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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九章 戻ってきた日常

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第百八話

 



 雨が硝子を濡らしていく。

 湿った空気の中にタツはいない。

 ギンは早々に眠り、ユウは真剣に授業を受けている。

 僕は……住良木レオは窓を見ていた。

 タツは窓に何を見たのだろう。

 僕に見えるものはなんだろう。


「住良木くん、問題です」

「え――」


 視線を教卓に向けると、その上で正座をする国崎先生が両手を合わせていた。


「もしあなたが世論を敵に回し、その糾弾の的にされたなら――どうしますか?」


 意図がまるで掴めない問い掛けに目を見開く。


「あなたがたの世代では、不特定多数の人間の注目を浴びる機会が増えましたね。社会の有り様は大きく変わってきました。ちょっとした騒動の種が大きな火種になることも多くありますね」


 敢えて特別な例は出しませんけれど、と微笑む先生は、人差し指を立てた。


「けれど、それって現代特有の現象でしょうか? 私はそうは思いません」


 その指を刀に当てて何かを囁いた直後、先生の頭から獣耳が、お尻から尻尾が生えた。

 黒板のチョークがひとりでに持ち上がり、すらすらと文字を書き記す。


「人は理由があれば人に石を投げるのです」


 けれど、


「彼らが信じる信念は常に人を傷つけるためにあるのでしょうか?」


 いいえ、違う。


「自分たちを守るために抱く信念があり、それゆえに石を投げるのだと私は思います」


 手を再び合わせた国崎先生が笑顔で尋ねた。


「質問を変えましょう。さあ、住良木くん。あなたは……人間を前に、どうありたいと望みますか?」


 僕は、と唸る。


「獅子王なら理解されるまで戦う、と言います。狛火野くんはどうしますか?」

「え、ぼ、お、俺ですか」


 突然の振りに動揺しているところからみて、これは授業からの完全なる脱線なのだろう。


「えっと……抗う? 違うな……僕は僕のままで居続けようと思います」


 あ、俺です、と赤面しながら呟くユウに続いて。


「沢城くんならどうしますか?」


 寝ていたはずのギンはやる気のなさそうな目つきで国崎先生を見て、


「誰がなんといおうが関係ねえ。俺のことを本当の意味で知ってる奴さえわかってりゃ、それでいい」


 両手を後頭部に合わせて組んで、軽く笑って言ってのけた。


「なるほど。それでは……住良木くんは?」


 優しい目で問われた。


「……僕は、」


 言葉に詰まってしまった僕を見て、国崎先生は「考えておいてくださいね」と笑って言うのだ。けれどうまく返事もできなかった。


 ◆


 休み時間になって教室を出ようとして誰かとぶつかった。

 一瞬だけ香る石鹸の香りにはっとする。


「すまない――」

「い、いえ」


 一歩後ろに下がると、金の糸が煌めくお姫様カットの長い髪をした少女がいた。

 その少女は僕を見るなり顔を真っ赤にすると、俯いた。

 そっと立ち去ろうとしたのだが。


「住良木さま!」


 少女に呼び止められてしまった。


「なんだい?」

「いつまで……わたくしをお避けになるのですか?」


 切実な声だった。けれど、僕は視線も合わせずに言った。


「すまないが……君の名前も知らない」

「そんな――……」


 正体を失う彼女をそのままに立ち去る。

 あわてて教室の中からユウが駆け出してきて腕を掴んできた。


「レオ、今のはちょっと、」

「悪いが、用があるんだ」


 ユウの拘束を振り払って立ち去ろうとする。

 けれどユウはついてきた。その後ろには崩れ落ちた少女が目元を歪めて、下唇を噛んでいた。

 泣くのを堪えているのだろう。


「なあレオ。あの子、毎日キミに会いに来てるじゃないか。なんで無視するんだ」

「……キミには関係ないことだ」


 すう、と息を吸いこんだ。


「ついてくるな」


 力を使う。僕の意図はそのまま、相手の魂を拘束する。

 従属を強いる王の力。父親がその野心と欲望のままに金を元手にありとあらゆる手を使って宿らせた力。相手の霊子を従える仕組みのようだ、と最近は理解している。

 ユウでさえそれに縛られて、悔しげな顔をして睨んでくる。けれどもう、ついてこない。

 だから歩き去る。

 憎んでいるさ。この力を。なのに咄嗟に使ってしまう僕は最も醜い獣だ。

