第百二十二話
一通り悩みを打ち明けた私にカナタは腕を組みました。
「犬井先生の依頼、獅子王先生に結婚式で喜んでもらう方法か……なるほど」
確かに並木さんの案はいいな、と頷きます。
そして私に尋ねてくるのです。
「何を悩む?」
「もし、もしだよ? 二人にとって大事な人の言葉を届けられたら……サプライズにならないかな」
「……話を聞く限り、どうだろうな」
「だ、だめ?」
「亡くなる前に残した言葉を思えば、十分伝えたとも思うし。それでもうまくいかないのが人だと思う。事実、獅子王先生と犬井先生が付き合うまでに何年もかかっている」
「うっ」
「それに亡くなった人の言葉をもし吸い上げる力があったとして、その言葉がいいものかどうかはわからないだろう」
「だ、だいじょうぶだよ!」
「なぜだ?」
「……死ぬ前に二人の背中を押せる人なら、だいじょうぶだよ」
それはお前の願いだろう? と言われてしまいました。
そう願えるお前を愛しいとも思うけど。そう言ってカナタに抱き締められて、胸に頭を預けながら思います。
「だめかなあ」
「試してみる価値はあると思うが、失敗した時の重石は胸の内に抱える覚悟も必要だ。それでもやるか?」
「……それは、その」
「もし仮に方法があったとして、ひどい言葉を浴びせられたら……二人には当然伝えるべきではない。勝手にやることなのだから。その時には自分で抱える必要がある、それでも?」
覚悟はあるか、と見つめられたから、私は頷きました。
「やる。私はニナ先生が一度結ばれた人を信じてみる」
「会ったこともないのに?」
「それでも。ニナ先生を信じる。ニナ先生が信じた人も信じる」
「……わかった」
私の背中をぽんぽんと叩くとカナタは立ち上がり、扉に向かいます。
「ど、どこいくの?」
「今すぐやろう。少し試してみたいことがある」
「え、えっ」
あわててついていきながら、思わず尋ねました。
「もしかしてカナタ、できるの? 死んだ人の言葉を聞くなんてこと」
するとカナタはふり返って微笑みました。
「お前の刀鍛冶だからな」
とびきりきゅんときてしまった私の尻尾は過去最大に膨らんでいたのです。
◆
特別体育館は静まりかえっていました。
鍵のかかった場所だろうとカナタは触れるだけで解いてしまうんです。
「カナタってつくづくすごいね……」
「呆れた顔で言うな。それに、兄さんはもっとうまくやる」
「……妹さんの未来が心配です」
「やかましい」
チョップを食らいつつ、二人で向かった先は御珠のある神社です。
何をどうするんだろう、と思っていたらカナタは御珠に手をかざしました。
「御霊が何か、わかるか?」
「……うんと。神さま?」
「神さまだし、幽霊だ。だから……隔離世はあの世に最も近い場所だとする見方ができる」
ぶわっと広がる波動に押されて、身体から魂が引き離される。
気づいたら隔離世にいました。なぜわかるかって、特別体育館の中にも雑魚の邪がふわふわ漂っていたからです。あわてて刀を探るけど、そういえば持ってきてなかった。
『気が抜けておるのう』
そ、そうはいうけどさ! 学校にも邪がいるなんて想像してなかったんだもん!
『まあ確かに、これまではみんかったのう』
そ、そうだよ。交流戦の時にも見なかったよ?
「ねえカナタ、あれ倒さなくていいの?」
「定期的に駆除しているから心配するな。それよりも、説明を続けるぞ」
「う、うん」
意気込んで頷くと、カナタは御珠に手を当てました。
まるで吸いこまれるように指先が中に入っていくの。ずぶずぶと。
「神や妖怪変化、幽霊たちのいる世界に繋がるオーパーツ。この穴の向こうにいる任意の相手にもし、声を届けられたら……対話が可能ではないかとずっと思っていた」
「だ、だいじょうぶなの?」
「全身で入れば戻ってこられる保証はないから、禁忌とされている。授業が進めば説明もあるだろう。それよりも、問題はここから先だ」
「はあ……」
「俺たちはどうやって心の求める刀を引き当てた?」
「……むがむちゅう?」
「平仮名発音をするな」
半目で睨まれました。すみません……。
「だがその通りだ。だからこそ試すべきだと思う。より任意で刀を選べるようにならないか」
考えてみれば不思議だ、とカナタは呟いた。
「侍と刀、侍と刀鍛冶は一期一会、その精神で向き合うべしとするその理念はわからないでもないが……より強い刀を求めるなら、誰かが試してもおかしくないと思うんだ」
手を引いて、握って開いてを繰り返している。
「どう声を伝えればいいのかがわからないが……ハル、刀の声を聞けるお前なら何かできないか?」
「えっ」
あ、ここで私の出番的な?
