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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第十二章 妖刀京都怪奇譚

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第百四十話

 



 隔離世に行ってみて思います。

 宿からふわふわ漂ってくる邪って問題かもしれません。


「この旅行でなんとか彼女と!!!」

「パチスロ行きてえ……」

「旅行マジしんどい……うちでスマホ弄ってたい……」


 ろくなのいないよ。中には、


「美肌美肌美肌美肌……」


 とか、


「旅行までしたんだからなんとか」


 以下、自主規制! みたいなのもいますけど。

 触手の塊とかスマホに手足が生えたのとか、姿形は色々ですがこちらに向かってくる気配はありません。

 なのでシュウさんはヒノカを手にすたすた歩いて行ってしまうし、ユウジンくんもカナタも同様です。後で退治するのかな?

 三人について行った先には殺生石がある。

 日の出ていた頃に見た時と同じただの石ころがあるだ――……け?


「嘘……」


 近づけば近づくほど視線をそらせなくなる。

 石の上に黒い闇の人型が腰掛けていた。そのお尻からは九つの尻尾が生えている。頭からぴょこんと出た獣耳、長い髪、まるで男の子が読む漫画雑誌の表紙になりそうな扇情的なスタイル……どれを取っても、それは、その姿は。


「タマちゃん……?」


 私の呼びかけに闇の人型が立ち上がる。

 シュウさんがヒノカを抜いて、ユウジンくんが横に並ぶ。

 カナタが私を庇うように立って、呟いた。


「違う。あれは――……人の願いの塊だ」

「願い言うんは言い過ぎやね。ここに来て、あの石を見た人らが向けた思いの塊やわ」

「まあ……いずれにせよ、あれは前座さ」


 三人の頼もしさがやばい。

 いいのかな。私とタマちゃんのパワーアップなのに。


『ふん』


 鼻息が聞こえた、と思った時にはお尻が弾けるような感覚を抱く。

 ふり返らずともわかる。尻尾が一気に九つ。身体に満ちる霊気も、あふれる意志もタマちゃんのもの。私の身体の自由を掴んだタマちゃんが三人の間を抜けて、前へ出る。


「前座なら尚更、妾が食ろうてやらんとな」


 通り過ぎざまに見えた。カナタがシュウさんに目配せをする。その意味を考えるよりも早く、人型が飛びかかってきた。迷わずに刀を抜いて、一刀両断に切り裂くタマちゃん。表情に、心に伝わってくる。

