第十四話
ライオン先生がゆっくりと私に向かって歩いてくる。
土埃にまみれたトモに起き上がる気配はない。
そもそも、生徒たちがそれぞれに立ち向かって勝てなかったのがライオン先生だ。
だから逃げてきた。
斬られたら恥ずかしいことなんでも言っちゃうから。
……みんなが私を逃がしてくれたから。
ううん。違うね。
みんなが立ち向かってくれたからだよ。
正直、戦う理由はないよ。
立ち向かえる理由もない。
この学院でなきゃいけない理由だって、実は……みんなと違って私にはない。
じゃあなんで? 本当に、ないの? こんなへんてこな学校で、こんな無茶苦茶な授業を受けておいて……泣き出さず、逃げることしかできなくても精一杯なのは、なんで?
「ほう……逃げるのはやめたか」
なんで私は震えながらも立ち上がるんだろう。
トモが立ち向かった。刀を手にした。震えながら立ち向かった。
強く、気高くて、美しい。
一人でだって誰かを助けるために立ち向かえるあの背中に、震える心はないのか。
――……あるから。
みんながみせてくれた背中に、心意気に震えた何かがあるから。
私は逃げ出さずに、ライオン先生の視線を浴びて……睨み返しているんだろう。
『呼べ。我を。我らを』
ずっと……待ち焦がれていた。
中二病の頃から……ううん、もっとずっと前から。
アニメも大好きなお父さんと一緒に見たヒロインのような強さを。美しさを。
もし手にできるなら、士道誠心以外にあり得ない。
だから私が入れた時点で、運命の入り口にいる。
さあ、求めよ。求めて、掴み取れ。みんなのように。トモのように。私も!
『求めよ。力を。妾と共に世界を変える術を』
ああ――……たまらなく疼くよ。
全身が。
右手が。
右目が、どうしようもなく疼くの。
「ライオン先生。捨てなきゃいけないと思っていたものが、私を救ってくれる気がするんです」
「だから笑うのか」
言われて気づいた。
私……笑っている。唇の端が痛いくらいだ。
中学時代なら喜んで、自らにつけた魂の名を叫んでいただろう。
けれどそんな隙を先生が許してくれるはずがない。
目を鋭く細めたライオン先生が踏み込んだ。
ならばこそ、
『我らの名を叫べ』
『さあ。さあ』
構わず右手を振り下ろす――
「柳生十兵衛!」
呼びかけと共に感じた重さは、ライオン先生に振り払われた。
火花が散る。華のように、大輪の火。
剣道の覚えのない私の身体は隙だらけになった。
その瞬間、右目の疼きが一層増した。
『身体を預けよ。俺が往く』
響く声に身を任せて、左手に意識を集中する。
『次は妾の番ぞ。そなたは求めるか? 神の如き力にさえ至れる美しき妾の名を呼べ!』
答えは一つだ!
ライオン先生の返す刀をすくいあげるは――
「玉藻前!」
九つの尾をもつ化身の力なり!
ライオン先生の刀をはじき飛ばすには十分すぎる魔力だ。
なら!
『斬るぞ』
「うぁあああああああ!」
叫び交差させる剣筋は、けど理想よりも歪だった。
だからライオン先生は飛び上がってよけた。よけてしまった。
それだけじゃない。
大きな筋肉の塊みたいなライオン先生が縦回転とともに私の身体を蹴り飛ばした。
声も出せずに吹き飛ばされ、地面を転がり、祭壇に飾ってある御珠を巻き込んで壁に衝突。
それでも止まらずに穴を開け、地面を転がって――木の根元にぶつかってやっと止まった。
痛み、眩暈、頭痛、吐き気。
両手にそれでも離さずにいた刀の重さ。
そして右目と――なぜかお尻の疼き。
「――おすみ、青澄!」
血相を変えたライオン先生が駆け寄ってきた。
もしかしたら蹴っちゃったの、咄嗟の行動だったのかも。
それを引き出せたって……凄くない?
