第百六話
朝起きてから妙に違和感があるの。
すっごく頭が気持ちよかった気がするし、
『ふふ、ふふふふ』
なんかタマちゃんが怪しいんですよね。
カナタはカナタですっきりしない顔してるし。
なんなのかなーって思いながら学校に行って、お昼休みに事件は起きました。
食堂で椅子に座って、向かい側に座るトモとノンちゃんを前に身体の自由がふっと奪われたのです。
「ねえノンちゃん、トモ。二人は恋人と二人でいるときなにしてるのじゃ?」
「「 のじゃ? 」」
「い、いや、なんでもない! なんでもないんだけど、どう?」
ちょ、タマちゃん?
なにしてん?
「急にどうしたの、ハル」「なんか意外すぎる話題なんですけど」
いいぞいいぞ、二人とももっと言ってやれ!
「いやいやぁ、見てますよう。トモはシロくんと、ノンちゃんはギンといい仲なんじゃ――ごほん! いい仲でしょ? しかも侍候補生と刀鍛冶は同室! 特にノンちゃんはどう過ごしているのか……私、気になります!」
「ちょっと、そういう話?」
あきれたトモの横で、ノンちゃんが盛大にため息を吐いた。「はあ」って。
「……どしたの?」
さすがにこれにはトモも前屈みです。
対するノンちゃんは納豆をかき混ぜ始めます。
その勢いたるや、ちょっと尋常じゃありません。
「恋人ってどういうことしたらいいのです? 正直さっぱりわからないです」
「えー」
トモがちょっと意外そうな声をあげてる。私も意外。少なくともギンはぐいぐいリードする人だと思ったので。
「気がついたら抱き枕扱いになって、それでノンの三年が終わってても不思議はないといいますか。デートとか、いちゃつくとか、そういうのどうすればいいかわかんないです」
なるほど。わかったからノンちゃん、そのへんにして。納豆さんが悲鳴をあげてるよ!
「まあ外出許可もらわないとお外出られないあたり、侍候補生はめんどくさいよね」
「トモはシロといちゃついてるの?」
「ふふ……内緒ー」
私の代わりに尋ねたタマちゃんに蕩けた顔で言うトモ。
親友を見て思いました。ああ……きっと何手先までも進んでいるな! と。
「むしろあたしからすれば、部屋が一緒の二人がそういうことしてないのが意外」
「それがさあ!」
思わず口から出たのは自分の意志でした。
た、タマちゃん?
『ほれ。愚痴を吐きやすくしてやったのじゃ、好きなだけ言えばいいじゃろ!』
……そう言われると言いにくいけど、でも二人とも先を待ってくれているので言わなきゃいけない流れですよね。
何か言わないとノンちゃんの納豆が液状になっちゃうし。なんてね。
「日常的に一緒だと、むしろ素な時間を共有するから、どう甘い空気にすればいいかわからないというか」
「それですよ、ほんとそれです。終始甘えたらお前万年発情期か、とか言われそうですし。別に常にそこまでしたいわけじゃないんですけど、でもなんていうか」
「うまく甘えられたらそもそもこんな風に悩んでないといいますか!」
「もっとなんていうか、こう。なんていうかなんです!」
わ、わかったから二人とも落ち着いて、とトモに言われてやっと、ノンちゃんと二人して立ち上がって力説してたことに気づいたよね。
そっと座ってから、私はトモに尋ねたいんですけども。
「基本、カナタがリードしてくれるから、カナタ任せすぎで、それってなんだかなって」
「あたしもです……」
言ってから自分で意外だった。口に出してみるとすとんと落ちる言葉だけど、敢えて自覚してなかったというか、自覚を避けていた、というか。
それはノンちゃんも同じみたい。納豆をかき混ぜる手を止めて、深々とため息を吐いている。
「たとえば、どういうとき?」
「んー……。カナタが優しくしてくれた時、もっとしてほしいのになって思ってもそこで終わっちゃって残念、みたいな?」
キスしてくれたんだけどそれで終わって残念、とは言えません。こないだのデートの話ね。
「ひっつきたいけど、どうすればいいかわかんないですよね」
「あー」
わかる、と言うと、トモが盛大にため息を吐きました。
