第百三十二話
会議室で話し合い――……と見せかけて僕、狛火野ユウをはじめとする赤組応援団はいま体育館にいた。
僕たちが見つめる先には真中先輩と北野先輩、尾張先輩がいる。
「えー。白組はコナちゃんがいるから間違いなく応援団スタイルで来ます」
「昨日コナに確かめておいた。振り付け教えてくれたから間違いない」
どや顔の尾張先輩の発言に唸る。あと、なぜ並木先輩だと間違いなく応援団スタイルなのか。熱いからなのか。よくわからない。
白組の並木先輩がわざわざ赤組の尾張先輩に振り付けを教える意味ってなんだろう。
手の内を晒した上で勝つ、みたいなことなのか?
物凄い体当たりな考え方だな。嫌いじゃないけど。
「シオリ! ルルコたち青組の動向は?」
「さっきカメラで撮ってきた。ダンスで来る模様」
尾張先輩のどや顔がさらに増す。
「俺たちはどうするんで?」
タツの問い掛けに真中先輩は宣言した。
「演舞にしよう。幸い、赤組応援団には実力者が集まってる。剣道に不慣れな子でも見栄えがする振り付けは考えられるし、学校の備品に山ほど竹刀があるから使える」
「何より胴着もみんな持ってるから」
ふふん、と胸を張る尾張先輩、このままいったら顔が見えなくなりそうだ。
「サユ」
「ん……赤組応援団は最強というところを見せる」
涼しげな表情の北野先輩は考えが読めない。
実は剣道部部長だったりする。けれど一緒に部活をしても手合わせをしたことがないから、いろいろと見えないお人だ。
「一年の三人……特に狛火野には頑張ってもらうから、よろしく」
平板なトーンで言われた言葉のおもみって、果たしてどれくらいなのだろう。
◆
体育祭が迫ってきて午後の授業は特別編成に、体育の授業も体育祭の準備へと切り替わる。
パネル制作から行進の練習まで。
そうなると人との交流が増えていくし、思惑同士がぶつかりあうこともある。
それはすべての応援団を集めたある会議でのできごとだ。
「ねえねえ。やっぱり衣装にお金くれないのおかしくない? だいたいメイのところは胴着なんでしょ? それずるくない?」
「おかしなこと言うよね、ルルコって。別に予算もらわなくても済むものにしてるだけなんだけど」
「「 あははははは 」」
真中先輩に捕まった僕は顔を出したんだけど……並木先輩と仲間さん、青澄さんはずっと黙ったままだった。
僕も口を出せない。
笑顔で額をぶつけてメンチをきり合っている真中先輩と南先輩の迫力が凄すぎて。
体育祭実行委員長をはじめとする委員の人たちは口を挟めずにいる。それくらい二人には迫力があった。
「赤はいいよねー。胴着に赤いハチマキでそれっぽくなるから。でも青はさ、人好きするから服とかで合わせにくいからお金もらわないと可愛くできないんだよね」
「そこをなんとかするのがルルコの腕の見せ所なんじゃないの? それをお金に頼るなんて手抜きじゃない? だいたい青いハチマキで胴着でもいいじゃん」
「やだーもうメイがなにいってんのかさっぱりわかんなーい」
「それこっちの台詞なんだけどなー」
あはははははは。
二人分の笑い声が僕には怖くて仕方ないよ。
「はい、そこまで」
だから二人に割って入れるラビ先輩はすごいと思う。
緋迎先輩の顔には露骨に関わりたくないって書いてあったし、それは僕や青澄さん、仲間さんも同じだった。
並木先輩だけが目を閉じて黙っている。
「結論から言うと、今年は一律で予算は配分しますよ」
「はぁ?!」「やった!」
怒る真中先輩と喝采をあげる南先輩に対して、ラビ先輩はいつもの調子を崩さない。
「ただ決して多くは出せないので、やりくりしていただく形になるかと」
「えぇー!」
すかさず不満の声をあげる南先輩にラビ先輩は微笑んだ。
「南先輩、裁縫が得意でしたよね? 去年の衣装は見事でした」
「ま、まあ……ありがとう。けど、それが?」
ラビ先輩の声に南先輩の顔が引きつった。
「あらゆる部活に顔を出し、その部費をやりくりしている節約術も見事でした。おかげで今年の生徒会は予算についてかなり勉強できていると思います」
「くうっ」
「手芸部の予算……かなり余ってますよね? こないだ青い布を大量に入荷したと噂で聞きましたよ」
「くううっ! ま、まって! それ以上は、」
「そういえば年に二回、有明の祭典に作って着ている衣装はどれも素晴らしかったなあ。今年の夏も楽しみにしていますよ」