 時代を経て思われたことへの感謝。身勝手な願いも多分に含まれた人の思いの形への呆れ、怯え、疲労。どう受け止めればいいのかわからない困惑。

 切り裂かれた人型が弾けてドロのように地面へと落下する。それらは縋るように触手を伸ばして私を捉え、飲み込もうとする。

 一瞬の出来事だった。けれど、襲い来る脅威なんてこともないようにタマちゃんが囁く。


「歌えよ、歌え」


 黒いそれは金色の膜に弾かれる。

 願いは私を汚すこと、あたわず。


「妾は金毛白面九尾なるぞ」


 黒い泥が私を包む。

 けれど、タマちゃんから溢れ出る金色の霊気に阻まれて、届かない。

 願いは決して、届かない。

 悲しくも気高き隔絶。

 憧れと、現実。

 未知と、既知。

 越えられない距離。

 泥が一斉に口を開く。歌うのだ。タマちゃんの名を叫ぶ。それは一つだけでない、彼女にあり得る可能性すべての名前。

 真実か、否か。

 それを知るのは――……彼女以外にあり得ない。

 ああ、だから。


「恋い焦がれよ、思い続けよ、其れが妾を美しくするのじゃ! ――……と、以前なら言うておったところじゃが」


 ふっと笑ったタマちゃんが私に身体を返してくれた時に、流れ込んできた思いの熱さに震える。

 実像なんてどうでもいい。

 ただ、私の中で彼女がどんなに素敵な存在か、それさえ知っていればいいという願いが身体中に満ちていく。

 その一途な思いの熱に、震えずにはいられない。


『ハル、断ち切ってみせい!』

「わかった!」


 タマちゃんが張った金の霊気の膜に力を注ぎ、はじき飛ばす。

 あちこちに散った泥が殺生石へと集まり、闇の人型へと姿を戻した。それだけでは足りぬと巨大な狐に姿を変える。

 三人が見守っている。大丈夫だと信じてくれる熱を感じる。

 何より私が信じている。私の中の折れない心の名前を。

 胸へと突き刺し吠える。弾けて消えるたびに溢れる力をこの手に集めて、


「――ァアアアアアア!」


 飛びついてきた狐へと叩きつけた。

 黒は金へと煌めき弾けて消えた。

 大神狐。成仏して神の座につき、人の世へと降りて救いを与える優しいお狐さま。

 私の最強の名前。

 ふり返るとみんな微笑んでくれていた。


「危なくなれば手を貸そうと思ったが……こうしてみると、きみは凄いね。青澄くん」

「交流戦よりも振り切れてきたな。手強そうやわ」

「まだまだ……玉藻の前には可能性がありそうだが、それは追々知っていけばいいな」


 最後に口を開いたカナタの言葉は、私も気になるものだった。

 金色の膜のような霊気の張り方なんて、もちろん私は知らなかった。

 カナタの言うとおり、他にもまだまだ力はありそうです。


「とはいえ……これで一つ、ハッキリしたな」


 抜いた刀を見つめるシュウさんが、長く息を吐いた。


『あ――……シュウ!』


 ヒノカの叫びにはっとした時にはもう、シュウさんは誰が止める間もなく禍津日神を自らの心臓へと突き刺していたのだ。

 邪を――……人の願望を生み出すその刀の力が、黒い染みがシュウさんの身体に広がっていく。


「兄さん!」


 あわてて刀を抜こうとするカナタをユウジンくんが制した。


「止めるな、」

「見てればええよ」

「だが!」

「大丈夫や」


 確信を抱くユウジンくんには一体なにが見えているんだろう。


『――ハル』


 十兵衞の声に私も目をこらしてシュウさんを見た。


「ふ――」


 あれ……なんで。なんで、穏やかな笑顔でいるんだろう?


「刀は己の心の具現化した形なり」

「兄さん……?」

「禍津日神、悪を前に揺れ動く心の形なり。悪とは何ぞ――……」


 黒い染みの広がりが、止まった。

 端からひび割れるように、剥がれて解けて、光り輝いていく。


「其は欲望なり」


 輝きはやがて突き刺さる刀へと伝わっていく。

 引き抜かれるたびに、歪な刀の姿が変容していく。


「誰の心にもある……願い。それに寄り添えるそなたの名を、今こそ呼ぼう」


 ああ――……。


「禍津日神。それが私の刀の名だ! 願いの名だ!」


 折れたはずの刀は、元の姿を取り戻すどころか、ありようさえ変えて美しく生まれ変わったのだ。カナタの大典田光世に勝るとも劣らぬ、ため息さえ失う美の結晶が、今たしかに顕現した。


「さあ……行くよ、青澄くん」


 優雅に歩いて行く。

 彼が殺生石へとその刀を突き刺した。

 その途端に、どうしたことか。

 地面から光が産まれて、浮かんでは吸いこまれて集まっていく。

 殺生石へと、ただ一直線に。

 異変はそれだけでは済まなかった。

 私の身体がひとりでに浮き上がる。


「わっ――」

『く、ううう――』


 タマちゃんと一身であるからこそわかる。

 求められている。一つになることを、一心に求められている。

 何に?


『――』


 頭の中に声が聞こえる。

 醜く嘆く声が、私を呼んでいる。

 吸い寄せられて、殺生石へと吸いこまれる。抗えない。

 ふり返って目にした時、シュウさんの目が訴えてきた。同じようにやってごらんって。

 何を、と問う暇なんてなかった。

 暗い。水底へと落ちていく。落ちて、落ちて。

 金色の輝きを放つ彼女と出会ってしまう。


「タマ、ちゃん?」

『違う』


 即座に私の中の彼女が否定する。けれど。


「名は正しく呼べ。妾を。正しく呼べ」


 裂けた口で笑う彼女の声は、私の中にいる彼女とまったく同じもの。


「ちがう」


 私が言ったのか、私の中のタマちゃんが言ったのか……わからなかった。


「お前など、知らん」

「いいや、知っている。同じ匂いがする。穢れを落として成仏し、悪徳を切り捨てたお前ならばわかるはず」

「お前などもう知らん!」


 金切り声をあげてやっとわかった。私じゃない。タマちゃんだ。タマちゃんが叫んでいるんだ。

 なら、目の前にいるのは――……じゃあ、やっぱり。


「仏の世界はさぞ居心地がよかろう。常世の暮らしはどうじゃ? 現世よりも贅沢三昧かえ? それとも――……欲を捨て、徳を積み、退屈な日々を暮らしておるか? そこは愛がなくてさぞ苦痛に違いない」


 着物をはだけ、妖艶な魅力を惜しげもなく晒し、四肢で歩いてこちらへと近づいてくるそれは確かに、邪な存在そのものだった。


「愛されたい。愛されたい。ああ、ああ、みなに愛されたい。特別な誰かに愛されたい。ただの愛ではだめじゃ、特別な愛でなければ」


 吐き出されるそれは、真実か、はたまた偽物か。

 けれど私の心を苦しめる。心に寄り添うタマちゃんを苦しめる。


「顕現した身からぷんぷん匂うわ、男の匂いが。愛されたいが一心で愚かな間違いを繰り返す馬鹿な女の香りがするわ。似ておるのう、似ておる。妾を捨てた妾ならわかるはず。そいつは真実、おぬしが捨てた醜い妾に他ならぬ」