「二人とも素直に甘えてみたらいいのに」
「き、嫌われない?」「嫌がられませんか?」
揃って不安がる私たちにトモは笑って言う。
「そんくらいで嫌うような相手なら最初からやめとけばって思うし。二人の彼氏はそうじゃないんじゃない?」
「それは……」「確かに……」
なるほど、と顔を見合わせて頷く私とノンちゃんなんですが。
「まあ時と場所を選んで、相手のテンション見極めて、くらいはした方がいいと思うけどね」
「それがハードル高いけど!?」「できないから困ってるんですけど!」
あはは、と笑ったトモがふと思いついたように笑って言いました。
「なら秘策を授けよう。耳貸して」
どぎまぎしながらも私とノンちゃんはトモに顔を寄せました。
私たちにそっとトモが囁いたこと、それは――。
◆
お風呂上がり、私はユニットバスでお風呂を済ませたカナタがソファーに腰掛けたのを見計らって、そっと声を掛けます。
「ねえ、カナタ」
「……なんだ?」
不思議そうな顔をするカナタに、恐る恐る問い掛けます。
「……お膝にのってみたいんだけど、いいかな」
「――……、ええと」
一瞬狼狽したように目をさ迷わせてから、いいけど、と小声で答えてくれました。
トモの秘策、それはね。
『リラックスした状態で甘えてみよう』
です。言われてみればなんてことはないけど、それを思いつかなかった私とノンちゃんにとっては博打にも等しい賭けなのでした。
でも、OKだしてくれたからいいっぽい。なので、いそいそとソファーに座るカナタの膝の上に座りました。
「し、尻尾邪魔かな」
「いや、いいけど……」
「え、ええと。じゃあ、じゃあね? 後ろからぎゅってしてほしいなあ、と思うのですが」
「……何の真似なんだ」
「え、えっと」
やばい。早くも作戦崩壊の危機なんですけど!
『落ち着け。素直に話してみればよい』
た、タマちゃん。それはなんていうか、赤裸々すぎませんか?
思春期の羞恥心的にハードルが高いんですけど!
『彼氏を前に何を意地を張っておる』
そ、そりゃあそうだけど。
『……ハルはくっつきたいって思ってる。甘えたいって思ってる』
……え?
禍津日神の声だった。積極的に話しかけてくれないから、だいぶ意外だったけど。
『カナタも同じ』
その声にどきっとしてふり返る。
赤面してどうしたらいいのか戸惑っている大好きな男の子の顔がそこにはある。
『我が主は素直じゃない』
綺麗な女の人の声がした。それはカナタの刀の声だった。大典太光世。
あまり聞いた覚えがないからこそ新鮮で、けれど……逆に言えば私に声を届けてくれるくらい伝えたいことだったのかもしれない。
『ほれ、ミツヨもヒノカもこう言うておる。素直になってみ?』
タマちゃん、そんなあだ名をつけていいの?
もう……色々とツッコミどころ満載だけど、でも。
カナタが私の行動ですごく意識してくれている今なら、そう思ったから言うよ。
「カナタにもっと甘えたいなあって、思いまして。せっかく恋人なのだし」
「……そ、そうか」
「カナタにしてもらうばかりじゃあれかなあ、とも思ってもいましてん」
「……結局俺から抱き締めるんじゃないか」
ふっと笑ってから、深呼吸をして。
それからやっとカナタが背中から抱き締めてくれたんです。
すごくすごく胸がきゅう、ってなったし。
尻尾が瞬時にぶわっと広がって、カナタが悲鳴をあげてたし。
背中ぎゅっは今のままじゃだめみたい。
「え、えっと。大神狐モードになる?」
「こんなところで力を使おうとするな」
おでこをこつんとやられたので、てんぱる私の脇をカナタがそっと持ち上げた。
立ち上がる私の手を取ってそっと回して、引き寄せるの。
カナタの胸の中におさまった私に、そっと囁きました。
「代わりにこれでお許しを。他にご注文はございますか? 恋人さま」
余裕ぶった顔がなんだか悔しくて。
「――……ん」
耳たぶをきゅっと摘まんで、そのまま身体を伸ばしてキスをしました。
自分からしたの……はじめてだっけ。
あれ。もしかしてすごいことをしてしまったのでは?
