第百三十四話
世の中で嫌われているものを列挙していったら、生きにくくなるばかりだ。あれしちゃだめ、あれはない、これもだめ。ああいうやつって最悪、あれはないわ。そうして築かれるNGの山を前にしたら、息さえできなくなるに違いない。
それが真理だと思うけれど、好きだと思うものより嫌いだと思うものの方が言いやすい空気でもあるのかな。
「南がまた無茶してるんだって」
「あいつ一年からずっと調子に乗ってるよね-。青組応援団長とか」
トイレで聞こえるこういう話題には、本当にしんどくなるんですよ。南ルルコとしては。
まあこのくらいなら軽い方ですけどね。
「今年も男子にちやほやされるんじゃないの? させこさんですし」
「頼めばなんでもしてくれるーとか。敷居が低いって得ですよねえ。おモテになって」
足音が遠のいていった。
ああよかった。公序良俗に反する罵倒は今回はゼロでした。まあ酷い言われようですけど、放送禁止用語は今回絡んでこなかったし。
別になんでもさせたりしない、その事実を私だけは知っている。だからだいじょうぶ。
「ああめんどくさ」
呟きながら個室を出る。
手を洗ってハンカチで拭いながら鏡を見た。
いつも通り、わたし可愛い。そうなるように毎日頑張ってますよ。どういう風に自分をみせればいいのか、とかね。考えてますよ。
それは私が私のためにやっていることでしかなくて、それを誰かに求めたり押しつける気もないけども。
褒められたら嬉しい。だって成果が出るように努力してるから。あとはそれと世間の評価の落としどころを見つけてどう納得するかでしかないと思う。そして私は納得してる。
認められなかったら? それも当たり前。その人にはその人の価値観があるんだから。誰がどう評価するのかは、自分で決めることじゃない。評価する人が決めることでしかない。だから陰口をたたかれることにも納得はしてる。
周囲に自分を認める軸を置くなんてばかげてる。そんなのつらいばかりだよ。
結論、私は私のためにしか行動しないし、その枠組みで生きたい自分本位な人間です。
生きにくいなあ。息がしにくいったらない。
世界はとびきり冷たくできていて、自分を守るためには自分を鍛えるしかない。だから私はなんでもやるし、それを人並み以上にこなせるくらいに努力している。影でね。
他人には求めない。求めるんじゃなく、他人がそうしたくなるように動くだけ。結果が出るまでなんでもする。
陰口だって的外れとも思わない。言われてもしょうがないと思う。
そんなことを考える私の顔はいつだって冷めている。メイやサユと一緒にいる時は笑って輝く私の顔は、一人きりだと絶対零度。
だからこそ思う。
高校生活で楽しかったことなんてあっただろうか?
メイと出会って、サユと絡んで。先輩に誘われて部活をして、それで、なに?
彼氏はいないし、できたこともない。
いいと思った男子なんて人生で一人もいない。
強いて言えばまともに告白されたのなんて、幼稚園の頃の常時はなたれてた乱暴な子くらいだ。髪を掴んでくるのが面倒で、何度も突き飛ばしてた。だから卒園式の時に好きって言われたけど、正直心の底から嫌いだったので嬉しくなんてなかった。
ほんとは心の底から冷めてるからかなあ。まともな青春なんて過ごしてない気がするのは。
メイとラビくんや、コナちゃんを見つめるシオリや、ハルちゃんを見ていると隔絶を感じずにはいられない。
あったかい世界に入っていくために、私は自分を武装しなきゃいけない。
ああ、ほんと。
私こんなんで、なにが楽しいんだろ。
◆
「南先輩」
呼ばれてふり返る。
三年しかいない廊下にいたのは、羽村くんだ。
一年九組、刀を手にする男の子。ダンス部所属で、ダンススクールに通っている木崎くんに勝るとも劣らない技術の持ち主。青組応援団の振り付けをお願いしているから、絡まれる理由はある。けど、彼が私に会いに来る理由としては弱い。
訝しむけれど、それを表に出す弱さなんていらないから、私は笑顔で尋ねた。
「どうしたの?」
「木崎とちょっと揉めてて。曲と演出、あと衣装ってもう少し詰められないかって話になって」
なにがいいですか、とか。
どうすればいいですか、とか。
そういう質問が来るんだろうと思った。
「予算なら出るみたいだし、衣装なら案さえ出してくれれば用意するよ。今日中には答えが欲しいけど、悩んじゃった?」
相手の答えを限定するように、言葉を重ねる。
笑顔で小首を傾げて見つめる。声音は主張しすぎない程度に柔らかく。
こういうこと意識しまくっていれば、そりゃあ反感もかうよなあと思う。私は私を武器にしているから、ハナにつく人もいるだろうさ。
「や、方向性は決めてるんすけど」
……あれ? 空振り? 全然反応されてない。
「南先輩のこと、ちゃんと知りてえなあって」
その上ふみこんでくるの?