「ええい、黙れというに!」


 悲鳴をあげて腕を振るう。

 自身にまとわりつく願望を消した大神狐の腕は、しかし頼りなくかつての野狐に届かない。

 十兵衞が念じてくる。邪な霊の声が大きすぎて聞こえないけど、でも何を願ってくるのかわかる。伝わるよ。だって、あなたも私の最強そのものなのだから。


「なにをしにきた。悪徳を消して滅ぼし、なかったことにするためか」

「そ――」


 うじゃ、と叫ぼうとする口を強引に閉じさせた。

 怒り、暴れるタマちゃんの念を抱き締めて、願う。ただただ、願う。

 やっとわかった。カナタの狙い、シュウさんの目的。同じようになにをするべきなのか。

 タマちゃんのパワーアップ。それはどうすればできるのか。やっとわかった。

 認めること。まずはそこから始めなきゃだめなんだ。


「邪魔をするな、ハル! あやつを殺してやらねば気が済まぬ!」


 尻尾が途端にお尻から生えてくる。九つ。それはかつてのタマちゃんの証、そのもの。神の座について失ったはずの、獣の力の象徴。

 喜色満面に笑い、身体を振るわせる邪を見て……ああ、思わずにはいられない。

 彼女は確かに黒歴史だ。

 神になった彼女にとって、その座を忘れるくらいに乱れてしまうほど……荒ぶらずにはいられないほどの、醜く歪んだかつての自分そのもの。それが黒歴史でなくてなんなのか。

 消したいよね。消したいよ。消せるものなら。罪も、愚かさも、なにもかも……消せるものならすべて、消してしまいたいよね。でも。でも。


『タマちゃん。どんな罪を犯したのかしらない、それをタマちゃんがどう悔いているのかも……私はまだ知らない』


 暴れ、叫び、飛びついて腕を振るう。けれど邪には当たらない。タマちゃんが乱れ、荒ぶるたびに尻尾が減っていく。それは神に近づくからじゃない。ただの狐に近づいている証でしかない。

 邪な彼女が嗤う。自分を捨てた自分を見て、幸せそうに嗤う。

 囚われている未来の自分の未熟さを、情けなさを、自分がいなければだめだと証明するかのように、ただただ嗤う。

 それが神経を逆撫でするからどんどん攻撃は雑に、大ぶりになっていく。尻尾だってみるみる内に消えて、もう残り少ない。


『でも、私のタマちゃんは……どんな過去があっても、素敵な素敵な私の未来そのものだよ』


 ぜえ、ぜえ、という息切れの声がする。

 醜い笑い声も聞こえる。どちらも一人の少女のもの。

 未来の苦しみ、過去の恨み。

 かつての彼女が悔いて、もし……誰かに一度、救われたのなら。

 彼女から離れたかつての自分だって、誰かが救えたはずで。

 それを――……私がやらずにどうするのか。


「好きだよ」

「――く、け?」


 醜い笑い声が止まる。身体中に入っていた怒り、憎しみ、すべて受け入れて。

 ただ――……認める。奪うのではなく、受け入れることから始めるんだ。


「愛されたい。誰かに。特別な人に。みんなに。ただ一人に。愛されたい」


 私の心に寄り添う魂が挫け、折れそうになる。その願いは間違いだと、あってはならない……罪そのものに直結した願いなのだと訴えてくる。

 でも、ちがうよ。そんなことないよ。


「一人から愛が産まれるって歌詞が好き。世界のどこかで誰かがいつも愛を歌っている。昔も今も、それは変わらない。だからね――……私はあなたが好きだよ」


 間違いじゃない。


「どんな間違いにだって、許しがある。救いがある。その象徴があなただと、私は思うの。ねえ、タマちゃん」


 胸に手を当てる。刺さったまま身体に広がる熱に触れて、シュウさんがそうしたように引き抜く。

 尻尾は既にただの一つ。それすらも引き抜いてしまえば消えてしまう。

 私は人だ。ただの人。


「私は人が好き。人を愛している」


 それは静かな決意。


「あなたも……かつてのあなたも、人に寄り添い愛をしろうとした化身だから」


 ぼろぼろに崩れた錆びた刀は、最初に手にした頃の姿とかけ離れていた。

 ひょっとしたら、これが彼女の傷の形なのかもしれない。

 愛を知ろうとして間違えた彼女自身なのかもしれない。

 なら……醜くても、歪んでいてもいい。

 愛しくて仕方ない。だって。


「私はあなたが好き。あなたを愛している」


 一歩、また一歩。

 近づく私を彼女が怯えた顔で見る。下がる彼女を、


「そのために間違えたあなたさえ……」


 抱き締めて。


「私は好きだよ」


 刀が求めるまま、互いの身体を貫いた。


「――、」


 耳元で彼女が泣いた。頬に当たる熱と潤いの正体に気づいて、微笑む。


「白面金毛九尾」


 それは金色に煌めいて消える彼女の名だ。

 私の中に入って、染み込んで――広がっていく。

 世界の中心で、


「愛を叫ぶけものの名」


 囁き、引き抜く。


「タマちゃん」


 金色に煌めく刀身は彼女のありようそのものだった。

 すべてを取り戻した彼女の金が身体に広がって、生えた尻尾の数は九つ。


『……いいのか?』


 こんな妾でも、という泣きそうな声に私は思いきり笑って言ってやるのだ。


「いいよ! 大好きだもん!」


 きっとそれが、罪から人をすくい上げて許す優しい願いの形なのだと思うから。




 つづく。

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