第百四話
二日間の中間試験が終わると、学校は弛緩した空気に包まれる。
それは例えば教室に来たツバキと合流して遊びに出かけるハルや、沢城に会いに行ってそのまま実家に一時帰宅するシロとか。それぞれに部活動に行くクラスメイトとか……とにかく自由に放課後を楽しもうとする仲間達を見ればわかることだ。
そこへいくと俺、八葉カゲロウは浮かれられずにいた。
それというのも――
「あー、ここにいた! ほら行くわよ、陸上部に!」
世話を焼きたがる幼なじみがいるのだ。
この幼なじみ、名前を星野ホタルという。
幼なじみというが一つ年上で、いわゆる近所のお姉ちゃんだ。
なのだが俺にとってはいわば目の上のたんこぶである。
例えば幼なじみといっても「意識し合ってしょうがない、やがてはくっつくかもしれない二人」という例の奴ではない。俺とホタルにとって、それはあり得ない。
そもそもホタルは俺の兄ちゃんの彼女である。
「いや、いかねえし。ユリアさんに俺は会いに行きたくて」
「ユリアも今なら陸上部にいるわよ」
「嘘つけ。別にあの人、陸上部じゃねえだろ」
「よく助っ人に入ってもらうの。あとはたまに走りに来てもらうのよ……みたくない? あの子のおっぱいが走る度に上下にたゆんたゆん揺れるの」
こういうところがいやなんだ。
「おっ、俺はそういう目で見てないから! っていうかシモに一直線とかどうかと思いますよ!」
「とかいって、あんたのお気に入りの動画にタグつけるなら堂々の第一位は巨乳じゃない」
こ、こういうところがすげえやだ!
兄貴と二人で揃うとこれがもう最悪なんだよ!
「ユリアにお近づきになりたいなら入って損はないわよ、陸上部」
「やだ」
「なんでよ。あたしがマネージャーとしてばりばり鍛えてあげるっていうのに」
「それがやなんだよ!」
「なにがいやなの? 中学の時はあんたががんばり、あたしのおかげもあって、それなりの成績出したじゃない」
「あたしのおかげとかさらっというな!」
「いいからついてくる」
首をがっと掴まれると、そのまま引きずられていく。
ホタルは細いが、その細さにだまされることなかれ。
体脂肪率が低くて細いのに筋肉の塊だからな。
抗えないんだ……昔っからこうなんだ。
「走ればわかりあえるわよ! そしたらきっとユリアの待つゴールにたどり着けるわ!」
「その走れば何でも解決みたいな考えやめてもらえますか!」
悲鳴をあげるが、結局は従うしかない。
俺はホタルと戦って勝てた試しがないのだ。
◆
グラウンドに出ると生徒たちが運動着姿で汗を流していた。
ざっと見ても野球部、サッカー部、陸上部の姿が見える。
剣道部とか柔道部とか、吹奏楽部とかも走り込んでいた。
そんな連中がみんなして視線を送る人がいる。
「――っ」
軽快に走る運動着姿のユリアさんだ。
銀色の髪をたなびかせて躍動する身体は、美術の教科書で見るような均整の取れた理想的なプロポーションで、それだけでも目を奪われる。
全体的に華奢だからこそ露わに膨らんだ二つのたわわは、揺れないような下着を身につけているのかもしれない――アニメみたいに揺れこそしないが、それでも大迫力で。
「やっぱりくぎ付けになってる」
「ち、ちがっ、別にそんな――」
「あーあ、どうせあたしにはあんな美貌も乳もありませんよ」
「兄貴は貧乳好きだから別にいいだろ! あとホタルは普通に綺麗だと思いますけど!」
「知ってるし、カゲはいっつもそう言ってくれるのなにげに嬉しかったりもする。ふふ」
どやりやがって。くそ!
「でも、カゲが見るべきなのはあたしじゃなくて、あっちね」
顔を掴まれて、くいっとユリアさんに向けられた。
たゆんたゆん。たわわ……。
「来てみてよかったでしょ? じゃあね」
背中を叩かれて文句を言おうとしたんだけど、ホタルは俺から離れて陸上部の連中が集まっているところに行っちまった。
部活に誘っといて勝手に行っちまうのなんなの。
「あんなのが俺の初恋とか、マジあり得ん」
あれでも一時はホタルに憧れてたんだ。
まあ……だから兄貴に憧れていたホタルの気持ちにも、二人が付き合いだした時にもすぐに気づいたんだけど。
吹っ切れてますよ? 終わった話だから。
まあだからこそホタルが俺の刀鍛冶になってめっちゃ複雑なんですけどね。
俺はホタルに一生頭が上がらない気がしてさ。
せめて兄貴も学校にいてくれたらいいけど……兄貴は結構、年が離れてるんだよな。そもそも同じ学校に通うこと自体、無理な話だ。
めっちゃ頭がいいから研究者になって、今はなんたらモニターの開発をしているらしいけど。
ぶすっとしていたらユリアさんが俺に気づいて駆け寄ってきた。
汗の滲む額に前髪が少し張り付いている。日の光を浴びた銀の髪がきらきらに煌めいて眩しい。
「きみもきたの?」
「……えっと。まあ、幼なじみに誘われて」
ああ、ホタル……と言われたあたり、色々と不安。
具体的にはあいつがユリアさんに何かを吹き込んでいそうで、めっちゃ不安です。
「そういえば……私を助けてくれた日も、走ってたね」
「あ――……」
見ていてくれたんすか、とか。
覚えていてくれたんすか、とか。
色々浮かぶけど、どれも言葉にならなかった。
「また、見たいな。きみの走る姿……だめ?」
「だ、だめじゃないっす」
「ふふっ。よかった」
それくらいユリアさんの笑顔の威力がハンパなくて。
「ホタルから聞いてた。君のこと」
「え」
「一緒に何かできたら、楽しそう」
走る? と誘うように俺に右手を差し出してきた。
遠くを見ると、ホタルがしてやったり、という顔でこっちを見ていて。
ホタルへの反発心だけで拒否するには、目の前に差し出された手は魅力的すぎた。
「くっ、殺せ」
「なあに?」
「いえ、なんでも」
よろしくお願いします、と言って恐る恐る彼女の手を握った。
走ってあがったのか、彼女の体温は俺に負けずにあがっていた。
それがなんだか、無性にドキドキしたんだ。
つづく。