「もうやめてええええええ!」
耳を塞いでその場に屈んだ南先輩にラビ先輩は手を合わせる。
「青組はこれで解決かな」
「は、はい」
思わず南先輩の代わりに青澄さんが頷いている。
ラビ先輩の手腕、恐るべし。
「ちょっと! いまの聞き捨てならないんだけど。部活のお金回すとか、そういうのやっていいんならこっちにだって考えが――」
「あるでしょうね。でも赤組はそもそも現状で予算的に問題ないんですよね? むしろこれで余るくらいでは?」
「そ、そりゃあそうなるように組んでるんだから当たり前じゃないの」
「なら南先輩みたいに工夫次第で青組に楽々と並べますよね。それとも……南先輩にできることがメイにはできないとでも?」
「名前で呼ぶな! できるに決まってるでしょ!」
「じゃあ解決」
ぐぬぬ、と歯がみする真中先輩だ。
何か援護射撃できたらよかったんだけど、思いつかない。
タツかレオならうまいこと言えたんだろうけどな。ああもう。
「白は……コナちゃん、何かあるかな?」
「コナちゃん言うな。別にないわ、それはあなたも知っての通りよ」
「だよね。じゃあ解決だ」
目を開けてラビ先輩を見つめる並木先輩の考えは読めなかった。
三つどもえ。
不穏な勢力図が目の前にあるような気がしてならない。
「ルルコ、絶対に負けないからね」
「それはこっちの台詞。メイには絶対負けないから」
「「 あはははは 」」
「……じゃあ、話し合いは終わりで」
三人の先輩がさっと立ち去る。
扉が閉まった瞬間、残された全員が息を吐いた。
いや、訂正するよ。ラビ先輩以外のみんながため息を吐いた。
「白熱してるよね……メイ先輩が燃えるのわかるけど、南先輩があんな風になるの初めて見たよ……」
「ねー。あと並木先輩が静かなのめっちゃ怖かった」
仲間さんと青澄さんが顔を見合わせて言っている言葉には概ね同意です。
「君たちの来年の姿かもよ?」
「「 いやいや 」」
ラビ先輩の楽しそうな言葉に二人そろって笑って否定している。
仲の良いままの二人でいて欲しいなあ……僕には怖くて仕方ない。
「すごいケンカだったな」
「いやいや」
緋迎先輩の言葉にラビ先輩がすかさず肩を竦めた。
「あんなのまだまさ。負けず嫌いな彼女たちにとって、あれはただのじゃれ合いだよ」
そのラビ先輩の発言の意味を知る日なんてこなければいいのに、と思ったんだ。
◆
夜の部屋で、僕はベッドに腰掛けて山吹さんと電話をしていた。
『あははは。コマくん、そういうの苦手そう』
「……なんでわかるんだ?」
スマホから聞こえる彼女の声で愛称を呼ばれることに気持ちが安らいでいる自分を見つけながら尋ねる。
『たとえばトモちゃんと試合でどんなに激しくやり合っても、コマくんって試合が終わったら笑顔で話せる人じゃない?』
六月に入って気がついたら、山吹さんの仲間さんへの呼び方が変わっていた。
「まあ……」
『でもトモちゃんはさばさばしてて引きずらないように見えて、あれで勝ち気で負けず嫌いだからさ。試合の前後に吹っ掛けたりすることもあるじゃん』
「たまにね」
いつもじゃない。それに剣道部の面々以外にそういうことをしているところはあまり見たことがない。逆に言えば、試合になればなるほど、本気になればなるほど彼女は激しく燃えていく。その上、練習の鬼だ。僕から見てもそうなんだから、そりゃあ彼女は強くなるってもんだ。
「結城くんはすごい彼女と付き合ってると思うことが結構あるよ」
『でしょー。そういう時、コマくんいっつも引いちゃってるから。ああ、敵意みたいなのが苦手なんだなあって思って』
……なんだ、この恥ずかしさ。
『沢城くんには結構強くあたるのにね』
「うっ」
『男の子同士だと別なのかなあ。それってちょっといいかも。沢城くんだけが特別なの? それとも月見島くんや住良木くんともそれぞれにちょっと思うところがあったりするの? 攻めちゃうの? どうなの?』
「ま、待ってよ」
『あ……ごめん。またスイッチ入っちゃった』
「いいけど」
山吹さんはたまにスイッチが入ってめちゃめちゃ喋る。
青澄さん曰く、並木先輩の遺伝子を感じるらしい。それってどういう意味なんだろう。
「えっと……タツは同い年なのに、妙に頼りがいがあるかな。なんでも任せられるから……たまに僕にギンのこととか任せて甘えてくる時には、ちょっと憎めない。タツの笑顔で任せるって言われると、抗えないんだよ」