「え、えっ。も、もしもし? あなたの心に直接話しかけてます?」
……静まりかえったよね。
「……何か聞こえたか?」
真顔で聞かれると苦しいです。
「す、すみません、何も起きませんでした」
「……お前な」
ああ! カナタの視線が凄く刺さるよ!
「え、えっと……じゃ、じゃあ頭を突っ込んで呼んでみるとか?」
「オススメはしないが」
腕を組むカナタの眼鏡が輝いている。
やるなら早く、と言いたそうです。
『ううむ……気が進まんのう』
『やるなら早くしろ』
十兵衞ストレートすぎるよ。
タマちゃんには申し訳ないけど、やってみよう。
『会いたい人がいるね。呼んでみる?』
ヒノカ、できるの?
『楽勝』
おお、心強い!
『えっと……誰だっけ』
んーとね。犬井ニナさんと結婚して、獅子王ライさんの親友だった人。
『名前は?』
「あっ」
「な、なんだ、どうした」
慌てるカナタからさっと視線を逸らしました。
ここへきて名前を確認してなかったなんて、はずかしすぎる。
「その顔は何か失敗した感じだが?」
「ううっ」
に、逃げ場なし!
「ニナ先生の前の旦那さんの名前、そういえば知らなかったなあ、と」
「……そうだな」
あれ? カナタがそっぽを向いた。
てっきり怒られると思ったのに……もしかして。
「カナタも気づかなかったの?」
「……いいから、できるのか。できないのか」
「あー! ごまかした!」
「ああそうだよ、気づかなかった。それで? 調べるか?」
「ちょっと待って」
え、えっと……ねえヒノカ。
姓は国崎。名前はちょっとわからないんだけど……なんとかなる?
『やってみる。右手を御珠に入れて』
う、うん。
カナタの真似をして、御珠に手を当てた。
まるでそこには物質なんて存在してないかのように、手がその先へと進む。
その途端、ひやっとした感触を覚えた。
『ハル、呼びかけて。あなたがシュウと私にしてくれたように』
「ん……ニナ先生の旦那さんへ。聞こえていますか? あなたに聞きたいことがあって、来ました」
『もっと、強く願って』
つ、強く? ううんと。ううんと。
願いってなんだろう。ライオン先生とニナ先生に喜んでもらうことだ。メイ先輩に確認されてから今までの間で私の願いはそこに落ち着いている。
じゃあ……それを願うとして。
「ライオン先生――じゃなかった。獅子王ライさんといぬ……ううん、国崎ニナさんの未来を願ったあなたの言葉が聞きたいです。どうか、どうか……お声を聞かせてください」
『……待って、もう少し……見つけた! 手を引いて!』
ヒノカに言われて急いで手を引いた。
何かが指先に絡みついてきて引き上げられる、けれど、それは御珠の外に出ることは敵わなかった。
ただ……一人の男の人が御珠に浮かんでいたの。
『その人だよ』
どきどきしながら御珠を見つめる。カナタも私のそばで息を呑んでいた。
御珠に浮かび上がるその人は、とても優しい顔をしていました。
『話すなら早くしてあげて。長くは浮かんでいられないの』
ヒノカの言葉に我に返る。
「あ、あの……私、青澄春灯っていいます。士道誠心の高校生で、獅子王ライさんの生徒です。国崎ニナさんにも授業をしてもらっています」
どきどきしながら話しかけるとね。
『そうか……二人は教師になったのか。はじめまして、国崎シロウです』
どこまでも慈愛に満ちた笑顔でした。
思わずカナタを見たら、頷いてきたの。俺にも聞こえる、と伝えてくれているみたい。
『安定しているとは限らん。気をつけろ』
十兵衞の言葉に深呼吸をして、それから尋ねます。
「あの……あなたに聞きたいことがあるんです。どうして、死の間際に二人の未来を祈れたんですか?」
