第千二百二話
バイクのエンジンを切って店の外から中を覗いて、どれくらいの時間になるだろう。
山吹マドカの指示は端的だ。
清川未来が怪しい素振りを見せたら、五右衛門の力で彼女のピアスを奪え。
ただし危害を加える気配がないと判断できる場合には、静かに見守れ。
八葉カゲロウ、これじゃ泥棒で使いぱしり以外のなにものでもない。
そりゃあないよ、マドカちゃん。五右衛門も俺に愛想を尽かすよ?
『カーゲ、仕事しろ。仕事』
シオリが通信機越しに呼びかけてくる。
なにが悲しくてテスト前の忙しい時期に、外でぼーっと突っ立って青澄の仕事風景を眺めにゃならんのか。これが仕事というのなら、お給料をください。最低賃金でもいまなら手を打つので。どうか。お慈悲を!
「しけてんなあ……」
泥棒の仕事じゃないよ? これ。
いや、日本で泥棒の仕事とか考えちゃってる俺もどうかと思うけども。
「そっちに変化は?」
『隔離世は無事。マモリがキミの色目を警戒中。未来ちゃん? ぼいんだよね』
「ああ……いや、ん。違うからね? いまのは」
咳払いをしつつ、周囲を見渡す。
最初はおっかなびっくり。いまじゃ堂々と見渡しても気にならないくらいに、おかしな気配はなし。とはいえ俺は特殊な訓練を受け――……五右衞門から受けているっちゃあ受けているが、しかし超感覚がない――……わけでもなく影の世界に移動はできるけれども。ええい! とにかくわかんねえ! ウィザードの関係者がここにいたとしてもだ。
マドカちゃんは警戒している。
あの男の手の内が他にあったらまずい。
それには賛成なので、こうして出張ってはきたものの、なあ?
「日高の師匠がいるんだろ? 忍びの頭領が。なら下手なことは起きねえんじゃね?」
『だから隔離世の警戒をしているんだろうが、バカゲロウ』
シオリちゃんの罵倒に最近、容赦がなくなってきてる。
おかげさまで心が抉られています。助けて。
『柊ただいま店内に霊子密度の増大を確認』
『ぼいんおぶざ清川の霊子体に変化あり。かーげ?』
マモリちゃん怒ってるぅっ!
変なこと考えたりしてないから! ほんとに! 信用が欠片もねえな!? 泥棒だもんな! しょうがねえかな!?
「いや三人そろってそっちにいるんじゃ、隔離世に行きようがねえんだけど!?」
『シオリ先輩がいるから問題ない。やらしいとこ見るなよ? 指示があったらピアスを奪って逃走。いい?』
「わかってまぁす……」
マモリちゃんのドスも効いてきてる。
静かに怒られてもそれはそれで怖い。女子のその手の怒り方はほんとに怖い。トラウマなので、まだ直接指摘されるほうがマシ。マシなだけでセーフではない。むしろアウトでしかないのである。
ヘルプ! しなきゃいけないのは隔離世チームなんだけどな!
青澄は通常営業中。清川とのコミュニケーションに注力してもらいたいので、それはいい。
問題は穏やかじゃない状況で耐えなければならないことだ。
現場放棄したくなるなあ。でもできないんだよなあ。
日高経由で、青澄スルーで橋本頭領には伝達済み。忍びのおっさんが現世の店内の治安を守り抜く。俺は万が一に備えて清川未来の装備を盗む。そのうえで、隔離世対策チームになった俺らのメンバー女子三名が待機中。
シオリは強い。めちゃめちゃ強い。なので心配はいらないと、そう思いたいのだが。
『『『 ――……ああああああああああああ! 』』』
叫び声のハモリ。次いでそれぞれがムリムリだの、きもい連呼だのし始めて、両手で顔を覆う。
お願いだから心配させないで。
すぐにポケットが振動した。ジーンズから取りだしてチェック。
スマホの画面にはこうある。
『忍耐』
送り主はマドカちゃんだ。
どこかで見てんのか?
シオリの手配で監視中?
落ちつかないなあ!? もう!
なにが起きてんの!?
◆
供物を捧げよ。
そんなメッセージ、わりとありふれているのだろうか。
わからないが、咄嗟に張った氷の城壁がかろうじて敵の侵入を防いでる。
そう、敵だ。
尾張シオリは背中にラップトップを背負い、日下部マモリと柊レンカを庇うように刀を掲げている。霊力の限りを尽くして城壁の強化に勤しむ。
必要があった。
「ムリムリムリムリ!」
「きもいですきもい!」
ふたりが顔を歪めてボクの張る城壁の先を見る。
雄牛メンズがいた。全裸の男、だいぶマッチョな野郎の頭が雄牛。下半身は黒毛に覆われているが、大事な部分が隠れていない。
おっ立っている。汚いもんかと思いきや、蛇になっているのはあれかなあ?