『ほほう』
「そこいくとレオは常に一歩引いてる。俺の本心は見せないぞ、みたいな意地を感じるというか……格好つけたがりなんだよ、いつも。だけど体育とかでは負けず嫌いなところを見えたりするからさ。もっと本音を知りたいって思う」
『暴きたいみたいな?』
「んー……そうかもしれない。タツもレオも彼女ができてさ。その子達に見せる顔って、すごい自然だから。そういう顔できるんなら、もっとクラスでも楽にしてくれればいいのにって思うかな」
『ジェラシー?』
からかうような声に肩を竦める。
「かも。来年はきっと他のクラスに混ざるようにばらけるから、今の四人だけのクラスって特別だと思うんだけど……みんな好き勝手にしてるから寂しいっていうか」
『沢城くんはその筆頭かな?』
「僕から見たらそうかも」
『だから強くあたっちゃうの?』
「ああ……かもなー」
『だったら赤組に誘えばよかったのに』
「確かに……でもなあ、佳村さんがいるからギンは白にいきたかったと思う」
『じゃあなんで私がいるのにコマくんは青組に来てくれなかったのでしょう?』
「うっ……」
『うそうそ。青澄さんがいて、私がいて。どう頑張ればいいのかわかんなくなりそうだったからなんだよね?』
「……意味わかんなくないかな?」
『ちょっとね。でもいいよ』
「はあ……」
俺まだまだだ、と呟いたら山吹さんが笑った。
『コマくんが自然に俺っていうの、結構好きなの』
「ええ?」
『いつも背伸びして一人称変えようとするところも……電話で話していると僕って言うのも、好き。コマくんが私に対して素直でいてくれるんだろうなあって勝手に思っちゃうから』
顔中が熱くなる。彼女は急にそういうことを言うから、油断ならない。
わかっているのに……どうしても油断してしまう。
誰にも話せないことでも、彼女は聞いてくれるし楽しいから。
こういう時間が好きだし、こういう時間を共有できる彼女のことも……。
「……そういえば青組はどう?」
『日に日に仲良くなってくからさ、すっごく楽しいよ? コマくんから見たら南先輩あれかもしれないけど、味方にするとすっごい頼もしいの』
「あれってことはないけど、そうなの?」
『だってみんなのどんな些細な変化にも絶対気づくし、優しいし強いよ? 困った時にも話の通し方が見えてるから……まあ、そのせいで青澄さんが大変な目に遭うこともあるけど。あれはどっちかっていうと信頼の上って感じで――』
そう言って、青組のダンスが決まるときの経緯を楽しそうに話してくれる彼女の声を聞きながら、窓枠に立った。
士道誠心の学舎が遠目に見える。
制作中のパネルは体育館におさめられていた。僕は正直そっちにはノータッチだけど、美術部の精鋭をはじめとする絵のうまい勢が頑張っているらしい。
『体育祭、楽しみだなあ』
最後にそう締めくくった彼女に笑って、それから夜空を見上げた。
「ねえ、山吹さん」
『ん? なあに?』
「……お、俺、体育祭で活躍してさ。その」
『待って』
「ええ?」
『その先は言わないでほしいな。活躍云々関係なく、してほしいことを言われる予感がします』
う。どこまで見抜かれているんだろう。
ただ僕は――……何か、切っ掛けを手に入れて、それで彼女に言えたらいいのにって思っただけなんだ。
◆
コマくんは好きだって言う切っ掛けが欲しいのかなって、学生寮のベッドに寝転がった私、山吹マドカは思いました。
わがままだよなあ。告白に関係ないハードルを告白に絡めないで欲しい、なんて。
わがままでしかないよなー。
言えばキリないってわかっている。けど言わずにはいられない。だから線引きが大事だ。言うべき事、言っちゃいけない事の線引きが。
それはたとえば……そうだな。
青澄さんへの失恋いつまで引きずってるの、とか。きみの恋愛、別名保存しないで上書き保存させてよ、とか。割と折に触れてきみが好きだよってアピールしてるし言葉にもしてるのに、それは私からの一方通行気味ですよね、とか。
いや、一方通行だったらコマくんは不器用なりに頑張ろうとさえしなかったと思うんだけど。
不器用なコマくんだからこそ、私のことだけを考えて好きっていうハードルを乗り越えて欲しい。いつもちょいちょい好きだって言ってくれるほどデレてくれる日がくるとも、まだ思えないので……好きだけを伝えて欲しい。