「は、う」
咳き込んだら地面に赤が広がった。
『仕上がりの悪い女体ではこれが限界か』
右目の疼きと共に頭に広がるおじさんの声に文句を言おうとして――気絶した。
◆
「――はっ!?」
おしりが妙に窮屈だ。なんだかすごく据わりが悪いというか、気持ち悪い。
目覚めて身体を起こすと、布で覆われたベッドに寝かされていた。
起き上がってみればお尻の気持ち悪さはどこへやら。そう思った時だった。
「すまん……」
ライオン先生の声が聞こえる。
「まったく……例年のこととはいえ、今年はけが人が多すぎます。あなたらしくもないわよ、ライ」
続いて聞こえたのは女性の声だった。
意識してみるとそれはホームルームの時に教室にやってきた、あの女性の声に違いなかった。
「ニナ、そうは言うが……今年は豊作でな。零組の四人は元より」
「見所があるヤツがいた、ですよね。それでも、いつもはもっと上手くやるでしょう?」
「柄にもなく熱くなってしまった……生徒を足蹴にするなどと」
「ええ、そう。あなたの自覚している通り、やりすぎですよ? 反省なさい」
「……うむ」
しゅんとしたライオン先生の声はレアだ。
少なくとも私や他のみんなの前では出してくれそうにない、距離感の近い人にしか聞かせないような親密で素直な声だった。
「後は私に任せてください」
「す、すまん」
「……もし警察の指導時期が早まるなら、この程度では済まないでしょうから。討伐もありますし、何かがあれば動員されます。鍛えるのは大事ですから……気をつけていきましょう」
「うむ」
警察とか討伐、動員って……いったい、なんのことだろう?
「いってください」
「……うむ」
足音が遠のいていく。扉の開閉音の後に「ふう」という疲れたようなため息が聞こえた。
なんだろう……二人は仲が良いのかな。
そんなことを考えた時だった。
『男女の仲とは、時代が移ろおうとも変わらぬものよな』
『まったくだ。しかし宿主が女では遊びようもないのが惜しい』
頭の中に響いた色っぽいお姉さんの声と渋いおじさんの声に思わず、
「ふぇあ!?」
大声をあげてしまった。あわてて両手で口を塞ぐ。
けど時既に遅し。すぐに布が開かれた。
見えたのは薬瓶などが入った棚、デスク、身長計と体重計。
そんな背景をしょった白衣にメガネの美人さんだった。
もう見るからに保健室と保険医って感じ。白衣の下が着物でさえなければ、だけどね。
「おはよう」
それだけ言うと、美人さんは私のベッドに腰掛けておでこに手を当ててきた。
すごく冷たい……柔らかい感触をイメージしてたら、思いのほか固かった。
「熱はないわね。入学前でなく授業で刀を手にした子にしては珍しい。身体に不調は?」
「えっと……」
意識してみると、少し……いや、かなりけだるい。
「だるいですけど、え、あの――」
「想定の範囲内ね。失礼するわ」
がば、と胴着を広げられた。
ブラの内側に聴診器を当てられて「吸って……吐いて」と言われたから、素直に従う。
「異常はないわね。獅子王の話を聞いて失明くらいは覚悟していたけど。視力に異常は?」
右目の瞼を持ち上げられて、ライトを向けられる。
左上から左下へ、かと思ったら右下から右上へ。
なんとなく目で追いかけながら「見えますけど」と答える。
……けど待って。え、どういうこと?
「まずはそうね。お尻を見てご覧なさい」
「え」
言われるままにふり返ると、金色の毛がふさふさした尻尾がぴんと立っていた。
「……ん?」
ひょこひょこ。
根元を見ると私のお尻にくっついている。
…………んん?
「んー!?」
大声が出そうになった口を美人さんの手で塞がれた。
尻尾の毛が逆立ち、ぶわっと大きくなる。
まるで私の気持ちを代弁するかのように。
「落ち着いて、深呼吸なさい」
私の口から手を離した美人さんに思わず「無理です無理無理、え、なにこれ!」と叫びながら尻尾を抱える。
するとどうしたことだろう。
お尻の先から感触が伝わってくるのは。も、もしかして、もしかしなくとも。
「わ、私のお尻から生えてますか? これ」
「そうね」
「否定してほしかった!!!」
そんなばかなー! って叫び、尻尾を撫でれば感触が伝わってくるし、意識して動かしてみたら左右にぱたぱた振れるし!