狂戦士リスペクトのつもりかなあ?
店舗の上に仁王立ち。右手に握る錫杖を掲げ、先端をくるくると回す。するとどうだ。橋本頭領がこっそりと設置した通信機を介して聞こえるハルちゃんの愉快な日常に刺激された店内の人のなにげない欲が隔離世で黒い霊子になって、雄牛メンズの掲げる杖の先端に集まっていくではないか。
およそ三秒から五秒の間隔で雄牛メンズの足場から衝撃が発生する。
こんなことは認めたくないけれど、ゲームの衝撃波ってノリ。ウィッチャーあたりが近いかもしれない。あれよりも対象範囲は広く、ユリアの大蛇の体当たりなら防げるボクの氷の城壁が一発ごとにヒビだらけにされる。おかげで動けやしない!
「ふたりとも! 霊子操作! はやく!」
「「 ああああああああああああ! 」」
濁点つきの叫び声をあげるふたりに違和感。
ずうっと悲鳴をあげ続けるだけ。
恋人いたことなくてエロに興味を覚えた柊も、カゲと付きあって仲良ししまくりな日下部も、雄牛メンズのセクハラ姿に心底不快になるとして叫びすぎじゃないか?
一度だけふり返ってチェック。ふたりの瞳にグルグルマークが見えた。そんなわかりやすく視覚的に混乱のエフェクト出るもんか!? とはいえ出てんなあ!
「やばっ」
霊力はあるほうだけれど、消耗が激しい。
ふたりと一緒に逃げるべきか。いっそ吹雪でも起こす? ホワイトアウトを発生させて逃走すれば、雄牛メンズも追ってはこれまい。で? その先は?
マドカちゃんもキラリちゃんも仕事でテンパリ。小楠もお仕事。カナタもそう。ラビもユリアももちろんそう。ボクだけ珍しく空いてる。
やっぱりルルコ先輩たちの協力をもっと強く要請するべきだった。
戦闘の練度は低いと言わざるを得ない。もっともあんな雄牛メンズと手合わせする機会があったらやばい。それって警察学校に入ったら実地訓練なって言われて激やば現場に送り込まれるレベルの無茶だ。いやまだ早い! 卒業して経験値を積まなきゃ責務は果たせないでしょうよ!
焦りはあるけど、ボクは素人じゃない。
こういうこともあろうかと、手配はしてある。
雄牛メンズがカエルのような目でこちらを睨み、吠えた。涎がびしゃびしゃと放たれる。
錫杖を盛んに上下させ、音を鳴らす。あの雄牛メンズ、和牛なのかな。洋じゃないよなあ。錫杖だけに。接近戦を挑んだら、あれで格闘技を披露するのだろうか。やだなあ。近づきたくないなあ。
そもそもあいつは邪なのか、はたまたボクらみたいに現世から来たヤツなのかが不明。
橋本からの連絡はなく、現世に異常は起きていない模様。店内から屋上を突き破る形で建物の上に飛び出して、こちらを睨みつけて以来、押すことも引くこともできない均衡状態。
まだか。まだなのか。
焦れるこちらに構わず、雄牛メンズは股間の蛇をしきりに動かしながらヘドバンを始めた。
ますますもってきもい。きもさが増す。もちろんセクハラ姿だ。百パーアウト。二年生期待の刀鍛冶二名が正気を失うんだから、めげそう。
雄叫びをあげた雄牛メンズが錫杖でビルを叩く。いっそう強い衝撃波に城壁が粉砕された。二階建ての小さなアパートくらいはあるんだけどなあ。期待の厚みが木っ端微塵。くるとわかっているから、刀を振るってタイムラグなく城壁を再生。体に疲労が襲いかかる。いきなり霊子をごっそり持っていかれると、ボクはひどい立ちくらみのような症状に見舞われる。だから深呼吸を意識して、余裕を装って笑ってみせた。
それが雄牛メンズは気に入らなかったようだ。
跳躍して城壁の前にかるがる着地すると、錫杖で直に叩き始めた。
店内からわき出る黒い霊子が錫杖に集まるたびに、衝撃が強くなっていく。
三度目に割れたら、次は二度目。そして一度目。間隔が狭まる速度がいやに速い。
なにげない欲から生まれる霊子なんて、ほんとささやかなものだ。マラソン選手に「カルシウム補給して!」と、ちっちゃなちっちゃな干しエビひとつ差し出す程度のものだ。数が集まろうが、所詮はトッピング。ボクの城壁を易々と破壊できるほどのドーピングにはならないはず。
なのに実際、雄牛メンズの力が増していく。加速度的にだ。
カゲや橋本からの危急の報告がない。状況を伝える余裕もないし、突っ込まれても答えられない。なにか聞こえているような気はするが、正直いまはそれどこじゃない。
消耗戦だ。
正直、分が悪い。
壁を張る位置がどんどん手前に迫る。いっそ氷漬けにしてみるも、効果なし。一瞬で破壊されてしまった。直で戦いたい相手じゃない。なんかこう……精神的に無理!