「わ……私のこと?」
「うっす。メインは先輩と俺だから、先輩が一番綺麗に見えるようにしてえんすよ」
デレない。それどころかニュートラル。
ラビくんタイプかな? あんまり表に出さない性分? それともカナタくんみたいにムッツリしちゃうタイプ?
「えー。気を遣わなくていいのにー。私なんでもしちゃうよ? あわせるよー?」
笑って冗談で流そうとした、けど。
「だからこそやりたいんです」
笑顔だ。こじらせた男子によくいる斜に構えている感じもしない。
彼の笑顔だって返しと一緒で自然そのもの。
むしろ構えているのは私の方かも。
「南先輩、みんなと常に一定の距離とってるっつーか。あんま楽しくなさそうなんで。俺そういうのいやなんですよね」
いいや、間違いなく私の方だった。
「え――」
一瞬、どういう顔をすればいいのかもわからなくなったから。
「木崎の説得は俺がするんで。ちょっと見てもらってもいいですか?」
「え、」
「これなんすけど」
近づいてきた彼が見せてきたのはスマホだ。
画面に映し出されたのは少し昔の映画。それも舞浜にテーマパークのある世界的に有名な会社の映画だ。
「できませんかね、雪の女王の演出」
「……、」
またまた、とか。なんでそれ? とか。
きっと別の流れだったら、彼じゃなかったら自然に取り繕えたはずなのに。
さっき言われた思いがけない言葉のせいで、すぐに言葉が出てこなかった。
氷の城を築くそのキャラクターがあんまりにも、私にとって刺さりすぎて。
「なんで、これ?」
いつもは作れるトーンが出せない。
「先輩の刀って、五月の事件で見ましたけど氷でしたよね。なら演出に使えるかと思って」
彼の説明になんでがっかりしているんだろう。ああ、まあ、それはできるけど。そういうことなの? なんて……なに、凹んでるんだろう。
いやいや、落ち着いて考えろ。ここで取り繕えばいつもの私に戻れるじゃないか。
「できるよー。でも刀つかったら木崎くんが嫌がるんじゃないかなあ」
無理だ。なんとか逃げようとしている。いつもの私に比べると、それはとってもぎこちない下手な逃げ方だ。
「でも、先輩をいちばん綺麗に見せられるって思うんすよ」
切り込んでくる彼の言葉の方がよっぽど鋭い。
「ま、またまた。褒めてもなにもでないよ」
やめて。もう、やめて。
「本心ですけど。先輩と同い年の姉がいるけど、一緒に活動してると全然感じないんですよね。むしろ知れば知るほど綺麗な人だなーって思うばかりなんですよ」
「……、」
また、なんで、そういうことを言うのかな。
「なんで、その演出にする必要があるの? 意味わかんない」
普段言わない素のトーンだ。みっともないったらないのに。
「だって、大将ですから。うちの大将が一番綺麗だって見せつけたいな」
うわ。
「俺の人生史上で最高に綺麗な人ですからね、先輩は」
まじで。
「じゃあよろしく頼みます」
「――……、」
待って。
止めたいのに、言葉が出なかった。
「先輩でもテンパったりするんすね。綺麗な先輩の可愛い顔みれてほっとしました」
悪戯っぽく笑われて、頭に血がのぼる。
なのにどう取り繕えばいいのかわからなかった。
歩き去る彼を結局私は見送ってしまった。
ラビくんに弱点を攻められることはある。メイの強さ、気高さが眩しくて進んで流されることだってある。でも、これは違う。
頬に触れて、その熱さに片腕で顔を隠した。そうせずにはいられなかった。
「私、ださっ」
照れてる。
初めて、男の子に照れてる。
でもしょうがない。
彼みたいにストレートに言われたことなんて、一度もなかった。
ださいなあ。ださい。
年下の男の子の何気ない言葉にめちゃめちゃ動揺してる。
「ルルコ、じゅぎょ……」
声を掛けられてふり返ったら、メイが固まった。
「どうしたの? あんた耳まで真っ赤だよ」
「熱でたかも。ちょっと保健室いってくるね」
ごまかせたかどうかもわからないまま、私は急いでその場を離れた。
まずい。これはまずい。
「うわ。うわ。うわ」
階段を駆け下りずにはいられない。
だめだ。これは、だめだ。
今の自分の顔だけは見たくない。きっと、素の顔だから。こんな顔、だれにも見せたくない。ああ、それなのに。
「可愛い顔とか」
やめてほしい。そんなこと、きみにはじめて言われたよ。
つづく。




