第百一話
カナタのお父さんが経営する喫茶店で出された珈琲はとても美味しかった。
一口飲んだカナタには甘すぎる、と言われたけどね。
「先日家に来てくれた時にぴんときていたんだ。お嬢ちゃんにはこのくらいが合うって」
カウンター越しに思わず見とれちゃうくらい、カナタのお父さんは白髪に白髭の似合うナイスミドルです。
シュウさんもカナタもコバトちゃんさえも、美人すぎるお母さん似。
でもよくみれば切れ長でただ者じゃない光を放つその瞳はカナタもシュウさんも引き継いでいる。
「しかしお狐さんとは、久々に見たね」
「おやっさん、知らないんですか? 星蘭にもいま、狐がいますよ」
「俺は引退した身なんでね」
お客さんの野次に肩を竦めて、カウンターの内側でコーヒーカップを洗い始める。
「……その。カナタ、学校はどうなんだ」
「別に」
どういう距離感で話せばいいのか戸惑うお父さんに対して、カナタは素っ気ない。
「大変なのは兄さんだ。俺も……父さんも、兄さんが手にした刀の意味も知らなかった」
「……むう」
うなり声をあげるお父さんにカナタは素直ではいられないみたい。
思春期の男の子ってこうなのかな。トーヤもいつかは私やお母さんに「心底うざい」とかいう態度を取ったりするのかな。
「父さんは気づいてなかったの」
「か、カナタ」
詰問するような声にあわてて手を握ったけど、お父さんは頭を振った。いいんだ、って。
「お前と同じで、抱え込むからな。あいつの身内にそれとなく忠告はしていた」
「それくらいで――」
「済まなかったことについては謝る」
歯がみするカナタとそれ以上の説明をしようとしないお父さんに焦れるのは私だけじゃなかった。
奥の籍にいた女性が立ち上がって、カナタの前に歩み寄ってきたの。
「自分を責めるために他人を巻き込むのは感心しないわね」
「マコトちゃん」
「いいえ、言わせてもらいます。今回の騒動で生徒側に被害はありまして?」
お父さんにマコトちゃんと呼ばれた女性の問い掛けにカナタは答えなかった。
その代わりに俯いたの。
「危ない場面は山ほどあったでしょう。けれど、じゃあ……プロが山ほど生徒達に襲いかかってなお、死傷者がいないのはなぜだとお思いかしら?」
「それは――……侍が兄さんに操られた、と見せかけた、と?」
「あれほどの汚泥を吐き出して現実に悪影響が無かったのは、なぜかしら?」
「……渦中の俺たちが気づかないところで戦っていた?」
「正解よ。頭が回るようで安心したわ。ならお父さまをなじるよりも、できることがあるはずよね? 少なくとも……あなたのお兄様から伝え聞く噂によれば、あなたは利発とのことだから」
女性の言葉に答えられないカナタに女性は微笑み、お金を支払って店を出て行った。
「……父さん、ごめん」
「いいんだ」
珈琲おかわりいるか? と優しく言うお父さんにカナタが頷く。
張り詰めた喫茶店の空気が弛緩した。
カナタがトイレに離席してほどなく、お父さんが呟く。
「驚いたろ」
「あ……はあ」
「今のはね。シュウのそばで働く子なんだ。他の客もみんな、侍と刀鍛冶だらけでね」
ふり返って店内を見渡すと、みなさんが笑って挨拶してくれた。
「ども」「未来の後輩ちゃん、よろしく頼むよ」「ショッピングセンターにいた、あの氷の子によろしく!」
慌てて頭を下げる私です。
「俺たちにできたのは、あいつの暴走をなんとか引き延ばして制御するくらいだった。特に先月、コバトを救い出してからは危ない状態が続いていてな」
ため息を吐いてコーヒーカップを拭う。汚れなんてないように、綺麗に、丁寧に。
「報告は聞いてるよ。うちの息子が揃って迷惑をかけた、とね」
「い、いえ、そんな! ……って、あれ? 揃って?」
「君んとこの生徒会長から、カナタが君に相当な無茶をやらかしたって聞いたよ」
「あ……」
身体から引きはがされた時のことだ。
「カナタのそれはコバトの一件と刀を手に入れられない焦りからくるものだと思ったが……シュウもシュウでコバトの救助任務で何があったのか話そうともしない。やれやれだ」
頼りないオヤジですまないが、と前置きを置いてお父さんは私を見つめてきた。
「もしいやになってなけりゃあ……息子と今後も仲良くしてやってくれ」
「い、いえあの、そんな」
「父さん、なにはずかしいこと言ってるんだ」
トイレから出てきたカナタが赤面しながら急いで私の隣に戻る。
「はっ、扉開けっ放しではずかしいことを言い続けた息子にゃあ言われたくないね」
「……父さん譲りなんだよ」
「ま……そういうことにしておいてやるよ」
ふっと笑うお父さんはどこか嬉しそうでした。
◆
お洋服買ったりしながらさんざん外出を楽しんだ帰り道に、東京の都庁の展望フロアに寄って夜景を眺めるの。
せかせかして歩く人の間を抜けて入ったそこは大人しかいない感じで、場違い感。
でも夜景は綺麗だし、カナタは嬉しそうだし、私もいいやって感じです。
「コバトが好きだった。ここからの夜景を見るのが」
「そうなんだ」