どうする。まだか。まだなのか――……!
雄牛メンズが口を開いて、なんらかの表情を取る。けど雄牛の表情を読み取れるほどの牛とのコミュニケーション経験がない! 牧場遊びをした経験があるでもなし!
ただバカにしてるっぽいことだけはわかった。
錫杖を手に、黒い小さな霊子を背中に浴びながらこちらに近づいてくる。
腰元の蛇がしゅるしゅると舌を伸ばしていた。
いろいろしっちゃかめっちゃかな雄牛メンズが薄い本のようなことを? そんな脳天気な現実逃避を、敵の背後に見えた光に笑いながらしたよ。
閃いた。直後、轟音が鳴り響く。
雄牛メンズの肩に刀が食い込んでいた。雷光を纏う刀が巨体を細かく振動させる。
頼もしいヒーローが叫んだ。
「ファリン!」
「ゲテモノ食いになりたくないが」
ボクと雄牛メンズの間に少女が着地する。
豊かな尻尾を揺らして中国から来た少女が右手を悶える牛の頭に突きつけた。
「敢えて言えば」
手を開いて、すぐに掴む。
一気に引いた。と同時に雄牛メンズが悲鳴をあげながら、舌を伸ばす。いや、引き抜かれていく。
「タンが好き」
引き抜かれた舌肉に果てがない。
代わりに足が、手が、蛇が、体内に吸いこまれていく。
舌を抜けば抜くほど肉が舌肉に転化されていくのだ。
霊子を変換し、己の想像するものに変える術。
目の前で見せられると、途方も無さに驚く。刀鍛冶も同じようなことをやっているはずが、邪相手となると途端に彼女ほどの芸当がまるでできなくなるのだから、技術の限界か、発展の歩みの鈍さにめまいがする。
あと、せめて変えるならもうちょっとぬるいものにしてほしい。
生々しすぎるぞ!? タンは!
いや、食肉加工って結局はそういうことなんだけれどもね!?
「食べる人いる?」
遠くから雷の速度で走ってきて彼女を連れてきてくれた仲間トモカちゃんが刀を振るって汚れを拭う所作で華麗にスルー。
背後のふたりは混乱中なので、答えるどころじゃない。
結果、どうなる?
ボクが答えるしかないんだねえ!
ちくしょおおおおおおおおおおおおお!
「いえ、結構です」
や、もちろん丁重に辞退しましたよ?
そこまで割り切れてない。まだ。ぬるま湯育ちだと罵られても構わない。
「タンシチューにしようかな。焼き肉もいいな」
巨大な舌肉を抱えてウキウキしている少女に勝てる気がしない……。
彼女の調理および食事シーンをできるだけ見ないようにしつつ、混乱中のふたりをなだめてどうにか落ちつかせる。その間にカゲたちと交信するも、現世の清川未来に怪しい挙動なし。橋本に見抜けないなら、ボクたちに見抜けるはずもない。なので、彼の報告を信用する。
見た目のグロさに反して、やたらうまそうな匂いを放つ料理をひとしきり味わったワン・ファリンに状況の推移を伝えたのちに尋ねた。
「あれは邪という認識であってる?」
「まあね」
ナプキンで油に濡れた口元を拭って、ご満悦の彼女は頷いた。
隔離世の刀鍛冶よろしく、アスファルトだ、雄牛メンズが破壊した建材だのを指先を振るだけで集めて、テーブルと椅子に変えて悠々と早めのディナーを済ませた彼女はぜったいマイペース。
「対象に意図なく、対象の装備する道具から発生した邪と見ていい。それに邪を構成する霊子は、既存の邪と違って複数人のなんてことない欲望が集合してできた産物みたい。思いのほか、味はよかった。心地いい欲の味がする」
はあ……そうですか。
「ピアスだっけ? 調べたほうがいい。あくまでも可能性でしかないが、装着者の意志に関わるかどうかも不明なまま、隔離世にさっきの牛のような邪が大量に発生しかねない」
「……そりゃあ、ね」
ボクもできればそうしたい。
問題となる要素から、まずは当事者を引きはがす。
問題を隔離して、そこから分析を始める。
もはやピアスは危険物。ボクらの認識は切りかわってる。
カゲが引きはがせば済む――……かもしれない。
問題はそうじゃなかった場合。
ハルちゃんに協力してもらって、彼女に前向きに協力してもらえたなら、事前にピアスを調べ、適切な対処を模索できる。
けどいまは事故を起こす可能性を抱えたままで、やらなければならない。
清川未来が、あるいはウィザードが想定するような標的が、もしなんらかのアクションを取った場合に妙なトラップが発動したりする可能性は?
