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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九章 戻ってきた日常

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第百九話

 



 最近、教室が華やかになったと狛火野ユウは思うんです。

 タツのそばには着物姿の白髪の女の子がいて、レオのそばには金髪の女の子がいるんだ。

 ギンにはよく佳村さんが会いに来るしで、実質ぼっちは僕だけです。

 ……あれ、おかしいな。

 なんだか空気が一気に春めいている。

 むしろ季節は夏に向けて一直線なのに。雨も上がって晴れた教室の中は、妙に色づいていた。

 昨日まではこんな雰囲気じゃなかったのに、なんで?

 ギンはいい。そもそも佳村さんはギンの刀鍛冶なんだから。

 タツもなんとなくわかる。二人の空気の一体感はかなりのものだから。

 でもレオはどうなんだ。冷たくしていたはずの女の子と親密に笑い合っていたりして、意味がわからないんだけど。

 そしてそれとなく三人が僕を見て笑顔なのが解せない。解せないぞ……!

 チャイムが鳴って三人の女の子が出て行ってすぐ、


「コマだけ色気がねえな」

「コマはあれだ、剣道馬鹿だからな」

「……ふ」


 三人が好き勝手に言い始めた。

 く、屈辱……!


「う、うるさいな!」

「うるさいのはお前だ」


 後頭部を何かで叩かれた。

 ふり返ると、教科書を丸めた獅子王先生がいた。

 すごすごと椅子に座る。そっと横目で三人を見たら「何も言ってませんけど」という顔をしていた。

 こういう団結力がいやなんだっ……!

 ……ほっといてくれ。僕はまだ失恋中なんです。


 ◆


 学食に行っても、放課後になっても気になる。

 三人と一緒だとちょくちょく女の子と出会うんだ。

 タツとレオの彼女さんは恋人に成り立てだからか、すごく嬉しそうかつ幸せそうに会いに来る。レオの彼女さんなんかは距離を置かれていたから嬉しくて仕方ないのかもしれない。いつもじゃなくて、そのへんに妙ないじらしさを感じるけど。

 レオなんかは特に見た目が凄く良いし、本来は人当たりもいいから女の子に声を掛けられることが多い。そこいくとある程度の距離感は大事なのかもしれないけど。

 そういうのを見ていると……付き合うのって大変なんだな、と思う。

 そう思えば思うほど遠くに感じてしまうんだ。女の子ってわからない。


「隙あり!」

「え、」


 はっと目の前を見ると、剣道着姿の仲間さんの持つ竹刀が僕ののど元に突きつけられていた。


「ちょっと。部活中に考え事?」


 竹刀を引いて肩にかける彼女に苦笑いを浮かべる。

 剣道場を見渡してみれば、そこにいるのは剣道部員たち。つまり僕の部活仲間たちだ。


「ごめん」


 息を吐く。


「一年の二本柱なんだから、気合い入れてよ?」


 じゃ、と踵を返す。

 ポニーテールに目を引かれて向かう先を見たら、剣道初心者の一年生部員たちがいた。

 その中には彼女の恋人でもある結城シロくんがいる。

 けれど彼女は公私を切り分けて、先輩に任せられた指導役に徹している。

 だからこそ、彼女がふと鋭い目つきで睨んできて急いで駆け寄る。なにさぼってんの、と目が訴えていたからだ。

 そうだった。僕も普段はその手伝いをしているんだった。

 体験入部期間を終えて入部を決めた生徒しかいないのだが、一人だけ明らかに素振りが遅い女の子がいた。

 竹刀の握りが甘い。

 教わった通りに握っているけど、振る勢いに対して握力も足りてない。背筋も重心も甘くて姿勢が定まらない。それでも諦めることなく振っている姿には、部活を頑張ろうという決意が滲み出ていた。

 なんとかしてあげたい、と思う。けれど今は見守る。頑張っているけれど一杯一杯なのが見て取れるからだ。

 そんな時にああだこうだと言っても、まず頭で理解するところにまでいかない。声が届かないからだ。それを……子供の頃からしごかれた僕は身体で知っている。

 人生を剣道に捧げるつもりなら、しごくのもいいのかもしれない。けれど、これは学校の部活動だ。どこまですべきか非常に悩ましい。

 うまく声をかけられる自信がないんだよなあ。僕の中でのお手本は父しかいないから。

 仲間さんみたいにうまくできたらいいんだけど。

 そんな考えが顔に出てしまったのか、彼女はいつしか僕を見て困ったように眉を寄せていた。


「あ、あの。やっぱり、だめ?」

「いや……ゆっくりやっていこうよ」


 あわてて頭を振る。

 続けて、と言って他の部員の様子も見るけど、どうしても彼女を見てしまう。

 山吹マドカ。

 まるで青澄さんに生えている獣耳みたいにひょこんと垂れ出たくせっ毛が特徴の女の子だ。

 華奢とかいう以前に、そもそも筋肉も脂肪もまともについてない。剣道着を着てて尚頼りなく見えるその体付きからして運動と無縁だったように見える。どう見ても運動音痴な彼女は、しかし誰より必死に竹刀を振っている。