 放蕩の限りを尽くした。常に聡し、導いてくれた姉には頭が上がらない。

 そしてこんな僕には――……不似合いな存在がいる。


「もうこないでくれ」


 呟いてこの場を離れる。


 ◆


 声を掛けてくれる少女たちから逃げて、なんとか待ち合わせの踊り場に出た。

 学校の世話係と約束していたのだ。

 二年生の四辻。

 うちの父の経営グループのどこかの会社で働く父の息子なのだが、それだけの縁で子供の頃から面倒を見てくれている。


「疲れた顔をしていらっしゃいますね」

「……香水の匂いは嫌いなんだ。意外とつけている子が多くて困る」

「ご自身もつけているでしょう。なにより、お姉さまの香水はお好きなくせに」

「うるさいぞ」


 眉間に指を当てると皺が寄っていた。ふう……。


「ぼっちゃま。姫宮さまの件、よろしいのですか?」

「お前までそれを言うのか」

「姫宮ラン。お父上の決めた婚約者でしょう?」

「……ああ」


 そうとも。それこそが、教室前でぶつかった彼女の名前だ。四辻の言葉はすべて真実。それ故に心が痛む。


「お嬢さま学校に進学が決まっていたのに、ぼっちゃまが士道誠心に入ると決めるやいなや後を追いかけてきた。美談ではありませんか」

「だから遠ざけているんだ」

「ご自身に未だ自信をお持ちになれない、と。傲岸不遜なお父上の爪の垢でも煎じて飲めばよいのでは?」

「お前は辛辣だな」

「ぼっちゃまの世話係ですので」


 ふ、と余裕ぶった笑みを浮かべる。その仮面を剥がせたことは一度もない。


「国際的モデルのお母上にとてもよく似て、お綺麗です。スタイルもいい。性格も一途で健気。お父さまも傑物と評判ですし、家柄もいい。何が気に入らないんですか?」

「……彼女が綺麗すぎるからだ」

「お姉さまに似て見えるから手が出せないのですか?」

「それを言うな!」


 咄嗟にのびた拳は受け止められていた。


「図星ですか」

「四辻、手を離せ」

「お断りいたします。離せば殴られますゆえ」

「……殴らないから、離せ」

「かしこまりました」


 離された手を振って、それから額に触れる。

 意図せずかっと熱くなっていた。


「お前は僕にどうしろという」

「素直になれないぼっちゃまに似合いのカウンセラーを手配いたしました。昼休みにこちらの座席に腰掛けるとよろしいかと」


 懐からメモ用紙を出して、手渡される。

 窓際、端から何番目かまで具体的な座席位置が書き記されていた。


「……従う理由がない」

「では僭越ながら、この四辻が姫宮さまにぼっちゃまの秘密を洗いざらい吐いてきましょうか。まずは何歳までおねしょをしていたか」

「――……四辻。命令してもいいんだぞ」

「それならぼっちゃま、私は迷わずお姉さまにご注進いたしますよ。それとも直接お尻を叩きましょうか?」


 何を言っても通用しない。

 そしてそれを実行に移せるだけの実力を四辻は持っている。

 咄嗟の拳を難なく受け止めたのもその証拠の一つだ。


「……仕方なくだからな」

「ええ。仕方なく向かわれればよろしいかと」


 やはりこの笑顔、剥がせそうにない。


 ◆


 指定された座席にいたのは姫宮ランだった。


「あ、」


 僕を見て立ち上がろうとして、けれどどうすればいいのか迷って出足が鈍り。

 そのせいで椅子と一緒に前のめりに倒れそうになる。

 咄嗟に駆け寄りその身体を受け止めた。

 ふわりと香る石鹸の香りが妙に鮮烈で。それは香水の匂いに他ならない。

 唯一好きな匂いだ。姉がたまにつけてくれる匂いだ。そして、それは――。


「あ、あの」

「……いい、匂いだね」

「あ……」


 赤面した彼女が俯いて、嬉しそうにはにかむ。


「……幼い頃のわたくしが、レオさまのお宅のパーティーに背伸びしてつけていった香水を、レオさまが褒めてくださったので。いつも……つけてるんです」


 少しでも思い出していただけたら嬉しくて、と彼女は目を伏せた。


「……キミは」

「す、すみません。気持ち悪いですよね。四辻さまに一度きちんとお話する機会を持て、と仰っていただいて伺ったのですが」


 わたくしだけはしゃいでだめですね、と自己完結して離れようとする手を、なぜ……僕は掴んでしまったのだろう。


「待って」

「あ、あの……離してください」


 わたくしなんかが、と言う彼女を引き寄せる。


「嘘を吐いたことを詫びる」

「え――」

「行くよ」


 抱き上げてその場を抜け出す。

 ここはひと目が多すぎる。


「あの、あの……レオさま?」