「ハル」
「気になるの……すごく、気になるの」
『……ニナから聞いたのかな。ライは人に話す性分じゃないから。となると、少しは……強くなれたんだな』
瞼を伏せる。そうして消えるシロウさんの表情に、どきどきする。
『二人は付き合っているのかな? それとも結婚するんだろうか』
「え――」
『僕が死んでどれほどの時が過ぎたのだろう。今は西暦で何年なんだい?』
「あ、え、と」
カナタを見た。答えるしかない、と頷くカナタに今年が何年かを告げる。
『そうか。もう……十年と少し、か。それでも士道誠心はあり続けたんだな』
感慨深そうに答えるシロウさんは、カナタより一年年上という若い姿のままだ。まるで取り残されているかのように……若い姿のままなんだ。
『さっき僕がした質問の答えをまず知りたい。二人は今、どうしているんだい?』
「それは――……それは、その」
言うべきなのか。ここへきて迷うなんてあまりにも遅すぎるけれど、でも。
「結婚なさるそうです。交際したのもごく最近のことだと聞いています」
言うことにした。それがどれだけ残酷であろうとも。
シロウさんの目が求めていたから。
『正直な子だ。君の刀の御霊からも伝わってくるよ……そうか。やっと、決断したんだね』
「やっと?」
『それを語る時間はない。先に君の質問に答えよう。僕は二人が大好きだから……理由はそれだけだ』
迷わず断言できるこの人の強さを、覚えておこうと思ったの。
視界が揺らいで仕方がない。
『他に用事は? もう……あまり時間がない』
「じゃ、じゃあ! 二人にもし伝言があったら、教えてください!」
私がお願いする横でカナタがスマホを出して操作する。
シロウさんはただ微笑んだ。
『じゃあ、そうだな……ほら、やっぱり僕の言った通りになった。二人で幸せにならなきゃ祟るぞって、おどかしてやってくれ』
そこまで言い終わると、すうっと姿が消えていく。
「ま、待って、他には!」
『いいんだ……もう。死人はもう、これ以上は望まない――……』
縋るように右手を御珠へと伸ばす。
けれどカナタに止められたの。思わず見たら、カナタは首を緩やかに左右に振った。
「彼の望みだ。ここまでにしよう」
「……でも」
「実際、体験してみてわかった……もしできるとしても、試さない理由が」
カナタは悲しみに顔を歪めて、御珠を見つめて言いました。
「死んであちらに行かぬ限り、そう接点はもつべきではないのかもしれない。世界は分かたれている」
ともすれば、と呟くカナタに抱き締められました。
「カナタ……?」
「ハルの才能は……あちらとこちらを繋ぐ。けれど、それは容易くするべきではない」
「どうして……?」
「誰もが求める奇跡だ。だが……それは必ず未来に繋がるだろうか? 俺にはそうは思えない。それが……今、痛いくらいわかったんだ。だからもうやるな。しなくていいんだ」
きつく抱き締められるほどに頭に疑問符が浮かぶの。
「今回はうまくいった。けれど……毎回こうなるとも思えないから、もう……二度と同じ事はしないようにしよう」
「なんで、そんなこというの?」
「気づいていないなら余計にだめだ。もう二度とさせない」
痛いくらいに増していく。痛すぎて、つらすぎて。
「お前はずっと、泣いていた」
カナタの匂いに包まれて、はっきり言われてやっと自覚した。
「お前はずっと、泣いていたんだ」
こちらにこれないあの人の言葉を聞くそのすべてが……痛くて、悲しくて。
未来を願えるあの人がただただ眩しくて、強くて……健気で。
なじられるより、怒鳴られるより、つれなくされるより。
何より未来を願う笑顔が一番、心に刺さったんだ。
つづく。