 強さへの執念を感じさせる結城シロくんよりも、だ。


 ◆


 部活終わり。

 それでも竹刀を振っていたら視線を感じた。

 ふり返ると、更衣室で着替えを済ませた山吹さんだった。

 僕の視線にあわてたようにあちこちを見て、逃げようとするけど。


「どうしたの?」


 声を掛けるとぴたりと止まって、さびついたロボットみたいにぎこちなく僕へと顔を向けてくる。


「み、見ていてもいい?」

「別に構わないけど」


 なんで? と聞こうと思った時には、


「じゃあせっかくだし」「僕らも見せてもらおう」

「えっ」


 すごく人が増えていた。

 仲間さんに結城くんをはじめ、一年の部員がずらりと勢揃いだ。


「さあさあどうぞどうぞ」


 笑顔で促されるとやりにくい。

 そんな雑念に負けているようじゃだめか。

 一意専心。


「――、」


 身体になじんだ動作をなぞるよりも、故郷で見た父の動作を思い浮かべる。

 僕の理想はただ一つ。

 父を越えること。そのためにも、まずは父の高みへと至る。


「マドカはなんで狛火野くんの素振りが見たいの?」

「女子の素振りならトモの素振りでもいいのでは?」

「……シロ。その言い方ちょっと気に入らないかな。でもいい、ってなによ」

「違うんだ(震え声」


 一意専心。


「まあ後でいいや。それで、どうして?」

「……あのね?」


 ただ、己を鋼のように磨き上げるのみ。

 だから気にするな。雑談に乱されるようじゃ、至れないぞ。

 乱されるな。乱されるな。


「夜、学校に忘れたスマホを取りに来て見たの。狛火野くんの素振りしているところ」

「ほう、ほう」


 乱されるな……。


「すごく、綺麗で。あんな風になりたいなって、思って」


 うっ。


「あ、狛火野くん。太刀筋が乱れてるよ」

「ぐっ……」


 仲間さんの指摘に歯がみして、深呼吸をした。

 一意専心だろう。僕……いや、俺! がんばれ!


「迷いがなくて、ただ一心に何かに打ち込む姿がかっこよくて……憧れるの」

「ほうほう……うちの学校イケメン多いのに、狛火野くんなんだ」「なんでなんで?」「気になるー」


 仲間さんに便乗して他の女子部員が山吹さんに声を掛ける。


「や、だって……え、その」


 テンパる山吹さんにみんなの喉がごくりと鳴った。


「「「 だって、その? 」」」

「たまに一人称俺にして背伸びしてるところが可愛くて!」

「山吹さん?」


 ぐっ!


「あ、また乱れた」

「失恋したけど俺頑張って乗り越えるんだ、みたいに夜の素振りに熱がはいってるって評判だったりして! あとあと、一年生代表なのに四人もいる噂の的のなかで、唯一女の子慣れしてないのも私的にはぐっときます!」

「山吹さん?」


 ぐうう!


「乱れまくってる」

「今日の練習の時も、ああうまく声を掛けて指導したいんだけど自信ないけどでも放っておけないみたいな顔してて、そういう考えてることが顔にもろに出ちゃうところがもう愛しくて!」

「山吹さん、止まって。止めてあげてくれ。狛火野が限界寸前だから」

「……はっ!?」


 うああああああ!


「まだまだだね」


 ふっと笑う仲間さんの指摘が胸に刺さる。

 結城くんに制止された山吹さんは耳まで真っ赤になって俯いた。


「ご、ごめんなさい。テンション上がるとおかしくなるんです」


 僕の周りの女子はだいたいそうだぞ、と言った結城くんが仲間さんの肘打ちをくらってうめいている。


「らいく? らぶ?」

「ちょ、ちょっと!」


 仲間さんが山吹さんに問い掛けた内容があまりにも直球で慌てる僕に、山吹さんは少し困った顔をした。


「らぶですけど。余裕ないから無理じゃないかと思ってます」

「なっ」

「「「 おおっ! 」」」


 驚く僕に構わず一斉にどよめくみんな。

 そしてみんなして同じタイミングで僕を見てきた。

 けど突然の、しかもあまりに自然な告白に頭は真っ白で、何も考えが浮かばない。


「よ、余裕ないからってずいぶん言うな」

「しっ、シロ。ツッコミは後だよ、いうなればこれはマドカの一本先取。さあ、どう出る? 狛火野くん……!」


 仲間さんの実況に、俄然みんなが前のめりで僕を見つめてくる。

 山吹さんもだ。


「えっ……え、えっ」


 ど、どうする。こんなとき、どうすればいいんだ。

 わからない。何せ青澄さんの時だって、僕は満足に話せなかったのに。

 レオやタツならうまく言葉をかけられるんだろう。優雅に、上品に、或いは雅に反応してみせるだろう。

 ギンにしたって、本能にあまりにも忠実で。ギンがやりたいように、願うようにしか生きていないから迷わない。

 ……じゃあ、僕は?