 耳まで赤くなりながらも身を預けてくれる彼女を抱いて、向かうのは屋上棟。

 雨が降っているから人もいないそこへ。同じ考えを持った先客はいなくてほっとした。


「すまない」


 彼女をそっと下ろす。

 よろける彼女の腰を抱いて、壁際に。

 視線が震える彼女に告げる。


「名前を覚えている。子供の頃のことも、何もかも」

「え――」


 雨の降りしきる中でも戸惑う彼女の声はいやにはっきりと聞こえた。


「嘘をついて遠ざけた……キミは気持ち悪くない。それは僕だ。僕は……汚い血の穢れた獣だ。キミの見つめる男は仮初めでしかない」

「で、でも……レオさまは、レオさまです」


 震える指先で頬に触れてきた。

 僕の熱をすべて吸い上げて覚ましてくれる心地よい感触だった。


「あなたが抱えているものを、全部……一緒に背負いたいと、願ってはいけませんか?」

「……時代錯誤だ。婚約者など」

「それでも……わたくしには嬉しい絆なのです」


 なにを抱えていらっしゃるのですか?

 囁く声は不思議と柔らかく心に染み渡ってくる。


「小学生のあなたは気高く。中学生のあなたは雄々しくて。けれど……高校生のあなたは、牙を折られた獅子のよう」


 身体に入り込んでくる優しさに触れて初めて痛みを自覚した。

 たまらず視線を外す。そばにある扉の窓は雨の雫が張り付いて――落ちた。

 脳裏に国崎先生の問いかけが過ぎる。

 人間を前に、どうありたいと望むのか。


「きみは……僕に対して、どうありたいと望む?」


 縋るような問い掛けに、彼女は迷わず言った。


「寄り添いたいと望みます」

「……そうか」


 雫がいくつも落ちて。それを見て、深く息を吸いこんだ。

 ただ一つ、好きな香りがそこにある。

 慈愛に満ちた姉と似て非なる……もっと密に近い少女の想いを吸いこんで、息を吐く。


「罪を告白するよ」

「レオさま?」


 彼女の頭を抱いて、耳元で囁く。


「……忘れて欲しい。そう願っていた」

「どうして――」

「妾の子と結ばれてキミに未来があるだろうか」

「そんなの関係ない」


 叫ぶでも泣くでもなく。

 彼女は笑った。


「わたくしがレオさまのおそばにいたい理由の障害にさえなりません」


 僕の手に自分の手を重ねて。


「そんなことでお悩みになられていたのですか?」


 そこで初めて、彼女はその目に涙を浮かべた。


「そんな些細なことで、わたくしを遠ざけたのですか?」

「……ああ」

「なら、見損なわれては困ります。そうでしょう?」


 僕の手をそっと彼女の頬に導く。

 ひんやりと冷たい肌に落ちる涙を拭わずにはいられない。


「あなたは獅子になる男です。その刀の名は――」


 じんわりと熱が灯って、伝わってくる。


「獅子王。だから常に獅子王先生の横に立とうとしてこられたのでしょう?」

「……ああ」


 誰にも話したことのない真実。

 それを彼女は知っているのだ、と思いはしたが、同時に納得もした。

 四辻が見抜き、彼女に口添えしたか。或いは彼女自身が見抜いたか。どちらでも不思議はないと思ったのだ。


「そんなあなたのおそばにいようというのです。それくらいのことで、へこたれていられません」


 彼女の目には強い意志が宿っていた。

 それは揺るがずにまっすぐ僕を捉えている。


「おっ……お嫌いなら下がります。何歩後ろでもかまいません。少しでもおそばにいたいと、願っております。あなたが……わたくしの背伸びを褒めてくださったあの日から、ずっと」


 四辻の言葉が浮かぶ。一途で健気。それに気高く、優しい。

 涙を浮かべた彼女はどこまでも美しい。

 今まで姉に重ねてみていたことを恥じるほどに……彼女は強い。


「ならば……ついてきてほしい。僕の一番そばで、これからの未来まで」

「……はい!」

「後悔するなら、今をおいて他にないよ」

「いいんです。わたくしは、あなたが大好きなのですから」


 嬉しさのあまりにか、涙をぽろぽろとこぼす彼女がしがみついてきた。


「……嫌われていたら、生きてはいけませんでした……レオさまは、わたくしのこと、嫌いではないんですよね?」


 どんどん涙に濡れて歪んでいく顔で、縋るように問われる。

 これほどまでに追い詰めて傷つけてしまったことを……この先ずっと後悔し続けるだろう。

 ならばその分さえ補って余りあるほどに、


「愛しいと想っているよ」


 彼女を愛しぬくと、確かにそう誓ったのだった。




 つづく。

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