「なななななな、なんですかこれなんなんですかこれ!」
だんだんとベッドを叩く両手と尻尾。
「そこに立てかけてあるものをご覧なさい」
美人のお姉さんが指差したのは、壁際。
そこには二本の刀が立てかけてあった。
「あなたの刀よ。獅子王が聞いた名は剣客柳生十兵衛光巌、伝説上の妖狐、九尾の狐の玉藻前。両者を宿した文字通り、破格の二本ね」
「……うそ」
「その力は身をもって知っているのではなくて?」
言われて真っ先に思い出したのはそう、ライオン先生との戦いだった。
「刀の力に身体は引き寄せられる。あなたの場合は尻尾ね。一尾なのは馴染んでいないせいかしら。右目が無事なのも、或いは肖像画の通りなのかもしれないわ」
「ま、ままま、待って下さい。急にそんな」
「獅子王の顔がああなのも、つまりはそういうこと」
ライオン先生の顔って生まれつきじゃないんだ!?
って違う違う、そうじゃないよ青澄春灯!
「いやあの、だから」
「素質があるのかもしれないわ。刀の声ももし才能があれば聞こえるかもしれないわね」
急に重要設定みたいなのぽんぽん言われても困ります!
「ひ、一つずつちゃんと説明してください!」
「いずれわかる。この学院がなぜ特別なのかも……わかってしまうでしょう。だから」
首筋に冷たい手が触れてすぐ。
「今はゆっくりとおやすみなさい」
妙な衝撃を受けて――
◆
「――……はっ!?」
目覚めると、変わらずのベッド。
刀はある。二本とも、間違いなく。
ふり返ってみればやっぱり尻尾もあった。
ベッドから降りて、周囲を覆うカーテンを開く。
「おんやまあ。起きたかい」
好々爺とした白衣姿のおじいさんがデスクに向かっていた。
……あれ? 美人のお姉さんは?
きょろきょろ見渡していたら、おじいさんに呆れた顔をされた。
「若い娘さんがそんな格好をするもんでないよ。前をとじんさい」
「え? あっ」
聴診器を当てられた時のままで、ベージュのブラ(特売品)が丸見えでした。
くっ、よりにもよって。って何おじいさん相手に意識しているの。
自意識過剰にも程があるぞ。落ち着け私。
あわてて前を閉じてから……いや待て、と冷静になる。
ふり返ってみればお尻から垂れ下がった尻尾がふさふさで。
意識してみればふりふり揺れる。
「あ、あのう……これは?」
思わず聞いちゃった。だってさ、だって!
やっぱり受け止めきれないよ?
だって尻尾だよ!? 尻尾!
「ん? 尻尾だねえ。久しぶりに見たわい」
久しぶりに見れちゃうものなの!?
人間のお尻から尻尾が生えているんだよ!?
「い、いやあのう……それは見ればわかるんですが」
「そんなことより」
そんなことより!?
「早く教室に戻りんさい。次の授業が始まっておるでの」
「ええええ……」
あれ? 私ってば気づかない内に異世界にでも紛れ込んだ?
それとも知らないだけで、現代日本はとんでも社会になってた、とか?
まさか、ないない。
そう思って笑い飛ばそうとしたのは、
「そうそう……言い忘れたが。今日から君の生活は、この敷地から外に出ることはない。たった一つの例外を除いてはの」
遅きに失していたのだと思う。
士道誠心に入学していた時点で、私は運命に導かれていたのだ。
そして導かれた先からはもう、逃れることはできない。
「例外、とは?」
笑えるような何かを期待して尋ねたんだけど。
「いずれわかるじゃろ」
神さまはとんでもなく意地悪なのだと、私は今更ながらに感じたのだった。
つづく。