「兄さんに連れてきてもらったことがあって……なんだか今日は、無性に見たくなった」
「ん」
ちょっと元気のないカナタの手をきゅっと握って、二人で何気ないことをたくさんお話したんだけど、不意に鳴ったスマホの画面を見た途端にカナタの表情が沈んだの。
どうしたの? って聞いたら、ラビからだ、と言ってため息を吐いた。
「試験が終わったら発表があると思うが、学校側に警察から通達があったらしい。あれは緋迎シュウの刀の暴走を治めるための作戦だった、って」
「え……」
「刀鍛冶と侍を引きはがしたのも、兄さんに操られたフリをしたのも作戦行動で。それを事前に伝えられなかったのは、兄さんにばれないためだったとか」
それだけじゃない、と。
「何か大きな流れがあって、兄さんの暴走も……ひょっとしたらコバトの一件さえもそれに関係しているかもしれないそうだ」
それとなく聞いていた情報が、ここへきて形を持ち始めた。
……悪意、という名前の形を。
「警察は極秘裏に今も対処している最中らしい。というのはシオリの見立てなんだが」
「カナタ……」
大丈夫だ、と私の手を握ってカナタは夜の大都市を眺めた。
「こういう時、学生は歯がゆいな」
「……卒業しないと関われないから?」
「ああ。兄さんとコバトのことなのに、何も出来ないのは嫌だ」
自由に動けたらいいのにな、と。
カナタの呟きを聞いて真っ先に思い出すの。
「メイ先輩が、前に……言ってたよ。学外に出て邪を退治して回ってたって」
「ああ……去年の課外活動だな」
呟いてから顎に手を置き、それも手か? と呟く。
けれどすぐに頭を振った。
「だめだ」
「な、なんでだめなの?」
「去年、被害者を出した俺たちには今はまだ……危険すぎる」
そっか、としょんぼりする私の頭を撫でて、カナタは言うの。
「今はまだ、な。その線で何かできないか探ってみるよ」
「……ん!」
「じゃあ出ようか」
微笑むカナタに手を引かれてエレベーターへ。
この次はどこへいくのかな。指輪をもらったんだしもう少しお外で一緒にいたいなあ。
そんな気持ちを素直に言ったらね。
「そろそろ帰らないと外出許可の門限がある」
「えええ!」
「……俺も色々歩きたいけど、それは試験後にとっておこう」
優しく言われたから我慢するしかないなあって思いつつ、降り口から出た時でした。
そばから歩いてきた人にぶつかってしまったのです。
「きゃっ」
「おっと……気をつけたまえ」
スマホを耳に当てた精悍な顔つきのスーツ姿の男性でした。
言葉は優しいけれど、私を見る目は物を見るような冷たいもので。
「す、すみません」
慌てて謝る私から視線を外してエレベーターへ。
閉じた扉にほうっと息を吐く。やっぱり場違いだったのかなあ。
「大丈夫か?」
「う、うん。なんだかあれだね、都会の人ってみんなせかせかしてるよね」
「お前も一応都民だろうが」
「う……それを言われると」
二十三区じゃないし、と言い返したら都民は都民だと笑われました。むう。
◆
学生寮に帰って手早くお風呂を済ませて指輪を見つめてにまにましていたら、お風呂をあがったカナタがお部屋に戻ってきました。
なのですかさず言うよ。
「ねえねえカナタ、左手みせて」
「なんだ?」
きょとんとしながらもベッドに腰掛けて左手を出してくれた。
見ればしっかりと指輪がある。
カナタが買ってくれたペアリング。
私のそれはピンク色のきらきらな石が飾られた銀の指輪。
カナタのは少し黒みがかったきらきらな石の飾られた銀の指輪。
石の台座が龍の爪みたいです。
『その表現はどうなんじゃ』
だ、だって指輪なんて人生初なんだもん。
しかもそれがペアリングですよ?
「ふふー」
カナタのリングに触れてにまにましていたら、視線を感じて「どしたの?」って聞いたの。
次の瞬間には抱き寄せられていました。
「あんまり喜ばれると、たまらなくなる」
「え、えと」
そっと押し倒されて。
「あ、」
見上げて目にした顔は私を一途に思ってくれる男の子の顔。
前に私を抱いた時の――……私を求める顔だ。
瞬間的にゆだる頭で理解するよりも早く、カナタが私の獣耳を指先で撫でる。
根元がこそばゆくて、落ち着かなくて。
なのに私の頬に唇を寄せて、そのまま耳元へ。
唇の感触のきゅんと高まる熱に思わず囁く。
「し、試験勉強で覚えたことぜんぶ吹っ飛んじゃうよ」
「ふ、」
そしたら笑われました。声を上げて、心底おかしそうに。
「大丈夫。俺の仲間は伊達じゃない。だから勉強会をしたし、今のハルなら大丈夫だ」
それとも。
「吹き飛んでしまうくらい、好きなのか?」
意地悪な問い掛けに顔中真っ赤になりながら、絞り出せたのは。
「……カナタだから、です」
という弱々しい本音でした。
私の声にカナタが切なそうに顔を歪めると、
「塞ぐぞ、その唇。でないと、手加減できなくなりそうだ」
そう囁いて口づけてきた。
待ち焦がれていた瞬間だったから、首を抱いて。
離れた時に言うんです。
「手加減は、いやです」
それからのカナタは……本当にすごかったです。
つづく。