言えるかなあ。言っちゃだめかなあ。
わがままだ……わがままかなあ。
『山吹さん?』
呼び方もさ。私はコマくんって呼んでるのに、コマくんはいつまでたっても名字にさん付け。それでも毎日電話で話せるようになるまでこぎつけたんだから、頑張ってくれたコマくんも私も褒め称えたい。
けど呼んで欲しい。名前で呼び捨て、密かに憧れなんですよ。
「ねえコマくん」
『なに?』
私のこと、女の子だって認識してますか?
ただの友達に落ち着いちゃってませんか?
好きだって言いたいきっかけが欲しいくらいには意識してくれてるんですか?
……私にどきどきしてくれますか?
「好きだよ」
『あ……』
どきどきしながらスマホを持つ。
手が震えそう。っていうか震える。やばい。死にそう。
何か言ってくれないと死ぬ。好きって言ってくれなきゃ死んじゃう。
ああもう。こういう勝手に盛り上がっちゃうのとかも苦手なんだろうなあ。
でも私も青澄さんもそのへん似てると思うんですけど。
あなたが私を好きになる要素はゼロではないと思うんですけど。
ああでもああでも、青澄さんと似てるところを好きになられるのはいやだなあ。
あの子のこと嫌いじゃない、ううんむしろ好きだけど。おもしろおかしな女の子だから、もっともっと仲良くなりたいけど。
コマくんは私だけを見て欲しい。わがまま炸裂ですけど。
『す、』
「……す?」
お?
『……す、』
「す?」
そのすって、あれですよね。
あと一文字だよ。あと一文字がんばって。おねがい。
いっそ好き? って聞いちゃいたい。手を伸ばしたい。抱き締めて髪の毛ぐしゃぐしゃにしたい。
『…………』
息づかいは聞こえてくる。
きっとどきどきもしてくれている……はず。
なのに返事がない。
言いたい、けど言えない! なのか。
言わなきゃだめ? むり言えない! なのか。
焦りすぎかな。求めすぎかな。コマくんの歩みはゆるやかなのはわかっていたはず。やっぱり無理だったのかも。
「――、」
息を吐いた時でした。
『俺も好き』
息を吸うべきなのか、吐くべきなのかわからなくなった。
頭が真っ白。
言っちゃった、みたいな空気が伝わってくる。
すう、と息を吸いこむ音が聞こえた。あ、ごまかされる。そう直感したから叫ぶように言った。
「私も!」
いっちゃえ。
『あ、』
「私の方がもっと好き!」
どんどんいっちゃえ。
「名前で呼んで欲しい! もっと二人でいちゃつきたい! なんなら寮だって遊びに行きたいし、コマくんの頭の中身が私だけになればいいのにって思ってるし! コマくんが他の女の子を見る時間の一秒でも長く私にさいてくれればいいのにって思ってるし!」
ああ、やばい。いつものスイッチが入った。止まらない。
「いい加減、私でいっぱいになっちゃえばいいのにって毎日思ってるし」
どれだけいっちゃうんだ。
「体育祭で同じ青にきてくれないの寂しかったけど、青澄さんへの失恋を意識しないようにって背伸びしてくれたところ狂おしいくらい好きだし! でももっとストレートに私だけを見て欲しいって思うし!」
ここまでいっちゃったらもう。
「手とか繋ぎたいし、デートとかしたいし」
なにを言っても言わなくても変わらない。
「……もっと好きって言って欲しい、です」
その手前にある願いが、最後。
「付き合ってくれたら、いいなあって……思います」
オフになった。それっきり言葉が出てこない。顔中が熱いし、はずかしくてたまらない。
コマくんが歩み寄ってくれたのが嬉しすぎて溢れ出てしまった私がみっともなくて。
『…………』
静寂が痛い。電話切っちゃおうかな。逃げ出したくてしょうがないんですけど。
『……俺、』
なに、なにをいうの。
『いつも話聞いてもらってばっかりだけど』
けど。けどなに。
『山吹さ――……ま、マドカの話きくの、好きで』
やばい、死にそう。名前呼びキター!!! って心の中で叫ばずにはいられない。
『スイッチ入ったみたいにばーって言われるのも、実は悪くない……っていうかいいなって思う。本音、聞くの……結構好きみたいだ』
つっかえつっかえ、一生懸命伝えてくれるメッセージを心のメモ帳に全力で書き記す。
『ほ、ほんとは体育祭で活躍したら言いたかったけど』
むしろ今。むしろ今ですよ、コマくん!