あいつの場合、あるとしか思えないんだよなあ。
仮に同じゲームの難易度調整をふたり別々にやったなら、あいつは最高にクソでだましあり、序盤ほど脱落者を生むようなマウント取りたがり設定にするだろう。絶対そう。あいつはそういうところがある。
ゲームの定義なんてクリエイターだろうがプレイヤーだろうが、人の数だけあっていい。
ボクの場合、ゲームとは体験だ。
プレイもストーリーも映像もサウンドもムービーもなにもかも、体験に集約される。
あくまでも、ボクの場合は。
なら、あいつの場合は?
自分についてこれるヤツの選別、あるいは弄りだ。意地が悪いし、捻くれているし、勝つか負けるかが好きだし、マウント取るのも大好きだし、あえて腰を低く振る舞って油断した相手がどれだけ素の黒さを見せるか知りたがるところもあるし、平気で嘘をつくし、生まれたときに倫理や配慮を捨ててきたようなヤツだ。
おかげで炎上もちょいちょいするもんで、あいつは作らない。叩かれるのがきらいなのだ。そういうところがある。
お世話になったって思ってなかったら、とっくに三行半をつきつけてた。絶対に。一瞬だね。間違いない。
妙に人なつこいところがあるし、いやに脆さや弱さを見せるときが稀にあって、そういうのが身内感を覚える瞬間で。アメリカに行くときに必ず会う仲間に言わせれば「それってダメ男の典型的な例」と吐き捨てる。
いまでは素直にそう思えるんだよなあ。
当時はわからなかったんだけどなあ。
思わせぶりなところがいやだ。意味なく無駄に数多くのトラップを仕掛けるヤツなのに、こちらがガチで警戒したときに限って「てってれ~! 残念ながら今回、トラップはありませんでしたー!」と侮蔑の眼差しを向けるようなヤツだ。
トラップはある。ボクに言わせればね。発動するかどうかはわからない。そういうヤツだ。なにが起きても最終的に自分さえ楽しければそれでいい。周囲の迷惑? 最高のトッピング! ごほうびくれるんだ、ほらほらしくじったって顔してみなよ! って言うような、最低なヤツなんだ。あいつは。
嘘をつきすぎてなにが本当かわからなくなっている可能性も高いしなあ。
あいつじゃなければ「いいから取っちゃえ。そんなに清川未来のケアを重視するなら、スペアを代わりにつけて時間を稼げばいい」とか言えるんだけど。
外した時点でなにが起きるかわからない。いまとなっては雄牛メンズを出現させて、なんてことない霊子を黒く染めて吸収させ、大暴れさせるような危険なアイテムだ。
仕組みがまるでわからない。
わからないから調べたい。
調べたいけど外せない。
外した途端に大爆発――……までは、ないと思いたい。
けど、あいつは場合によって、ひどく鬼畜で外道になる。
マドカちゃんには悪いけど、カゲに通信で伝えたよ。
「引き続き監視を続けて。ああ!? 無事だってば! こっちの心配はいいから、見守り続けて。あとピアスは絶対、勝手に取らないこと」
なにが起きるかわかったもんじゃない。
◆
通信機を介して聞こえた悲鳴やじゅうじゅう音。
いろいろツッコミどころはある。無事なら無事でいい。
仲間とファリンが助けに来てくれたならありがたい。
それにシオリは直ちに隔離世の監視態勢を強化すると明言していた。
それはいい。
それはいいんだけども。
「ピアスを盗まないのに俺ってば、あの子を一日ずっと監視すんの? ピアスを盗まないのに!?」
いよいよもって俺がここにいる理由がわかんなくなってきてない?
ねえ。
高二の中間試験前になにやってんの?
ねえ!
ねええええ!
都内の最低賃金でもいいから、お給料でませんかねえええ!?
つづく!




