたら。どうしたらいいの。
『しゃんとせんか!』
頭の中でがつんと響いた声にはっとして、地面を全力で蹴った。
そうだ、止めなきゃ。私が止めなきゃ!
「ぅああああ!」
振り下ろす刀は小指で止められた。
十兵衞の剣筋を模倣しながら全力を出す。
なのに、だめ。タマちゃんの刀なのに、傷一つ付けられない。
後ろに回った茨木童子に尻尾を掴まれて、
「うらああ!」
「ひぁ――」
空へとほうり投げられる。
なんとか身体を捻って地面を見下ろした時には、酒呑童子が両手で茨木童子をかちあげてきた。
赤い閃光が私へと迫る。身体中を襲う恐怖、それは――
「おっと、すまない」
何か、考えるよりも早く、空へと飛んだラビ先輩に抱き留められていた。
地上から迫る茨木童子のこぶしを踏んで、さらに天高く飛ぶ。
あんまりにも天高く飛びすぎて、地平線と真夜中を照らす街の明かりが見えちゃうんですけど。
「さて、着地はどうしようかな」
「えええ!?」
「うそうそ。すぐにくるよ」
何が? と思った時には始まる落下、けれど。
かつん、とラビ先輩の足が何かを踏んだ。
「さすがシオリ。なかなかしゃれたことをするね」
見下ろして思わず心がきゅううっと締め付けられた。
氷の階段が地面へと伸びている。怖いけれど幻想的で、ずるいくらいに綺麗。
「カナタじゃなくてごめんね、ハルちゃん」
「いえ、そんな! むしろありがとうございます!」
「あはは」
笑いながら駆け下りていくラビ先輩。
ああ、やばい。窮地だ。ピンチなのに、どうしようもなくときめいている。
「さて、いこうか」
余裕綽々のラビ先輩といると、どんな状況でもなんとかなると思えてしまう。
折れない揺らがないコナちゃん先輩といい、やっぱり二年生はずるい。
地面に降りた私たちの視線の先、南先輩が地面に突き刺した刀から吐き出された氷の壁に行き先を塞がれた二人の童子がいる。
その足も氷に捕われているけれど、二人はなんてことないようにこぶしでたたき割っていた。
さすがにそうそううまくはいかないか。でも。
「どうにかしないとな」
井之頭くんと羽村くんが前に出た。
「作戦は?」
「ガチンコだ」
羽村くんの問い掛けに井之頭くんがにっと笑う。
「……お前ってたまにすげえよ」
呆れた顔で見てから、ため息を吐いた羽村くんは手に刀を差した。
「南先輩が見てるからな。気張るぜ、ついてこいよ」
ツバを掴んで羽村くんが深呼吸をした。
「我、偽りの姿を捨て今ここに顕現せん! あげていくぜ!」
手を引き抜くにつれてバリバリと音を立てて刀が有り様を変えていく。
「真打ち、童子切! ここからは――」
駆け出した羽村くんに井之頭くんが並ぶ。
迎え撃つ二人の鬼。
酒呑童子が影を無数に創り出して襲いかかる、けれど。
背筋が伸びるような涼しい霊子が吐き出されてかき消された。ふり返れば刀を振り抜いたカナタがいる。
そうして結局は二つ。
鬼の拳を一人は真正面から食らい、もう一人はかちあげた。
「一瞬でクライマックスだ!」
酒呑童子の驚いた顔。今までなら指でなんだって防げた人の刀の峰にはじき飛ばされた腕を、ただただ信じられないという顔で見つめていた。
その横にいる茨木童子もまた、驚愕に目を見開いていた。でもしょうがない。井之頭くんは地面に埋まる足と気合いだけで拳を受け止めていたのだから。なんという剛胆、なんという無茶苦茶さ。
「元の馬鹿なお前に戻れ、茨」
「ぁ――」
茨木童子の胸に突き刺さった刀を掴んで引き抜く井之頭くんに続いて、羽村くんもまた酒呑童子の刀を掴む。
「くそ、まだ暴れたりないのに――」
「悪いけど、岡島は返してもらうぜ。俺のダチなんでな」
一気に引き抜いた。酒呑童子の叫び声と共に、まるで憑きものが祓われるように岡島くんから青白い炎が噴き出て消えた。
倒れる二人のクラスメイト。
岡島くんも茨くんもすっかり元通り……とはいかなかった。
やっぱり茨くんが女の子みたいになっている。顔つきからなにから、すっかり見違えちゃった。
遠くで聞こえていた剣戟の音も今は消え、みんなが集まってくる。満身創痍だったり、傷だらけになっていたり。
私も正直へとへとだ。けど。
「まずは……一区切りかな」
ふっと息を吐くラビ先輩にみんながへたりこむ。
瞬間、身体を不思議な感覚が襲った。何かに引っ張られるような力に眩暈がして、はっと目を開けるとそこはホテルの一室で。
起き上がると、隣には未だ寝ているカナタがいる。そして、本を読んでいたシュウさんも。
「お疲れ様」
「あ――」
胸にせり上がってくる気持ちの形がなんなのか、わからない。
なんでこんなことを、とか。
もっと他にやりようがあったのでは、とか。
いつだって事前に説明はしてくれないんですね、とか。
そういう考えは、けれど、本当に言いたいことじゃない。
「ここにはみんな揃っている。あと一時間したら、食堂に集まって。きちんと説明するから」
「……あ、の」
「けが人はいないから、安心して」
そうじゃない。そうじゃなくて。
もどかしい。何かを言わずにはいられないのに言葉が出てこない。頭の中がぐちゃぐちゃで。
「……どうしたんだい?」
カナタに似た綺麗な顔を優しい色に染めて、そっと頭を撫でてくれた。
不思議と落ち着くの。いやだって、そんなこと望んでないってはねのけることもできたのに。
やっぱり私はこの人のことが好きだ。カナタのお兄さんだもん。嫌いにはなれない。その心のありようにも触れて、知っているから……嫌いになんかなれない。
だから、言いたい言葉はなじるものではあり得ない。むしろ、そう。
「何を焦っているんですか?」
私の口から出た言葉に、自分で驚く。
なんでそう感じたのか、わからなかったから。
口にした者にとって意外なら、言われた者にとってはどうか。
シュウさんは目を見開いて私を見つめると言いました。
「今度の八月は危ない……いま言えるのはそれだけだ。すまない」
もう一度私の頭を撫でてくれた手は微かに震え、頼りなく離れて、そのままシュウさんは出て行ってしまったの。
「……ん、く」
起き上がったカナタに思わず飛びついた。
「ど、どうした。何があった……ここは」
「……カナタ」
「ハル? ……どうした?」
私に触れて、抱き締めてくれるから甘えてしまう。
髪を撫でてくれる優しさはシュウさんにとてもよく似ている。
けれど、違う。ただただ一途に私を思ってくれるもの。
だから思わずにはいられない。不安にならずにはいられないんだ。
シュウさんの手は、震えていた。
震えていたんだから。
つづく。