「長考ですぞ」

「しっ」


 い、い、一意専心なんだ。考えろ。僕はどうしたい?

 ……だめだ! わからない! 女の子とうまくやれた試しなんて一度もないのに!


「とっ」

「「「 と? 」」」

「友達からで、前向きにお願いします……」


 お前……みたいな顔をするみんなの中で、山吹さんはにこにこ笑顔で切り返す。


「ガールフレンドですか?」

「それもう付き合ってないか?」

「シロ、しっ!」


 どうなんですか? にこにこ笑顔で尋ねられて、頭に熱が灯る。

 ど、どうしよう。どうしたら。こんな風にぐいぐい来られたことないんだけど。


「ちがうんですか? ただの友達ですか? 未来はありませんか?」

「ちょ、ま、まって、お願い待って」


 みんな揃って「押されっぱなしだ……試合じゃ見られない姿だ……」と言うんだけど、しょうがないだろ! 僕はこの手の経験がまともにないんだ!


「はい、待ちます」


 それで、どうします?

 にこにこ笑顔の圧力と言ったらちょっと見たことない。


「剣道じゃ僕と同じでまだまだだけど、こと人間関係においては僕よりも上手……!」

「シロ、なんで眼鏡を上げ下げしてるの」


 正座をして待たれると、早く答えを言わなきゃって思う。

 慣れない内には痛みがより耐えがたいものだから。

 でも、その。そんな。急に言われても!


「が、が、」

「「「 が? 」」」

「……頑張ります」


 みんなが一斉に前のめりに倒れた。

 けれど山吹さんは笑顔で「じゃあ私も頑張ります!」と頷いてくれた。


「それじゃあすっきりしたところで、素振りをお願いします」

「ええっ」

「だって私、それが見たかったんです。だからぜひ、お願いします」


 今、この状況で?

 僕はもしかして試されているのか?


「自分の心に素直だな。しかもみんなの前で話せる度胸……まるでギンみたいだ」


 結城くんの言葉に仲間さんが「ああ」と瞬きした。


「だめですか?」

「……いや、やるよ」


 そもそも残った理由は一つだ。

 ただ剣を振るのみ。集中できるか否か、その資質を、そもそも僕自身が常に試している。

 正直に言えばかなり厳しい。心は千々に乱れている。

 床にある己の刀に触れて、深呼吸をした。

 それから竹刀を手に、構える。


「――、」


 一振り。

 身体に染みついた動作は思い描いた通りのもの。


「――、」


 二振り。

 けれど父には未だ及ばない。動作から目にする理想型。

 それ以上に――彼女にまだ届かない。

 柳生十兵衞を共にするあの子には、まだ。


「ねえ狛火野くん」


 掲げた竹刀を止めて山吹さんを見た。


「なに?」

「まだ好き?」


 振り下ろした竹刀にもう、迷いはなく。


「振り切れたよ」


 胸の中にあるのはもう、ただの……後悔。

 もっと強くなりたいという気持ちだけだった。

 そう実感して色んな想いが胸の中にこみあげてくる。

 そのままに竹刀を掲げて振り下ろす。


「……へえ」


 仲間さんが思わず声を出した。


「ん……じゃあ一つだけ言わせてください」


 竹刀を掲げて、なに、と尋ねた。

 振り下ろすまさにその瞬間だった。


「あなたが好きです」


 仲間さんが「すごい乱れた!」と突っ込みを入れたのは、もしかしたら言うまでもないことなのかもしれない。

 赤面しながら彼女を見たら、彼女もまた赤面していた。

 咄嗟に舞い上がって言っちゃうなんてだめですかね、はずかしいですね、などと言って顔をぱたぱたと扇いで足早に帰る彼女に、みんなが彼女を追いかけて出て行ってしまう。

 それからの素振りはだめだ。彼女のことばかり頭に浮かんでしまって。

 タツの言葉が脳裏を過ぎる。


『コマはあれだ、剣道馬鹿だからな』


 居合い。剣道。

 時間さえあればそればかりしてきた。

 打たれた数はそもそも思い出せるレベルになく。

 素振りの数さえ同じで。

 それだけを考えて生きてきた。それだけでいいとさえ思っていた。

 青澄春灯。彼女に出会い、失恋するまでは。

 どうすればいいのかわからず、けれど僕にはもう剣の道しかなくて。

 現代に侍がいなければ、成人したとして食うことにさえ困っていたに違いない。

 そんな僕に踏み込む女の子が現われた。

 剣道馬鹿でも……うまくできるだろうか。わからない。

 ただ。


「あなたが好きです」


 その一言を言える彼女の勇気は本物に違いない。

 僕は青澄さんに、みんなの前でそうは言えなかった。今だって言えない。

 けれど彼女はそれを口にした。

 すごいことだ。

 だって、いま。


「……まずい」


 顔が熱くてたまらなくて。

 胸が高鳴って仕方ないのだから。




 つづく。

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