してから気づいてどうするし!
赤くなりながら離れると、カナタに頭を引き寄せられて強く抱き締められました。
「まったく……俺を揺さぶってばかりだ、お前は」
狂おしげな声は何かを堪えているようです。そう思ったから、
「カナタがしたいこと、していいのに」
そう言ったの。
「本当にしていいんだな?」
確かめるような声にどきどきしながら言ったよ。
いいよ、って。
そしたらね。
「ならば、好きにさせてもらおう」
私の肩を掴んだの。こ、これはもしや!
そう思った時が私にもありました。
上半身を真横に倒されて。腰をカナタの膝に預けて、ソファーにうつぶせにさせられたの。
カナタが懐から取り出したのはブラシでした。
「え」
それを私の一本だけの尻尾にかけて、すーっとスライドさせるのです。
「え、え、え」
「ずっと……ずっと気になっていた。毎晩ブラッシングしたいと思って……夢にまで見ていた」
「ええ、と」
待って。お願い。待ってくだしあ。
「この流れでブラッシングなの?」
「だめか?」
「だ、だめじゃないけど。気持ちいいけどね? 気持ちはいいんだけど。いちゃついてる感もあるけど、その……」
「なにを期待したんだ?」
「そ、それは……な、なんでもないよ!」
かぁっと熱くなった顔であわてて俯きました。
これはこれでいいし。だから意識してない。してないってば。そんな、そんなの……ちょっとくらいしか。
「あとで獣耳も綺麗にしたいんだが、いいか」
「いーですよー」
「気のせいかな……拗ねてないか?」
「拗ねてないです」
「……ならいい。あと髪の毛も、櫛を入れたいんだが」
「好きにすればいいと思います」
「……やっぱり拗ねてないか?」
不安か。
……いや、不安なんだよね。
ブラッシングくらい、いつでも言ってくれればよかったのに。
むしろ私が助かってるし、してくれた方が嬉しいし。
そんなことを気にしてたのかーって思ったら、逆になんだかおかしくなってきた。
ずっとそんなこと気にしてたんだって思って。それって、やっぱりちょっとおかしい。
「拗ねてないよ。だいじょうぶ」
ふり返ってカナタを見る。
そうか、と呟いてブラシを尻尾に当てるカナタは幸せそうだった。
「……他には、カナタがしたいことない?」
「今はこれで十分だ」
「ふうん……そっか」
「ハルはどうなんだ?」
「んー? んん……」
ブラシで丁寧に尻尾を綺麗にしてくれるカナタの問い掛けに、私は少し考える。
気にしてくれるカナタが嬉しい。好き。
だからこそ、もっとしたいことないのかな?
それとも、今はこれでいいのかな?
『どうなんじゃ? ハル。いろいろ大人の階段登っちゃうなら今が好機じゃぞ』
『だから……おまえは本当に徳の高い狐なのか?』
『だまらっしゃい、ミツヨ!』
『十兵衞、なんとかいってやって……『ぐう……』寝てるか』
『ハルがしたいこと、それは――』
いいよ。禍津日神……ううん、ヒノカちゃん。
「尻尾と獣耳と髪の毛、よろしくお願いします」
「……ああ」
嬉しそうに微笑むカナタを見て、それから思いました。
カナタがくつろいでいる瞬間って、案外こういう時なのかもしれないなって。
なら、こういう時間をもっと増やしていけばいいやって。
私はそう思ったのでした。
つづく。