『ぜひ、付き合ってほしい、です』
おお。おおお。おおおお!
『マドカが、好きだから』
思わずガッツポーズを取る私、とてもじゃないけど見せられない。
ないか。ないのか。録音装置。スマホにそういう機能はないのですか!
『……あ、あの?』
「はい! 付き合いましょう! っていうか会いたいです! 飛んでいっていいですか!」
『よ、夜遅いから明日で』
ええええええ!
『はずかしくて死にそうなんで、なにとぞ』
なぜに口調が変わるのか。愛しくてたまらないけど、もっと喋って欲しいけど、でも私も胸が一杯だから深呼吸をする。
無理、だめ。深呼吸程度じゃこのきゅんはどうにもならない。やっぱり抱きつきたい。触れてみたい。触れて欲しい。直接的すぎるか。直接的すぎるね。でもどうにかしないと眠れない。
ああ、どうしよう。こうなると山ほど喋りたいし、山ほど喋ったらもったいない気がする。スイッチは壊れてしまってどうにもならない。押したいのかどうかさえわからない。
ああもう。ああもう。
「も、もう一回……」
『えっ』
「名前で呼んでおやすみって言ってくれたら……それで眠ります」
むしろ永遠の眠りにつきそうです。突っ走ってるけど足が止まらないよ助けて。
『じゃ、じゃあ……そっちも名前で呼んで』
まさかのおねだりー!!
スマホをぶんなげて、可愛すぎるって叫びたいんだけど!
『マドカ』
「は、はい」
『おやすみ』
それから、無言。
ああそっか。私が言うターンだ。言わなきゃ。呼ばなきゃ。
名前で、呼び捨てで。彼と同じように。
「ゆ、ユウも……おやすみ」
やばい、どもった。
言ってからこみあげてくる恥ずかしさはなんなんだろう。
別にこれまでの電話でおやすみって言ったこと何度もあるのに。
なんでいまさらいつもと同じ挨拶がこんなにはずかしいんだろう。
そっか。名前呼び捨てのせいか。いやいや、恋人になってはじめてだからでしょ。
恋人……こいびと。わ。うわ。うわあ!
『……やばい、てれすぎる。お、おやすみ!』
電話が切れた。
放心しながらスマホを見る。
……現実かな?
思い切り頬をつねったけど、幸せすぎるせいなのか痛みなんてまるで感じませんでした。
◆
電話を切って、表示される山吹マドカの文字を見る。
まさか踏み込まれるとは思ってなかったから、頭がてんぱって……気づいたら色々言いすぎていた気がする。
どうにか伝えたくて。今の俺はきみでいっぱいだって伝えたくて。でもとてもうまく伝えられた気もしないから、いろいろ言い過ぎた気がする。
彼女に影響受けたのかな。まるでスイッチが入ったみたいに、俺……。
「彼女……」
彼女か。彼女ってことは、恋人だ。恋人は……マドカ。
うわ。うわ……。うわ!!!
「やばい……」
とても眠れそうにない。
素振りをしに外に出て、思う。
もし今日、彼女が会いに来ようものなら、どうしていいかわからなかった。
だって、明日どんな顔して会えばいいのかさえわからないんだから。
どんなに刀を振っても、その答えは出なかった。
振れば振るほど頭の中が彼女で埋めつくされていく。
そうして実感した。
ああ、やばい。彼女が好きだ。好きで好きでしょうがないぞ。
つづく。




